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2012/06/11

こんにちは。根本齒科室の根本です。

(三笠宮)寬仁親王殿下におかれましては、6月6日のご薨去に接し、謹んで
哀悼の意を申し上げます。

お隠れの前はさまざまなエピソードも残され、皇族方でも印象深いお一方でした。
庶民のひとりとして、さぞやお疲れのこととご案じ申し上げます。
ぜひごゆっくりお休み遊ばれますよう奉じます。

・・・

そんなことを考えていたら、以前ニートをやっていた頃、死後の世界について
結構突きつめて考えていたことを思い出しました。
もう10年以上前のことです。
人間、『職』を持つことは非常に大事です。ニートでは、心も萎びてしまいます。

いろいろな宗教や霊能者、スピリチュアリスト等が様々な見解を述べています。
結構目からうろこ的な視点もありました。

その結果、最大公約数的なところを取って、少なくとも現在の日本では
おおむねこのようなパターンだろうという「あの世のシステム」的なところが
あるんだな、と当時なりに思ったことも思い出しました。

ふと思いました。

「死んだらむし歯や入れ歯はどうなるのだろう」
そうだ、殿下の歯を確認してみよう(どうしてそうなる?)

こちらは2枚のご生前のお写真です。

右側は3年前の2009年に撮影されたものです。左側は報道写真ですが不明です。

そして、口角部を拡大した物がこちら。

一見して上唇小帯のテンションが高めで、前歯部唇側はきゅうくつそうです。
お手入れにはなかなかのご面倒があったのではとお察しします。

そして、左側の#12(右上2番)を見ますと、他の歯と色がちがいます。
左側のお写真は、殿下にしては珍しい、下顎の歯列が写りこんだものです。
そしてその色は#12(右上2番)と同じ、少し暗い感じです。
もともと下顎は上顎に比べてワンランク暗めの色が自然なのですが
それにしても上顎の他の歯とは、明らかに色調が異なります。
また、神経を取ると、歯の色は長期的に少し暗い感じになるので
#12(右上2番)は、神経の処置をなさった後なのかもしれません。

これに比べて、右側の歯は、全体的に明るい色調と形態が揃っています。
かなり大がかりな治療をなされたのではと推察されます。

あくまでも限定的な情報ですが、これらから察するに、右側のお写真の方が
後に撮影されたもので、左側の時期から、さらに全体的な歯の治療をなさって
揃っているのでは、と推察されます。

つまり、ご生前は、歯の治療でかなりご苦労があったのでは、と案じられます。

さて、そこで冒頭の問いに移ります。


【 問 】死んだらむし歯はどうなるの?

【 答 】自動的に治ると思います。

以下は、完全な個人的仮説です。

唯物論のマルクスは「死んだら灰になって、おしまい」と喝破したそうですが
それではあまりにも夢がないので、ひとまず置いておきます。

生きている/死んでいるということは?
どういう「システム」?
天国?地獄?普通の感じ?

あくまでも私感ですが、大雑把に「システム」を推察すると

 ゴール(悟り)ゴール
  ↑      ↑
 現世→死亡→あの世(反省・目標再設定)→[記憶消失]→来世(この世)→
     ↓   ↑
    地獄→改心

こんな感じです(以下、勝手な仮説が続きます)。

◆ 死ぬということ

あの世は物質を介在しない世界です。
物質を介在しないということは当然肉体も介在しない世界です。

本人の脳内イメージがすべて?なので、死ぬとある程度若返るらしい。
つまり、自分の一番イメージが強い年代とか、一番イケてると思える時代に
なるようです。

 ここで、(小さい子供が亡くなった場合は、どうなのだろう)という
 素朴な疑問があります。
 彼らは大人になってしまうのだろうか?子供のままなのだろうか?

