Home > 愛媛県 内子町 町並み保存地区と 東京都 豊島区 南長崎商店街生まれの 曲独楽師 三増巳也 > 日々 曲独楽

2014/10/31

曲独楽三増 巳也おめでたい末広

曲独楽三増 巳也おめでたい末広

チビリチビリ

書き続けて いつの間にか3年が経過していました

写真の私は まだ独身当時で2000年の物です

日経クリックという当時の流行雑誌の取材写真を カメラマンの方の許可を頂いて使用しています

ネットに出るコンテンツって 時間を感じさせませんので 不思議に感じます

さて

こちら JunkStageさんに寄稿させて頂いてから 3年目となりました

おかげ様で 私の曲独楽の仕事の確認すべき事柄を 少しだけですが

明らかに出来たかなと思っています

長期にわたり 独楽に関する仕事をしているわけですが

この曲独楽という芸に関してと

日本の伝統の大衆芸について

海外の方向けに紹介する翻訳のやり方に疑問を感じる事があり

今はその点を どうにかして 実際の物に近いニュアンスで伝えようかと

考えています

気になったのは 曲独楽を紹介しているコメントで

FOLKLORE folklore 民間伝承とか 民族の~ という言葉を使っているからです

この点をどうにかして この3年目は 考えていきたいと思っています

2014/03/29
三増巳也曲独楽の木小鹿野で

三増巳也曲独楽の木小鹿野で

そういえば 小鹿野町で 苦労して持ち帰った木の写真を載せていなかったので 掲載します

実際には 前にも書きましたが 木がとても堅くて

刃物の減りを考えると この木を曲独楽には作れないという作者の先生の意見を尊重し

結局 曲独楽の材料にはならなかったわけですが

経験した事の 深さは 財産になっています

おかげで先日 山と木の素晴らしさを 息子たちに体験させてあげられたので満足です

さて 今回は 曲独楽の伝わり方について また少し面白いヒントをみつけました

巳也メモつば意匠短冊

巳也メモつば意匠短冊

物事の伝わり方は 人の移動に関係しますし

移動は時流 事件様々なきっかけがあることも いろいろなヒントを取り入れて 考えてきました

今回のヒントは古本からです

思わずキレイな物を見つけると スケッチしてしまうのですが

刀の話は あまりにも日本的な重厚さに食指が動かず 今まで調べる事を怠っておりました

でも古本で見た刀のつばの部分の意匠に感動してしまって

一気に調べ始めたのが その つばの歴史です

 

 

