2010/03/10

番外編つづいてすんません。
何度か言ってるかもしれないけれど日本でエミネムの評価が低すぎる気がしてならない。

まあこのサイトを書いている人はエミネムの熱狂的なファンであるわけですが、最近ドレイクっていうラッパーをエミネムが拾い上げてコラボしていることもあって、エミネムの話題が増えて嬉しいです。ここ最近あんまりなかったからさ・・・

http://news.jp.myspace.com/NewsArticles/6020.aspx
グラミー賞、ビヨンセが6部門獲得!!

2010/2/2 2:10配信:

(ライター:MySpace Japan)

世界最大の権威と認められている音楽賞、グラミー賞が日本時間の今日2月1日午前中に米ロスアンジェルスのステイプルズ・センターで開催され、ビヨンセ(Beyonce)「Single Ladies (Put A Ring On It)」がソングズ・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

ビヨンセはその他にもアルバム『I A…Sasha Fierce』やシングル曲「Halo」、「At Last」などで、ポップ・パフォーマンスとR&Bパフォーマンスのそれぞれ女性部門や、R&Bアルバム、R&B楽曲、伝統的 R&B楽曲の各部門も受賞、計6部門ものグラミーを獲得した。

一方ラップ・カテゴリーではビヨンセの夫ジェイ・Z(Jay-Z)がシングル「D.O.A.」でソロ部門と、リアーナ(Rihanna)、カニエ・ウェスト(Kanye West)との共演曲「Run This Town」でコラボ部門を受賞。ラップ・アルバム部門はエミネム(Eminem)の『Relapse』が受賞した。エミネムは50セント(50 Cent)、ドクター・ドレー(Dr. Dre)との「Crack A Bottle」でグループ・パフォーマンス部門でも受賞を果たし、ジェイ・Zとともにそれぞれ2部門を獲得している。

また大活躍だったレディ・ガガ(Lady Gaga)は主要な賞を逃したものの、ダンスミュージックカテゴリーで2部門を受賞。ブラック・アイド・ピーズ(Black Eyed Peas)もアルバム『The E.N.D.』とシングル「I Gotta Feeling」でポップカテゴリーの2部門を、さらに「Boom Boom Pow」でショート・ビデオ賞もとって計3部門を受賞した。

一方、よりアンダーグラウンドな作品を評価するアーバンと名付けられたカテゴリーではインディア・アリー(india.arie)がシャーデー(Sade)をカバーした「Pearls」が受賞を果たしている。

全体にベテランの受賞が目立ったアーバン・ミュージック関連だが、特にラップ・カテゴリーについては、グラミー賞の式典開催前にネット上で結果が公表され、ヒップホップ・ファンからは同賞がラップを軽んじている証拠だなどと不満の声も上がっていた。(notrax)

うちの会社の端末でエミネムって検索したけど全然出てこなかった!クソだね!世界に名だたるエミネム様なのにね!とにかくエミネムの評価が低い!

先だっての吉幾三ブームでも発覚したことだが、ヒップホップの汎用性はやばい。

何がすごいかっていうと自分の伝えたいことをこれだけストレートに言えるということ。そしてラップという新たな音楽形態にとても忠実に、自分のことばをリズミカルに紡ぎ出せることがすばらしい。
その証拠と言ってはおかしいかもしれないけれど、彼のライムがこれだけいろいろな曲に乗せられても、きちんと彼の曲って分かる。これがエミネムのすばらしさ。

彼はMarshall Mathers LP以上のアルバムは作っていない。でも私は敢えて今エミネムに振り返りたい。Refillという、Relapseと抱き合わせみたいなせこいアルバムを作ってもやっぱり好きなんです。
それどころか私はRefillを聞いて新しいエミネムが見えたような気がした。Drakeとかの曲を聴いたときには、攻撃的に、そして暴力を表現することによって新たなステップに進んだことが分かった。
エミネムの3.A.M.という曲は、明らかにこれまでの彼になかった局面を表している。個人史でもなく、実際にあったことでもない。なのに、身に迫るリアリティの強さはこれまでの曲と同じくらい感じられる。彼が自分の目の前の出来事、感じていることを抽象化する術を身につけたことが分かった。
自分を商品化し続けることは辛い。だからこそ彼はwhen im goneで一度キャリアに一区切り付けた。beautifulという曲の曲調は、これまでであればヘイリー(娘)に語り掛ける曲にしか使われてこなかったものだ。しかし実際の中身では、「他人に『美しくない』なんて言わせるな」という、多くの人を対象として紡がれている。どこかでけなされる子どもや、疎外感を感じている人たち、そしてエミネムを嫌いな人たちに対しても歌われている曲。そこにはこれまでとは違う、新しいエミネムの姿があった。

正直言ってrelapseは消化不良のアルバムだ。もっともっといい曲あるだろ!作れるだろ!という気持ちになる。でも確かなことが1つだけある。エミネムはまだ全然終わっていないということ。きっとこれからも、もっと他人の目を気にせずにやってくれると思う。そして他人の目をひたすら気にしなければならず、揚げ足取りばかり盛んになってしまった現代社会に対して、舌を出し続けてくれるはずだ。そんなことばっかり言っていてどうなるんだ、根本的な問題はもっとあるだろう、ということを、暴力的な表現に抽象化することで表している。ロックな態度で、ラップという手法で、本当の意味で暴力的な社会になっている恐ろしい資本主義のシステムそのものを批判していく、そんなエミネムであり続けてほしい。

2010/03/10 04:08 | 番外編 | No Comments
2010/02/24

実は小沢健二がエルサルバドルからスカイプで講演するというのでこっそり大阪に見に行っていました。

わたしはマスコミの人間であるけれど、今のマスコミの報道状況っていうのはどこかおかしいと思っていて、ずっとそういう立場から「うさぎ!」を読んでいた。そういう背景があるからこそ、小沢健二氏の今の講演を見ることには非常に興味があった。また、行われた「アートの力を信じる。」というNPO「COCOROOM」のシンポジウムの内容そのものにも興味をもったので、ちょっと遠かったけど足を運んだ。

(ちなみにその後京都に行く用事があったのでかなりハードスケジュールでもあった)

内容をざっくり説明すると

近年アートを文化政策という文脈で語る論調がある。ロンドンの文化政策研究所のレポートによると、経済家政科やself esteemを高めると言うこと、刑務所から戻ってきた人が再び罪を犯さないようにすることなどが理由としてあげられている。アートを学ばせることはsocial inclusivenessにつながるともしている。しかしそもそも本当にその人たちはアートをやりたいのか?サッカーとかが見たいんじゃないのか?そもそもincludeするという考え方は傲慢だし、includeするのか?
丸いアートが好まれる傾向もあるようだが、果たして丸いアートは面白いのか?アートはとがっていてこそなのではないのか?
文化政策には年700億の金(どこの金かは失念)は分配されているが、誰がそれを分けているのか?アート協議会のメンバーはキーワードを「野心」としている。「優秀さへの野心がなければ達成はできない」「ほどほどではOKというのは間違っている。そうすると二度と客は戻ってこない」としている。このような視点はありなのか?
しかしこういうことに乗っていかないとうまくいかない面もある。こうした意図を見抜いてやりぬいていくことはできるし、何かたくましくやって行くことはできるのではないか。

小沢氏の視点はさすがと言わざるを得なかった。大学で社会学(社会科学)を学んでいたわたしとしては懐かしいものでもあった。

これからの時代において「意図を見抜いてやり抜くことはできる」「たくましくやっていけるのでは」という結論に持っていったのは、どこか希望がないような空気もあったけれども、逆に希望のある考え方なのかもしれない。自分はその中でどのように動いていけばいいのか、改めて考えさせられる一面だった。

この1年間、転職するかしないかで私は悩み続けていた。今の経済状況も分かっているから、自ら手にしている仕事を手放すのはそれなりに辛い。しかも、社内で評価が高い人であればともかく、決して私はそうではない。きっと、他業種の人にとって私は魅力的な人間ではない。余計に転職できなかった。当然のように、私が出した答えは「今年は転職しない」だった。

いろいろ理由はあったけれども「まだこの世界でやることは残っているのではないか」と思ったことが一番大きかった。いや、そりゃやることがなくなることなんてきっとないと思うのだけれど、少なくとも私という人間がこの業界をまだ見切れていないし、知り切れていないからだった。体制に飲み込まれてばかりで、「意図を見抜いてやり抜く」というところまで全然達せていない。

しかし、正直言って今の状況でそこまで行けるのかは微妙だ。そこまでしたら過労で私は死んでしまうかもしれない。でもそれでも良いと思った。だってまだまだそこまで行けていないのだから。

昔アルバイト先の人に言われたことがある。
「誰かを助けようと思ったら、現在の尺度の中で誰よりも努力しなくてはらならない。いろいろな手を使わなくてはならない。そうして初めて、自分のやりたいこととか、誰かを助けることができる。それはとても辛いことかもしれないけれど、そうしないとやっていけないんだ」と。
どういう場に立っていても、わたしはその言葉を胸に抱きながら生きていくと思う。生きるのならば、たくましくいなければならない。

