Home > 巳也芸談

2014/10/14

2014年10月26日
愛媛県立医療技術大学 学園祭に出演します! DSC01198
見た感じは 同じに見える事でも

物事の背景を知ったら 人は心が動く事がありますね

同じに見える という事は すごく幸せなのかもしれませんし

困った事なのかもしれない

心の持ちようだと よく言いますね

本当にそうだなと 昔の人の言葉に 聞き入ってしまいます

ただ単に 物事を伝えたいのか

それとも 考え抜いて 搾り出すみたいに作った言葉だったのかは

時には 言ったり 言葉で書き残した本人でさえも わからなかったりします

ううむ

私にとっては

何でも

同じじゃ無いですね…

独楽の動きに替えて考えてしまうのが私の職業病かもしれませんが

何回曲独楽を扱っても

その一瞬ごとに 出会っているかのようです

先日 知人と 鮎の話になり

徐々に国内の鮎が変化しているんじゃないかという話題になりました

場所も時間的なことも

同じ川の源流で育つ鮎だって 味が違います

川を大事にしてきたおじいちゃんたちの つかまえる鮎は 違う味がします

養殖の味でなく

川の状態も味のうちに入っています

それに 炭火で焼く時の炭もそうです

山の雑木の状態で 良く燃えたり 燃えなかったりしますから

良く出来ている山の炭は 煙があまり出ませんし

焼く場所の大きさに合わせて割る時も

粉々になりにくいです

曲独楽だって 木製品ですし 心棒は日本が誇る 鉄を鍛える見事な技の 鋼鉄製です

木は全部 日本の木です 塗装も漆ですから 日本の風土に根ざしている芸能だという事です

見かけが同じでも 曲独楽を本当に知っている人が作る・回す・演技する… そこで違いが初めて成り立ちます

だけど

インターネット上の 動画からは それがわかりません

本当に 曲独楽を大事にしたい … 私は いつも 思っています

2014/02/28

小鹿野で巳也曲独楽材料oganomiyakyokugoma

小鹿野で巳也曲独楽材料oganomiyakyokugoma

ディープな話題が 増えてきました…

私がこの写真の埼玉県の小鹿野町へ うかがったのは 2000年の5月の事です

曲独楽の原材料となる 木材の調達について もうプロ向けの曲独楽制作はムリだと

製作者の先生方に宣言されたのを受けての「調達旅」の何回目かでした

1985年頃 曲独楽の稽古に何とか 曲独楽を手にしなくてはと 探した頃を思い出しています

紋也師からも 女楽師からも そして私の父 源氏太郎を通じて 他の曲独楽の愛好家であったご近所のXおじさんも

みんな口をそろえて その苦労を語ってくれていたので 相当の覚悟が必要な事は

入門前の(曲独楽を意識し始めた) 高校生当時から知っていましたが その打開策については

江戸独楽の復興をされた 広井政昭先生に(今回からもう先生をつけさせて頂きます ご本人が嫌がるので今までして来られなかったけど)

