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2015/08/17

カナダはケベックシティで開催された、
国際的に大変権威のある大会、IJA Summer Festivalにおいて、チャンピオンシップに出場してきました!!

今年開催されたIJAの個人部門、
決勝進出者はなんと6人全員日本人。予選には他の国の方も出場していたとのことですが、
流石に決勝進出者の名前を見た時にはうろたえました。

最近は、大会のレベル的にはJJF(日本最大のジャグリングのイベント)のチャンピオンシップの方が高い、
等ということが言われているのですが、
未だにトスジャグリング(ボール、クラブなどを投げるジャグリング)では海外の方がハイレベルです。
(そのトスジャグリングでもようやく日本人も追い付いてきたのかな感がありますが、まだまだ海外の方が上だと思います)
それに、日本では「何かしらにとがっている演技」というのが評価されるなど、少し評価に偏りがあるような気もしなくはないし、そういうフィルタ無しで挑める、というのがIJAに挑戦する一つの意義だと考えています。
それと、やはり僕がまだジャグリングを始めた頃は、IJAに出場できるという人は神様ばかりで、
そんな人たちと同じステージに立つことができるというのはやはり僕の中では重要なイベント。

やはり競技会のジャグリングというのは普段の人前でやるのとまったく空気が違う。
控室は緊張感で張り詰めているし、リハーサルや打ち合わせも普通のイベントよりもはるかに入念に行います。
流石に日本人が多いだけあって、控室は知った顔ばかりで、前のIJAよりはリラックスした雰囲気だったかもしれません。

それでも幕の後ろに立てば緊張感が増します。

僕は一番手。
客席もまだ温まっていない状況と推測します。

ステージの上には僕一人。
幕があくまでの間が一番孤独で緊張する瞬間です。

そんな僕の緊張した顔が見られる、撮れたてほやほやの僕の動画の紹介です。

幕が開いた瞬間は本当に死にそうな顔してますねw
でも、一礼し終わった時に観客の歓声を浴びた時に作った笑いはまだ緊張感があります。

本当に「入る」ことができたのは、
最初のブロックを置き、次のL字型のブロックを下ろしてきたところ。
観客の笑い声が聞こえて、(本当はここは無表情でやらないといけないパートなのですが)
思わずニヤッとしてしまっています。

「ああ、いかんいかん。無表情でやらねば」と、
気を取り戻してちゃんと演技に入れたのがよかった。

最初の音楽のパートはノードロップ、ノーミスで通過しています。

2曲目。
序盤に落としてしまっているのですが、この後1つだけ技が飛び、頭が真っ白になりかけたのですが、
これをちゃんとこらえたのがやはり成長したなと思います。

その後は予定通り進み、もう一回落としていますが、これは練習で何回も落としたパート。
冷静に対処していて、ここのメンタルのダメージはほとんどありません。

4ボックスが一回も落としていないのは自分でもよくやったと思います。
特に最後の「画キャッチ」(技を決めた瞬間に漢字の「画」と同じ形になることから)は
練習でも50%強の成功率の技。特に大会直前に調子を落としていまして、
でも絶対に決めたい技だったやつです。

これが一発で決まった時は気持ち良かったですね。

最後、「消した」後に本当は普通に横に移動して一礼、だったのですが、
あまりにもお客さんの歓声が気持よくて、思わずお客さんのほうに歩いて行って歓声を受けています。
照明が中途半端に消えてしまったのはそのせい。(本来落としたらすぐに横移動して礼→暗転だった)

演技が終わった後、嬉しさのあまり幕裏で「おっしゃああ!!!!」と大声をあげていたのに
気がついたのは多分片づけを手伝ってくれた方だけと思いますw

こういう大会だと、僕は本当にメンタルが弱くて、
序盤のミスを引きずって最後まで行くということが多いのですが、
今回は本当に安定した演技ができていましたね。
成長したのでしょう……。

演技終了時には入賞を確信していたのですが
そこは流石は天下のIJA。結果は4位でした。

1位の望月ゆうさくさんは共演者の立場からしてもパーフェクトすぎて揺るがない順位。
2位のうぶかたさんもほぼノードロップに近い出来でスタンディングオベーションを起こし、
3位の高校生ケント君も超高度な大技7クラブを舞台上で決めるなど、
まさに強豪ぞろいの舞台でした。
入賞を逃した加藤さん、土屋さんオリジナリティあふれ、観客を魅了する演技でして、
日本人全員、「国際大会に恥じない」演技ができたものと、確信しております。

前回2010年に出場した時は6位だったので、それより順位は上がっています。
正直悔しいですが、完全燃焼したので悔いは残ってない。

本当に今年は、機会がありましたら、是非とも今年の日本人のパフォーマンスを見て欲しいですね。

最近は練習から解放されて、スプラトゥーンをやる毎日を過ごしています。

2014/05/24

僕がジャグリングを始めた年と、「ジャグリングショップナランハ」がお店を始めた年は一緒、ということで、
この15年くらいの話ではありますが、
「ボール」「ディアボロ」「シガーボックス」について、流行の移ろいの話をさせていただきたいと思います。

○ボール……ボールはここではトス(※投げる)専用として考えてお話をします。
僕がジャグリングを始めたころは
練習用としても有用なビーンバッグ、大きくて見栄えがいいステージボール、とても高級品シリコンボール、の3種類の選択肢くらいしかなかったと思います。
他にもあったかもしれませんが、これら以外のボールはあんまり見たことがなかったです。
そして、実質練習用としてはビーンバッグ以外ありえなかったわけですね。

表面の素材が変わったりとか、見栄えや大きさが変わる等ちょいちょいあったりはしましたが、
そこら辺は好みの問題だったりしますのでまあ割愛。

そんなビーンバッグ全盛期に風雲児が現れます。
ブラディックという、1999くらいにとても活躍したジャグラーがいて、
そのブラディックの使っていたのが「ロシアンクラブ」と「ロシアンボール」と呼ばれるものでした。
ロシアンクラブは(見た目のあんまりよくなさもあって)あんまり使っている人はいなかったのですが、
「ロシアンボール」は簡単に自作できることと、「ビーンバッグより軽い!」「手元にしっくりくる!」「特定の技(ストール)がやりやすい!」「振ると楽しい!」などという特徴があり、
瞬く間に全国的に拡散(たいてい自作派だった)。
さらに、ショップでビーンバッグより安い値段で売られ始めたことから、
一時はビーンバッグ絶滅するんじゃないかという勢いで広がって行きました。

