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2012/08/24

セクシャルマイノリティの数は、人口の3~5%と言われています。
その根拠は諸説あるのですが、有力なのは、海外の国勢調査の際にセクシャリティに関する設問があり、その統計結果を元にしているというのです。
また、学者の中には、人口の10%程度は存在すると主張する人もいて、かなり幅のある状況となっています。

私はわかりやすく説明するために「1クラスに1人はいる計算ですよ」と答えています。
そうすると、「あ~、確かにそういう人いたかも…」と自分自身の過去の記憶を辿り出す人もいます。
ただ最近は少子化のせいで、1クラスの人数も減っており、私のような表現は不適切になってきているのかもしれません。

セクシャルマイノリティが正確に何人いるのかを知ることは、実際には無理でしょう。
もし、そのような調査をしたとしても、今の日本で、正直に調査上のカミングアウトをする人が多いとは思えません。

セクシャルマイノリティの数が、昔よりも今の方が増加しているのではないかという話もよく聞きます。
確かに、レインボーサポートネットに相談を寄せられる相談者は、ご年配の方よりも若い方の方が圧倒的に多いです。
実際に、その総数が増加している傾向はあるのかもしれませんが、それは、セクシャルマイノリティとして生きていく環境が、昔に比べて整っているため、自分のセクシャリティに正直に生きていく人が増えている結果ではないかと推測します。

セクシャルマイノリティの増加といっても、L・G・B・Tのそれぞれについて考えなければなりません。
私が、増加傾向が顕著なのではないかと思うのは、B(バイセクシャル)についてです。

レインボーサポートネットに寄せられる相談には、バイセクシャル本人からの相談というのは少ないのですが、バイセクシャルと関係したゲイやレズビアンの方からの相談は多いです。
バイセクシャルという存在は、ゲイやレズビアンの方からすると、煩わしいものである場合も少なくないのですが、恋愛関係に至り、やがて破局した場合に、その原因に異性の存在があると、ゲイやレズビアンは大きな精神的なショックを受けることになります。
そういうちょっと厄介な存在が増えているのは、最近の若者のセクシャリティ感がとても曖昧な感覚になりつつあるからなのではないかと思うのです。
『どっぷりハマル』という感じではなく、ファッション感覚というか、興味本位というか、少しセクシャルマイノリティの世界を覗いてみるといった感覚の人が増えています。

ただ、セクシャリティの分類の時に、例えば、興味本位で一度だけ同性と肉体関係を持ったような人を、バイセクシャルと定義して良いのかという問題があります。
これに対しては、そもそもヘテロセクシャルならば、同性に興味本位で肉体関係を持つといった行動に出るわけがないという意見がぶつけられます。

しかし、実際の若い人のセクシャリティの悩みに関する相談では、「興味本位で~」とか「成り行きで~」とか「なんとなく~」といった非常に曖昧な動機で一線を越える人もいるわけです。

また、恋愛関係ではなく、肉体関係だけの行動をセクシャリティの分類に反映しても良いのかという問題もあります。
時々、付き合う(恋愛)のは考えられないけど、体は同性を求めてしまうという方がいます。
セックスの対象と恋愛対象が異なるような特殊事例もあるわけです。

前々から書いていることですが、セクシャリティを分類することの意味が、どうも薄れてきてしまっているような気がします。
あるいは、現在のざっくりとした分類ではなく、さらに細かく分類していく必要があるのかもしれません。
しかし、こうした分類は、講学上の便宜のためであり、当事者の福祉を考えたものであるとは、必ずしも言い切れません。

そうすると、純粋なヘテロセクシャル(恋愛対象もセックスの対象も異性であって、生まれつきの性別に違和感のない者)以外の者を全てセクシャルマイノリティとしてしまえば良いのではないかという「大きな括り論」が発生します。

セクシャリティの話は、マイナー事例を取り上げると、非常に複雑で難解なパズルのようになってしまいます。
確固たるセクシャリティを持つ人と、そうでない人が混在するような現在の社会では、統計学的に正確な数字でセクシャルマイノリティを把握するのは無理なのかもしれません。
セクシャリティは、それ自体がある程度曖昧な要素を包含しているということを知って頂きたいと思います。