頼る以外に無かったのが 現実でした

特に曲独楽の製作者の 手間と労力そして技術の高さによる精度の良さの評価というのは

曲独楽の演技の内容と 曲独楽師側の必要性との関係が 曲独楽の価格へも影響してしまうので

曲独楽を制作している側の 大きな問題点となったまま昭和の時代の曲独楽の置かれた状況は終わってしまいました

専門的過ぎて お客様に通じにくい話が続きますが ご勘弁ください

私たち曲独楽師を最も愛してくださる「寄席」で 舞踊的な演技を最小にした事もその理由のひとつかもしれません

それを避けてきたのが 三増流の 日舞の要素を取り込んだ美しさを表現する曲独楽ということなのですが

段々 それ自体 “短時間での派手な演出”を 要求される場所が増えるにしたがって 「時間がある時の余芸」風な演出効果になってきて

本来どこに流派の違いがあるのか わかりにくくなっているのが 現在ではないかと思うのです

私は入門してすぐ その違いを叩き込もうと異流派の先生方と お話できる所に行く事にしました

太神楽曲芸協会へ 女楽師が会長の頃(平成10年頃ですね) お願いして加入させて頂き 本当に勉強になりました

太神楽と曲独楽を同時に演じられる先生 柳家小志ん師ととし松師の演じ方と

三増流の違いを納得する事ができたのは 本当に有難かったです

ところで

川崎大師で毎年5月21日に 太神楽曲芸協会の「まり塚まつり」の奉納演芸がありますので 機会があったら皆さんぜひ 行かれてください

曲芸が見られてご利益が頂ける貴重な一日です…

こちらから ご覧ください 

これは 普段 稽古や寄席などで使う 芸の道具を供養する石碑を建立し 芸道の精進を願って川崎大師で行う曲芸師のおまつりです

私の名前も彫っていただいてるので まり塚で探してみてくださいね

さて
その材料の調達の面で 国産の木材の確保が 年々難しくなっていった事は

曲独楽の製作者のストレスになってしまっていて “曲独楽は飾り用と素人さん向けなら作るけどプロへは作らない”

こう宣言されてしまった時期がありました

外国産の安価な木材が当たり前に流通する一方 国産の「用途が少ない建材以外の雑木」は 流通経路から外れて

一切市場に出なくなりました

困ったのは 私たち 曲独楽師です

何とか 使える木材を探して 乾燥 試作 試験 実用 という流れに乗せていかなくては 曲独楽の木材からの完成までの期間は

その木材の置かれた環境と 木材の水分や 密度との均衡により また 木取り(削りだせる面積)の大きさも違うので

完成する曲独楽の大きさや 使える機能からどの演目用なのか選定する期間も 考慮したうえでの 早い調達が必要だったのです

すぐに どこか 木材を選んで 手に出来る場所が無いか 探しました

縁があって 山に入る事を快諾していただいたのが

埼玉県の小鹿野町でした

… 次回へ続きます 

2014/02/19

曲独楽三増巳也宜蘭衣紋流し

曲独楽三増巳也宜蘭衣紋流し

曲独楽を演じる時に気にするのは

どういう場所・会場でコマを扱うのか

ということです

大ざっぱに書いていけば ローマのコロッセオみたいな感じなのか

お祭りの仮設舞台か

はたまた(この言い方 広川太一郎さんの「ムーミン」スノーク風を希望)

きちんと座って見られる屋内会場の大きな公会堂クラスなのか

それとも 寄席のような客席のお互いの居心地相乗効果バツグンの300名様会場なのか…

あるいは アットホームな個人経営店かお宅のリビングでのパーティーだろうか

それを気にするわけであります

とある「芸に理解の非常に深いお方」と 

曲独楽の普及のことについて ご意見を聞くことができました

マジックの海外と日本の歴史について くわしい方なのです

一時期 曲独楽はマジック ← ← ← 日本で言うと 手妻(てづま)です

との合同公演を 今で言う シルクド○レイユの元祖みたいな方式で公演していた時代があります

私もたびたび こちらJunkStageさんの「言わずば回れ」コラム 曲独楽江戸時代カテゴリで

少し書いてきましたが

この方の調べたデータを元にした記事もあるのです

さて

そういうことで現在のショーも 様々な公演をご覧の方ですから

滅多にないこの機会に

曲独楽の海外を視野に入れた 普及のご意見を聞かせていただくことができました 

今まで私も すごく迷っていたのですけれども

私的に 結論が 出たので ここで申し上げておきます

曲独楽は 日本人が 手放すべき文化伝達方式ではない

そういうことです

閉鎖的になるなということで お叱りを受けることもあるでしょうが

ここは 私が 石頭に ガッチリ固めた持論を展開させていただきます

曲独楽が 過去 海外との交流の歴史の中で

なぜ 洋式の娯楽の浸透や 戦争や地震などの文化的危機を乗り越えて残っているか

日本の国土の大半を占める 山林・木材の利用と共生の歴史と文化が

それを支えているのだということです

そして それを充分に理解して 育っている私たち表現する側が

物事と 表現する人との美しい均衡を芸として

舞台上でご覧頂き

色々な思いを感じてくださる観客の皆さんと

表現する側も 共感と発見と出会いを得られる 

至上の至福の場所に立っているのだということです

シルクド○レイユという公演の事を ちょっと書かせていただきましたけど

死亡事故が起きるということは そういう内容なのですね(怖)