ただ、踏むと壊れやすいことや、
形が球形で固い=多くのボールを片手につかむ場合、持ちにくくなる(※ビーンバッグなら多少形がゆがむので掴みやすい)という欠点もあること、
妙な軌道を描くので「ジャグリングに慣れるまではビーンバッグの方がいい」という考えもあったので、
ビーンバッグも絶滅はせず(いや、そんな本当に絶滅寸前までいったわけではないけど)根強く存在していました。

ところで、ビーンバッグは長らくナランハで売っている普通の「ビーンバッグ ノーマル」というものがトップセラーだったと思いますが、(今でもそうだと思うんですが)
このビーンバッグ、長く使っていると表面に穴があいてしまったり、やわらかくなって球形をとどめなくなってしまったり、という状況に陥りやすいものでした。

この耐久力の不満がロシアンボールに変わられていった原因の一つであったと思うのですが、
上級者向けに色々なボールが作られまして、
「スポーツビーンバッグ」「ラドファクタービーンバッグ」等がこれにあたります。いわば上級者向けビーンバッグ。
こいつらは、頑丈にできていまして、長くの間使うことができる代物ですね。

こういう上級者向けのビーンバッグの販売もあって、ビーンバッグは復権、
今では大体半々くらいのユーザー率であると思います。

ロシアンボールの亜流であるシリックスボールなど、これ以外のカテゴリに属するボールもありますが、
現在ではそんなところです。

ロシアンボールを選ぶか、ビーンバッグを選ぶかはやりたい技の傾向もあったりするので、人それぞれです。
因みに僕は最初からビーンバッグ派ですが、ロシアンボールも持っています。

○ディアボロ
ディアボロについては、僕はメインで使っている道具ではないので伝聞の話がメインになります。
(間違いがあったらこっそりご指摘ください。)

まず、僕がジャグリングを始めたころは、ヘンリーというドイツのメーカーのディアボロ、「サーカス」一択。
価格を抑えた「スター」等もありましたが、「エコノミータイプのディアボロ」だとホームページ内で言われていましたし、
本格的にやろうという人はやはり「サーカス」でした。
迷彩模様の「アーミー」という選択肢もありましたがあんまり見なかったな……

さて、僕がジャグリングを始めたころ、丁度バンダイのけん引したヨーヨーブームがひとしきり終わり、
その後ディアボロの大会が各地で行われるようになったりして、ディアボロのレベルが飛躍的に向上しました。

彼らは勿論バンダイのディアボロを使っていたわけですが、ディアボロブームもひとしきり終わり、
バンダイのディアボロの取り扱いが終了。
その後継種として使われていたのが、ヨーホーというオーストラリアのメーカーの「ディアビッグ」(またの名前を「ディアジャンボ」)というもの。
「サーカス」がゴム製なのに対し、「ディアビッグ」はプラスチック製。
「ディアビッグ」の方が安く、多分ディアボロ使いのほとんどが「ディアビッグ」に流れてしまったのではないかと思います。

しばらくは「ディアビッグ」が覇権を握ります。

ところで、このディアビッグ、やはり安いだけあって、個体差が大きかった。
上級者になってくると、細かい軸のブレだとかそういうのが気になるもので、
「ちゃんとしたディアボロ」の登場が待たれることになります。

そんな中、
ディアボロ使いのカリスマ、矢部亮さんのプロデュースする「フェイリン」なるディアボロが登場。
それまで覇権を握っていた「ディアビッグ」よりだいぶ高いもの
(本体は「サーカス」と同じくらいなのですが、持ち手(ハンドスティック)もけっこう高い。)
なのですが、瞬く間に上級者ディアボロ使いの間に広まっていきます。
この「フェイリン」は、表面が削られたり、ひび割れたりする可能性があるという弱点があったのですが、
続けざまに耐久力が強化された「シャオリン」が登場。
他にも、特殊なディアボロの技に対応するための軸(ベアリング軸というやつです)を備えた「サンバイリン」
多くの数のディアボロを回す人向けの「ゲンフウリン」、さらにそれのベアリング軸の「ゲンフウサンバイリン」
あと、熱狂的なファンのいる「ソアリン」など、この辺りから多数登場し始めます。

この辺りから、ディアボロ使いは用途に合わせたディアボロを選択できるようになりました。

しばらくの間、これら「××リン」シリーズがディアボロ使いの間で流行し、現在に至っています。

ところで、最近マレーシアのエピック社から出ている、通称「エピックディアボロ」なるものが流行り始めており、
こちらがまた「××リン」シリーズに置き換わって流行するかもしれません。

ところで、これだけ新しいディアボロが出ていながら、ジャグリングショップナランハでは
「サーカス」も「スター」も「アーミー」も「ディアビッグ」も売り続けられています。
「スター」「ディアビッグ」は低価格路線として今後も売れていくんでしょう。
「アーミー」はどちらかと言うとパフォーマー向けでしょうね。(模様がついているディアボロは珍しいし。)
「サーカス」は「フェイリン」や「シャオリン」に比べると、本体価格は似たようなものなのですがハンドスティックの値段分お得な感じが。
ジャグリングを本腰入れてやってみようという初心者向けの商品として良い値段なのかもしれません。
(フェイリンやシャオリンはハンドスティックが別売なので、安いタイプのハンドスティックを選べば同じくらいの値段になるのですが。)

因みに、僕は最初に買ったのは「サーカス」。
この「サーカス」は10年以上使い続けていましたが、
今は見た目の良さもあって「シャオリン」を使っています。

○シガーボックス
ここまでお読みいただいた割とベテランのジャグラーならこの話のオチが見えているはずですw

まず、僕がジャグリングを始めたころは
3種類のシガーボックスがありました。(「スター」「ウッディ」「プラスチック」)
「スター」は使う前にいつの間にかなくなってしまったのでどんなシガーボックスだったのか不明。
木製の「ウッディ」とその名の通りプラスチック製の「プラスチック」は両方ともアメリカの老舗メーカーDubeのものでしたが、
「ウッディ」は耐久力に難があったこともあり、ほぼ「プラスチック」一択。

しばらくは「プラスチック」のみが使われることになります。

そして、2005年~7年くらいだったか、
ジャグリングショップの(当時)新鋭、バイキングが木製のシガーボックスを販売し始めます。
その後、改良されてバイキングシガーボックスVer2 Plusという、ウッディシガーボックスでありながら、
一番酷使するシガーボックスの両サイドをプラスチックの頑丈な板で作るという、「シガーボックスVer2 Plus」というものが出ます。
(これが通称「バイキング」と呼ばれているシガーボックス。)

