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ゴロンタロ州にはスマラタ、マリサ、ボネ海岸沿い、ビンタウナなど州内各地に以前から金鉱山がありました。
ゴロンタロ地域がオランダによって占領されていた当時の資料(遅くとも1700年)には、オランダ軍により上記した地域での金採取が確認されています。
つまり、ゴロンタロでは300年以上の金採掘の歴史かあると言えます。
現在でも、これらの地域やその周辺では金採掘が続けられています。
さて、金はどのようにして採掘されるのでしょうか?
ゴロンタロにおける採取方法に関する詳しい資料は多くないのですが、2つの方法があるようです。
まず1つ目。
この方法は、大きな皿(揺り板)を用いた方法です。
砂金などを採取する際に用いられる方法で、比重の違いを利用して砂の中から砂金だけを選り分けます。
もう1つは、水銀を用いた方法です。
以外にもこの方法は古くから知られており、金と水銀の物理的性質を利用した方法です。
この方法は『アマルガム法』と呼ばれており、現在ゴロンタロにある金鉱山で採用されている方法です。
このアマルガム法による金採取過程を写真とともにご紹介したいと思います。
① まずは金が含まれている岩石を採取する
② ある程度小さく砕く
③ “トロモ”と呼ばれる樽に、砕いた岩石・水・水銀を一緒に入れて、樽を回す
※樽を回している間に、岩石がより細かく砕かれ、姿を現した金属粒子が水銀と接することによりアマルガムと呼ばれる合金を作る。
④ トロモからアマルガムを採取する
⑤ アマルガムを加熱し水銀を蒸発させて、残ったものが金!
このようなプロセスを経て、金を得ています。
さて、ここで使用された水銀。
ご存知のように人体を含む動物や環境などに対する水銀問題が深刻です。
ゴロンタロ州にあるほとんどの金鉱山は、『鉱山』とは名ばかりで、産業設備を整えていない金採掘のことです。
手掘りや小規模金採掘と呼んでいますが、水銀を使用する世界最大セクターの1つです。
水銀が引き起こす問題には様々なことがあります。
例えば人体への影響。
水銀は中枢神経や臓器などの器官に障害をもたらします。
高濃度の場合は言うまでもなく低濃度の場合であっても、長時間水銀と関わる環境下にさらされると、脳に障害を受け最終的には死に至ります。
間接的に影響を受けることもあります。
妊娠した女性がすでに水銀に被曝している場合は、母体を通じて胎児の体内へと吸収されます。
ここで私が取り組んでいることは、環境および人体などを含む動物にどの程度まで水銀汚染が広まっているか、ということです。
しかし、このような研究・調査はすでに様々な国や研究者によって行われています。
特に新しい研究ではありません。
対象となる地域で『こんなに含まれていますよ』『ここは危ないですよ』と発表するだけでは何の意味もないのです。
労働者やその家族、その鉱山がある地域の政府役人など、皆さん水銀の危険性を知っています。
だけど、どうして未だに働き続けているか?
政府はどうして政策を取れないのか?
根底にある理由に目を向け、その問題に取り組んでいかないと真の解決にはならないのです。
ゴロンタロで抱える最も大きな問題に『貧困』があります。
これはゴロンタロだけでなく、インドネシアを含むアジア、中南米、アフリカなど世界中で問題となっています。
そこで私の役目は現地コミュニケーターとして、現地にどっぷり根を下ろし、労働者やその家族から生の声を聞くことなのです。
そもそもここで働いている人は『問題』だと思っていないのです。
私たち(研究者や政府)が勝手に『問題だ』『危険だ』と言っているに過ぎないのです。
もちろん、間違いではありませんし、叶うならすぐに鉱山での労働をやめてほしいです。
しかし、彼らにも生活があり、子供を養わないといけないのです。
初めにお伝えしたように、ゴロンタロでの金採掘の歴史は長いです。
数世代に渡って行われてきました。
文化を断ち切るとまでは言いませんが、いつかは尽きてしまう自然資源(金)であることも確かです。
明日の生活を心配するのも重々承知しています。
しかし、ここで子供や孫の時代に目を向けてほしいと考えるのです。
貧困問題解決を政府と協力して行い、労働者には少しでも水銀の恐ろしさを知ってもらう。
時間がかかり粘り強さが必要だと思います。
確実に一歩ずつ前に進めるよう努めていきます。
私が小学生の時にはすでに、このテーマにおけることを学習する時間があった。
身近な問題や取り組みとして、『ゴミを分別する』『電気をこまめに消す』と言ったことを先生から教わった。
もっと学年が上がると、日本だけでなく世界各地で起こっている様々な環境問題や要因、そしてどのような国際的協力・対策が行われているかを学んだ。
大学生になると、より専門的レベルでの講義になった。
環境問題には様々な事項があり、気候変動、大気汚染、水質汚染、土壌汚染、酸性雨、砂漠化など挙げだしたらキリがありません。
上に挙げたのは大まかに分類されているだけで、『水質汚染』というたった1つのテーマを取り上げても、水質汚濁、海洋汚染、地下水汚染、赤潮、石油流出など発生した場所などによってより詳細に分類されます。
