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2011/05/21

 □平安貴族たちは、犬派?猫派?

諒からバトンタッチされて、一月半ぶりに戻って参りました、なおです。

突然ですが、皆さまは犬派ですか?それとも猫派ですか?

私なおは、かなりの犬好きなのですが諸事情でなかなか飼うことが出来ず、道で会うワンコを見つめて、目の保養をしています。(道行く人をじろじろ見たら失礼ですけれども、ワンコならいいですよね!?)

猫も結構好きで、道端で物憂げにしている猫なんかがいると、つい話しかけてしまったりします(我ながら、怪しい・・・)

犬も猫も好き、なんて言うと「それは、本当の犬好き(猫好き)ではない!!」なんて、言われてしまったりもするのですが・・・

さて、平安貴族たちが犬派だったか猫派だったか、と申しますと、彼らは断然、猫派でした

『源氏物語』愛読者の方は、真っ先に、若菜上巻の有名な場面を思い浮かべたのではないでしょうか。

光源氏の若くて高貴な妻、女三宮(おんなさんのみや)はある春の日、蹴鞠をする貴公子たちの前にその姿をさらしてしまうのですが、そのきっかけになったのが、女三宮のもとで飼われていた、子猫でした。

女三宮は、蹴鞠の様子を御簾の近くで眺めていたのですが(当時としては、とても不用心な行動だとされています)、ちいさな猫が、別のもう少し大きい猫に追いかけられたのに驚いて、御簾をめくりあげてしまったのです。

蹴鞠をしていた貴公子の中には、かねてから女三宮を慕っていた柏木(かしわぎ)と呼ばれる青年がいました。(通常だったら絶対見られないはずの)女三宮の姿を見てしまったことは、もちろん彼の恋心を、一段と燃え上がらせることになったわけです。

 悲劇的な恋のはじまりに、追いかけっこをする猫たちが描かれる・・・実に印象的な場面です。

このように、猫は『源氏物語』で活躍しており、注目度が高いのです。

(なお、古典文学に現れる猫について知りたい方は、色々文献はあるのですが、まずは是非、田中貴子著『鈴の音が聞こえる―猫の古典文学誌』(淡交社、2001)を手に取ってみてください。中世文学の研究者である田中貴子さんは高い学問性と分かりやすさを両立させた本をたくさん書いておられ、ファンも多いのですが、この本も一般の方にも読みやすい(かつ内容がしっかりとしている)一冊です。ご自身も大の猫好きを公言している著者の思い入れがたっぷりつまっていて、装丁も美しく、たくさん載せられている猫の絵(江戸時代のものが中心)も、もちろん内容も本当に楽しい本だったのですが、残念ながら絶版となってしまったようです。少し大きな図書館ででも、お探しください。)

□ワンコたちの出番 ①狩猟犬

では、犬はどうなのか・・・

先にも、述べました通り、平安貴族たちは、断然猫派、犬はなかなか活躍の場が与えられません。

『源氏物語』では、浮舟巻にほんのわずかな出番があるのみです。浮舟という女性が住まわされている宇治の邸のあたりを野犬がうろついていて、おそろしい声で吠える、という言及がちらりとあるのですが、これは犬を描こうとしたというよりは、宇治の邸の物寂しい様子を強調する文脈の中に、犬が用いられた、というのが正しいでしょう。

 犬好きの私としては、随分ひどい扱いだ!!と、憤慨したいところです。

でも、『源氏物語』で犬がこのように扱われているのは、仕方がない面もあるのです。

紐をつけられて室内で大切に飼われていた猫たち(当時の絵をみると、猫はたいてい紐付きです)と異なって、当時犬を人間と同じ生活空間で飼う習慣はなかったようです

(女三宮の猫は、唐からやってきた貴重な「唐猫」でした。詳しくは、河添房江著『光源氏が愛した王朝ブランド品』角川選書、2008がおすすめです)

