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2009/05/18

あまーいあまい、蜂蜜みたいな言葉がある。
それは、『ルート営業』

新規開拓をしないと顧客がつかない、
新規開拓が成功しないと売上がゼロのままになる営業職にとって
『ルート営業』という言葉ほど、うっとりさせられる言葉はない。

新卒1年目、その甘美な響きに
何度クラクラきたことかわからない。

なぜかというと・・・

『ルート営業』が出来るということは
すでに自社をある程度信頼してもらえている
顧客を他の営業マンから引き継げるという事であり、
言い方は悪いが、たいていの場合、最初から若干の売上が
見込めるという事である。
労力のかかる新規営業をせずとも『売れる』。
会社から下りてくる目標金額を目にしては脅えている営業にとって
ルート営業は蜜の味である。

特に私は、新規開拓の営業が心理的に苦手なので
なおさらルート営業を愛してしまう。
本当は、営業4年目の今でも、知らない人と話すのは、非常に苦手だ。
誰かに電話をする事も苦手で、たとえ相手が友達であっても、電話をかける時には一瞬、躊躇する。
(だから飲食店も美容院も、出来ればネットで予約したいと思う)

それなのに。。。

1年目、会社から目標金額は降りてきたが
自分の顧客はゼロだった。
新入社員は名刺と営業パンフレットを渡され、
あとは自分で顧客を開拓していかなければならない。
毎日、担当エリア内の「会社」と名のつくところには
あらゆる手法でアプローチする。

王道は、やはり電話営業である。

帝国データバンクが発行する分厚い冊子の「あ」から最後まで、
商工会議所の名簿の「あ」から最後まで、
会社四季報の・・・と、あらゆる企業データから
まだ弊社とお取引のない会社に電話をかけまくる。
初めて電話をするときでも、
もちろん毎回「お世話になっております。●●の▲▲でございますー。」とのたまう。
まるでいつも電話をかけている業者のようにお話するのがポイントである。

そうして担当者までつないでもらい、ご説明して説得して、
アポをもらう。懇願する。
アポがダメでも可能性を感じればメールで、FAXで、郵送で、資料を送る。

朝、今日は●件電話をかけます!と先輩に宣言して
かけ始める。アポがとれずに1日が終わると
先輩からは「今日、何してたんだっけ?」と会心の一撃。
(RPGであればこれだけで「勇者は力尽きた」となりそうな勢いだ。)
必死で1日中電話をしていても、結果がでないと
時間を消費した意味もない。

果てしなく続く電話。受付の女の子に冷たくあしらわれ
「また営業電話か!」とどこかのオジサマに電話越しに怒鳴られ、
ちょっと理不尽なんじゃないかという気持ちになってくる。

そうして新規営業を続けた1年目、
『ルート営業』は憧れだった。
そして今年、社会人4年目。

社内での役割も変わり、最近は完全なる「ルート営業」である。
しかし昨今の不況で既存顧客からの売上は激減。
それにも関わらず上から下りてくる営業目標は1年目とは比べモノにならない。
・・・もはやちょっと、笑ってしまうほどにどうしようもない金額が積み上がっている。

既存顧客からの売上だけでは足りない以上、
また新規営業に戻るのか。
そう考えた時に、あの新規営業の日々、
新米営業だった自分に様々なことを教えてくれた
お客様たちの事を思い出した。

新規開拓、イヤだった。
知らない人と電話で話すのは大嫌いだった。
知らない街を毎日一人で彷徨って寂しかった。
でもきっと、あの日々がなければ
今まで営業なんて出来なかった。

