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2019年6月4日発売
「スター・ウォーズep4」ダスターシュート前の長い通路に影響を受けた「ギャラクシー・オブ・テラー」の通路に似た宇宙船の通路で、エイリアンがポッドを宇宙空間に放出するシーンから始まる作品です。このポッドにはじつは黒いナメクジ状の宇宙生物が入っていたようで、それが地球に飛来し、拡散し、とある大学町をパニックに陥れます。
そんな話なのですが、監督がSFやホラー愛のフレッド・デッカー。1986年の公開当時26歳か27歳の若手でした。彼の後輩で本作でも端役で出演しているシェーン・ブラックは「リーサル・ウェポン」の脚本を書いた才人。ブラックはペンシルベニア州ピッツバーグ出身で、ピッツバーグといえばジョージ・A・ロメロ監督の「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」。先日アップした「ナイト・オブ・ザ・コメット」もそうですが、本作の原題も「ナイト・オブ・ザ・クリープス」です。「ナイト・オブ」を使っているだけで監督のジャンル愛が分かります。本作のエイリアンは人体に寄生し、チェストバスターにはなりませんが寄生された人間は生きたまま体をエイリアンに乗っ取られゾンビ化するという…ジャンル愛。脱線ついでにシェーン・ブラックは「リーサル・ウェポン」の主人公として、ジョン・カーペンター監督作で知られる名バイプレイヤー、トム・アトキンスを考えたそうで、本作の製作時、ブラックはキャメロン刑事役のトム・アトキンス本人に「リーサル・ウェポン」への出演を打診までしたとアトキンスは特典のインタビューで回想しています。その時、アトキンスは「私は主役向きじゃない。この役はスターが演じるべきだ」と辞退したという。結局、メル・ギブソンが主役を演じました。謙虚なトムさん。
さらに登場人物の名前が凝っています。主人公がクリストファー・ロメロ。相棒がジェームズ・カーペンター・フーパー。主人公の彼女がシンシア・クローネンバーグ。刑事はレイ・キャメロン。他にもランディス刑事にライミ巡査…。このジャンルで有名な監督の名前が役名に散りばめられています。これだけでなくロジャー・コーマン作品で知られる名バイプレイヤー、ディック・ミラーの役名はウォルター。これは50年代にロジャー・コーマンが監督した伝説的カルト作にしてビート世代のバイブル(大げさ)「血のバケツ」でディック・ミラーが演じた主人公の名前と同じ。そもそも主人公達が通う大学はコーマン大学で…。
さて、この作品の字幕では上記の人名を入れ込むのに苦労しました。過去に発売されたソフトの字幕にもキャメロン、クローネンバーグ、ランディス、コーマンは出ましたが、カーペンター、フーパー、ロメロ、ライミ、ウォルターは出ていませんでした。このジャンルのファンの人は字幕に出ていなくても聞き取れる名前もあったかもしれませんが、やはりこれは監督のジャンル愛の反映なので、字幕に乗せる情報として優先順位は高いです。なので全員出しました。
それからもう1つ。キャメロン刑事には決めゼリフがいくつかあります。「スリル・ミー」(=「喜ばせてくれ」とか「ワクワクさせろ」みたいな意味)、「ワンダフル」(=「素晴らしい」とか「上出来だ」とか「最高だ」みたいな意味)などですが、「ダーティハリー」のGo ahead, make my day(=撃ってみろ。俺の思う壺だけどな)のようなものです。これらを何度も言うのですが、場面ごとに状況が違うため統一した決めゼリフを字幕で作れなくて本当に苦労しました。
さらに終盤、キャメロン刑事が「イッツ・ミラー・タイム」と言います。これはアメリカでは有名なミラービールのCMのフレーズなのですが、本作はミラービールがプロダクトプレイスメント(作品の中で商品名をさりげなく入れる手法)で登場する流れから出てきます。リポビタンDの「ファイト!一発!」みたいなフレーズというと分かりやすいかもしれません。元々のCMでは建設業や林業などの労働者達が1日の仕事を終えて「さあ、シャワーを浴びてビールを飲もう」といった感じで使われるフレーズで、何十年も使われ続けている有名なもの。キャメロン刑事はプロダクトプレイスメントもあり、このフレーズを言います。このセリフの後、彼はエイリアン退治の最後の仕上げをもくろんでいます。これの字幕が以前の訳では「君の頭に乾杯」になっていました。これは「カサブランカ」で有名な「君の瞳に乾杯」を連想させる楽屋落ち的な洒落た訳にはなるのですが、ジャンル愛に満ちたフレッド・デッカー監督の頭にはないメロドラマを連想させてしまいます。字幕なしの英語版で見ている観客が全く連想しない作品を日本の観客は連想する…。ジャンル愛から外れた映画愛を見せるのは、字幕翻訳家が監督と同じ立場で演出しているのと同じになってしまう…。ほとんどの人は気にしないだろうけど、プロダクトプレイスメントつながりも伝わるようにしたい…。悩みに悩みに悩んだ末、字幕を作りました。気の利いた訳には全くなっていませんが監督の演出に沿う流れは維持したつもりです。ストーリーの流れの中では重要ではないセリフなのに本当に悩みました。どんな訳になっているかは本編を見てチェックしてみて下さい。