「プラスチック」よりも価格が安い上、耐久力もそれなりにあること、
そして、「プラスチック」に比べてゆがみにくいことから、こちらを使う人も多くなったと思います。

その後何の変化もありません。

……以上ですw

現在のところ「プラスチック」と「バイキング」が五分五分の印象です。
ぼくの周囲では「バイキング」の方が圧倒的に多いのですが、「プラスチック」を使う人もいます。
特に、練習環境で床がコンクリートとかだったりすると、「プラスチック」の方がやはり頑丈なので。

最近新しくナランハでビアード社のシガーボックスを取り扱いし始めましたが、
聞く限りではDube製の「プラスチック」に軍配が上がるような。
ラドファクターでプラスチックシガーを開発中という話もあるので、そちらに期待したいところではあります。

<追記>
シガーボックスの「ウッディ」はDube製ではなく、ヘンリースのものであると指摘を受けました。
全然知らなかったです。

2013/11/27

僕がジャグリングを始めたころ、
ジャグリングサークルというものは、東京に7~8個あって、他の主要都市に各1~2個ずつみたいな分布で、
ジャグリングはできることなら室内でやりたいのですが、室内の環境を持っているサークルはまれでした。
僕の所属していた大阪大学のサークルもアウトドアがメイン。
室内の練習会もありましたが、1か月に2回程度の練習しかありませんでした。

大阪には我々のサークル以外に、大阪の中心部にあった施設を借りて、
プロの方が中心となって練習している練習会もあり、
よく、天満まで行ったものです。
今では、この頃に出会った方々はすっかりと大御所の方々ばかりで、
フェスティバルの現場でお会いすることもしょっちゅうです。

僕が大学を卒業するころ、上記に加えて「はっきりと」存在していたのは関西大学のサークルだけでしたが、
奇術研究会(マジックをするサークルですね)の中で一部ジャグラーがいたりとか、
別の大学なんだけどジャグリングをする「集まり」(まだ「サークル」としてではない)があったりなど、
ちらほらと、話を聞くようになってきました。

とはいえ、そこはやはり大阪という大都市だったからか。
就職して浜松に来たとき、浜松には当然のようにありませんでした。
今、僕が所属している「じゃぐなぎ」はその時に僕が作ったものです。

しかし、このころからジャグリングサークルは大学を中心に広がり始め、
多くの大学に「ジャグリングサークル」というものができます。
さらには、このムーブは高校生にも広がり、高校にも「ジャグリング部」というものがでてきたり。
今や、「ジャグリングサークル」は全国各地で見ることができるようになりました。

僕は地元は静岡市なのですが、地元に戻っても連絡さえすれば参加可能なサークルもあります。

今の僕ですが、「部屋で練習する」という選択肢も含め、
練習場所に困るということはない、しかも室内で練習ができるという状況になったことは大変ありがたいことです。

さて、ところで、
これは「ジャグリングサークル」特有の話ではないのかなと思うことが一つ。
各サークルは、ウェブサイト等で練習会の日程を公表しているのですが、
他のサークルの人が、「●●日に行きたいんですけれど」という連絡さえしてもらえれば
「どうぞどうぞ、歓迎いたします」というのが全国どこのサークルでも共通して行われていること。

こんな交流が積極的に行われるような「スポーツ」「アート」ってあるんでしょうか?

むしろ、外部の参加者は、似たり寄ったりになりがちな練習する「技」を
「こんな技がありますよ」と、色々紹介してくれるなど、サークルに対してよい刺激になります。

例えば、バトミントンやバレーボールなどの社会人クラブがよく隣で練習していたりするのですが、
流石にそう簡単に「練習を一緒にさせてください」ということは無いんじゃないのかなぁと思いますし、
同じステージを使う演目でも、バンドやダンスなど、「チーム」を主体とするものは
「地元に帰って地元の別のチームの人と練習」ということはあまり考えられないのではないかと思います。
(勝手な思い込みで実際にはどうか知らないですが……)

この傾向が全国的に広まっていることは、大変良い傾向だと僕は思っているわけで、
例えば、出張で色々なところに出向いたジャグラーがその場所のジャグリングサークルの練習会に参加して、
地元のジャグラーと交流できる(そして美味いメシを食いに行く……やっぱり地元のことは地元の人が一番知っているので。)
とか、ちょっと他の趣味では味わえないであろう楽しみがあったりします。

この傾向自体はとても良いことだとは思うのですが、
逆に、この「傾向」に甘えてはいけません。

練習場所を貸し出してくれている施設側と関係を良好に保ち、練習場所を借りているのは
そのサークルに所属している人ですから、やはり、立場としては「お邪魔をさせていただく」という心で参加をすべきです。

事前にサークルに所属する誰かに連絡を取っておく、練習場所に行ったら挨拶をする、くらいのことは常識。
迷惑な場所に駐車しないとか、ゴミは持ち帰るとか、床を傷つける恐れのある道具は自重するとか、
自分の所属するサークル以上に気を使って参加するべきであると思います。

さもなければ、「外部の参加者お断り」という看板を掲げたサークルが出てきて、
せっかくのこの「良い傾向」が台無しになってしまいますので。

2013/05/27

平均2.000749回」の記事の続きです。

いよいよ本番当日。

まずはくじ引きで演技順が決まります。
後半になればなるほどプレッシャーがかかってきますから、僕としては前半のほうが楽だったのですが。
引き当てた順番は「5」。大分前のほうです。

まずはリハーサルが行なわれるわけですが、
リハーサルは本気でぼろぼろでした。
これまでの努力が水に帰っていくような、そんな思いまで味わってしまいました。

僕の演技は、最初バランス技から始まります。
僕のやるバランス技というのは、そこまで難しいものではないのですが、逆に、ここで崩れると演技そのものが崩壊してしまうような
リスキーな技でもあります。

(構成の中で、唯一「失敗したな」と思った箇所です。)

リハーサルでは、これがまず失敗し、これに引きずられる形で後半もぜんぜん技が決まらないという感じでした。

悪夢。

このイメージを振り払うため、本番が始まる直前まで、3回ほどリハーサル室で演技を通しました。
(リハーサル室が使えるようになったのはこの年からですが、ありがたかったですね……
 それまではやろうと思ってもその場所が無かったですから。)

本番。

司会者のコールが響きます。
「竜半。 練習したお陰で少し体重が減りました。」
とのツカミ。
登場するだけで大きな笑い声。
これは普段の僕のキャラのお陰であり、登場しただけで笑われることも実は想定内です。
「まだ何もしてないっすよ」とボソッと一言。
それだけで大爆笑。そんなもんです。

実はこの時、後ろを向いたときに
「あーーっ!! 緊張するなーーー!!」と大声で叫んで緊張を振り払おうとしていたのですが、
後から見たビデオではそれは聞こえていませんでしたね。
逆に、この声に観客が無反応だったので「あれっ? 滑ったのか?」と思ってしまいました。

