Home > 曲独楽、巳也 > コマの曲芸 曲独楽講師 三増 巳也

2017/06/22

徳島県の阿南市にある

杜のホスピタル

こちらで 曲独楽の講演をさせて頂きます

以下は 開かれた精神科病院として先進的な活動をされている「杜のホスピタル」リンク

杜のホスピタル・徳島県阿南市

三増 巳也の コマの公演と 講演のご案内は以下です

杜のホスピタル文化公演;THE 曲独楽 三増 巳也

 

取り急ぎ お知らせまで~

曲独楽巳也杜のホスピタル徳島県阿南市20170624

曲独楽巳也杜のホスピタル徳島県阿南市20170624

 

 

2015/04/02

三増巳也こどもの曲独楽体験イン愛媛こどもの城お正月イベント

三増巳也こどもの曲独楽体験イン愛媛こどもの城2015お正月イベント

いやはや たくさんの事があり
ついつい 甘えて3ヶ月も原稿を書かずにおりました

皆様 お元気ですか?

私は相変わらず 元気です!

早くも 愛媛県 内子町の大瀬 喜田村地区 里山の桜も満開です

写真がまだ アップできないですが そのうちまた…

世の中の いろんな事に ついていけるか 心配な 曲独楽師 三増 巳也です…

2014/10/31

曲独楽三増 巳也おめでたい末広

曲独楽三増 巳也おめでたい末広

チビリチビリ

書き続けて いつの間にか3年が経過していました

写真の私は まだ独身当時で2000年の物です

日経クリックという当時の流行雑誌の取材写真を カメラマンの方の許可を頂いて使用しています

ネットに出るコンテンツって 時間を感じさせませんので 不思議に感じます

さて

こちら JunkStageさんに寄稿させて頂いてから 3年目となりました

おかげ様で 私の曲独楽の仕事の確認すべき事柄を 少しだけですが

明らかに出来たかなと思っています

長期にわたり 独楽に関する仕事をしているわけですが

この曲独楽という芸に関してと

日本の伝統の大衆芸について

海外の方向けに紹介する翻訳のやり方に疑問を感じる事があり

今はその点を どうにかして 実際の物に近いニュアンスで伝えようかと

考えています

気になったのは 曲独楽を紹介しているコメントで

FOLKLORE folklore 民間伝承とか 民族の~ という言葉を使っているからです

この点をどうにかして この3年目は 考えていきたいと思っています

2014/10/14

2014年10月26日
愛媛県立医療技術大学 学園祭に出演します! DSC01198
見た感じは 同じに見える事でも

物事の背景を知ったら 人は心が動く事がありますね

同じに見える という事は すごく幸せなのかもしれませんし

困った事なのかもしれない

心の持ちようだと よく言いますね

本当にそうだなと 昔の人の言葉に 聞き入ってしまいます

ただ単に 物事を伝えたいのか

それとも 考え抜いて 搾り出すみたいに作った言葉だったのかは

時には 言ったり 言葉で書き残した本人でさえも わからなかったりします

ううむ

私にとっては

何でも

同じじゃ無いですね…

独楽の動きに替えて考えてしまうのが私の職業病かもしれませんが

何回曲独楽を扱っても

その一瞬ごとに 出会っているかのようです

先日 知人と 鮎の話になり

徐々に国内の鮎が変化しているんじゃないかという話題になりました

場所も時間的なことも

同じ川の源流で育つ鮎だって 味が違います

川を大事にしてきたおじいちゃんたちの つかまえる鮎は 違う味がします

養殖の味でなく

川の状態も味のうちに入っています

それに 炭火で焼く時の炭もそうです

山の雑木の状態で 良く燃えたり 燃えなかったりしますから

良く出来ている山の炭は 煙があまり出ませんし

焼く場所の大きさに合わせて割る時も

粉々になりにくいです

曲独楽だって 木製品ですし 心棒は日本が誇る 鉄を鍛える見事な技の 鋼鉄製です

木は全部 日本の木です 塗装も漆ですから 日本の風土に根ざしている芸能だという事です

見かけが同じでも 曲独楽を本当に知っている人が作る・回す・演技する… そこで違いが初めて成り立ちます

だけど

インターネット上の 動画からは それがわかりません

本当に 曲独楽を大事にしたい … 私は いつも 思っています

2014/09/07

2014年の観月会です、かわせみ内子町並保存地区

2014年の観月会です、かわせみ内子町並保存地区

