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2014/12/31

2012年の2月2日に初コラムを掲載させていただいて、早、概ね丸3年。

ここを1度でも訪れてくださいましたすべての皆さまに、心より御礼申し上げます。

ありがとうございました。

月に4コラム投稿を自らに課しております。

今年もなんとか、ノルマをまっとうできました。

ノルマは達成できましたが、クオリティ的にはしょぼしょぼでしたね…。

それなりに読み応えあるものを投稿しようとネタを絞りつつ、単に告知であったり活動報告であったりと…。

そして、最後の最後がこんな形で…。

ノルマ達成のためだけの回、的なタッチになってしまっています。

一応締めですので、今年のコラムの後日談的なことを綴らせください。

まずは…。

発端は昨年のことなのですが。

2013年の9月末から始めました禁煙、未だ継続中です(経過も何度かコラムにさせていただきました)。

正直、今でもまだ吸いたくなることがありますね。

行き詰まった時に吸いたくなります

タバコを吸う夢も、時々みます。

しかし、このまま続ける所存です。

高いから…。

あと、今年の8月の終わりに、部屋の2階に住む方が引っ越しされたことをコラムにさせていただきましたが、なんと、12月27日にようやく新たな方が引っ越されてきました。

どのような方かは不明です。男性か女性かも不明です。

ほぼ、丸4か月間も空き家でした。

ぼくの住んでいる物件、周辺の物件に比べて少々家賃が割高なのかもしれません…。

それはどうでもいいんですが、この4か月間、こちらの出す音で人様に迷惑をかけてしまうのでは…という心配をしなくて良くて、快適に練習できました(も消音器をつけてやっていますので、小さい音しか出ないのですが…)。

でも、その続編コラムで紹介いたしましたとおり、上に誰も住んでいないことを利用してこちらの音がどれほど上に聞こえるかをテストできました。

傾向と対策は万全ですので、今後は以前ほど気にしないで大丈夫です。

そして今年のコラムの中でぼく的にもっとも大きなテーマとなりました、バンドのボーカリストがバンドを卒業したことの後日談ですが…。

12月31日現在、新たな方を発表できるまでには至っておりません。

でも、それほど遠くないタイミングで、なんらか発表できるかな、という気もしております。

この件につきましては、しかるべきタイミングで、丁寧にご報告させていただきたいと考えております。

この3か月間、手を尽くして新たなシンガーを探しました。

有り難いことに、ぼくらのバンドで歌ってみたいと手を挙げてくださる方が何人もいらっしゃいました。

本当に、有り難い話です。

お問い合わせくださいました方々、スタジオまでご足労いただいて音合わせに臨んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。

さて。

来る2015年、さらなる飛躍をと、目論んでおります。

まずは、バンド活動のリスタートが最優先目標ですが、活動を再開させた暁には、本年同様ライブごとの自己ベスト更新を目指し、そして当バンドを気にいってくださる方を少しでも増やせるように、精進していきたいと思っております。

ではでは皆さま、良いお年をお迎えください。

2015年も当コラムを、何卒よろしくお願い申し上げます。

押忍。

2014/02/28

月末で、苦し紛れ感が強くて本当に恐縮なのですが、おまけ的な回ということでお許しください。

強引に後付けするなら、音楽をやるために東京に住んでいるという部分もなくはない、という広義な観点から、東京に寄せる思いを綴らせていただく…ということで…(言っていてちょっと恥ずかしくもありつつです…)。

なんて言うかあの…。ぼく、結構、東京が好きなんですよ。

で。

一番好きな街はどこですかと問われたら、新宿と答えます(って、そんなこと、聞かれることないけど…)。

東京に来て、そろそろ丸30年ですので、いろいろと思い出深いところとか、懐かしい場所もありますが、一番好きなのはどこかと言われたら、新宿なんですね。

特に西口が好きです。

ビル街が好きなんです。あの街並みの感じが好きなんです。

新宿には住んだこともないですし、学校や職場があったわけでもありません。

ですので、生活していた的な懐かしさはないんですが。

ぼくにとって新宿は、東京の玄関なんですね。その意味で特別な場所なんです。

昭和の歌謡曲で、「上野はおいらの心の駅だ」的な歌があったと思うんですが、北の方々にとっては上野駅が東京の玄関だったように、ぼくにとっては、新宿が東京の玄関だったんです。