12:01 | LGBT論 | No Comments
2012/03/09

東日本大震災から1年。『絆』を考える1年となりました。

人の力ではどうやっても抵抗することのできない天災の脅威を多くの日本人がはっきりと認識することになったわけですが、それは、人の命がとても儚いものであり、いつか訪れる「死」という現実を直視するきっかけにもなりました。

いつ、どこで、どのように、人は死を迎えるのかはわからないということ。

必ずしも自分の愛する人やかけがえのない家族・仲間に看取ってもらえるとは限らないということ。

突然に「死」という孤独の瞬間を迎える可能性が誰にでもあるという現実は、人と人との絆を再確認しようとする行動に人々を駆り立てました。

夫婦の絆、家族の絆、恋人の絆、友人の絆、仲間の絆…等々、自分自身を取り巻く様々な絆をより強固なものにしたいと願う人が増えるようになりました。

レインボーサポートネットにも、恋人との関係をより強固なものにしたいので、パートナーシップ契約を結びたいとか、養子縁組の手続きをしたい、結婚式をするので結婚誓約書を作成して欲しいなどの相談やご依頼が多く寄せられました。

この1年間は、そうした恋人との関係をより強固なものにするための相談や手続きの依頼が例年の2倍近くにもなりました。逆に、恋人との関係を清算したいといった相談は減少しました。

人が人を想う気持ちというのは、とても尊いことだと思います。自分のためだけではなく、自分の愛する人のために万が一の事態に備えておこうという行動は、それ自体が愛情であるとも言えるでしょう。

「備えあれば憂いなし」と言いますが、いわゆる『終活』や『老いじたく』は、セクシャリティを問わず重要な事です。

日頃は滅多に考えない自分の死について、私たちは1年前の大災害を教訓に現実問題として考えるきっかけを得たのです。

いずれは終わりの来る人生だから、今出来ることは、今しておかないといけない。最期のその時に後悔しないために、生きていられるうちに何ができるかを真剣に考えなければなりません。

刹那的に生きている多くのLGBTの中には、東日本大震災を経験したり、目の当たりにしたりすることで、生き方が変わった方が少なくありません。

12:01 | LGBT論 | No Comments
2012/02/24

今回は、ゲイのノブさん(41歳・仮名)と中橋の対談です。

中「ノブさんは、海外でゲイリブ活動に携わっておられるそうですが、具体的にどのような活動をされているのですか?」

ノブ「私はアメリカの某都市で暮らしているのですが、その街にあるゲイコミュニティのスタッフとしてボランティア活動をしながら、セクシャルマイノリティの権利向上のための政治的なアクションに加わったりしています。具体的には、政治家や役所に対する陳情や請願などの取りまとめとか、各種のアンケート調査の実施、会合のセッティングなどです」

中「忙しく活動されているようですが、そういう活動をするきっかけは何だったのですか?」

ノブ「きっかけは大した事ないので恥ずかしいのですが、彼氏がそういう活動をしている人で、その活動を手伝っているうちに、のめり込んでいくようになりました(笑)」

中「日本ではゲイリブ活動に参加したことはあるのですか?」

ノブ「ありません。私は大学生の時からアメリカで過ごしていまして、19歳から現在まで基本的にアメリカ生活です。日本へは年に1回帰国すればよい方ですから(焦) 日本のゲイリブについてはよく知りません」

中「日本でも、パレードが行われたり、LGBTについて啓発するようなイベントが行われたりはしていますが、ノブさんの話に出てくるような、強力に組織立った感じではまだないような気がします。政治でも、国政レベルではまだまだでしょうね」

ノブ「アメリカは、宗教上の理由もあって、ゲイはバッシングされやすい立場にあります。だから、自分たちできちんと集団を作っていないと、身が持たないというか、仲間意識が強いような気がします」

中「意外ですね。アメリカでは、セクシャルマイノリティに対する世間の受入れは良いのではないかと思っていましたが…」

ノブ「もちろん、偏見のない人もいます。でも、アンチが非常に多いのも特徴です。徹底して嫌ってきますね。いくら説明しても理解を求めても、宗教上の理由だとか言われたらお手上げですしね」

