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2013/10/31

「文系院生ってどんな生活してるの?」
と聞いてくれる方には、「売れない漫画家みたいな。」と答えることにしているなおです。

書いているもの(論文)が、掲載されるか分からない、金になるかも分からない(たいていなりません。その論文で賞でも取れば別ですが)、プロ(常勤の研究職に付くこと)になれるかはもっと分からない・・・・・・(嗚呼、書いていて胃がきりきりしてきました)

というあたりが、売れない漫画家と割と似ているんではないかと。

あとですね、〆切前の徹夜と修羅場。
これを全く経験せず、涼しい顔ですらすら論文を書くタイプ(超優等生型もしくは天才型)の研究者もいますが、なおは、〆切直前は血を見ます(汗)。

〆切前の修羅場のイメージが一番定着しているのは、漫画家さんじゃないでしょうか。でも、文系研究者(見習い)の修羅場も負けてませんよ(自慢にならない・・・)

もっとも、「文系院生の生活」を聞いて下さるかたは稀で、むしろいい年して学生をしているなおがよほどうさんくさいのか、「何年で卒業なさるの?」とか、「博士号はいつとるの?」とか、「いつ就職なさるの?」とか、(ご本人は無自覚でしょうが)「尋問」される方の方が多いです。
(ちなみに、前二つの答えは「博士論文が書き上がったら」、最後の答えは「運が良ければ」です・爆)。

もし、文系院生に遭遇することがあったら、あまり「博士論文はいつ出すの?」とか聞かないであげてください・・・「順調なペースで進んでいるので、来年には」と晴れ晴れと答えられる院生もいるでしょうが、なおのように、「・・・・・・」な院生も多いと思いますので。

さて、そんな修羅場の合間に、引きのばしていた、源氏研究者見習いの悩み(3)
「どうも、研究者は一般の方の知りたいことに答えていない、ような気がする・・・」
について書かせていただきます。

一般の方の期待と源氏研究者が提供できる情報のミスマッチ、これが起こるのはいくつかの原因があるように思います。

1.一般の方が求める事柄を、(実は)研究者は研究対象としていない。
2.一般の方が知りたいことは、(実は)答えが出ない可能性が高い。
3.一般の方に、フィクションと現実を混同した質問をされることが多い

1.は、とてもよくあるミスマッチだと思います。
学外の方や、勉強を始めたばかりの若い人達が知りたいと思われることの中には、実在の平安貴族の生活がどのようなものだったのか、ということが多く含まれるように思います。彼らの生活文化を再構築して見せて欲しい、ということですね。

彼らは、何を食べていたのか、何を着ていたのか、寝殿造の細部はどのようになっていたのか、彼らは何を考え、どんな社会的な制約の中で生きていたのか・・・

なおは、割とこの生活文化に関心がある方で、調べてみることもあるのですが、それを調べることが「文学研究」に繋がるんだろうか、と悩むことは多々あります。

平安期の貴族達の生活を知ることは、作品を読む助けにはなるけれども、そのこと自体が『源氏物語』を論じることにはならないからです。生活文化について徹底して調べれば、読み応えのある論文になるかもしれませんが、それでは文学の論文ではなくて生活文化の論文になります。

むしろ、調べる手間が多い割には、注釈の一部を改める程度のことにしかならない可能性が高い。

しかも、調べても分からないことが多い。平安期の建物や装束は残存していないですし、生活文化のような当時の貴族の「常識」がわざわざ書き残されることは少ないのです。

だから、細々とした彼らの生活の実態を調べるような研究は、最近あまり流行っていないように思います。

今は、「たくさん論文を書け!」という圧力がほうぼうからかかりがちです(質より量で判断されている気が・・・)特に若手は無駄な研究は出来ないので(就職かかってますから)、今後ますます、手間のかかる研究は減っていくだろうという気がします。

その結果として、専門外の方々が知りたいことに答えられないようになってしまうと、専門家の存在ってなんなんだろう・・・ということになりますが。

2.は文学研究は、結論を出すことだけを目的としているわけではない、ということが関わってくると思います。
「解釈学」である文学研究は、どういうプロセスで解釈していくか、が重要です。
そして、目の前にある材料から「解釈」出来ることしか、解釈しないのが原則です。

例えば、宇治十帖って紫式部以外の人が書いたんじゃないの!?
と聞かれることがあります。

答えとしては、「紫式部が書かなかったという積極的な理由はない」と言うしかありません。紫式部が書かなかったことを証明することは出来ないのですが、紫式部以外の人が書いたということを証明するほどの根拠もない。物語の舞台が違うから、仏教に傾斜しがちだから、等々いろいろ言われているようですが、山里を舞台とした物語は正篇でも夕霧巻に見られますし、仏教と救いの問題も正篇からすでに繰り返し取り上げられています。

むしろ、研究者たちは「宇治十帖の作者を特定する」というような答えの出ないことは、問題とせず、宇治十帖が内容的に正篇とどうつながり、どうつながらないのか、といった文学テキスト内部から証明出来る問題に向き合っています。

(これはちょっと以前、諒が、箸墓古墳が卑弥呼の墓か否かなんて、どうでも良いと言っていたことに重なるかもしれません。論理的な証明が不可能な問題には取り組まないのは、研究者の節度なのです)

また、「お歯黒っていつから始まったの?」などと質問をいただいても、お答えしづらいことが多いです。「いつから」と時期を区切れるものでもないですし、1でも書きましたが、文学研究者にとって、基本的には「お歯黒の文化史」のようなことは本来は、範疇外なんですよね・・・自分が解釈しようとしている場面にどうしても必要だったら調べますが・・・

とはいえ、なおは文化史的なことも嫌いじゃないですし、今後も機会があったら調べたことを報告したり、文化史的なことを基盤とした面白い文学研究を紹介していきたいです。

そして、一番多いのが3!
恋に殉じて死んでいく、柏木の物語などを読んだりすると、
「平安時代の男って、恋のせいで死んだり良くしていたの?」
と聞かれることが多いです。「虚構の世界ですから!!」とお答えするようにしています。

あるいは、「明石中宮が、宇治十帖になると急に家庭的になって、息子匂宮の行動を監視したりするのは、やっぱり正篇と作者が違うからなのでは?」
と、2と3の問題を組み合わせたような質問にもよく出会います。
光源氏の娘、明石中宮はもちろん生きた生身の人間ではないので、生き方・考え方などに必ずしも一貫性があるわけでもありませんし、すっごい脇役なので作者の都合で設定変更とかされやすい訳です。それを、作者の違いにもっていくのは、飛躍しすぎのように思います。

・・・とまあ、色々述べてきたのですが、私自身、「研究」を始める前の子供時代、紫の上ってきっとこういう人、と妄想したりするのが大好きでした。自分もいわゆる十二単を着て、作中人物と会話出来たらよいのに、と思うような、フィクションと現実の区別なんて全く付いていない子供だった訳です。

そういう少女時代の夢を大切にしつつ、でも研究者(見習い)としての良識も守りつつ、なんとか文学愛好者の方々、源氏愛好者の方々と研究者の間の橋渡しをしていけたらな、と思います。

長々とした愚痴を、3回に渡って掲載してしまい、どうも失礼しました。

2013/10/31 11:39 | なお(平安時代文学担当) | No Comments

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