2009/05/18

あまーいあまい、蜂蜜みたいな言葉がある。
それは、『ルート営業』

新規開拓をしないと顧客がつかない、
新規開拓が成功しないと売上がゼロのままになる営業職にとって
『ルート営業』という言葉ほど、うっとりさせられる言葉はない。

新卒1年目、その甘美な響きに
何度クラクラきたことかわからない。

なぜかというと・・・

『ルート営業』が出来るということは
すでに自社をある程度信頼してもらえている
顧客を他の営業マンから引き継げるという事であり、
言い方は悪いが、たいていの場合、最初から若干の売上が
見込めるという事である。
労力のかかる新規営業をせずとも『売れる』。
会社から下りてくる目標金額を目にしては脅えている営業にとって
ルート営業は蜜の味である。

特に私は、新規開拓の営業が心理的に苦手なので
なおさらルート営業を愛してしまう。
本当は、営業4年目の今でも、知らない人と話すのは、非常に苦手だ。
誰かに電話をする事も苦手で、たとえ相手が友達であっても、電話をかける時には一瞬、躊躇する。
(だから飲食店も美容院も、出来ればネットで予約したいと思う)

それなのに。。。

1年目、会社から目標金額は降りてきたが
自分の顧客はゼロだった。
新入社員は名刺と営業パンフレットを渡され、
あとは自分で顧客を開拓していかなければならない。
毎日、担当エリア内の「会社」と名のつくところには
あらゆる手法でアプローチする。

王道は、やはり電話営業である。

帝国データバンクが発行する分厚い冊子の「あ」から最後まで、
商工会議所の名簿の「あ」から最後まで、
会社四季報の・・・と、あらゆる企業データから
まだ弊社とお取引のない会社に電話をかけまくる。
初めて電話をするときでも、
もちろん毎回「お世話になっております。●●の▲▲でございますー。」とのたまう。
まるでいつも電話をかけている業者のようにお話するのがポイントである。

そうして担当者までつないでもらい、ご説明して説得して、
アポをもらう。懇願する。
アポがダメでも可能性を感じればメールで、FAXで、郵送で、資料を送る。

朝、今日は●件電話をかけます!と先輩に宣言して
かけ始める。アポがとれずに1日が終わると
先輩からは「今日、何してたんだっけ?」と会心の一撃。
(RPGであればこれだけで「勇者は力尽きた」となりそうな勢いだ。)
必死で1日中電話をしていても、結果がでないと
時間を消費した意味もない。

果てしなく続く電話。受付の女の子に冷たくあしらわれ
「また営業電話か!」とどこかのオジサマに電話越しに怒鳴られ、
ちょっと理不尽なんじゃないかという気持ちになってくる。

そうして新規営業を続けた1年目、
『ルート営業』は憧れだった。
そして今年、社会人4年目。

社内での役割も変わり、最近は完全なる「ルート営業」である。
しかし昨今の不況で既存顧客からの売上は激減。
それにも関わらず上から下りてくる営業目標は1年目とは比べモノにならない。
・・・もはやちょっと、笑ってしまうほどにどうしようもない金額が積み上がっている。

既存顧客からの売上だけでは足りない以上、
また新規営業に戻るのか。
そう考えた時に、あの新規営業の日々、
新米営業だった自分に様々なことを教えてくれた
お客様たちの事を思い出した。

新規開拓、イヤだった。
知らない人と電話で話すのは大嫌いだった。
知らない街を毎日一人で彷徨って寂しかった。
でもきっと、あの日々がなければ
今まで営業なんて出来なかった。

数字に追われ、4年目という立場に追われ
日々に追われ言い訳をして
今の自分は当時と比べて、雑な仕事をしていないか。

不況どまんなかのいま、改めて新規営業を振りかえってみたい。

次回は「新規営業:はじめてのおつかい・・いや、新規アポ」を
お送りします。

2009/05/18 01:35 | OL(営業)所感 | 2 Comments
2009/04/18

友達が家に遊びに来た。
部屋の中をジロジロと眺めまわしながら、一言。
「ほんとに男っ気がない部屋ね。」
なんと!まあ、実際ないけど。
「歯ブラシも一個しかないし、いや~おひとりサマのマンションね。」
たとえ彼氏がいたとしても、歯ブラシなんて・・・、
そんなわかりやすいものは目につくところに置きません!
「でも、男の子からもらったプレゼントくらいはあるでしょ。」
ええ、まあ、もう25歳だもん。
男の子にもらったものくらい・・・と、いうことで、並べてみた。

■ガンプラ
あまりにも有名なガンダムのプラモデル2体。
入社1年目に大阪支社の先輩から譲り受けた。
新規開拓のアポの時など、心細い時には
営業鞄に入れて連れ歩いていた。

 ガンプラ

■トカゲ

これも大阪時代の先輩からもらったバリのお土産。
「可愛がってや」
と言われたものの、
最初はリアルすぎて引いた。
でも、今はちゃんと可愛がってる。

トカゲ

■トミカ
弊社では、担当している顧客を愛するがゆえに
担当企業のミニカーを机に並べることが多い。
これは、当時好きだった人にもらった。
私も彼に、ミニカー(スポーツカータイプ)をあげた。
これが20代の愛の形だw

トミカ

■バズの人形
トイストーリーのバズ。
私がへこんでいた時に、大好きな同期がくれた。
彼にとってバズグッツは宝物なので、
私もとても大切にしている。

バズ

以上!

