2009/06/30

いつも「クラシック・サポーターになりたい!」をご覧いただきありがとうございます。
6/27付けで掲載予定だった「Vol.62 脇道で奏でる男(仮題)」は、どうしても満足のいく内容にならなかったため、今週は休載とさせていただきます。
ギリギリまで頑張ってみたのですが、どうにも煮詰まってしまい先に進めなくなってしまいました。
この話は、少し時間を置いてからあらためて公開しようと思います。
もし毎週見てくださってる方がいらっしゃったら、本当にごめんなさい。

次回は通常通り7/4(頃)に更新予定です。

2009/06/30 12:00 | クラシック話 | No Comments
2009/06/20

CDショップを辞めて1ヶ月半が経った。
たった1ヶ月半しか経ってないけど、もう遠い昔のことのようだ。
オリコンチャート、テレビで話題の楽曲、今月の注目新譜。
様々な情報と音楽が溢れる中で毎日バタバタと店内を動き回り、どうすればクラシックファンにCDショップに来てもらえるかを考え続けていたあの頃の感覚は、急速に色あせて失われていく。
今はどんなアルバムが出ていて何が売れているのか、こちらからアクセスしないと全くと言っていいほど情報は入ってこない。
あの頃は「こんな中途半場な情報だったら載せてもしょうがない」と思っていた雑誌の新譜CD紹介ページですら今はありがたい。
でもその情報でさえ、その気になってじっくりと目を通さないと、気づかずにスーッと通り過ぎていく。

クラシックのCDショップの店員と音楽家を比べると、感覚としてはCDショップの方が一般人に近いところにいると思う。
店頭で接するお客様は、たまに関係者がいるにしても、ほとんどは普通の人たちばかり。
店のスタッフにしても、みんな音楽が好きな普通の若者だった。
そこでは毎日必ず、クラシック界ではない普通の人たちとの接点があった。
そうした環境があったから、僕も一般人に近い感覚でものを見ることができていたと思っていた。

でもCDショップを辞めて感じるのは、その視線はやっぱりCD業界にどっぷり漬かったものだったってことだ。
CDショップの店員としてこだわっていた些細なことは実はどうでもよくて、普通に暮らしているとそんなことよりもまず、欲しい情報をどうやって手に入れればいいのかすらわからないんだから。
毎日24時間CDのことばかり考えていると、見えなくなるものがある。
CDショップを離れた今なら、フラットな目線で本当にいいプランを思いつけるような気がする。

音楽を楽しみにしてくれる人たちに音を届けるという点では、音楽マネジメントという新しい仕事はCDショップと同じだと思う。
ただしCDショップとは違って、これからは実際に演奏してもらう音楽家と接する機会が多くなる。
今は音楽マネジメント業務を立ち上げるための準備のために、連日のようにクラシック関係者や音楽家の人たちを訪ね歩いて話を聞かせてもらっているところだ。

実はそこで久しぶりに触れる音楽家の空気に、最初のうちはちょっとした違和感があった。
言葉で上手く説明できないけど、クラシックの音楽家たちは独特の雰囲気を持っている。
それはオーラと呼べるのかもしれないし、ひょっとしたら変わり者とも言うのかもしれないけど、とにかくいわゆる一般人とは違うノリだ。
語弊を恐れずに言うと、クラシックの音楽家たちは村社会とも呼べるような狭いコミュニティにいることが多い。
彼らが普段付き合うのは、ほとんどが同業者か自分を支援してくれるファンの人たちだ。
金銭感覚も時間の感覚も普通の仕事とは違う世界に生きる人たちが集まり、その中で音楽家特有の常識のようなものが作られていく。
そんな音楽家特有のオーラに、面食らったのだった。
とは言え、そこはかつて僕も演奏者としていた、懐かしい世界。
音楽家の人たちと話をしていくうちに、ああそうだったそうだったと思い出す。
今では自分が演奏家だった頃にタイムスリップして、年齢まで若返った気分になる。

久しぶりに体験する音楽家の世界は楽しい。
何しろみんなクラシックを愛しているし、専門用語が飛び交う深いクラシック談義も心ゆくまでできる。
でも、そんな濃い世界に出入りするようになってから、僕自身の一般人としての感覚は徐々に失われていっている気がしている。
音楽家に対してどこかヘンだと思っていた違和感も、今はもうない。
そして、そんな自分がちょっと怖い。
毎日お店で普通の人たちと接し、自分は一般人としての感覚を持っていると思っていたCDショップ時代ですら、実際にはそうではなかったのに、その感覚が失われている自覚があり、一般の人と接することがほとんどない今は、もっと視界が狭くなっているに違いない。