 分からないのでひとまずマルクスと一緒に置いておきます。

要は、イメージやエネルギー(現世の物理学的には正しい表現ではない)の世界
だということです。
そこでは、最大公約数的に、少なくとも以下の3点が可能なようです。

カツ丼が食べたい、と思うと瞬時に目の前に現れる
②行きたいと思ったところに瞬間移動できる
③問わず語りに考えが伝わるダダ漏れ状態

一見、何とも都合がよさそうな世界です。

◆ 推察の推察

この説でいくと、歯ももちろん一番都合の良い感じに回復しているのは当然です。
当然あの世には「入れ歯」「銀歯」なんて憎らしい物があるはずがありません。
全員が全員、上下顎とも7-7まで有髄の天然歯で揃っているに決まっています。

殿下も今頃は煩わしい歯のお悩みからすっかり解放されておいでのことでしょう。
ところで、ひとつの大きな疑問がわきます。

「そもそも歯を使う場面があるのだろうか?」

①カツ丼

食べたいと思うと瞬時に出てくる、ということはすべてイメージの世界。
「自分自身」すらも魂だけ、つまりイメージの産物なわけです。
当然、食べなくても飢え死に(二重に死ぬ?)しないということになる。

察するに、彼らは、普段は必要ないので食事はしていないと思われます。
当然、歯の使用頻度は劇的に減る、あるいは「なくなる」と思われます。

また、これらから帰納的に衣食住も「イメージの産物」なので、思えばそうなる。
つまり、働く必要がないわけです。
経済活動全般が完全に否定される。雇用も、賃金も、デフレもインフレも無い。

現在の日本では日銀があの体たらくですが、金融政策が必要ないということですね。
まさに現総裁にはぴったりの世界なのではないでしょうかwww


人間、『職』を持つことは非常に大事です。ニートでは、心も萎びてしまいます。

最初に、私はそう言いました。
コレ自体が、とても現世的な考えなんですね。

②瞬間移動

また、あちらではどうも、どこでもドアのように、瞬間的にどこにでも
思ったところに移動できるようです。

衣食住どころか、自分自身すらイメージの産物ということは、物理学的な
時空、質量、ポテンシャルなどの概念が無いことを示しています。

これは、移動手段(自動車も自転車も鉄道も)が不要ということです。
もちろん工業・産業の否定でもあります。
内需拡大も遅刻もない。運賃なども当然ない。

相対性理論などを考えると、時間の観念が否定される世界だともいえます。

③考えが伝わる

ということは、作り笑いしたり、気持ちを隠したりする必要がなくなるわけです。
自然に、似たような思いの「人」たちが仲良くなりがちだとのことです。

そりゃ、隠し事のないガチの人間(?)関係しか存在しないのですから、
似たもの同志しか集まれないのも当然です。

すすんで、この点から、「言語・音声会話の否定」という結論も導かれます。

 A) 読む(in)・書く(out)~時間超越的(2章を先に読む、清書・推敲など)、演繹的
 B) 聞く(in)・話す(out)~シーケンシャル・タイムライン・即興的

言語を取り扱うときには、上記のように質の異なる「読む(in)・書く(out)」と
「聞く(in)・話す(out)」の2種類の体系があります。

英語などの外国語を学ぼうとすると、まずB「聞く(in)・話す(out)」のことが
頭に浮かぶものです。
しかし自国語(日本語)で考えてみると、Bは教わらなくても何とかなる一方
A「読む(in)・書く(out)」の方は、学校で習わないと習得できません。
そのかわり、Bには当意即妙が要求されるのでジャズ的、Aは推敲や読み飛ばしが
可能なので、クラシック的、ともいえると思います。

B「聞く(in)・話す(out)」は、完全にあちらでは要らなくなりますね。

そのかわり、総括や目標再設定など、理詰めの考察は必要かと思われるので、
A「読む(in)・書く(out)」はやはり必要だと思います。

しかし、お互いダダ漏れなので、コミュ力()やウソは全く不要になります。

ということは、腹芸や利害調整も必要ないので、政治も不要になります。
言語が不要ということは、民族性のなかでも偏狭で排外的な部分が
ゆるやかに否定されるということです。
また、「国家」「制度」など「政治」的枠組も不要になるので否定されます。

以上、①カツ丼②瞬間移動③考えが伝わる についておおまかに考えてみました。
ここまでエビデンスを軽視して文章を書くというのも、どうかとは思いますが。。

昔の宗教者は、このようなものを「天国」とか「極楽浄土」と呼んで、
良いことをするとこう生まれ変われる(ので当院をよろしくお願いいたします)
などと営業活動を行っていたのかもしれません。

たしかに、地獄はイヤだと思います。絵を見ても痛そうだし。鬼ガチムチだし

しかし、これは、果たしてこの世の私たちにとって天国と呼べるのでしょうか?