どうも 私が以前調べた 長州大工と呼ばれた 周防大島の移動とも 関係がある内容で

日本国内の 職人の移動について

代表的な 刀剣関連の技術者が どういう理由で 仕事の場所を変えていくのかを知ると

これに 付随的な 他の大衆文化も これとほとんど似ているんじゃないかと感じます

私の読んだ古本の中に 面白い書き方があって

刀のつばで 今も残っているのは

時代が古くて 装飾的なものが大半であること

そして その理由として 美しいことがあげられていました

これは 以前 陶磁器の骨董の話を 夫がしていて

キレイじゃないと 市場に出ない時代のものがある

というのと 同じでした

まあ この場合 どっかの本が情報源だからと思いますが

陶磁器と 刀剣の違いは

再利用する時の 姿の違いが考えられます

陶磁器は再利用する時 トルコの王朝に保存されているアジアのものと

自国で尊重される金製の素材を接着したようにして鑑賞対象とするか

あるいは 佐賀県など 陶磁器の産地で多い

陶片を活用した家屋の塀や 道の舗装に使うような 素材として利用する方法です

陶磁器の場合 形がいくばくか残るのが特徴です

でも 刀剣類の場合

多くは 金属ですから 溶かして完全に違うものに再生されるため

素朴な形の初期の刀剣や装飾の部類は 古墳近隣の生活者や 合戦での発掘品しか存在しない

ということです

ちょっとしたことなのですが

これは本当に 感心しました

完全に溶かされたら 確かに形は残りません

だから 技術の移動を知る場合

産地・所属が書類で記述されたり 銘を刻む事をはじめた人の仕事の場所がわかるものが大切だという事です

室町初期まで 刀の装飾品を制作していたのは 当初 専業ではなく

鎧兜を作るのと一緒に作ったり

刀鍛冶が作ったりしたという時代があり

それ以降は 刀の役割が 馬に乗れる身分の持ち物だけでなく

雑兵が持てるほどたくさんでき 戦い方も 歩いて山を越えて攻め入るため

より早く動くことが大事になり

重い太刀より 軽い刀が必要になったということで

身分の高い人の持ち物として 装飾を施して持つ必要もあったから

より精巧な飾りをする人が登場し それを元にした一門ができ

やがて専業化して 記名するほどの作家へと江戸時代は 変貌して行きます

だから 戦場がめまぐるしく変化していた戦国時代の刀作りなどの職人は

戦況が負けそうになると 勝ち組へと移動して行き

やがて時代が安定していくと 住む土地を決めて 所属の武家が決定して

そこで地名の流派や 作者の得意部門の流派として完成し

これは どこかで見たなと思ったのです

曲独楽がたどる人の動きと変わらないのですね…

この技術にしても 結局爆発的に変化したのが 南北朝や秀吉そして江戸後期明治ほぼ実用面は消滅となります

日本の人が生み出した 色の濃い物事…

今後はどうなっていくのでしょうかね…

2014/02/28

三増 巳也曲独楽イメージ

三増 巳也曲独楽イメージ

今回は まず どこから演目は出来上がったのか ちょっと これから長いことかかるとおもいますが書いていきます

演目というのは 曲独楽をどういう使い方で 演じていったのかという事になります

ざっと 資料を収集家と研究者の先生方のものから 書き出していったら 少しずつ その方法というか

方向性が見つかってきたものもあるので

あくまで 自分の考えだから備忘録的なものですが 取り上げて整理する方が良いのではないかと考えています

整理していく事についてネット上に公開しているある方の 資料館建設寄贈断念という 少し悲しい現実問題も 聞こえましたから

やはり 芸の事などは それで生きているという瞬間の つながりだけなのかなと思ってしまうのですが…

常に後からの行動となる 収集や整理というのは 何とも冷たい感触なので

当時の事は 血肉が存在する時代感覚だけが 理解できる鍵を持っているのではないかと考えます

その当時 人の移動について 今までどういう理由で動くのかを

目の前にある 自分が住んでいる地域の建物や言葉 独楽の遊びで追ってきてみました

とても わかりやすいし 飲み込めました

独楽の動きが違う つまり 

独楽巳也縦横

独楽巳也縦横

置いて回すのか 横にして回すのかという事に今回注目してみたら

結構面白い違いが 自分で回してみてあったのです

横の形での回し方には 他人の独楽との関係が少ない…

つまり 対戦するつもりで回していないので

より純粋に自分の世界に入っているんじゃないかと思います

日本では最古の独楽というと

縄文時代の遺跡から出土したという 独楽の場合 どのように回したのかは もう想像するしかないのですが

置いて回すほうが 起源的には古いのかもしれません

どんぐりや 回転させられる形の物を独楽の動きで考えた場合

置くという状態の方が より 偶然回転するという事を発見しやすいからそう思うのです

さて

じゃあ 横型の起源はいつなのか

大陸伝来説が 私はやはり 有力じゃないかと 今は 思います

じゃがたら つまり インドネシアに秀吉時代盛んに交流していたので

この頃伝わって しかも 子供の遊びとして人と一緒に来た可能性が高く

インドネシアの子供の遊びが 日本軍が侵攻した先の戦争よりもうんと古くからあったという話を聞いたので そう考えました

いろいろ 演目の起源を 考えていくきっかけは あるのです

置くか 横か…

2013/11/30

お歳暮のシーズンが 「前倒し」 早くなり始めたそうですね…

 

こういう記事を読んでいて はた… と気が付きました…

 

さつま揚げの元祖「つけあげ」は、琉球伝来の健康食品 | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉:日経BPオールジャンルまとめ読みサイト.

 

それで いろいろ調べていくと また興味深い記事を見つけてしまって…

唐辛子(トウガラシ)日本伝来説に異論.

