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2011/03/13

あ、と思ったときは揺れていた。倒れそうな本棚を抑えていて、誰かの悲鳴で机の下に隠れた。昔船に乗った時のことを思い出した。そんな場合ではないのに、ぐらぐらと不安定な足元が妙に懐かしい記憶と繋がった。ドンドンと叩くような音を立てて机が凹んだ。
揺れが収まった時、立ち上がった視界はまさに悲惨の一言だった。あらゆる棚が倒れ、ガラスが割れ、揺れのせいで開いた扉から汚れた水がせり上がってきていた。嘘だ、と思った。だってこんなのあるはずがない。こういうのはニュースで見る画面だ、とぼんやり思った。呆けている間も揺れは続いて、そのおかげで私はやっと我に返った。最低限の片づけをし、家族の元へ戻って、次に知人と連絡をとりあう。電話は通じないので携帯のメールが命だった。それすら通じない人もいて、生きているのか、生きていて、と返事のない携帯を握りしめてひたすら水の確保に走り回った。

初めて知ったことではないけれど、こういうときはいろんな人がいるものだと思う。何も言わない人。かくす人。デマを流す人。扇動されて、身動きが取れなくなっている人……。
だから、しっかりした情報をくれる人、井戸水を汲ませてくれる人、ガスボンベを貸そうかと申しでてくれる人のありがたさが、ものすごく分かりやすく有難かった。

給水所で、知らない人と立ち話をする。
どこそこが大変だとか、誰誰が避難所にいるとか。噂だけれど一人でいるよりよっぽど良かった。4時間もの間の立ち話で知らない人は知っている人になった。お互いのポリタンクに水を詰め、気をつけてねと声を掛け合って別れた。
スーパーの中も戦争みたいだった。兵士みたいに厳しい顔をした店員さんが走りまわって列の最後の一人のために食べ物を確保してくれた。いつも茶髪で無言でレジを打つ愛想の悪いオニーチャン、としか呼びようのない青年も、真面目な顔でレジに並ぶ人に声を掛けていた。こんなに買って怒られるかなと思ったら、「あんたんとこ家族おおいみたいっすから気をつけて」なんて言ってくれてびっくりした。

夜中、ひとりきりで携帯の小さな窓からインターネットの中継を見た。
中継先の東京の夜景はひどく静かだった。ネオンがないだけで、この街はこんなに静かなのかと思った。暗いのに明るかった。ひとつひとつの家の中に、沢山の人の祈りが透けて見える気がした。
ありがとう。
その向こうの人達に届かない声だと知りながら、私はその灯りを受け取った。
届け、届け、私はここで生きてるよ、と心の底から祈りながら。

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私事ですが、東北地方太平洋沖地震で被災し、沢山の方から今なお沢山の情報と励ましのメールを頂いております。本当にありがとうございます。
同地震にて不幸にもお亡くなりになくなった方々やそのご親族、ご友人の皆様に心よりご冥福をお祈り申し上げます。
まだ安否が確認できない方も沢山いらっしゃいますが、どうぞ私の受け取ったように、みなさんから沢山の灯りを届けてください。物資や情報と同様に、被災者は笑いや喜びに餓えています。皆さんにできることを、現地の方々は求めています。

2011/03/13 10:00 | flora world 番外編 | No Comments

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