「主におもちゃね。」
ええ、主にというか、全部おもちゃですっ!
「今まで男の子からもらって一番うれしかったものは?」
・・・万華鏡がついたオルゴール。あと大量のぷーさん、
音に反応して踊るビンラディンの人形、変な掛け軸、
映画のポスター。
「ほんとに?(笑)」
当時は使い道に困ったものだって
キラキラとした思い出になるものです。
好きな人と一緒なら、マックでもワタミでもどこだって嬉しい、とか思っちゃうのと一緒。
「そんな志向だったとはね。」
なんだか、踊るビンラディンの人形とか
思い出したら、そんな気持ちも一緒に思い出したのだ。
「イイ恋しなさいね」
おう!
「でもその前に・・・日経ビジネスを部屋のあちこちに
置きっぱなしにするのはやめなさい!モテないよ!」

あうぅ。メーカー萌えしても許してくれる人がいいのに。。。

2009/04/06

檀上で受け取った両腕いっぱいの花束を、
もらった日の帰り道に全部捨てたことがある。

その夜は、本当に闇が深くて、疲れていて、
表彰状もトロフィーも、ましてや大輪の百合が咲き乱れる花束なんて
どうしていいかわからなかった。

まだ、景気がすこぶる良くて、本当に忙しかった頃。
仕事はどこまでも終わらなかった。
次々と舞い込む仕事に応じて作成する企画書はほとんどが汎用品で、
同じ企画を量産しているような気分だった。
でも、それが一番上司に通りやすかったし、新しいことをしようと
周りを説得する気力もなくて、流されていた。

帰りはどんどん遅くなって、
売上はどんどん積み重なった。

そうして売っている内に、ある四半期の末日に、会社から表彰されたのだった。
弊社では、高額の売上を上げた営業が、
最も顧客の事を考えて仕事をしているとみなす。
そして四半期ごとに、そんな営業を表彰するパーティーが開催される。

大ホールに首都圏の営業が全員集う中、
受賞者は皆の前で表彰されて、拍手をもらう。

あの秋の日、そんな身の丈に合わない舞台で表彰された
私のスピーチは、プロジェクトメンバーへのお礼の言葉以外、
全く薄っぺらなものだったと思う。

走って、怒られて、走って、怒鳴られてを繰り返した結果なだけだと思った。
何にも考えられてなかった。

だから表彰式の後のパーティーは、ものすごく居心地がわるかった。
自分の業績や仕事の質を過剰評価されているカンジ。
本当はデコボコな成果物だったのに。
お客様に喜んでいただける程まで、やりきれていなかったのに。
それにもう、疲れたし、眠たいし。

しかしそうしてテンション低く彷徨っているうちに、
いつも私の面倒を見てくれる先輩が泥酔したため、
先に先輩と帰ることになった。

この先輩を、私は営業として尊敬し、遊んでくれる兄貴分として慕っている。

先輩はよく、泥酔する。
それを適当に誘導して深夜タクシーに乗せてお送りするのが
いつもの私たち後輩の役目なのだが、
この日は、時間がまだ早かったので、少し歩いて外の風にあたることにした。
しかし・・・完全に千鳥足で先を行く先輩は、
やがて大企業の本社ビル前で立ち止まり、正面玄関横に座り込むと
そのまま仰向けに寝転んだ。
「ちょ、ちょっと!なにしてんですか!」

先輩は、長身である。
「ほんと、起きてください!」
私は何度も懇願しながらライトグレーのスーツを引っ張ったが、動かない。
なんとか起こそうと声をかけたり引っ張ったりと騒いでいると、
先輩はゆっくりと目を開けて
「まあ、君もここに座りなさい」と、言った。

・・・・・・・・・・・・・、なんでやねん(←関東人風関西弁)

だけどもう、正直どうでもよくなっていた。
私は常識人ぶって騒いだり、酔っ払いをたしなめたりするフリをやめて
大人しくその場に座り込んだ。

大手企業の本社玄関は、大理石が敷いてあって
座ると足がひんやりした。
意外なことに、警備員はやってこなかった。
なぜか寝ころぶ長身のサラリーマンと、
その横に座る営業女子。
少し離れたところの道を、同じような背格好のサラリーマンたちが
通っていく。
みな、私たちの奇行を興味深そうに眺めていた。

「あの、相当見られてますけど。」
「ふん。本当はみんな、こういうことをやりたいのだ。」
「いや、そうでもないでしょ」
「いや、きっとそうだね。自分が面白く生きていくのに
会社だのなんだのの枠から出られないなんて、
自分はすっきりしてないくせに、その枠の中で評価されることを目指すだなんて、
本当につまらない」

それは、確かに。
でも、本当に今日の先輩は、迷惑ですよ?

