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2010/03/26

「接遇」というのは、接客業においての接客スキルのことです。

多くの業種が接客業と言えるので、接遇の向上は、社会人全般に求められているものと言っても過言ではないでしょう。

さて、LGBTへの接遇というと、LGBTに対して、こういう言葉は言ってはいけないとか、こういう態度をとってはいけないということになるでしょう。

しかし、LGBTの多くは、自らがLGBTであるということを公にはしていないわけで、LGBTの接遇というのは、実はLGBTではないと思われる人に対しても行わないと実効性を持たないことになります。

つまり、接遇訓練の中に、あらゆるセクシャリティを想定したカリキュラムを取り入れなければならないということです。

ただ、業種によってはセクシャリティをカミングアウトされた上での接遇を検討しなければならない場合もあります。

最近、レインボーサポートネットに問い合わせが多いのは、病院や教育機関、役所関係などです。

職員がLGBTの人と接するのに慣れていないので、どうしたらいいのか?といった初歩的な質問から、具体的に何を言ってはいけないのか?とか、一般の人とどう区別して扱えば差別的扱いにならないのか?といったようなものまであります。

ある意味、LGBTが社会的に認知されてきたのだなと思いますが、LGBTに対して特殊な接遇をしなければならないという風潮が広がるのは危険な気がします。

あれはいけない!これはいけない!とすることによって、形式だけの接遇になってしまいそうな気がします。

なぜいけないのか?ということをきちんと理解してもらえば、自ずと言ってはいけない言葉がわかるはずです。

マスコミで多用されている言葉であっても、LGBT当事者の多くは嫌がる言葉というものが多々あります。「ホモ・レズ・ニューハーフ」などはその代表例です。

存在の認知は進んでも、それが好奇の目までで終わっているならば、状況は良くはなりません。

偉そうなことを書いていますが、私も最初はLGBTの皆さんに対する接遇は散々なものだったと思います。実際に多くのLGBTの人々に接してみて、悪い点を指摘をされながら現在に至りました。

高度な接遇は、相手の気持ちを理解することから始まると思います。

相手の立場に立って、自分ならどう思うか? そう考えることが原点だと思います。

言葉面が美しいだけの接遇ではなく、心のこもった接遇を身につける社会人が増えることを願っています。

12:01 | LGBT論 | No Comments
2010/02/26

ゲイの進くん(仮名・21歳)は自分のブログに、「家庭環境が恵まれない人は、セクシャルマイノリティになり易い」といった趣旨の文章を書いたところ、それに反発する意見を持つ人々の書き込みによって、いわゆる炎上状態となり、ブログの閉鎖を余儀なくされました。

進くんには、ブログの内容とは無関係の誹謗中傷が浴びせられ、あまりにも酷い状態に陥りました。

インターネットは情報の発信が容易にできる分、その反響もまた大きいので、個人のちょっとした気分で発信した内容が思わぬ事態を引き起こしてしまうという、とても怖い側面を持っています。

進くんは、この一件でネットの世界の怖さを実感し、しばらくはブログを再開する気分にはなれないということです。

さて、今日の本題はここから。。

果たして「家庭環境が恵まれない人は、セクシャルマイノリティになり易い」のでしょうか?

家庭環境がセクシャリティにどう関係しているのかということですが、まず、私がこれまでお会いしてきた多くのLGBTの方は、自分自身のセクシャリティについて、先天的なものであると思うと答えておられます。

つまり、生まれてきたその瞬間からセクシャルマイノリティだったと感じておられるのです。

だとすれば、後天的な環境である『家庭環境』に影響されて云々というのは、やはり間違いだということになるでしょう。

しかし、私には進くんの言いたい事がわかるような気もします。

というのは、私が相談に対応してきたLGBTの皆さんの中には、両親が離婚していたり、両親が不仲だったり、何らかの原因で親の愛情を受けることができなかったり、逆に過保護だったりと、なにかしら家庭環境が恵まれない人も多く居られました。

ここだけで考えてみると、セクシャルマイノリティには家庭環境が恵まれない人が多いのではないかと思われます。

しかし、逆に家庭環境に恵まれていたら、上記の相談者たちはLGBTにならなかったのか?というと、それはそうではないような気がするのです。

やはり、先天的ないしは極めて幼少時にセクシャリティは決定づけられているのではないかと思うのです。

以前のレインボーノートにも書きましたが、昨今はバイセクシャル的な男女も増えています。

性のボーダレス化というか、性別進化の最終形、はたまた新人類なのか? セクシャリティは既存の概念では語りつくせない状況になって来ました。

男女の区別は、オスとメスであって、それは生殖を意識した区別でもあります。

人間の科学力が進化して、精子や卵子を不要とした形での子孫の繁殖が可能となった時、もはや男女の別は人間社会に不要なものとなり、多様なセクシャリティが花開く時代が到来するのでしょうか?