演技が開始し、いつものように右腕を上げながらお辞儀。
最初は一番慎重さが必要なバランス技から。
かなり震えていたと思いますが、それでも無事失敗することなくこのパートを終了。

これが無事成功した後は、もう「よし、ここを通り過ぎればもう大丈夫だ!!」
という安心感の方が大きく、
あとは300回の練習通りの演技ができたのではないかと思います。

3ボックスはノードロップ。まあ、そんな難しい技入れてないですから。
そして、4ボックスのルーチンは当時のJJFではまともにやれる人はいなかっただろう!!(と自負)

1回落としましたが、まあ
普段の練習でも(最終的に)平均2回は落としていたわけで。

100%に近い力を出し切れた、はじめて100%に近い力を出し切れた。

最後の技は5つのボックスの足の下手渡し。
練習ではなかなか失敗の多かった技なのですが、それも無事成功させて、フィニッシュのポーズ、片手を大きく突き上げた瞬間、
観客席の一部ががっと立って拍手を送ってくれたのを覚えています。

これまで、JJFに出るたびにボロボロだったのですが、
ついに完成度の高い演技ができて、感極まっていました。
その後、すぐにリハーサル室に駆け込み、
プレッシャーから解放されたのと、満足のいく演技ができた嬉しさで、
一人嗚咽を上げながら泣いていたという裏話があったりします(笑)
※今初めて言ったので誰も知らないと思いますよ(笑)

順位は3位でした。

1位は昨年のゲスト、Komei Aoki
これまでに無かった斬新なスタイルのボールジャグリングで、
次元の違いを見せつけました。観客全員の度肝を抜いての堂々の優勝。

2位は後輩の古谷。彼もシガーボックス使いですが、
体を使ったハードな技を中心として構成をしていたにもかかわらずノードロップで演技を終了。
(おそらく、JJF史上で「ドロップの危険の高い」ジャグリングでノードロップで終了したのは
 彼が初めてではないかと。初回JJFを見ていないのでその時にノードロップが出ていれば話は別ですが……)

この年に出た面々の中で3位という順位というのは本当に自慢できると思うし、
今僕自身が一番誇りにしているタイトルです。

演技終了後、片づけをしている時、学生時代から一緒にジャグリングをしていて、
お互い社会人となってからも良き理解者であった
あじわいここあ
と舞台裏で顔を合わせた時、
乾いていた涙が再び出てきてしまいました。

「やっと追い付いたね」

その言葉がようやく捻り出た一言でした。

それまでなぁなぁに練習をしていて……いや、遊んでいて、
それにも関わらず、努力して栄冠を掴んだ仲間たちの走っていく姿を後ろから羨んでばかりいた僕が、
「自分の努力で」「初めて結果を勝ち取った」
……そんな感じだったと思います。

「完全燃焼」
という言葉がぴったりだったのではないでしょうか。
ぶっちゃけていうと、この年のJJFは、本当に何もしていません。疲れちゃってもう、何もやる気が起こらなかったんです。

舞台裏から外に出てみると、
Patioの後輩たちが待ち構えており、こともあろうに胴上げをしようとしやがる!!!

いや、やめとけって!!!
俺重いぞ!!!!

ほれみたことか!!!!!!!

2013/05/25

前回の
「僕のジャグリング史」の「屈辱の3年間」で語った、
「ジャグリングに対して真剣に取り組むことを決意した」のは2007年の11月のことです。

時系列が前後しますが、
今は世界中でパフォーマンスを行なっている謳歌くん(※当時は別の芸名でした)と
ガッツリ夜話し込んで「ルーチンの組み方とは」ということについて深く語り合う機会があったことと、
また、この頃、自分自身の「技」について、これまでのシガーボックスには無かった見せ方を開拓できていました。

実は、この時既に「下地」については出来上がっていたんですね。
当時そういう意識は無くて、今振り返ってみると、ですが。

「本番に弱い」僕が少しでも舞台を経験するためにはどうしたらいいだろうか?

それはやはり、実践あるのみ。人前でやるということです。

人前で出来る機会は、目標をJJF2008のチャンピオンシップと設定すると、
2008年3月のじゃぐなぎ杯(僕の所属するサークルの主催する大会)、2008年5月の母校の大学の学祭、2008年7月の会社の夏祭りの3回。
これでは足りないので、色々なサークルを回って本番さながらにルーチンを見せる機会を作ってもらう。

演目も一新しました。
(この演技こそ、2011年のJunk Stageの舞台で披露したものなんですね:笑)

少しだけこの演目を作ったとき、どういう形で作ったのかを語ります。

演目のテーマとしては、「笑いの神が降りてきても大丈夫な演目にする」
まあ、「キャラにあった演技をする」と言い換えるとわかりやすいと思いますが、
キャラに似合わず、好きな曲がどっちかというとクール系の曲だったので、それまではクールな演技をしていた(なっていたかどうかは別)のですが、曲目も元気なものにして、とにかく元気よくやろうとしました。
やっぱり、やっている最中に自分を押さえ込まず、元気にやるのがあっていたようですね。

それから、大技を入れすぎないこと。
それまで、とにかく大技をたくさん入れて無理やり盛り上げようとしていましたが、
当然大技は失敗率が高いですから、「ここぞ」という時にだけ大技を持ってきて、
小技でつなぐところや、何も技をやらないところを作り、高難易度の技を連発しない。失敗を減らせるような構成を心掛けました。
難易度的な視点で見れば、それまでの僕とは違い、比較的難易度を抑えたものになっていたと思います。
(それでも、当時は4つのシガーボックスをやっている人はほぼ皆無だったため、初見で盛り上がる技の存在はあるということの確信はありました。)

道具を落としたときに、舞台の下まで落ちないように(これまで2回ほどありました)するための工夫について。
その演技には、最初に多くの箱を扱ったバランス技をやるパートがあり、
そのパートを終えた後、その使った箱を床に置くのですが、この置いた箱より前で演技をしないようにすること。
たったこれだけで、舞台からシガーボックスを落とすことが0になりました。
(※練習中も、「この線までが舞台」のように意識しながら練習していました。)

それ以外にも工夫したことはあるのですが、
まあ特別に書いておきたいことはこれくらいでしょうか。

この演技を練習するときも、
「今日はどの技をミスしたのか」ということの統計を取り、
エクセルで集計を取る事にしました。
意外な技でミスが多いこともわかったりしましたが、そうやってミスの多い技をやる前には
少し気合を入れるようにしたり。