 

本当に 日本という場所は 欧州やアジアから入ってきて そのままUターンするという経路が

アメリカが国力をつけて 黒船で来るまでの間

 

ずっと そのルートの伝わり方をしていたわけですね…

 

日常に利用されるきっかけは

簡単 おいしい 安い

やはり 今と共通の 動機だということが はっきりしてますが

 

蕎麦のように 硬い殻があって 中を粉にして

しかも サラサラの粉を食べるには 何かで糊の役を見つけなくちゃいけなかった食べ物は

今の蕎麦ツルツルの食べ方に 変わるのが ずいぶん遅く

ちょうど 曲独楽師が初めて京都四条河原で演じたのと 同じ頃

1600年代なんですよねえ

蕎麦の栽培自体は 縄文頃からあって

しかも 石臼みたいに力とものすごい労力がいらない方法の

水力…水車の回転で挽き臼を使うやりかたが

1200年代に 中国の僧に教えてもらうまで まったく技術革新が無かったってことで…

貴重な食料でも 海外の知識を取り入れなかったら

まったく 日本食に蕎麦という 当たり前は 無かったんですって…

 

だから

現在 当然のように 色々な食料がありますが

意外と渡来の伝達経路や それを尊重している心がなかなか見えない事が多い…

 

ポツンと 土地に昔からあるホコラとか 社…

何かを感謝して作られていたり

何かがそこで あったから 恐ろしくて後へ伝えようと残していたり

本当は

そういうものを 注視する日常が みんなに必要なんじゃないのかなあ…

Uchikosatoyamamiya20131128

Uchikosatoyamamiya20131128

 

2013/11/28
曲独楽三増巳也コマ

曲独楽三増巳也コマ

まず 2014年のJunkStageさん・山田雅幸さんの写真年賀状…とてもきれいです!

使わせていただけるとは 嬉しいことですね…

 

さて今回は

曲独楽の事を話すのが とても好きです…が

 

あまりに熱が入ってしまうので

 

人前でお話しするよりも

 

皆さん お読みいただく方の ご都合のつく

 

JunkStage コラムで お目に留まるほうが 読者の方のストレスになりにくいから…

 

今回は この話題で 久しぶりの 思い切り決め付けて進める曲独楽論です…

 

以前から こういう大衆的に支持をしていただいて 長持ちしてきた日本の芸のことを

 

話題にしてきて

 

こと 曲独楽になると その曲独楽自体の 「作られ方」が 私にとっては特別気になることが多く

 

文章でわかりにくいから今回は 「WindowsXP」卒業「Windows7」での“ペンタブレットお絵かきペン筆おろし”兼ねまして

曲独楽 説明図1

曲独楽説明図1

 

 

 

こんなふうに まず 考えていこうと思います

 

この3つの丸は お互いに関係がありますよね

 

どんなものにも 当てはまりますしね…

 

 

 

 

 

 

しかし 曲独楽という芸の 「今の芸能と似た 芸を楽しみとして見る」 という 同じ心理で 「観客」が存在した記録が

 

(毎回取り上げますけど) 京都 四条河原での 見世物

博多から来た 少年の コマの芸 「曲独楽」 初太郎とも市太郎とも 言われていますが この芸人の登場で

私の仕事の 「曲独楽」 の 形が 初めて文字の記録として出てきます

 

おすすめ曲独楽資料三増巳也1

おすすめ曲独楽資料三増巳也1

 

たいして社会的 政治力などと関係がない出来事ですから

本当に 世の中が 地震 飢饉 大火災 一揆など 無い時期

限られた「物好き」の 筆によって この記録は 今日まで残ってきました

 

曲独楽の 歴史の記録ですが 研究者の皆さんのご努力の結果

 

近年 わかりやすい ムック本に近い小説とかも 登場しています

 

もう 数十年前などは 田村正和さんが曲独楽師の役で時代劇を

作ってテレビシリーズがあったりしたから

 

ごく 一部の方には 記憶していただいている芸の種類なのですけども

 

最近 わかりやすい GoogleのBook閲覧でも 「興津要さん」が書かれている本が 閲覧可能です

この本は 江戸の町の描写が 見やすいので 良かったらご参照あれ

以下 出版社のPHP研究所の紹介リンク

http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-57026-6

大江戸商売ばなし | 興津  要 著 | 書籍 | PHP研究所.