ぼくは静岡の富士宮の出身です。

大学入学のために上京したわけですが、当時の東京へやってくる時のルートは、東海道線で小田原まで出て、そこから小田急で新宿へ、というのが常套ルートでした。

ちなみに今は、新幹線に「新富士駅」から乗り、品川まで来て、というのが常套ルートです。

なぜ当時、小田急を活用していたかというと、まだ「新富士駅」ができていなかったからです。

あ、でも在学中に出来てましたね。「新富士駅」。でも使っていませんでした。

小田急を経由するルートのほうが安上がりだったんです。

ロマンスカーを使ったとしても、国鉄と同じくらいだったような気がします(滅多にロマンスカーには乗りませんでしたが。でもたまに乗ると、わくわくしましたですね)。

で、小田原で乗り換えて、普通の急行で新宿に向かっていくと。

しばらくは、結構な山の中を走りますよね。

そして徐々に街になっていって、そのうち新宿のビルがちらほら見えたりするポイントがあったりしつつ…。

で、新宿に着いて駅を出ると、どかんと大都会…。

あー、東京に来たな、と、つくづく東京を感じました…。

ちなみに新宿は、それ以前の記憶の中でも、ちょろちょろと印象深いです。

遡ると、最初の新宿メモリーは、小学校の修学旅行ですね。

もう35年くらい前の記憶ですから、旅行自体の思い出はかなり薄いのですが、自分のおみやげとして買ってきた「絵はがきセット」が自分としてかなりのヒットで、ことあるごとに眺めては、旅の余韻に浸りながら、東京に憧れたものです。

で、「絵はがきセット」の中で一番好きだったのは、新宿のビル街のカードでした。

ちなみにその絵はがきセットは、それから半年後くらいに、人にあげてしまいます。

教育実習で来た先生に…。

どんな方なのかまったく覚えていませんが(女性だったのは確か)、お別れ会の時に何かをプレゼントしたいと考え、自分が大切にしているものをあげるべきではないかと考え、その「絵はがきセット」を差し上げたという次第です。

もらってうれしいか、かなり微妙ですよね…。恥ずかしいです…。

次の新宿の思い出は、高校一年の時です。

ぼくには姉貴が二人いて、下の姉貴が当時、東京で浪人をしていました。

彼女は美大志望で、それ的な予備校が東京にあり、そこに通うために東京で浪人をしていたんだと思います。

ってことを今思い出してみると、うちの両親、がんばっていたな…、と改めて敬服する次第ですが…(裕福な家庭ではなかったですから…)。

で、夏休みに、姉貴が新宿の喫茶店でバイトをしている、とのことで、そのバイト先が健全なのかどうかお袋が確認に行く、というのに付き合ったんですよ、確か。

東京のことは右も左も分からない親子で、新宿をうろつくのはハードルが高かったですね。確か。

その時も、コースはやっぱり、小田急で上京するコースでした。

そのバイト先も、新宿の西口エリアだったと記憶しています(太陽光がさんさんと降り注ぐ、明るい健全な喫茶店でした)。

とりとめがなくてすみません…。

47歳にもなって、つくづくナニなんですが、東京が好きな理由はやっぱり、何かができそうな気持ちになれるから、のような気もします。

昭和の人ならではの、古い感覚なんだとは思うのですが…。

最後に、昨年まで10年間住んでいたマンションからの眺めをご紹介させていただきます。

IMG_0692

環八の外側エリアでしたが、窓から新宿が見えたのが気に入って、その物件に決めたという部分もありました。

ちなみに今住んでいるところからは新宿は見えません(今は1階なので…。隣しか見えません…)。

ほんと、脈略がなくてすみません。月末の滑り込み感が…、もう…。

さてさて、ぼくが苦手としている冬もようやく終わりです。

3月は、より積極的な気持ちで過ごそうと思っています(東京で)。

皆さまも、充実した春をお過ごしください!