かなり はっきり申し上げると

命の危険を要求される公演内容ということは

果たして 演じる側は 何の特があるのでしょうかね

欲求のみに こたえると こういう結果が待っています

かつて ロシアで 日露戦争直前からその最中に

日本の曲独楽と手妻の芸人が一族で公演していた時代に

地元ロシアでの芸人とトラブルになり

演じる時に使う命綱に切り込みを入れられた話や

現地での仕事を得るため 日本の芸人が命をかけた演技をして

勝ち残り獲得したサーカスの話が伝わっています

その当時と まるで事情が変わっていませんね

TVのバラエティーでの危険演出もこういう話と関係があります

そのようなことをOKする人が出る悲惨な状態を

私たちの先輩芸人が嘆いて その結果として良くする為の活動をしています

そのために 日本の芸能家団体をたちあげて 協力しています

私も協会員です

海外の劣悪な演出優先の傾向には 危機感が大アリです!!!!!!!!!!!!

おかしな傾向だと思いますが

日本の宣伝が大々的だと なお更 気がつく人は 少ないでしょうね

芸術的なことって

そういうことでしょうか?

抑圧された人の感情の昇華された表現として 芸術はあるはずだと思いたいです

曲独楽は 手放さない

2013/08/12

あらためて
JunkStageさんの
コラムが
私にとって
結構重要になってきておりますので
原稿を書く環境を整える事に決めました!

気がついたら
102回コラムを更新していました!
すげぇ〜

ってことで
私も少々原稿の書き方を考え直してみました…
まず、外出先でアップしやすく携帯のキーボードを手にいれました!
…そうです!携帯電話から原稿を書いてます!
スマホ化が進む今どきとマギャクです!
今回は慣れる為の初携帯電話キーボード原稿報告でした!
残暑お見舞い申し上げます!

2013/05/28
三増巳也 in Uchiko-Za ,Japanese acrobatic top performing artists

三増巳也 in Uchiko-Za ,Japanese acrobatic top performing artists

ご縁でございますよ…

 

先日のことでございます

 

地元の文化を知るということを

 

どちらの地域の学校も

 

されている事と思います

 

愛媛県 内子町という地域では

 

和紙作り体験

和紙の凧制作

山間地での農家との交流

野菜・米作り

近隣の川の生物調査

他にも

町の国際交流協会の海外派遣講師の方との文化交流など

 

結構プログラムが多彩にあります

 

息子たちが学校に行き

PTAに加入していなかったら

 

こういう事情はわからなかったかもしれず

 

感じ入る次第であります

 

さて ここで 東京の学校だったら どうなるのかというと

 

「ヤク◎ト」とかの企業工場見学

スーパーや コンビニでの買い物授業など

それから クラシックコンサートや歌舞伎鑑賞教室などです

 

この内子町で 出来ないことといったらなんでしょうか?????

 

「歌舞伎鑑賞」くらいです

 

「文楽」は 内子座文楽が8月にある関係で

隔年ではありますが中学校などで体験教室をしてくれています

 

歌舞伎の題材は結構文楽と共通ですので

古典を知る意味では

一番いいやり方だと思います

 

だから

経験できない事とは

なんでしょうか

 

ものすごい車が行き交う通学路をドキドキしながら通うことでしょうか

乗れないかもしれない不安に毎日緊張する電車通学?

 

私の経験の話ですから不愉快に思う事があったら ごめんなさいね

 

でも

体の感覚を ある意味 低いレベルに落として

都市部では生活する事が常識になります

たとえば

聴覚は

あらゆる方向からの「宣伝」や「機械音」にさらされ

なかば 「あきらめ」「無視する日常」「感性の抹殺」状態であり

個人というものへの攻撃を高める気がします

そういうことで 抵抗できない個人としての自分の場所をどうやって確保するのか

考えてみた事がありますか?