これといって
特に決まりごとがある行事ではないのですが

夜暗い事に 不安を感じる町と違って

愛媛県の内子町並保存地区において

この夜の暗さを楽しむ 観月会は

とても ゆかしいものだと思います

ゆかしい っていう言葉を使うのは その雰囲気のわかる一番近い言葉の響きがあるんじゃないかと

私が勝手に考えているからです

さて 東京にこの楽しみをそのまま持っていこうとすれば

不審者 ストーカー 挙動不審 職務質問 などの言葉が連想されてしまいます

確かに この内子町でも 暗いところが怖いのは 同じなのですが

人に対する 安心感というか どこの誰だか大体知っているという事が

とても大切な約束事なのだなと 納得します

私だって 内子町へ嫁入りしたばかりの頃は 挙動不審な所があったはずですから

… 地元の人が 知っている地域の 名前や 有名な方の事が まったくわからないので この点は困りました

都市部においても 自分が住んでいない地域に馴染めないのは 当然のことですよね

地域の情報が 大切なのを理解しました

実際 大きな地震が東北で起こったことで どのような事が 都市部と違っているのか

人同士の会話の運びとか 仕事のやり方など

防災を意識して 初めて理解しなくちゃいけないぞ って感じになったわけです

地域の人は 大事です

住んでいるだけで 大 大 大 重要人物です

特に 年齢が上の方ほど その重要度は高くなります

ご自身で体験されたことだけでなく ご家族や 住みはじめた当時の 聞いた話など

その蓄積された情報量ときたら

古今のビッグデータどころの話ではありません

企業が使っているようなビッグデータは 人の気まぐれな行動をデータ化しただけですからね

地元の 古老が貴重な事!

中には 噂話以外に 良質な情報が入っているからです

確かな情報源と 人物の特定まで可能な精度を持っています

私が生まれた東京都豊島区南長崎あたりは

開発前には 湧き水が各所に出て

そこには 必ずお稲荷さんが祀ってあったようで

某私鉄が通ったおかげで 住宅地として成り立ったのですが

その反面 もとあったはずの 水路が まったくわからなくなっていますが

潅水被害は 無い地域なので 開発の影響は 文化が無くなった点だけのようです

調査している方の情報では 

南長崎あたりは 水源地としては 特異なタイプ

あちこちで湧き水が発生する 不思議な地域なので 川にはならず

結局 地盤沈下や 洪水の危険がないようです

とにかく そこに長くいる人を 大切にする

他所から来たら とりあえず 世間話をしてみる

こういう事が 大事なようですよ

2014/05/30

今月は本格的な言い訳からスタートします

 

ちょっと 最近は 様々な事が ありまして まとめてコラムを月末に出すような状態が続き

 

すみましぇ~ん

 

今回は

日々の暮らしぶりが変わると どんなふうに 考え方が変化していくかな~という事を

私の気持ちの変身ぶりを見ながら メッタ切りします

 

 

まず

表題に 書きましたが 2003年から 私は生まれた町の東京都豊島区南長崎をあとに

愛媛県の内子町大瀬南地区へ移住しました

 

実際には 曲独楽の公演が妊娠8ヶ月まで続きましたから

2002年から行ったり来たりを繰り返した期間を除き 毎日の暮らしを大瀬南で始めたのが2003年2月

…まあ 何年かは 目安なので どうでもいいですが…

 

移住してから 10年が経過している事になります

 

その 最近の 社会の変化と (そんな偉そうな事じゃないけど)

あまり関係なくなった暮らし方を始めている私は

 

家族に密着している生活が中心となっております

 

…状況の説明はこの辺で終了

 

さて 暮らしぶりが 変化して10年という事で

どういう変化が 発生してきたか

だいたい3つあると考えます

 

1.仕事内容で言えば

 

東京都豊島区南長崎の頃は 3代目紋也師の稽古場や 曲独楽製作者の先生や仲間に協力を頂いての協力関係が中心であった形から

技術維持と新芸の企画開発曲独楽師生活へシフトチェンジしているわけです

やり方としては 身の回りにある物事を取り込んで曲独楽に練りこむのは変わりが無いとして

日常の仕事のやり方的には 寄席での全体的なバランスの中の1演目としてピリリとする役割を短時間で切り上げるのが曲独楽師ですが

 

