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2012/05/07

いままで 原稿をお休みして

こういうものを書いていました

亭主の店 かわせみの 店先に 置いています

 

やれやれ

 

ところで

 

私たち コマの曲芸師、曲独楽師 三増流の師匠である、三増 紋也が亡くなって

7月で一周忌となります

 

亡くなった時

 

後輩の紋右衛門くんが

 

紋也師の

芸界での 評価が

低いのではないかと

 

大層嘆いておりました

 

しかしながら

 

紋也師の 各受賞歴を見ていると

 

あまりにも 65年間の芸歴が長かったから

 

受賞した当時に 彼は 物心ついていなかったわけで

 

空気のような自然体で 芸を体現していた 晩年の紋也師

 

その存在感は 弟子の私たちにとって

 

身体を作っている一部ともなっているのであり

 

どのように その恩恵を 表現していくかで

これからの 新しい評価そのものが決まっていくに違いないのです

 

私たち芸を専業とする人ですが

これからいかに 生きていくのかを

真剣に表現の一部として取り入れていくか

芸として どこまで それを 表す事ができるのか

一心に していかなくてはいけない気もします

 

そして

 

意外と気が付かなかったのが

 

言葉で表すという 態度です

 

私も 自分でホームページ、ブログと

一方通行の情報から 1999年に始まり

 

近年の ツイッター、Facebookの双方向

コミュニケーション型が

加わって

 

今思います

 

何か 寄席でも

イベントでも

 

仕事をして

演技終了

 

たった 20分か 30分の

 

コマを回す間だけの

口上

 

それだけで

 

一生過ごすのか…?

 

それができない私でしたから

紋也師匠に 黙って始めた事を怒られたけれど

曲独楽の普及に一役 微力ながら させて頂くお願いの元

こうして

自分の意見たっぷりの

JunkStage製コラムの形まで

到達しておりまする

 

ずっと続けて意見を言わせて頂いてきました

 

自分だけの 曲独楽ではないので

今後の曲独楽の事は 大きな支えを無くして 心配な感じですが

踏みとどまりたいと 思っています

 

さて

 

 

GWという 全国的なエネルギー利用での長距離移動期間中

 

愛媛県の内子町でも

 

観光の方々は たくさん来られていましたけれど

 

大地震の影響があった去年からは 多少経済的に 動きがあった様子ですが

 

どうにも 活性化を目標として いろいろ算段していた人数とは

 

桁が違って少なかったようです

 

NHKの全国ニュース、夜7時の最後で5月5日に紹介された内子町・大凧合戦ですが

 

合併して五十崎町という名前が言われなくなってしまい

 

五十崎出身の亭主にとっては ずいぶんつまらない事のようでした

 

人の出具合も少なかったのは 少子化も関係するでしょうが

 

生活状況の変化や娯楽の多様化、長距離移動の影響など

 

考えるほどに 近代化してきた 日本の地域文化そのものが

今後 ほとんど 壊滅していく足音のような ヒシヒシとした感覚に襲われます

 

曲独楽は 江戸300余年の歴史上 3回 禁止令が幕府から出されました

 

明治に入ってからは 欧米の芸能の珍しさと どう対抗するか

闘って

昭和の戦争を挟んで戦後

紋也師や小志ん師が 寄席の曲独楽を守り抜き

幸三郎先生や後からは女楽師が米軍キャンプで苦労を重ね

アメリカのラスベガスでショーの合い間に不動の位置を築いた こま鶴先生

 

そして コツコツと 曲独楽を作る技術を保ってこられた

江戸独楽の広井先生兄弟

独楽玩具の製作の職人さんを増やした功労者です

 

曲独楽も もっと考えていかなくちゃ

工夫工夫…

 

柔軟な日本の大衆芸の懐は

日本の良い部分を損なうことなく アジア異文化を

取り入れて飲み込んで来ました

やりようによっては

欧米文化も そうできる可能性さえ あります

日本の人の 「面白がり方」というのは

知識人には 眉をひそめる 題材も数多く

しかし

勢いは それを遥かにしのいで大きなうねりを 生んできました

歌舞伎 念仏踊り 吉原 音楽 若い人や女性のファッション アニメーション…

 

ホントに

 

工夫工夫… 

 


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