◆ 生きるということ

①カツ丼 ②瞬間移動 ③考えが伝わる の3つについて共通の特徴は

経済活動がない
社会活動がない

生きてる間は、食べないと死ぬので、努力して収入を得て、対価とします。
このような労働や消費を通じて、人は社会人として成熟していきます。

遅刻しないように気をつけることも、自分を律するひとつの方法です。
道路・鉄道・乗り物などの社会インフラの整備も、重要です。とくに


 A) 震災復興、国土強靭化・耐震化
 B) デフレ脱却(一翼は金融緩和。もう一翼は財政政策)
 C) 自然災害多発国としてのメンテナンス

に対して真剣に考えることは、Attitudeとか責任感の面を鍛えられます。
たとえば、震災や竜巻などでは等しく物理的に大きな被害を受け、
被災地に援助に出向くのに時間的、インフラ的な障害が生ずるわけです。

これらを我が身に置き換えて真剣に考え、行動することは、必ずや
人間的な成長に資する
と考えられます。

またこの世では肉体も物質の一部ですので物理法則に縛られています。

災害が無くても、離れて暮らして、お互いに相手を思ったりすること、
苦労して遠くの大学などに通って学ぶこと、あるいは働きながら学ぶこと、
遅刻しないように早起きすること、時間を守る努力をすること。

これらが、生活上も、社会通念上も、心身の成長の面でも、有用です。

しかし残念ながら、あの世では、この様な学びの機会、成長の機会が
失われることが容易に推察されます。

また、隠し事やウソというのが、いかにこの世的なものかが分かります。
「お天道様は見ている」「閻魔様にはお見通し」
昔の人はうまいことを言うものですが、アチラでは全員がお互いにお見通し!

全員が全員の考えが伝わってしまうのなら、似たもの同志が自然に集まる
に決まっています。

この世では、当然ですが、デフォルトでは相手に情報は伝わりません。

能動的に努力して伝達したり、言語を学んだりPCやスマホをいじってみたり、
面接に際して服装頭髪に気をつけてみたり、「話し方教室」に通ってみたり
そんなこんなで、はじめて誤解なく伝わるのがコミュニケーションです。

また、自分の気が合う人だけでなく、ときには合わない人とも話をする
必要があります。

これらの努力も当然、心身の成長や社会生活に欠かせないことでもあります。
他人や、ときには自分自身の隠し事やウソに葛藤したり傷ついたりすることも
過剰なトラウマは別として、適度なレベルであれば成長の糧ともいえるのではないでしょうか。

しかし、あの世では全員が全員お互いに「閻魔様にはお見通し」では、
コミュニケーション方面の成長の機会は全くと言っていいほどないですね。

反面、アチラの世界は、お互いに隠し事が効かない世界ということなので、
本音の考えの部分での緊張感で、そちらは鍛えられるような気もします。

◆ 「命あってこそ」の正しい意味

こう見ると、過去の宗教家が「天国」「極楽浄土」と言っていた世界とは
現世的な人々にとっては辛抱たまらない地獄なのかもしれません。

少なくとも、現在の私は、いきなりそんなところに放り込まれるのは嫌です。
もっと食べたい料理もあるし、もっと行きたい場所もあるし、
まだまだ修行が足りないのは当然ですが、未練のほうも十分あります。

現世や来世であるこの世は、ひとつの修行ステージなのかもしれない。
いくつかの道場があって、それが国とか地域なのかもしれない。

と考えると、日本はかなり”修行しやすい道場”、”由緒ある道場”
ということになりそうです。ゲームにたとえるとかなりイージーモード?!
いっぽう、恐縮ですが、たとえば「イラク」「アフガニスタン」などは、
ゲームにたとえるとかなりハードモード、いわば”練習しにくい道場”
なのは否めないかと思います。

私も小さい頃に、剣道の道場に通っていたことがあります。
そこでは稽古の終わりには、みんなでぞうきんがけをするのが日課でした。
「みんなでみんなのために」剣道だけでなく、プチ大事な考えも学びました。

