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2015/04/23

今回は、ユーミンのアルバム『昨晩お会いしましょう』(1981年発売)について綴らせていただきます。

当コラムでも何度か話題にさせていただいたことがあるのですが、実を言いますとぼくは、ユーミンから多大な影響を受けています。

ジャズだブラジル音楽だとか言いつつも…。

とは言っても、1985年発売の『DA・DI・DA』を最後に、オリジナルアルバムは買っていないのですが(それ以前の作品はすべて買いました。高校生の頃にこつこつと。それまででも通算17枚あったようです)。

で、件の『昨晩お会いしましょう』が、ぼくにとっての初めてのユーミンアルバムです。

中3でした。リアルタイムで買いました。

で、このアルバムでいたくユーミンを気に入り、そこから過去作品を買い始めたのです。

次に買ったアルバムが、1974年発売の『MISSLIM (ミスリム)』。

なぜこれにしたのかは不明です。何もわからないまま、レコード屋さんで大いに悩み、結局のところジャケが気に入った、というところだったように思います。

しかし、この『MISSLIM』、傑作です。

ナイスなチョイスでした。中3のおれ。

で、話を戻して『昨晩お会いしましょう』。

このアルバムで、ユーミンは初のアルバムチャート1位を獲得したそうです。

で、以後、1997年『Cowgirl Dreamin’』(28作目)まで、17年間、17枚連続で、最高位1位を獲得するという快挙を成し遂げた、とのことです。

ちなみにこの『昨晩お会いしましょう』には、角川映画『ねらわれた学園』(主演・薬師丸ひろ子)の主題歌として書き下ろされ先にシングルで発売されていた『守ってあげたい』が収録されています。

映画も大ヒット、シングルも大ヒット、そうしてこの『昨晩お会いしましょう』も大ヒット、そういう流れだったように記憶しています。

当時に買ったユーミンは、すべてLPレコードです(ちょうどCDが世に出た頃なのですが)。

で、レコードプレーヤーをお蔵入りさせて久しく、長い間ユーミンを聴いていなかったのですが、最近になってぽつぽつとCDで買い直したりしています。

厳密に言うと、荒井由実時代の作品は、20年くらい前に買い直していて、たまに聴いていました。

しかし、松任谷になられた以降の作品は、なぜか封印していて。

で、ここ最近になって急に、まあ気まぐれ的なものですが、松任谷時代の再研究を始めております。

この『昨晩お会いしましょう』も、半年くらい前に買い直してみた、という次第なのです。

いやはや、懐かしい。

そして、このアルバム、良いですね。

A面2曲目の『街角のペシミスト』の、ジェイク・H・コンセプション氏のサックスソロなんかも最高です。

佳曲ぞろいです。『カンナ8号線』、『A HAPPY NEW YEAR』とかも。

ところで。

このアルバムには、実は、苦い思い出もあるんですよ。

相当に苦い…。

中3の、太田祥三少年の、ほれたはれた系の話です。

ところでぼくは、お恥ずかしい話、まともに女性とお付き合いできたのは、24歳の頃が初なんです。

硬派だったので、女の子とどーのこーのなど、ちゃんちゃらおかしかったのです。

うそ。

恥ずかしくて、どーのこーのにトライできなかったのです。

それはまさに、中3の頃の、『昨晩お会いしましょう』に関したエピソードがトラウマになっていて…。

以下のような話です。

とある日、とある女子の友達がぼくに、こんな話をしてきました。

「○○ちゃんが、しょーちゃん(ぼく)のことを好きだって言ってたよ。いっちゃいなよ、いっちゃいなよ〜♪」

その○○ちゃんは、相当にかわいい子でした。

実を言うと他の子のことが好きだったのですが、その子のことも好きでした。

で、なんだかよくわからないけれども、ぼくのことを好きだと言ってくれるのなら、それは有り難いことなのではないかと、おーた少年は考えました。

(浅はかなおーた少年…)

でも、だからと言って、何をどーすればいいのかわからず。

付き合うってどんなことなのかもわからず。

でも、向こうがぼくのことを好きだと言ってくれているわけだから。

で、どーにかしなさいよ、と、友達もすすめてくれているわけだから。

で、おーた少年は、次のような行動に出ました。

最近買ったユーミンの新作『昨晩お会いしましょう』を、その子に貸そうと。

そして、そのLPレコードのケースの中に、ラブレターを仕込んだのです。

メモのような、手紙のような…。

(なんたる、あまずっぱさよ…)