時々冷たい風が吹く。
私は、両手に抱えていた花束を、横たわる先輩の上に置いた。

本当は、もらってすごく嬉しいはずのおっきな花束。
綺麗で、香りも最高の、豪華な花束。

「おまえはいっつも、反省ばっかしてるな~。
あたしが一番!あたしが女王様!くらい思っちゃえば~?今日は褒められたんだから」
「だって、そんなこと本当に全く思えないですもん。」
「いいのにねえ。喜んで。」
「無理です。」

ちょうどその時、同期から私に電話がきたので、私は現状の報告をし、
彼女に援軍を要請した。

「先輩、援軍がきます。」
「なにっ。それじゃあその前に、これをなんとかしよう。」
「これ?」
「花束」
もらい主である私が納得できなかった花束は、
その秋の夜、都心のど真ん中に広がる日比谷公園に隠された。

正確にいえば、土に帰して差し上げたのだ。

「納得できない花束持って帰っても、ちっちゃな部屋の中で
息苦しいだけだろう。」というのが大先輩(酔っ払い)の主張だった。

そしてその日、色んなことに疲れていた私は
その提案に乗っかった。

ヒトは疲れると、正常な判断基準を失う。
私はあの日の自分を思い出す度に
本当に心底怖くなる。
あの、ひどく投げやりな感じ。
すべてがどうでも良いような。

その夜、私たちは花束を抱えて日比谷公園に入り、
美しく結ばれた花束のリボンをほどいて植え込みの中にお花をまいた。
盛大に、思いきりよく。

後悔はしなかった。
ただ、2度と同じ状況にはなるまいと思った。
とても悲しい気がしたから。

なるべく土に近いところにお花を落ち着かせて、
私たちは公園を出た。
少々の罪悪感と共に、気持ちのよい開放感に包まれながら。

翌日、さわやかにご出勤された先輩は
前日の事を何も覚えていなかった。
私が表彰式でスピーチをしているのを眺めていたのが
最後の記憶だと主張するのだ。

だからこの記憶は私だけのものだった。
だけど人は忘れてはいけない事を忘れるから
忘れないように、書いておく。

あの日の屈折したくやしさも、
酔っ払いにもらった優しさも
決して忘れてしまわぬように。

2009/03/25

売上が、立たない。

国内自動車生産台数が減少し、外注への注文額が激減する昨今、
それでも自動車メーカーを顧客に持つ営業マンは
お客さまの工場が密集する愛知県を目指す。

いつもちょっとした違和感を覚えるのだが、
お客様の工場がある駅のまわりには
少し不思議な光景が広がっている。

新幹線「こだま」しか止まらず、他の電車との接続も
そんなに活発ではない駅なので一般客数は多くない。
それでも駅前はタクシー乗り場を中心に整備され、
小さな駅前公園や、噴水なんかが広がっている。
しかし、そこに一般市民の姿はほとんどなく、
妙齢の営業マンが、スーツケースをガラガラ引っ張りながら
駅前で集合しては各々タクシーやバスに乗り込んでいくのである。

コンビニもなく、なんというか、生活感がゼロな空間。

かくいう私もご多分にもれず、駅前で自社の関係者と集合し、
工場からの循環バスを待ちながら、サラリーマンらしく打ち合わせをした。
「あ~。どうもどうも、おはようございます」
「今日はよろしくお願いします。」
「いやーしかし、不景気ですね」
「まったくですね!もう笑うしかないですわ!」
「ところで、今日のアポなんですけど、商談のゴールは○○で、
話の流れはこうです。ここで私が話振りますから、あとはつなげてください」
「了解です」

新幹線が到着する度に駅前に次々と増えていく背広姿の男たち。
しかし以前と比べると、その数が減ったのは明らかで
打ち合わせを終えた私たちは、なんだか自然と無口になった。

この地域を支える、そして日本を支える一大産業、自動車業界の厳しい現実を
ひしひしと肌で感じたからだ。

でも自分は、業務改善を提案する営業だもの。
たとえ今すぐ自社のお金にならなくても、
お客様の今の課題を聞きに行きたい。

バスに揺られること数十分、田圃の向こうに、
巨大な工場が見えてきた。
その工場を取り囲むように点在するサプライヤーの町工場も
心なしか、いつもよりも静かである。

工場の入り口で入場手続きを済ませる。
入場許可を得るために自分の会社名や訪ね先を書く用紙が
前回来たときの半分のサイズになっていた。
応接スペースの電球も、人がいないところは容赦なく消灯されているので、
フロア自体がぼんやりと暗い。

「いやあ、お金にもならないのに、わざわざ来てもらちゃって、すいませんね」
久し振りにお会いしたご担当者様は、
朗らかにそうお話された後に
「御社は金の切れ目は縁の切れ目かと思っていましたよ」と言って
いたずらっぽく笑った。
私以外の弊社の人間は「またまたそんなお戯れを」程度に
流していたが、私は自社内での評判も聞いていたので、
お客様のその言葉は、あながち冗談ではないのではないかと考え、焦った。

今回は発注・受注をかけたプレゼンをするわけではないので
アポはこちらの予定通り、終始なごやかに進んだ。
「生産調整される中、皆さまどうされていますか?」とか、
「完成車メーカーさんからの発注動向はどうですか?」なんて質問を投げながら、
今、お客様が何に困っているのかをヒアリングする。
その時点で参考になるような情報を我々が持っていればご提供し、
難しくてもお手伝いできる可能性がある情報は宿題として持ち帰る。

発注・受注が成立しない限り、
目に見える成果をすぐに挙げるのは難しい。
だから、この会話のためにお客様の時間をいただくのが心苦しかったのだが、
アポの後、お客様は「私としても課題を整理出来て良かったです」と
優しい言葉を下さった。
営業としては、あとは今日お預かりした宿題を
出来る限り社内で検討し、お客様に返答する事が今日の成果だ。

帰り際、繁忙期には毎日のようにお電話で会話し、
進捗報告以外の事もお話していたお客様は
相変わらず営業部にいる私にこう言った。
「早くお嫁にいって子供つくらんといかんがね」