現在は 企画ものの対応を真ん中に置いて 大道具的な所からもう一回見直す必要が出てきていますので

以前より時間がかかるものには ちゃんと 時間をかけて きちんと作る面白さに没頭できる点がすごく充実感があります

 

2.暮らしの面では

 

大瀬南地区の私がいる所は日当たりが抜群の地区なので

燦燦とした太陽と一緒の生活です

 

10年いると どういう天候があるのか 古老の知恵などで伝授して頂いた地元天気予報を活用しています

以前より 洗濯のコントロール力が向上しました

このあたり … というか 語源はどこからなのか 見当がつきませんが

天気雨や突然降る雨の事を さだち といいます

だいたい 徳島県や九州などにも この言い方はあるようです

 

その さだちのある なし それがわからないと 洗濯物を干すのに 困る地域なのです

だいたい 5月末から7月にかけて

朝快晴でも さだちがあると

洗濯物を干して出かけると ビシャビシャになるので

主婦としては失格なのだそうです

 

こんな風に 住んでみないと絶対わからない事に どう対処するか 女性は特に 嫁入りの場所が遠いと

コレに結構困るんですね

 

夫婦のケンカの元になりますね

ところで その夫婦のケンカについても 良い面がある事がわかりました

 

お互いに どこまで怒れるか 時間がわかるようになるとか

怒りのツボや 仲直りの法則が予測できるようになるんですね

こりゃ 相当面白いです

日常の暮らしから出るひずみの対応を 体力に任せてケンカにできるのも 若いうちだけだったりして

「来るぞ」

が 予測できるようになると なかなか ケンカのストレート方式まで発展しませんね

 

 

こういう事に 時間がかけられるようになるのが 本当に面白いです

 

…こんな風に 変化していきます

最近では

ケンカになっていたのが 愚痴のレベルで終わってしまう事が増えました

中年の見事ないやらしさに突入したのが 自分でもわかります

 

3.新感覚を楽しむ

変化があったのは

特にこの面だと思います

 

当然ですが 東京都の 借家の住民だと ほとんど庭の楽しみはありません

でも この愛媛の大瀬南地区に来て以来

自分が庭師になったんじゃないかと 錯覚する事が増えています

 

死にかけた草花を再生するのが こんなに面白いとは気がつきませんでした

 

夫は天から私を都会人だと扱っていましたが

母は鹿児島の山の出身ですし 私も幼児の頃から 道の草を食用にして下ごしらえを手伝って来たので

その面では 東京人とは言えません

 

のびるの食べ方を逆に教えてあげましたし

夫が捨てた木を10本以上再生してるので

最近では質問されてます

 

かわせみの中庭を 機会があったら見てください

以前働いてくれていた 今は陶芸家の宮内さんが 苔を移植してくれてたのですが

放置していたので無くなっていました

でも今は 剪定と草取りと土の入れ替えで苔が復活してきました

 

こんな風に 新しい楽しみも次々発見しています

 

庭はものすごく色々な事を教えてくれます

 

待ってみる事

よく見ること

覚えておく事

 

体感することを 大事に扱う事

 

身体の感覚を生かして 自分なりの判断が自信になります

反省も 全身で受け止められるので サッパリしています

 

これが 愛媛 大瀬南へ移住して10年の今 3つの 変わった点です

2014/04/30

思わない事で とてもイヤな感情を抱え込む…

それは 凄く心の負担になりますし 毎日の暮らし方にも直結します

今回は そういう「気持ち」の話です

 

A. つらい経験が 原因となった時と

B.自分の失敗が元になる場合では

ずいぶん傷つき具合が違う事がわかりました 

 

(自分の場合ですが)

 

A.本当につらい経験の場合 やりきれない感情となって 心の深い部分に蓄積されます

 

B.自分の失敗が原因だと その後の行動自体に直接関係が出てきます

 

間接的には生まれたときから 直接的には芸人として 芸に関わって生きてきましたので そのABが表面的に現れるのは

私の場合 日常の態度の方に出ておりますが

曲独楽の舞台にも 場面構成や演出を考える基礎の部分の骨組みと関係が出ます

 

 

Aは人の生き方の理想に関係するくらい 重たいことなので なかなか変更が利きません

Bの方で調整をする事が日々の生きる糧にもつながって これは どうやら 生きがいというプラスイメージを持つものにチェンジが可能なようです

 

