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2014/10/14

2014年10月26日
愛媛県立医療技術大学 学園祭に出演します! DSC01198
見た感じは 同じに見える事でも

物事の背景を知ったら 人は心が動く事がありますね

同じに見える という事は すごく幸せなのかもしれませんし

困った事なのかもしれない

心の持ちようだと よく言いますね

本当にそうだなと 昔の人の言葉に 聞き入ってしまいます

ただ単に 物事を伝えたいのか

それとも 考え抜いて 搾り出すみたいに作った言葉だったのかは

時には 言ったり 言葉で書き残した本人でさえも わからなかったりします

ううむ

私にとっては

何でも

同じじゃ無いですね…

独楽の動きに替えて考えてしまうのが私の職業病かもしれませんが

何回曲独楽を扱っても

その一瞬ごとに 出会っているかのようです

先日 知人と 鮎の話になり

徐々に国内の鮎が変化しているんじゃないかという話題になりました

場所も時間的なことも

同じ川の源流で育つ鮎だって 味が違います

川を大事にしてきたおじいちゃんたちの つかまえる鮎は 違う味がします

養殖の味でなく

川の状態も味のうちに入っています

それに 炭火で焼く時の炭もそうです

山の雑木の状態で 良く燃えたり 燃えなかったりしますから

良く出来ている山の炭は 煙があまり出ませんし

焼く場所の大きさに合わせて割る時も

粉々になりにくいです

曲独楽だって 木製品ですし 心棒は日本が誇る 鉄を鍛える見事な技の 鋼鉄製です

木は全部 日本の木です 塗装も漆ですから 日本の風土に根ざしている芸能だという事です

見かけが同じでも 曲独楽を本当に知っている人が作る・回す・演技する… そこで違いが初めて成り立ちます

だけど

インターネット上の 動画からは それがわかりません

本当に 曲独楽を大事にしたい … 私は いつも 思っています

2014/04/30

思わない事で とてもイヤな感情を抱え込む…

それは 凄く心の負担になりますし 毎日の暮らし方にも直結します

今回は そういう「気持ち」の話です

 

A. つらい経験が 原因となった時と

B.自分の失敗が元になる場合では

ずいぶん傷つき具合が違う事がわかりました 

 

(自分の場合ですが)

 

A.本当につらい経験の場合 やりきれない感情となって 心の深い部分に蓄積されます

 

B.自分の失敗が原因だと その後の行動自体に直接関係が出てきます

 

間接的には生まれたときから 直接的には芸人として 芸に関わって生きてきましたので そのABが表面的に現れるのは

私の場合 日常の態度の方に出ておりますが

曲独楽の舞台にも 場面構成や演出を考える基礎の部分の骨組みと関係が出ます

 

 

Aは人の生き方の理想に関係するくらい 重たいことなので なかなか変更が利きません

Bの方で調整をする事が日々の生きる糧にもつながって これは どうやら 生きがいというプラスイメージを持つものにチェンジが可能なようです

 

色々な失敗談がどなたにもあり

その失敗は とても心にひびくものです

 

私にも失敗談があります

 

温厚な紋也師(3世)のお怒りを買った事…

本当によくおぼえています

今でもあの時の苦い苦い思いは忘れていません

 

細かい失礼は ものすごくたくさんありますので省略…

 

入門後 初めての海外公演がN.Yという(1993年)ラッキーな私

有頂天状態の私の曲独楽の舞台上での取り扱い方は とてもザクザク荒っぽいものでした

 

その海外公演で ご一緒した方のパーティーがホテルで開催されましたので

紋也師に呼ばれて 曲独楽公演の後見として一緒に出演しました

 

変わらない美しさと気品ある 紋也師の曲独楽の風格と

横に居させていただく 新参者の私では 天地の違いがあり

舞台上ではそれがまた お客様にはお楽しみとなっていましたから

公演も それはそれは楽しくさせて頂く事が出来ました

 

問題は その後です

 

ああ 書いていくのが つらいですねえ

 

連載を休みたいくらいイヤ…

(^^;)失敗とは そういうマイナス効果たっぷりですなあ

 