これはセクハラでもなんでもない。
なんというか、メーカーのお客様からの親しみの証だ。
そしてそれは、自分にとってもリアルな危機感でもあるので
私は深く頷いて笑った。

帰り道も、工場からバスに乗った。
私のすぐ後ろに乗り込んだその会社の社員方は
駅に着く間中、ずっと、社バスのエンジンについて
語り合っていた。それから、前の週末に、東京ディズニーランドに
遊びに行くために乗った長距離バスの性能について。
彼らの話は技術的な見解の違いを巡って
途中からどんどんヒートアップしていったのだが
私はその会話に、以前、この会社のエンジニアに話を聞いた時に
感じたクルマづくりに対する情熱と同じものを感じた。

こんなに真剣に、四六時中、より良いモノづくりについて
想いをめぐらす人たちがいる。
この人たちの珠玉の技術が、私たちの生活を変えていく。

ここまでひたすら誠実に成長してきたこの産業が、
一時期の金融不安で今以上の打撃を受けないように。
どうか日本がこの基幹産業を、守りぬいていけますように。
田圃道をひた走るバスの中で、改めて強く祈るとともに
この顧客に対して自分ができるほんの小さな改善に
全力を尽くさなければ、と強く思った。

2009/02/27

東京から名古屋まで、新幹線「こだま」でいくことになった。
途中で浜松に下車するためである。

名古屋・浜松とも、お客様の工場がある。
せっかく東海地方に行くのなら、どちらにもご挨拶すべきだ、という上司の方針によるものだ。
ただ、帰り道だけは「のぞみ」で帰ることを許された。
夜の21時から東京で会議があるためだ。

少し前までは宿泊すら許されていた地方出張も
不景気→経費削減の波に押されてすっかり肩身が狭くなった。
心なしか、新幹線もいつもより空いている気がする。

ところで、ある営業職の女の子(友人)は、
キャリーケースに書類を積め込み、ゴロゴロとひっぱりながら
新幹線の駅に立つとき、働く日常の中で最も孤独を感じるそうだ。
まるで「おまえは一人で生きていけるでしょ」と誰かに言われているような、
本当は全然そんなんじゃなくても、「一人でできるもん」と
意地を張らなくちゃいけないような、そんな気持ちになるらしい。

・・・・・。

その気持ち、わかる気がする。
東海道新幹線の孤独。
それは働く女子の孤独だったり、単身赴任のお父さんたちの孤独だったり、
東京での商談がうまくいかなかったビジネスマンの孤独であったり
色々だと思うのだけど、東海道新幹線にはいつも、独特の空気が漂っている。

さて、そんな感傷を抱えつつ、久し振りの名古屋出張である。
大好きな名古屋に行けるという個人的な盛り上がりも手伝って
名古屋支社の同期に電話をかけた。

「久しぶりに名古屋出張行くよーん。」 「え、お前が来るってことは何か案件動くんだな!?」
「いや、特にないんだけど、営業だからさ」
「えー、そんなわけないでしょー。東京のお前らの部署が金のないとこに
動くわけないじゃん」
「え・・・ウチって社内でも、そこまで感じ悪く思われてたの!?」
「いや、さちこはさー、ほら、地方支店出身だから泥臭いイメージあるけど
(←これもまた別の意味で失礼だと思うが)部署全体としてはけっこう
ツンとしてる感じじゃん?お前らが動くってことは、何か金になる話がある、
そう思われても仕方ないでしょ」

なんだか、切ない話である。
確かに部署の売上高は多い。でも、その売上高の影には、悲しくなるほどに地味な
労働が隠されているというのに、、、。
「まあまあ、何はともあれ、さちこが来るのは歓迎するよ。またベタに山ちゃんの手羽先食いに行く?」
名古屋発の手羽先居酒屋チェーン店「山ちゃん」は関東にも支店を持つ有名店だ。
出張にいく度によく通っていたのだが、私は名古屋の同期のように手羽先を美しく食べることが出来ない。
彼らは本当にスムーズに、つるり、というように肉を骨から引き剥がして食べる。
「今回はすぐ東京帰るから山ちゃんはムリだけど、コメダ珈琲くらいには御一緒できるわ」
コメダ珈琲・スギ薬局・矢場トン・味噌煮込みうどん。
この2年間で、散々名古屋に通う内に、すっかり名古屋ブランドに詳しくなった。
その蜜月も、この不景気でふっとんでしまったわけなのだが・・。

今回伺う顧客のところにも、
最盛期には、現場でのヒアリングが立て込んで、3日間、駅前のホテルに泊まりこんだ。
アポ前日、22時に東京駅発の新幹線に飛び乗ると
ちゃんと25時には名古屋の工場近くの駅まで辿り着き、
「ヒトって移動できるもんだな」と感動した事を覚えている。
ただ、その時はさすがに精神的に余裕がなくて、
翌日の朝起きられるかどうか自信がなかった。
7時にはホテルを出て駅前に向かい、協力会社の営業マンと、
自社の名古屋支社の社員と合流し、打ち合わせをしなくちゃならない。
いま眠って、朝、きちんと起きられるのか。