1984年製作のジャンル分けしにくい作品です。
彗星が地球に接近する日、世紀の一大イベントを見ようと世界中の人々が夜空を見上げていた。翌日、その人々の大半が地球から姿を消していた。一定の条件下にあった僅かな人を残して…。
世紀末感というか終末感に満ちたLAを舞台に、生き残った数人の若者達が、死に損なった人達から身を守り生き抜く。何が生死を分けたのか、人類復活のカギは何かを研究する科学者も登場し、生き残りつつもゾンビ化していく人達の苦悩を描く青春映画です。ジャケットの女性は主人公姉妹の姉役のキャサリン・メアリー・スチュワートという女優さんですが、本編ではこのキツい表情より、もっとニコニコしています。
劇的に書きましたが実際、見かけがホラーの青春映画と呼ぶべきストーリー。主役は高校生と大学生の逞しい姉妹で男達はあくまで添え物。低予算の作品ですが、見事なゲリラ撮影で無人のLAを走り回る生き残った人達を活写します。
「映画の字幕ナビ」の続きみたいですが、以下、ここで気になった字幕が2つ。
1つは、ほぼ無人のショッピングモールというかデパートで生き残った悪い男達に姉妹が襲われるシーン。(“コマンド―”や“ターミネーター2”でも使われた施設で、大ざっぱに言うと六本木ヒルズのような複合施設。)ここで悪い男達のリーダーが妹に「何が望みなの?」と聞かれて答えます。
You wouldn’t believe what we want from you.
In your worst nightmare, you wouldn’t believe.
「お前らから俺達が望む物は、信じらないものだ。」(20文字)
「最悪の悪夢の中でも信じらないようなものさ。」(20文字)
くらいが直訳です。
ここは前後のつながりから以下のように訳してあります。
「たっぷり払ってもらうぜ」(11文字)
「信じられない悪夢の中でな」(12文字)
ここでは「信じられない」がポイントになりました。この悪い男は異変が起きた数日前までこの施設の商品補充係でした。いち労働者だった彼は突然、巨大施設を支配しているような立場になった気分でいます。
ここで2つ目の字幕に「背筋も凍るような悪夢の中でな」といった、強い脅し文句を入れたくなるところですが、それは避けました。これは以前の訳がそうだったわけではなく、訳していて自分で感じた事ですが、脚本家が彼のセリフを書いた時、数日で突然立場が変わった彼の人物像を考え、そこからボキャブラリーを決めたと思ったわけです。「背筋も凍る」(=spine-chilling)もよく聞く表現ですが「信じられない」が彼の頭に浮かんだ表現だったわけです。ここはアクションホラーの展開のシーンで、大げさにいきたいところですが、彼の語彙からは「信じられない」が出てきたと。
もう1つは上記の姉妹が「生き残った男」について話すシーン。
Hector’s not exactly a fox, but considering what’s left, he’s not bad.
84年の作品ですが最近の表現で直訳すると:「ヘクターはイケメンとは言い切れないけど、残った男達の中では悪くないわ。」(33文字)これを妹が5秒くらいで言っています。(※読みやすく句読点を入れておきます)
「彼はイマイチだけど、この際だからガマンするわ。」(21文字)
これで悪くはなさそうですが妹はヘクターに好意を持っています。本当は「イマイチ」だと思っていないどころか、「好き」と言いたいくらい。淡々と話そうとした結果でしょう。原語にあるnotも否定的な使い方ではないし…。
ちなみに「イマイチ」は1970年代末に広まった表現で、「イケメン」は2000年代以降です。
この訳をネガティブに言わないように、どうしたかはソフトを見てみて下さい。ネガティブな感じにせず、「好き」を避けた淡々とした言い方にしました。何の変哲もない詰まらない訳になっています。
ソフトは音声解説が3種類入っているため、95分の本編の字幕は1000枚少しですが、ソフト全体では6000枚以上になっています。製作現場の裏側など、作品自体だけでなく、作品が作られた80年代の逸話も興味深い1本です。(ヴァレー・ガールとかファミリー・タイズの時代というか…)
少し前に書いた「地獄のヒーロー2」はベトナム語のセリフの部分がどうなっているか確認した結果、字幕では出さないという事になりました。
