エタ・ジェイムズ ライブ・アット・ザ・ハウス・オブ・ブルース 2001
2010/9/21(火)深夜0:35@WOWOW(リピート:2010/10/18(月)午前6:05)
オバマ大統領就任祝賀パーティで代表曲“アット・ラスト”が夫妻のダンス曲に選ばれたり、彼女が主人公として描かれた映画“キャデラック・レコード”が作られるなど、再評価が高まるエタ・ジェイムズのライブです。(“キャデラック・レコード”では、先日ここで書いたビヨンセがエタを演じています。)
彼女は以前訳した“チャック・ベリー/ヘイル・ヘイル・ロックンロール”(1987)にも登場していましたが、その頃はチャック・ベリーの記憶にもない時期で、「エタって誰だ?」と最初は言われ、リハーサルをやった後、チャックが彼女にひれ伏したというエピソードも残っています。
そんな彼女の2001年のライブです。体型も貫録十分の頃で、この後、彼女は胃のバイパス手術を受け(wikipedia)、減量に成功しました。確かにオーバーウエイトすぎると思いますが、手術後は逆に減量しすぎにも見え(といった第三者の評価が当事者の心理に影響するので、こうして書くのも何だと、我ながら思いますが…)、2001年のライブは貫録があって素晴らしいと思います。
今回、彼女のライブを訳していて面白かったところが1つ。
I’d like to do a song that I wrote. It’s a story about a girl…と曲紹介をしたところです。
“アイド・ラザー・ゴー・ブラインド”という曲について彼女が言っているのですが、これはエリントン・ジョーダンとビリー・フォスターの共作と通常はクレジットされています。「彼女が書いた…?」字幕としては「次は私が書いた曲」にすべきですが、「彼女自身の記憶違いか?」と思ったりして。
で、調べてみると、彼女の自伝“Rage To Survive”で分かりました。簡単に言うと、服役中のエリントン・ジョーダンが曲のアウトラインを書いてあって、それを聞いた彼女が仕上げた。ただ、税金対策でクレジットはビリー・フォスターに「共作」として譲った。という事でした。
結果的には「次は私が書いた曲」という字幕で問題なしという事になりますが、ややこしい話が裏にあったわけです。
何気ない言葉でも気になったら調べるのは字幕翻訳をしていて当然ですが、気にならない言葉こそ調べるべきだと、こういう例に出会うと思うものです。でも、そうするとどこまで調べればいいやら、因果な稼業です。
とにかく彼女はブルースの女王。日本で言うと淡谷のり子のよう。パワフルな歌声です。
それからWOWOWでのリピート
ロックン・ロール・ホール・オブ・フェイム25周年記念コンサート ロックの創造者たちの音楽祭
2010/9/21(火)午前4:15
ポール・マッカートニー ライブ・イン・ニューヨーク・シティ
2010/9/26(日)午前9:00
見逃した人は、どうぞ。