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2013/08/31

 

こんにちは。タモンです。

 

大妖怪展@三井記念美術館に行ってきました。

この間、京極夏彦による「鬼縁」朗読を観ました。今年の夏は妖怪に縁があるかもしれません。

 

セッパツマッテイテモオモワズイッテシマウカナシサ。

 

展示の主な流れは四つです。

○浮世絵の妖怪

○鬼と妖怪

*鬼神(荒ぶる神の擬人化)、*天狗と山姥(異界の魔物)、*怨霊(人間の鬼神化・妖怪化)、*動物の妖怪(動物の擬人化、妖怪化)、*器物の妖怪(器物の擬人化、妖怪化)、*百鬼夜行

○江戸から明治の妖怪

*博物学的視点と娯楽的視点、*妖怪実録

○現代の妖怪画

*ゲゲゲの原画。水木しげるの世界

 

この他に、近世近代の妖怪研究者(平田篤胤、井上円了、柳田国男、江馬務)についてのパネル展示などがありました。浮世絵・絵巻・版本・能面、そして原画などによって、妖怪の系譜を辿るのが趣旨でした。おもに近世成立のものが多かったように思います。

 

闇や恐怖について考えた2時間でした。

タモンから見ると、これら化け物の絵はアニメや漫画みたいで、ちっとも恐くなかったです。鬼神の絵も。中世よりも江戸の方が現代に繋がる種が多いと思うのだけれど、江戸時代の人々は、これを見て「恐いな。不気味だな。怖ろしいな」と思ったのかなあ。不思議です。どれをとってもコミカルなんだもん。現代と江戸時代では現実とか闇に対する認識が違っていたのか。身近な存在である故の親しさなのか?畏怖の念?それとも大して変わらないのか?いや、うつつの視え方はたしかに違うと思うのだけれど、その差異をうまく説明できないな、と思った感じです。闇を戯画化したり、境界のものを実体化したりする作法は、あいまいなものに名前をつけることでもあって。名前をつけたらそれは、ひとつの存在になるわけで。でもそれはあいまいなものをあいまいにしておくための技術でもあったりする。闇や恐怖に向きあう親しみみたいなものが、現代では見えにくくなっているのかもしれないとも。現代だと、闇や恐怖を見つめると、共同体ではなく(家族もその対象でなくなってきている感じがします)、人間の「心」になってしまうからオーラなんかのスピリチュアルが人気でるのかもしれないなあとも思いました。

 

地獄って楽しそうだなあ。

 

2013/08/31 08:13 | タモン(中世文学担当) | No Comments

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