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2012/09/30

こんにちは。タモンです。

私は関東在住なのですが、これから台風が来るようです!

 

この間、ゲリラ豪雨に遭遇して全身濡れネズミになりました。

バケツをひっくり返したような雨だったので、傘を持っている人も雨宿りしていました。

そのなかを、……そのなかを!!、15分も歩いたんですよ!

……今日は、風も吹くのか。明日は晴れるかな。

 

さて、今日は小野小町伝説について書こうと思います。

 

小野小町は、クレオパトラ・楊貴妃とともに世界三大美人の一人として知られています。

クレオパトラはエジプトの女王でした。カエサルの愛人となり、彼の援助によって一度は追われた王位を回復させ、後、アントニウスというローマの将軍と結婚します。彼女の最期は、二番目の夫・アントニウスの敗戦の末の自殺を聞くと、毒蛇に身をかませて亡くなったと伝えられます。

 

楊貴妃は、玄宗皇帝の皇子、寿王瑁(まい)の妃でしたが、皇帝にみいだされ貴妃となりました。楊貴妃は、舞や音楽にすぐれ、また、聡明さゆえに皇帝の寵愛を一身に集めた。そのため政治が乱れ、「安祿山の乱」の際に殺されました。

 

クレオパトラと楊貴妃は、美貌と聡明さをあわせ持つ身分の高い女性です。

それゆえに、とでもいいましょうか、二人の最期は悲劇性を帯びています。

 

それでは、小野小町の最期はどうだったのかというと、よくわからない!!!というのが実情です。

 

しかし、中世から近世にかけて、小町にまつわる伝説は全国各地に多く生まれています。

小町にまつわる伝説は、本当に多いです。

それらは、中世にも、近世にも、近代になってからも作られていったと思います。

 

小町の史実を踏まえておくと、彼女は生まれた年も没年もわかっていません。

生まれも、名字から小野氏の出であることはわかりますが、詳しいことがはっきりわからないのが実情です(いろいろ推測はされてますけどね)。

 

はっきりしているのは、『古今和歌集』等の勅撰集に和歌が入集されていることなんですね。

 

『古今和歌集』に掲載された和歌が小町のイメージを形作る種になったようです。

小町が活躍した時期は、文徳・清和・陽成朝(八五〇~八八四)あたりと考えて良いようです。

 

小町は、情熱的で奔放な恋歌を詠む一方で、人生の儚さ、虚しさを詠む歌も詠みました。

 

小町の歌から、三首をご紹介したいと思います。

 

◆わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ(『古今集』雑下・九三八番歌)

(訳)私は、寂しく心細く、わが身を嘆いて失意の日々を送っておりますので、もし、真実、誘ってくださる方があったならば、浮草のように、わが身の根を絶ち切ってどこへでも行ってしまおうと思っております。そのような方がいらっしゃるでしょうか。

 

*この歌から喚起されるのは、流浪する女性のイメージといったところでしょうか。

 

◆みるめなきわが身をうらと知らねばや離れなで海人の足たゆくくる(『古今集』六二三番歌)

(訳)お逢いする気持ちがないわが身を、海松布(みるめ)が生えていない浦と同じだということをご存じないせいでしょうか。浦に通う漁師のように、足がだるくなるまで毎夜熱心に通ってらっしゃることよ。

*この歌には、男を拒絶する女性の態度が詠まれています。この歌で詠まれている女性像には、小町が男を拒絶する女性だというイメージの原型があるような気が私はします。

深草の少将の「百夜通い」の発想もこんな歌が源流にあるんじゃないかなぁ、と想像しています。

 

◆花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに(『古今集』春下・一一三番歌)

(訳)花の色はすっかりあせてしまったことよ。私があらぬ物思いにふけり外を眺めているうちに、花が春の長雨にうたれて散るように。

 

(註)(訳)は新編日本文学全集『古今和歌集』の現代語訳を引用した。

 

*この歌は、百人一首に入っているので小町の歌のなかで一番有名だと思います。「ふる」は「(時間が)経る」と「(花の色が)古る」、「ながめ」は「長雨」と「眺め」が掛詞になっています。

「花の色」は「花の美しさ」であり、「自分の美貌」の比喩です。

ここを解釈するとき、小町と詠まれている女性が同一視されてきました。

小町は自分が美人であることを暗に言っている「イヤミな女」である!という解釈がされることもありました。

いやーー、そう言われれば確かにそうなんですけど……。

 

最近では、この歌が『古今集』の「春」の部に入集されているので、「春」の歌であることに重きを置く解釈の方が優勢のような気がします!

 

前者のような解釈が伏流となって、中世では、零落した美女・色好みの美女といった小町のイメージを形作っていったのかもしれません。

 

ここで一回切りたいと思います。

次回は小野小町伝説の具体例を見ていきたいと思います。

 

それでは。

 

 

2012/09/30 06:35 | タモン(中世文学担当) | No Comments

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