スーツで、夜中にゴロゴロを引きずって辿り着いたビジネスホテルの3階で
自販機のビールを買ってしまったこの夜を、私は一生忘れられないと思う。
あの、廊下に輝く薄ら寂しい自動販売機の蛍光灯、
缶が落ちてくるゴトンっという重たい音。
「ああ、ついにやってしまったね」と思いつつ、「アサヒスーパードライ」の
やけに男前なパッケージを一瞥してゴクゴクのんだ。
味よりも、このアルコールで脳が覚醒し、明日の朝、早く起きれる事が大事。

翌日は5時過ぎに目が覚めた。
念には念を入れてカーテンを開けたまま眠ったのだが、
ベッドから起き上がってみると、
質素な部屋についている大きな窓から、とてつもなく大きな朝日が見えた。
燃えるように輝く朝日が、窓から見えるたくさんの工場を照らしている。
生命力にあふれた光が、工場地帯の無機質な光景を、橙色に染めていた。

その一瞬の大きな朝日を見たことで、
夜中の寂しさも当日のアポへの不安もふっとんだ。
こんなに大きくて暖かな朝日に毎朝のように祝福されているのなら、
なんだって頑張れるような気がした。

そんな気がした社会人3年目。
08年上半期、まだ、景気がこんな事態に陥っていなかった頃の話である。

こうして身も心も顧客につぎ込んでいた頃と、今と、
営業としての想いが大きく変わったかと問われれば、決してそんなことはない。
でも、会社対会社の取引が成立していない以上、
どう関わっていけるものなのかが分からなかった。

でも、今回も名古屋まで来てしまった。
うまく伝わらない、利益にならない、助けにならない、その他諸々・・・
懸念はあるが、ここまで来たら行くしかない。
顧客との様々な思い出を噛みしめながら、工場の最寄駅前にて社バスを待つ。

*社バス・・・工場と駅を結んでいる企業保有のバス。通勤時間以外は
1時間に1本程度運行している
(以前はこれを待つ事もせず駅からタクシーで営業に行っていた・・・)

次回は、、営業活動(現場編)をお伝えします。。

2009/02/18

私の会社は、壁に営業マンの成績が棒グラフになって貼ってあるような、
非常に解りやすい営業会社である。

だから通常、効率よく「売った」ヒトが何をおいても一番偉い。
そして私が所属する部署は、全社的に見ても「売る」ヒトが多い
狩猟民族系営業部である。

しかし、最近、会社のとても偉いヒトが、営業部に来てこういった。
「おまえらの営業は、効率が良すぎてつまんねー。」

「課題ヒアリングして解決案いくつか提示して見積もり出して
談笑しながら次の商売のタネだけ拾ってくるんじゃねーよ。
つまんねーっ。おまえらみたいな薄くて冷たい関係じゃあ、
不景気で辛い時にお客様は離れていくゾ。」

この勢いの良いツッコミにより、自分らは「売れている」(=イケてる)と
思い込んでいた営業部に激震が走った。
サラリーマン組織におけるこういう偉いヒトの発言は、
時にバカバカしいほどの影響力を発揮する。
通常、あまのじゃく気味な私は「フン」程度にかわしているが
今回の場合、私はこの発言に心の底から共感を覚えた。

そうだ。東京の営業は、薄いのだ!

それが都会のやり方なのかもしれない。
もちろん、こうして薄いからこそ居心地が良いのかもしれない。
かつて地方の営業所にいたころに、その濃密な営業先との関係に
辟易していた事を今さら美化するつもりもない。

でも、薄い。薄すぎる・・・!

私も上司に「お前は顧客と話している時間が長すぎる」と
いつも怒られているうちに効率だけを重視した
コミュニケーションを心がけるようになっていた。
もちろんその方がお客様も便利だったろうとは思うのだが。
しかし、営業としてはどうだったんだ。この薄さ志向。
そんな薄い奴に、この不景気下のシンドさをお客様は告白するか?

たぶんしない。だって信用できないもん。

私の仕事は、ある業務分野の改善策などを提案するコトだ。
しかしこの不況下、社内改革のアウトソーシング費が削られると
すっかりオーダーが来なくなった。
営業部のオフィスにいても、お客様からの電話はほとんど鳴らず
ビルの外を吹き荒れる風の音さえ聞こえてくる。
半年前までは、うんざりするほどに電話が鳴りっぱなしだったというのに・・。
そして、顧客の経営状況も大変なのが目に見えるので、
こちらから連絡も取り辛い。

先方も電話口で「ごめんなさいね、本当に、お願いできる仕事もなくて。。」と
繰り返されるので、こちらも恐縮してしまう。
しかし、こうしていては、何も話が進まない。

嫌われたくないから顧客に踏み込めない、という残念な習性をもつ私は
弱りきって大阪支社の先輩に電話をかけた。

「おう!さちこ!どや、東京は!」
「瀕死です~。」
「お!そうか!こっちもな、も~息するのもシンドイわ!」

息するのもシンドイ・・。おお、大阪の現場はいかに!?

「でもな、俺らはそんでもお客さんとこ行ってんで。
いつも行って話してるから、お客さんがいかに大変な状況だって事わかるしなー。
バカ話もたくさんしながら、次、いい波が来たら、
一緒に乗ってきましょーねーって話してるわー」

おお!まさしく、理想はこれだ!
やっぱ、営業はハートなんじゃないか!?
大阪で学んだ営業ってやつは、コレだったんじゃないか。

「なんか話聞いてると、さちこもすっかり東京人ぶってて全然おもんないなあ。
おまえ今、お客さんとこ行って話したくないん?」

最近の悩みを先輩に相談したら、そう返された。
*「おもんない」=創意工夫が感じられない様子。だから、面白くない。

この言葉を言われてしまっては、はっきり言ってオワリである。
ほんと、営業として存在している価値がない。

不景気だから売れなくても仕方ないと心のどこかで思ってた。
しかし!違うんじゃないか!?何かやりようがあるんじゃないのか!