当時は寮生活でしたが、
寮に「共同部屋」という、誰も使っていない部屋があり、晩御飯を食べる前に必ず練習をするようにしたこと。
寮のご飯は21時までしか提供されないので、
20時に家に帰ってきたら急いで練習してお風呂に入ってから食事をする、という感じの生活習慣が
知らず知らずのうちについていたといういい効果もありました。

練習をしていてある日気がついたのですが、
それまで1回演技を通すだけでぜえぜえ言っていて、2回目をやるまでに大分ぜえぜえ言っていて
1日に通せる回数は2回が限界だったのですが、
ある日、1回終わってもぜんぜん疲れていないことに気がついたんです。
そりゃあ息はあがっていましたけど。

そのとき気がつきましたね。「体重が減ったからだ」と。

……いや、もしかしたら単に体力がついただけなのかもしれないと思いなおしもしましたが、
「そういう思い込みをしてもいいよな」と思い、この時期本当に体重が減りました。15kgほど。

この時は、大学の学祭に行ったときも、後輩に「見違えましたよ……」といわれるくらい減量に成功したものです(遠い目)

流石に3月のじゃぐなぎ杯で披露したときにはまだ完成度も高い状態ではなかったのですが、
5月の大学の学祭で披露したときには大分仕上がった状態で披露でき、納得のいく演技であったと思います。
また、7月の会社の夏祭りで披露したときは、ものすごい大風で、ミスこそあったものの、
最後まで集中力を切らさず、演技も崩れずにできたので、それもまた逆に自信につながりました。

自分のサークルでもサークル員が見飽きるくらい見てもらったものです(笑)
さらに、近隣のサークルや突発練習会に足を運び、披露させてもらう機会を作ってもらいました。

名古屋で身内に見てもらった回ではノードロップ(※一度も落とさないで演技を終えること)を達成。
静岡市のサークルでは、かつてからすごくお世話になっていた方に見てもらい、
「なんか、異次元のものを見てしまったような気がする」という言葉をもらう事でさらに自信をつけます。

この年もビデオ予選でして、
ビデオの前でノードロップで終わらせるのは絶対条件だ……と思っていましたが、
6月の段階で既にノードロップで演技を終了させたものが撮影できており、
しかも、その後も何度かビデオの前でノードロップを達成したため、
「ノードロップの演技の中から一番映りが良いものを選んで提出できる」ということができました。

思えば、前の年は、ビデオを撮影できる期間が短かったとはいえ、
最終的に提出したビデオは2ドロップしたものでして、「それが一番できがよかった」わけですから、
そりゃあ「練習不足」と言われるわ。

予選のビデオを提出した後は、
ややモチベーションがダウンしたものの(※予選に通過したかどうかの発表はすぐには無いため)
一日に平均2回の通しは欠かさず行なっていました。
(ちなみに、まったく関係ない話ですが、この頃ゲームセンターのトレーディングカードゲームにはまりました:笑)

その頃になると、ドロップ回数もだいぶ減っており、少し余裕が出来たというのもあるんだと思います。

正直、ここまで練習をしたんだから予選通過はもとより、優勝も狙えるんではないかと思い込んでいたのも事実です。

メールにて予選通過者が送られてきました。

僕の名前が入っていたことも確認しましたが、それよりも、他の予選通過者の名前に戦慄したものです。

この前の年のJJFゲストパフォーマーであるKomei Aokiを筆頭に、
同年代のジャグラーであり、2001年に僕が初めてJJFに出場したときに2位を獲得している佐藤さん、
2006年、僕がJJFの予選に落選した年、シガーボックスで3位入賞を果たしているウイトウ君、
大学の後輩であり、成長著しいシガーボックス使い、大回転古谷、
当時から「やばい高校生がいる」という噂だった浦和新くん。

メンバーを見ながら、ぞくぞくした記憶があります。

それと同時に、「こうでなければ面白くない!」とも思ったものです。

不安こそありましたが、
ずっと集計してきたExcelの、これまで300回近く通してきた演技の「平均ドロップ回数」の値が2.000749回となっていることをしっかりと見返し、
堂々と演技をすればよいということを確認してJJFin神戸へと足を運びました。

因みに、その時に使ったExcelで作成したグラフがこちら。

これは全体の合計でしかありませんが、
これ以外にも失敗した個所を技別に集計したグラフや、体重の変化のグラフ(笑)なんかもありました。

2013/05/24

久々の「僕のジャグリング史」カテゴリの話で、
今回から3回かけて、JJF2008で3位という、僕の今までのジャグリング人生の
クライマックスとも言うべき4年間についての話をさせていただきたいと思います。

2005年にはじめてIJAのチャンピオンシップという、世界でもっとも権威のあるジャグリングの大会に挑み、
予選敗退をしてしまった僕は、2007年に再度チャンピオンシップに挑もうと、演技を一新することを決意します。

よし、まずは2006年のJJF(日本最大のジャグリングの祭典で行なわれる大会)を目指そうと、
この年東京開催のJJFの為に新しい演目を作って挑みます。

JJFのチャンピオンシップは、それまで出場者が少なく、
僕の記憶が正しければ2004年までは希望すれば誰でも出られたはず。
2005年より出場人数が多くなったのに伴い予選落選者が出るようになりました。

それでも、予選落選者は2005年はそうはいなかったはずで、
それなりの腕であることを自負していた僕は、2006年の予選も当然突破すると思って挑んだのですが、
結果は予選落選。

正直言って屈辱でした。

この年は、新鋭のシガーボックス使いが3位入賞をしたこともあり、
自分の技術の絶対な自信が、ガラガラと崩れ落ちる音を耳にしたような気がします。

いや、今振り返ってみれば、
本番になると極端に緊張してしまい、演技が崩れてしまうことや、あまり技の順を考えて組んでいないこと、
いくらでも理由は挙げられます。

しかし、当時の僕はそうは思わなかったし、
予選落選という結果に納得がいかない僕は、仲の良かったほかのサークルの先輩に
ものすごく愚痴をたらたらと言っていたもんでした。 (その節はすみませんでした……>K藤さん)

結局、2007年にIJAへ挑戦をしたのですが、
その年は、例年に無いくらいチャンピオンシップの出場者のレベルが高く、
(ジャグラー向けの情報→トーマス・ディーツ、ウェス・ペデン、ヴォヴァ・ガルチェンコ、マーカス・ファートナー、ピーター・アイリッシュなどが出場していた)
予選落選の結果にも「やっぱなぁ」というくらいにしか思えませんでした。

因みに、この頃から、ジャグリングの大会の予選はメディアの進化と審査員の負担軽減の目的から、
事前にDVDなどを送ってのビデオオーディション形式が取られるようになってきました。

