Home > 曲独楽、巳也 > コマの曲芸 曲独楽講師 三増 巳也

2017/06/22

徳島県の阿南市にある

杜のホスピタル

こちらで 曲独楽の講演をさせて頂きます

以下は 開かれた精神科病院として先進的な活動をされている「杜のホスピタル」リンク

杜のホスピタル・徳島県阿南市

三増 巳也の コマの公演と 講演のご案内は以下です

杜のホスピタル文化公演;THE 曲独楽 三増 巳也

 

取り急ぎ お知らせまで~

曲独楽巳也杜のホスピタル徳島県阿南市20170624

曲独楽巳也杜のホスピタル徳島県阿南市20170624

 

 

2015/04/02

三増巳也こどもの曲独楽体験イン愛媛こどもの城お正月イベント

三増巳也こどもの曲独楽体験イン愛媛こどもの城2015お正月イベント

いやはや たくさんの事があり
ついつい 甘えて3ヶ月も原稿を書かずにおりました

皆様 お元気ですか?

私は相変わらず 元気です!

早くも 愛媛県 内子町の大瀬 喜田村地区 里山の桜も満開です

写真がまだ アップできないですが そのうちまた…

世の中の いろんな事に ついていけるか 心配な 曲独楽師 三増 巳也です…

2014/10/14

2014年10月26日
愛媛県立医療技術大学 学園祭に出演します! DSC01198
見た感じは 同じに見える事でも

物事の背景を知ったら 人は心が動く事がありますね

同じに見える という事は すごく幸せなのかもしれませんし

困った事なのかもしれない

心の持ちようだと よく言いますね

本当にそうだなと 昔の人の言葉に 聞き入ってしまいます

ただ単に 物事を伝えたいのか

それとも 考え抜いて 搾り出すみたいに作った言葉だったのかは

時には 言ったり 言葉で書き残した本人でさえも わからなかったりします

ううむ

私にとっては

何でも

同じじゃ無いですね…

独楽の動きに替えて考えてしまうのが私の職業病かもしれませんが

何回曲独楽を扱っても

その一瞬ごとに 出会っているかのようです

先日 知人と 鮎の話になり

徐々に国内の鮎が変化しているんじゃないかという話題になりました

場所も時間的なことも

同じ川の源流で育つ鮎だって 味が違います

川を大事にしてきたおじいちゃんたちの つかまえる鮎は 違う味がします

養殖の味でなく

川の状態も味のうちに入っています

それに 炭火で焼く時の炭もそうです

山の雑木の状態で 良く燃えたり 燃えなかったりしますから

良く出来ている山の炭は 煙があまり出ませんし

焼く場所の大きさに合わせて割る時も

粉々になりにくいです

曲独楽だって 木製品ですし 心棒は日本が誇る 鉄を鍛える見事な技の 鋼鉄製です

木は全部 日本の木です 塗装も漆ですから 日本の風土に根ざしている芸能だという事です

見かけが同じでも 曲独楽を本当に知っている人が作る・回す・演技する… そこで違いが初めて成り立ちます

だけど

インターネット上の 動画からは それがわかりません

本当に 曲独楽を大事にしたい … 私は いつも 思っています

2014/03/30
三増巳也イン旭館で曲独楽

三増巳也イン旭館で曲独楽

前の原稿に書きましたが

テレビ愛媛さんの 愛媛県内放送番組「いーよ!」で

私 三増 巳也を取材していただきました

撮影を どこでしようか相談したら

 

旭館を使わせていただける事になり 感激です!

 愛媛県の内子町にある 古い映画館 旭館で

初めて 曲独楽の公演を 旭館の 中で 特別にさせていただきました~!

 

この 旭館が 国の有形文化財に指定されて 今年は 春と秋にまた 映画上映会があります

地元 内子町の皆さんが懐かしがるこの旭館が 壊さずに残ることは

本当に 嬉しい話です

 

当日の撮影で えひめのご当地アイドル ひめキュンフルーツ缶の まいまい … 岡本真依ちゃん!

と ご一緒しました!  (まだ放送前なのであとはナイショ)

http://ameblo.jp/mai-okamoto/

 

何事にも 頑張るまいちゃんに 思わず 二段独楽のおみやげを差し上げて…

 

旭館の雰囲気は 天井がイイ!