山の生活と 町でのにぎわいを どのようにして考えるか

それは 今の時代でも 同じなので

私にはものすごく 興味がある話題です

 

期せずして 曲独楽の歴史を調べていたら

渡来文物の伝わり方とか 子どもの遊び文化 それから 部落差別と放浪芸の関連など

本当に 広範囲のかかわりが 見逃せない物語を次々私の頭の中で作ってしまっているので困っちゃうのです

 

トボトボと (田中コミマサさんなら ポロポロと言う感じです)

コラムに書いているから ますます 蓄積してしまうので

責任あるなあと思ったりしていますが

 

しかし 私が この今生活圏である愛媛の山の中で実感している 山の生活は

その昔なら きっと「こうじゃないか」という 大きく外れない程度で 予測ができているような 自己満足ができます

 

それは 普段 木を切って 運び出して 木の皮をむいたり ツルをよじ登って取って 容器を編んで作ったりしているからだと思います

 

薪ストーブの木を 人から人へ 運ぶ時に いかに 重心を低く 自分たちの息を合わせて体のリズムで木材を手渡しして作業するのか

 

それが 手順よく また 数量多く 豊かに暮らす肝の部分です

 

だからこそ 日本の里山には 相撲や 石を持ち上げることが 神事で伝わっているのだと納得します

 

これが たくさんの燃料を調達し より良い生活を確保するための 地域の強力な経済力でもあったからです

 

実感こそ 大事だなと 思います…

ああ そろそろ 山を降りて 息子を学校から迎えに行かなくては…

今日はこれから 地域の たった5軒になってしまったけど 土地神さまの 収穫感謝の「おこもり」がありますので

この辺で…

 

 

 

2013/10/31

たびたび 曲独楽の 歴史について 調べたことや 知りたいことなどを 書いてきましたけども

ここ数年 薪ストーブ用に 自宅敷地の木を切って 皮をむき 干して 薪割りして…という工程を 日々の暮らしとして 私なりに何とか サポートくらいは

できるようになりましたから

 

曲独楽を 作る手順において

木を扱うことは間違いなく

そして 山の中の木をどうやって切って 運ぶ時にどうやるのかとか

山の中の住人が どのように 暮らしを作ってきたのかなど

そういう人の生き方と 無関係ではないであろうという 私なりの 確かな確信が そういう時間の積み重ねから 出来上がってきました

 

私が興味を持って いつでも曲独楽の事を考える理由は

芸自体の楽しさや お客様との素敵な関係だけではありません

もちろん 曲独楽の美的センスが 世界においても 自慢できる鑑賞物だとも思いますが

作ってきた腕のいい製作者の思いの蓄積も そこには強い「芯」として 通っているように思えてなりません

 

つきとめてきた曲独楽の歴史の事実と 記録してあった江戸時代の芸の描写を見てもまた

おそらく ほとんどの日本の歴史と同じように 曲独楽も 海外との貿易や人同士の交流の結晶に思えてきました

 

山の木を運んで 仲間に割った木材を投げ渡す方法から連想したのは

いかに 体力の消耗を少なく 疲労を残さない しかも 安全な運搬・投げ方は どんな方法か

実際に日常の風景の中に組み込んだ私の体験から この動きや考え方は発生したのであり

「型」を美しく表現する素晴らしい場としての 「寄席」で 手馴れた風に 曲独楽を演じる私の日常からは たぶん行き当たらなかった

 

 

そのきっかけとして 台湾の宜蘭に訪れた時の 山間部の日本家屋の印象が 忘れられなかったこと

 

そして 仕事で訪れる史跡を見ても あまりに今の暮らしと かけ離れていて

そこから何を受け継ぐのかさっぱりわからない自分の寄席芸の曲独楽が

「美しければいいのか」「納得しないまま歴史を語るのか」という でっかい壁になっていたこと

実際に 山の木を相手に日常を暮らさなかったら

本当にたどりつけないところだった

 