数字に追われ、4年目という立場に追われ
日々に追われ言い訳をして
今の自分は当時と比べて、雑な仕事をしていないか。

不況どまんなかのいま、改めて新規営業を振りかえってみたい。

次回は「新規営業:はじめてのおつかい・・いや、新規アポ」を
お送りします。

2009/03/25

売上が、立たない。

国内自動車生産台数が減少し、外注への注文額が激減する昨今、
それでも自動車メーカーを顧客に持つ営業マンは
お客さまの工場が密集する愛知県を目指す。

いつもちょっとした違和感を覚えるのだが、
お客様の工場がある駅のまわりには
少し不思議な光景が広がっている。

新幹線「こだま」しか止まらず、他の電車との接続も
そんなに活発ではない駅なので一般客数は多くない。
それでも駅前はタクシー乗り場を中心に整備され、
小さな駅前公園や、噴水なんかが広がっている。
しかし、そこに一般市民の姿はほとんどなく、
妙齢の営業マンが、スーツケースをガラガラ引っ張りながら
駅前で集合しては各々タクシーやバスに乗り込んでいくのである。

コンビニもなく、なんというか、生活感がゼロな空間。

かくいう私もご多分にもれず、駅前で自社の関係者と集合し、
工場からの循環バスを待ちながら、サラリーマンらしく打ち合わせをした。
「あ~。どうもどうも、おはようございます」
「今日はよろしくお願いします。」
「いやーしかし、不景気ですね」
「まったくですね!もう笑うしかないですわ!」
「ところで、今日のアポなんですけど、商談のゴールは○○で、
話の流れはこうです。ここで私が話振りますから、あとはつなげてください」
「了解です」

新幹線が到着する度に駅前に次々と増えていく背広姿の男たち。
しかし以前と比べると、その数が減ったのは明らかで
打ち合わせを終えた私たちは、なんだか自然と無口になった。

この地域を支える、そして日本を支える一大産業、自動車業界の厳しい現実を
ひしひしと肌で感じたからだ。

でも自分は、業務改善を提案する営業だもの。
たとえ今すぐ自社のお金にならなくても、
お客様の今の課題を聞きに行きたい。

バスに揺られること数十分、田圃の向こうに、
巨大な工場が見えてきた。
その工場を取り囲むように点在するサプライヤーの町工場も
心なしか、いつもよりも静かである。

工場の入り口で入場手続きを済ませる。
入場許可を得るために自分の会社名や訪ね先を書く用紙が
前回来たときの半分のサイズになっていた。
応接スペースの電球も、人がいないところは容赦なく消灯されているので、
フロア自体がぼんやりと暗い。

「いやあ、お金にもならないのに、わざわざ来てもらちゃって、すいませんね」
久し振りにお会いしたご担当者様は、
朗らかにそうお話された後に
「御社は金の切れ目は縁の切れ目かと思っていましたよ」と言って
いたずらっぽく笑った。
私以外の弊社の人間は「またまたそんなお戯れを」程度に
流していたが、私は自社内での評判も聞いていたので、
お客様のその言葉は、あながち冗談ではないのではないかと考え、焦った。

今回は発注・受注をかけたプレゼンをするわけではないので
アポはこちらの予定通り、終始なごやかに進んだ。
「生産調整される中、皆さまどうされていますか?」とか、
「完成車メーカーさんからの発注動向はどうですか?」なんて質問を投げながら、
今、お客様が何に困っているのかをヒアリングする。
その時点で参考になるような情報を我々が持っていればご提供し、
難しくてもお手伝いできる可能性がある情報は宿題として持ち帰る。

発注・受注が成立しない限り、
目に見える成果をすぐに挙げるのは難しい。
だから、この会話のためにお客様の時間をいただくのが心苦しかったのだが、
アポの後、お客様は「私としても課題を整理出来て良かったです」と
優しい言葉を下さった。
営業としては、あとは今日お預かりした宿題を
出来る限り社内で検討し、お客様に返答する事が今日の成果だ。

帰り際、繁忙期には毎日のようにお電話で会話し、
進捗報告以外の事もお話していたお客様は
相変わらず営業部にいる私にこう言った。
「早くお嫁にいって子供つくらんといかんがね」

