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@allcinema
Crimewave(1985) @IMDB
「スパイダーマン」シリーズのサム・ライミ監督の2作目。脚本は彼とコーエン兄弟。カッ飛ばしてくれます。このソフトですが、制作会社が倒産した結果、ネガが行方不明になってしまっているそうです。先日書いた「死刑執行人もまた死す」は配給会社の倒産時、フィルムだけは処分されないようにと、当時の社長が懸命に守ったため今もフィルム上映の機会があります。ネガが行方不明というのはかなり深刻ですが、とにかくソフト化できた事は、やはり歓迎すべき事でしょう。
この作品はホラーチックなスクリューボールコメディとでもいうか、展開がハチャメチャな奇想天外な物語です。それを楽しく見られるのは、細かく書き込まれた脚本があってこそです。
たとえば死刑直前の主人公が無実を訴え、事件当夜の回想に場面転換する彼のセリフ。
事件があった日
僕は通りの向かいで
夫妻の家に
監視カメラを設置してた
ここでは「事件があった日」で時間を特定させ、「通りの向かい」で彼が勤める会社と働いている現場の位置関係を特定し、さらに「夫妻の家」の場所の位置関係も伝え、後に頻繁に使われる小道具である「監視カメラ」の存在を強調しています。
この2枚の字幕を出せる時間は合わせて7秒。どの情報も作品の中では意味のある部品です。
どれか1つ情報を落としてよければ字幕にするのが簡単になりますが、脚本がガッチリ組まれているので、残念ながらそうはいきません。(それでも「アパート」を「家」にしたり、文字数は減らしていたりします。)
様々な登場人物の動きを分かりやすくするために、この作品の背景の位置関係をさりげなく観客に伝え、監視カメラに至っては、回想場面の最初で主人公が映り具合を調整している機械そのものなので、セリフが場面転換のキーワードにもなっています。
ここでジレンマが生まれます。情報を1つか2つ落としてしまって文字数を減らし、雰囲気でストーリーが分かるようにするか、少し読むのが大変でも、原語の情報を全て観客に伝えるか。
このジレンマは字幕翻訳をしていて常に付きまとうものですが、答えも常に1つです。できるだけ多くの原語の情報を伝えるために字幕はあるのです。登場人物の個性を出す言い回しを考えるのは二の次。必要な情報を伝えられて、それでも余力がある場合に加えるニュアンスです。
特に脚本がしっかり書けている作品の場合、余力はほとんどなくなってしまいます。ただ、それでも脚本自体のよさが伝われば、結果的によりオリジナルに近い作品鑑賞になり、楽しめます。
と、色々偉そうに書いているのは理屈で、実際にそれを実践するのは大変なのですが、洋画離れ、字幕離れが進んでいる今、考えるべき事の1つだと思います。
字幕を読むのは面倒だとか疲れるというのは、たしかにあります。読んでいる事を意識させない字幕を目指すわけですが、やっぱり読むのは面倒。それなら、せめて面倒な事をした、疲れる事をしただけの価値のある情報を伝えるべきです。面倒で疲れるのに中途半端な情報しか入ってこないという事で字幕の立場が弱くなるのだと僕は思います。