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初回2009/12/22(火)深夜1:15 リピート2010/2/8(月)深夜3:00 4/29(木)午後3:00@WOWOW
また「洋楽ライブ伝説」からの1本です。アンディ・ウォーホルが応援したバンド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのヴォーカル。そして名盤“トランスフォーマー”を1972年にリリースしたアーティスト、ルー・リード。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは商業的には成功せず、マネージメントとの関係悪化からバンドを脱退したルー。ニューヨーク出身の彼は落胆したままロンドンに渡ります。そこで彼を迎えたのがルーのフォロワーだったデヴィッド・ボウイ。ルーより先にロンドンで商業的に成功していたボウイがプロデュースする事になったのが“トランスフォーマー”でした。ボウイ自身も「フォロワーだった僕が彼のアルバムをプロデュースするなんて、畏れ多くて…」と語っています。
そんな彼の2000年のライブがOAされます。これはDVDでも発売されていますが、OA版を翻訳しました。翻訳したんですが、字幕は6枚。(放送時間は1時間弱です。)
ちなみにDVD版は2時間以上ありますが字幕は1枚も入っていません。これは不親切なのではなく、このライブは特にMCがないのです。(とはいえ、終盤でメンバー紹介があった気がします。そこは字幕が必要な感じではありましたが、とにかくDVD版の方は僕は無関係なので…。)
で、1時間版の方にどんな字幕が入ったかというと…。全部書いちゃいます。
12分台「違う」「なに?」
14分台「どう思う?」「半々か」
25分台「いいぞ フェルナンド」「音を増やそう」
以上です。「これじゃ無くてもいい!」という判断もアリだと思います。ええ。僕としてもクライアントにそう提案しました。最初の4枚の字幕は歌っている曲の歌詞に対する観客の反応を聞くような言葉です。後の2枚は演奏中の合いの手のようなものです。もし1時間のうちに後の2枚だけなら字幕を入れなくても大丈夫だったでしょう。逆に最初の4枚だけなら、それも入れなくてもよかったでしょう。そう考えると6枚とも入れなくてもいいか…。と、色々考えました。「入れる…」「入れない…」「いや、入れる」「いや、入れない…。」
本当にかなり悩みました。何が一番いいのかな…?ひとまず最終判断はクライアントに任せる形で、通常の字幕なら「入れる」に該当するものが6枚あると伝え、内容も説明したのです。そこでクライアントの答えは…。
「6枚全部入れました」でした。最初の4枚は歌詞を訳していないと観客に何を問いかけているのか分からないけれど、音として明らかに何か観客に話しかけている。何を言っているのか分からないと気持ち悪い。というわけです。そこで4枚を入れるなら、後の2枚も入れる。という判断でした。
正論だと思います。でも、歌詞を訳していないのだから、その問いかけが分かってもやっぱり気持ち悪いんですが。
現在も音楽ソフトや音楽の映像作品は、オペラ(歌劇)は別として、歌詞に字幕を入れない事が大半です。これがこのライブの場合、根本的な問題になります。(映画の場合も挿入曲に字幕を入れない事が多いのですが、これももったいないんですよね…。)
「それじゃ歌詞に字幕を入れろ~」と言いたくなる人も多いはずです。僕も賛成ですが、いわゆる対訳をそのまま使う場合、権利をクリアーするのが大変とか、対訳と字幕が大幅に変わると困るとか(たとえば対訳では男性を主格にして訳していたのが、ドラマの挿入曲として使うと女性が主格になる、とかもあります)、それから「メロディを楽しむ音楽なのに文字まで読ませると楽しくなくなる」という考え方もあり得るし。まあ、色々「大人の事情」で歌詞には字幕が入らない事が多いのです。
字幕演出家として仕事を増やしたいから言うわけではありませんが、歌詞にも字幕を入れるようにしたら、洋楽ファンは再び増えるでしょう。ライブなどの映像ソフトも改めて評価されるはず…。映画の場合も、より有機的に作品がつながる事の方が多いし。
…。という事で、このルー・リードのライブは字幕6枚だけですが、入ってます。
彼についてはクラシック・アルバム「トランスフォーマー」を以前訳しました。
この中で彼は言います。「レコードには 短い時間が記録される」「それは二度と戻らない 貴重な時間だ」「芝居と同じさ」。
これは僕には名言です。字幕もじつは同じだと思うのです。ソフト化され後々残っていくものなので、普通は発想が逆だと思いますが、それが逆なのです。(先日、バーブラ・ストライサンドの件で書いた間違いのように)記録され残っていくものは、やり直す事ができません。今こうして書いているコラムは誤植があればアップした後でも訂正できます。書いた内容が気に入らなければ後になって消す事もできます。でも市場に出回った後の字幕は消す事も書き直す事もできない。送り手側からすると、アルバムなりビデオなり記録媒体を使って世に出すものも(映画も)、じつは芝居と同じ、一発勝負なのです。(受け手の側から見れば、芝居はまさに一発勝負で見逃せないけれど、記録された作品は何度も見直せますから。)その意味でルーの言葉は僕の中で重く響きます。
ところで、このクラシック・アルバムというDVD(ビデオ)のシリーズは興味深いラインナップが揃っています。どのタイトルでもアルバム制作に関わった当事者が当時を語る部分が多く、「トランスフォーマー」の場合も、アンディ・ウォーホル自身がヴェルヴェッツについて語る当時の映像が入っていたり(ウォーホルは「絵の力を信じられなくなり 音楽と芸術を融合させる実験をしたい」と言って彼らを応援しました。)、時代考証的な楽しみも満載です。
このシリーズも追々紹介していきたいと思います。ニルヴァーナの“ネヴァーマインド”、先日書いたザ・バンドの“ザ・バンド”、アイアン・メイデンの“悪魔の刻印”、メタリカのブラックアルバム、エルトン・ジョンの“グッバイ・イエロー・ブリック・ロード”、セックス・ピストルズの“勝手にしやがれ”…。どれも興味深い作品ばかりです。
こうして自分が作った字幕をコラムで語るというのも、ルーの言葉を借りれば「字幕だって芝居と同じさ」になるからなのかな…。その時々で精一杯の仕事をして、(間違いも時々混ざるけど)それを少しでも多くの人に見てもらいたいから。