「戦争の犬たち」はアフリカの架空の国ザンガロを中心に展開する物語で、現地の言葉がたくさん出てきます。でも撮影は北米大陸のメキシコの南にあるベリーズという国。映画の中で使われている現地の言葉が何語なのか特定する手立てがなく、ひとまずフレデリック・フォーサイスの原作の日本語訳を読んでみました。すると映画版と原作版の違いがずいぶんある事に、まず驚きました。映画ではクリストファー・ウォーケン演じる主人公が視察のためにザンガロに潜入し、帰国後、作戦の準備をし、そして決行する流れですが、原作では依頼主とのやり取りにかなりのページが使われます。原作は600ページもある長編で、映画は2時間弱なのでムリもありませんが。いずれにせよ現地の言葉が原作ではどのように扱われているのかを見ていくと、これがほぼ皆無でした。正直言ってホッとしました。現地の言葉だけで数分も続くような部分がありますが、何を言っているのか分からないまま話が進みます。実際、何を言っているのか分からないままでも分かる展開になっていたので、それでも構わないとは思っていましたが、原作者もその意図で書いていたのだという事が確認できたわけです。
というわけで、この作品の新訳も現地の言葉に字幕は入っていません。少し地味な「ワイルド・ギース」という感じの本作ですが、エンディングのカタルシスはこちらの方が上だと思います。それから、新訳では主人公と黒人の少年との交流の部分が、より分かりやすくなっていると思います。
ジョージ・オーウェルの原作を1984年に映像化した作品です。体制維持のために過去の出来事を書き換え、辞書は版を重ねるごとに薄くなっていくディストピア。どこにスパイが潜んでいるか分からず、長いものに巻かれて生きるしかない人々。庶民のストレスのガス抜きタイムとしての熱狂的な集会…。この物語を語り始めたら延々と続いてしまいますが、この1984年製作の映画「1984」です。
本作は1984年末にイギリスなどで公開された後、日本では第一回東京国際映画祭(1985年5月末-6月上旬開催)のヤングシネマ部門で初公開され、その年の秋に一般公開されました。これは日本での大規模な「国際映画祭」の始まりで、1985年の前半は字幕翻訳業界がフル稼働の忙しさだったのではないかと思います。
という事で、字幕のチェックも追いつかなかったのでしょう。本作の劇場公開版の字幕に誤訳がありました。翻訳した人かチェックした人の誰かが原作を読んでいたら生まれなかったと思える誤訳です。
辞書が薄くなる世界では人々が表現力が奪われていくわけで、たとえば赤、赤緑、紫などの色が全て「赤」になっていったり、「美味しいね」、「コクがあるね」、「味わい深いね」、「美味いね」が「美味いね」しかなくなっている世界です。この「美味いね」しかない世界で「より美味いもの」を表現しようとすると「超美味い」とか「倍超美味い」とか、数量的に表現するようになっているという具合です。
この「倍超美味い」が劇場公開版の字幕では「陽性物質」と訳されています。この表現は原作でも「人々の表現力が落ちている」という事を伝える意味でも印象的な一節です。「陽性物質」という原作に出てこない言葉を作るよりも原作に沿う訳をつける方が簡単だったと思うのですが。第一回東京国際映画祭特需で大変だったのでしょう。劇場公開版の字幕ではエンディングの最後の字幕も逆の解釈をしやすい訳になっていました。
とはいえ、新訳と当時の字幕はかなり違うので、前の字幕で見た印象が残っている人が見ると「(映画自体が)何か、前に見たバージョンと違うのかな…」という気分になりかねない。ましてや原作のポイントの1つが「過去を書き換える」ですから、新訳と前の字幕でどう変わった分からないとモヤモヤしてしまう人もいると思います。ということで、この作品のブルーレイ版には新旧の日本語字幕両方が収録されています。
1980年代中盤から終盤にかけてビデオソフトの大ブームが起きていた頃に作られた作品。当時はビデオレンタル店のフランチャイズ化が進む前で、全国に様々な名前のレンタル店がありました。“友&愛”といった貸しレコード店のチェーン店がたくさんありました。そんな時代にレンタルビデオ店で一番人気があった俳優の1人がチャック・ノリス。「地獄のヒーロー」、「野獣走査線」、「デルタフォース」…。ローマのコロッセオでブルース・リーと戦ったのも彼です。
そんな彼の主演作「地獄のヒーロー2」は前作「地獄のヒーロー」の前日譚。ノリス演じる主人公ブラドック大佐が最初にどこに囚われて、どれほど怒りを溜めて爆発したかを描く作品です。この作品のビデオソフトの字幕ですが、序盤から誤訳が暴れていました。
ビデオソフトの旧字幕:
(1)
戦没者追悼記念日に
(2)
1人の戦死者の葬儀が
行われた
(3)
ベトナム戦線で
散った兵士が
(4)
無名戦士の墓に
葬られたのだ
正しい訳は:
(1)
今年の戦没者追悼記念日では――
(2+3)
ベトナム戦線で散った兵士達の
特別な葬儀が行なわれています
(4)
彼らは無名戦士の墓に葬られます
これは実際にアーリントン墓地で行われたセレモニーで、レーガン大統領のスピーチも本作に入っています。旧字幕にある「1人の戦死者」が誰なのか、最後まで語られることは当然ありません。映像では棺が1つ運ばれていますが、それは「ベトナム戦争で命を落とした兵士達」を象徴する形でしかないのです。残念なことにウィキペディアにある本作のストーリーまで、上記の誤訳を元に書かれています。
こうした誤訳は他の多くの作品にも多々あるので、ここでは脇に置き今回は訳されていないベトナム語について。