小沢健二氏の講演は、改めて私を就職した原点に引き戻すもので、身の引き締まる思いになるものだった。

2010/02/24 03:16 | 番外編 | No Comments
2010/02/10

 グラミー賞の季節になってまいりました。
(この記事そのものを書いたのはグラミーの前)

http://www.rbbtoday.com/news/20100126/65240.html

ビヨンセ? レディー・ガガ? まもなく発表のグラミー賞を予想せよ
グラミー賞2010 予想コンテスト
※ クリックで拡大
グラミー賞にノミネートされたアーティストたちのコンピレーションアルバム発売を記念して、EMIミュージックの特設サイトで音楽ギフトカードなどがもらえる「グラミー賞2010 予想コンテスト」を実施中だ。

第52回グラミー賞がいよいよ1月31日(日本時間2月1日)に米・ロサンゼルスのステイプルズ・センターで発表される。その授賞式当日にEMIミュージックより発売されるCDアルバム「グラミー・ノミニーズ2010」は、「最優秀レコード」など主要部門を中心に、賞にノミネートされたブラック・アイド・ピーズ、レディー・ガガ、ビヨンセ、コールドプレイ、キングス・オブ・レオン、テイラー・スウィフト、ケリー・クラークソン、グリーン・デイ、ケイティ・ペリー、U2などの楽曲20曲を収録。洋楽コンピレーションアルバムとして注目の1枚だ。

EMIミュージックの特設サイト「グラミー・ノミニーズ2010」では、現在、音楽ファンが同賞主要部門を予想する「グラミー賞2010 予想コンテスト」を実施中。「最優秀レコード」、「最優秀楽曲」、「最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス」「最優秀ダンス・レコーディング」を理由とともに予想してもらっている。すべて正解し、最もクールな理由を書いていただいた1名に5,000円の音楽ギフトカードをプレゼント。締め切りは発表直前1月 31日24時までだ。同サイトでは専門家による予想も掲載されているので、参考にするといいかも。
(関口賢@RBB 2010年1月26日 16:52)

最終的にはビヨンセが取りましたね。
これまでも何回かビヨンセはグラミーを取っているし、今更騒ぐことでもないんだけれど。でも、初めて聞いたあの日から10年経っていると思うと感慨深い。
この曲からビヨンセを知ったという人は多い。以前も少し書いたかもしれないけれど(書いてないかもしれない)、このころ(1999年)は日本でも空前のR&Bブームが起きた時期だった。TLCが出て、オリコンでも大騒ぎになった。当時デスチャは4人だった。
歌詞の内容的にもこういうの流行ってたんだよな。ろくでもない男を振るっていうか、あんたなんかダメよっていうやつ(同じ流れにTLCのNo Scrubsがある)。
その流れをツンデレとみるか、ジェンダーフリーの裏返しと取るかはよく分からないけれど、日本の歌でもそういうの流行ってたような気がする。というかR&Bの曲調とそういうのが合うのか?

今ビヨンセに「アイドル」というイメージを持っている人はそんなにいないかもしれないけれど、当時はいかにもなアイドルだった。お父さんがプロデュースして、お母さんが服とかやってんだっけ?そんな感じで。しかも2人抜けて、また2人入って、1人抜けてって。その様子はしょっちゅう「アメリカのモー娘。」と言われていた(少なくともわたしの周辺では)。
でも4人デスチャ時代から、プロデュースの方法もあったせいかもしれないけれど、ビヨンセの存在感と歌はやっぱりずば抜けていた。Crazy in loveというソロ曲が出たときには「いつかこういう時がくると思ったけど・・・」と感じた。
ただのアイドルだった人がここまでカリスマ的人気を誇ってるのってすごい。しかも10年選手で。当時同じように流行った人たちを思い出してほしい。クリスティーナアギレラ、ブリトニースピアーズ・・・同じくらい活躍している人ってほかにどこにいるんだ?
まあどのアイドルグループでもバンドでも大抵の場合、誰か人気を引っ張っている人とかがいる。ソロになって成功するか失敗するかっていうのはばらばらで、失敗する例もそれなりに多い気もする。ここまで成功できた人は珍しい。
対するレディー・ガガは「イロモノ」系だ(これはまた別にいつか書こうと思うけれど)。どちらかと言えば正当派R&Bの流れを汲んで色づけしているビヨンセとは全く違うからこそ、面白い対抗馬。テイラースウィフトは悪いけどそういう意味ではビヨンセに及びません。

昔ほどじゃないけれどやっぱりビヨンセの背筋の通りっぷりとか、凛としている雰囲気とか好きなんだよなあ。別に一番好きなアーティストではないけれど、このBills, Bills, Billsの衝撃は大きかった。ちょうどイギリスに行ってたころで、大流行していて、日本に帰ってきたらちょうどいいタイミングで流行り始めた。何度も聞いて頭の中にすり込まれた。ある意味、洋楽を聴き始めたきっかけにもなった曲だった。忘れられない。

女の子の1つの「成功例」として、世の中に出回り続けるビヨンセの姿。チャリティーとかにも参加していてひたすら「いい」イメージで、1つの完璧な姿だ。そんなものは広告代理店が勝手に思うイメージをすり込まれているだけだよってよくわかっているけれど、わかっていない人も含めて、彼女の「すばらしさ」は世界に広がっていく。作られた伝説が始まったのは、この曲が最初だったなあ、と、感慨にふけりながら思う今日このごろだ。

どうでもいい余談:大昔当時の彼氏とカラオケに行ってこれを歌ったら「何?これマリスミゼルの曲?」と言われて盛大に吹いた。確かにイントロはそれっぽいかもしれないwwww

2010/02/10 06:52 | 音楽 | No Comments
2010/01/27

「うさぎ!」(小沢健二作)より
Ecology of Everyday Lifeの帯の文章)

おそろしい仕組みをつくって人びとをいじめていた者たちと、
「仕方がないよ、そういう仕組みなんだから」
と従いつづけていた者たちは、
ある日、とつぜん町の中が騒がしくなったかと思うと、
次の日には、かならずパンツ一丁で逃げまどうことになるのでした。

灰色は、その歴史を、
なるべく人びとに見せないようにしていました。
それは、あまりにも大きな、
楽しさとか、喜びとか、希望とか、優しさとか、おもしろさを、
人びとに与えてしまうからでした。

何気なく手に取ったCDの帯に書いてあったこの言葉は、わたしの人生を変えてしまった。レイカ、当時就職活動中。記者になった遠因を与えたCD。06年3月のことだった。

CDは買わなかった。そこまでよく分からなかったからだ。しかし、文章は忘れられなくて、携帯にその場で打ち込んだ。
見せないような歴史
わたしはそれがどういうものなのか、ある程度知っていたのだ

「本当にわたしはこのままの人生を歩んでいて良いの?」
もう一度考えなければならないきっかけをくれた

当時わたしは大学院への憧憬を抱きながら就職活動をしていた
担当教授は大好きだった、でも彼はわたしが学者になることを望んでいなかった
大学院に行くという選択は、わたしにとっては学者になることとイコールだった
院卒、という学歴はほしかった
でもそのために大学院に行くという選択は、してはいけないものだという認識が私にあった

学者になるならば、院卒という冠がほしいのであれば、わたしは国連職員になりたかった
またはそれに準じる職業に就きたかった
どこかでそれに従うべきではない、拒絶するべきではないかという迷いもあった

「次の日には、かならずパンツ一丁で逃げまどうことになるのでした。」
王道ばかりを選んでいくとこういうことになるのではないか
自分はパンツ一丁で逃げ惑うのが怖かった
それだけの思いで就職活動をしていた

でもそんな思いでいてはいけない
どこにいたって、何の経験をしたって、
きっと何かが学習できる
会社に飲み込まれるのではなく
会社で何かを学ぶことが
何かを盗み取ることができるのだと信じることで
わたしの道が開けるのだと信じるしかない

冠がほしいなんてそんな考えは
いつかひっくり返るのかもしれないのだから
考え直さないとダメだと言い聞かせた

そしてわたしはそれから必死で小沢健二の過去の音源を集めた
元相方のコーネリアスの音源も聞きまくった
そして書類審査を通っていたJICAのネット試験を受け忘れた

そして正直に
「M.I.A.というミュージシャンがいるのですが、彼女のように、世界を俯瞰して自分の足下を見つめたい そういう場にいられるのは記者だと思った」
とエントリーシートに書き、今の会社の記者職に入社した
ちなみにほかの同業者の会社も受けているが、記者職では受けなかった
記者職ではないもので最終面接まで行った某新聞社の重役に
「君は記者の方が向いているのではないか」
と言われたのが直接的なきっかけとなり、記者になった