これはセクハラでもなんでもない。
なんというか、メーカーのお客様からの親しみの証だ。
そしてそれは、自分にとってもリアルな危機感でもあるので
私は深く頷いて笑った。

帰り道も、工場からバスに乗った。
私のすぐ後ろに乗り込んだその会社の社員方は
駅に着く間中、ずっと、社バスのエンジンについて
語り合っていた。それから、前の週末に、東京ディズニーランドに
遊びに行くために乗った長距離バスの性能について。
彼らの話は技術的な見解の違いを巡って
途中からどんどんヒートアップしていったのだが
私はその会話に、以前、この会社のエンジニアに話を聞いた時に
感じたクルマづくりに対する情熱と同じものを感じた。

こんなに真剣に、四六時中、より良いモノづくりについて
想いをめぐらす人たちがいる。
この人たちの珠玉の技術が、私たちの生活を変えていく。

ここまでひたすら誠実に成長してきたこの産業が、
一時期の金融不安で今以上の打撃を受けないように。
どうか日本がこの基幹産業を、守りぬいていけますように。
田圃道をひた走るバスの中で、改めて強く祈るとともに
この顧客に対して自分ができるほんの小さな改善に
全力を尽くさなければ、と強く思った。

2009/02/27

東京から名古屋まで、新幹線「こだま」でいくことになった。
途中で浜松に下車するためである。

名古屋・浜松とも、お客様の工場がある。
せっかく東海地方に行くのなら、どちらにもご挨拶すべきだ、という上司の方針によるものだ。
ただ、帰り道だけは「のぞみ」で帰ることを許された。
夜の21時から東京で会議があるためだ。

少し前までは宿泊すら許されていた地方出張も
不景気→経費削減の波に押されてすっかり肩身が狭くなった。
心なしか、新幹線もいつもより空いている気がする。

ところで、ある営業職の女の子(友人)は、
キャリーケースに書類を積め込み、ゴロゴロとひっぱりながら
新幹線の駅に立つとき、働く日常の中で最も孤独を感じるそうだ。
まるで「おまえは一人で生きていけるでしょ」と誰かに言われているような、
本当は全然そんなんじゃなくても、「一人でできるもん」と
意地を張らなくちゃいけないような、そんな気持ちになるらしい。

・・・・・。

その気持ち、わかる気がする。
東海道新幹線の孤独。
それは働く女子の孤独だったり、単身赴任のお父さんたちの孤独だったり、
東京での商談がうまくいかなかったビジネスマンの孤独であったり
色々だと思うのだけど、東海道新幹線にはいつも、独特の空気が漂っている。

さて、そんな感傷を抱えつつ、久し振りの名古屋出張である。
大好きな名古屋に行けるという個人的な盛り上がりも手伝って
名古屋支社の同期に電話をかけた。

「久しぶりに名古屋出張行くよーん。」 「え、お前が来るってことは何か案件動くんだな!?」
「いや、特にないんだけど、営業だからさ」
「えー、そんなわけないでしょー。東京のお前らの部署が金のないとこに
動くわけないじゃん」
「え・・・ウチって社内でも、そこまで感じ悪く思われてたの!?」
「いや、さちこはさー、ほら、地方支店出身だから泥臭いイメージあるけど
(←これもまた別の意味で失礼だと思うが)部署全体としてはけっこう
ツンとしてる感じじゃん?お前らが動くってことは、何か金になる話がある、
そう思われても仕方ないでしょ」

なんだか、切ない話である。
確かに部署の売上高は多い。でも、その売上高の影には、悲しくなるほどに地味な
労働が隠されているというのに、、、。
「まあまあ、何はともあれ、さちこが来るのは歓迎するよ。またベタに山ちゃんの手羽先食いに行く?」
名古屋発の手羽先居酒屋チェーン店「山ちゃん」は関東にも支店を持つ有名店だ。
出張にいく度によく通っていたのだが、私は名古屋の同期のように手羽先を美しく食べることが出来ない。
彼らは本当にスムーズに、つるり、というように肉を骨から引き剥がして食べる。
「今回はすぐ東京帰るから山ちゃんはムリだけど、コメダ珈琲くらいには御一緒できるわ」
コメダ珈琲・スギ薬局・矢場トン・味噌煮込みうどん。
この2年間で、散々名古屋に通う内に、すっかり名古屋ブランドに詳しくなった。
その蜜月も、この不景気でふっとんでしまったわけなのだが・・。