僕は音楽を愛する普通の人たちに、音楽を届けるのが楽しかった。
仕事は変わったけど、今もその気持ちに変わりはない。
音楽を愛する人たちが普段の暮らしの中で何を思っているのか、いつも思いを馳せていたい。
音楽家と一緒になって、僕が一般人としての感覚を忘れてしまってはダメだ。

今月は音楽家の人たちを訪ね歩く予定をビッシリ入れたけど、来月は仕事とは離れて友達とも会ってみようかな。
これからビールが美味しい季節になってくる。

2009/06/13

「音楽大学を卒業して、何でうちを受けるの?」

音楽大学や芸術大学で音楽を勉強している学生が一般企業に就職しようとするとき、面接官に必ず聞かれるそうだ。
もし僕が面接官でも、やっぱり同じことを聞きたいと思うだろう。
幼いころから習ってきた音楽を辞めるということは、クラシック系の楽器の場合は特に「あきらめる」「もったいない」といったマイナスの印象を与えることが多い。
「本当はずっと音楽だけをやっていたいけど、それでは生活できないから仕方なしに仕事に就こうと思っているんじゃないの?」
キツい言い方かもしれないが、でもそう思われているんじゃないかということは、多分音大生自身もわかっている。

「で、あなたは何ができるの?」

これもまた、音大生が一般社会に飛び出そうとするときに、避けては通れない質問だ。
今は音楽大学でも、卒業後は一般企業に就職したいと考えている学生はたくさんいる。
でもそう思う一方で、心のどこかで「せっかく続けてきた音楽から離れるのはもったいない」と感じている人は多いと思う。
彼らは就職活動を続けながら、まだ音楽の世界と一般社会との狭間で迷っている。
「音楽のことしか勉強してこなかったんじゃないの?」という目で見られる面接会場で彼ら彼女たちは、そうしたマイナスのイメージを吹き消すために、多少強引でも前向きなアピールをして、面接官と自分自身を納得させなければいけない。

曰く、ひとつのことを突きつめる集中力を培ってきました。
曰く、みんなで音楽を作り上げる協調性を養ってきました。
曰く、人の心を思う感受性を養ってきました。
その経験を生かして御社に貢献したいと思います。

実に優等生的な回答。
確かにそうだと言えばそうなんだけど、でも、どうもスッキリしない。
それは本当の気持ちなのかな?

ところで。
乱暴に言い切ってしまえば、音楽は手段だと僕は思っている。
そこには必ず目的がある。
音楽は例えば、誰かに何かを伝えるという目的を果たすための、あるいはその場の空気を美しく飾るという目的を果たすための、手段のひとつに過ぎない。
その過程の中でより美しい音を届けたいという気持ちが、芸術を生んだのだろうと思っている。
本当の目的は音楽そのものではなく、音楽の向こうにある。
そして、自分の本当の目的に気づいていない人は多いんじゃないかなと思う。

「あなたはなぜ音楽をしているのですか?」

曰く、自分の演奏で誰かが喜ぶ姿を見るのが嬉しいからです。
曰く、こんなに素晴らしい曲があるんだってことを皆に教えたいからです。
曰く、難しいフレーズが上手く演奏できるようになるのが楽しいからです。

と、ここまで考えてみてあなたは思う。
この気持ちが、自分の本当の目的だったとしたら?
それを叶える手段が音楽じゃなくて別のことでも、同じ満足が得られるとしたら?

はい、自分が提案したプランでクライアントが喜んでくれるのが嬉しいんです。
はい、こんなに素晴らしい商品があるんだってことを皆に教えたいのです。
はい、複雑な工程を経て上手く組み立てるのが楽しいんです。

自分の気持ちに正面から向き合えば、幸せの形はいくつも見えてくる。
音楽にじっくりと取り組んできた中で自分の本当の目的に気づいたのなら、今までやってきたことは無駄じゃないし、ましてやマイナスのコースではない。
これは音楽に対しても社会に対しても正直になれる、ひとつの考え方じゃないかと僕は思っている。
音楽の世界から社会にまっすぐ通じている道は、きっとある。

がんばれ音大生。

2009/06/06

さて、4月からずっとリニューアル、リニューアルと叫んでいましたが、いよいよ本当にリニューアルします。
リニューアルっぽさを出したいからという理由だけではないのですが、今月から「です・ます」調を「だ・である」調にしてみようと思います。
最初は違和感があるかもしれませんが、しばらくすればお互いに慣れてくると思いますので、どうか温かい目でお付き合い下さい。

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先日、オーケストラの演奏会を聴きに行った。
転職のあいさつのために、関西のあるオーケストラに所属している友達にメールをしたのがきっかけで、演奏会に招待してもらったのだ。
数年ぶりに聴くそのオーケストラは、最近主力メンバーが何人か抜けて演奏の質が低下しているんじゃないか、なんていう噂も聞いていたけど、珍しい曲目だったこともあったのか、充分に楽しむことができた。
終演後、楽屋口から出てきた友達と落ち合って、駅の近くの店で1杯飲むことにした。