木を 仲間に渡す時

声を掛けて

体のバネを使ったリズムで 投げて渡すほうが 楽なので

そこには 昔の作業の民謡や 太神楽曲芸の投げバチの芸の基礎が 実にピッタリはまるのであり

洋式ジャグリングと 圧倒的に違う点は その 山の暮らしと 関係があるか ないか その差だということが

本当に身をもって今回良く分かった

 

高低差がある日本国土では 山の暮らしを工夫して生活に利用できないと

国土の大半が 動物天国となり(それも いいと思うけど 大量の食料生産をこれから考える種類の人間には不都合)

山のツル草や竹をとって ザルやカゴ 靴の類までつくってきた知恵が あればいいけれど

それを作る人間が どれくらい残れるのか疑問

 

たくさん自分を表現するための 趣味や場として 手芸や「何とか勉強会」をやっても

それが欠かせない物でない場合の空しさを考えると 恐ろしくなるのは 私の心配性であったけど

愛媛に引っ越して その心配が一切吹っ飛んだ

 

必要だから やるのであって

やれば手馴れていくのである

 

さて 曲独楽は もしかしたら私にとっての

「ニュートリノ的役割」があるのではないかということで…

東大宇宙線研究所のニュートリノ紹介が と~ってもわかりやすいので 貼っときます

http://www.icrr.u-tokyo.ac.jp/about/neutrino.html

2013/09/09
曲独楽師 三増 巳也 内子町 大瀬 山小屋に花1

曲独楽師 三増 巳也 内子町 大瀬 山小屋に花1

前々回 ~「四国の風土と歴史」山川出版社を読んで~ として コラム・メモをしました

 

私が ずっと 調べていた曲独楽の歴史についての 大ヒント3つ…

  1.  「見方の深め方」
  2. 「違う視点の大切さ」
  3. 「先輩がどうやってそういうことを乗り越えて調査をしているか」

最近ネット情報に 偏っていた私の考え方に 距離を置く事ができました

 

自分の考え方に 正誤の考え方を持ってきたらいけないなあ と 思っていても なかなか 実際はまとまりがつかないもので

 

つまり

 

違う意見の人を 受け流してしまう事になり

 

 

その中にある貴重な物事を 大切に扱えなくなるという状態ですね…

 

 

今ならまだ 間に合う

 

また 一から見直してみます

 

 

 

この歴史に関係する情報修正のやり方は

ネットでするのが 今の時点では とても良いと思います

 

しょっちゅう 書き換えして その過程も また記録できるということです

 

 

あきらめの悪い 私には 性格的に うってつけなので

 

何回でも やり直し見返し JunkStageさん コラムに書いて 進めて行きたいです

 

 

ここ最近では 「四国のコマの遊び・ちょんがけ」に注目してみて

その遊びの伝わり方や 世界に同様の遊び方があるなら どんな歴史があったのか

ということを 考えて インドネシアの方に聞いたり インドネシア文化宮という ネットで活動する方に 聞いたり 少しですが調べてみました

 

はっきりとルートがわかったわけでは ありませんが インドネシアの「ガシン」が その仲間じゃないかという事

 

ここまでです

 

長い時間をかけて 今 この日本に 残っていることというのは

 

人から人へ その移動と共に 伝わってきたと考えると

日本に伝わっている 「言葉」や「動き」など

その心のようなものを 考えなければ いられなくなりますが

範囲が広すぎて どこに手をつけたらいいか わからなくなり

 

放っといて あきらめて 知らんぷりしそうな 悪循環に 陥りそうな事もありましたが…

 

 

わかりやすい 自分の周囲の歴史に着目すること それで

 

視点の置き所が決まった分だけ 確かな手ごたえがありますし

目の前で 転がっている日常の中にさえ それが 生き生きとしているのを 見られるご褒美がついてきます!

 

 

 

だから 今度は 周囲の地名や 古来の日本の言葉の事を書いた 『古代日本史と縄文語の謎に迫る』 大山元 著 きこ書房

この本から 少しヒントを得てみたいと 今 読書中です…

 

ざっと斜め読みしてみると

古代日本の歴史と人の行動 それに関係して 元住んでいた 日本の先住民の使っていた言葉 それから その移動ルートなど

 

「綾取り」のように 読んでいくと 実に不思議な効果が 上がりそうです …

 

皆さん お好きな分野で ぜひ 2冊から やってみてください

 

面白いですよ

(推理・冒険小説では 無理でしたが)

緋扇のある庭 内子 大瀬 曲独楽師 三増 巳也

緋扇のある庭 内子 大瀬 曲独楽師 三増 巳也

2013/08/31

わからない事があるとすぐ調べるとしたら皆さんはどうしますか?