前から記者に興味がなかったわけじゃない
周りには当時毎日のように記者を薦められていた
が、新聞もテレビも全く見なかった(ホント)の私には
向いていないのではないかと思っていたし就職試験に受からないと思った
それに現在のメディアには常に懐疑的だった
にもかかわらず最終的に記者になったのは
きっと苦労しても後悔しない人生になる可能性があると信じたからだった
ちなみにほかに受かったのは
証券会社と不動産関係会社だった
60社以上受けて、わたしが通ったのはその3社だけだった

http://natalie.mu/news/show/id/26518

小沢健二ライブ活動再開!13年ぶり全国ツアー決定

小沢健二が13年ぶりとなるコンサートツアー「ひふみよ」を5月より開催することが発表された。

彼がライブツアーを開催するのは、1996年暮れに全国3カ所で開催された「lover」以来。ツアーに伴い小沢本人が開設した特設サイトでは、ツアーメンバーとして中西康晴、中村キタロー、木暮晋也、真城めぐみ、スカパラホーンズ、沖祐市(東京スカパラダイスオーケストラ)、及川浩志、白根佳尚といった面々が参加することが発表されている。

ツアースケジュールは5月20日の神奈川県民ホールから6月25日の福岡サンパレスまで13公演を予定。詳細は後日発表される模様だ。

このツアーでは1990年代に発表されたアルバムやシングルの楽曲を披露する予定とのこと。ひさびさに音楽活動を再開するにあたっての彼の考えについては、現在特設サイトで公開中のロングインタビューで語られている。ファンはぜひチェックしておこう。

小沢健二のためならなんだってしてやるよ。

今だってこの仕事に就いたことが正しいかどうかよくわからない
でもあの時、小沢健二の書いた文章に刺激されなければ、
わたしは記者にならなかった

小沢健二の曲で一番好きなのはローラースケート・パーク
「ありとあらゆる種類のことばを知って何も言えなくなるなんてそんなバカな過ちはしないのさ!」

当時卒論も同時執筆中で、行き詰まっていた
いや、「生き詰まっていた」のか
この曲は決して最近わたしが好きなごりごりのエレクトロでもなんでもない
でも、道を歩いている中で、一生懸命悩む様子や、そしてその中で考えていく様子・・・
風景を見ながら、そして自分が文字に残すべきことは何なのか考え続け、
その様子を当時はブログという形で書き残していた
自分の見ていた風景と、小沢健二の見ていた風景はきっと同じ(物理的な意味ではなく)と信じられた

いつだってそうだった

わたしはきっとエミネムと同じ風景を見ていた
わたしはきっと椎名林檎と同じ心情を感じてた
わたしはきっと山崎洋一郎さんと同じことを思っていた
きっとすべて思い込みだ
思い込みでもいい、誰とも共有できない、ことばに出すことを憚られる何等かの思いを
音楽か文字を通じて感じ取って
辛い思いを乗り越えていくしかなかった
友達はみんな愛していた
今も愛している
でも、どうがんばっても、完全に同じ思いは得られなかった
届かないどこかへの思いを常に追いかけていた
自分の過去をどうやったら生かせるの?
その質問には誰も答えを出せない

小沢健二という生き方は、商品化というプロセスにおいて見逃せなかった
フリッパーズギターというバンドを組んだ
解散した
ソロになった
カローラ2に乗った
テレビに出まくった
全く違うCDを作った
メジャーシーンから見えなくなった
突然復活して雑誌に連載した
そこには世界を見た小沢健二がいた

わたしは一番「商品化」されていた小沢健二を知らない
しかしその人が、人間の商品化のプロセスを痛烈に批判する文章を書いていた
しかも、分かりやすい、絵本のようなスタイルを取った文章を、専門誌に、だ
その彼が、なぜもう一度音楽をやるのか
しかも自分がもっとも商品化された時期の曲を
なぜもう一回やるのか
どうしても見逃せない

2010/01/27 10:21 | 音楽 | 2 Comments
2010/01/17

同業者に強烈にナウシカを勧めまくっている私ですが(注:このブログはあくまでも音楽が中心です)、先日も勧めてきました。ちなみに現在某社の某同業者さんにレンタルしてます。自宅にあると眠れないくらい何度も読んでいるので。

おこがましいけど

自分とナウシカがかぶるんだよ!!!!

さて本題に戻ります。冒頭の話は後で出てきます。

このブログで何度か言っていると思うのだが私はもともと報道陣の1人として働くことなど全く考えていなかった。むしろあんな仕事大嫌いだった。今も正直そんな好きとは言えない。

お涙ちょうだいの記事なんて大嫌いだ。ストーリーを何かと作りたがる人たちは大嫌いだ。写真とかそんなの嫌いだ。人は報道陣からニュースをもらうのではなく自分でニュースを探すべきだと考えている。報道なんてあっても意味ないんじゃないの?そういう風に毎日考えながら、泣きそうになりながら、私は仕事をしている。

本当は機械のような人間になりたい。

<以下引用>
ルミナリエ 鎮魂の趣旨伝え方模索…来場者、募金とも昨年下回る
阪神大震災の犠牲者を悼み、街の復興を願う光の祭典「神戸ルミナリエ」(3~14日)が閉幕した。震災の年に始まり、15回の節目を迎えた。今年の来場者は昨年より10万5000人少ない365万人で、会場での募金も約7149万円にとどまった。「単なる観光イベント」と批判する声もあり、主催者側は来場者に開催趣旨をどのように伝えていくかを模索した年でもあった。
主催する組織委員会によると、来場者数は1995年の第1回に次いで少なかった。12日間開催となった2007年以降、減少傾向が続く。また、旧居留地(神戸市中央区)など会場で協力を呼びかけた「1人100円募金」も来場者の減少が響き、昨年より約600万円減った。
会場の「東遊園地」にある「慰霊と復興のモニュメント」。期間中、犠牲者の名前が刻まれた銘板の公開が、ルミナリエの消灯まで延長された。来場者が少ないため、今年は4か所に案内看板を置き、20分おきに案内アナウンスを流した。しかし、記念撮影で大混雑するイルミネーション周辺とは対照的に、モニュメント内に立ち寄る人はまばら。
何も知らずにモニュメントに入り、犠牲者の銘板を見たという岡山県倉敷市の会社員男性(19)は「追悼の意味があることを知らずにルミナリエを見ていたが、銘板を見ると感じ方が変わった」と話していた。
週末の市民ステージでは、防災メッセージを発信するイベントもあった。
最終日の14日は、モニュメントそばの「1・17希望の灯り」周辺で、神戸芸術工科大の学生らが青いキャンドルを並べ、鎮魂ムードを演出した。
組織委の担当者は「確かに鎮魂のイベントとは知らずに来ている人が増えている。しかし、会場でそっと手を合わせている人もいる。毎年工夫を重ねて伝えていきたい」とする。
矢田立郎市長は10月の市長選の公約で、ルミナリエの継続開催を掲げている。
(2009年12月17日 読売新聞)

震災と、記者たちの15年<5>今しか聞けない言葉

「生きた証し、生きた証し」。震災で亡くなった子供の顔写真を集める「笑顔班」に入った水野広宣は、デスクから聞いた言葉を心の中で繰り返しながら、連日、遺族を訪ね歩いた。
もちろん、いきなり顔写真の話は切り出せない。趣旨を説明し、どんな子供だったかを聞かせてもらったうえで写真をお借りする。
取材を重ねるうち、自分の心に変化が起きてきたことに気づいた。最初は顔写真を集めることに必死だった。それが途中から、話を聞くことの方が大事だと思えてきた。
松村克彦さん(69)との出会いがきっかけだった。神戸市灘区弓木町にあった木造2階建ての自宅が全壊し、高羽小5年生だった長男、憲祐(かずひろ)君(当時11歳)を亡くしていた。
松村さんは親類のマンションに身を寄せていた。訪ねると、震災当日の様子を語り始めた。
――一家5人全員生き埋めでした。みんな1階で寝てたんです。憲祐以外は夕方までに救出された。憲祐はいくら呼んでも返事がない。救出されたときにはもう冷たくなってました。
憲祐君の人となりの話になると、それまでの淡々とした口調が一転し、一言しゃべるごとに、しゃくりあげた。
――ピアノで頭を打ったみたいなんです。ピアノのそばで寝てたんです。ピアノ、お姉ちゃんと一緒に習ってたんですよ。
――手先が器用なアイデアマンやった。親バカかもしれんが、一を聞いたら十わかるような子で。
――40歳を過ぎて授かった子です。河島英五の「野風増(のふうぞ)」の歌詞にあるように、いつか一緒に酒を飲みたいって思ってたのに……。
いつしか水野も涙を流していた。取材で涙を流すのは初めてだった。泣きながら、それでも懸命にメモを取った。
〈こんなに必死に話してくれているのに絶対聞き逃したらあかん。今、ちゃんと聞かないと、二度と聞けない言葉なんや〉。そう自分に言い聞かせていた。
(2010年1月9日 読売新聞)
<引用ここまで>

