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2011/01/08

皆さま、遅ればせながら、新年おめでとうございます。

新年初回のコラムを担当させていただくなお(平安時代文学担当)です。

本年も、どうぞ当コラムをよろしくおねがいいたします。

  

お歳暮に始まって、クリスマス、お年賀……

年末年始は贈り物の多い季節です。社会生活を送る上での潤滑油ともいえる贈り物。その重要性が理解されているからこそ、今でもお歳暮などの習慣が続いているのでしょう。

読者の皆さまは、贈り物上手でしょうか?

それとも、贈り物に苦手意識をお持ちでしょうか?

かくいう私は、結構な「贈り物コンプレックス」の持ち主です。

まだ学生の身分のため、贈り物はほぼプライベートなものに限られるのですが、それでも、プレゼントを選ぶのは楽しみである反面、(出来ればセンスの悪い人と思われたくない、という少々の見栄もあって)いつも悩まされています。

また、贈り物はタイミングがとても重要、とよく言われますが、私は、このタイミングを逃して、残念なことになってしまう・・・ということが、よくあります。いくら素敵なプレゼントを用意しても、タイミングを逃すと良さが半減してしまいますよね。

時期を逸さず、適切かつ趣味の良いものを。

・・・・・・ずぼらな私には結構ハードルが高いです。

平安貴族たちのセンスのよさは訓練の賜物

さて、『源氏物語』をはじめとする平安文学作品を読んでいると、しばしば作中人物たちが贈り物を贈答する場面が出てきます。

そして、彼らの多くは本当に贈り物上手なのです!!

(もちろん、虚構のスーパーヒーロ光源氏をはじめとする登場人物たちの趣味が良いのは当然で、作者が理想的に描いたのだ! という面もありますが、実在した人物たちの贈り物の記録を見ても、概して平安貴族たちは「贈り物上手」といいうると思います)

では、なぜ彼らは「贈り物上手」だったのでしょうか?

人間関係がものすごく重要だったから、ではないか、と私なおは考えます。

では、なぜ人間関係がものすごく重要だったのか。

結論的に述べれば、平安時代がとても狭いコミュニティーだったことと、贈り物文化の洗練は無関係ではないように思います。

  

平安貴族社会の構成員が何人くらいだったか、というのは難しい問題です。

そもそも、どこまでを、「貴族」と呼んで区切るかが難しい(厳密に言えば貴族は三位以上の人々、ということになります。コラムの最後に注をつけましたので御覧下さい)。また、男性貴族の家族を把握するのは非常に困難です。現在と違って、戸籍による管理なども行われていません。夫婦関係も比較的流動的です。超上級貴族で記録が豊富に残っていたり、本人の日記が残っていたりすれば、家族が把握出来ますが、下級貴族になればなるほど、公式記録に残る本人のこと以外分からないのが実情です。ですから、例えば「従五位下藤原○○には、妻妾が△人、子供が□人」などと明確に言うことが出来ないのです。

それでも、おおよそのデータを算出してくれている本があります。

山口博『王朝貴族物語』(講談社現代新書、1994)によれば、天皇の側に侍る上流貴族の数はおおよそ50名~100名、国守など中流貴族を含めると150名~200名ほど、下級官僚も含めた律令国家に仕える官僚の総数は約1万人、家族を含めると約4万人ぐらいだろう、ということです。(『王朝貴族物語』は、平安貴族たちの実情を知りたい方におすすめしたい一冊です。「生身の人間」としての貴族たちの姿と生活がいきいきと解説されています。新書なので比較的手に入りやすいです。)

さすがに、上・中流貴族の家族の数までは示されていませんが、上記のデータを参考に考えてみましょう。

『源氏物語』に出てくる主要な人物は、ほとんどが三位以上の上流貴族とその家族ですが、中流貴族出身の重要な人物も登場します。(ほんのわずかですが、それ以下の階級に属する素性の知れない従者や侍女が活躍することもありますが、それはこの際無視することにしましょう。)

ですから、『源氏物語』の世界が想定するコミュニティーの構成員は、だいたい五位以上、多く見積もっても200名とその家族、ということになります。

 少なくありませんか?? 

しかも。

彼らは皆、「国家」という名の同一の勤め先に勤めているのです貴族の家に生まれた以上、律令国家での出世にいそしむ以外の選択肢はありません(離脱するには、出家するか死ぬかしかない)。女性の場合は、いかに良い相手(=出世の見込める相手)と結婚し、夫との継続的な関係を築き、子供を産んで、夫に重んぜられるか、が課題です。そして、夫婦関係が安定した後は、夫の出世、息子の出世、上流貴族であれば娘が後宮に入内し天皇の皇子を産むことが出来るか、などといった事柄が、彼女の社会的な地位を決めます。(中流貴族の娘であれば、紫式部がそうであったように、宮中や上流貴族の女房として出仕するという選択肢もあります。)