 
私は1ネット 2本屋 3図書館

 
最近ありがたいのは
これにご近所の皆さんが助言してくださるという大幸運な状態に
地の利を実感しています!
前回困窮した昔の日本の貿易品目の一つに
「奴隷の輸出」があると知り 驚きましたが
あちこちの歴史に確かに事実として存在するので
教科書では学ばない
私にとっての「大きな盲点」が そういう視点だという

それこそ 「点」

として これから 調べている資料や 今まで気にしてこなかった文献とかも

 

また 見直ししなくちゃいけないということです

 

そういうシチめんどくさい やりかたを

 

普通なら 投げちゃうじゃない?!

 

ところが

今回また 偶然な 面白い一件が 発生したのです

「めげずに 追いかけて書き抜いた一冊が たまたま知っている人とつながっていた~!」

 

というびっくりでした

 

 

愛媛県の内子町という地域は

 

全国的に見ても

 

さほど 大きな観光地があるわけではないです…

 

でも

 

すごく 熱意あふれる 底知れない人のパワーが たくさんある地域です! (私の私見なので 深く考えないでね~)

 

 

けれど 風土を大切にして なんとか この愛する地を より良くしようとする動きは

 

とても 素敵なのです

 

そして 公共の場では図書館や 小田地区(山奥)が 私のお気に入りなのですが

とてもとても 素晴らしいのであります

 

空気がおいしいのは

土地に生きてきた 人の苦労が半端ナイからでしょうし

人の気持ちが 寄り添うように 静かなのは

ちょっとした 風や雨の違いを より早くみつけて判断して 作物を作ってきた人の

研ぎ澄まされた「言葉にできない感覚」なのだと 思ってます

 

(ホントに私見だから 笑わないで~) (@。@;)

 

 

文章ヘタでも 連載続けている私は 芸人ならではの鉄面皮です

このカオで ギョーザでも 焼いてってばさ!(ナルトの見すぎかっ)

 

今回は 前置き長過ぎ!

 

その図書館でね

 

 

偶然 見つけちゃったんです

 

大ダイダイ 尊敬している 「某マジシャン」の先生と

 

「ソーシャルで つながってくださっている 某研究家」の先生とが

 

松旭斎天一という 近代マジシャンの売れっ子の話と その江戸時代から明治・大正へと

 

日本の芸が どういう背景から 今のやり方に 変わっていくのかを

 

何度も調査し わからないことも ちゃんと書いてあるし その後も調べ続けていて

書いていく 根気を

ギューっと 詰め込んだような一冊を 見つけちゃったので

 

ついに

 

曲独楽の歴史のことにも 関係ある 昔の マジック (和妻)の 変化が

 

曲独楽の変わり方のヒントになり

 

探すのは 地理的な 文化歴史の流れと 人と経済の動きだなということで

 
ここだ~っと ばかりに また 図書館にある

郷土資料のコーナーへ 入り浸って

 

ついつい 感動しすぎて 返却期限オーバーしたりして

 

ゴメンナサイのココロ~(小沢昭一氏風)

 

それで 読み進んでいるのが 冒頭のタイトル本 「四国の風土と歴史」 山川出版社 刊

 

いいのよねえ

 

 

目から バリ ウロコ 落ちまくり

 

 

「そうだったのか」 アラシ~

 

うまくいけば

自分の ホームページ 本体も そういう視点で 整理できるかなあ

 

… 壮大すぎ … (^、^;)

2013/08/26

今年は朝顔を 大量に咲かせて遊んでいます

内子町 大瀬地区 朝顔

内子町 大瀬地区 朝顔

重たい歴史の暗部に ぶち当たりましたので 今回は 書き留めようと思います

曲独楽の歴史を調べていて いつも わからなくなる点があります

 