この作品の原題は“MISSINNG IN ACTION2 THE BEGINNING”(=戦闘中行方不明者2 その始まり)です。ブラドック大佐が部下達と捕虜収容所に囚われている状態で話が進みます。捕虜収容所長であるイン大佐と彼の部下達はベトナム語で話しています。これらを全て字幕にすると95分ほどの作品中、50ヵ所近くあります。でもビデオソフトの字幕版には一切日本語字幕が入っていません。
分からないことがあると気になってしまう性格…。「こんなにたくさん話しているのだから、訳さなくていいのか?」と私は思いました。ところでこの作品は北米大陸の南、西インド諸島で撮影されています。イン大佐の部下を演じたベトナム人はノースカロライナ州に住むアジア系の俳優らしいです。70年代後半、日本でもニュースになることが多かった「ボートピープル」と呼ばれた人達でしょう。
こうしたことから「彼らのベトナム語は本場のもので、怪しい東洋語ではないだろう」と私は予想しました。最近、インバウンド何とかという言葉が日本で浸透していますが、日本で暮らすベトナム人も増えています。私が大昔、留学していたカナダにも彼らはコミュニティを作って暮らしていました。とにかく私は、こうした人脈からベトナム語が分かる人達に、この作品の中のベトナム語の部分を聞いてもらい意味を確認していきました。
その結果、ほとんど全て物語の展開通りのセリフを言っていることが分かりました。「追え!」、「やっつけろ!」、「逃がすな!」といった短い表現だけでなく、「さっきのは誰だった?」とか「交替するぞ」、「少し休んで食事だ」といった会話まで全てです。
そこで私の結論も旧字幕版と同じで、字幕は全て入れないというものになりました。ブラドック大佐を始めとする捕虜達は彼らの言葉が分かりません。その立場から描かれる作品なので、「分からない言葉」のままでいいと。
そして、ここにこう書いておけば、「地獄のヒーロー2」を見て、彼らの会話は本当に物語に沿ったセリフを言っているのか気になった人も調べられるかなと(笑)。
本作とは関係ありませんがアフレコが多かった70年代のイタリア映画の撮影現場では、適当に口を動かして撮って、後で吹き替える事が多かったと最近知ったもので、とても気になったのでした。
3月11日から半分の時間が止まったままご無沙汰しました。命の尊さを感じ続ける1年になりました。来年は、より多くの人が安心して健康に暮らせるようになる事を祈ります。
以下は3月11日以前に書いてあったものに手を加えたものになります。
キネマ旬報1977年3月下旬号(No.704)の114ページから118ページまで、インタビュー記事があります。石上三登志氏がサム・ペキンパー監督とジェームズ・コバーンと話した記事。(カッコ内が記事からの引用です。)
「サム・ペキンパーがやってきた!15年前の『荒野のガンマン』と『昼下がりの決斗』の二本を見て以来、会う人ごとにペキンパーを語り続け」た石上氏が念願叶い、監督と対面したのです。「彼に殴られたらスロー・モーションでぶっ倒れなければならないのだろうかと、真剣に考えて」取材に臨んだ氏ですが、実際に会ってみると「ペキンパーは、ポツポツと、しかしよく通る声で、一語一語考えながらのように話す。やさしい眼をした、やさしいおじさん」だったそうです。
以下、少し抜粋。
ペキンパー監督(好きな監督を聞かれ)
「ミスター・シーゲル。ミスター・フォード。でも、一番尊敬するのはクロサワだ。『ラショモン』は素晴らしい作品だ。」
石上氏
「でも黒澤監督はフォードを尊敬していますよ。」
ペキンパー監督
「フォードとクロサワじゃ、ケタが全然ちがうよ。フォードは好きだけど、クロサワは尊敬してるんだ。とても会いたい。クロサワからはずいぶん盗ませてもらった。今じゃみんな僕の映画から盗むけど…。」
石上氏
「あなたの映画には時々東洋的なものを感じます。」
ペキンパー監督
「そう、自分でも思う。僕にとって東洋は“心のふるさと”なんだ。離れたくない。昔、中国にいたとき、中国人の女性と恋をした事があるし、五歳の日本の女の子を熱烈に愛した事もあるよ。1945年のクリスマスだったけど、僕はその子の家のガードだったんだ。海兵隊だったので、中国の暴徒から日本人を守らなければならなくてね。雪が降ってた。すると、その子が家から出てきて、僕に“ありがとう”っていったんだ。とってもきれいな子だった。僕はもう、すごく感動してしまってね、思わず彼女に捧げ銃をした…。」
サム・ペキンパーは1945年から46年にかけて中国で多くの日本人と友達になったと言う。
「中国を引き上げて佐世保に向う日本人の家族たちのために、僕は日本人と一緒に働いた。それはもう、その時の海兵隊の仲間を代表していうんだけど、みんな日本人に対して好意と尊敬と愛を感じたよ。だから今(初来日して)、やっと日本に帰ってきたっていう気持なんだ。」
石上氏
「(『荒野のガンマン』の日本のポスターを出して)これがあなたの名前です。ピキンファーとかいてある。当時あなたの名前の読み方がわからなかったんです。」
ペキンパー監督
「中国ではね、ポンチモーと呼ばれてた。山から来た男っていう意味だそうだよ。ピキンファーでもいいよ。」