押忍

2013/08/28

最近は新たなテーマを持って日々ラッパの練習に取り組んでおります。

とても小さな注意点でして、しかしこれがやっかいなくせだったりして、なかなかうまくいきません。

そのことについて書こうかなとも思ったんですが、あまり広がらなさそうなので、今回はちょっと違う話を…。

前に、夏に寄せる思いを綴らせていただいたことがあるのですが、夏といえばきゅうり(まあ1年中あるわけですが、もっとも美味しいのは夏ではないかと…)。

今回は、きゅうりについて書かせていただきます(とっても唐突ですが…)。

ぼくはきゅうりが大好きなんです。

どれほどきゅうりが好きかについて書かせていただきますね。

ゆく夏を儚む気持ちを込めて…。

さて。

ぼくは子どもの頃からきゅうりが好きなのですが、自分ってこんなにもきゅうりが好きだったんだな…、とつくづく思った事件があるんです。

あれはぼくが25歳くらいの時でした。夏の話です。

ぼくは年に1、2回、実家に帰省します。

夏に帰省する場合は基本、お盆のあたりなのですが、その夏はお盆からちょっと外れた時期に、ふいに時間が空いたので急に思い立って帰省したんですね。

帰ると、実家にはくにのお袋だけしかいませんでした。

くにのお袋は、帰ってきた息子をもてなそうとしてくれました。

「何もないから、お肉屋さんに行って、お肉でも買ってこようかね」

「いや、わざわざ買いに行く必要もないよ。あるものでいい」

「じゃ、魚屋さんに行ってお刺身でも買ってこようかね」

「いや、わざわざ買いに行く必要もないよ。あるものでいい」

「じゃ、きゅうりでも切ろうかね」

…。

少々、愕然としました。

ぼくにとってのきゅうりって、お肉やお刺身と並ぶ存在なんだな、と。

もちろん、美味しくいただきました。

ちなみにきゅうりの食べ方ですが、ただお塩を少々振るだけでOKです。場合によっては、そのままでも構いません。

高校の頃とか、お腹が空いて冷蔵庫を漁り、きゅうりがあれば真っ先に食べてました。

ヘタの部分だけ包丁で切って、くりくりくりと切った部分をこするとアクが出てきますよね。

そのアクを洗い流したら、そのままぱくついてました。

ぼくがきゅうりがどれほど好きかについては、実はもう1つ逸話があります(って、どーでもいい話ですが…。って、そもそもがどーでもいい話なんですが…)。

それは、ぼくが乳児の頃まで遡ります。

ぼくは、予定日よりも半月くらい遅れて生まれたようなんですね。

ある程度お腹の中で育ってしまい、生まれたときの体重は3750gだったとのことです。

そして、乳離れが遅かったそうです。

このままではいけないと、くにのお袋は自分のお乳に『宇津救命丸』を付けて、息子がお乳を嫌がるように仕向けたそうな。

この作戦は、まんまと的中しました。

ところが…。

以後ぼくは、食べ物をまったく口にしなくなったとのことです。

唯一、きゅうりを除いて…。

離乳食が、ただひたすらきゅうりだったわけです。

それからみるみると体重は落ち、普通の乳児の体格に戻ったとのことです。

…。

先日、ラーメン屋さんで冷やし中華をいただきました。

きゅうりをほうばった瞬間、夏の香りを感じました。

やっぱり夏のきゅうりが一番美味しいですよね。

ほんと、どーでもいい話ですみません。

夏ももうすぐ終わりですね。

押忍

2013/06/30

日付が今日になってから、駆け込み3本目のコラムです。

最後はしっかりした内容で締めようと思ったのですが、とりとめのない雑感的な内容です…。

いつもは各種SNSで、新しいコラムをポストしたことをお知らせさせていただくのですが、これに関しては、人知れずこっそりとポストいたします…。

ところで、当コラムを担当させていただくようになって1年半が経過しました。

トランペットを吹いているところの太田祥三としてコラムを持たせていただいていることを、とても有り難く思っています。

トランペット奏者としてはまだまだ、まだまだ未熟で、無名です。

しかし、プロ意識を持って音楽に取り組みたいとも思っています。

そういう意味で、このコラムがぼくにアイデンティティを与えてくれているという部分もあります。

(ちょっとかっこをつけた表現をしてしまいました…。日本語として微妙な気持ちもしつつ…)