 

臭覚

交通事情により色々な大気中のものを遮断する鼻の働きは

個人差もあるでしょうけれど

地下道・大規模建築物・道路や工場の風下地域にいると

すごい色んなものを体内に入れないように

普段頑張っていることでしょう

 

しかも

ほとんど 実感する事はありません

そうです 私がそういう日常でしたから…

 

東京に住んでいる時

地方公演に行くと

必ず

体の変化に気が付くことがありました

 

目の痛み

それと

皮膚感覚の違いです

 

目が痛いのは

夜でも明るいということの不快感から来ていました

 

私が子供の頃1970年頃です

その時代はまだ自動販売機がありませんでしたから

夜でもちゃんと暗かった

24時間開いている店も全く無いわけです

 

1990年頃から

大規模店舗があちこちの道路沿いに完成し

コンビニが町の角にあらわれて肉屋や酒屋、米屋が無くなりました

 

私の住んでいた豊島区の南長崎商店街が

シャッター通りに変身

のちに頑張って私の同級生くらいの世代が何とか持ちこたえて今に至りますが

いろいろな事が変わりました

 

環七に近い地域を通ると

決まって夜は眼が痛いと思いました

24時間開いている店と自動販売機

それと看板の明かりから来る

目を休める場所が無いせいでした

 

自宅に帰ると真っ暗にして

なんとか回復

また疲れ目にすぐなっちゃうのですがね…

 

そう

皮膚感覚というと

空調が影響していたんだなとこの愛媛・内子町に来てから

やっとわかりました

皮膚の感覚が

冷暖房のおかげで「遠く」なっていた事です

 

買い物に行くにしても

電車や地下道

それから店がある建物の空調に影響されるって事ですけど

「たぶんこれくらいが快適なんじゃないの」

ぐらいの意識で

もしかしたら都市部の空調は作られているんでしょうが

私にとっては絶対違う

 

今更

こんなことを書いても

まったく受付拒否でしょうが

 

「爪に色をつけると

皮膚呼吸が出来なくなる」

これがわかる体質の方にはおそらく通じると思いますが

 

腕が重く感じる

脳で呼吸が出来ていない

体で見ることができない

 

こういう感じでしょうか…

 

体調の悪さを

すぐに感じられなくなるということにもつながる気がします

 

さあて

 

先日

また 内子座で曲独楽をご披露させていただきました

写真はその時のスナップです

「一般には非公開」のものですが

内子町に住んでいると

内子座も身近なので

いいなあ~

2013/04/15
内子座で 曲独楽 新セットお披露目の事… 三増 巳也
内子座で 曲独楽 新セットお披露目の事… 三増 巳也

ご縁の つながりというのは

 
実に 妙味があると思います
 
 
愛媛県の内子町へ
 
引っ越してきてから 10年ほどになります…
 
(実際にきちんと内子町へ住んだのは 妊娠8ヶ月からで…それまで約1年掛けて引越し計画は着々と実行されていきました…)
 
S之助S太郎両師をメインにした曲芸歌謡ショーで
 
一座として四国各地を巡業させて頂いた若き頃…
 
 
曲独楽の舞台用小道具の「見栄え」は
 
用途優先・アイキャッチ重視なのか
 
それとも 今後 曲独楽全体の事を考えて
 
道具はすべて復元して 再現することを目標にするのか
 
 
その選択を しなくてはならない時期に
 
丁度この仕事は 頂いていたのです
 
 
ご年配になられた S両師の舞台を
 
すぐそばで見て
 
また 一緒に宿泊もし 移動も同じツアーバスでしたから
 
ずいぶん勉強になりました
 
 
私の師匠 三増 紋也と 若い頃 一緒にロシア公演もしたお2人に
 
弟子の私が ご一緒できた事は 嬉しかったです
 
 
これが 寄席という場所で できたら良かったのですが
 
当時 TV仕事をメインにされていたお2人に会えるのはもう
 
こういう地方営業や 番組収録だけになっていましたから
 
この仕事は 今思い出しても すごい体験だったなと思います
 
 
さて
 
前述の道具のことですが
 
私は 色々考えた結果
 
できるだけ 復元して
 
実験再現を繰り返しています 
 
 
来月の5月16日 愛媛県 内子町 内子座で 曲独楽公演させていただきますが
 
この際 また 仕込んだネタに挑戦します
 
 
新しいテーブルも デビューしますので
 
今から 楽しみです
2013/02/28

確定といえば

今の時期 申告作業で

私同様必死に格闘している方もおられるはず…

まずは そういう皆さんに 心から お疲れ様のひと言と共に

来るべき

「新しい色んな出来事」へ向けて

一緒に 踏み出して行きましょうね…と

つい

今聴いているラジオから聞こえる

政治家の所信表明演説に似てるような…(^^;)