色々な失敗談がどなたにもあり

その失敗は とても心にひびくものです

 

私にも失敗談があります

 

温厚な紋也師(3世)のお怒りを買った事…

本当によくおぼえています

今でもあの時の苦い苦い思いは忘れていません

 

細かい失礼は ものすごくたくさんありますので省略…

 

入門後 初めての海外公演がN.Yという(1993年)ラッキーな私

有頂天状態の私の曲独楽の舞台上での取り扱い方は とてもザクザク荒っぽいものでした

 

その海外公演で ご一緒した方のパーティーがホテルで開催されましたので

紋也師に呼ばれて 曲独楽公演の後見として一緒に出演しました

 

変わらない美しさと気品ある 紋也師の曲独楽の風格と

横に居させていただく 新参者の私では 天地の違いがあり

舞台上ではそれがまた お客様にはお楽しみとなっていましたから

公演も それはそれは楽しくさせて頂く事が出来ました

 

問題は その後です

 

ああ 書いていくのが つらいですねえ

 

連載を休みたいくらいイヤ…

(^^;)失敗とは そういうマイナス効果たっぷりですなあ

 

私の有頂天が なくなったのは この経験が元です

 

お客様である方 仮に iさんとします

 

iさんから 後日 紋也師あてに 郵便物が送られてきました

 

私の所に 師匠から電話があり 「すぐ来られるかい?」

 

紋也師のお宅は 当時 すごく粋な 新宿区納戸町でした

神楽坂と隣り合わせの地域で

裏千家の東京事務所や 勅使河原映画監督のお宅など すぐご近所で

当時の日本ハム上田監督や 女優FじMなみさんや 志ん朝師…お歴々がいらっしゃったのです

 

急いで紋也師宅へ伺うと

 

珍しく 怒られました

「おまえさんは 慌て物なんだよ」

 

今でも よく 口のある部分から この時の事を思うと 苦いものが染み出てくるんですが…

今日も出ました おお 胃にこたえる

 

そう

小道具を 演技終了後 控え室に忘れて

iさんが 公演の感謝の言葉を添えて 私の小道具を送ってくださったのでした

 

本当に 本当に

寝られないほど 苦い感情が生まれて

この時 私は思ったのでした

 

二度とするまい

 

たったこれだけの話ですが

 

曲独楽の小道具は 替えが利きません

個人の身体の特長によって その道具も違うので

忘れたから貸してもらうとか

お店で買ってきて間に合わせる

 

そんな道具では無いからです

 

特に 入門当時 私の為に

紋也師が 直接ご自分の手で 作ってくださった小道具で

とんでもなく貴重な品でしたから

本当に 申し訳なく

 

ものすごく落ち込んだのでした

しかし この経験こそ

道具に対するこだわりを生むきっかけであり

その後の舞台構成の考え方の基礎の基礎となり

どういう風に 曲独楽を取り扱いたいかという 自分の理想をはっきり形にするという 責任の取り方を考える最初の出来事でした

 

貴重な体験でした

 

2014/02/28

小鹿野で巳也曲独楽材料oganomiyakyokugoma

小鹿野で巳也曲独楽材料oganomiyakyokugoma

ディープな話題が 増えてきました…

私がこの写真の埼玉県の小鹿野町へ うかがったのは 2000年の5月の事です

曲独楽の原材料となる 木材の調達について もうプロ向けの曲独楽制作はムリだと

製作者の先生方に宣言されたのを受けての「調達旅」の何回目かでした

1985年頃 曲独楽の稽古に何とか 曲独楽を手にしなくてはと 探した頃を思い出しています

紋也師からも 女楽師からも そして私の父 源氏太郎を通じて 他の曲独楽の愛好家であったご近所のXおじさんも

みんな口をそろえて その苦労を語ってくれていたので 相当の覚悟が必要な事は

入門前の(曲独楽を意識し始めた) 高校生当時から知っていましたが その打開策については

江戸独楽の復興をされた 広井政昭先生に(今回からもう先生をつけさせて頂きます ご本人が嫌がるので今までして来られなかったけど)