『同性愛ほどインテリなものは無い』そう豪語していたゲイの大学教授もおられました。

インテリというか、進化というか、そういう最先端な存在がLGBTだとすると、セクシャルマイノリティを見る目も変わってくるのではないでしょうか。

12:01 | LGBT論 | No Comments
2009/12/04

今年も早いもので12月に突入しました。
毎年この季節になると思うのですが、1年って本当に早いですね。
もう1ヵ月足らずで今年も終了。2010年がやって来ます。
この冬は、新型&季節性インフルエンザの大流行中や、景気の状況も悪く、あまり良いニュースがありません。
それでも何かと忙しい師走、皆様は忙しく過ごしておられることと思います。

ところがこの寒い季節、レインボーサポートネットへの問い合わせは極端に少なくなります。
レインボーサポートネット結成以来、毎年冬場は問い合わせやご相談の件数が極端に少ないのです。
それとは逆に夏場はとても問い合わせやご相談が多いのです。

つまり、「LGBTは夏が熱い!」ということでしょうか。

確かに夏場は開放的で行動的な季節かもしれません。
しかし、夏場に限って何か相談事を抱えやすい季節とも言えないと思うのです。

なぜ夏は、LGBTの方々にとって「相談したい季節」になるのでしょうか?
未だに理由がわかりません。
それでも、レインボーサポートネットの統計によれば、毎年夏場と冬場では極端な数値の差が出るわけです。
冬場の方が、悩みやすい季節のように個人的には思うのですが…
この季節の法則、不思議でなりません。

季節の法則以外では、お盆やお正月の直後にはカミングアウトに関する相談が舞い込みやすいという法則があります。
これは、家族や親戚が一堂に会する機会が多いお盆やお正月の時に、結婚や人生設計に関する周囲からの強力なプレッシャーがかかりやすいという事情が影響しているからでしょう。
実際に「もうこれ以上は隠しきれない」とか「真実を話して楽になりたい」など、相当なプレッシャーに悩んだ末に相談をしてこられるケースが多いです。

1年は過ぎ去ってみれば早いものですが、毎年繰り返されるイベントや各季節の「季節感」が必ず存在します。
冬場だけで考えてみても、クリスマスや年末年始の休日は、カップルにとっては重要なイベント期間でしょうし、そこに向かって良い出会いを探しているという方もおられるでしょう。
四季のある日本だからこそ、意識しなくても、何となく季節ごとのテンションが自分の中に自然発生的に生じるのかもしれません。

社会を取り巻く状況や外の気温は寒くなる一方の今日この頃ですが、心は温かい冬になるように願うばかりです。

01:48 | LGBT論 | No Comments
2009/02/27

イズミさん(28歳・仮名)は、体の性は女性で、心の性は男性という『トランスジェンダー』です。

トランスジェンダーとは、わかりやすく言うと、「体の性」と「心の性」が異なる人のことです。

他にもさまざまな解釈や広義・狭義の定義があって、LGBTの中でも一番難解なセクシュアリティといっても過言ではないでしょう。

一般には、性同一性障害の人を想像するかもしれませんが、トランスジェンダーの人が必ずしも性同一性障害であるとは限らないので「=(イコール)」の関係ではありません。

性同一性障害は、体の性と心の性の不一致について、医療的措置(ホルモン療法や性別適合手術)が必要な場合の呼び名であって、医学的な概念によるものです。トランスジェンダーの人全員がそうした医療的措置を必要としているわけではありません。このことから、性別適合手術を望む人のことを「トランスセクシャル」と呼んで区別することもあります。

さらに、トランスジェンダーの意味には、生まれつきの性にこだわらないという側面もあって、男女の性別にとらわれない中性的なものや、性別自体を超越したり、性別という概念が皆無であるという主張さえもその範疇に入ると解されることがあります。

さて、冒頭のイズミさんは、肉体的性別は女性ですが、心が男性です。自分自身の性自認が男性であるので、見た目も振る舞いもどことなく男性っぽい感じです。髪型や服装も男性っぽくしています。イズミさんは体の性と心の性に違和感を持っていますが、性別適合手術や戸籍上の性別変更手続までは望んでいません。ですから、性同一性障害というわけではないのでしょう。自分自身の二つの性別を受け入れている状態なのかもしれません。