中「確かに日本では、あまり宗教上の理由でセクシャルマイノリティが差別される事は少ない気がします」

ノブ「日本のLGBTの皆さんは、それは差別を受けることも多々あるのかもしれませんが、ある意味で欧米よりも過ごしやすい環境にいるのではないでしょうか?」

中「バッシングの程度でいうと、欧米の過激なバッシングや宗教的な疎外度で比べれば、日本はLGBTに寛容な国かもしれませんね。意外な再発見ですが。。」

ノブ「ぬる~い感じですかね。だから現状でもイイヤっていう当事者も多いのではないですか?それが結局、日本でゲイリブが活発にならない理由かもしれません」

中「いわゆる抵抗とか反発とか、そういうニュアンスが根底にあって、権利擁護運動というのは発生するものだと思います。だとしたら、その抵抗や反発のさらに根底にある疎外感や孤独感といった負の感情がさほど強くなければ、ゲイリブの行動へと駆り立てる原動力自体が弱くなってしまうわけですね」

ノブ「そうでしょうね。人は皆、平等だから、LGBTを差別してはいけませんよ。といった教科書的な理論の理解だけでは、ゲイリブを大きく展開していくのは無理でしょう。感情的に込み上げてくるものを共有できるほどの過激な心理状態が、権利擁護運動の大きな原動力となるはずです。その点では、日本のLGBTの皆さんは、幸か不幸か恵まれた環境にいるのではないでしょうか?」

中「アメリカには、過激なゲイリブ活動の歴史がありますよね。映画MILKで描いていたような」

ノブ「そうですね。一種の闘争だったわけで、今でもその精神は続いています。日本には日本的な権利擁護運動のやり方があるのかもしれませんが、静かなる闘争に火が着く火が来ればいいですね」

中「当事者の方にも色々な意見があるので、それを集約していくのは難しいでしょうが、問題意識の共有や解決に向けたアクションを期待します」

ノブ「当事者からの社会への働きかけの方法も色々あると思いますので、日本式でそれを着実に実行していけば、きっと良い結果が期待できると思います」

中「そうですね。貴重なご意見をありがとうございました。また帰国された際には、是非お話をお聞かせ下さい」

ノブ「こちらこそ、よろしくお願いします」

2012/02/10

浮気問題は、セクシャリティも既婚・未婚も問わない全人類的な問題です。

というと何だか大袈裟ですが、カップルの数だけ浮気問題はあり得るという事です。

ただ、男女のカップルは結婚という法制度があり、結婚後の浮気は不法行為として夫婦間であっても損害賠償責任を負わなければなりませんし、既婚者だと知って浮気(不倫)に応じた相手方も不法行為責任を負う事になります。犯罪というわけではないですが、民事上の不法行為として、浮気の代償を金銭で支払う必要性が出てくるということです。

さて、結婚前のカップルに関しては、道義上の責任は問われるでしょうが、自由恋愛が原則ですから、結婚の約束(婚約)をしていなければ、法的責任を問われることはありません。「そういう相手」と付き合ってしまったという自己責任のような結論になってしまいます。

ゲイやレズビアンなど、セクシャルマイノリティには法的に結婚することはできませんから、男女の自由恋愛状態と言えるでしょう。

例え、パートナー契約や同性婚(日本では法的には無理ですので、私的にという意味です)をしていたとしても、浮気を不貞行為としてパートナーに対して不法行為責任を問うのは無理でしょう。

浮気はしないという契約を交わしていれば、契約上の責任(債務不履行)を問えるのではないかと考える方もおられるかもしれません。

しかし残念ながら、いくら契約を結んでいたとしても、その内容が法的に保護する価値がある(裁判において救済する余地がある)と認められるようなものでなければ、相手方に債務不履行責任を問うのは無理なのです。

ゲイやレズビアンのカップルは、私的に結婚式を挙げていたとしても、それは法律上の夫婦とは認められません。男女の夫婦でも結婚していなければ認められない不貞行為に対する損害賠償請求権は、とてもハードルの高い権利だと言えます。契約でそれに近づけようとしても、裁判で損害賠償を命じてもらえるほどの強い権利とはならないのです。

そもそも、浮気=不貞行為は、なぜダメなのでしょうか?

そこには、道徳や倫理、家族観などが影響しています。

ゲイやレズビアンといったセクシャルマイノリティは、そうした道徳や倫理、家族観においてどのように解釈されているのでしょうか?

