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2013/12/01

更新が遅れまして申し訳ありません。なおです。

スタジオジブリの高畑勲監督作品「かぐや姫の物語」公開されましたね。

なおは、まだ観ることが出来ていないのですが、是非観に行きたいと思っています。

『竹取物語』は、古典の超入門の教材として、中学で冒頭の「今は昔、竹取の翁といふものありけり」の部分が良く扱われるのですが、全文を読んだ方は意外と少ないのではないかな、と思います。

どうせ、子供の頃に絵本で読んだ「かぐや姫」の物語だから、内容を知っているし、改めて読む必要はない、と軽んじられがちなのではないでしょうか。

しかし。あの『源氏物語』が「物語の出で来はじめの祖(おや)」と呼び、繰り返し引用しただけあって、『竹取物語』はすごいのです。読みやすい、短い物語ですから、機会がありましたら全文をじっくり味わってみてください。

細かいところの描写が面白いので、まずはそのあたりに注目して読んでも良いかもしれません。

ダジャレも満載です。
かぐや姫に天から迎えが来るのを阻止しようとする場面。帝が遣わした兵士は、

「かばかりして守る所に、蚊ばかり一つだにあらば、まづ射殺して、外に曝さむと思ひ侍る」(これほどまでして守るところに、蚊の一匹でも入れば、まず射殺して、見せしめとして外にさらそうと思っております)

なんて言います。「かばかり(これほどまでして)」と「蚊ばかり」が繰り返されるダジャレです。蚊を弓矢で「射殺す」ことなど出来そうにないですし、その蚊を外にさらしても、小さすぎて見えないですよね。そういう意味でもおかしみがある言葉です。

また、帝の兵士の助力を得て、強気になった翁は、

「御迎えに来む人をば、長き爪して、眼を掴み潰さむ。さが髪を取りて、かなぐり落とさむ。さが尻をかき出でて、ここらの公人に見せて、恥を見せむ」(お迎えに来る天人の眼を、長い爪で掴んで潰してやろう。そいつの髪をとって、引きずり落としてやろう。そいつの尻をむき出しにして、ここにいるたくさんの公人に見せて、恥をかかせてやろう)

と言ったりして、かぐや姫にたしなめられたりします。

ご存じの通り、翁たちの軍勢はあっさりと天人に負けて、かぐや姫は天上世界に連れ戻されてしまうのですから、このように翁や兵士が自信満々なのは、いかにも愚かで滑稽なことです。その滑稽さは、笑いを誘いますが、同時に無力さを自覚しない人間の愚かさ、哀れさをも描いているのだと言えましょう。

なにより、『竹取物語』の魅力の真骨頂は、この物語がこの地上世界を徹底して肯定していく物語であるということでしょう。

かぐや姫がもともと住んでいた天上世界は、清浄で永遠の命が与えられている場所なのだそうです。それゆえに、天人たちは「あはれ」という気持ちを持たない。
「あはれ」というのは一言では表現できないことばですが、心をゆさぶられること言うことばで、よろこびの場合にもかなしみの場合にも使われます。他者と共感できた時のよろこびや、他者をかわいそうに思う気持ちなども「あはれ」です。

この、「あはれ」は不完全な人間だから持ちうるということなのでしょう。

そして、かぐや姫は、清浄で永遠に生きられる天上世界よりも、命が有限で、人は不完全で時に愚かで、不浄のこの地上世界に留まりたいと願っています。これは、物語がこの地上世界を肯定しているということなのだと考えられています。

高畑勲監督の「かぐや姫の物語」がどのような物語なのか、まだ観られていない私は知りませんが、ウェブサイトには、「この世は生きるに値する」と高らかに掲げられています。きっと、『竹取物語』の一番肝心な、現世肯定的な態度が映画にも反映されているのではないかと、楽しみに観てくることにいたします。

2013/12/01 11:02 | なお(平安時代文学担当) | No Comments

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