そして実は、当コラムを書くことが、トランペットの日々の練習にも役立っています。

奏法について、楽器自体のことについて、改めて見つめ直したり、調べてみたりして、「あ、そうだ」と気づけたことが何点かあるんです。

また、ぼくは実は本業がライターなんですね。カーオーディオやカーナビが専門分野です(クルマに関係のない仕事も少々ありますが…)。

当コラムを書くことが、文章の練習にもなっているんです(自分の中で…)。

そんなこんなで、ここで連載させていただくことが、いろいろとプラスになっております。

始めたことはできるだけ続けたいとも思っておりますし、7月からもまた、月に4本を達成すべく張り切って取り組みたいと思っております。

そういえば…。

今年に入ってからぼくのコラムの、当webマガジン内での人気ランキングが上がってきているとのことなんです。

ベスト10の上位をキープさせていただいております(最高3位です)。

(今月はこの体たらくですので、ランクを下げそうですが…)

お読みくださっている皆さまのおかげです。

励みになっております。

本当にありがとうございます。

役立つ要素の少ない当コラムですが、今後とも何卒よろしくお願いいたします。

今回もお読みいただきまして、本当にありがとうございました!

来月もよろしくお願いいたします!

押忍。

2013/05/11

「いつやるか。今でしょ!」

というフレーズが流行って、すでに流行りのピークを過ぎて久しい感がありますが…。

まあ、あの方の表情にインパクトがあって、ここまで流行ったのだとも思いつつですが、言葉に共感される方が多かったことも事実だと思います。

今さらながらに、この言葉の神髄について考えてみました(かなり今さらですが…)。

「明日からとか、来週からとか言ってないで、今からやりなさいよ」(「よ」を付けると、寅さんのセリフっぽくなるから不思議です…)というわけですが。

そのとおりだと思います。

といいつつ。

自分としては、むしろ、以下のように捉えています。

「今からでは遅い。昨日やらなかったんだから、10年前にやらなかったんだからもう遅い。とか言ってないで、今からでもやりなさい」

こう解釈して、今、この言葉をかみしめています。

(今回は、かなりショートですが、ここで終わらせていただきます)

押忍。

2012/02/12

今回は、プロフィール写真で、なぜサッカーのユニフォーム姿なのか、ということを説明させていただますね。

このユニフォームは、フランスリーグ(リーグ・アン)に所属する、オリンピック・マルセイユというチームの、15年くらい前のアウェイのユニフォームです。

って、そんな話はどーでもいいですね…。

ぼくは、ライブをするときは必ずサッカーのユニフォームを着ます。
上だけではなく、パンツもソックスも、そしてクツももちろんサッカーシューズです(スパイクではなく、フットサルシューズですが…)。

すね当ても入れています。ぼくはバンドのリーダーなので、キャプテンマークも巻きます。

ところで、今やっているバンド名は『3-4-3』と言います。3-4-3とは、サッカーのフォーメーションです。だからサッカーのユニフォームを着ている、かというと、むしろ逆です。

このバンドが活動を開始したのは、2002年の日韓W杯の前年(2001年、と言えばいいだけの話ですが…)ですが、ぼくは1998年フランス大会の2年くらい前から、ライブにはサッカーのユニフォームを着て演奏するようになりました。

で、2001年にバンドを組んだらたまたまサッカー好きが揃ったので、なら、バンド名もサッカーちなみでいいんじゃね? ということで『3-4-3』というバンド名にしたのです。