 

さて

今回は

ご大層な題名が どっしりと書かれています

これにはしっかりした原稿を書かなくてはならないのですが

私のこれからの姿勢を ちょいと 表しておきたいと

こういう題名にしました

 

これから TPP など 国内の産業や 権利 そして 芸術やら音楽の

仕事のやり方について 大きな変革がくるという事

これは確実な事です!!!

皆さん どのような変化が 身の回りに現れるか想像してらっしゃるでしょうか…

 

今日の 国会で 午前中質問にありましたので

ここで 取り上げて 曲独楽の事とも 関係があるから ぜひとも

書き残しておきたいと考えました

 

「ウルグアイラウンド」参加するか しないか

かつて この思い出しにくい制度に

日本国内の市場を 開けるかどうするか 論議になったことがあります

 

工業製品では タオルや繊維製品

農産物では オレンジやりんごなど

日本国内で生産されていた 衣料品  みかん りんごと おおまかに

品物が同じものという事ですが

結局 市場は開かれて

スーパーマーケットには 激安商品が並ぶ結果となり

商店街からは 八百屋 魚屋 果物屋が 消えていき

各地方には 「農林漁業を支援する目的」の

「道の駅 町の駅 海の駅」

「研修施設」が

大量に建設されてきたのでした

 

これは 私も 今まで そんなに興味がなかったので

まったく知らなかったのですが

 

経済効果がすごいあって

農家の皆さんの生活が豊かになったんならいいじゃないの

くらいにしか考えてなかったのです…!

ゴメンナサイ…

 

そう

安い服が買えればハッピー

 

てなもんだったのね…

 

ところが どうでしょう

肝心の道の駅が 我が家の近くにあるから

中の従業員さんに話を聞いたら

ぜんぜん違うのね…

 

国会でとりあげられた

「ウルグアイラウンド参加したから 悪影響を受けてしまった農林漁業を支援したはずの事業」

これは 結果 どういう効果があがっているのか調査したら

ほとんど 効果がない…!!!

このことについて これから実施される TPPの事も

まったく同じような失敗事業を繰り返すなかれ!!!

こういう趣旨の 内容でした!

 

わあ~

そうなんだ

「道の駅」の方に聞いたとおり

ちっとも地元の農業への支援にならない構造だということ

 

こりゃ 大変だよ…

 

し~んとしてたら

曲独楽のことも

発言していかなくては 手遅れになる!

 

そうです

私が こちらのJunkStageさんに コラム寄稿していることの意味の

大きな理由です

 

曲独楽が

日本の人の 風土や気持ちを

他の文化を持つ人たちに

共感を持っていただくための

とても大切な

魅力のある伝達手法であるという この私の主張を

多くの方に 知っておいて頂きたいという事です!!!!!

 

「大衆文化」って~と

わかりづらいから

「みんなのあそび」

いいということだい

 

自分で魅力を伝える努力は続けていくぞ~

Miya KYOKUGOMA

Miya KYOKUGOMA

2012/11/22
ちょっと一杯 内子大瀬

ちょっと一杯 内子大瀬

桂小春団治お兄さん、とても色っぽい落語家。襲名の時のご縁で、

愛媛県の松山・道後での「新春落語とおいしいお酒の会」で

ご一緒する事が決まった。

 

お知らせを頂戴してから

 

ハタと気がついた

 

私 まだ 道後で温泉に入った事がない…!

 

何と 仕事でビジネスホテルに宿泊することがあっただけで

 

この今 一番近いメジャーな温泉

道後で 入った事がないとは!

なんてことだ…

 

愕然とする私に

小春団治にいさまが

粋なプレゼントをしてくださった

 

初 道後で 温泉じゃ~!