オーケストラというのは一見すると華やかな世界で、ひょっとするとお金持ちの集まりのようなイメージもあるのかもしれないが、現実はほとんどの団体が非常に厳しい台所事情を抱えている。
団員の給料は世間一般の給料と比べても、その専門性の高さを考えても、絶望的と言ってもいいぐらい安い。
そして、近い未来にその状況が劇的に改善される可能性もこれまた現時点では絶望的で、ほとんどゼロと言ってしまってもいい。
団員たちはオーケストラの給料だけではやっていけないから、大学や音楽教室の講師をしたり、ホテルや福祉施設などの小さな会場での依頼演奏などをしたりして、びっしりとスケジュールを埋めていくことで、ようやく華やかな世界に生きることができるのだ。
僕が職業演奏家をリタイアしたのは、裏方としての生き方に価値を見出したからなのだが、演奏家の収入の低さ、不安定さも全く無関係ではなかった。
こんな過酷な環境の中で、なぜ彼ら彼女たちは職業音楽家を続けていけるんだろう。

僕は今、この秋に本格稼動する音楽マネジメント事業を立ち上げるための準備をしている。
そのために調べなければいけないことが山ほどあった。
例えばホテルや福祉施設などでの演奏のギャラの相場はいくらなのか。
他にはどういう場所で演奏することが多いのか。
そうした演奏会は誰がスポンサーになっているのか。
現役オーケストラ奏者である彼女にも聞いてみたいことがたくさんあった。
ある程度オーケストラの内情を知っているだけに、久しぶりに会った友達とお金の話をするのはちょっと気がひけたが、事業を始めるにあたって何の手がかりもない僕の現状を話して、給料やギャラの話なども聞いてみた。

リアルな金の話を聞けば聞くほど、彼女がにこやかに話しているのが不思議なくらい、明らかに大変そうだった。
演奏家のギャラの相場を聞き出そうとしていたけど、こんなに大変なんだから相場もクソもない。
もらえる報酬は高ければ高いほどいいに決まっている。
ところがその話の中で、彼女はふとこんなことを言った。

「でもさ、演奏家にとってはギャラの金額よりも、気持ちよく演奏できるかどうかの方が大事なんじゃいないかな」

彼女の言葉に僕はああなるほどねと相づちを打ちながら、内心ドキッとしていた。
そして自分が恥ずかしくなった。
彼女の言葉は見栄やプライドなんかじゃなく、演奏家としての本心から出た言葉に思えた。
どんなにお金をもらえるとしても、誰も聴いてくれなかったら演奏する気にはなれない。
そこが音楽にとって幸せな場所であるかどうか、それがお金よりも大事なことだと彼女は言ったのである。

僕は、毎日事務所で数字だらけの資料をにらみながら、どうすれば儲かるのかを考えて電卓を叩いているうちに、いつのまにか心が曇ってしまっていたようだ。
お金だけにとらわれすぎて、人の心が見えなくなってしまっていたのだ。
僕だってきっと、演奏家として活動していた頃だったら彼女と同じことを言ったと思う。
「お金じゃないんだよ」と。

僕は今でも演奏家の立場に近い気持ちを持っていると思っていたのに、本当はそうじゃなかったことに気づいてショックだった。
彼女と別れてから電車に乗っている最中も、彼女の言葉がグルグルと頭の中を回っていた。
でも、それで気分が落ち込んだかと言えばそうじゃなくて、お金以上に大切なことに気づくことができて、とてもスッキリとした気分だった。
明日からの僕は、きっと昨日の僕よりももっと素晴らしいプランが思い浮かぶに違いない。

リニューアルした最初にこのエピソードを紹介できることは、ラッキーなことだと思う。
自分の初心をこの場所に刻んでおくことができるから。
これからも僕はずっと、音楽によって人と人とを繋いでいきたいと願っている。
その気持ちはずっと忘れないでいたい。

2009/05/30

5月特別編のラストは、昨年12月の「アンダンテ・マエストーソ」に続く創作エッセイ第2弾です。
前回同様、余興として楽しんでいただけたら幸いです。

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ホールは鳴り止まない拍手で満たされている。アンコールを求める聴衆の熱気に背中を押されるようにして、クラシック界が注目する若手ピアニストがちょっと小走りに姿を現した。僕はいよいよだ、とイスに座りなおす。数日前、何年かぶりに彼に会ったとき、確かに僕に向かってこう言ったはずだ。