JJFでは2007年に導入されたはずです。

ステージに立つと緊張してしまう僕にとっては、これはえらく有利であると思っていました。
ビデオ撮影でもある程度緊張はするものですが、一発勝負の予選会とは違い、
「何度でもやり直せる」ということから、精神的余裕ができるからです。

何度か予選のビデオを仲間と一緒に撮影し、かなり完成度の高いものが撮影できたのでそれを提出すると、
予想通り、この年は予選を通過しました。
(技術的には当時としては充分なレベルを持っていたわけですね。)
しかし、今度は、本番の演技がぼろぼろ。やはり後味の悪いものでした。

そういう意味で、この年もやはり「屈辱」を味わいました。

僕が最後にJJFの舞台に出たのは2002年のことで、
周囲の仲の良かったジャグラーが次々と結果を残していく中、自分ひとりだけが
取り残されているような、そんな気がして、
勿論「賞だけが全てではない」ということもわかっているつもりではあるのですが、
正直に書けば「悔しい」。その一言だけ。

何が悪いんだろうか?
いや、わかっているくせにそれを認めたくなかっただけでしょう。

ある日、偶然にも某イベントで、既に華々しくプロとして活躍していたシンクロニシティ(僕と同期のジャグラー。僕が初出場のJJFでチーム部門で金賞を受賞している)と出会いました。
「何が悪かったんやろうなぁ。」
「練習不足やろ。」
間髪をおかずにシンクロニシティのSヨシが答えました。

その一言、もしかすると何の気もなしにいった言葉なのかもしれないけれど、
「グサッ」という音とともに僕の心に突き刺さりました。

そう……確かにそれなりに練習はしていたつもりではあったけれど、本気で取り組んでいたかというと違う。
僕の場合は「練習」というよりは「遊び」。

2007年の優勝者、後輩のS(エス)は、演技を700回も通し練習をしたという話も聞いていました。
それを聞いたときは「はー、よくやるわぁ。」と思ったくらいですが、
まず、その時点で自分の不真面目さがわかります。

いったい僕はこの年何回練習したんだ?
どの技が苦手だという自己分析ができていたのか?

舞台の上に立つとあがってしまうというその精神の弱さ。
克服するために何かをしたのか?

「練習不足やろ」
その一言に、返す言葉がありませんでした。

そうか、僕は本気ではなかった。

今までずっと本気ではなかった。

これまで「遊び」としてしか考えていなかったジャグリングに対して、
真剣に取り組むようになった1年のスタート地点は、まさにこの日であったと思っています。

2013/05/01

「ワークショップ」という言葉が一般的にどういう意味で使われているのかということは、実はあまり意識したことが無いのですが、
wikipediaによると、「体験型講座」という意味らしいです。

ジャグリングにおいて、「ワークショップ」というと、
集団でジャグリングの技を教えてもらったり、演技の見せ方や立ち振る舞いをレクチャーしてもらえる、「体験型講座」以外にも、ジャグリングの理論などを勉強する完全な座学までも「ワークショップ」と言われています。
共通しているのは、一人ないしは数人講師(リーダー)がいて、その人の仕切りで進められることくらいでしょうか。

僕がジャグリングを始めた頃は、
まだ趣味としてのジャグリングというものが全然認知度が高くなく、
ワークショップは、単純に上手い人が上手くない人に技術的指導をするものが多かったです。
教えてもらえる内容も、
5つのボールの練習方法であったり、3つのボールの基本的なバリエーション技だったり。
今の我々に言わせると、「どこのジャグリングサークルに行っても教えてもらえるもの」
が中心だったわけです。

それでも、あまり「教えてくれるサークル」というものが多くなかった時代ですから、JJF(ジャパン・ジャグリング・フェスティバル。日本最大のジャグリングの祭典)などでワークショップを開催すれば、どのワークショップにも多くの人が集まってきたものです。

それ故、初期のJJFのワークショップは僕にとっては「既にできているもの」であったため、参加する機会はほとんどありませんでした。むしろ、イベントの主催側のスタッフでしたから、ワークショップのスケジュールを立てたりとか、講師側に回る役割の方が多かったかと。

そんな「ワークショップ」ですが、日本にジャグリングが広まり、色々なサークルに「教えることのできる人」が増えてきた結果、昔とはまるで違うものになってきました。
勿論、昔ならではの5つのボールのやり方や、3つのボールのバリエーションのような技術的なものもあるのですが、もっと局所的な、特徴のあるものに変わってきたな、と思います。

今人気のワークショップは、有名なジャグラーによる、その人のジャグリングを象徴する技にスポットをあてたワークショップです。
参加してみるとわかるのですが、技を教わるだけではなく、講師の人柄であるとか、ジャグリングに対する考え方に触れることができるものです。
特に、僕にとっては、その「その人のジャグリングに対する考え方に触れる」ことができる機会という意味で大変有意義であると思っております。

さて、
今まで色々なワークショップを受けてきた僕ですが、
そんな僕が受けたワークショップの中で、特に心に残っているワークショップがどんなものであったか、
というのが今回の記事です。

■ジャグリングクラブの歴史(2012年JJF 講師:Erik Åberg)
僕がこれまで受けたワークショップの中でNo.1と言っても過言ではないと思っているのがこれ。
実技一切無し、の完全な座学でしたが、間違いなくNo.1。

クラブというのはジャグリングではおなじみのボウリングのピンのような形をした道具なのですが、
このジャグリングの起源がどこで、ジャグリングの道具として発展していったのは
どういうルーツであったのか……という講義を、
様々な文献から調べたものとともに、写真をスクリーンに映して紹介するという講義でした。

それに依ると、クラブジャグリングの起源の一つは日本にあるんだとか……

会場に併設された大学の講義に使われるような部屋でワークショップが行われたのですが、
座席は本当にぎゅうぎゅう詰めでした。
座席も前の方から順に埋まっていきましたね。(そういう「前の方から埋まる講義」というものを僕は受けたことが無いのでとても新鮮でした。)

このワークショップが行われたのはJJFの3日目で、
僕は寝不足で体調が悪くて頭もガンガン痛んでいたのですが、
大学の講義では堂々と寝ていたこの僕が爛々と目が冴えわたって講義を聞いていましたよ。

本当に知的好奇心をそそる内容で、
別のジャグリングの道具の歴史もあるならば、是非ともまた開催してほしいと思います。

■3ボールと踊ろう(2009年JJF 講師:潮木祐太)
受講者に対してもともと大分レベルの高さを求めていましたが、
舞台の上での「自然な動き方」というものが何であるかということを考えさせられるワークショップでした。