今回伺う顧客のところにも、
最盛期には、現場でのヒアリングが立て込んで、3日間、駅前のホテルに泊まりこんだ。
アポ前日、22時に東京駅発の新幹線に飛び乗ると
ちゃんと25時には名古屋の工場近くの駅まで辿り着き、
「ヒトって移動できるもんだな」と感動した事を覚えている。
ただ、その時はさすがに精神的に余裕がなくて、
翌日の朝起きられるかどうか自信がなかった。
7時にはホテルを出て駅前に向かい、協力会社の営業マンと、
自社の名古屋支社の社員と合流し、打ち合わせをしなくちゃならない。
いま眠って、朝、きちんと起きられるのか。

スーツで、夜中にゴロゴロを引きずって辿り着いたビジネスホテルの3階で
自販機のビールを買ってしまったこの夜を、私は一生忘れられないと思う。
あの、廊下に輝く薄ら寂しい自動販売機の蛍光灯、
缶が落ちてくるゴトンっという重たい音。
「ああ、ついにやってしまったね」と思いつつ、「アサヒスーパードライ」の
やけに男前なパッケージを一瞥してゴクゴクのんだ。
味よりも、このアルコールで脳が覚醒し、明日の朝、早く起きれる事が大事。

翌日は5時過ぎに目が覚めた。
念には念を入れてカーテンを開けたまま眠ったのだが、
ベッドから起き上がってみると、
質素な部屋についている大きな窓から、とてつもなく大きな朝日が見えた。
燃えるように輝く朝日が、窓から見えるたくさんの工場を照らしている。
生命力にあふれた光が、工場地帯の無機質な光景を、橙色に染めていた。

その一瞬の大きな朝日を見たことで、
夜中の寂しさも当日のアポへの不安もふっとんだ。
こんなに大きくて暖かな朝日に毎朝のように祝福されているのなら、
なんだって頑張れるような気がした。

そんな気がした社会人3年目。
08年上半期、まだ、景気がこんな事態に陥っていなかった頃の話である。

こうして身も心も顧客につぎ込んでいた頃と、今と、
営業としての想いが大きく変わったかと問われれば、決してそんなことはない。
でも、会社対会社の取引が成立していない以上、
どう関わっていけるものなのかが分からなかった。

でも、今回も名古屋まで来てしまった。
うまく伝わらない、利益にならない、助けにならない、その他諸々・・・
懸念はあるが、ここまで来たら行くしかない。
顧客との様々な思い出を噛みしめながら、工場の最寄駅前にて社バスを待つ。

*社バス・・・工場と駅を結んでいる企業保有のバス。通勤時間以外は
1時間に1本程度運行している
(以前はこれを待つ事もせず駅からタクシーで営業に行っていた・・・)

次回は、、営業活動(現場編)をお伝えします。。

2009/02/18

私の会社は、壁に営業マンの成績が棒グラフになって貼ってあるような、
非常に解りやすい営業会社である。

だから通常、効率よく「売った」ヒトが何をおいても一番偉い。
そして私が所属する部署は、全社的に見ても「売る」ヒトが多い
狩猟民族系営業部である。

しかし、最近、会社のとても偉いヒトが、営業部に来てこういった。
「おまえらの営業は、効率が良すぎてつまんねー。」

「課題ヒアリングして解決案いくつか提示して見積もり出して
談笑しながら次の商売のタネだけ拾ってくるんじゃねーよ。
つまんねーっ。おまえらみたいな薄くて冷たい関係じゃあ、
不景気で辛い時にお客様は離れていくゾ。」

この勢いの良いツッコミにより、自分らは「売れている」(=イケてる)と
思い込んでいた営業部に激震が走った。
サラリーマン組織におけるこういう偉いヒトの発言は、
時にバカバカしいほどの影響力を発揮する。
通常、あまのじゃく気味な私は「フン」程度にかわしているが
今回の場合、私はこの発言に心の底から共感を覚えた。

そうだ。東京の営業は、薄いのだ!