 

… 地元の映画好きの雰囲気は いろんな場所の古い広告や 映画宣伝のポスター

 

35ミリ映写機も すごくいい

 

また 旭館へ遊びに行こうと思います

 

今度の旭館映画イベントは5月25日 「黄色いハンカチ」高倉健さん主演 桃井かおりさん 武田哲也さんの作品が決まっています

当時の人気作品を 大きなスクリーンで見るのは いいですね…

 

今回は 撮影させていただき 感謝感激です!

2014/03/29

福井県の縄文時代の貝塚から見つかった漆の木が、これまでで最も古い1万2000年余り前のものだったことが分かり、海外でも有名な日本の漆文化の起源を考えるうえで貴重な発見として注目されています。

…こういうニュースが数年前にありました

 

 

仏教と一緒に大陸から渡ってきました

 

これは教科書で習った記述ですが

 

日本に古来から漆の木が 自生していたのでは…という出土品の話やら

 

もしかしたら 歴史的に自分が習ってきた教科書の話は どんどん書き換えられているんじゃないか…

 

そう思ったので 調べてみることにしました

 

やはり 今の常識は 私の学生時代とはだいぶ変わっている様子です

 

 

 

昔は中国から伝わった

 

そういう安易な説明も減ってきたようですので

 

自分的には しっかり情報を更新して 書いていこうと思います

 

さてさて 刀剣の装飾 つば の工人の技術の伝わり方 人の移動の事を前回書きました

 

今回は 漆と螺鈿の事が気になるので

調べてみました

 

同時代の違う物の動きをみていくのは 他の切り口の発見ができるかもしれないという期待ですが

どちらかというと

刀と 漆や螺鈿について 男性的と女性的というふうに私は今まで勝手に分類していて

一緒の時代であるにもかかわらず ちっとも注目してこなかったのです

 

実際には 持つことで身分を高め 社会には身分の証として そういう装飾をほどこした刀剣は使われるのであって

決して 江戸後期の頃のような 装飾目的で刀を所持する文化と一緒の扱いではなかったのだと

不勉強を嘆くばかりですが

 

その刀の螺鈿技術 象嵌 伝来の話は 国宝の記録を公開している文化庁の国宝公開データページでも

変わっていないので安心しました

 

でも 始めに書いた 漆は どうやら 国内産で あるていど 漆の保存効果を使用していたのでは…と

 

福井県の古墳で発見された漆の木の出土品は

新事実を想起させる興味深いニュースです

 

さて 話を技術の事に絞ります

 

その伝来してきた技術が

自分たちの腕より凄かったら

やはり 習いたいと思いますよね

 

だから 国産であった技術と 輸入の技術を比べて取り入れていく

 

そういう日本の工人の工夫の歴史は

 

いまだに 続いていると言ってもいいでしょうね

 

ですので

独楽は伝来したのではなく 日本独自で発生していて

最先端として 鉄芯の曲独楽は大陸経由で伝来したのか…

その技術者を連れてきて 伝わったのか…

または 何かの工人か文人の趣味か郷土の遊びの形で伝来したのか…

 

そういう事が考えられます

 

正倉院の国宝の螺鈿紫檀五絃琵琶ですが

当初 完全に 装飾品として 国も取り扱っていたけれど

再調査で 楽器使用目的で制作されたようです

 

この時代は 奈良の大仏建立で 大規模な演奏や舞踊があり

たくさんの楽器が必要だったとか

 

楽器の作り自体はわかりませんが

装飾の技術は

高価な大陸輸入のものを使わなくても

最初は輸入の螺鈿技術で学習していた螺鈿工人が

やがて螺鈿の技術を習得し

国内 琉球や南の島にある貝素材で 作ることが可能になったということです

 

日本では 技術を発展させる得意技を 発揮してきた歴史は長いものなのですね~

2014.4初旬 愛媛県内テレビ出演します テレビ愛媛「い~よ!」

2014.4初旬 愛媛県内テレビ出演します テレビ愛媛「い~よ!」

2014/03/28

曲独楽三増巳也小鹿野町木材

曲独楽三増巳也小鹿野町木材

前々回の続きです

※ 曲独楽の材料となる 木材の用意が困難になったという話を ご紹介しました
そして それを調達する為にお世話になった 埼玉県の小鹿野町での話を 今回はさせて頂きます