ちなみに、ラブレターをしたためたのは、後にも先にもこの時きりです。

で、返事を待つ日々。

なかなか、LPは返ってきませんでした。

10日くらいしてからですかね、ようやく返ってきました。

家に帰って、中からLPを出し、返事を探しました。

ありました。

手紙的なものが出てきました。

…。

「私には好きな人がいる。だからしょーちゃんとは付き合えない。ごめんね」

…。

…。

…。

…。

(ま、まじですか…)

…。

押忍

2013/02/08

ふと気がついたら、こちらにコラムを掲載させていただくようになって、丸1年が経過いたしました。

試行錯誤でふらふらしながらですが、丸1年、月に4回の更新を守れてよかったです。

1度でもお読みいただけました皆さまに対し、心から御礼申し上げます。

ありがとうございます。

そして、今後とも当コラムをよろしくお願いいたします。

さて。

記念すべき1周年のコラムですので、記念碑的な内容にしてみたいと、気合い、マキシマムです…。

…。

そうだ、最近書いていなかったので、恋にまつわるお話でも(なぜ!?)。

…。

いってみます。

ところで、必要のない情報ですが、ぼくは初めて女性とお付き合いをしたのは、24歳のころなんですね。

基本、硬派なので、女子と仲良くするのが好きではなかったんです(83%、うそです)。

まあ、誰かを好きになっても、その人は他の男子のことを好いている、そんな青春でした。

あれは、大学2年生の頃だったでしょうか。

その頃、合奏団所属の、フルートを吹いている女子を好きになりました。

色白な、おしとやかな女子でした。

合奏団にかり出されて一緒に演奏したことがあります(ぼくはジャズ研所属でした)。応援団のイベントに合奏団が演奏参加することが年に1度あるんです。でその年、トランペットが少ないという理由でかり出されました。

何度か一緒に練習したりしているうちに、ぼくはその、フルートの女子に対して、密かに憧れを抱くようになりました。

合奏団のトランペット吹きの男子とは以前から面識がありました。中庭とかで練習していると彼も練習していて。

で、その彼に、そのフルートの女子のことを好きであることを打ち明けました。するとなんと、一緒に映画に行けることになったのです!(細かな経緯ははしょります…)。

いわゆる、デートです。

季節は冬でした。

プランを練り込みました。

同じクラスの石井君(彼は、『グルメぴあ』とかを熟読していて、いろいろと情報通でした。映画にも詳しかったです)に、どこでご飯を食べるべきか、今やっている映画で何がおもしろいか、ご教授を願いました。

彼がすすめる映画の中から、ぼくは『男と女の名誉』という作品をチョイスしました。

なんでも、マフィアに属している主人公が、とある女性と恋に落ち結婚するんですが、その女性は実はフリーランスの殺し屋で…、みたいな、B級ラブ・コメだったと思います(内容はまったく覚えていません。タイトルだけは忘れもしません。なので、今、ウィキペディアで調べました)。

いよいよデートの前日になりました。

深夜に帰宅したぼくは、翌日にデートを迎えるにあたり、「実はジャンバーが汚れているのではないか」と急に不安になりました。

表がデニム地で、裏地は毛、みたいなタイプだったと思います。貧乏でしたから、冬の上着はそれしか持っておらず、ぼくはそれを毎日着ていたわけです。

翌日の待ち合わせはお昼前くらいです。ジャンバーは厚手でしたが、まだ12時間くらいは猶予があるわけで、今からでも洗ったほうがいいんじゃね? と思い立ち、即コンビニへ走り「液体アクロン」を購入。

洗濯機は持っていませんでしたし、給湯もなかったのですが、バケツは持っていました。

バケツに水と「液体アクロン」を入れ、入念にもみ洗いしました。

ぼくは当時、なぜかアイロンは持っていました。朝になって乾いていなくても、アイロンで乾かせばいい。リスクヘッジは完ぺきでした。

朝が来ました。

どの程度まで乾いたかなと思いながら窓を開け、外に吊しておいたジャンバーを手にとりました。

…。

うすうす感づいている方も多いと思いますが…。

…。

かちんこちんに凍っているではないですか…。

乾くどころか、むしろマイナスの状態へと事態は進行していたのです…。

めまいがしてへたり込みそうになりましたが、とにかく最善を尽くすのみ…。

しかし…。

アイロンを使っても、『溶かす』のが精一杯…。

濡れたジャンバーを着て、待ち合わせ場所に向かいました。

ぼくの体が濡れていることを悟られてはいけません。

なので、接触プレーは御法度です。

よくよく見るとぼくの体からは「湯気」が立っていましたから、できたら視界にも入るべきではありません。

なので、歩くときは、常に半歩後ろにポジショニング…。

とりあえず、ご飯を食べて映画を観るというプログラムはまっとうしたものの、挙動不審のおーた青年に、その場を盛り上げられるわけもなく…。

…。

結局、それっきりです。もう会わせる顔もない…、そういう気分でした…。

…。

甘酸っぱいです…。

…。

JunkStage、寄稿1周年記念的な、なんとなくの大作がかけた気がします…。

今後とも、当コラムをよろしくお願いいたします。

押忍。

2013/01/18

今年の演奏上の課題は「本番で緊張しない」です。

(なんか、小学生っぽいですね…)