つまり、『3-4-3』だからサッカーのユニフォームを着るようになったのではなくて、ユニフォームを着ているからバンド名もサッカーちなみになった、という感じもあります。

もちろん、それだけでバンド名が『3-4-3』になったわけでもないです。

一応、ブラジルの音楽からインスパイアされたサウンドを標榜しているので、「ブラジルと言えばサッカー」という安易な発想で、サッカー用語からバンド名を探したという経緯もあります(オフィシャルには、これを最大の理由として説明しています。ちなみにブラジル代表は「4-4-2」というフォーメーションが基本戦術ですが…)。

というわけで、ここでの連載を始めさせていただくにあたり、「トランペット奏者」ということで始めさていただくのなら、『正装』の写真を載せさせていただきたかったんです。

…。

となると、なぜライブでサッカーのユニフォームを着ているか、この説明をさせていただく必要がありますね…。

…。

ごめんなさい…。ただ、サッカーが好きだから、です…。

お金をいただいてライブをやる以上、いつもと違う服でステージに立つべきだ、という思いがまずあり、しかしスーツとかは面倒だし…。おしゃれな服も持っていないし…。だったら、サッカーのユニフォームだな、と…。

なんか盛り上がりもなく、自己紹介に終始してしまいました…。

ところで、ぼくはサッカーは、体育の授業でしかやったことがないです。でも、静岡県出身です。静岡県人は、普通にサッカーを愛しています(県民すべてではないか…)。

というわけで、そんなこんなで、ぼくは今日もラッパを吹いて暮らしております(どんなこんなだよ…)。

2012/02/02

はじめまして! 45歳・男 太田祥三と申します。

ラッパを吹くことをライフワークとしております。ラッパとは、トランペットです。

小学4年生のときに、学校の「鼓笛隊」に入りラッパを始めました。しかし、中・高はやっておりません。本格的に始めたのは18歳の春。大学の「ジャズ研」に入部し、トランペットを希望しました。

今回は、自分にとってラッパとはどんな存在なのか、というテーマで書かせていただきたいと思います。

ラッパは、正直、つらい楽器です…。息が苦しいということではなくて、なかなか上達しないんですよ…(自分だけか…)。昨日は良い音がしていたはずなのに、なぜ今日は昨日のような音がでないのだろう…、と落ち込むことも多いです。本当に多いんです。

ジャズ研時代に読んだとあるジャズ専門誌で、若手トランペッターがインタビューに答えてこんなことを言っていました。

「日々の精神状態は、トランペットの調子に左右される。トランペットの調子がいいと心も晴れやかで、調子が悪いと暗い気持ちになる」

この言葉に、いたく共感した記憶があります。あー、プロでもそうなんだな…、と。

さて、『トランペットの調子』とは何を意味しているのでしょう。ずばり、「良い音が出るかどうか」ということにほかなりません。

「楽器が鳴るかどうか」と表現することもありますが、もちろん楽器自体のコンディションの問題ではないんです。さらに言うと、「耳で聴いて、その音が良いか悪いか」ということでもないんです。唇が「よく鳴っている」感覚、これがすなわち、『トランペットの調子』です。自分にしか分からない感覚なのかもしれません。人が聴いても、調子が悪い時の音と、良い時の音が、同じに聴こえることもあると思います…。

ところで。

トランペットは、分類でいったら「金管楽器」。しかし、サックスは「木管楽器」。ご存じでしたでしょうか。同じ「管楽器」なのですが、サックスは「金管」ではなく「木管」なのです。

その理由は、音を生み出す薄い板状のパーツ=「リード」が、木質材料で出来ているから、です(プラスチックや合成繊維の場合もありますが)。マウスピースにリードをセットし、そこに息を送り込みリードを震わせ、音を発生させているのです。サックスは。

しかしトランペットはリードを使用しません。マウスピースを当てた部分の唇を振動させて音を生み出します。人間の体の一部=唇が音の発生源である、というところが、トランペットの難しさを決定付けていると言っていいと思います。