このようなトランスジェンダーの方は多くいらっしゃいます。

さて、イズミさんですが、ここまでなら普通のトランスジェンダーなのかもしれません。しかし、ちょっと変わっています。それは、イズミさんの恋愛対象は「男性」なのです。

つまり、体の性=女性 心の性=男性 恋愛対象の性=男性 ということです。

体の性と恋愛対象の性だけに目を向けて考えると、女性が男性を好きになるという、ノーマルなセクシャリティになります。普通の男女のカップルですね。

しかし、心の性が男性であるイズミさんは、男としての心で、男を好きになるわけですから、イズミさんの内心では同性愛(ゲイ的心情)が生じているわけです。

イズミさんには男性の恋人がいますので、もし結婚しようと思えば、イズミさんは戸籍上の女性という性を使って入籍することができます。

イズミさんは、自分の女性としての体には違和感を持っているが、子供は欲しいので、結婚したら体外受精などの医療的手段を使って妊娠・出産したいと話しています。

イズミさんの恋人も、イズミさんのトランスジェンダーを受け入れており、二人は近い将来結婚を考えています。

イズミさんと全く逆のケースもあり得ますね。体が男性、心が女性、恋愛対象が女性という場合です。これは、トランスジェンダー的レズビアンということになるのでしょうか? 外見上はノーマルなんですけど。

セクシャリティを考える際には、①体の性 ②心の性 ③恋愛対象の性 の3種類を考えなければなりません。

しかし、セクシャリティの区別を考えれば考えるほど、区別することそのものの意味が無いように感じてしまうことがしばしばあります。イズミさんのケースのような場合、行政手続としての「結婚届」を考えると、男女が結婚しているのか、トランスジェンダー的ゲイが同性婚をしようとしているのか、よくわからなくなってきます。法は、肉体的性別のみを基準に男女を決していると考えれば、割り切ってこの問題を解決できるのでしょうけど、そういう基準は明らかに時代遅れだと思うのです。

かといって、法に「心の性」を考慮することを要求するのは酷ですし、実務上は不可能でしょう。なぜなら、心の内にある性を客観的に立証することは困難だからです。

性同一性障害という言葉が世に知られるようになって、心の性と体の性の不一致で悩む人々に配慮するために、一部の自治体では印鑑証明書などの書類から性別が削除されるようにもなりました。基本的に、役所の発行する書類のうち、性別を記載する必要のないものについては可能な限り性別の記載を止めようというのが現在の流れです。

手続きの現場でのこうした動きは、国会での性同一性障害特例法の成立によるものですが、身分法の根本規範たる民法の改正には至っていません。セクシャリティに関する法的権利のうち、性同一性障害であるトランスジェンダーについての法改正は行われました。では、LやGの権利はどうなるのでしょうか?

セクシャリティというのは、趣味嗜好ではありません。好き好んで選択しているものではないのです。私も最初はこの辺を誤解していましたが、LGBTの当事者は、ほとんどが生まれつきのセクシャリティであり、それに気付くのが遅いか早いかという個人差はあるにしても、まさに天から授かったセクシャリティであるわけで、自分自身に選択肢があるようなものではないのです。

こうした生まれつきの、自分自身の努力ではどうすることもできないような事柄について、結果的に差別的な規定になってしまっている民法の条項は、積極的に見直していくべきであると思うのです。

例えば、LGBTに関しては、民法の婚姻に関する条項について改正して同性婚を認めるか、新たに同性パートナー法を制定するなどの点です。現行民法は、非嫡出子に関する相続分の不当差別にみられるように、21世紀の現代の家族法としてはあまりにも旧態依然の側面があり過ぎるように思えてなりません。

少数者にも配慮できるということが、民主主義の『光』でもあるはずです。

LGBTを通して見る日本社会は、まだまだ歪な発展途上の民主主義社会であるように思えます。

2009/01/30

LGBTに対する『理解度』や『受け入れ度』は、人によって大きな格差があります。

中でも顕著なのは世代間での格差です。

年齢が上がれば上がるほど、LGBTへの理解や受け入れの度合いは低くなっていきます。中には明らかに差別的な表現をされて嫌悪感を露わにする方もおられます。

こうした世代間の受け入れ格差は、各世代の生育環境や社会情勢、教育などが深く関わっていると思われます。

RSNでは企業や団体に、LGBTセミナーを実施していますが、講演中に思うのは、年齢の高い世代の人にLGBTに関する正しい理解を促すのは本当に難しいということです。確たる理由もなく毛嫌いしている人の誤解や偏見を解いていくという作業は容易ではありません。