彼はカリフォルニアで肌の色が違う子供達と遊びながら育った。一番のガキ大将はアイボウという日系の男の子。
「お互いの家に行ったり来たりしながら大きくなっていったんだ。だが…18歳になった時に…あっという間に18歳だったな…そしたら、悲しい時代がはじまった。『戦争のはらわた』で僕が言いたかったのは、その事なんだ。」
この後、ペキンパー監督は「戦争のはらわた」のエンディングのセリフに込めた思いも語ります。
これはペキンパー監督が「戦争のはらわた」のプロモーションで来日した時の記事です。僕も本作を翻訳をしました。(2000年2月のリバイバル公開用でバンダイビジュアルからDVDとVHS版で発売されましたが現在は廃盤です。)それでこの記事について書いているのですが、とても興味深いインタビューです。5ページあるので、ここでの抜粋はごく一部です。図書館などでぜひキネマ旬報のバックナンバーNo.704を探して全文を読んでもらえたらと思います。素晴らしいインタビューを記録してくれた石上三登志氏に心から感謝します。
さて、「戦争のはらわた」は劇場初公開時のフィルム、VHS(キングレコード版)、LD(ワーナーホームビデオ版)、DVD(2社=バンダイビジュアル版、ジェネオン・ユニバーサル版)と、5種類ほどの字幕があると思います。フィルム版は簡単に見られるものではないし、もう存在しないかもしれませんが、他の4種類はオークションなどでも出回る事があるので、見る事が可能だと思います。
僕は軍事用語に詳しいわけでもなく、国ごとに違う階級もいちいち調べながら訳します。この作品を訳した時は、幸いにして戦争映画に詳しいファンの人達が集まりアドバイスしてくれたのが心強かったものでした。僕の中でも印象の強い仕事です。ただ、印象が強いとは言っても自信をもって「最高の字幕です」なんて言えるわけではありません。「精一杯やった」とは言えますが。「精一杯」でも不十分なものは不十分で、発売版のソフトの字幕ってイヤです。廃盤になろうとずっと残りますから。
そして、僕が訳した後、改めてジェネオン・ユニバーサルからDVDとして発売になったのですが、その字幕は評判が悪いようです。僕は見ていないのですが、wikipediaでは「其の字幕翻訳内容は、誤訳が多く言語としても成立していない箇所が多い」という事らしいです。
ペキンパー監督はピキンファーでもポンチモーでもいいという大らかな人なので、それほど気にしないのかとも思いますが、もうちょっとしっかり仕事をしてくれ、と多くのファンは思うでしょう。(僕の訳に対しても、もっとしっかり仕事をしろ、と言う人もいるでしょうが。)
もしかするとペキンパー監督自身、天国で最新の日本語字幕版を見て「オー、シット」と言っているかもしれません。
ペキンパー監督は怒らないかもしれないけど、彼の想いは熱く、本人が亡くなってしまったからと言って、その作品に込められた想いを台無しにすべきではないと思います。今後、改めてソフト化される時には、じっくり作り込まれた字幕になる事を願います。
THE CURSE OF THE WEREWOLF(1960) @IMDB
テレビ放映時タイトル:シニストロ城の吸血狼男
オリヴァー・リード。(後の「トミー」のお父さん。)ノーメイクで狼男っぽいじゃねぇか。と思いきや、21歳の若かりし日の彼は目がクリクリっとした骨太なおぼっちゃま。ノーメイクではそれほど狼男っぽくないです。このソフトは特典は少ないですが日本語吹替え版が収録されています。そこで少し困った事が発生しました。メインキャストの1人、「ドン・アルフレード」が吹替え版では「ドン・アルフレッド」になっているのです。スペイン語読みだとアルフレードが普通で、「ドンの後に続くのがアルフレッドはイヤだな」と思いましたが、話の舞台はスペインでもセリフは英語。さらに字幕で彼の名前が出るのは1回だけ。(吹替え版ではもう少し頻繁に出るそうです。)
僕自身、キャラクター名、地名、俳優名などは「どれが一番適当か」という判断はしますが、その判断時に「これは絶対こうじゃないと」という信念はありません。「この場合、どれが一番違和感がないか」「どれが一番、一般に馴染みがあるか」と見回します。ちょうど同じスペイン語の名前でGuillermoという役名が出てくる作品を訳していますが、Guillermoはギジェルモが音としては近いという話ですが、ギレルモ・デル・トロ監督の名前が比較的映画ファンには定着しているのもあり、ギレルモでいこうという事になりそうです。
余談ですが、バート・バカラックは「紳士泥棒大ゴールデン作戦」の公開当時のポスターではバート・バチャラッチと表記されています。これはさすがに…バチャラッチですが(?)、人名や地名は誰か(andどこか)特定できる事が一番重要なのは間違いなく、ピーターさんとピーターズさんが同じ作品に出てきたら、間違いなく使い分けなければいけないわけです。読んでいる人が混乱しないようにという事をいつも念頭に置いています。