しかし1つだけ言える確かな事。
それは、どんな環境問題も主たる原因となるのは『人間の活動』によるものだということです。
私たち人類は自然環境を利用して、現在まで文明を発展させてきました。
自分の部屋で音楽を聴きながらパソコンを用いてこの文章を書くことができるのも、まさにこの文明の発達のおかげです。
しかし、自然環境を利用して発展する、何かをするということは、自然環境に負担をかけることでもあります。
自然はそもそも『自己修復性』を持っています。
自己修復性とは、負担に対し自然自身で修復し回復しもとの状態に戻るサイクルのことです。
負担とは、人類が自然環境を利用し発生したことをさします。
簡単な自己修復性の例だと、植物が採取されたあとまた芽が出てもとのように成長することです。
なぜ、環境問題が起こるのか。
それは、人類の活動がこの環境の自己修復性の限度を超えてしまっているためです。
限度を超えてしまったらどうなるのか。
修復するまでの時間が必要以上にかかり、そもそも自己修復が不可能な段階までに至ってしまう。
先ほどの例で言うと、植物が過剰に採取されることでむき出しとなった土壌に雨が降ることで土地が浸食される。
この土地の養分は浸食により貧弱なものとなり、植物が育ちにくくなる。
またこの植物を食べて生活していた動物は、この地での生活が困難になったため、他の場所へこの植物を求め旅に出る。
行きついた先で同じ現象が起こる…
このように、止めようがない負の連鎖を生むことになる。
人類がまだ狩猟生活をしていた頃。
この頃は携帯電話なんてなかったし、人口だって今よりずっとずっと少なかった。
大量に自然環境を必要としなかったのです。
しかし時代とともに人口が増え、産業革命や技術開発が起こり世界中に広がりました。
よく教科書で見た、人口総数と二酸化炭素量のグラフ。
誰がこのグラフを見ても、人口増加または人類活動と二酸化炭素量の関係性を疑います。
しかし、この時代はまだ発展途中。
産業技術などの発展に伴う環境問題に注目または関係性があると気付く人はごく僅かでした。
日本においては、1880年頃に発生した足尾銅山鉱毒事件があり、「日本の公害の原点」ともされる公害事件があります。
日本だけでなく、産業活動が盛んな地域やその周辺において動物の死などと言った被害も認められていたが、この原因が人類の活動によるものだと関連し認知されるまでには至りませんでした。
時代が経つにつれ、人類を取り巻く環境について科学的に調査できるだけの技術も進歩しました。
環境問題が研究者だけの世界に留まらず、世間に注目される大きなキッカケになったのは、1962年にレイチェル・カールソンが執筆した『沈黙の春』です。
経済的豊かさを背景に深刻化していく公害問題。
このように、公害問題から環境問題への広がりは世界の共通認識となり、地球温暖化などの環境問題は世界共通の課題となっていったのです。
環境問題が注目され始め、自国だけでなく国際的な協力関係の下で取り組みが開始されてまだ数十年。
どんなに発展した科学技術も、環境問題を解決するには至りません。
また、環境問題は経済発展にも密に関係しています。
例えば、ここゴロンタロ。
小学校や中学校などで授業の一環として学習するも、実際の学校そのものや家庭などで実施されるにはまだ時間が必要です。
ここでの生活向上と環境保護との折り合いがつかないのです。
私がここで行っている調査とその中での課題について、次回はお送りしたいと思います。
JunkSrageをご覧の皆様、改めましてゴロンタロより高倉です。
2月いっぱいをもってゴロンタロ大学との契約が終了したのち、幸せにもゴロンタロにて再就職することができました。
新しい勤務先は、北ゴロンタロ県地方政府です。
ここで、地質および環境分野専門職員として勤務いたします。
仕事内容は後ほどご紹介するとして、本日は北ゴロンタロ県について少しご紹介したいと思います。
まず、ゴロンタロ州には1つの市と5つの県があります。
北ゴロンタロ県はゴロンタロ州の北側に面しており、市内から車で片道1.5~2時間です。時間に幅があるのは、道路混雑状況と運転手の性格の差です。
北ゴロンタロ県は2007年4月26日に正式に県として認められました。
以前はゴロンタロ県の一部でした。
ゴロンタロ州北部の海岸に位置しているため、漁業を中心とする第一次産業がメインです。
北ゴロンタロ県の中心都市はクワンダン(Kwandang)郡で、その他10の郡(合計11郡)と123の村々によって成り立っています。
2013年の統計省のデータに基づくと、人口は約11万人です。
私が北ゴロンタロ県で雇っていただくことになった経緯としては、昨年(2013年)5月に締結された覚書によるものです。
北ゴロンタロ県が抱える様々な問題を、インドネシア中央政府とだけでなく日本とも協力して解決していこうという、北ゴロンタロ県知事およびその他職員の方々の強いお気持ちにより実現しました。
北ゴロンタロ県地方政府だけでなく、以前勤めていたゴロンタロ大学や日本とも協力して、私自身ができことを精一杯やっていきたいと思います。
コラムの内容は政治の話だけでなく、今までに引き続きゴロンタロの魅力もお届けしたいと思っています。
今後とも、どうぞお付き合い下さいませ。