さて、こうした世代間の受け入れ格差は、様々なところに影響しています。若手は理解の少ない世代が作る厚い壁にぶつかり、それを何とか突き崩そうと努力しています。

例えば、私は行政書士という仕事を通じて、LGBT当事者の皆さんの行政手続や法的書類作成のサポートをしていますが、こうした活動について同業者から理解を得られないことがよくあります。行政書士の業務である各種行政手続の代理や相談、契約書や遺言書作成に関する業務を行っていても、なぜLGBTがそういう業務の対象となるのか理解していない同業者が少なからずいるのです。これは、LGBTの人々が抱えている問題を理解していないからでしょう。

LGBTというのは、セクシャリティの問題であり、セックスの問題ではありません。レズビアンとかゲイといった言葉を聞いただけで、何か「いかがわしい」分野の業務をしていると思い込んでしまう残念な“先生”がおられます。こういう人に遭遇してしまった時には、その人のために一からLGBTセミナーをするわけにもいかないので、苦笑いでスルーするしかないです。

同じような話をマスコミの方から聞くこともあります。RSNの活動についていくつかの新聞社などが報道してくれたことがあるのですが、そうした記事が紙面に実際に載るにも現場の記者さんと上司の様々な駆け引きがあったり、テレビ局の場合には現場のディレクターと上層部の意見の食い違いなどがあるそうです。

それでも、LGBT問題に取り組もうとする若手のジャーナリストたちは、自分の信念のために社内の様々な抵抗勢力と戦いつつ、LGBTの人々が抱える問題を社会に訴えているのです。

ただ、残念なことに、LGBTのことを全く理解しておらず、興味本位で見世物的に番組で取り扱おうとして、LGBT当事者を紹介して欲しいと申し出をしてくるマスコミ関係者もいます。

いわゆる「カミングアウト」的な瞬間をネタにしようという不心得な人です。LGBTに対する正しい理解を促進するようなスタンスであれば、RSNとして希望する相談者には報道機関を紹介することもあり得ますが、露骨に視聴率稼ぎ的で見世物的な番組作りに協力することはできません。

基本的に、RSNに相談して来られる方は、そうした社会への露出を希望している人は少ないということも知って頂きたいです。

今、テレビのゴールデンタイムという時間帯には、どのテレビ局の番組でも、LGBT関係の人と思わしき人たちがたくさん出演しておられます。

それはそれで、LGBTの存在が社会に認知される一つのきっかけにはなると思いますが、あくまで『見せる』ことをビジネスとしている人たちであって、LGBT当事者全員がそういうスタンスではありません。

実際に私がお会いするLGBT当事者の皆さんは、見た目でそれとわからないような方々がほとんどですし、社会的にオープンなカミングアウトを望んでいる人は少ないです。

自分がLGBT当事者だとカミングアウトすると、テレビで見たあの人たちと同じように思われるのは嫌だという人もいます。

おそらく、テレビで見る人たちは、ことさらLGBTであることを強調しているように見えているからでしょう。

そうしたLGBTであることを強調していること自体を面白おかしく見るのは現在の社会的風潮といってもいいでしょう。

LGBTが社会に正しく受け入れられているというよりは、一種の『見世物』になってはいないでしょうか?

それを助長しているのは他ならぬマスメディアなわけで、これが『見世物』であるならば、やがて流行は過ぎ去り、あの方々はテレビ画面から消えていくでしょう。もちろん、そんなことは織り込み済みなのかもしれません。

マスメディアといっても、報道とバラエティでは伝えるスタンスが異なるので、これをごちゃ混ぜにして語るのは失当かもしれません。

しかし、見ている側としては、報道とバラエティの区別はさほど重要ではなく、いずれも社会現象の一つの表れとして、自然に脳裏に焼き付いてしまうのではないでしょうか?

LGBT当事者のセクシャリティに対する葛藤を知れば知るほど、バラエティ番組で見るLGBTの皆さんがどうしても刹那的に思えてなりません。

現在の日本では、多くの一般の人に、LGBTについての正しい理解をしてもらう場というのは、まだまだ少ないのが現状です。しかし、若い世代が自然とそれを受け入れ、セクシャリティの差異を差別的なものとして捉えるのではなく、一種の『個性』として認識し始めている現状をみると、少なくとも若い世代にだけはLGBTに対する正しい理解が進行しているのではないかと思います。

若い世代は、メディアによって作られた流行や自分の傍にいるマイノリティから影響を受けて、自然にそれを受け入れているのであって、『人権』というものを特に意識してLGBTに対する認識を深めているわけではないと思います。

しかし、そういう自然な感覚がまさに自然権としての人権に近いものであって、こういう世代がこの国を動かす様になった時、日本のLGBTに対する社会制度は大きな変革期を迎えるのかもしれません。

01:01 | LGBT論 | No Comments