最近ずっと書いている一連のホラー作品ですが、この作品も同じで奥が深いです。作品の構成として物語の舞台が大きく3つに別れるのですが、それぞれが短すぎてもったいない感じがします。「見た事ないから押さえておこう」という見方をした場合、「あっさりしすぎていて物足りない作品」で終わる可能性が高いです。でも製作に関わった人達の思いが詰まっている作品なのは確かで、じっくり見ると味が出てきちゃいます。歴史的な背景まで調べた日には、それこそ面白いでしょう。今から数えると250年ほど前のスペインの話ですが、日本だと江戸時代。当時に思いを巡らすと「緑豊かな四季の彩りのある日本」というイメージになりますが、スペインは砂ボコリで鼻が詰まりそうな感じ。封建的な様子も日本の悪代官の方が…。まあ、どっちも「お前もワルよのぅ」ですけど。
「ハウリング」とはまるでタイプの違う、オーソドックスな狼男ものですが、250年前のスペインのイメージも興味深いです。
@allcinema
THE UNSEEN(1980) @IMDB
ビデオ発売時には「恐怖のいけにえ/呪われた近親相姦の館」と、サブタイトルがついていたようです。普段、こうして色々書いていると、あらすじの中で「死ぬ」とか「殺す」とか、特にホラー映画の場合、よく出てくるわけですが、実際の人の死は軽々しく話す事ではありません。
それなのに、慣れというか、フィクションの世界では気楽に使えてしまうものです。よくも悪くも、それは「死」というものが人の暮らしの中に常に存在しているからでしょうか。単に道を歩いているだけでも「ここで信号無視したら死ぬかも」と思う事があったり、「ここから落ちたら死ぬ」と思ったり。
という事で、この作品。これもフィクションなのでどんな事でも気軽に書けるかな、というと、そうでもない。ビデオ版のサブタイトルから連想できるように陰惨な要素も含まれています。なので、ここではあらすじは割愛。
この段階で「この作品はちょっとパス」という人が多いと思いますが、ここではこの「ソフト」について書きます。まず、またしても特典てんこ盛り。本編の字幕は90分で600枚弱なので少ないのですが、音声解説(オーディオコメンタリー)があり、これが1500枚くらい。さらに特典映像が100分近くあるので字幕の合計は3300枚近くになりました。先日の「悪魔の墓場」が2000枚少しで、それでも多いという感じでしたが、今回は1.5倍以上なので、本当に多いです。
本編自体は見る人を選ぶ作品ですが、コメンタリーの内容が興味深いです。まず、製作当時の人間関係。どうやら監督はスタッフの信望をあまり得ていなかった様子。コメンタリーの翻訳もこれまで色々やってきましたが、ここまで信望の薄い監督は珍しいのではないかという印象です。「ピーター・フォレグ」という監督の名前も実際はアラン・スミシーで、本当はダニー・スタインマンだそうです。
演出上のこだわり、セットへのこだわり、様々なこだわりがある中で仕上がった本作は、コメンタリーを聞く限りでは、「よくできたな」と思いました。個人的にはプロデューサーを務めたアンソニー・アンガーのコメンタリーの内容が興味深かったです。彼はピーター・セラーズとリンゴ・スター主演の「マジック・クリスチャン」を製作していて、その当時の逸話を披露し、さらに「ナバロンの嵐」での縁からバーバラ・バックに本作の出演を依頼したといった話も聞けます。この作品の撮影中にバーバラのところには「おかしなおかしな石器人」の出演依頼が来たとか、リンゴと出会う前の彼女の話とか、ピーター・セラーズとブリット・エクランドの話とか、こうした本作以外の話が、このソフトのオーディオコメンタリーには多く入っていて楽しいです。僕自身はピーター・セラーズが大好きなので、彼の性格についてアンガー氏が語るところが面白かったです。こうした情報がこの作品に入っているとは、それに興味がある人は知る由もなさそうなタイトルなわけですが…。もちろん、そればかりではなく本作の撮影裏話も色々語られ、そちらも興味深いものがありました。こうした周辺情報を知りつつこの作品を見るのと、何も知らずに見るのとでは大違いの作品です。(そういう見方が正しいのかどうかは微妙な面がありますが。)
それからタイトルロールを演じたスティーヴン・ファーストは、以前SFチャンネル用に僕が訳した「バビロン5」のモラーリ大使の部下役なのですが、彼の人柄が何だかほんわかしていてよい。(彼は「アニマル・ハウス」にも出ています。2人息子がいて、長男の名前はネイサン。兄さんなのにネイサン…。)さらに「カッコーの巣の上で」に出ていたシドニー・ラシックの逸話も楽しく。(この人も役柄とは違い実際に「いい人」だったそうです。)それからバーバラ・バックの妹役を演じたカレン・ラムの恋愛遍歴(ビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンと2回結婚し、本作の撮影当時は「トミー」のプロデューサーの1人でもあった、ロバート・スティグウッドだった)とか、何が言いたいのかと言うと、先に書いたように、こうした周辺情報を知りつつ見ると、この作品、不思議なくらい印象が変わってしまうのです。
