« その兄弟は年上?年下? | Home | ゆるい映画劇場0003:「世界終末の序曲」 »
ゆるい映画劇場、過去に訳した作品についても書きたいのですが、それなりに見直さないと書けないわけです。でも、そこまで時間を割くのがキツいので、また近く発売される作品いきます。
Monster From Green Hell (1957)。出演:ジム・デイヴィス(この人も後に「ダラス」に出てます)。監督:ケネス・G・クレイン(この監督は他に「非道の雪男」とか「双頭の殺人鬼」とか「地獄の口が開いた時」みたいな映画を1950年代に数本撮った後はEDITORのクレジットが延々と続く人)。
さて、原題を直訳すると「緑の地獄からの怪物」です。「緑の地獄」はアフリカのどこかにあります。緑深い活火山の近くです。一番近い空港からだと、歩いて1ヶ月近くかかります。その道の大半は砂漠で、水は貴重品です。「怪物」は、ある昆虫が巨大化した結果の怪物です。なぜその「昆虫」が巨大化したのかと言うと、放射能のせいです。放射能といっても爆弾とか、そういう怖い兵器がアフリカに落ちたというわけではありません。アメリカで宇宙飛行による生物への影響を調べている主人公のブレイディ博士は、ある日、サル、スズメバチ、カニ、クモ、モルモットをロケットに乗せて大気圏外に飛ばします。「空気のない世界で生物はどうなるか」「宇宙飛行に害はないのか」「環境はどう変化するのか」「我々は確認の実験を続けた」のです。1957年の話ですから、大変な実験です。
ブレイディ博士はこうしたロケット実験を過去にも繰り返しており発射は慣れたものです。でも今回は失敗でした。ロケットは無事飛び立ちましたが、「宇宙放射線が飛び交う真空の世界」まで飛び上がれたのかどうかも分からず、行方不明になりました。
ブレイディ博士は様々なデータをコンピュータに入力(音声入力してます)して、ロケットの行方を調べます。「人が住む地域に落ちたら大惨事」です。どうやら落ちたのはアフリカ沿岸でした。それで博士は安心してしまい、半年くらいこのロケットの事を忘れてしまいました。(ロケットが行方不明になっても大事件にならない不思議な時代ですが、そういう事は気にしないで下さい。)
でも、このロケット実験から半年ほど過ぎた頃、「混乱する中央アフリカ」という新聞記事を見て博士は思い出します。ブレイディ博士:「半年前のロケットはアフリカに落ちた」「考えすぎかもしれませんが…」モーガンさん:「君の想像通りなら悪夢だな」。という事で博士と協力者のモーガンさんは大至急、現地調査の許可を政府に求めます。(やっぱり政府に許可を求めるくらいの事件なんだから、ロケットが行方不明になった時点で…。いや、気にしない。)
とにかく政府の許可を得てTWA機を予約して(妙に細かい)彼らは空路アフリカへ。
一方、現地では村人のために診療所を作り、人々の生活を向上させようと奮闘しているローレンツ医師と娘のローナが村人の不審死の原因を探っています。弟(たぶん弟で、兄かも…。)を失ったアロビの証言から、どうやら弟は怪物に殺されたという事が分かってきます。進歩的なローレンツ医師は「迷信だ」「分からんか」とアロビに言い聞かせますが、「迷信でサルやゾウや鳥は逃げません」とアロビは正論で返します。答えに困ったローレンツ医師は緑の地獄へ調査に行ってしまいます。
その頃、やっとTWA機でアフリカに着いたブレイディ博士とモーガンさん。ここから歩いて27日くらいでローレンツ医師がいる村に着くと聞かされ「遠いね」と思いながらも、すぐ出発できるのかと思ったら、長旅だから準備が大変なので、出発までに1週間も空港近くのホテルで足止めです。
それでも何とか一行は出発し、どうにか全行程(途中、敵対的な民族に襲われそうになって120キロほど遠回りしましたが)を歩き通してローレンツ医師の診療所に辿り着きます。でも残念ながら、その時すでにローレンツ医師は行方不明…。