 

ということで

 

鬼 大笑い

 

2013.1.5 夜18時から

新春落語とおいしいお酒の会

ホテル椿館別館にて…

楽しみだ~

 

私は飲めないけどね…

 

曲独楽

さて 色々調べているうちに

木地師 山の歴史など 地質や民俗学 それから

山岳文化…

今住んでいる愛媛県にも

面河という場所があって

どうやら ここが 木地師が拓いた地域ではないかという

そこの地質学博物館の記載に興味津々

 

裏付けを どこかのどなたかに確かめるつもりです

 

(誰か助けて~)

 

家の中が散らかってまいりました

家人がプンプン怒っておりますので

この辺で…

2012/10/25
おもご 面河 愛媛県
おもご 面河 愛媛県

ご心配をおかけしましたが 父 源氏太郎が どうやら 骨折入院後 本人曰く 「ウソみたいに」 歩く事ができるまでに 回復中です

 
自宅へ2,3泊の外泊もできそうということで とりあえず安心
 
浅草 東洋館も 四代目 三増 紋也襲名ということで 本日は 本来なら トリをつとめているところでしたが
 
腰椎骨折入院中で M先生が 代演してくださるようで 本当に 恐縮しておりました
 
実際 父は 年令 昭和4年 1929年 生まれですから 83歳であり
 
年のワリには えらく丈夫で
 
離れて愛媛県 内子町にいる娘としては とても助かっています
 
 
母が 3年前に70歳で亡くなってしまったから 独居老人という事で
 
結構 豊島区南長崎というところは まわりにザクザク80代がいて
 
皆さん一様にお元気という地域
 
 
ご近所の助けを フルに頂戴している親子なのでありました
 
 
父が 関わっている 地元の地域寄席
 
長崎寄席の世話人 S田さんには 本当に今回お世話になって
 
情というものを身にしみて感じる出来事になりました
 
 
ありがたいなあ
 
 
自分の気持ち次第で
 
何でも 宝物にする事が出来るという感じです
 
 
毎度怒りながら 支度が遅い息子たちを学校へ送っていくのですが
 
広島での小学校 寄席公演で
 
あらためて 子供時代の体験の重要さ
 
親子やまわりの人との関わり方など
 
わが身をもっと 考えて 良い心を子供に伝えなくちゃ どうするかっ!と 思ったのでした
 
次は 11月11日 愛媛 大洲市の豊茂という 出石寺近くの ふるさとまつりに出演です
 
楽しんでいただけるように 色々企画を考えて 準備をしたいと思ってます!
 
 
 
 
 
2012/09/15

 

kyokugoma miya mimasu
Kyokugoma Miya Mimasu

多くの 曲独楽愛好家さんは

 
この曲独楽の色の美しさに
 
感動して 集めていらっしゃる
 
これは 江戸時代に出来なか
 
った
 
昭和と平成のゼイタクです
 
古くは 17世紀にさかのぼる
 
曲独楽の歴史
 
この色あいは 日本の物作りの常識のいくつかが元になってできている
 
以前 コラムに書かせていただいたことがあるけれど
 
中国の陰陽の思想から来ているものや
 
自然哲学のように 風土の中での物の保存の知恵が重なって残った技術だったり
 
色々です
 
 
湿気がとても強い日本では 強度と使用の上での便利さ 経済的な価値などと
 
一緒になって こういう色に対する こだわりが残ってきたんだなと
 
ずいぶん 考えてみたけれど 結局 一番最初に自分が足で調べた資料の
 
再確認を 実体験でして やっと納得ができたようなもので
 
 
頑固に五色の約束を守ってきた H先生が
 
芸大卒の お弟子のI先生の工夫の色合いを 認めて
 
曲独楽の五色を とうとう
 
昭和が終わると共に 豊かな色へと 変化させました
 
 
寄席をご覧になっているお客様も
 
しばらくは 気が付かなかったかもしれません
 
 
テレビ中継が 当然となった今では
 
曲独楽は 色彩豊かで とても 美しい輝きがあるものになりました
 
 
本漆だと 深みが増していきますが
 
カシュー塗料では つやが残ったまま 結構古くても ピカリと光ります
 
 
今度 曲独楽を寄席でご覧になるとき
 
輝きや 色を ちょっとだけ 気にしてみてください
 
 
とても きれいなものですよ
 
 
曲独楽師が 楽屋で ちゃんと磨いて出ていれば…だけど…

 

Next »