それが都会のやり方なのかもしれない。
もちろん、こうして薄いからこそ居心地が良いのかもしれない。
かつて地方の営業所にいたころに、その濃密な営業先との関係に
辟易していた事を今さら美化するつもりもない。

でも、薄い。薄すぎる・・・!

私も上司に「お前は顧客と話している時間が長すぎる」と
いつも怒られているうちに効率だけを重視した
コミュニケーションを心がけるようになっていた。
もちろんその方がお客様も便利だったろうとは思うのだが。
しかし、営業としてはどうだったんだ。この薄さ志向。
そんな薄い奴に、この不景気下のシンドさをお客様は告白するか?

たぶんしない。だって信用できないもん。

私の仕事は、ある業務分野の改善策などを提案するコトだ。
しかしこの不況下、社内改革のアウトソーシング費が削られると
すっかりオーダーが来なくなった。
営業部のオフィスにいても、お客様からの電話はほとんど鳴らず
ビルの外を吹き荒れる風の音さえ聞こえてくる。
半年前までは、うんざりするほどに電話が鳴りっぱなしだったというのに・・。
そして、顧客の経営状況も大変なのが目に見えるので、
こちらから連絡も取り辛い。

先方も電話口で「ごめんなさいね、本当に、お願いできる仕事もなくて。。」と
繰り返されるので、こちらも恐縮してしまう。
しかし、こうしていては、何も話が進まない。

嫌われたくないから顧客に踏み込めない、という残念な習性をもつ私は
弱りきって大阪支社の先輩に電話をかけた。

「おう!さちこ!どや、東京は!」
「瀕死です~。」
「お!そうか!こっちもな、も~息するのもシンドイわ!」

息するのもシンドイ・・。おお、大阪の現場はいかに!?

「でもな、俺らはそんでもお客さんとこ行ってんで。
いつも行って話してるから、お客さんがいかに大変な状況だって事わかるしなー。
バカ話もたくさんしながら、次、いい波が来たら、
一緒に乗ってきましょーねーって話してるわー」

おお!まさしく、理想はこれだ!
やっぱ、営業はハートなんじゃないか!?
大阪で学んだ営業ってやつは、コレだったんじゃないか。

「なんか話聞いてると、さちこもすっかり東京人ぶってて全然おもんないなあ。
おまえ今、お客さんとこ行って話したくないん?」

最近の悩みを先輩に相談したら、そう返された。
*「おもんない」=創意工夫が感じられない様子。だから、面白くない。

この言葉を言われてしまっては、はっきり言ってオワリである。
ほんと、営業として存在している価値がない。

不景気だから売れなくても仕方ないと心のどこかで思ってた。
しかし!違うんじゃないか!?何かやりようがあるんじゃないのか!

突如前のめりになった営業マインドを胸に秘めつつ、
思い切って名古屋の某メーカーにアポをとった。
人口減少量はなはだしい東海地方、ものづくりの現場へ、
ニーズはなくとも突撃アポ!

「え、名古屋行きたいの?・・高速バスでいけば?」

突然経費に厳しくなった上司に新幹線のチケットを懇願しつつ、
次回は久しぶりの名古屋上陸についてお伝えします!