現在の日本の法律では、セクシャルマイノリティの存在を否定してはいないものの、想定外のままである部分が多いのが現状です。

まずは存在を認めるための法整備から行わなければなりません。

それが例えば、売春禁止法で女性の売春が禁止されているのを、いわゆる男娼も禁止するとか、強姦罪に男性の性的被害についても規定するとか、「性」の保護概念を男女の性別を問わないものに変えていかなければなりません。

想定外から、想定内への変革。それが最初の一歩と言えるでしょう。

多様なセクシャリティの認識は、男・女という二面性だけで想定し続けて来た我が国の法制度や権利の考え方を、より現代的で実態や国民のニーズに応えたものに変革していく原動力にもなり得るということです。

 

2012/01/27

先日、ある宗教指導者が「同性婚は人類の未来にとって脅威だ」と発言し、欧米で同性婚が合法化されてきている流れに一石を投じました。

なるほど、世の中の人々が次々に同性婚していけば、少子化が進み、やがて人類は滅亡してしまうかもしれません。

そう考えると、同性婚は人類を滅亡へと向かわせる危険な制度といえるでしょう。

ん?でも、同性婚が制度化されたとしても、それを利用する事が義務付けられるわけではありませんよね。

同性婚したい人がすればいい話で、同性愛者でない人には、そもそも同性婚は関係ない話のはずです。

同性愛は趣味趣向とは異なります。好んでその道に進むのではなく、本能的に自然になるものです。

同性愛者は、同性婚制度があろうが無かろうが同性愛者であるはずです。

マイノリティが権利を獲得する時、大多数の非マイノリティの人々は自分たちの世界を侵食されるような危機感を覚えるのかもしれません。

ただ、セクシャルマイノリティに限って言えば、同性婚制度を導入したからと言って、それをヘテロセクシャル(異性愛者)が利用するわけではないので、人類存亡への脅威とはならないでしょう。

また別の観点として、「家庭」というものの基本が、結婚した男女により子供を持つことで構成されると考えて、この古来からの家庭観が同性婚により歪められてしまうという懸念を脅威と捉えているのかもしれません。

倫理や道徳は、人それぞれが人間的成長の中で独自に習得していくものです。その指針が宗教や教育であることは否定できませんが、同性愛者として生きていくことを強いられている人々をまるで忌み嫌うように突き放すような考え方は真の人類愛と言えるのでしょうか?

好きで異性愛者になっているわけでもなく、同性愛者になっているわけでもないのです。

それは、生まれつきのアイデンティティーと言っても良いくらい、本能的で自分の努力で変えられるようなものではありません。

ヘテロセクシャルがセクシャルマイノリティを必要以上に忌み嫌う理由に、正当なものはないような気がしてならないのです。危険や脅威は本当に存在するのでしょうか?

12:05 | LGBT論 | No Comments
2011/10/21

LGBTについて正しい理解をするのは、なかなか難しいものです。しかし、明らかな誤解は避けたいものです。

以前、レインボーサポートネットの活動が新聞に載った際に『性的少数者の法的手続支援・よろず相談』と見出しが付けられていました。LGBTはセクシャルマイノリティ=性的少数者であるので、見出し自体は間違っていないのですが、それ以降レインボーサポートネットの寄せられる相談の中に、LGBTとは無関係な相談が時折寄せられるようになってしましました。

