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2011/03/24

 

時間だけは誰に対しても平等だと、どこかで聞いたことがある。
たくさんのひとを喪って、たくさんのものを無くした日から10日が経った。私の周りに限って言えば、水が出なかったり電気がなかったりという不便はあるものの、まわりはそれを跳ね返すような活気に満ちていた。無から有を生み出すような、無茶を可能にするような、やけっぱちの元気があふれていた。
どうしようもない辛さをそれで隠そうとするように、みんな声を張り上げて生きている。
もちろん、それは決して悪いことではないのだけれど。

おばあちゃん、と呼ぶと祖母は不思議な顔で私をみる。
お手玉を上手に操る祖母はもう半分彼岸の人で、今のこの暮らしを別段何とも思っていないらしい。テレビに映るニュースも人事のように眺め、心配し、そうしてお手玉を繰る手つきは緩めない。昔取った杵柄はなんとやらで、今日はちりめん模様を3つ、上手に宙に転がしている。
「おばあちゃんがな、若かったころ、やっぱり、こんな地震があったな。大きかったなあ」
ぽん、ぽん、とリズミカルに舞うお手玉の向こうで、キャスターが悲壮な顔で被害者の数を読み上げていく。その中に私の叔父でありこの家の親族につらなる人が含まれていることを、祖母が知らないことを幸福なことだと思う。
「でもなあ、その時も、みんな、助けて、くれたなあ」
その恩が返せないのだと、祖母は少し悔しそうな声になった。リズムが崩れ、お手玉があやうく軌道を外れそうになる。開けてはならないと戒められた窓の向こうに照る光にそって、祖母の横顔は柔らかい輪郭を取り戻す。
「おれもなあ、この歳になるとなあ、思うことがたくさんあるんだ」
祖母の思うこと。恩をかえせないこと、恩があること、祖父のこと、生きていること、私がまだ未婚であること、それらは全て地震とは無関係に、ただし祖母の時間の中では連綿と続く悩みであるらしい。
「もう、お彼岸も過ぎたのにな」
今のところは墓参に行けないことを一番つらそうに云い、放り投げるのをやめた小さなお手玉を見つめていた。

炊き出しの列に並び、給水の列に並び、ガソリンスタンドに並び、ぬかるんだ道をポリタンクを下げて歩く。
並ぶことはほとんど私にとって日常の一部になっている。割れた地面を避けて通るのも上手くなった。空いている店を探すのも得意になった。その中には花屋もある。お彼岸用の花は、このところの寒波の影響でまだ小さな蕾だった。

時間だけは誰に対しても平等だと、どこかで聞いたことがある。
いつか過去の話として、この悲しい狂騒の日々を祖母のように語れたらいいと思う。

2011/03/24 11:50 | flora world 番外編 | No Comments

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