小鹿野町は 昔から長野と江戸を結ぶ街道として 人の往来が盛んでした

埼玉県の秩父の西に位置している 山あいの町です

交易の品物を運ぶ街道は とても道が整備され 山郷としても

暮らしは豊かだったのではないかと思います

さて 曲独楽の素材探しで

各所 例えば 横浜市の公園で 桜を伐採するから譲ってあげるとか

某所の川の流木を処分するので 持って行ってくれとか

そういう事で 一門の時間調整できるメンバーが

木材を取りに現場まで行くのはいいのですが

切った木を動かすことができないで 大抵そのまま持って帰れず

曲独楽制作の先生のお仲間の貴重な木材を譲り受けられなかったら

本当に無駄足ばかりで

やる気そのものが失せていく毎日が続きました

愛好家の愛は 本物の愛です

とにかく
 
私たち プロの曲独楽師は

製作者と 周囲の協力者の愛で 活動を継続しています

だけど

いつまで そういうありがたい状況は存在するのか不明です

近年

私が小鹿野町でお世話になった皆さんとの出会いのような

そういう話を非常に大切な事として聞いてくださる方が増えてきました

3月の原稿が遅れた理由として

これはちょっと書き添えますが

地元 テレビ愛媛の「い~よ!」という番組に出演が突然決まって

収録と演出 両方ちょっとずつしたためです

曲独楽の保全環境の悪化は これからも最大の問題なので

絶えず取り上げていきますが

私が小鹿野町の山で木を切ってもらう体験をしに行ったこと

それは 本当に良い経験になりました

木を切るのは 命がけで

運ぶのも相当危険な事です

怪我も落命もそこには瞬時に発生し

人間の工夫と体力それと コミュニケーションの力と自然界での限界をまざまざと体験します

写真をしみじみ 当時のものを見返して

本当に木を切る現場に入った事を今実感するんですが

実は

実生活でもまた

山の中でうろうろ

しかも 今度は小学生の兄弟を連れて

我が家の山を探検してしまった私なのでした

これはまた 機会を変えて説明します

とても楽しい話なのです…ハイ

巳也曲独楽投げ2

巳也曲独楽投げ2

2014/02/28

小鹿野で巳也曲独楽材料oganomiyakyokugoma

小鹿野で巳也曲独楽材料oganomiyakyokugoma

ディープな話題が 増えてきました…

私がこの写真の埼玉県の小鹿野町へ うかがったのは 2000年の5月の事です

曲独楽の原材料となる 木材の調達について もうプロ向けの曲独楽制作はムリだと

製作者の先生方に宣言されたのを受けての「調達旅」の何回目かでした

1985年頃 曲独楽の稽古に何とか 曲独楽を手にしなくてはと 探した頃を思い出しています

紋也師からも 女楽師からも そして私の父 源氏太郎を通じて 他の曲独楽の愛好家であったご近所のXおじさんも

みんな口をそろえて その苦労を語ってくれていたので 相当の覚悟が必要な事は

入門前の(曲独楽を意識し始めた) 高校生当時から知っていましたが その打開策については

江戸独楽の復興をされた 広井政昭先生に(今回からもう先生をつけさせて頂きます ご本人が嫌がるので今までして来られなかったけど)