「今度のコンサートのアンコールの1曲目、就職祝いにお前にプレゼントするよ」

今月、僕は3年間勤めた会社を辞めて、電子部品を生産している小さな会社に転職した。今度の会社が4つ目の職場になる。今までの会社の職種は見事に全部バラバラ、なんの一貫性もない。常に新しい境地を求めているのだと言えば聞こえはいいけど、この放浪癖は我ながら嫌になる。田舎の母は、転職したと僕が電話で報告する度にブツブツと文句を言っていたけど、とうとう諦めたのか、今回は無表情に「ああそう」と言っただけだった。

彼が客席に向かっておじきをすると、拍手はさらに大きくなり、そしてようやく止んだ。彼と僕とはどこでこんなに違ってしまったんだろう?あいつとは中学・高校と一緒だったけど、あの頃からピアノがめちゃくちゃ上手かった。こうして満員の観客を前にしてステージで堂々と立っている姿は、あの当時から容易に想定できた。でも僕にだって、何者にでもなれる可能性と未来があったはずなのに。今では彼と僕との距離は、今日のステージと客席以上に離れてしまっている気がする。

まるで鮮魚がピチッと跳ねるように、アンコールの小気味よい曲が始まった。明らかにバッハやショパンじゃない。絶えずピコピコと刻まれるリズムは、昔のゲーム音楽のようにも思えてくる。今日のコンサートのメインプログラムに、ヒンデミットなんていう変わった作曲家を持ってくるぐらいだから、アンコールも僕には想像がつかない変な曲に違いない。彼がどういうつもりでこの曲をプレゼントすると言ったのかはわからないけど、純粋に面白い曲で気に入った。その曲はあっという間に終わり、またアンコールをねだるように大きな拍手が沸き起こった。熱心なファンと思われる女性が何かを叫んでいる。彼がこの熱狂から開放されるには、きっとあと2~3曲は弾かなくちゃいけないだろう。

「すごいね。ちょっとしたアイドル並みじゃん」

ようやく彼と話ができたのはコンサート終了後、それも延々と続いた握手会が終わった後だった。花束やお菓子が山のように届けられた楽屋の中で、彼の着替えの邪魔にならないように、僕は壁ぎわのイスに腰掛けた。

「アンコールの1曲目、何ていう曲?すごく面白かった」
「あれはリゲティの『ムジカ・リチェルカータ』っていう曲集の第3曲目。いわゆる現代音楽の部類だな」
「ムジカリチュ……?よくわかんないけど、僕の好みにピッタリだったよ。ありがとう」
「違う違う。お前の好みなんて知らねーよ。あの曲はな……」

リゲティの「ムジカ・リチュルカータ」は11曲からなる組曲で、第1曲目はレとラの2つの音だけしか出てこない。第2曲目は1つ増えて3つの音、第3曲目は4つの音と、1曲ごとに音数が1つずつ増えていき、11曲目で12個全ての音が登場するという、ユニークな曲集なんだそうだ。

「あの曲は第3曲目ってことは……え、あのかっこいい曲、たった4つの音しか使ってないの?!」
「そう。4つの音でお前の4回目の就職を祝ったってこと。なあ、高校の時、お前が教えてくれた言葉、覚えてるか?ウイスキーのCMのやつ」
「ウイスキーの?ああ。”時は流れない”ってやつだよね。今でも僕が一番好きな言葉だよ」

“時は流れない、それは積み重なる”

子供の頃に見た、サントリーのウイスキーのCMで使われていたキャッチコピーだ。いまだにこれを越えるフレーズにはお目にかかったことがないぐらい気に入っている。今、この言葉を口にしてみて僕は、ああなるほどと思った。彼があの曲で伝えたかったこと。2つの音より3つの音、3つの音より4つの音。使える音が積み重なることで確実に世界は広がっているってことか。僕は脈絡なく転職をくり返す自分がいやだったけど、それでも僕の人生には確実に何かが積み重なっている。一番好きな言葉だと言っておきながら、その言葉を本当に理解して時を重ねてきたのはあいつの方だったんだな。リゲティの曲でそれを伝えてくれるなんて、いかにも変わったことが好きな彼らしい。

「この曲の意味、わかったよ。お前ってすごいやつだね。本当にありがとう。でさ、この曲集って……」
「おっとストップ。お前の考えそうなことはわかってるぞ。リゲティを弾くのはこれが最初で最後だからな。11回転職しようなんて考えるなよ」

彼にはあっさりと見抜かれてしまった。次から転職するたびにこの曲集を1曲ずつ弾いてもらおうと思っていたのに。1人で使うには広すぎるガランとした楽屋に、2人の笑い声がこだました。


【参考リンク】
Ligeti: Muisca Ricercata 3 [youtube]

 この曲を文章で表現するのは限界があります……ぜひ本物をお聴きください。

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