◎「小●生にしか性的興味が持てません。どうしたら良いでしょうか?」(30歳・男性)
◎「全裸で露出しても捕まらない公園とかありませんか?」(46歳・男性)
◎「動物と性交してみたいのですが、おすすめの動物と安全な方法を教えて下さい」(27歳・男性)
◎「実の兄と恋愛しています。妊娠したので、どうにか結婚する方法はありませんか?」(21歳・女性)
◎「性器を傷つけられると興奮します。かなり原形を留めていないので治療する病院を教えて下さい」(50歳・男性)
◎「男性を緊縛し猿轡をさせて罵倒しないと性的に興奮しません。私は精神の病気でしょうか?」(39歳・女性)
◎「女性の排泄行為に興奮します。でも最近、同性の排泄行為にも興奮するようになりましたが、私はゲイですか?」(40歳・男性)
◎「彼氏の足の指の間の匂いを嗅ぐと性的に興奮します。彼氏にバレそうで怖いのですがカミングアウトするべきでしょうか?」(20歳・女性)
◎「長靴が好きです。ツルっとした質感に興奮します。自慰行為に長靴が欠かせません。将来心配です」(18歳・男性)
◎「二次元の男子にしか興味持てません。このまま恋愛も結婚も無理でしょうか?」(22歳・女性)
◎「アニメ●●●●の主人公の妹のレイラちゃんと結婚したいです。真剣です。手続きお願いします!!」(26歳・男性)
◎「首を絞められながらの性行為が止められません。万が一死亡しても相手が罪に問われないような手続きはありませんか?」(42歳・女性)
◎「肛門性交に最も興奮します。男性ともしてみたいと思うようになったのですが、男性と経験したらゲイになるのですか?」(26歳・男性)
◎「夫との性交中に、元彼も含めて3人で性交をしていると想像すると凄く興奮します。不倫になりますか?」(24歳・女性)
◎「乱交したいです。どうしたらできますか?」(35歳・男性)

上記は、実際の相談メールの内容をオブラートに包んで抜粋したものです。

人間という生き物は、奥が深いですね。性衝動というのは、人間も含めて生物にとって本能として備わっている大変重要なものです。
我々の存在自体が、性衝動・性行動の結果を示す確たるものであるのであって、決して禁忌な事柄ではないはずです。

さて、上記の相談ですが、おそらく彼らは「性的少数者」としての自負があり、その相談にのるはずのレインボーサポートネットにメールを送信したのでしょう。

果たして彼らは、LGBTと同じような性的少数者なのでしょうか?
確かに、マイノリティであることは事実であり、それが性衝動や性行動に基づくものである以上、性的少数者と言えるでしょう。

だとするならば、彼らは、LGBTと同じ分類としても良いのでしょうか?

ここで、その区別のために使われているのが、「性的指向」と「性的趣向」です。
セクシャリティの分類には、性的指向という概念が使われ、性衝動や性行為の内容の区別には、性的趣向という概念が使われます。

例えば、ヘテロセクシャルにもゲイにもレズビアンにもSM好きな人はいるでしょうし、性的趣向の区別にはセクシャリティの概念は影響しません。
つまり、性別の区別に着目した性交対象や恋愛対象の選択、自己の性自認の選択の概念が「性的指向」=「セクシャリティ」であり、SMだとかスカトロだとかいったものは「性的趣向」と考えるのです。

ここまで考えると、「性的少数者の相談」という見出しであるならば、レインボーサポートネットは、性的趣向におけるマイノリティである性的少数者の相談にも応じているということになりますね。

上記のメールの相談者の方の多くには、丁重にお断りのメールをさせて頂きました。

性的指向の研究も難しいですが、性的趣向の研究となると、もっと難しいかもしれません。

反社会的な性的趣向は許されませんが、人に迷惑をかけない性的趣向であるなら、案外たいていの人はいわゆる「フェチ」としてもっているのかもしれませんね。

12:40 | LGBT論 | No Comments
2011/10/07

ゲイのAさん(35歳)は、Bさん(32歳)と付き合い始めて2ヵ月が過ぎました。
価値観や趣味が合い、お互いに長い付き合いができるパートナーなのではないかと思い始め、周囲の仲間たちも認めるベストカップルになっていました。

ある日、AさんとBさんは、お互いの過去について赤裸々に告白し合い、恋愛遍歴についての話になりました。
お互いにそれなりの年齢なので、たいていの過去は問わないという暗黙の了解のもと、過去の恋人の話に花を咲かせていました。

ところが、AさんがBさんに、ある男性(Cさん)の話をした瞬間、Bさんの表情が凍りつきました。
実はCさんは、過去にBさんが好意を寄せていた人で、肉体関係はあったけれども、妻子持ちということで恋愛関係は断られたというのです。
Aさんは、CさんとBさんが関係を持った同時期に恋人であったわけですが、妻子持ちとは知らなかったとのこと。
二人とも、「エ~!!」と顔を見合わせてしばしの沈黙の時が流れたそうです。