頼る以外に無かったのが 現実でした

特に曲独楽の製作者の 手間と労力そして技術の高さによる精度の良さの評価というのは

曲独楽の演技の内容と 曲独楽師側の必要性との関係が 曲独楽の価格へも影響してしまうので

曲独楽を制作している側の 大きな問題点となったまま昭和の時代の曲独楽の置かれた状況は終わってしまいました

専門的過ぎて お客様に通じにくい話が続きますが ご勘弁ください

私たち曲独楽師を最も愛してくださる「寄席」で 舞踊的な演技を最小にした事もその理由のひとつかもしれません

それを避けてきたのが 三増流の 日舞の要素を取り込んだ美しさを表現する曲独楽ということなのですが

段々 それ自体 “短時間での派手な演出”を 要求される場所が増えるにしたがって 「時間がある時の余芸」風な演出効果になってきて

本来どこに流派の違いがあるのか わかりにくくなっているのが 現在ではないかと思うのです

私は入門してすぐ その違いを叩き込もうと異流派の先生方と お話できる所に行く事にしました

太神楽曲芸協会へ 女楽師が会長の頃(平成10年頃ですね) お願いして加入させて頂き 本当に勉強になりました

太神楽と曲独楽を同時に演じられる先生 柳家小志ん師ととし松師の演じ方と

三増流の違いを納得する事ができたのは 本当に有難かったです

ところで

川崎大師で毎年5月21日に 太神楽曲芸協会の「まり塚まつり」の奉納演芸がありますので 機会があったら皆さんぜひ 行かれてください

曲芸が見られてご利益が頂ける貴重な一日です…

こちらから ご覧ください 

これは 普段 稽古や寄席などで使う 芸の道具を供養する石碑を建立し 芸道の精進を願って川崎大師で行う曲芸師のおまつりです

私の名前も彫っていただいてるので まり塚で探してみてくださいね

さて
その材料の調達の面で 国産の木材の確保が 年々難しくなっていった事は

曲独楽の製作者のストレスになってしまっていて “曲独楽は飾り用と素人さん向けなら作るけどプロへは作らない”

こう宣言されてしまった時期がありました

外国産の安価な木材が当たり前に流通する一方 国産の「用途が少ない建材以外の雑木」は 流通経路から外れて

一切市場に出なくなりました

困ったのは 私たち 曲独楽師です

何とか 使える木材を探して 乾燥 試作 試験 実用 という流れに乗せていかなくては 曲独楽の木材からの完成までの期間は

その木材の置かれた環境と 木材の水分や 密度との均衡により また 木取り(削りだせる面積)の大きさも違うので

完成する曲独楽の大きさや 使える機能からどの演目用なのか選定する期間も 考慮したうえでの 早い調達が必要だったのです

すぐに どこか 木材を選んで 手に出来る場所が無いか 探しました

縁があって 山に入る事を快諾していただいたのが

埼玉県の小鹿野町でした

… 次回へ続きます 

2014/02/19

曲独楽三増巳也宜蘭衣紋流し

曲独楽三増巳也宜蘭衣紋流し

曲独楽を演じる時に気にするのは

どういう場所・会場でコマを扱うのか

ということです

大ざっぱに書いていけば ローマのコロッセオみたいな感じなのか

お祭りの仮設舞台か

はたまた(この言い方 広川太一郎さんの「ムーミン」スノーク風を希望)

きちんと座って見られる屋内会場の大きな公会堂クラスなのか

それとも 寄席のような客席のお互いの居心地相乗効果バツグンの300名様会場なのか…

あるいは アットホームな個人経営店かお宅のリビングでのパーティーだろうか

それを気にするわけであります

とある「芸に理解の非常に深いお方」と 

曲独楽の普及のことについて ご意見を聞くことができました

マジックの海外と日本の歴史について くわしい方なのです

一時期 曲独楽はマジック ← ← ← 日本で言うと 手妻(てづま)です

との合同公演を 今で言う シルクド○レイユの元祖みたいな方式で公演していた時代があります

私もたびたび こちらJunkStageさんの「言わずば回れ」コラム 曲独楽江戸時代カテゴリで

少し書いてきましたが

この方の調べたデータを元にした記事もあるのです

さて

そういうことで現在のショーも 様々な公演をご覧の方ですから

滅多にないこの機会に

曲独楽の海外を視野に入れた 普及のご意見を聞かせていただくことができました 

今まで私も すごく迷っていたのですけれども

私的に 結論が 出たので ここで申し上げておきます

曲独楽は 日本人が 手放すべき文化伝達方式ではない

そういうことです

閉鎖的になるなということで お叱りを受けることもあるでしょうが

ここは 私が 石頭に ガッチリ固めた持論を展開させていただきます

曲独楽が 過去 海外との交流の歴史の中で

なぜ 洋式の娯楽の浸透や 戦争や地震などの文化的危機を乗り越えて残っているか

日本の国土の大半を占める 山林・木材の利用と共生の歴史と文化が

それを支えているのだということです

そして それを充分に理解して 育っている私たち表現する側が

物事と 表現する人との美しい均衡を芸として

舞台上でご覧頂き

色々な思いを感じてくださる観客の皆さんと

表現する側も 共感と発見と出会いを得られる 

至上の至福の場所に立っているのだということです

シルクド○レイユという公演の事を ちょっと書かせていただきましたけど

死亡事故が起きるということは そういう内容なのですね(怖)