突如前のめりになった営業マインドを胸に秘めつつ、
思い切って名古屋の某メーカーにアポをとった。
人口減少量はなはだしい東海地方、ものづくりの現場へ、
ニーズはなくとも突撃アポ!

「え、名古屋行きたいの?・・高速バスでいけば?」

突然経費に厳しくなった上司に新幹線のチケットを懇願しつつ、
次回は久しぶりの名古屋上陸についてお伝えします!

2009/02/18 02:18 | OL(営業)所感 | 3 Comments
2009/01/26

大阪支社の同期が結婚式を挙げるということで
数十人いる同期の中でも、「拠点ズ」と自称する
1年目地方配属だった5人が大阪に集った。

結婚式は盛大に執り行われ、私たちは心底幸せ気分だった。
新郎となった同期は、この結婚式のためにずっと
3500~5000円の安すぎるスーツで働き通しており、
大阪の格安スーツ事情に最も詳しい男として有名だった。
しかし、そんな風にして長年貯金をした結果、
こんなに素敵な結婚式ができるなんて
人生ってやつぁー何てハッピーなんだろうか!とみんなで語り合った。

ただ、我々の仕事の癖で、結婚式のテーブル上にある備品や小さなプレゼント類まで
いちいちひっくり返しては製造元をチェックし、
自分の営業区域内かどうかを確認するという動きを
さりげなく全員が行っているのは恥ずかしかったが。
(見慣れない企業を発見した場合には、
新規開拓先候補としてメモっておくのである・・・。)

しかし、3次会のカラオケにおいては、
弊社営業マンズが、日々の鍛錬の成果を発揮し
よもや接待か?という勢いで新郎新婦の友人たちを持ち上げ、盛り上げ、
歌い踊り、シャウトした。
シゴトもたまには役立ちますな!

宴のあと、フワフワとした気持ちで大阪の街を歩き
拠点ズが全員大阪で研修を受けていた頃によく行っていた深夜営業のカフェに入る。
大阪は、意外と夜が早く、深夜の街中はガランとしてるのだが
ところどころ、隠れたような場所にあるカフェには
ぼんやりとした間接照明がともり、人々がこっそりと(しかし早口に)
おしゃべりを続けているのである。

懐かしいカフェで朝まで仕事の話をした。
転職活動をしているのは私だけでもなく、
皆が考える将来プランはそれぞれで、目指すスタイルも違うのだった。
それでもみんな、今の会社も事業も好きで、
組織への文句や不安を並べながらも「でも結局、好きなんだけどさ」という、
不器用な女の子が大好きな彼氏の話を素直に出来ないような
妙に可愛らしい状況となっていた。

深夜4時、ほっこりと訪れた沈黙の中で同期の肩に頭を乗っけてボーっとしていたら。
不意に、自分の転職活動に対する結論がボトンと降ってきた。

今の仕事には不安も不満もたくさんある。
だけどここには、こうして一緒に働く人たちと、共有できる理想がある。
実現したいこと、解決していきたいこともまだまだある。
だから今はもう少し、この会社や事業のために働きたい。

ここ数週間、あれやこれやと考え続けてきたわりには
その結論は既に動かしがたく重たくて
私の転職活動および海外逃亡計画はあっけなく終わりを告げた。

いつかお互い、今の場所からいなくなるかもしれない。
でも、今は。

きちんと決心をして、内定を下さった企業にも電話とメールで
結論を報告した。

すべてを完了させた後に、拠点ズに、実は転職活動をしていたこと、
しかし大阪の夜に決意を固めたことを話すと、彼らは口々にこう騒いだ。
「マジでー!ありえへんわ!俺やったら絶対シンガポール行ってたわ!なんでなん!?」
「たとえ入社してすぐリストラされたとしたって、全部捨てて行ってみちゃった!
ってのが面白かったのに~。もったいなーい」
「結局アンタも弊社系の女なのねー。結婚できないわよ~」

こいつら・・・。

でも、東京で、名古屋で、大阪で九州で北海道で、
同じ方向の想いを持って、今日もそれぞれ働いている。
キャリア形成上とか、人生設計上とかで言うと、
今回私は大きなチャンスを逃したのかもしれないけれど
でも、自分で下した意思決定だから、いったんはこの道で
がんばるか~と、思っている。

もしものときには、どこでだって、何したって、なんとかなる。
そんな気がするからこれからも、真剣に、興味本位で、
でも、自分が何を大切にするのかを意識しながら働いていく。
キャリアを積むことは、ある意味で自分を自由にするのかもしれない。

より自由に、面白い人生を!