頼る以外に無かったのが 現実でした

特に曲独楽の製作者の 手間と労力そして技術の高さによる精度の良さの評価というのは

曲独楽の演技の内容と 曲独楽師側の必要性との関係が 曲独楽の価格へも影響してしまうので

曲独楽を制作している側の 大きな問題点となったまま昭和の時代の曲独楽の置かれた状況は終わってしまいました

専門的過ぎて お客様に通じにくい話が続きますが ご勘弁ください

私たち曲独楽師を最も愛してくださる「寄席」で 舞踊的な演技を最小にした事もその理由のひとつかもしれません

それを避けてきたのが 三増流の 日舞の要素を取り込んだ美しさを表現する曲独楽ということなのですが

段々 それ自体 “短時間での派手な演出”を 要求される場所が増えるにしたがって 「時間がある時の余芸」風な演出効果になってきて

本来どこに流派の違いがあるのか わかりにくくなっているのが 現在ではないかと思うのです

私は入門してすぐ その違いを叩き込もうと異流派の先生方と お話できる所に行く事にしました

太神楽曲芸協会へ 女楽師が会長の頃(平成10年頃ですね) お願いして加入させて頂き 本当に勉強になりました

太神楽と曲独楽を同時に演じられる先生 柳家小志ん師ととし松師の演じ方と

三増流の違いを納得する事ができたのは 本当に有難かったです

ところで

川崎大師で毎年5月21日に 太神楽曲芸協会の「まり塚まつり」の奉納演芸がありますので 機会があったら皆さんぜひ 行かれてください

曲芸が見られてご利益が頂ける貴重な一日です…

こちらから ご覧ください 

これは 普段 稽古や寄席などで使う 芸の道具を供養する石碑を建立し 芸道の精進を願って川崎大師で行う曲芸師のおまつりです

私の名前も彫っていただいてるので まり塚で探してみてくださいね

さて
その材料の調達の面で 国産の木材の確保が 年々難しくなっていった事は

曲独楽の製作者のストレスになってしまっていて “曲独楽は飾り用と素人さん向けなら作るけどプロへは作らない”

こう宣言されてしまった時期がありました

外国産の安価な木材が当たり前に流通する一方 国産の「用途が少ない建材以外の雑木」は 流通経路から外れて

一切市場に出なくなりました

困ったのは 私たち 曲独楽師です

何とか 使える木材を探して 乾燥 試作 試験 実用 という流れに乗せていかなくては 曲独楽の木材からの完成までの期間は

その木材の置かれた環境と 木材の水分や 密度との均衡により また 木取り(削りだせる面積)の大きさも違うので

完成する曲独楽の大きさや 使える機能からどの演目用なのか選定する期間も 考慮したうえでの 早い調達が必要だったのです

すぐに どこか 木材を選んで 手に出来る場所が無いか 探しました

縁があって 山に入る事を快諾していただいたのが

埼玉県の小鹿野町でした

… 次回へ続きます 

2014/02/19

曲独楽三増巳也宜蘭衣紋流し

曲独楽三増巳也宜蘭衣紋流し

曲独楽を演じる時に気にするのは

どういう場所・会場でコマを扱うのか

ということです

大ざっぱに書いていけば ローマのコロッセオみたいな感じなのか

お祭りの仮設舞台か

はたまた(この言い方 広川太一郎さんの「ムーミン」スノーク風を希望)