書面で 記録に残すということが 曲独楽の芸の場合

政治・経済・歴史に影響が少ないから 江戸時代の話は まず わかりません

 

一番古い記録は 江戸時代の曲独楽師として

お客さんを集めたことで話題に残っている

博多の曲独楽名人の京都四条河原での公演のことですが…

 

私が興味があったのは

 

どういう経緯で博多の曲独楽が

今に近い形を 大陸・朝鮮・じゃがたらルートから伝わったであろう コマの動きから導いたのか

 

そういう事だったんですけど

 

愛媛県の内子町に住んでみて

少しわかってきたのが

 

歴史を本当にちゃんと 見ていかないと 想像力が 働かないということです

 

このあたりには 以前ちょっととりあげましたが

山口県・周防大島からの大工技術の流入で 山のはるか上に 立派な寺社の建築が可能になり

あちこちに残っているという 「長州大工」の話が 伝わっていました

それこそ 生活している日々で 通勤通学の日常の途中にそういう史跡が あります

調べ始めたのは ほんのちょっとのきっかけでした

知人の書いた本が たまたまその関連の本だったからです

(かわせみ に置いてあった小さな古い像が その長州大工が作ったものに酷似していて驚きました)

 

私の 歴史調べにとって 一番の問題点は

東京・豊島区の実家近くにも 史跡はあるけど 見つめる機会を作ってこなかった…

(そういう自分の情けなさも ありましたが)

人の移動の歴史が 理解できていないと 一緒に動く文化が見えてこないということ

そういうことです

 

 

めげずに ちょっとずつ 調べていくと

やはり登場するのは 寺・僧・神社・儀式ということとの 関連なのでした

どうして いつも 寺社の儀式や 僧が関係していたのか その理由をしっかり確認する意味で

 

暮らしぶりについて 知っていかないと

つきとめるヒントも 想像できないという事になり

 

今まで見てこなかった 飢饉・地震・戦乱・貧困のことも しっかり 関連があると

イヤでも 見なくちゃいけないんだなと

思ったのです

 

最近の話ですが

知人が管理している歴史史跡が火事になり

世界的にも貴重な文化財が灰になったという事がありました

 

そこには 困窮した人の心の救済をするため 各国を布教した歴史の名僧の木像があったのですが

今はもう ありません

 

残念なことです

 

調べている最中に そういう事が発生すると また一層

歴史を知らなければ

私たちは

 

もしかして

日常の情報の 量と 速さに

人として 学ぶべき大切なことを

 

失って

 

人として何もかも

打ち負かされてしまうのではないでしょうか

 

ともかく

頑張らなくちゃ いけないようです

 

「日本の人は 武器を得るために海外に売られていった」

そういう歴史に 突き当たったので

 

ともかく びっくりして 今回は ここまでとします

 

内子町 大瀬地区 朝顔2

内子町 大瀬地区 朝顔2

2013/03/31

私は
コマの曲芸を仕事にしておりますから

江戸時代から続く
「曲独楽」〜コマの曲芸〜の話を

浮世絵(錦絵)を元に
見直してみるということを
ずっとしております…
息子にせがまれて
曲独楽を教えたり

仕込んだ新しい小道具を試運転する日々…

そんな中で
錦絵に描かれている曲独楽師を見ると

人が生きていく上で
何を自分の支えとして
一生の時間を作っているんだろうと

しばしば考える機会があります。

江戸も末期になる頃は
芸人も
技術的に高い人と
さほどでもない者の差が

「武士の日記」や、「奉行所の記録」「寺社開帳記録」として残っていることがあるため

今時のタレント業と同じように

「話題になるならない」

有事には

これが命をつなぐ糸になる事もあるんだ、と
思い知りました!

情報を把握する力があるか無いかも
一個人が世の中を切り抜ける時の貴重なワザなのだと

先人の生きざまに
学ぶところが大きかったです。

芸人の生き方として考えると

経済的に守られ過ぎても×

世の中と関わらない程に専業化するのもマイナスです!

だから
私はきっと
演芸好きなお客様の来る東京の寄席を離れて

愛媛県の内子町に来たんだな、と思います。

私は生き生きしております!

Next »