なんと、この件がきっかけでAさんとBさんは気まずくなってしまい、結局別れてしまいました。

AさんとBさんは、それぞれの過去の男であるCさんのために、現在のパートナーを失う憂き目に遭いました。
ゲイやレズビアンの方の中には、恋愛経験が尋常でないほど豊富な方が多くいらっしゃいます。
恋愛だけでなく、肉体関係の相手も数えると、もう数えきれないという人も多いでしょう。
過去を捨てて、今を生きているという心づもりでも、AさんやBさんのように自分の都合だけでは捨てられない過去もあるということを少しは意識して欲しいです。
そして、世間は狭いということ。。
ゲイやレズビアンの世界はまだまだ狭いです。

また、Cさんのような人が、実は多くいるのも事実で、「裏の顔」的にLGBTの世界に潜り込んでいる場合がよくあります。
カミングアウトすることが『善』とは限りませんが、同じセクシャルマイノリティを騙して、弄ぶことも少なくありません。
「既婚でゲイ」とか「既婚でビアン」ということも、理屈的には間違っているようですが、実在します。
こうした人をバイセクシャルと呼ぶべきなのかは、正直わかりません。
ただ、AさんやBさんの様に、既婚の相手に騙されるいうケースは多いです。
どうせなら既婚者は既婚者同士でくっついた方がマシだと思いますが、既婚者であることをオープンにしている人はほとんどいないようです。

真剣にパートナーを探しているゲイやレズビアンが、魅力的な既婚でゲイ(orレズビアン)の遊び人と出会ってしまう場合が一番危険なようです。
中には、そうした「日影の恋」を望んで、既婚者とお付き合いをする人もいるようですが、リスクは相当あるでしょう。

身も心もドップリとLGBTの世界にはまっている人と、遊びでしかない人とが混在しているという現実。
ある若いゲイの子が言っていた言葉を思い出しました。
「将来的には結婚して子供が欲しいので、ある程度の年齢になったらゲイを卒業します」
私は、LGBTの人と接するようになって、この分野の事を様々な本や情報で勉強してきました。
でも、そうした勉強の中では、前述のような若い子の感覚は理論的に説明できません。
だからころ、セクシャリティの区別がナンセンスに思えてくるのです。

恋愛としてのセクシャリティと、性的衝動としてのセクシャリティを分けて考えるような人もいます。
曖昧な中に、それぞれ個人個人のルールがあって、それを体系的に説明するのは難しいのです。

単に、バイセクシャルな人が増えているだけなのではないか?と思ったこともあります。
でも、それを結論にしてしまうには、少々違和感があります。
セクシャリティというのは、L・G・B・Tとヘテロセクシャル(異性愛者)を、それぞれ明確にぶった切って考えられるものではなく、境界が曖昧な部分を誰しもが先天的に持っているのではないかとも思うのです。
それが、後天的な環境や教育などで凝り固まってしまう人と、ある程度曖昧な要素を持ったまま育ち、行動に現わしてしまう人がいるのではないかと。

トランスジェンダーや性同一性障害については、遺伝子のレベルで何らかの変化がみられるようなレポートが発表されていますが、ゲイとレズビアンとバイセクシャルについては、私の曖昧理論がもしかしたら当てはまるのかもしれません。

10:44 | LGBT論 | No Comments
2011/09/23

久々に『困った相談』をご紹介したいと思います。記憶が確かなら、多分パート2です。

レインボーサポートネットには、LGBTの恋愛に関するご相談も時折寄せられます。過去のご相談の経験則などでお答えできるものについては、回答をしていますが、全く歯が立たないものもあります。

「好意を寄せている親しい友人がいるのですが、向こうも私に対して好意があるように思います。どうやったら恋人として付き合えるようになりますか?(大学生・レズビアン)」

だいたい、こんな感じです。さて、読者のあなたならどう回答されますか?

まず、前提として聞いておかなければならないことがいくつかありますね。

  1. レズビアンであることを相手に対してカミングアウトしているか?
  2. 相手はレズビアンなのか?ヘテロセクシャル(異性愛者)なのか?不明なのか?
  3. 相手から感じ取れる好意とは具体的にどういうものか?