内容としては、各種ボディースロー(足の下を通したり、背中の後ろを通したりする「体育会系」の技の総称)をした時の体の重心の偏りかたから、次の技へのつなぎと、その時体をどう動かせばよいかということを考えてジャグリングをしようよという話。
潮木さんという方は、まさにこのタイプの3ボールジャグラーとして名を馳せた方で、その潮木さんが、どういう考え方に基づいて自分のジャグリングを展開されているのかがすごく伝わってきました。
僕が「最近のワークショップは面白い」と感じはじめたのもこのワークショップがあったからじゃないかと思います。

■ボディースロー(2011年JJF 講師:山村佑里)
ちょっとタイトルは定かではありませんが、
足の下に始まり、背中の後ろ、肩を越える投げ方、首の後ろ、さらにはもっと難しい投げ方など、
多様なボディースローを徹底的にやるというもの。
このワークショップは前半部分と後半部分にわかれていて、
理由あって後半部分は参加できていなかったのですが、前半部分だけでも大変充実した内容でした。

このワークショップの良かったところは、各種ボディースローを1ボールからスタートさせた上、
なかなか上級者でもやることの少ないマニアックなボディースローも取り入れていたおかげで、
初心者から上級者まで誰もが取り組める内容であったことですね。

山村さんは今や日本を代表するジャグラーの一人ですが、
彼のジャグリングをとても細かいレベルにまで「素因数分解」をすると、
このような理論に基づくものなのかなぁという意味でも面白かったですね。

■3ボールカスケードとその応用(2001年? 講師:ジョン・ダニエル)
僕がまだ5ボールがようやっと安定してきたくらいのころに受けたワークショップ。
「カスケード」という技は、3ボールの最も基本的なパターンですが、
その技ができれば、ここまで表現が広がるよ、色々な見せ方ができるよ、
カスケードだけでもこういう動きをすれば難しくなるよ、というものでした。

今振り返ってみると、「同じ技でも、工夫次第でまったく違うものに見える」
ということを伝えたかったのではないかと。
(この一言にすると陳腐なイメージになってしまうのですが……)

その当時も大分「目から鱗が!!」というくらいに感銘を受けたワークショップでしたが、
今受けると、当時とは全く違う意味でさらなる感動を受けるのではないかなと思います。

因みに、講師のジョン・ダニエル氏。
たまたま京都にダンサーとして仕事があって来ていたらしく、
その当時からヨーロッパ界隈ではかなり有名なジャグラーだったそうで、
当時の我々はそのことを知る由も無く、
今思うと、奇跡のようなワークショップであったと思います。

うーん、言葉だけで
これらワークショップがどんなに素晴らしいものかということを伝えられないのが残念!

自分でも、
「ああ、竜半さんのワークショップは良かったなぁ」と
言ってもらえるようなワークショップができるような日が来るといいですねぇ。

2013/02/16

お久しぶりの投稿となってしまいました。

これまで”Junk Stage”では”Weekly writer”だったのですが、
仕事が忙しいのと、もう一つの理由があって(この記事で書きます)
更新頻度が落ちてしまいました。

まあ、今後も無理のない範囲で書いていこうと思いますので、どうぞお付き合いくださいませ。

「もう一つの理由」とは何か。
それは、ジャグリングが楽しくなったことだと思います。

「僕のジャグリング史」カテゴリでいずれ触れようと思っているのですが、
僕は2008年のJJF(日本最大のジャグリングの祭典)のチャンピオンシップで3位入賞、
2010年のIJA(国際ジャグリング協会主催のジャグリングのイベント)のチャンピオンシップ決勝出場、
と、ジャグリングを続けていくうちに目標となったものを達成してしまいました。

2008年のJJF入賞した後、急激にモチベーションが落ち、(完全燃焼したってやつでしょうか)
2010年のIJAを目指すにあたり一時的にモチベーションを立て直したものの、
その後はやはりモチベーションが落ちてしまい、昔ほどジャグリングが楽しいと思えなくなっていたと思います。

しかし、最近は本当にジャグリングが楽しくて仕方がありません。
ここ半年ほど、土日時間が空けば地元の大学のサークルに足を運び、守衛さんに顔を覚えられてしまったほど(笑)

クラブの腕が自分でもわかるほど成長していることと、シガーボックスの新しい領域が見えてきたことが
モチベーションを上げているもっとも大きな要因ではないかと。

しかし、そんな状態にもかかわらず、先々週あたりの練習に、少し集中力が途切れがちになってしまいました。

最近は、練習メニューを組んであり、
そのメニューをこなせば充分に充実した練習になるのですが……

そして、その夜はたと気づきました。
その練習メニューは半年近く使っていたものなのですが、
大分技の成功率が上がり、少しマンネリ化していたのです。

それゆえ、練習メニューの半分程度を変更し、
現在の僕のレベルでできそうな技よりも少し高い目標を設定することにしました。

そのメニューを眺めた時のモチベーションの高くなり方が凄かった。
「今すぐにこのメニューで練習したい」と思いましたもんね。

その練習メニューの改定により、またさらにモチベーションが高くなり、
この前の練習の楽しかったこと楽しかったこと。

いやー……
練習が楽しくて記事書いている時間がありませんよ(笑)

……っていう言い訳は駄目でしょうか?

2012/08/28

「僕のジャグリング史」カテゴリの話です。

少し時系列としては戻りますが、ジャグリング三昧だった大学を卒業し、地元静岡の企業に就職したそのすぐ後の話です。

地元と言っても、正確には静岡市出身であって、就職先は浜松市。
静岡には新幹線の駅が6つあり、大阪から東京に「青春18切符」なんかで行こうとすると、
静岡で心が折れるという話を良く聞くくらい静岡は横に広いので、実家からは若干距離はあります。

(とは言え、その気になればいつでも実家に帰ることが出来るし、
こっちには高校時代の友達も結構いたりするので、やはり「地元である」と思っています。)

しかし、静岡市にジャグリング(というか大道芸)のサークルがあることは知っていたのですが、
練習会は平日、そこまで練習をしに行くのは大変そうです。

東三河にジャグリングサークルが出来たということで、
日曜日などにそちらのサークルにお邪魔をさせていただくこともあったのですが、
車の持っていない僕を送迎するために往復をしていただいたりなどして、
本当に大変だったと思います……。

(その節は大変お世話になりました……>東三河投球連合の方々)

室内で練習することも出来なくはなかったのですが、
やはりサークルに所属して、どこかの体育館を借りた方が清々と練習が出来ます。

というわけで、地元でまずは体育館探しからです。
そうは言っても、浜松に来たばかりで浜松のことはまったく知らない。
当時住んでいた寮の寮母さんに聞いたところ、
「そういえば、この傍に公民館があって、体育館が併設されているわよ」
とのこと。

早速でかけて、交渉開始。
竜「すみません、こちらでジャグリングの練習をしたいのですが。」
*「ジャグリング? なんですかそれ?」

当時は今ほどジャグリングもメジャーではなく、こういった質問も日常茶飯事でございます。

竜「ええっと、大道芸でよくやられているようなやつで、お手玉みたいなやつとか、ボウリングのピンみたいなやつを投げるとか……」
*「ボールを投げるんですか?」
竜「ええ……まあ、投げますね。」
*「そうなんですか。うちは、壁とか床とかを大切にするので、そういうことはちょっと……」
竜「あ、いや、壁とかに向かって投げることはないです。お互いキャッチボールみたいなことはすることもあると思いますが……」
*「うーん、それはちょっとなぁ……定期的にやりたいんです?」
竜「ええ……できれば月1とかで。」
*「何曜日?」
竜「土曜日か日曜日なんですが……」
*「ああー、そういう時間帯は埋まっちゃいがちですねぇ。難しいなぁ。」

ここまで悪印象とは!