さらに本編のストーリーとは関係ないのですが、カレン・ラムの本名はバーバラ。バーバラとカレンが演じた姉妹の名字がファースト。年をとったスティーヴン・ファーストはシドニー・ラシックにルックスが似ていて…。ってどんどん話が脱線していきますが、こういう情報を知りつつ本編を見ると、もはやホラーではなくなってしまったりします。
これは困った話です。実際、映画を見るというのは、そういう事ではないと思いますが、この作品に関して言えば、そんな見方をして楽しむのも一興かと思います。
ところで、この物語に出てくる町SOLVANGですが、字幕的に少し悩みました。カタカナ表記。スペルから考えるとソルヴァングになります。でも文字数を減らしたいのでソルバング。と、まず思うわけですが、この町は1911年にデンマーク系移民がカリフォルニアに作った町で、デンマークの伝統を今も守り続ける町。分かりやすく言うと町全体が長崎のハウステンボスみたいな、志摩のスペイン村みたいな、「デンマーク村」のような所です。20年近く前に僕も行った事がありますが、地元の人はソルバングよりソルバンクに近い発音をします。という事でソルバンクに落ち着きましたが、ネットで調べるとソルバングとソルバンクの両方とも使われている感じでした。(でも、これってソルマックっぽいよね…、と思いつつ。)
と、まあ、本当に取りとめもなく書いてしまいましたが、「ソフト」として見どころがいっぱいある作品でした。興味がある人はどうぞ。もちろん、ホラー映画としても十分陰惨な話です。
LET SLEEPING CORPSES LIE(1974) @IMDB
DON’T OPEN THE WINDOW[米]
FINDE SEMANA PARA LOS MUERTOS [伊]
THE LIVING DEAD AT MANCHESTER MORGUE [英]
NO SE DEBE PROFANAR EL SUENO DE LOS MUERTOS [スペイン]
NON SI DEVE PROFANARE IL SONNO DEI MORTI
BREAKFAST AT THE MANCHESTER MORGUE
別題がいっぱい。字幕も多かったです。本編は750枚少しで、多くはないのですが、特典が合計で1300枚弱。文字数で言ったら余裕で本編の倍ありました。まあ、当然と言えば当然でもあります。本編の長さが94分なのに特典は100分以上ありますから。ところで特典の多くはイタリア語です。今回もこのイタリア語部分には「ザ・リッパー」のようにon/off可の英語字幕が付いていたので、それを基に翻訳していきました。いわゆるダブルトランスレーションですが、今回の英語字幕は「ザ・リッパー」と違って少し怪しい。20秒くらい出たままのものもある。3センテンス話しているのが分かるのに英語では2センテンスになっていたり…。「大丈夫か?」と思いつつ、分かる単語もあるので「これが落ちてるな」なんて手探りで訳します。そしてチェックの段階で、案の定ありました。レイ・ラヴロックが当時を回想する特典の英語字幕で、過去作を「The Deadly Trap」(=「パリは霧にぬれて」)と言っているのですが、実際は「UN POSTO IDEALE PER UCCIDERE」(LOVE STRESS)(=「ガラスの旅」)という作品名を言っていました。英語字幕に頼っている弊害です。(そういえば、「ザ・リッパー」でも作品名を間違えているところが1つあったのですが、それはゾーラ・ケロヴァ本人が作品名を言い間違えているためで――自分の出演作のタイトルを間違えるなよ~――、そこは単なる間違いと断定し、字幕では勝手に正しいタイトルに直しました。彼女がわざと違うタイトルを言っている可能性があるなら直しませんが。)
さて、本作で最初に登場するゾンビさんはガスリー・ウィルソンという役名があります。彼、かなり怖い。スタスタ近づいて来る様子が怖い。表情が怖い。「影武者」の終盤の影武者(仲代達也)のようで怖い。
まあ、それほど怖くないです(どっちだよ?)が、雰囲気が怖い。ロンドンを東京とした場合、新潟あたりの感じかな。湖水地方を舞台にスタスタと、時にはノロノロとゾンビが歩きます。ビックリする要素はいくつかありますが、この作品の場合、音もジワジワ怖く、動きもジワジワ怖く、淡々と怖いです。
このタイプの怖さは今では単に控え目とか、地味とか、下手をすると退屈なホラーになるのでしょうが、味があって好きです。
日本のスクリーンで初めて人を喰うゾンビが登場した(1975年6月日本公開)のが本作だったようで、それを考えると当時は相当インパクトがあったでしょう。当時の宣伝文句は「臓物をひっぱり出して喰いたい!かさぶたをはがして生血を吸いたい! 重い墓石をはねのけて、冷たい土の中から一斉に立上った死人たち!」。ポスターやチラシのビジュアルはちょっと成人映画と誤解しそうな物でしたが…。(うちの近所のタバコ屋さんに、このポスターが貼られた記憶はないです。もし貼られていたら覚えている気がするくらい、小学生にはインパクトのある「成人映画」っぽいポスター。)それから当時の配給は日本ヘラルド映画で、この作品を「悪魔」シリーズ第3弾と銘打っていました。『“はらわた”“いけにえ”に続く――悪魔シリーズ第3弾 悪魔の墓場』です。スティーヴン・セガールが出てくると何でも沈黙しちゃうのに似ていますが、どっちも強引です(笑)。