こういう悩みというのは、セクシャリティを問わず存在するでしょう。但し、ゲイやレズビアンの場合、好意を寄せる相手がヘテロセクシャル(異性愛者)であれば、相手からするとそもそもの恋愛の対象ではない友人としての親密さが仇になってしまったような感があるわけで、告白されると一気に疎遠になってしまったりして、友情すら断ち切れてしまう場合が少なくありません。

LGBTの皆さんにとって、友人として親しい関係になっているヘテロセクシャルに愛の告白をするというのは、相当な覚悟が必要です。友人としてとてもいい人だし、趣味も合うし、きっと自分の事を受け入れてくれると思っていたら、逆に思いっきり反発をされて、大変辛い思いをしたという方が多くいらっしゃいます。

恋愛的な告白に限らず、ヘテロセクシャルの親友に、LGBTであることをカミングアウトしたら、相手から友人関係自体を断絶されたというケースもあります。

カミングアウトする側の立場のことはよく語られますが、カミングアウトされる側の立場の事を考えることも重要です。

それまで親友だと思って付き合っていた相手が、ある日突然、愛の告白をしてきたら…

その先にマンガやドラマのような展開になるケースは、滅多にない気がします。

大多数のヘテロセクシャル(異性愛者)の愛の告白は、「当たって砕けろ!!」精神で失敗してもある程度美化されますが、LGBTからヘテロセクシャルへの愛の告白は、当たって砕けろ!!とは簡単に言えないのです。

中村中の曲に「友達の詩」という曲がありますね。まさにこういう状態や心境を表した曲だと思います。

色々考えていると、LGBTはLGBT同士で恋愛すれば問題は解決するではないか!!ということを思いついた事があります。いや、よく考えると、例えば同性同士で恋愛するようになった段階で、それはもうヘテロセクシャルとは言えないわけで、という事は、そもそもヘテロセクシャルとの恋愛を想定すること自体がナンセンスなのか、LGBTからヘテロセクシャルへの愛の告白が成功するパターンというのは、ヘテロセクシャルだと思って日常生活をしている人に対して、LGBTであることを気付かせてあげたということなのか…

そもそも、LGBTとヘテロセクシャル(異性愛者)との恋愛は成立するのかという大命題に突き当たるのです。

性的指向が違う者同士が、果たして恋愛関係になれるのでしょうか?性的関係がなければ可能なのか?いやしかしそれは、親友とどこが違うのか?

LGBTとひと括りにしていますが、LG(同性愛者)の場合と、B(両性愛者)、T(トランスジェンダー)の場合では、それぞれ事情が異なってくるのも事実です。

結局、セクシャリティの分類というのは、そこを起点に考えてしまうと、理屈が合わない事態も生じるということです。ノンセクシャルと主張する人が増えてきているのも理解できます。

12:01 | LGBT論 | No Comments
2011/05/20

『愛するパートナーと結婚し、夫婦となり、子供をもうけて家庭を作る』ヘテロセクシャル(異性愛者)にとっては、ごく自然で当たり前のことです。理屈云々のことではなく、本能的な行動なのかもしれません。男女が夫婦という形でお互いを拘束するのも、家庭を構築するためのパートナーシップを具現化するためのものであると考えても良いのではないでしょうか?愛するパートナーとの家庭を作るということは、人生にとって大きな喜びとなるはずです。

さて、時折、ゲイやレズビアン、トランスジェンダーの方から、子供を持つためにはどうしたら良いのかという相談を受けることがあります。

この相談対応は、セクシャリティーやカップルの状況によって回答が異なってくるわけですが、方法論はともかくとして、そもそも、セクシャルマイノリティが子供を持つことは許されるのかという議論があります。

生殖医学が高度に発展した今日、自然な状態では子供をもうけることが無理なカップルにも、子供を持てるチャンスが訪れるようになりました。しかし、この事は、セクシャルマイノリティに関するだけでも想定外の事象を多く引き起こしています。

例えば、ゲイのカップルが子供を持ちたいと考えた場合、卵子の提供を受けた上で、体外受精させ、代理母に出産してもらうという手法や、レズビアンのカップルが子供を持ちたいと考えた場合には、精子バンクから精子提供を受けて、自分で妊娠出産するという手法、さらには、女性から男性に性転換したトランスジェンダーが、戸籍も男性に変更したのちに、女性と法律婚(法律上の婚姻)をし、AID(非配偶者間人工授精)によって子供をもうける手法などがあります。

現代社会では、セクシャルマイノリティが子供を持つことが出来ないという時代は過去のものになろうとしています。

しかし、そもそも、セクシャルマイノリティのカップルが子供を持つことは許されるのでしょうか?自然な状態であれば、セクシャルマイノリティが子供を持つことは不可能なはずです。科学の力を借りて子供をもうけることは許されるのでしょうか?いやしかし、それは男女のカップルにおいては、いわゆる不妊治療として認められているのものでもあります。自然な状態では子供を持つことのできない男女のカップルであっても、不妊治療の力を借りれば子供を持つことができるし、それは倫理的にも問題になることはあまりありません。

結局、子供を持つ権利は、男女のカップルにしか認められないのでしょうか?