先日(1/14)ライブを行いました。そこでちょっとヒントをつかめたような気がして、今回はそれについて書かせていただきます。

ところで1/14といえば、関東地方に大雪が降った日です。

都内のライブハウス等のいくつかでも、公演が中止になっていたようです。

ぼくらが出たライブ会場は、仙川(京王線)にありました。京王線が止まっていないこともあり、ライブは決行されました。

しかし…。

ぼくらのバンドメンバーのうち、1名(ギター担当)が、JRの運休により会場入りできず…。

ライブ自体は決行でも、ぼくらは出演キャンセルすべきではないか、と考えました。

ご予約をいただいているお客様には、連絡を入れればまだ間に合う時間でした。

でも…。

会が決行される以上、そこに穴を開けることはできないという気持ちが強く…。

メンバーと相談して、それでもライブをやろうと決めました。ギターの不在を極力カバーすべく、ベースが出来る限り和音を出しなんとかサウンドを構築させよう。そして全員がそれぞれとにかく丁寧に自分の音を出そうと(これについては実は、声に出して確認しあっていません。みんなの目つきがそう言っていたように思います)。

ご予約をいただいていた方の半数以上からご予約キャンセルの連絡をいただいていました。ご無理はしないでくださいとこちらから連絡を入れたり、そのようにSNSで発信もしました。

それでも来てくれると言ってくださる方もいらっしゃいました…。

せっかく来ていただく方に大変な思いをさせて、しかも不完全な音を聴かせることになるわけです…。

ライブが終わって数日経って、改めて当日の演奏を聴いていますが、本来の音からしたら…。

返す返すも、当日足を運んでくださった方々に、申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちで一杯です…。

本当に申し訳ありませんでした…。

本当にありがとうございました。

ただ、この日は各人、とても良い演奏をしています。

みんなの責任感を感じます。

ぼく自身も完全に開き直れていました。それゆえに、緊張よりも、やるしかない、という気持ちで一杯でした。

あとからよくよく考えました。

この日のライブ前の心境は、『開き直り』というより、『覚悟が決まった』状態だったんです。

…。

約3年前、19年間務めていた会社を辞めようかどうしようか迷っていた時のことを思い出しました。

そこ頃、ほんの短い間ではあったんですが、仲良くさせてもらっていた1人の女性がいました(お付き合いをしていたわけではありません)。

昼間はOLをしながら、夜は水商売のアルバイトをして、そしてさらに時間をなんとか捻出してネイルの勉強をしている人でした。

一緒にご飯を食べた帰りの電車の中で、仕事を辞めようか悩んでいることを彼女に話してみました。

いろいろと気持ちや状況を話したあと、こう口にしました。

「勇気を出すのが難しい…」

そう言うと彼女はこう答えました。

「生きていく上で必要なのは、『勇気』ではなくて『覚悟』だと思う」

この言葉には、打ちのめされました…。

『覚悟』…。

以後、仕事を辞める『覚悟』があるのか自問自答し、結局覚悟を決めてその半年後に退職し、今に至っています。

それ以来『覚悟』が大事であることを肝に命じて生活してきたつもりだったんですが、演奏に臨むにあたって『覚悟を決める』という発想を持てていなかったように感じています。

1/14のライブでは、『覚悟』が決まっていました。

その結果、緊張よりも意欲だけが心にあって、そして、冷静に1つ1つの音を出すことができたような気がします。

もちろん、細かなミスは多々あり、そして技術不足も改めて重く感じています。

ラッパ1本の音でも納得させられる演奏ができなければだめだと改めて思っています。

ところで。

実は、もう1つ、ちょっと実験中なことがあります。それも試してみました。それについてはまた改めて書かせていただきたいと思っています。

しかし、そのことよりもやはりまずは、『覚悟』。

とても良い勉強ができました。

そして、重ね重ねになりますが…。

当日お越しくださいました皆さま、本当にありがとうございました!