「君の名は」をも連想させる(しない?)擦れ違いメロドラマのような展開ですが、仕方ありません。
ここでついに我らがヒーロー、ブレイディ博士とヒロイン、ローナが対面します。
ここまで、さっきも書いたように敵対民族の襲撃とか、放射能に汚染された水を飲んで死ぬ案内人とか、王蟲くらいに巨大化した「ある昆虫」の襲来とか、見せ場はタップリ(?)。
さらに楽しいのがブレイディ博士の日記です。こうした苦難をモノローグで話しながら綴られる日記が、とても真剣な口調で、「いかに水が大切なものか実感した」とか「サファリを歩くには足を前に出し続けるしかない」とか、その大変さが切実に伝わってきます。
いよいよ、ローナを初め村人一行とブレイディ博士とモーガンさん達が緑の地獄へ。
この怪物は何と、放射能を浴び突然変異したブンブン音がうるさい昆虫でした。(どんな昆虫なのかは本編を見てのお楽しみ…)
とにかく、アメリカでテレビが一般家庭にやっと普及し始めた当時、映画はやはり映像メディアの王様でした。こうしたゆるい映画でも、人々(特に子供)はそれなりに怖がり、楽しんで見ていたわけです。
それにしても、せっかくここまで作るんだから、もう少しディテールを気にしようよ。と思う事も多いもので、そこがゆるい映画の魅力です。王蟲みたいに大きいかと思ったら、ワンボックスカーくらいの大きさで人を襲ったり、巨大な昆虫の大きさがシーンごとに変わるので、そこを突っ込むのもよし。ブンブンいう割りに飛ばないじゃん、と突っ込んでもいいでしょう。
とにかくディテールが破綻している部分はいっぱいありますが、細かいところは見てのお楽しみという事で本題です(また遅すぎ?)。
今回、翻訳していて面白かったのが、先ほども書いたローレンツ医師とアロビの会話でした。(あと、ブレイディ博士のモノローグ。)
その中で印象に残ったのが…
(アロビの弟の遺体を見て)
ローレンツ医師:なぜ こんな事に
アロビ:緑の地獄に行ったんです
ローレンツ医師:お前の弟だろ アロビ
ローレンツ医師:その時 どこにいた?
アロビ:近くにいたのですが
曲がり道で見えませんでした
アロビ:悲鳴が聞こえて 駆けつけると…
この中で、「近くにいたのですが」と訳した部分の英語は
(I was) no farther than a small stones throw (from where he was).
でした。
直訳だと「小石を投げて届く距離より近くにいた」になります。
この表現から連想する距離は10メートルくらいでしょうか。
とにかく、それほど遠くはないだろうと思います。
字幕にすると「近くにいたのですが」だけになってしまいますが、
本当は「小石を投げて届くくらいの所にいたのですが 曲がり道で見えませんでした」としたいところです。
ゆるい映画は、面白い言い回しをできるだけ活かして訳すのが正しいというか、突っ込みどころを殺したらもったいないです。ここでは活かせませんでしたけど…。
それと、もう1つ。主人公のブレイディ博士が疲労で倒れるシーン。最初は…。
助手A:大丈夫ですか
ブレイディ博士:ああ 大丈夫だ
助手A:手を貸します
と訳したのですが、よくよく見ると助手Aだと思った人はモーガンさんでした。古い作品で英語の原稿もないし、暗い場面だったので助手みたいな人がブレイディ博士に話しかけているのだと思ってしまった結果です。
とにかく助手Aはモーガンさん(ブレイディ博士より年上)だったので…。
モーガンさん:大丈夫か
ブレイディ博士:ええ どうにか
モーガンさん:手を貸そう
と訳し直しました。重要なシーンではなく、誰が誰を助けてもいいような部分なので最初の訳でもスルーして見てしまう人も多いとは思いますが、気がついちゃう人もいるでしょうし、いくら突っ込みどころ満載の作品とはいえ、字幕で突っ込みどころを増やす必要もなく。気づいてよかったです。
この作品も近いうちにDVDで発売されます。