きちんと座って見られる屋内会場の大きな公会堂クラスなのか

それとも 寄席のような客席のお互いの居心地相乗効果バツグンの300名様会場なのか…

あるいは アットホームな個人経営店かお宅のリビングでのパーティーだろうか

それを気にするわけであります

とある「芸に理解の非常に深いお方」と 

曲独楽の普及のことについて ご意見を聞くことができました

マジックの海外と日本の歴史について くわしい方なのです

一時期 曲独楽はマジック ← ← ← 日本で言うと 手妻(てづま)です

との合同公演を 今で言う シルクド○レイユの元祖みたいな方式で公演していた時代があります

私もたびたび こちらJunkStageさんの「言わずば回れ」コラム 曲独楽江戸時代カテゴリで

少し書いてきましたが

この方の調べたデータを元にした記事もあるのです

さて

そういうことで現在のショーも 様々な公演をご覧の方ですから

滅多にないこの機会に

曲独楽の海外を視野に入れた 普及のご意見を聞かせていただくことができました 

今まで私も すごく迷っていたのですけれども

私的に 結論が 出たので ここで申し上げておきます

曲独楽は 日本人が 手放すべき文化伝達方式ではない

そういうことです

閉鎖的になるなということで お叱りを受けることもあるでしょうが

ここは 私が 石頭に ガッチリ固めた持論を展開させていただきます

曲独楽が 過去 海外との交流の歴史の中で

なぜ 洋式の娯楽の浸透や 戦争や地震などの文化的危機を乗り越えて残っているか

日本の国土の大半を占める 山林・木材の利用と共生の歴史と文化が

それを支えているのだということです

そして それを充分に理解して 育っている私たち表現する側が

物事と 表現する人との美しい均衡を芸として

舞台上でご覧頂き

色々な思いを感じてくださる観客の皆さんと

表現する側も 共感と発見と出会いを得られる 

至上の至福の場所に立っているのだということです

シルクド○レイユという公演の事を ちょっと書かせていただきましたけど

死亡事故が起きるということは そういう内容なのですね(怖)

かなり はっきり申し上げると

命の危険を要求される公演内容ということは

果たして 演じる側は 何の特があるのでしょうかね

欲求のみに こたえると こういう結果が待っています

かつて ロシアで 日露戦争直前からその最中に

日本の曲独楽と手妻の芸人が一族で公演していた時代に

地元ロシアでの芸人とトラブルになり

演じる時に使う命綱に切り込みを入れられた話や

現地での仕事を得るため 日本の芸人が命をかけた演技をして

勝ち残り獲得したサーカスの話が伝わっています

その当時と まるで事情が変わっていませんね

TVのバラエティーでの危険演出もこういう話と関係があります

そのようなことをOKする人が出る悲惨な状態を

私たちの先輩芸人が嘆いて その結果として良くする為の活動をしています

そのために 日本の芸能家団体をたちあげて 協力しています

私も協会員です

海外の劣悪な演出優先の傾向には 危機感が大アリです!!!!!!!!!!!!

おかしな傾向だと思いますが

日本の宣伝が大々的だと なお更 気がつく人は 少ないでしょうね

芸術的なことって

そういうことでしょうか?

抑圧された人の感情の昇華された表現として 芸術はあるはずだと思いたいです

曲独楽は 手放さない

2014/01/13
内子座三増巳也曲独楽1

内子座三増巳也曲独楽1

これから たぶん 恒例になると思いますけれど…

 

愛媛県 内子町にある 古い芝居小屋 内子座の

楽屋横のスペースに

出演者だけがメッセージを書ける場所があります

 

まだ 出来たばかりなので 空白が多かったですが

今後恒例になるから きっとやがては少なくなるでしょう…

 

そこに先日 2014.1.5 公演致しましたので

左の 三増 巳也 定番サインをしてまいりました

 

「桂小春團治 新春独演会」ということで 大阪のアランドロン(わかる人だけでいいけど)

桂小春團治師の会に 出演させていただきました

 

 

当日は もうそれは たくさんのお客様で 内子座の舞台から お客様のお顔を拝見し

本当に 新年が幸せに明けて 大 大 大 感動の 公演となりました

 

今年は ずいぶん 雪の天気が多く あちこちで 電車や飛行機が 止まったりして

 

ハラハラしておりましたが 当日は 真っ青に晴れた空が広がって

 

内子座前の 小春團治師の のぼりも 気持ちよさそうでした

 

公演中 何が楽しいかというと 私は楽屋の何でもない 無駄話が面白くて いろいろやらかします

 

今回は 私が住んでいるあたりの 最近の魚や動物の 「国際化」で 盛り上がりました(私だけか…)

 

 

楽屋が 面白いなあというときの公演は 必ずといっていいほど お客様 舞台 一体となっていい雰囲気になることがわかっています

 

内子でお客様を 集めて頂いた皆さんの腕には まったく頭が下がります

たったの1ヶ月で 今回はキャンペーンしてくださったそうで

(出演する私には サイトでご報告するくらいしか お礼のしようも無い申し訳なさですけど)

 

地方に数多くある 小屋が 今 存続の危機 そして 取り壊しになった施設もあり

この内子座が 地域と 支える側 利用する人の魅力など バランス良く これからを また積み上げていくことが

とても大切だと 思いました

 

寄席と違って 芝居を演じる舞台の内子座は広く 大きな演目が楽しめると思いますから

次回もし 曲独楽の公演が 可能なら

江戸期の曲独楽で使っていた 独楽の 吊り行灯を 使えればいいな

 

曲独楽三増巳也内子座2

曲独楽三増巳也内子座2

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