押忍。

2012/02/05

ぼくが『多摩川園』駅のある街に住んでいたのは、大学を出てからの約2年半。

丸子橋のたもと近くで、毎晩、ラッパの練習をしていました。雨の日は、橋の下で練習をしました。できることなら、橋から外れたところで練習をしたかったんですけど。

橋の下は、まるでお風呂場で練習しているかのように音が響きます。これは練習環境としては望ましくない状態です。自分の音を客観的に聴くことができませんから。

河原は面白いですよ。時間帯によって、いろんな人が、何かしらの練習に訪れます。

夕方は吹奏楽部とおぼしき中・高生。夜が深まってくるとジャズマン。日付けが変わるころにはヘビメタのボーカリスト。そして明け方は浪曲を練習されるご老人…。

ヘビメタの兄ちゃんとかち合うと、げんなりしたものです。

彼は、橋の下で練習するのが好みのようで…。奇声がうるさい…。

さて。

前回のお話の続きです。

密かに(あからさまに?)恋心を抱いていた、小柄で、賢く、突っ込みがするどく、そしてつれない彼女とのその後です。

ぼくの風呂なしアパートでの、なぜかK谷くんも交えての食事会から数日経ったある日、普段はなかなか鳴ることのなかった部屋の電話が、またも唐突に鳴りました。

ガチャ「はい、おーたです」

「あ、おーたくん?」(うぉー!!! 彼女から電話が来るなんて、初やでぇ〜!!」

「どしたの?」

「うん、実は聞いておきたいことがあって…」(うっわー、なんだろこの低いテンション…)

「なに?」

「友達にね、おーたくんの部屋に遊びに行ったことを話したのね。そしたらその子にこう言われた…。『彼はあなたのことが好きに違いない。その気がないのにアパートに遊びに行ったりすることは、彼を傷付けることになる』みたいな…」

彼女は言葉を選びながら、ゆっくりと続けました。

「もしおーたくんの気持ちが、友達の言うとおりだとするなら、私はもう、おーたくんとは遊べない…。おーたくんの気持ちを教えてほしい…」

つらい電話でした。

それを言ったらすべてが終わるという状況の中で、ぼくは彼女が好きであることを伝えました…。

「まあ、それはそれとして、また時間が合ったりしたときは遊んでやってよ♪ ただ遊べたらそれでうれしいし。だから、元気出そー」

…。

元気を出したいのは、おれ自身や……。

さて…。

それ以後も、2、3度くらいは、彼女の家に電話をかけてみたと思います。

そして、大学を卒業して(バイトでも会わなくなって)2か月後くらいにやったぼくのバンドのライブに、彼女は一人で観に来てくれました。

出番が終わってから、六本木の喫茶店で軽くお茶をして、就職した会社のこととかを話したと思います。

それが、彼女と話をした最後になりました。

その場所でかかっていた、シンプリー・レッドの「If You Don’t Know Me By Now」を聴くと、今でも彼女のことを思い出しますね。

…。

そんなこんなでぼくは、今日もラッパを吹いて暮らしています。

2012/02/04

また今回も、青いお話を綴らせていただきますね。

大学卒業のころの話しです。

ぼくが通っていた大学は、練馬区にありました。

卒業を機にアパートを引き払い、『多摩川園』という駅がある街に引っ越しました(今、多摩川園駅は、多摩川、という駅名に変わっています。部屋は風呂なし、トイレ・台所共用)。

ラッパの練習場所を確保すべく、川の近くに住もうと考えたのです。

大学のそばに住み続け、練習は大学に忍び込んで行う、という手もあったのですが、ここは区切りをつけるべきと考え、遠いところに引っ越しすることにしました。大学生活があまりに楽しかったので、それを引きずるべきではないと…。あ、女子とどーのこーの、ということはほとんどない大学生活だったんですけどね。

さてさて。

今日のお話は、「多摩川園」に引っ越した当時の、甘酸っぱいお話です。

ところでぼくは、大学を卒業する年の秋から、とある編集プロダクションで週3のバイトをしていました(病院の宿直のバイトと掛け持ちで)。編集者見習いみたいな仕事でした。

そこに、週1でバイトに来ている女子大生がいました。女子大の中でもトップクラスの大学の、4年生でした。

小柄で、頭がよく、そして突っ込みが鋭く、かつ、つれない人でした。

それらは、すべて、ぼくの好みと合致しています。

なので、22歳のおーた青年は、その女子のことが大好きでした。

勇気を出して映画に誘ってみたこともあります。彼女は言いました。

「映画は観たいものがない。美術館になら行ってもいい。招待券が1枚あるから」

ぼくは喜々として美術館にお供させていただきました。彼女は招待券を持ってますんで、ぼくだけ当日券を買って入りました。すっげー人混みで、途中はぐれました。出口で奇跡的に再会でき、「あ、いたんだ」とか言われつつ、一緒にお茶とかさせていただきました。

