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「アイトニョロニョロケイ」と読みます。これが始まったのは1977年「愛と喝采の日々」からでした。シャーリー・マクレーンとアン・バンクロフトが芸達者ぶりを競うドラマ。原題はTURNING POINT(転換期)です。この後、シャーリー・マクレーンは「愛と追憶の日々」でオスカーを獲得。これ以降の彼女の芸風を決めたような作品です。原題はTERMS OF ENDEARMENT XXX。termは“言葉”とか“表現”という意味で、endearmentは“愛情表現”、Xは手紙の終わりに書くキスの代わりの印。これらをカタカナ邦題にすると、ターニング・ポイントはカーチェイスものっぽいし、タームズ・オブ・エンデアメントXXXはなんだか分からないけど、XXXは成人向けかと中途半端に誤解されそうです。直訳して「転換期」だの「愛の言葉たち」としても、どうせ内容は推察できない。そこで「喝采」=ステージ、「追憶」=思い出のイメージを入れて、生まれたのが愛とニョロニョロ系でしょう。この後も「愛と哀しみの果て」(原題OUT OF AFRICA=アフリカの日々)が、またオスカーで作品賞を獲ったりして、「愛と~」系の邦題は文芸作品の品質保証みたいなイメージが定着したような気がします。
この当時は他にも「愛と哀しみのボレロ」(1981)や「愛と青春の旅立ち」(1982)がありました。この2作も邦題が原題とは全然違います。「愛と哀しみのボレロ」は第二次大戦時から現代までのヨーロッパを舞台にした大河ドラマでフランス語の原題は「あの人達、この人達」みたいな意味(監督は「男と女」も撮ったクロード・ルルーシュ)。「愛と青春の旅立ち」は「士官と紳士」が原題です。邦題を決めるのは大変ですね。決まった邦題を見て、それを原題と比べてどうこう言うのは簡単ですが、最初に決めるのは、それこそ無限の発想から1つの邦題に絞り込むわけで大変な作業だと思います。
愛と~系タイトルを、さらにいくつか挙げると「愛と憎しみの伝説」(1981)MOMMIE DEAREST(=最も親愛なるお母さん)、「ベティ・ブルー/愛と激情の日々」(1986)BETTY BLUE(=英タイトル)、37-2 LE MATIN(=仏タイトル)このフランス語のタイトル「朝、摂氏37.2度」は女性が最も妊娠しやすい条件の事だそうで、「愛と激情」とは無縁です。さらに「愛と宿命の泉PartI/フロレット家のジャン」(1986)JEAN DE FLORETTE、「愛と宿命の泉PartII/泉のマノン」(1986)MANON DES SOURCES、「愛と哀しみの旅路」(1990)COME SEE THE PARADISE、「サウス・キャロライナ/愛と追憶の彼方」(1991)THE PRINCE OF TIDES、「愛と精霊の家」(1993)THE HOUSE OF THE SPIRITS。…「愛と○○の××」という文芸作品の品質保証マークの力がだんだん落ちてきた感じです。これは作品の質が落ちたという事ではなく、邦題を決める時に困った結果として安易に、愛とニョロニョロしてしまうという印象になっていったような気がします。
それでも、こうした邦題の傾向はほんのりと続くもののようです。たとえば「ピアノ・レッスン」(1993)THE PIANOと「戦場のピアニスト」(2002)THE PIANIST。ピアノに「レッスン」を付ける。ピアニストに「戦場の」を付ける。これらは“とりあえず”「愛と~」を付けようという発想と根底が似ている気がします。
さらに最近では「きみに読む物語」(2004)THE NOTEBOOK、「愛を読むひと」(2008)THE READERなどがありますが、これも邦題を決める時に、原題に1つ情報を加える感じで、似た系統の邦題だと思います。
こうした邦題の対極にあるのが、「ただカタカナにしました」系の邦題です。これは「ホワット・ライズ・ビニース」(2000)が代表例で、カタカナは読めても英語が苦手な人には、どんな話なのかさっぱり意味不明だったり、「レディ・イン・ザ・ウォーター」(2006)のように、意味は分かるには分かるけど、ひねりがなさ過ぎるタイトルの事です。
ちなみにM・ナイト・シャマランの監督作は「シックス・センス」、「アンブレイカブル」、「サイン」、「ヴィレッジ」、「レディ・イン・ザ・ウォーター」、「ハプニング」と、劇場公開作は全部カタカナです。
…邦題の変遷を考えると、とりとめもない話になってしまいます。それでも最後に強引に統計を取ってみました。アカデミー作品賞を獲った作品の邦題の漢字とひらがなの年代別の比較です。
1920年代から30年代の12回分の合計で漢字の数は33。ひらがなは14。40年代の10回では漢字が21にひらがな15。50年代は漢字26、ひらがな14。60年代は漢字17、ひらがな16。こうして徐々に漢字が減り、70年代には漢字7、ひらがな3にまで落ち込みます。しかし80年代には漢字13、ひらがな7。90年代は漢字10にひらがな12と持ち直します。そして2000年代はまだ9回分ですが、これまで「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」以外は漢字もひらがなもゼロです。読みにくい統計ですが、カタカナのタイトルが増えたという事です。
いずれにせよ、邦題の良し悪しをいくら話しても、それは主観の問題なので意味はありません。ここから本当に強引に結論です。情報を足しすぎると陳腐になっていくし、引きすぎると味気なくなるのは邦題に限らず、字幕も同じ。
結局、字幕は「何も足さない。何も引かない」が理想なのです。
え?今回のコラムって、そういう話だったの!?(汗)
リスさんへ
初めまして。コメントありがとうございます。
気持ちよくスッと心に入っていく字幕になっていてよかったです。
字幕を作っている時、こちらももちろんそれを意識していますので、
そう言ってもらえると本当にうれしいです。
マイケル・ジャクソンの字幕の入った他の映像作品も、早くきれいに
なるといいと思います。
字幕は映像作品の補助的要素でしかないのに、その作品の見方の
方向付けまでしてしまい得るものです。
ICING ON THE CAKEのようなものでもあります。多くの材料を
使って、おいしく出来上がったのに、最後の仕上げがマズいと、
味まで変わってしまうような…。
その意味で、その映像を作り上げた全ての人に敬意を払いつつ、
しっかり仕事をしていきたいと思っています。
うれしいコメントを、本当にどうもありがとうございます。
落合
はじめまして。
コラムと関係のないコメントをお許しください。
最近、マイケルジャクソンのDVD「ムーンウォーカー」を購入したものです。
彼の他のDVDも購入したのですが、その字幕がどれも首をかしげるものばかりで
がっかりしていたところ、ムーンウォーカーで落合さんの字幕に出会いました。
「簡潔で的確」すごく気持ちのいい字幕で、スッと心に入ってきました。
この気持ちを伝えたかったのですが、方法が分からず
いろいろ探しているうちにこのサイトを見つけ、
書く場所間違ってるよなと思いながら、こちらにコメントさせていただきました。
すいませんでした。
これからも落合さんの字幕に注目していきたいと思っています。
ありがとうございました。