サックス奏者は、音色の追求のためにリード選びにもこだわりますが、トランペット奏者は、唇を交換するわけにもいかず…。

そして、やっかいなことに、唇のコンディションは、毎日、一定ではないんですよね。練習をしすぎた翌日は、疲労からか、極端に調子が落ちたりしますし、睡眠時間が短かいことで調子が落ちることもあります。そして、理由も思い当たらないのに今日は絶不調、なんてことも多々ある、というわけなんです。

ライブの日に調子をピークに持っていこうと思っても、思惑通りにいかないことも多いですね…。唇のコンディションをコントロールすることが、本当に難しいんです。

練習を休むなんてのは、もってもほか。2、3日休めば、前の調子に戻すのに4、5日かかってしまいます。

毎日吹かないと調子は落ちます。しかし毎日吹いていても調子が悪い日がある。練習している自負があるのに調子が悪い日がやってきたりすると、ほんと、げんなりします…。

因果な楽器です…。

と、自分がなかなか上手くならないことに関しての言い訳が、すごく上手にできた気がします(そうでもないか…)。

そういうわけで、ぼくは基本、毎日練習をしたいと思っています。大学で始めてから、丸27年になりますが、もうちょっと上手くなりたい一心で続けてきました。そして、まだ上手くなっていないのに、今さらやめるわけにはいきません。死ぬまで上手くなり続ける、そして、死ぬ直前には、「あー、よくぞここまで上手くなれたものだ」と思って死にたい…(あんまり上手くならなかったな、と思って死んじゃったら嫌だけど…)。

ちなみに、これまでの活動遍歴はこんな感じです。ジャズをやっていたのは大学の4年間だけ。大学を出てからは、社会人をしながら、レゲエバンドに参加(ホーンセクションをやってました)、30歳くらいで新たにブラジル音楽のカバーバンドを始め(ボーカルなしの、ワンホーンのバンド)、その後、オリジナルポップスバンドに加わり(ボーカルありのワンホーンのバンド)、そして自分がリーダーのブラジル音楽に影響されたオリジナルポップスバンドを結成(このバンドも、ボーカルありのワンホーンのバンド)、というのが、活動遍歴です。今のバンドは、結成してから11年目を迎えました。

ボーカルのメロディに対してのカウンターメロディを吹くのではなく、コーラスのように吹く、ときには敢えてユニゾン(同じメロディを吹く)で、ということを独自のスタイルとして追求しております。

というとカッコつけすぎですね。

それしかできないんじぇね? と思われても返す言葉もない…、というのが実情でしょうか…。

まあ、細かいことはやらずとも、音に気持ちを込めることに専念してみよう、というところです。特に、長く伸ばす音を、いかに良い音で、そして気持ちを込めるか、ここに重きを置いています。ビブラートはかけません。ぼくがもっとも尊敬するトランペッター、マイルス・デイビスが、基本、ノンビブラートで吹くからです。

ちなみに、レゲエバンド時代には、一時代を築いた人気TV番組『イカ天』に、2度出演したことがあります(その週の1位になったこともあります。しかし、『キング』には破れ、翌週も出演することは叶いませんでした)。インディレーベルからCDも1枚出しました。そして現在のバンドでも、2011年の12月に、遂に自主レーベルを立ち上げ、8曲入りのミニアルバムを出しました(バンド名を『3-4-3』といいます。
http://www011.upp.so-net.ne.jp/ok3-4-3/

なんか、長くなってしまって申し訳ないです。ここまでお読みいただけたこと、深く感謝いたします。ありがとうございました。

とりあえず、これがぼくのざっとしたラッパ吹き人生遍歴です。

とにかく、調子の良い日を増やしたい、そして、もっともっと上手くなりたい、という気持ちは、昔も今も変わりません。むしろ、その気持ちは年々強くなっています。人生の残り時間が少なくなってきていますから、焦っているのかもしれません…(90歳くらいまで生きるつもりですが)。

さて、結論です。

ラッパの道は、厳しいです…。

でも、そこが楽しいんです。

ラッパは、ときにはぼくを突き放し、あるときはもっともぼくを喜ばせてくれる存在…、そんな感じです。