竜「えっと、メンバーにお願いして、壁とか床には投げないようにしますから。あと、道具も床が傷つく道具は使わないようにします。」

という約束を取り付け、「ホール」と呼ばれている集会場などに使われているところを予約しました。

次はメンバーです。公民館によると、このように場所を借りるには5人以上の団体でなければならないようです。
幸いなことに、僕のウェブサイト、「ドラゴンの挑戦」のBBSはまだ生きていましたので、(⇒まだ機能していたという意味。現在はもはや機能していない。)
「浜松でジャグリングサークルを作ります。興味のある方はぜひ連絡をください」
と告知してみたところ、なんと、5人から練習参加希望の連絡が。僕を含めて6人。
無事、このノルマはクリア。

最初の練習は、公民館側に配慮して「ボールだけ」という縛りで。
練習会初回は、前述した『東三河投球連合』の方々にも協力いただき、
全部で9人の練習会となりました。

当日は、僕は教える気満々で練習会に行ったのですが、
なんと9人中5人が5ボール練習中!
残りの人もジャグリングの基礎は出来上がっており、ほとんど僕が教えることはありませんでした。

そんなこんなで、月1で始まった練習会。
最初のうちは、中学生3人、社会人3人という6人での練習でした。

静岡では、どうしてもジャグリングというと「大道芸」のイメージが強いので、
「浜松【スポーツ】ジャグリングサークル」と、敢えて「スポーツ」という言葉をつけたのは
「ジャグリングをスポーツのように楽しむ集団だよ」という意図があってのことです。

愛称である「じゃぐなぎ」は、単純にジャグリングと、浜松の名物であるうなぎを組み合わせてできたものです。
こういう名前はシンプルな方が定着するもんです(笑)

我々が過激な(怪しい)集団ではないということも公民館側に理解してきてもらったようでしたので、
「クラブ(ボウリングのピンのような道具)は、先端にビニールテープなどを巻きつければ床に傷はつきませんから!」
「シガーボックスは、音はうるさいですが、保護テープは巻いてありますから!!」
と、徐々に使える道具を解除していきます。

中には途中で来なくなってしまった人もいますが、
同じ会社に入った、寮だと向かいの部屋の人がジャグリングをやっているということがわかったり、
豊橋からわざわざ車で参加してくれる人がいたり。
しばらく前のブログで話題にしましたが、「じゃぐなぎに参加するために」浜松の大学を選んでくれる人もいたり、と、
サークルの参加者も徐々に増えてきました。

そのうち、公民館側の方から、
「ホールを使うのは高いですから、体育館を使ってみてはどうでしょう?」
と、もっと安くて広い体育館を使うことを提案してもらえたり、あるいは、公民館の秋祭りに出演することになったり。

長年続けていれば、良好な関係も築ける、ということですね。

僕はいつも、ジャグリングサークルの告知をするとき、
「第○回練習会」という風に、今回の練習会が何回目なのかを記録していますが、
2012年7月現在、既にその練習回数は170回を超えました。
1年あたり、約22回くらいですから、1ヶ月に2回弱のペースですね。

現在のメンバーは常連がだいたい10人弱。
たまにしか来ない人を含めると20~30人くらいではないかなと思います。

サークル開設当初中学生だった子が、現在は大学生となり、それぞれの大学で活躍をしています。
そんな子達も、夏休みに浜松に帰ってくると、練習会に参加してくれるのはうれしい限りです。

2012/07/28

社会人になりまして、同期たちにも、自分がジャグリングをやっているということは言いふらしております。

最近はないのですが、社会人になって2~3年目くらいは、宴会をやるからちょっと出てくれないかという誘いがあったりしました。

ある日、同期から、
「今度、海外から人を招いてパーティーをやるが、余興担当として出てもらえないか?」という依頼がありました。

僕の英語力はTOEICで言えば600点に満たないぺーぺーです。正直自信のない旨伝えたところ、
「ああ、それは大丈夫。僕が通訳をやるからさ。」
海外からお客さんを招くだけあって、その人の英語力は完璧。
だいたいの台本も作り、普段より長時間かけて打ち合わせを行い、意気揚々と本番に臨んだのでした。

しかし。
実は、この公演はうまくいかなかったのです。
技は決まりましたが、やっぱり人前でやるショーって技だけじゃないんですよね。
勿論、技が決まれば凄いとは思ってくれると思うんですが。

僕がしゃべって通訳をしてもらうわけですが、時間にもテンションにもギャップがあって
なかなか思ったような反応をお客さんが返してくれないんです。普段だったら笑いを取れる個所も失笑だったりとか。

ショーが終わって、席に戻って、「良かったよ」とは言われるのですが、
正直消化不良。
「いやっ、普段はもっとできる子なんです!!」と、心からアピールしたかった。(笑)

その後も、やはり海外からこられたお客様の前でショーをやる機会というのは3~4回あったのですが、
やはり自分の口から英語で発言してショーを行った方が良いという結論。

やはり自分の口で説明すると思ったような反応を得やすいです。多少「えっ?」とか思われますけれどねぇ。
そんなわけで、最近はしっかりとショーで使いたいセリフは一通り英語でしゃべるよう、
事前に鏡に向かってちゃんと口で発音して通し練習をするようにしています。

そのお陰かどうか、アメリカにジャグリングの大会に参加しに行った時など、
フリーパフォーマンスなどで喋りながらショーをやる機会があったりしたのですが、
そういう状況でもあまり躊躇わずにショーをすることができるようになりました。
それどころか、多少アドリブもできるようになったりして。

これはショーをやる立場の人間としては一つの武器かもしれませんね。

TOEICはもうちょっと頑張って高い得点を取れるようにしておきたいです(笑)

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