*引用が2本とも同じ会社のものになってしまったのは初めてですが偶然です
*二本目は今関西で連載されているものの途中で、死んだ子どもたちの顔写真を集めることになった記者の人の話です

阪神大震災から、17日で15年となる。6000人以上の人があの震災で亡くなった。
こういう大きな災害の今後を考えると、絶対に「これからどうするか」ということを考えて記事を書いた方がいい。当事者の人たちがお涙頂戴の記事が一番嫌いだということをわたしは知っている。ある大きな事故の被害者専門担当者になって既に2年、ある人もそう話していた。
本当は学者とか、アナリストとか、そういう仕事に就きたかった。それかもっと街とか、人とかを元気づけられるようなイベント関連の会社に勤めたかった。今もその気持ちはあまり変わらない。

わたしは阪神大震災が起きたとき10歳、小学校4年生だった。朝起きたときのテレビがすごい光景を流していた。関西に知り合いも誰もおらず、初めてイギリスに行って帰ってきたころだったから、わたしにとって当時もっとも身近な東京以外の場所はイギリスであり、一番関心のあった国はチェコで(イギリスで知り合った人はチェコの人が多かった)、神戸は「どうでも良い場所」の1つだった。
しかしその後、自分の通っていた小学校に、神戸の小学生が2人引っ越してきた。震災で家にいられなくなって、確か親戚を頼って東京に引っ越してきたのだった。
2人とも自分の学年の人ではなかったから、きょうだいのいないわたしにとってはどうでもいい話だったけれども、「本当に住めなくなっちゃったんだ・・・」という思いが頭の中に残った。

わたしにとって「地震」というものが次に強烈な印象を残したのは、1999年8月のトルコの地震だった。当時わたしはトルコ人の友達がたくさんいた。またイギリスに語学研修に行っていたからだ。
今その人たちとはもう連絡をとっていないけれども、彼らと会って、日本に帰国した直後に、トルコの友人の1人が実際に被災した。いろいろなつてをたどると、彼女は避難したけど生きていたということが分かった。しかしその1人以外は、地震が起きた場所とは別の場所に住んでおり、まったく被害はなかったそうだ。

これらの地震にまつわる経験がわたしにもたらしたものは、「地震は関係ない地域には全く関係ないが、関係ある地域の人たちには深い傷跡を残す。しかしどこで起こるかわからない」というものだった。だって自分がトルコ人と知り合った直後にトルコで地震が起きるってどういうことだよ・・・。そして彼女とももう連絡が取れなくなったってどういうことだよ・・・。ちなみに被災した人間はイギリスでかなり仲良かった方の子。

そしてどんなことばも、どんな経験も、どんな同情も、決して本人たちと同じ気持ちには届かないということに気付いた。だからできるだけ冷静に、今後につながっていく仕事をしたいと思った。

しかし、わたしは残念ながら人間だ。

漫画版のナウシカで、森の人セルムにナウシカが「私と共に生きて下さい」と言われるシーンがある。森の人というのはこの漫画で正直よくわかんない行動をしており、人間とは違う世界に生きている。
ナウシカはこの誘いに対し「でも、あなたは生命の流れの中に身をおいておられます。私は、ひとつ、ひとつの生命とかかわってしまう・・・私は、こちらの世界の人達を愛しすぎて居るのです」と答え、断る。

このシーンがすごく印象的。
わたしも人を愛しすぎている。友達を愛しすぎている。自分と少しでもかかわった人間を愛しすぎている。ことばを交わした人間のことは大抵好きだ。

震災をきっかけにある小学校の先生が作った歌「しあわせ運べるように」という歌がある。この曲は関西の人であればおそらく一度は聞いたことがある、神戸の大震災からの復興を願った曲だ。

地震にも負けない
強い心をもって
亡くなった方々のぶんも
毎日を大切に生きてゆこう

そんな話、本当は当たり前の話だ。
語ってもどうしようもない、わたしの気持ちはこの曲を作った人の気持ちに絶対届かない。どんなに同情しても、近い気持ちになっても、泣いても笑っても、ダメだ。それでも、この曲を聴くと鼻の奥がツンとしびれて泣きそうになってしまう。
人は物語が好きだ。それは人間が好きだからだと思う。わたしはもっと本当は機械のような人間になりたい。しかしわたしの紡ぐ言葉はどうしても文学寄りだ。
昔自分の教授が言っていた言葉がある。
「この世の中にはたくさんの出来事がある。それを学術的に語ることが得意な人もいる。文学的に語ることで人に分からせることができる人もいる。君はどちらかと言えば文学の人間だ」
それは、ある意味、研究者としては向いていないと烙印を押されたようなものだった。本当は研究者になりたかったのに。
「私は、こちらの世界の人達を愛しすぎているのです」
どこの立場にいる人も愛しすぎている。批判の刃もうまく使えないことを先生は知っていたのだろう。

マスコミの役割は何?物語を書いて何か意味があるの?
よくわからない。
でもこの曲を聴くといつも思うことがある。
自分の目で見たものや聞いたことは伝えなければならない。ある尊敬する音楽メディア関係の人が昔言っていた。目に見えるものを見ないのは罪であると。
本当は見ないまま大人になっていきたい。好きなものだけ食べて大人になりたい。でもそれが許されないのが大人だ。社会人=会社人として生きるということはそういうことだ。

何も見逃してはいけない。忘れてはいけない。記録を忘れてはいけない。どのことでもいいから。書き忘れたことがあってはいけない。そしてどこかで思い出してほしい。あなたたちの友人であるわたしは、どこかにあるどこかの物語を綴って、生きていることを思い出してほしい。

わたしのしあわせは他人の不幸を踏みつけながら築き上げられてきたものかもしれない。でもしあわせを運べる人間になりたい。

どんな状況も、どんな知識も、無駄になることなんて何もない。

嘘かもしれない、きれいごとかもしれない。こんなぐらぐらした考えになんとかよりすがるしかない、人間ってむなしい。でもそれは大切なことで、人間しかできないことだから仕方がない。そこを信じていろいろなことを書く資格が自分にあるの?それさえもわからないけれど、とりあえず目の前のことを消化していく。きっとそれが生きていく理由になるのだと信じてみるしかない。

「しあわせ運べるように」はここのHPで聞けます。

2010/01/17 05:46 | 音楽 | No Comments
2010/01/07

一種の新年企画ということで。

00年代って何だったんだろう。

個人的な歴史をたどると、00年代は、15~25の10年間。高校に入学したころから社会人になるまで。高校(2つ)、大学、会社という4つの次元を生きた。
スペインに行って、帰ってきて、また行って、帰ってきて、音楽を聴いて、働いて、文章を書いて、あと申し訳程度に恋愛して・・・・その繰り返しを続けた10年間だった。本当にそれ以上やってない。つまんない生活だな自分・・・
わたしには趣味が本当に音楽鑑賞と文章を書くことと外国語の勉強しかない。運動も大嫌い。絵も描かない。楽器も弾けない。おしゃれもしない。化粧も下手。でも正直自分の生活はそれだけでいっぱいいっぱいだ。これ以上のことはできない。
そもそも趣味の中に勉強が入ってる自分って・・・でも本当なんだよ。

音楽にとっての10年間って何だったんだろう。
youtube、ナップスター、limewire,iPodの出現は完全に音楽業界とリスナーの生活を塗り替えてしまった。CDが売れなくなった代わりに、デジタル販売、ネット上の販売や着うた(ringtone)の売上が世界的に見過ごせないレベルになった。youtubeや違法ダウンロードが日常茶飯事になる一方で認められるような動きも。
アーティスト(というかレーベルとか)はCDを買わせるためにいろいろなおまけやDVDをセットで販売するようになった。おかげで00年には付いてこなかったおまけが、大手レコード店で買うといっぱい付いてくるようになった。それはよかったのか悪かったのか。

この10年を通じ、ミックスの現場におけるPCの活躍は作り手の意識も塗り替えた。DTM(デスクトップミュージック)は、プロとアマチュアの垣根が音楽業界でもともと低かったことを証明した。テクノの世界はベッドルームで進み、クラブを発表の場とするようになり、実験の場となる確率は下がった。代わりにネット上の評判が実験の場となっていった。それを証明したのはリリー・アレン、DIOYY、などの多くのアーティストたちだ。
00年代最後には技術的なイノベーションの進化と商品化がめまぐるしい勢いで進んだ。日本からのVOCALOID,DS-10、テノリオンの出現は、今後世界の音楽シーンを進めて行く1つの鍵だ。そして動画サイト出身者のプロデビュー。間違いなく今後の音楽業界を塗り替えてしまっている。
特に音が見える楽器については、技術のイノベーションの進化という意味でも伸びしろがある。テノリオン・DS-10で楽しんだリトルブーツは今年の最有力株。スペインで生まれたreaktableはビョークがライブで使ったことで注目された。(個人的にはVOCALOIDはすでに行き着くところまで進んでしまった感じがある)。DS-10もそうだが、マトリョミン、オタマトーンなど、おもちゃのようなガチ楽器の出現も私たちを刺激し、今後どういう形でアーティストが取り入れるのか注目する必要がある。

最後に、一体世界では00年代に何が起こったのか。
グローバル化なんて昔から進んでいたので今取り上げるべき物ではない。ただ、メディアが大きく取り上げたことにより、アメリカという1つの帝国がアタックされる瞬間が大きく報道された。それが911だった。なぜか悲しみばかり取り上げられて、原因究明は今も進んでいない。アメリカという1つの「繁栄」の型を作った国は、多様性をどう受け止めるかという問題に直面している。
金融バブルも崩壊した、ITバブルも崩壊した。他方で貧富の差は拡大している。今の資本主義に残されている課題は大きい。
そして民族国家という、20世紀に作られ、理想とされた国家(=国民統制という権力)の形は、資本主義の波とともにもたらされた移民という存在や内包された異民族の存在によって、その意義を問われていることが一層顕在化した。

音楽は何を生んだ?