極論すれば、宮中で働く200名とその家族が、世界のすべてだ、ということになります(中流貴族は国守になって、地方に赴任することもありましたが)。

加えて、藤原氏による他氏排斥の結果、平安時代も中頃になると、彼らの多くが藤原氏、特に高位高官は、藤原氏の中で本流となった師輔の子孫たちが多くを占めるようになっていきます。(高位の子息は成人して出仕した時に、父親の身分に応じて高位が保証されるという優遇制度(蔭位の制・おんいのせい)があって有利だったのです)

想像してみてください。

社員200人程度の会社に一生勤めなければならず、外の世界が一切ない、という情況を。

家族も含めてみんな知り合い、お付き合いは、会社の人とその家族とのみ。社員の家族同士でしか結婚しないから、みんなどこかで縁戚関係が繋がっている・・・しかも、社長と縁戚関係をもった一族が、要職を独占している・・・という情況を。

・・・・・・辛いですよね、絶対。

狭い貴族社会で生きていくほか、選択肢はなく、右も左も知り合いばかり(知り合いといっても、女性の場合は屋敷の奥深くに暮らしていますから直接面識があることは稀です。が、和歌や贈り物の贈答などで人格や教養が推し量られます)・・・しかも、生まれによる階級も固定しつつある・・・。現在の私たちとは違って、平安貴族たちにはグローバリゼーションも価値観の多様性も関係なかったのですから、それが当たり前だと思って生活していたのでしょうが、そうであっても、人間関係の窮屈さは、やはり深刻だったろうと思います。

小さなコミュニティーですから、人間関係は密ですし、情報もすぐ伝わります。お屋敷の奥向きのことであっても、別々に出仕している侍女同士が姉妹だったり親戚だったり・・・(物語にありがちな設定です)

このようなわけで、貴族たち、特に人々の注目を集めやすい上級の貴族たちは、体面と貴族社会における評判にすごくこだわりました。そして、失敗をして皆に笑われること、最悪の場合貴族社会からのけ者にされることを、とても恐れていました。

それゆえに、日頃から人間関係を良好に保つための贈り物の贈答が欠かせなかったわけです。彼らは、頻繁に贈答を行い、「贈り慣れて」いた、といえます。

そして、送り主は、趣味の良い人、気の利いた人である、と認められることが重要でした。趣味の悪い人、と噂されてしまっては本末転倒です。

特別に素晴らしいセンスの持ち主、と賞賛されないまでも、絶対にセンスの悪い人とは思われないように、季節やシチュエーション、そしてなにより贈る相手に適した贈り物を用意することに心を砕くのです。また、贈り物は必ず和歌を添えて贈られましたから、その和歌にも工夫をこらしました。

また、先にも少し触れた通り、女性貴族の場合は夫や家族以外の人目に触れることを避けて生活していましたから、和歌が上手か、字が上手か、贈り物のセンスがあるかは、そのまま本人の評価に直結します。

このようにして、日々センスの良さが競われた結果が平安時代の贈り物文化の洗練に繋がったのではないか、と推察されるわけです。

贈り物に限らず、平安文化は、狭い貴族社会での「みやび」の競い合いによって、より成熟し洗練されたものとなった、といえるでしょう。もちろん、そこには注目を集めることの晴れがましさや、工夫をこらす喜びもあったでしょうが、同時にかなりの緊張を強いられたであろうことも、想像に難くありません。

「はなやか」で「みやび」な平安貴族文化ですが、その「はなやかさ」「みやび」の裏には、人々の並々ならぬ努力があったに違いないのです。

もっとも、『源氏物語』の登場人物の多くは「みやびの天才」とでも呼ぶべき、貴族が身につけるべき洗練を生まれながらに備えた理想的な貴族たちです(虚構ですから!!)。

とりわけスーパーセレブ光源氏は、努力とか根性とかいった、じめじめとした概念からは全く自由です(だからこそ、真に貴族的なわけですが)。

彼らは、実に軽やかに「みやび」を体現して見せてくれます。

次に、その具体例を『源氏物語』から見ていきたいのですが・・・・・・

長くなりすぎたので、一度ここで切ることにします。

変則的ですが、次回(来週)もなおの更新で、「贈り物上手な平安貴族たち②」をお届けいたします。光源氏や紫の上の「贈り物上手」ぶり、それから絶望的に「贈り物下手」な〝あの人〟のことも、ご紹介する予定です。御覧いただければ幸いです。

 平安貴族たちは、位によって序列が細かく定められていました。臣下で一番位の高い「一位」から最も位の低い「初位(そい)」まで、三十階あります(内訳は、一位から三位まで正・従(「従三位」など)があって六階、四位から八位は正・従を上・下に分けて二十階(「従四位上」など)、初位は大・小を上・下に分けて四階(「大初位下」など))。

この中で、律令が厳密に「貴」と定めるのは三位以上、四・五位は「通貴(つうき・「貴に通う」の意)」とされました。「貴族」を「貴」である人、とすると三位以上に限定されますが、通常は、下級官僚たちも含めた律令官僚とその家族を、広く「平安貴族」と呼ぶことが多いです。ただ、階級が低くなればなるほど、物語にも記録にも登場することが稀になりますから、「平安貴族」のイメージを形成するのは上・中流貴族が中心になりがちだ、ということは指摘できると思います。 

2011/01/08 08:39 | なお(平安時代文学担当) | No Comments

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