かなり はっきり申し上げると

命の危険を要求される公演内容ということは

果たして 演じる側は 何の特があるのでしょうかね

欲求のみに こたえると こういう結果が待っています

かつて ロシアで 日露戦争直前からその最中に

日本の曲独楽と手妻の芸人が一族で公演していた時代に

地元ロシアでの芸人とトラブルになり

演じる時に使う命綱に切り込みを入れられた話や

現地での仕事を得るため 日本の芸人が命をかけた演技をして

勝ち残り獲得したサーカスの話が伝わっています

その当時と まるで事情が変わっていませんね

TVのバラエティーでの危険演出もこういう話と関係があります

そのようなことをOKする人が出る悲惨な状態を

私たちの先輩芸人が嘆いて その結果として良くする為の活動をしています

そのために 日本の芸能家団体をたちあげて 協力しています

私も協会員です

海外の劣悪な演出優先の傾向には 危機感が大アリです!!!!!!!!!!!!

おかしな傾向だと思いますが

日本の宣伝が大々的だと なお更 気がつく人は 少ないでしょうね

芸術的なことって

そういうことでしょうか?

抑圧された人の感情の昇華された表現として 芸術はあるはずだと思いたいです

曲独楽は 手放さない

2014/01/13
内子座三増巳也曲独楽1

内子座三増巳也曲独楽1

これから たぶん 恒例になると思いますけれど…

 

愛媛県 内子町にある 古い芝居小屋 内子座の

楽屋横のスペースに

出演者だけがメッセージを書ける場所があります

 

まだ 出来たばかりなので 空白が多かったですが

今後恒例になるから きっとやがては少なくなるでしょう…

 

そこに先日 2014.1.5 公演致しましたので

左の 三増 巳也 定番サインをしてまいりました

 

「桂小春團治 新春独演会」ということで 大阪のアランドロン(わかる人だけでいいけど)

桂小春團治師の会に 出演させていただきました

 

 

当日は もうそれは たくさんのお客様で 内子座の舞台から お客様のお顔を拝見し

本当に 新年が幸せに明けて 大 大 大 感動の 公演となりました

 

今年は ずいぶん 雪の天気が多く あちこちで 電車や飛行機が 止まったりして

 

ハラハラしておりましたが 当日は 真っ青に晴れた空が広がって

 

内子座前の 小春團治師の のぼりも 気持ちよさそうでした

 

公演中 何が楽しいかというと 私は楽屋の何でもない 無駄話が面白くて いろいろやらかします

 

今回は 私が住んでいるあたりの 最近の魚や動物の 「国際化」で 盛り上がりました(私だけか…)

 

 

楽屋が 面白いなあというときの公演は 必ずといっていいほど お客様 舞台 一体となっていい雰囲気になることがわかっています

 

内子でお客様を 集めて頂いた皆さんの腕には まったく頭が下がります

たったの1ヶ月で 今回はキャンペーンしてくださったそうで

(出演する私には サイトでご報告するくらいしか お礼のしようも無い申し訳なさですけど)

 

地方に数多くある 小屋が 今 存続の危機 そして 取り壊しになった施設もあり

この内子座が 地域と 支える側 利用する人の魅力など バランス良く これからを また積み上げていくことが

とても大切だと 思いました

 

寄席と違って 芝居を演じる舞台の内子座は広く 大きな演目が楽しめると思いますから

次回もし 曲独楽の公演が 可能なら

江戸期の曲独楽で使っていた 独楽の 吊り行灯を 使えればいいな

 

曲独楽三増巳也内子座2

曲独楽三増巳也内子座2

2013/12/13

私がこの話題の作品を取り上げるのは危機感からです
経済的な旨味がある表現作品は
誰でも見られる自由と
同時に『見ない自由』を主張するべきだと考えるからです
私は自分の子どもに大人になるまで見ないように言ってある作品があります!
その1本がこの『進撃の巨人』…
どこが私の不快感の元か考えました…
まず私の思い込みから感想を書くのでそれこそ私のコラムで不快感を覚える方がいらしたらゴメンナサイね…
作品の内容が読者の反応におもねっているような気がしたこと
ある特定の嗜好にダイレクトに「エサ」を与えるような作品の作り方に非常に違和感があります
やはりアニメを政治に利用する政治家への不快感と同じものです!
大きな企業がスポンサーにつくことは反対です!
ナゼこの内容の作品にスポンサーになる理由があるのか理解不能です…
私の携帯電話に来たダイレクトメールが今回の発端です…
イヤな世の中だなぁ!

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