ホワイト・トラッシュとして産み落とされたEMINEMがスターダムに上り詰めて壊れていった。商業化され、自らが商品化されることに真っ正面から向き合っていった人が90年代の最後に生まれ、そしてまだ挑戦を続けている。
M.I.A.に代表される移民音楽が生まれ、白人文化を昇華して別の形を作り上げている。
ある意味でヨーロッパ文化の代表であり、黒人が活躍する場にもなりつつあるテクノでは、古い、昔は決して振り向かれなかったような南米のポップを自己流に解釈して、新しい息吹を与えている。それはアイデアの枯渇によるつまらない使い回しなのか、新たな手法として注目を浴びるべきものなのか、まだ私の目には分からない。
ロックはテクノのリズムやヒップホップのライミングを取り込み、日常を叙情的に歌うことがうまくなった一方、内向きに進むようになり、現在の商業音楽との対峙の仕方がわからなくなりつつある。

そしてどれとも違うゲーム音楽から生まれたDTMの世界の人々が、すべての潮流をあざ笑うかのように自由な音楽をどんどん生みだし、新しいイノベーションをどんどん吸収して使っている。
というわけでそんな感じのループが始まりつつあります。

業界の動きを追ってるだけで2007~8年あたりは面白かったけれど、2009年あたりになってからやっぱりなんか明確な意思とか表現に対する意気込みがなんとなーく薄い気が勝手にしてしまっています。めちゃくちゃ移り変わりが激しいからなー新しい波は。世界的な動きとしてはやはりリーマンショックがびっくり。というか自分の教授が言っていたことが当たった的な意味でびっくり。状況そのものには驚かなかったのだけれど。やっぱりその状況と音楽の既存ビジネスモデルの崩壊は決して無関係じゃないと思う。やっぱり現代音楽は一番世相を表しているなあ、なんて。

個人的にはスペインに留学したことを自分の中で消化するのに音楽と文章と学問の助けを借りて5年もかかったのはあまりにベクトルが内向きすぎる。一体俺は何をやっていたんだこの時間。そして今はそれをどうやって自分の人生とかみ合わせて行けばよいのか分からず右往左往。たぶんこのまま人生は続いていくような気がします。

まとまりないですがこれがこの10年間を自分なりにまとめた短観です。

今年もよろしくお願いいたします。

00年代総括おまけ:911が起きた時にわたしがしていたこと→親がテレビを見て騒いでいるのを尻目に当時好きだった人を落とすために必死にベッドの中からメールwwwwwww社会性ゼロの高校生wwwwww(注:当時高2)

2010/01/07 07:06 | 番外編 | No Comments
2009/12/27

フジファブリックのフロントマン志村正彦が死んだ・・・正直未だに信じられない。
超特別編でお送りします

まず、志村さんがお亡くなりになったことにお悔やみ申し上げます。

「フジファブリック」ボーカルの志村正彦氏死去(時事通信社より)

志村 正彦氏(しむら・まさひこ、ロックバンド「フジファブリック」ボーカル兼ギター)24日死去、29歳。山梨県出身。葬儀は近親者で行う。
フジファブリックは2004年にデビューした4人組。バンドの公式サイトによると詳細は非公表で「検査の結果は病名不詳」としている。 (2009/12/26-11:54)

享年29歳。早すぎるだろ・・・・・

このニュースを聞いたのは25日の午後8時ごろだったと思う。

ある同業者の人(音楽ファン、以下Xさん)に今年会えるのかな?と思って、その人と同じ会社の別の人に「Xさんはまだ今年いらっしゃいますか?」と聞いたところだった。「友達」と呼べるレベルの人が、今住んでいるところにほとんどいない私にとって、Xさんは比較的プライベートの話もできる貴重な同業者だった。聞いた人は「ああきっとXは月曜日来るんじゃねーの」と言った。

今の職場でまだうまくやっていけるとは思っていないが(わたしは人と人間関係をきちんと構築するのにとても時間がかかる。表面的だったり仕事上のみの関係だと逆に楽なのだけれどそうでないと距離感がうまく図れない)、少なくともXさんに「よいお年を」っていうくらいの人間関係は作れるようになりたいと思った。

ああこれ恋愛とか関係ないから。Xさん女性ですから。

そこでふっとtwitterを開いた。
そこで飛び込んできた文字は

「フジファブリック志村正彦、12月24日に急逝」

嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ

公式で発表?!

次に落ち着いて山崎洋一郎(旧ロッキンオン編集長、わたしが一方的に師匠とあがめる人)さんのブログを開く。彼が何も言わないわけはない。

「志村正彦、逝去」という題のエントリーがあった。
嘘じゃないんだ・・・・
落ち着いて公式HPを見る
やっぱり嘘ではない

最初に伝える人は誰?
Xさんだ!
彼女にすぐメールで連絡した。その人は志村と同い年だったそうで、非常にショックを受けていた
次に志村と同じ山梨県出身の親友に連絡した
部屋にいた別の同業者女性にも伝えた
誰かに言わないと、伝えないと、落ち着かなかった

志村が死んだなんて嘘だ!

フジファブリックは決して「一番好きなバンド」ではなかったけれど、あまり邦楽を熱心に聞かない自分としては相当注目していた方だった。2004年にデビューしたらしいけれども、わたしは2005年ごろ、シングルの「銀河」のPVに釘付けだった。冬のフェスでも見た。確かサマソニかフジロックでも見たことがある。2回見たことある邦楽グループなんて、電気以外だったら相当珍しいんじゃねーか。
銀河のPVの踊りは友人とネタにした。親友と志村の色あせた、冷めた魚の様な目について語ったこともある。ライブではあの目を見開いたり閉じたりして、結構表情豊かに一生懸命歌うことも知ってる。
決して「歌がうまい」という人ではなかった。でも、踊れる曲でありながら、風景も一緒に思い出させるような曲を書ける数少ないアーティストだったと思う。しかも音楽と歌詞の雰囲気もばっちり合っていた。すごく繊細なのに、ことば遊びのような一面を持つ歌詞を書きながら、怖いもの知らずで大胆な空気も持つ。音楽的背景にはUKロックだけではなくUSロックも感じられた。それは奥田民生が大好きだったという、志村自身の趣味も現れているのであろう。でもそれでいて、ほかにはあまりない、誤解を恐れずに言うなら変な音楽だった。

銀河の歌詞は簡単で、一度聞いたら忘れられない
「真夜中二時過ぎ 二人は街を逃げ出した」
「タッタッタ タラッタラッタッタと飛び出した」
「パッパッパ パラッパラッパッパと飛び出した」
「UFOの軌道に乗ってあなたと逃避行 夜空の果てまで向かおう」

PVは変な踊りで加藤ローサ出てるし。志村のトレーナーはダサいし。
なんなんだこのバンド。というのが第一印象で、大学で親友と「志村キモい!」と散々ネタにした。
民放をほとんど見ない私(大学時代はいらいらするので意図的にマスメディアをシャットアウトしていた)は音楽チャンネルしかテレビを付けていなかったのでよく見ていた。当時ものすごい勢いでPVのCMが流れていたのだ。
インターネットをしながら24時間悩んでいたころ。とにかく新しいことを次々と始めて、スペインと自分の関係を突き詰め続けた時代だった。インターネットの中に何かあると信じて、文章をたくさん書いていたころ。深夜にふっとテレビを見ると銀河が流れていた。

最初聞いた時は、フランツフェルディナンド・・・とちょっと似ているかな、と思った。「踊れるロック」が華々しく取り上げられ始めたころだった。テクノ・ヒップホップ・ロックをザッピングして聴いていた私にとって、踊れるロックはどストライクで、聞きまくっていた。

1997年あたりは日本の音楽シーンにとって非常に重要だった年と言われている。くるり、ナンバーガール、椎名林檎、宇多田ヒカル、今ではビッグネームとなった人たちが軒並みデビューまたはブレイクした年だった。
しかし、2005年あたりも、それなりに重要だった。音速ライン、スパルタローカルズ、アジカン(結成ははるか昔だが)、ストレイテナー、もっとあるだろうけれど、その辺の一般受けしにくかったであろう人たちが、一気にブレイクし始めた。
フジファブリックは2005年近辺にブレイクしたすごいバンドのひとつだった。志村は間違いなくフロントマンとして異彩を放っていた。かっこよくもない、とにかく目が無表情。そのキモさはネタの域に突入していた。

自分はフジファブリックの熱心な視聴者ではない。ファンでもない。こうやって追悼の意を示すことが適切なのかもよく分からない。でも、志村からは目が離せなかった。なんだかんだ言ってけっこう好きだったんだよ。

ライブでこの曲はとても速いスピードで弾かれる。あのイントロを聴いた瞬間の、風船を割りまくるようにはじけた盛り上がりと興奮が忘れられない。石が坂を転がり出すようなイントロとともに志村のギター音のスピードは加速した。

志村さん、あの加速度とともに、本当にこの世からいなくなってしまったの?