そして、そろそろ卒業が近くなったころ(お互い、バイトをやめるのが間近になったころです)。

そのときは、ぼくはすでに多摩川園での生活を始めていました。

意を決して電話し(当時は家の電話です)、また遊ぼう、と投げかけました。
彼女は、こう返しました。

「そういえばこの前、東大生の男の子のアパートに遊びに行った。その子がご飯を作ってくれて、それが楽しかった。私、自宅だし、風呂なしアパートって珍しかったし。おーたくんもご飯を作ってくれるなら、アパートに遊びに行ってもいいよ」

きったっ〜!!!!!!!!(織田裕二×8倍くらいのテンションで)

ぼくは、いろいろな期待に胸を膨らませました。

とっておきの料理を振る舞おうと、即、書店に走りました。『クッキングパパ』という漫画本を購入し、その中にあまた掲載されている男の料理レシピから、博多名物『がめ煮』のヤングバージョン、『ヤングがめ煮』を作ることを決意しました。

ちなみに、当時のぼくは、博多とは縁もゆかりもありませんが。

コーラで煮込むというレシピの珍しさに「これで彼女のハートも鷲づかみできるのでは?」と妄想したわけです(…?)。

で、当日の昼。

唐突にぼくの部屋の電話が鳴りました。なんじゃらほい、と電話に出ると、大学の同級生(男子)K谷くんでした。

彼は、4月から大手証券会社への就職が決まっていて、住まいも会社の寮に入ることにしていたんですね。そして、卒業試験後、ひと月間くらいインドに旅行に行っていたんです。アパートを引き払って旅行に行っていました。

彼は電話でこう言いました。

「日本に帰ってきたのはいいが、就職までの間、寝泊まりする場所がない。毎日、いろんな人のところに泊めさせてもらっているんだが、今日だけはどーにもならない。最後の切り札でしょうちゃん(ぼくのことです)に電話した。なんとか今夜だけ泊めてくれないか」

いやいや、待てよ、と。

ぼくは事情を話し、今夜だけはキミを泊めるわけにはいかないんだよ、分かってくれ、と説明しました。しかし、彼は、とにかくどーにもならないんだ、もう頼れるのはぼくしかいないんだよと…。

そこまで言われるとしょうがなく…。

「分かったよ。でも、できるだけ遅い時間に来てくれ。遅ければ遅いほどいい。分かってくれるな」と…。

さて、夕方彼女はやってきました。ぼくは『ヤングがめ煮』を彼女の目の前で、一生懸命作っていました。

で、K谷…。7時前には、もうぼくんちに来やがりましたよ…。

友人に対して殺意を感じたのは、多分、あれが最初で最後でしょうね…。

3人で、『ヤングがめ煮』を食べました。

インドの土産話を満載してやってきたK谷の独壇場となりました…。

あー、長くなりすぎましたね…。

K谷は、ただの面白いやつですから、彼女が惚れてしまうこともあり得なかったんで、それはいいんですけど、これをきっかけに(K谷とは無関係に)ぼくの恋は急転します。

それは次回で…。

そんなこんなでぼくは、今日もラッパを吹いて暮らしています。

2012/02/03

正直に言いますね。ぼくは、ラッパを吹くことで、女子にモテたいと思っております。

うすうすお察しの方もいらっしゃるかもしれませんが、結果を出したことはありません…。

さて。

今日は、せっかく『青空にロングトーン』というコラムタイトルを付けておりますので、青空っぽい(青い)エピソードを紹介させていただきますね。

ライブの度、ぼくは好きな女子にライブ告知します。

もっとも悲しかったのは、20代前半だったでしょうか、よしこちゃんを誘ったときです。「クラブチッタ」という、割とメジャーな箱でのライブでした。

開演前に入り口あたりにいたら、向こうからよしこちゃんが登場! 「おーたく〜ん♪」

「おー、よしこちゃ〜ん♪」

「あ、これ、彼氏の○○くん〜♪」

「あ、そーなんだ。はじめまして〜♪」

…。

はじめまして、じゃねぇ…(涙)。。。。。

…。

次回からは、さらに切ないお話を、数回に渡って書かせていただきたいと思っております。

そんなこんなでぼくは、今日もラッパを吹いて暮らしています。