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2012/08/31

こんにちは。諒です。

ああ…。

勉強が。勉強が進まない。

はたらけ、私の脳みそ。――いや、はたらいたところで高々知れたところではありますが。以上、近況報告でした。

 

普段、日本の神話とか伝説とか、上代の散文を読むことが多いと、つい忘れがちになっているのですが、実は風土記って文学史の中ではマイナーなんだよなー、と(つい数分前に)思いまして、今回は、風土記の話を書こうと決めました。(文学史とかを真面目にやっている方には不用な話ですが)

さて、「風土記」という語は普通名詞でありまして、「諸国の風土、伝説、風俗などを記した地誌」(日本国語大辞典)、つまり地方毎の情報をまとめたものです。(NHKの番組で「新・風土記紀行」とかありますよね)中国では六朝時代に「風土記」を書名とした地誌(例えば晉の『周処風土記』など)が存在したそうです。日本では、和銅6年(713:『古事記』が撰進された翌年)に風土記の「撰進の詔」が発せられ、それを受けて各国で自国の歴史や伝説、土地の状態などをまとめる事業が行われました。完成品は逐次朝廷に提出されたはずですが、多くは散逸の憂き目にあい、全体像を知ることはできません。

その中で、唯一完本の状態で伝わったのが『出雲国風土記』。それから、ある程度まとまった状態で残ったものが、常陸・播磨・肥前・豊後で編纂された四書です。他に、後の文献に引用されたために残ったものを「逸文」と呼びます。奈良時代に撰進された風土記は普通名詞と区別して、「古風土記」と呼ばれることもあります。

そんな風土記の、(私が、個人的に。)面白いと思うところなどを少し。

風土記は、執筆に際してどのような事を取り上げるか、一応の決まりごとはありましたが、各国がそれぞれの立場で記すものですので、地域性といったものがよく見られます。

例えば、『出雲国風土記』を読んでみると、誰もが不思議に思うことがあります。それは、記紀で出雲国の出来事として大きく取り上げられている、スサノヲのヤマタノヲロチ退治の神話が、風土記には見られないことです。このことは、スサノヲの神話が元来、出雲国で伝承されていた話ではない可能性が高いことを示します。風土記を通して、記紀神話の成り立ちを考えることができるのです。

『出雲風土記』にはスサノヲの神話は書かれていませんが、一方で記紀に見られない神々による神話が沢山、見られます。中でも興味深いのが、現在の島根半島を作り上げたという、ヤツカオミヅヌノミコトの「国引き神話」です。島根半島は、この神が初期の国土の小さいことを憂えて、新羅などから余っている土地を引っ張ってきて、縫い合わせたものなのだそうです。神が意宇(おう)という土地に、事業完了の標として立てた杖が木となって残っていると書かれてあります。このように、モニュメントを証拠として、土地の由来や特徴を語る、という方法が風土記にはよく見られます。そして、実はこの木、現在もかつての意宇の地(現在の松江市)に有るのです。その信憑性はともかく、伝説の力を考えさせられます。そう、ロマンです。

「国引き神話」などは、中央の歴史に決して記されることのない、現地で編纂されたものだからこそ残った神話です。風土記は神話・伝説の宝庫ですが、短編集のようなものなので読みにくいかもしれません。ただ、最近はテキスト類も充実してきているので、ぜひお手にとってみてください。自分の住んでいるところや旅先の土地の、意外な由来を発見できるかもしれません。

2012/08/31 09:09 | 諒(奈良時代までの上代文学担当) | No Comments

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