これからもっともっと認知されていいと思っていた。オリコンとかに現れていいと思っていた。まだまだこれからのバンドだった。

志村の死の一報を知って落ち着いても、わたしは何も考えられずぼうっとしていた。すべてが嘘みたいに思えた。おそらく、それなりに見たことも聞いたこともあった音楽関係者がなくなったのは初めてだった。バンドは解散しても何等かの形で続いていく。でも、なくなった人は帰ってこない。すべての自分が見ているものが遠ざかっているようだった。自分もこのままいなくなるのではないかと思った。
しばらくはフジファブリックの音源を聞く気にさえなれなかったが、1日明けてから、ひとりの部屋でフジファブリックの音楽を聴いた。
Surfur king,モノノケハカランダ、追ってけ追ってけ、虹、パッションフルーツ、どれも聞いたことあった。一時期(結構最近)はまってて全部聞き直していたから。
でも一番胸に染みたのは、友達とシュールなPVを笑い合ったり、1人でカラオケで歌ったり、バイトからの帰り道で歌ったり、暗い部屋で聞いたり、スペインへの旅行計画を立てたり、右往左往していた大学時代によく聞いていた銀河だった。

「きらきらの空が ぐらぐら 動き出している!
確かな鼓動が ふくらむ 動き出している!
このまま・・・」
ここからのサビへのつなぎ方は本当に天才的で神懸かっている。
悩んでいても、何か動き出せるんじゃないか、何か始まるんじゃないか、そういう希望とか恐れを感じる瞬間をこれほどうまく表現した曲はほかになかった。そのラインを生み出した志村正彦は、私の中で大きな存在だったらしい。
想像以上のショックに自分でも驚いた。
いろいろな文字が頭に入ってこなかった。
志村のことをアウトプットできなかったから。

銀河を繰り返し、繰り返し聞いた。
そして、大きな声を上げて泣いた。
いつも誰かが亡くなると思うことなのだけれど、人間はいつ死ぬか分からないから、いつでも受け止められるように準備することが、生きることなのかもしれない。

公式動画参照

2009/12/27 08:34 | 番外編 | No Comments
2009/12/24

このブログの初期に書いた文章で
「CDの袋をはがすのは好きな人の服を脱がすのと同じくらい興奮する」
というような書いたのが超一部で変な反響を呼んでいるらしいことを先日知って爆笑した。
そうかーエロネタはみんな食いつくのかー下ネタはやっぱり世界共通言語だなあーなんて思ったわけです。
ちょうどタイムリーにこの曲が入っているCDを購入したので、
そのときの反響含め思い出しつつ書きたいと思います。

したがってやや18禁な。最後の方だけ。

これまでに複数の知人から上記の記述について
「自分から服脱がすの!?女の子脱がさないでしょ?」
と言われていて、そのたびに死ぬほど恥ずかしい思いをしています。そんな深い意味ないよ!
実際に面と向かって言われたこともあり、恥ずかしくて死にそうになった。これだからリアル知り合いとネットの話をするのは・・・。しかも非モテ・ブサ・ピザの私がそんな話題を出すのはおこがましくてホント顔から火が出るからやめてくれ・・・

この曲はかなり露骨にセックスの話を歌ったもので、R&B全盛期時代に注目されまくったSugar Soulが歌っていたもの。同年代の友人にこの曲のこと聞いたんだけれど、みんな(聞いた時に同席した4人くらい・全員同年代)「あのジブラのやつでしょ?」とか知ってるのねwww思春期の人間にあれは衝撃的すぎる。


以下記事引用

女性は男性に比べ駐車が苦手なことが証明される

駐車に苦手意識を抱いている女性や、「女性に車庫入れは任せられない」と感じている男性も多いかもしれませんが、前々から言われていた「女性は男性にくらべ駐車が苦手である」というセオリーがついに実験により証明されました。

詳細は以下から。

Women worse at parking than men, study shows - Telegraph

女性のドライバーは駐車にかける時間が男性より平均で20秒長く、かつ駐車スペースの中心に収める確率が低いことが明らかになりました。

ドイツのルール大学ボーフムのClaudia Wolf博士らによる研究では、65名のドライバーにアウディ・A6ファミリーサルーンを平均的な広さの駐車区画に「頭から」「バック」「縦列駐車」の3つの方法で駐車してもらい、そのタイムと正確さ(駐車区画の端からの距離)を測定しました。

研究者らは女性ドライバーの方が時間がかかるだろうということは予想していましたが、時間をかけた注意深いアプローチがきっちりと正確な駐車につながらなかったことは予想外だったそうです。

Claudia Wolf博士は、この結果は運動協調性と空間認識において男性の方が女性より優れていて、リスクを負い思い切った運転をする傾向があるというこれまでの研究結果を裏付けるものだと語っています。

「こういった先入観は確かに存在するので、わたしは科学者としてこれらが真実に基づいているのか単にでっち上げられたものなのか検証してみようと思ったのです」とWolf博士。「この結果は、フェミニズムや女性解放運動が後退する理由にはなりません。過去の研究でもすでに明らかになっていた男女の空間認識の違いが裏付けられたというだけのことです」

「加えて、別に女性に壮大な欠点があるというわけではありません。たかが駐車です。男性が女性に大勝利を収めたということではありません」と、Wolf博士は付け加えています。

たしかに駐車が得意なくらいで勝ち誇る男性は大人気ない気がしますが、この研究結果により逆に駐車が苦手な男性はますます肩身が狭くなってしまうかもしれません。
(09年12月22日 GIGAZINE)

引用ここまで

駐車の話はどうでもいいのですが、やっぱり「女がこれをできる」「男がこれをできる」っていう考え方ってあって、なんかどっかの博士がいろいろ予防線張ってるけれど、もともと「女って駐車できないんじゃね?」っていう考え方がなかったらこの研究やろうとも思わねえよな・・・

男だから、女だから、っていう区分は結構ある。
大学時代にわたしが学んだのは、その区分がブレッドウィナーとして、家という制度を支える人間の問題として、生まれたということ。

わたしは東京の小さな賃貸マンションに生まれ(そして今でも実家)、一人娘として必要以上に過保護に育てられ、日本における最高学歴を修了した従姉を超えるべくして育った。そんな私には、自分が「養われるもの」となる考えは毛頭ないし、今もない。私は自分を自分で養う、うまく金があれば他人も養うという気持ちで生きている。

男らしさ女らしさの半分以上(身体的なものを除く)については、周囲がイエを支える気持ちを意識して育てたかどうかが大きくかかわっている。そしてわたしは、そうした面ではある意味「男」と全く同じように育った。女子の多い中学高校(ただし共学)で、きらきら輝く女の子たちを尻目に土のような生活をし、スペインで気持ち悪がられるくらい勉強して、男子だらけの文系大学に進学したという経歴は、わたしの「男っぷり」を進化させた。男子と争う方法、男子に負けない方法ばかりを学んで、女子とはできるだけ争いを避ける生活を選んだ。
女子に「男だったら結婚したかった」と言われる回数は数限りない。でも男子、特に好きな人からは、ネタを除いて(ネタが複数回あることがまた問題だと思うんだけど)ない。元彼に「結婚したい?」って聞いたら保留されたんだぜwww
わたしは母のお腹の中で男と思われていた時期があったらしい。両親はもともと女子をほしがっていたけれども、青いセーターを編みながら子どもに「剛」という名前を付けようと思っていたとのこと。きっと生まれる性別を間違えたのだ。

実際は性別に性格や特性はくっついて来ないんですよ。多少体つきとか、あるかもしれないけどさ、わたしはやっぱり性差による特性は乗り越えていきたいと思っている。そんな区分に簡単に分けられる人間になってたまるかってずっと思っている。
でも他方で、すでに多くのメディアによってすり込まれ続けている「女」っていう特性は、多くの人間の頭の中にプロトタイプとしてあるから、そこから外れすぎるとやっぱりダメなんですよ。評価外なんですよ。1人の25歳の女子として、わたしはそのあたりに悩んでいる。

まあ正直そんなこと悩んでもしょうがないんだけどね!