東京サラリーマン生活は続く。。。

2009/01/16

真夏のクリスマス、とシンガポールで浮かれていた12月から
すでに半月もたってしまった。
めでたく年が明け、お笑い番組ばかりの冬休みもあっという間に過ぎ去り、
今年も仕事に戻ってきた。

しかし、引き続き多くのメディアは不景気に関する特集を組み
なんかもう、社会全体が暗い!気がする。
営業先のご担当者も、商談の途中で、
なにかにつけてすぐ「不景気だからさぁー」と、おっしゃる。
「不景気」はもはや立派な流行語である。

だが何故か、麻布や六本木のレストランやバーには
今夜もお客がいっぱいだ。
冷たい空気に洗われた東京の夜景は刹那的で、
加えて今年は心なしか投げやりな感じもして、
でもやっぱり、最高に美しい。

日本全国から、世界から、
何かしらの野望を抱いて集まってきた働き人が集う都市、東京。
不景気でも、面白い企画を考える人もたくさんいて、
相変わらず刺激的な街だ。

大好きだぜ東京!と、
今回妙にセンチメンタルなのは、
自分が海外に転職する可能性がゼロではないから、だ。

年末に滞在していたシンガポールで内定をいただいた企業は今と同業。
その上、新興国(にある意味数えられる)シンガポールでは
ここ数年だけでいうと、市場拡大の可能性は日本よりも高い。
また、ろくにTOEICのスコアも持っていない私を採用してくれる
外資企業なんて、今後現れるかわからない。

学生時代からアジア好きな私にとっては、
シンガポールに住める、ということも大きな魅力の一つだ。
特にマレー半島は、多様な宗教や文化を受け入れつつ発展してきた地域で
多様な価値観を受けいれる柔軟な社会構造に私は昔から興味を抱いてきた。
と、ちょっと文学部らしいことも言ってみたが、
まあ、要は、生活するだけでも面白そうだ!というワクワク感が大きいのだ。

また、日本で働く場合、総合職として仕事を任せてもらう以上は
過酷な残業にも耐えなければならない。
そしてそれはしばしば、仕事が終わらないから、というよりは
早く帰ったら先輩にキレられるから、というくだらない理由の場合も少なくない。
しかしシンガポール企業の場合、そうした若年社会人による丁稚奉公のようなこともなく
本当にみんな、早く帰る。
実際に私が2回目に先方のオフィスにお邪魔した際にも、18時頃には、
ほぼ全員が帰宅していた。
個人的に、現職の仕事は好きだし残業も構わないといえば構わないのだが、
毎日22時に会社を出られたら、どんなに豊かな生活ができるだろうと夢想している
私としては、残業時間のコントロールが可能な点も、大きなメリット。

以上、ここまでくれば、メリットだらけじゃないか!という状況だ。
私には扶養家族もいないし
結婚を迫るような男子もいない。
実際、ちょっと大事にしてる男の子(どんな関係なんだよ)に「海外にいくかもー」と打ち明けたところ、
「そうか・・・君にとってはチャンスだもんね!君がその道を選ぶなら!」と
やけに寛容なコメントが返ってきた。
いや、ちょっとはさ、引き止めてよ・・・。
客観的に見れば素晴らしいその寛容さに深刻な寂しさを覚えた私は、
「もうご飯食べに行かない」と、いつになく女子らしいイジケッっぷりを発揮し、
見当違いな仲違いまでしてしまった。
マジでちっちゃいな、自分。
どうすんだよ。

さて、そんな色々を繰り返しつつ、
悩み続けて半月間。
そろそろ先方にも回答をしなければならない。

これまで大して目につかなかった
人材紹介会社の広告があちらこちらで私を刺激する。
「転職するなら今がチャンス!」「自分にとってのキャリアアップとは!?」
電車でもネット上のバナーでも、
こんなに不景気なのに、よく煽るもんだ。
心の中でツッコミを入れながら、
気づけば自分も立派な転職活動者になってしまった。

現職企業や人への愛情、
新しい世界への好奇心、
タイミング。

もう少しだけ考える。
そして、どう転んでも自分が納得できるような
結論をださなければならない。

今週もやっと金曜日の夜。
悩み過ぎて眠れない、、なんてことはなく、
きっと呑んで騒いでぐっすり眠るのだろうけれども、
週末はまじめに考えなければ。

あ、しかーしっ、今週末はJUNKSTAGE新年会である♪

2008/12/29

12月25日、
シンガポールでは、クリスマスは国民の祝日である。

朝、モスクからいつも流れるコーランの音に加えて、
近所のキリスト教会が、めちゃくちゃに祝福の鐘を鳴らしまくる。
道行くインド系の女の子も、いつもより更に鮮やかな、
真紅やショッキングピンクのサリーを身にまとっている。
朝ご飯を中華系の屋台で食べたら、
いつも無愛想なおばちゃんがお釣りと一緒に
「メリークリスマス」とぶっきらぼうに言ってくれた。

とにもかくにも、祝日なのである。

本日はまた、先輩に遊んでいただくことになった。
行き先は、シンガポール近郊のリゾートアイランド・セントーサ島!
小規模ながら、ビーチ・アトラクション・水族館など、
祝日を過ごすにはぴったりの観光スポットである。
シンガポールに来て、初めてのまともな観光!