“修行しやすい道場”、”由緒ある道場”、”イージーモード” な大切な日本を
後々利用する次世代の日本人のためにも大事にしていきたいと思います。

追記 2012/6/11
今、ふと気がつきました。合ってるかは分かりません。

①金を出さないと物を食べられない
②瞬間移動できない
③黙っていると情報が伝わらない

という制約の中で、人は自分の何を伸ばすべきか or 何が良く伸びそうか、ですが、
今まで書いた内容から考えると、もっとも妥当で合理的な方向性は

『 利 他 の 心 を大事にすること』
『自分的 な 苦 手 分 野 の克服』

なのかもしれません。

◆ 命と「歯」について

生きている間は、特殊な進行性の難治疾患にでもならない限り、一般的な肉体は
自然治癒力で回復します。
医療の主な役割は、その治癒力を最大限に引き出すことです。

また、その回復度合いは、健康状態や精神状態にも大きくかかわります。
すべてではないが、かなりの部分が「気の持ちよう」に少なからず影響されます

すると、一病息災や怪我の功名という言葉がいみじくも示すように
軽度、ないしは一過性の疾患は、生きる力や意思の喚起と大きな関連がありそうです。

しかし、歯が現状のような形で人間の肉体に存在する意味は?
そして、むし歯菌や歯周病菌が存在する意味は??

歯には

 自然治癒しない(毀損したら終わり)
 予防可能である(未然に回避可能)

という、一般の医科とは真逆の大きな特徴があります。

しかし、「歯」がこういう特徴を持つとは、今まで思われてきませんでした。
むしろ逆で

 自然治癒する(痛くなければ終わり)(フタをすれば終わり)
 予防できない(誰でも自然に悪化)(老化現象の一種)

とすら思われていたフシがあります。

歯は「歯を同じく」など、”釜” 同様に、しばしば “食事” の意味で使われてきました。

① 昔は今よりもだいぶ寿命が短く、大きく悪化する前に亡くなっていたので
  重要視される機会も少なかった、という点もあるのかもしれませんが

② 宗教的に(あるいは霊的に?!)歯はあまり重要な臓器とはされてこなかった
  のかもしれません。

放置するとどんどん悪化して喪失する
一旦悪化したら自然治癒・再生しない
しかし放置しないで予防すれば悪化しない

その意味では、歯は、人生の年輪とか、人生のレコードという面も持つのでしょう。
再生の利かないものに対して、今までどのように接して対処してきたのでしょうか。
マメであったのか、扱いが粗末だったのか、他人任せだったのか・・・

つい最近までは、悪くなると抜いてブリッジ、抜いて入れ歯などが横行。
今でも「抜けてしまっても『仕方ない』。インプラントもあるし大丈夫」などと、

 歯に対する扱いが粗末だったり、
 自然治癒しないという重大な事実をないがしろに

した向きも決して少なくないのが現実です。

社会が成熟し、寿命が大幅に伸びたことを通じて、私たちは多くの物を得ました。
逆に、新しく

 自然治癒しない(毀損したら終わり)
 予防可能である(未然に回避可能)

もの(=「歯」)に対する管理、という過去になさそうな課題がひとつ増えました。

今までは、このような2つの性質を持つものの代表と言えば、

 皇統(男系が切れたら終わり)
 国防・安全保障(負けたら終わり)
 ロストテクノロジー(絶えたら終わり)

などのような、全体的、全国的な分野ばかりが取り沙汰されていました。
何でも、ダマスカス鋼や一部の古刀(日本刀)などは現在では再現不能だそうです。

しかし「歯」についてはきわめて個人的な分野になります。

自分のことだけを大事にして、地域や国家のことは大事にしない、という態度も
どうかと思いますが、自分のこともしっかりコントロールできないのに、周囲の

 自然治癒しない(毀損したら終わり)
 予防可能である(未然に回避可能)

のような問題に十分対処できるのか、と言われれば、それも非常に疑問を感じます。

そして、自分にも、周囲にも、良い影響を与えて高めていき、三途の川で
閻魔様に少しでもお褒めの言葉をいただけるような人生を歩んで生きたいものです。

「先づ隗より始めよ」です。

【今回のまとめ】

歯は人生の記録装置。長期的な歯の予防は、より良く生きる意味での「魂の修行」の一部。

2012/06/11 05:12 | ほとんど歯科の臨床と関係ないこと | No Comments

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