で、やっと冒頭の話に戻ってくるんだけれども。
当時この「今すぐ欲しい」を聞いた時すっごい衝撃だった。ちなみにわたくし当時14歳・中学2年生・R&B全盛期でこれ系聞きまくってた。発売されてしばらくしてから手に取ったんですよね。

※歌詞必読※

中学生には刺激強かったな・・・友達(私よりモテたがやはりR&B全盛期に同じような音楽を聴いてた女子)とネタにしてた(男子中学生かよ)。
知ってる人は知ってるでしょうがR&Bってエロが原動力みたいな音楽だからめっちゃ歌詞が全般的にエロなんですよ。当時メインで聞いてたのは洋楽だったから、間に翻訳作業が入って何とかごまかしてたけどこれは日本語だったからエロ歌詞が頭にすーっと入ってきちゃったわけですよ。もう大興奮だったね。確か1月くらいこの話してたね。
若い頃は、やっぱりエロ方面でしかこの曲を捉えられなかったけれど、大きくなってから(婉曲的な表現)は本当の意味でこの曲の示すところが感じられるようになった。冒頭の友人も、よく聞いたらみんな「倖田來未がカバーするのはあり得ない」と、エロ方面でのカバーは否定してるわけですよ。あと大抵あの曲がエロいだけってことも今は誰も信じてなくて、あれは純粋な恋愛の曲ってことを知ってるんですよ。
セックスってなーんとなく男性優位っていうか、男性中心で進んでくっていうイメージがみなさんあると思うし、だからこそわたしは冒頭で書いた通り、知人らに「脱がすのか」と驚いた感じで聞かれたのでしょう。実際脱がす人が多いと思うし自分のたいしたことない経験を振り返っても脱がされる方が圧倒的に多かったでしょう。でも実際は別にどっちでもいいんですよ。別に女の子が主導で脱がせたっていいじゃないですか。好きだったらなんでもいいですよ。

しかしこの曲が衝撃だったってことは、やっぱり男のが性生活上は上の位にあるって認識されやすいんだろうな、そしてそれだけ「男らしさ」とか「女らしさ」ってすり込まれて、それを覆すようなことが起きるとショックなんだな、ということを認識しました。

音楽的には、椎名林檎がセンセーショナルに取り上げられる1年以上前。自己主張する女性たちは、まだメインストリームにおおっぴらに出てきていなかった。如何せん、Sugar Soulは早すぎた。彼女が大ヒットをDragon Ashと飛ばしたGardenの2年前。そりゃ評価されなかったよなあ。

・・・書いてて死ぬほど恥ずかしかった!あー!もう二度とこんな話はしねえぞ!

参考情報
学生時代に混んでる小田急線の中で男友達に向かって「好きな人のDNA残すために子どもほしいよねー好きな人のDNAなら欲しいもん。付き合ってた人が本当に好きだったときは『この人のDNA欲しい!』って思ったよねー」とデカい声で発言してびっくりされた私ですが、その気持ちは今でもそんな変わりません。そこまで思える人がいないのが問題です。そこまで思ったのは付き合って1年以上経ったころで、別に付き合ってすぐDNA欲しいとか思わないけど。
あと勘違いされると困るので強調しておくけどわたし超奥手。恋愛は奥手どころの騒ぎじゃないから。アクシデントないと付き合えないから。これマジで。

2009/12/24 10:35 | 音楽 | No Comments
2009/12/10

M,I.A.という私が大好きな歌手(前にも書いている)の曲で非常に印象的なフレーズがある

「What can i get for 10 dollar?Anything you want.」
そのほかにもこの曲の中では、金で買われる女の子の姿が描かれている
白人の高収入者たちに買われたりして
新たな金を得て新しい世界へと進んで行く

寂しいけれども金があれば次のステップに行けるのは1つの現実でもある
その世界を変えたい、その世界で自分が何かしなくてはならないからこそ、
いろいろ悩むし、自分のできることを考えていくのだと思う

ある日同業者の人が休暇を取る話をしていて
その人は明るい口調で話していた

「お金で買えない価値を探しに!」
わたしは思わず言った
「何言ってるんですか?お金で買えないものなんかないですよ」
と言った

わたしの人生が証明している
わたしは言語を金で買った
少しいい生活をするために労働者になることを選んだ

事実としてそれを言っている彼だって、休暇中の過ごし方を金で買っているわけではないか
現代会社人として生きることを選び取ったなら、金はすべての基準になる
ある日にライブのチケットを買う
ある日にCDを買う
ある日に海を見るため電車に乗る

一見金以外で得ている経験も、多かれ少なかれ金がかかっているのだ

その人はわたしに
「何そのブルジョワ発言?おまえいくつ?25だっけ?(最近誕生日で一歳増えた)そんな年でそんなこと言うんじゃない!」
と言った

「だって本当じゃないですか!わたしは22くらいからそう思ってますよ!
そうじゃなきゃ社会人になってない!」
これは譲れない

相手は少し笑って
「そんなんダメやで、心が荒んでる」
とわたしに言った

金で買えない経験は多分ない
ただ、何に金を使うのか、何に対して価値を感じるのか、それは人によって違う
それを簡単に「金で買えない価値がある」なんて言わせない

こんな結果だってあったと思い出してほしい

<以下引用>
全国学力テスト分析、親の収入高いほど高学力

親の所得が高いと子供の成績は良いが、低所得でも親の心がけ次第で学力向上につながる――。

昨年度の全国学力テストの結果を、文部科学省の委託を受けたお茶の水女子大の耳塚寛明教授らが分析した結果、そんな傾向が出ていることが4日、明らかになった。全国学力テストの結果と親の所得の関連を追った調査は初めて。絵本の読み聞かせなども成績向上に効果があり、耳塚教授は「経済格差が招く学力格差を緩和するカギになる」と話している。
調査は、全国学力テストに参加した小6のうち、5政令市から100校、計約8000人を抽出し、親と教師を対象に学習環境などを調べた。

世帯収入と平均正答率(国語と算数)の関係を見ると、高所得ほど正答率も高い傾向がみられ、最も平均正答率が高かったのは、1200万円以上1500万円未満の世帯。200万円未満の世帯と比べると平均正答率に20ポイントの開きがあった。

親が心がけていることについて調べたところ、高学力層の子供の親は、「小さい頃から絵本の読み聞かせをした」「博物館や美術館に連れて行く」「ニュースや新聞記事について子供と話す」といった回答が多かった。このうち、「本の読み聞かせ」や「ニュースを話題にする」は、親の所得に関係なく学力向上に一定の効果がみられたという。
調査では、学校での取り組みも調べた。家庭環境にかかわらず、児童にあいさつを徹底したり、教員研修を積極的に行ったりしている20校では、学力向上に一定の効果がみられた。
(2009年8月5日 読売新聞)
<以下引用終わり>

効果の方は置いておいてとりあえず「経済格差が学力格差を生む」と言っていることに注目したい
つまり経済に余裕のある親は学力を金で買っているのだ

たぶん私だってそうだった 親が学歴を買ってくれた まあそこまで細かくはその人に言わなかったが

話していた同業者は言った
「夢がない女だな」

夢がない?
夢があるからリアリストになっているだけだ
本当はいろいろなロマンもある、夢もあるーーー
でもだからこそ、現実を見ていかなくちゃいけない
現実を見据えてから、自分の夢を組み立てなくちゃいけない

言いたい言葉は全部飲み込んだ

でもそうやって認識しているからこそ
わたしという人間が何かできないか一生懸命考えるし
最小限のお金で自分の得たいものを探すし
お金の使用方法には慎重になる

何でも買えるお金に勝ちたい、何かほかの方法を探したいと思ってるからこそ
今生きていると言っても過言ではない

最強にペシミストなのは、本当は夢見がちなことを考えているのを見破られたくないからでもある

リアリストである一面がなかったら
現実的な夢は見られないのですよ

2009/12/10 09:37 | 音楽 | No Comments
2009/11/11

先日同じ職場の人(同じ会社の人ではありません)と雑談していたら、話の流れでスペインおすすめすることになって、昔スペイン住んでたことをちらっと話したら「え?!おまえスペイン住んでたの?」という話になった。え?その話ってもう自分の生活の前提だと思ってたからいちいち人に話してなかったのか・・・そりゃ人に理解されないって思うよな自分から話してないんだから・・・。

自分のこれまでの蓄積を話すのに時間がかかってめんどくさいから話さない

当たり障りのない仕事の話だけをするようになる

仕事上のみの付き合いになる

深い付き合いをしないから仲良くならない

さらに蓄積を話す必要も気力もなくなる
以下無限ループ

もう少し社交的な人間になろうと決意しました。これはひどい。本当に話したいことは口から全く出てこないしいつも全く話していない。自分は非常に多弁だと思うが、本当に話したいことを話している相手は限られるし文章でしか書けない気がする。だから今もネット上で文章を書いているのだと思うが(この話はある好きな曲につながるのでまたいつか)。