親の立場、子供の立場、様々な観点から、色々な議論があると思います。

実は、私の中でも、まだしっくりといく答えが見つかりません。生殖医療自体が、いわゆる「神の領域」であるわけで、そこに踏み込むこと自体の是非の議論もあると思います。

読者の皆さんはどのようにお考えになりますか?自分の事として考えるのは難しいかもしれませんが、子供を持つことのできる権利について、少し考えて頂きたいと思います。

ちなみに、この問題を考えるにあたって、参考になりそうな映画の公開が始まりました。映画「キッズ・オールライト」です。扱っているテーマはヘビーなはずですが、コメディ調の映画です。色々な家族の在り方を、私たちは受け入れるべきなのでしょうか。

2010/09/24

先日、ドイツの外務大臣(男性)が、男性のパートナーと同性婚をしたというニュースが飛び込んできました。

ついこの間には、アイスランドの首相(女性)が、同性婚をしたというニュースが世界中に流れたばかりでした。

相次ぐ欧米の政治家の同性婚ニュースに、日本の多くの人々は驚いたことでしょう。

一般的に、LGBTといったセクシャルマイノリティの数は、総人口の3~5%程度と言われています。

政治家がゲイやレズビアンであっても何ら不思議ではありませんから、今回のようなニュースは今後も時々あり得るでしょう。

欧米では、結婚は神の前で、夫婦の誓いを立てる儀式だそうです。お互いを人生の伴侶として認め、共に生きていく誓いを立てるという行為。それが結婚だということです。

だとするならば、二人で人生を共に歩んでいくことを誓う行為が結婚だとするならば、なるほど、同性婚も認められて然るべきであるような気がします。

一方日本では、結婚は「家」と「家」との繋がりを重んじた儀式であると言われます。「御両家」といった言い方をしますね。

「家」であるわけですから、家には、結婚する男女二人以外の家族がいるわけです。

舅・姑・兄弟・おい・めいをはじめ、自分たちの子供や、中には祖父・祖母など、日本の「家」は大家族が観念されています。

しかし、現代日本の実情はどうでしょう?

核家族化が進み、夫婦と子供だけという世帯が普通になってきました。

「家」の概念が、小さくなってきたといっても良いでしょう。

それに伴い、結婚の概念も徐々に欧米化してきているような気がします。

お葬式の場合、都会においては既に、『家族葬』が一般化しつつあります。

何かにつけて神に誓いを立てる習慣は、ほとんどの日本人は持ち合わせていませんが、神を仲介にした1対1の人間の関係性の概念は、「家」対「家」で観念してきた家族観や結婚観を徐々に変化させてきているような気がします。

同性婚という制度を知ると、大半の日本人は、自然に違和感を感じると言います。

それは、結婚とは、男女が夫婦になり、子供を作り、「家」を繁栄させていく始まりであるからと認識しているからです。

同性同士では、自然には子供を作ることは想定できません。

「なぜ、同性同士で結婚する必要があるの?」と質問する人の多くは、結婚を男女だけのものであると自然に決めつけているからです。その根底には『家』概念があるのでしょう。

これは、悪いことではありません。価値観は人それぞれです。

宗教観なども相まって、家族間や結婚観は、今、揺らいでいます。

夫婦別姓制度の議論でも、こうした観念的な部分での検討もなされていることでしょう。

 これからの日本社会は、高齢化や核家族世帯の一般化による影響を受けて、家族観もきっと変化してくると思われます。

その先に、同性婚の容認ということが見えてくるのかもしれません。

しかし、現時点ではまだ、日本社会で同性婚は認められづらいのではないかと、私は考えます。

12:01 | LGBT論 | No Comments

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