それから、キロとマイル。この作品では距離をマイルで言っています。たいていの場合、これはキロに換算しますが、本作では1マイルと3マイルと5マイルしか出てきません。換算すると中途半端になってしまう上、この3つの距離には意味があるので、全部マイルのままにしました。
タイトルバックのテーマ曲が当時の仮面ライダーのサントラっぽかったりして。
時代の空気が詰まった怖さ。以前訳した「ウィッカーマン」を、ほんの少し、思い出させるのは作られた時期が近いせいなんだろうか。村社会の閉鎖性の象徴みたいな巡査部長が出てくるせいか…。どうも最近、まとまりのない文章になってますが、興味があったら、ぜひどうぞ。
THE NEW YORK RIPPER [米・88分] @IMDB
Lo squartatore di New York (1982)
原題から想像がつく話です。ニューヨークに切り裂きジャック出現。みたいな話です。犯人のプロファイリングをしながら捜査するというドラマは、1982年当時は少し珍しいタイプです。(「羊たちの沈黙」は1991年作)「墓地裏の家」の主人公パオロ・マルコが今回もメインの1人。ゾンビは出て来ませんが、殺し方に関してはエグい描写が多いので、気の弱い人は見ない事をお勧めします。
あらすじはデータベース系のサイトで見てもらう事にして、トリビアや字幕についての話をいくつか。
まず、本編最初の数分目。主人公の刑事さんが惨殺されたダンサーの捜査を始めるところ。1秒弱しか出せない「頭痛薬を」という字幕があります。殺されたダンサーが住んでいた部屋の大家さんから刑事が事情を聞く場面です。この大家さん、お喋りなおばさんで、刑事さんの質問に答えず、すぐどうでもいい世間話を始めます。そこで溜め息交じりに刑事が言うセリフです。「頭痛薬を」。映像を見れば分かりますが、多くの場合、こうしたセリフは翻訳しません。いわゆる「アウト」になって、字幕としては出ません。お喋りなおばさんの字幕で手いっぱいになって刑事の溜め息は字幕にできなくなります。でも、この刑事の性格づけには重要なセリフです。1時間半ほどの作品の中でこの刑事は何度も苦々しい顔をし、何度も溜め息をつきます。連続殺人犯に振り回されながら懸命に捜査を進める刑事。いいキャラです。溜め息をつきながら犯人を追う表情から観客は刑事の個性を感じるわけですが、こうした細かいセリフもキャラクターの性格づけには重要な役割を果たします。ルチオ・フルチ監督のホラーはグロ描写が最優先で話は何でもアリと言われがちですし、実際そうだと思いますが、こうした細かい演出が観客に伝わらなければ、監督への評価は必要以上に「支離滅裂」になります。
と、ここまで真面目に書くほどの事でもない、どうでもいい事ではありますが、「頭痛薬を」は入れたい。字幕を無理やり突っ込むと読む側は慌ただしくなるけど、欲張ります。作品の細かい演出をどこまで見るかは観客の自由ですが、見ようがなくなってしまっては観客の自由は奪われます。
それから「地獄の門」の最初の方で偉そうにしているクレイ巡査部長、Martin Sorrentinoという人が、この作品でも刑事役でチョロっと顔を出します。(今回は偉そうにしてません。)
あと、後半で出てくる「メモリアル・ホスピタル」という病院は字幕では「記念病院」にしました。なんか具体性のない名前です。これはいかにもイタリア映画という感じです。アメリカ映画だと、何にしてももう少し具体的な名前をつけるものです。
この作品を翻訳していて最大の謎だったのは「ロスで金を目指す」というセリフでした。メインキャラクターの1人がガールフレンドに言うのですが、「ええ?彼女、オリンピックを目指してたの?そんな話、前後に全然ないし…。」訳はそのままにしてありますが、まったく意味不明というか、何を急にそんな話を…。
特典の1つは“I’M AN ACTRESS!”というゾーラ・ケロヴァによる回想です。この特典はイタリア語で、英語字幕がon/off可で出るようになっていたので、その英語から日本語字幕にしました。この特典は珍しいものでした。前に書いた「ビヨンド」の特典では英語の字幕がoffにならない状態で焼き込まれていたのですが、今回は消せます。出入りのタイミングも、とても丁寧に調整してあります。さらに驚いた事にエンドクレジットに翻訳担当者の名前が入っています。インタビュアー、カメラ、照明、音効、メイク、翻訳、編集といった順番で出てきました。英語字幕の翻訳担当者の名前が入っている例は少ないので驚きました。ちなみにこの特典の制作は2009年になっているので、最近はこうしたソフトの制作会社も意識が変わってきたのかな、と思います。海外産の日本語字幕も、いずれ変わっていくのかもしれないと期待できるかもしれません。
主人公の溜め息に注目しながら見ると楽しめる作品です。(っていうか、推理ものとして見ると、支離滅裂で…。はい、これも「ゆるい映画劇場」向きです。)