2008/12/12

不景気である(笑)
いや、笑えません、笑えませんて。
毎朝、新聞がガンガンに不景気を騒ぎ立てる
紙面を眺めるたびに、傍観してる場合じゃないなあと思う。
でも、騒がれれば騒がれるほど、妙に冷静になったりも、する。

仕事上、確かに受注の総量は減った。
しかしその割に営業金額のノルマだけは残ってしまい
「どうすんだよ、これ」と思うし、
先月末の時点で既に目の当たりにした
顧客の工場に積み上がる在庫の山(と思われる製品たち)に関しても
「どうすんだよこれー」と思う。
でもなんか、リアルに不景気な事象に直面している割には
妙に落ち着いてしまうのですよね、なんだか。
それは多分、自分が社会人の中では若年層であることと
(管理職以上はきっと超大変)、
もしかすると80年代生まれの我々特有の労働観が
原因なのかもしれないなァとなどと思いながら、
今回は「不景気」を観察してみました。

実際、私が担当させていただいている大手企業も、
大規模なリストラ策を打ち出しているし、経費削減!の合言葉のもと、
我々のようなサービス業者は淘汰される傾向にある。
だた、産業界が全体的にそんな非常事態状況なもんだから、
逆に様々な意思決定のスピードが上がっており、
「不景気ですからー!」とみんな暗めのムードの割には
ちょっとハイテンションになってる部分もある。
日経に取り上げられるような大手企業が
こんなに大きな意思決定を連日下す事なんて、そうそう起こることじゃない。
攻めたり引いたり、かと思えば、ほんの一部分だけガンガン攻めたり!
見てる方はもう、ドキドキしっぱなしなのです。


ところで。
よく考えれば私たち80年代前半生まれは、
小学生くらいの時に「バブル」を経験している。
もちろん、経験といっても、連日ゴルフで帰宅の遅い父親にイラつき、
わけもわからずに「ジュリアナ」という踊りを見聞きしていたぐらいの話だが。
でも、そうこうしているうちに、何やら、自分たちが中高生になった頃に
日本列島はいきなり「不景気!」に突入。
リストラというものがほぼ初めて日本の大企業で敢行され
その後はずーっと、いわゆる「不景気」。
しかし最近ちょっと、「業績好調!でも、国内需要はアタマウチかも!新興国のほうが今後は伸びる・・かも!」みたいな、     恐る恐るの好景気だった、気がする。
したがって「戦後最長の好景気でーす」と言われても、大して浮かれず、
今海外に進出しないとマジでやばい!みたいな強烈な危機感のもと、
日本の大人たちは慎重にコトを進めていた。
  しかし、こうして景気動向の上がり下がりを「雰囲気」で体験済みの世代だからだろうか。
自分の周りで働く社会人は、
好景気だろうが不景気だろうが、あまり動じていないというか、
とりあえず今は自分ができる事を精一杯やる。
でも、忘年会は忘年会で騒ぎ倒しまーす、という雰囲気が色濃い。
そもそも「会社」というものに本気で一生頼れると思っている人が、
少ないからなのかもしれない。
時代の流れだから「引き締め策」にも対応するし、
ノルマ達成のために努力はするけど、現状に対する悲壮感は大してなく、
時代や会社のせいにしていては何も始まらないから
自分を軸に進んでいけばいいんだよなと、いう雰囲気。
だから、万が一リストラや減給される事態を想定して
結構みんなスキルアップを狙うし、各種情報は自分から取りに行く。
キャリアプランも明確に考え、自分が市場を渡っていくための作戦を練る。

もちろんこれは、私のまわりに、
家族を養っている人が少ないからこその気楽さなのだとも思うけれども
働く現場に漂う雰囲気は
暗いばかりじゃないかもなーと感じました。

 少なくとも、ニッポン列島1億総悲壮感(>.<)の時代では
なくなったのかもしれない、というのが今回の観察所感でございます。


何はともあれ、結局さいごは神頼み。
どうか世界の景況感がどうにかなって、早々に回復しますように!!!。

(超無責任ですいません。。)