 平安時代の文献に現れる犬で現在の「ペット犬」に近いのは、私が調べた範囲では、①狩猟犬、②野犬が人になついて可愛がられている、のどちらかが圧倒的に多いように思います。

 まず、狩猟犬ですがこれは文字通り、貴族が狩りを行う際に獲物を捕らえた犬たちです。狩猟犬には、舶来の犬もいました。淳和天皇(在位823~833)に渤海国から「契丹大犬」二匹とその子犬二匹が贈られているという記録があります(『類聚国史』)

淳和天皇は、この犬たちを連れて、早速鹿狩りに出かけたようですが、ワンコたちは、異国でとまどったのでしょうか、どうやらあまり活躍出来なかったようです。

 狩猟犬は、ペットではありませんが、丁重に扱われました。天皇の、それも外国からやってきた狩猟犬だったら、なおさらでしょう。ただ、ご主人自ら犬の世話をするようなことはなく、専門の「犬飼」(いぬかい)という従者が犬の世話や訓練を行っていました。

 

『大鏡』には、そんな犬飼がどのように犬を扱っていたかが、伺われる一節があります。

醍醐天皇が、大原野(現在の京都府西京区)に狩猟に出かけた時のことです。天皇の外出(行幸)ですから、お供(いわば「政府高官」のお歴々です)がたくさん供奉しているのですが、そのお供たちの誰かに仕えている犬飼の行動が、醍醐帝とその場にいた人々の注目を集めました。

なにがしといひし犬飼の、犬の前足を二つながら肩に引き越して、深き河の瀬渡りしこそ、行幸につかうまつりたまへる人々、さながら興じたまはぬなく、帝も、労ありげに思し召したる御気色にてこそ、見えおはしまししか。(引用は『新日本古典文学全集』)

(何某とかいった犬飼の、犬の前足を両方自分の肩にかけて(背負って)、深い桂川の瀬を渡ったことを、行幸にお供なさった人々、誰一人面白く御覧にならなかった方はなく、醍醐帝も、その犬飼を(犬飼の道に)熟練した者らしい、とお思いになったご様子にお見受けいたしました)

 

町を歩いていると、よく「抱っこ」されたままお散歩する犬を見かけます(最近では、「バギー」にお乗りになるお犬さまも!!)。

一体あれは、「犬の散歩」なんだろうか・・・と、考え込んでしまうのですが、ここに出てきたのは「おんぶ犬」です。

(「抱っこ」でなくて、「おんぶ」なのは、この時代、人(女性)を運ぶ場合でも「抱っこ」よりは「おんぶ」することが多かった、という事情によると思われます。)

もっとも、この猟犬が犬飼に甘えて「おんぶ」を要求したのではなく、これから狩猟で活躍しなければいけないのに、川の水に濡れて体調でも崩したら大変だと、犬飼の男が判断をして、背負うことにしたのでしょう。

そして、その判断こそが、帝を始めとする貴族たちをして、「さすが、犬飼の道を極めるべく、努力と工夫を重ねてきた者だ!」と感嘆させることになったのだと思われます。

もちろん、そのような庶民の努力をきちんと見ていて、ちゃんと評価出来る醍醐天皇の英明な君主ぶりこそが、この場面がもっとも強調したいことなのですが・・・

私は、どうしてもワンコの方に注目してしまいます。

前足二本、人の肩にかけて川を渡るワンコ・・・

可愛くて萌えませんか? 

(現在の、獣医学的には「犬をおんぶする」のは、やってはいけないことなんでしょうか?なんか、足が無理にひっぱられそうですよね・・・)

次回は、野犬が人になついて可愛がられている例として、清少納言と宮中に居着いていた犬「翁丸」との交流について、また、案外と平安時代にも現在の「ペット犬」のような生活をしていた犬がいたかもしれない、ということを書けたら、と思っております。

また読んでいただければ、幸に存じます。

それでは、次々週の担当、タモンにバトンいたします!!

2011/05/21 12:00 | なお(平安時代文学担当) | No Comments