この日にTASAKAが何曲もスペイン語の曲をかけたんですよ。いつも通りオタク気質なので、酔っぱらって仕事して疲れた頭で歌詞をインプットして、それを頼りに必死でネットで探したら、見つかりましたよその曲が。それがこれ、La mezcla。私がクラブで聞いたのはLucianoリミックスでした。しかも今年のクラブベストトラックとか言われてるのに知らなかった自分は情報弱者。

Luciano知らない人へ
チリ出身のミニマルハウスの有名なDJ。確か今はスイスあたり在住。一部で超売れまくったリカルド・ヴィラロボスとセットで語られることが多い。何か今ちょっと調べたらサマソニ今年来てたらしいな・・・。CADENZAというテクノレーベルの中心人物。

本格的オタク気質なわたしはもっとネットで調べて、原曲も調べた。Toto la momposinaというコロンビアの歌手の”El pescador”という曲だ。
わたしは、実はコロンビアの音楽フェスに行ったことがある。たまたま当時(学生時代)のアルバイト先に、元ラテン音楽雑誌の編集者の方がいて、その人がコロンビアでそのフェスに行くというので、これを逃したら一生コロンビアには行けないだろうと判断して、同行した(ちなみに女3人旅)。フェスも久しぶりに趣向が違うものに行けて楽しかった(いつも行くフェスは大規模なロックフェス)。その後何かホテルで有名人(この認識・・・)が来てライブやるっていうのにも行ったし。おきまりのようにじいさんからナンパもされたし(なぜか私は年配のおじいさんにナンパされる率が高い。イケメンや好みの男性からアプローチを受けた経験はありません)。
昔コロンビアの男の子と仕事をしたこともあり、コロンビアにはそれなりに思い入れがあった。それにみんなから治安悪い悪いっていわれたら、「本当かよ?!」って思って見に行きたくなる。興味あったんですよ。
(コロンビアでのわたしの思い出:小銭をせびられて逆に乞食の男の子をスペイン語でどなりつけるなど)

わたしはスペイン語圏に留学していた人間とは思えないほどラテン音楽に興味がない(ときどき日本のスペイン語話者と話が合わなさすぎて動揺するレベル)。詳しくもない。川辺ヒロシのインタビュー読んでDick el demasiadoっていうデジタル・クンビアの人を知って「誰それ」っていう(超有名人らしいがよく知らない)。しかし狭すぎるスペイン語話者の世界で、自然と触れる機会がそれなりにあったので、CDとかもちょこっとだけ持ってたりする。
でも聞いても、いいなーって思う曲はすごくわずか。歌詞とか聞くと「スペイン語話者ってみんなネクラなのかなー」と自分含めて思うくらい。大抵人と離ればなれになる歌や、仕事が辛いとか、そんな歌ばっかり。しかもそれが叙情性たっぷりに歌われていて、せつなくなりすぎてしまう。
よく、「レディオヘッドとかトムヨークとか好きじゃないの?」と言われるのですがほとんど聞かない。たぶん、これはラテン音楽聞けないのと近い理由で、明るい道に進めなくなってくるからだと思う。ただバカばっかやってる曲も好きじゃないしね・・・好いた惚れたっていうだけの曲もそんなに好きじゃないしね・・・(スペインの謎のポップに多い)。
あとテンポ早めの機械的なものとか、ロックでもドラムがアホみたいに鳴ってたりリズムギターある曲を好む傾向にあるので、その対局とも言えるラテン音楽はあんまり好きでないのかもしれない。

スペインって一応「先進国」のレベル。どんな統計でもGDPランキング8~15位くらいだし。日本よりずっと人口少ないのにね。でもそれが信じられないくらいに、国内では自国を「劣国」と見なす風潮があって、みんな「スペインは終わってるから」と話す傾向がある。特に日本人の私に対してはそう。
でも逆に、南米に対してはすごい見下してて、未だに「スペインは南米の経済発展に貢献した」「スペインが占領してたからうんたら」とかプラス方面で語る人がいてびっくりする。それは確かに歴史の一面ではあるけど。栄華を極めた時代があったことを知っているからこそ、みんなそういう認識になるのだろうと思う。そういうちょっと鬱屈した考え方に思いをはせるだけで私は泣けてくる。物事を知りすぎてしまった国民の性を感じるから。
自分がスペイン語を勉強したのは世界で使われており、いつか「来る」と思ったからだった。その幼かったわたしの考えは間違ってはいない。しかし今のわたしは、現状の世界が続く限り、おそらくこの言語がビジネスとして生かされることはないであろうことも知っている。

スペイン語を聞くと、話すと、それだけで複雑な気持ちになる。言語を商品としてしか見られなかった自分のおろかさと、その背景を見られなかった幼さと、そしてそれによってすべての人生設計を変えてしまったことに対する後悔やらなんやらが襲いかかってくる。たぶんわたしはこれに一生付き合っていくことになるだろう。この気持ちを理解してもらえない人とは深い付き合いもできないと思う。

話が元に戻りますが、コロンビアの歌姫の曲が、スイスのMichel Cleisという人にリミックスされて、スイスかどっかのヨーロッパに移住してるLucianoにさらにリミックスされて、そして日本にいるわたしの耳にやっと届く。しかも、「クラブ」というどう考えても白人文化から生まれた習慣を通過して、だ。
しかも原曲を聴いてもそんなにピンとこない。ピンと来たのはどう考えてもテクノよりのリミックス。それだけ白人文化に侵されている自分に愕然とする。

<以下記事引用>
◎駐留米軍増強で署名―米・コロンビア
【サンパウロ時事】親米右派の南米コロンビアと米国は30日、防衛・安全保障分野での協力強化に関する協定に署名した。米軍のコロンビア国内7基地の使用を認めるほか、駐留米軍の大幅増強が柱で、8月に両国が合意していた。
近隣の左派政権は、今回の協定が米軍の域内プレゼンス拡大につながると反発。コロンビア外務省は声明で「他国の内政に干渉するものではない」と強調したが、周辺国との関係悪化を懸念する声も出ている。
米軍はこれまで、中南米の麻薬取り締まり活動の拠点としてエクアドル・マンタ空軍基地を使用していたが、同国の反米左派政権は使用期限更新を拒否。今年9月に米兵が完全撤収した。(了)
<引用ここまで>

もともとクンビアっていうコロンビアのダンスミュージックがどういうところにルーツがあるかというと、奴隷が仕事に疲れてみんなで踊って日常を忘れようとしたということらしいですよ。この原曲もクンビアの一種として有名らしい。
政治機構としては、中南米諸国はスペインから「独立」した。しかし実際は「アメリカから」独立していない部分は多いし、経済的には独立したとは言い難い。今は左派政権が多くなり、独自路線を目指す国が増えてきたが、とてもすべてがその路線になったとは言えない。エメラルドやレアメタルの産地であるコロンビアは、今も多くの資本に狙われ、ゲリラが横行し、治安のよくない国として名前を挙げられている。
曲の歌詞の内容は、漁師が海に向かう様子を描写したものだ。

<歌詞意訳>
川を通って 網とハンモックを持って
バラックのカヌーに乗って 海岸を目指す
(漁師よ)月と話して
(漁師よ)浜と話して
運なんて手にせず、網しか持たない

漁師たちが戻ってきた
売り荷を手に戻ってきた
愛の港へ、愛する人が待つ港に戻ってきた
<意訳ここまで>

わたしがスペインで住んでいた町は、漁業と観光業しか取り柄のない、スペイン国内でも名前を知られていない小さな町だった。近くにある同じ校区内の町は、スペイン1治安の悪い町として名を馳せていた。その町のことを思い出し、コロンビアのことを思いだし、複雑な気分になった。そして、コロンビアの曲の流行は、結局白人の手を、そして欧州の手を通して広まったことに思いを馳せ、さらに複雑な気分になった。

以上わたしがこの曲がクラブで流された瞬間に考えていたことと付随してずっと考えていたこと。あー文字化してすっきりした。つうかどう考えても深夜クラブで踊ってるときにこんなこと考えてるやつは変態というか頭おかしいだろwwww

*おまけ
これいいよねー
普通にPVとして好きなタイプ。しかし曲の世界がまったく表現されておらず、なんか怪しげな世界になっているあたりにさらに複雑な感情が生まれてくる。しかも何で女しかいないの・・・その割にはどうしてこんなに挑発的なの・・・
あとピッチ(速度)上げてあるせいだと思うが、この曲で重要な「Playa」(海岸)という歌詞が「braga」(下着のパンツ)に聞こえて吹く。「パンツを目指す」とか「パンツと話す」とかどんなメタファーだよwww

2009/11/11 02:58 | 音楽 | No Comments

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