「いやー、先輩がいなかったら部屋で寂しく体育座りしてるとこでしたよー」
「駐在員の知り合いがいると便利でしょ」。

ええ、たしかに、とってもお世話になりました。
そして気がつけば、職までお世話になりそうです。

「このアジア株価全面安の時代に、人生最初の転職活動を
異国で始めるなんて、相変わらずサチコは面白いねー。
英会話できないくせに」
「いや、そもそもそんなつもりで来たわけじゃないし!
今回の件は、先輩経由のご縁じゃないですか。」
「でもさ、面白いだろ。ワクワクするだろ、新しい可能性だろ」
「・・・はい。」

そうなのだ。ワクワクしてしまっているのである。
そして、企業側に真剣に時間をとっていただいた以上、
当たり前だが真剣に考えなければならない。

自分は何のために、働いてるんだっけ。
これから何を身に着けて、将来的には何を実現させたいんだっけ。
何を武器にサバイブしていくつもりだったんだっけ。
頭の中はそんな自問自答でいっぱいだが、
まずはキャリア以外の相談を先輩に投げかける。

「でもこっちで働き出したら、ますます結婚できない気がするんですけど。
大問題ですよ!」
「案ずるな。おまえの場合、仕事変えない限り日本にいても変わらないでしょ」
「なんですと!?」
「それにさー、結婚は別にいつでもできるじゃーん」
「いや、日本では今、アラサーとかアラフォーとかいうのが流行っててですねえ・・・。」
「メディアがつくりだす世論なんて気にするな。メディアは自身の購買層にとって
居心地の良いように世相を切り取って表現しているに過ぎない。」
「むう・・・」
「ま、都合よく世論に甘えるなって事ですよ。すべては、UP TO YOU」

“UP TO YOU” 「キミ次第だよ」 

企業での面談の終わりにも言われた。
すべてはキミ次第。キミ自身で、まずはたくさん考えなさい、

25歳の12月25日 気温は約30度。
目の前に広がるビーチ、シンガポールの海には沢山の貨物船が浮かんでおり
小さな子供たちは水着姿で波と戯れている。
あちこちで流れるマライヤキャリーのクリスマスソング、
結露いっぱいのビール缶、先輩のサングラス

「いやあ、すっかりクリスマスですね」
「ま、見た感じはどう見ても夏休みだけどな。」

のんびりビーチリゾートで寝そべって、水族館をぶらぶらして、
夕方には、シンガポールの銀座、オーチャードロードへ。
街は煌びやかに飾り付けられていて、気温が高い事を除けば
クリスマスムード一色だった。
レストランでのディナーにホテルの最上階でカクテル。
チープな屋台飯から、最高級のサービスまで、
シンガポールには、何でもある。
「シンガポール、綺麗な街だろ。最高だろ。東京、離れる気になった?」
「・・・わかりません。」

まだまだ全然わかりません。
そして、考えるべき事が多すぎます
ごちゃごちゃした頭を抱えながらも
ラグジュアリーに過ごしたクリスマス

まあ、帰り着いたのはもちろんいつもの安宿で、今日の宿の主人のコメントは
「おー、女の子らしく着飾る事も出来るんじゃないかー」
お褒めいただき恐縮です。
そんなこんなで、シンガポール滞在も今日が最後。

しかし、ノースウエスト航空利用者の宿命、
明日の飛行機は朝の6時発。
宿を出るのは朝の3時半頃だろうか
宿の主人にからかわれる事もなく出発するのは
少し寂しい気がした。

2008/12/23

今日お邪魔したのは、シンガポールの丸の内「シェントン・ウェイ」に
立ち並ぶ高層ビルの一角にあるオフィス。

朝、宿の主人は、いつもTシャツでウロウロしている私が
突然スーツで出かけようとしているので
「どうしたんだ!?ジャパニ、仕事で来てたのか?」と
大袈裟に驚いてくれた。

いいえ、違います。私は休暇のためにシンガポールを訪れています。
という教科書に載っていそうな英文が頭に浮かんだが
説明が面倒なので、笑ってごまかす。

シンガポールの他のエリアと比較すると
ビジネスライクな雰囲気が漂うシェントン・ウェイ。
(とはいえ、丸の内やウォールストリートの雰囲気と
比べるとラフな気がするが・・)
まるで日本で顧客先のところに行く時のような気分で
オフィスを探し、たどり着いたビルでは掃除のおばちゃんに
「あなた汗かいてるからジャケットはおるの止めとけば?」などと
アドバイスをいただきつつも、先方の受付にたどり着く。

迎えてくださったのは、シンガポール人のマネージャークラス。
「OH! NICE  TO MEET YOU」
中学1年でこのセンテンスを学んで以来、ほぼ初めて
まともに使った気がする。

私は、基本的には英語ができない。
旅行者としてアジアをウロウロするために
屋台や安宿での交渉ゴトに使う英会話はできるが
ビジネスでの使用経験など微塵もないのだ。
しかし、不思議な事に・・・今回は相手が話す内容がわかるのだった。
つまりは、同じ業界である以上、相手が話す内容が
ある程度予想できるからだと思うのだが、
アポイントは、意外とスムーズに展開した。

景気後退の影響はシンガポールも同じだという事、
顧客の規模によって、最近要求されるサービスレベルの違いは
日本もシンガポールもとても似ているという事、
同じ業界ではあるが、一人の社員が担当する事業領域が
日本よりもシンガポールの方が広い事、などなど。

ただし、最後に驚きの展開が。
「で、キミはいつから働けるんだ?」
「!?」

つまり、今回のアポイントは情報共有ではなく
いわゆる面接、だったのである。
驚きの展開!でも良く考えたら、マネージャークラスが
観光客にアポくれるなんて、確かにフツーありえないよな。。と思いつつ、
しみじみと話を聞いたのでした。

今後の人生をより豊かに生きるために。。
どんな人生プランがありうるのか、
屋台で氷をつつきながら、呆然と考える
シンガポールの昼下がりでございます。

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