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2016/05/16

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新宿西口のコンコースを抜けて、地上階ゆきのエスカレーターに乗っているとき、久しぶりに彼とすれ違った。手元のスマホをいじったまま、私に気付くことなく彼はエスカレーターで地下のフロアへ運ばれていく。彼は俯き加減の姿勢のままで、振り向かずに賑やかな光の中へ消えていった。

彼と私は友人の家で知り合った。バーベキューが趣味だというその友人は、月に1回自慢の燻製キットと無煙ロースターを使ってのランチ会を催している。そこに彼は友人の後輩の友人の……という胡乱なつながりで招待されていて、誘った当の本人は仕事だかで欠席していた。申し訳ないです、とワインを三本抱えてきた彼は、途方に暮れたような顔で謝った。なんだか笑っても泣いてもおんなじ顔をしそうな人だなあと思った。

私はその会の常連だったから、新参者の世話を当然のように任された。勝手知ったる他人の家を案内し、人気のないリビングでワインを飲んだ。みんなは庭で肉を串に刺したり燻製にするチーズだのサーモンだのを切り分けたりしていたが、彼はその輪にはどうにも入れないらしかった。

「僕、いまいち社交ってわかんないんですよね。こういう場ってどうも苦手で」
「気を遣う必要ないよ。仕事じゃないんだしさ」
「仕事じゃないから難しいんですよ」

照れたように彼は言い、すいませんと笑った。二人で笑っていると、肉を焼くからとベランダから数人が呼びに来て、その日はそのまま最後まで隣で過ごした。
帰り際、またねと約束したらその日のうちにメッセージが来て、二人でラーメンを食べに行くことになった。ラーメンを食べた翌週には寝ていた。恋愛感情はあまりなかったけれど、この人はおだやかなセックスをしそうだなあと思った。そう思ったら自分から誘っていた。
案の定、お手本のように優しい優しいセックスだった。

律儀なところのある彼はそういうことをする相手とは交際をするものだと思っており、交際する相手にはティファニーのアクセサリーを贈るべきだと思っていたので、私のジュエリーボックスには今も小さなダイヤのペンダントが保管されている。

彼にその思い込みを与えたものを、私は知らない。
きっと、育ちのいい女の子か、おかあさんか、あるいは雑誌の受け売りだったのだろう。

彼はそういう男の子だった。誰に対しても、丁寧にまじめに、マニュアルのような反応で接した。そのマニュアルがない場所では急に足元がおぼつかなくなるみたいだった。そんなところがかわいいと思ったし、頼りなくもあった。

付き合って半年で、頼りなさが勝ってしまった。ちょうど自分の仕事が忙しい時期でもあった。別れを切り出したときも、彼は諦めたような顔で「分かった」と言っただけだった。すがることも、泣くことも、怒ることも、浮気を疑うこともせず、淡々と彼は離れていった。

 

反対側に回り、下りのエスカレーターを駆け下りて、私は何がしたいのか自分でもわからなくて混乱する。追いかけてどうするんだろう。いや、でも久しぶりなんだし声くらいかけてもいいんじゃないかと言い聞かせて、さっき見たポロシャツの後ろ姿を探した。

彼は、すぐ分かった。フレッシュフルーツのスタンドの脇に立って、ストローでちゅうちゅうと何かピンクっぽいジュースを飲んでいた。その口元にさっと白い指が伸びた。隣に立っていた、落ち着いた感じの女性が彼の頬についたジュースをぬぐい、何か言って笑うのを私は見ていた。
見ていることしか、できなかった。

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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2016/05/16 09:59 | flora world  | No Comments

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