私の有頂天が なくなったのは この経験が元です

 

お客様である方 仮に iさんとします

 

iさんから 後日 紋也師あてに 郵便物が送られてきました

 

私の所に 師匠から電話があり 「すぐ来られるかい?」

 

紋也師のお宅は 当時 すごく粋な 新宿区納戸町でした

神楽坂と隣り合わせの地域で

裏千家の東京事務所や 勅使河原映画監督のお宅など すぐご近所で

当時の日本ハム上田監督や 女優FじMなみさんや 志ん朝師…お歴々がいらっしゃったのです

 

急いで紋也師宅へ伺うと

 

珍しく 怒られました

「おまえさんは 慌て物なんだよ」

 

今でも よく 口のある部分から この時の事を思うと 苦いものが染み出てくるんですが…

今日も出ました おお 胃にこたえる

 

そう

小道具を 演技終了後 控え室に忘れて

iさんが 公演の感謝の言葉を添えて 私の小道具を送ってくださったのでした

 

本当に 本当に

寝られないほど 苦い感情が生まれて

この時 私は思ったのでした

 

二度とするまい

 

たったこれだけの話ですが

 

曲独楽の小道具は 替えが利きません

個人の身体の特長によって その道具も違うので

忘れたから貸してもらうとか

お店で買ってきて間に合わせる

 

そんな道具では無いからです

 

特に 入門当時 私の為に

紋也師が 直接ご自分の手で 作ってくださった小道具で

とんでもなく貴重な品でしたから

本当に 申し訳なく

 

ものすごく落ち込んだのでした

しかし この経験こそ

道具に対するこだわりを生むきっかけであり

その後の舞台構成の考え方の基礎の基礎となり

どういう風に 曲独楽を取り扱いたいかという 自分の理想をはっきり形にするという 責任の取り方を考える最初の出来事でした

 

貴重な体験でした

 

2014/03/30
三増巳也イン旭館で曲独楽

三増巳也イン旭館で曲独楽

前の原稿に書きましたが

テレビ愛媛さんの 愛媛県内放送番組「いーよ!」で

私 三増 巳也を取材していただきました

撮影を どこでしようか相談したら

 

旭館を使わせていただける事になり 感激です!

 愛媛県の内子町にある 古い映画館 旭館で

初めて 曲独楽の公演を 旭館の 中で 特別にさせていただきました~!

 

この 旭館が 国の有形文化財に指定されて 今年は 春と秋にまた 映画上映会があります

地元 内子町の皆さんが懐かしがるこの旭館が 壊さずに残ることは

本当に 嬉しい話です

 

当日の撮影で えひめのご当地アイドル ひめキュンフルーツ缶の まいまい … 岡本真依ちゃん!

と ご一緒しました!  (まだ放送前なのであとはナイショ)

http://ameblo.jp/mai-okamoto/

 

何事にも 頑張るまいちゃんに 思わず 二段独楽のおみやげを差し上げて…

 

旭館の雰囲気は 天井がイイ!

 

… 地元の映画好きの雰囲気は いろんな場所の古い広告や 映画宣伝のポスター

 

35ミリ映写機も すごくいい

 

また 旭館へ遊びに行こうと思います

 

今度の旭館映画イベントは5月25日 「黄色いハンカチ」高倉健さん主演 桃井かおりさん 武田哲也さんの作品が決まっています

当時の人気作品を 大きなスクリーンで見るのは いいですね…

 

今回は 撮影させていただき 感謝感激です!

2014/03/29

福井県の縄文時代の貝塚から見つかった漆の木が、これまでで最も古い1万2000年余り前のものだったことが分かり、海外でも有名な日本の漆文化の起源を考えるうえで貴重な発見として注目されています。

…こういうニュースが数年前にありました

 

 

仏教と一緒に大陸から渡ってきました

 

これは教科書で習った記述ですが

 

日本に古来から漆の木が 自生していたのでは…という出土品の話やら

 

もしかしたら 歴史的に自分が習ってきた教科書の話は どんどん書き換えられているんじゃないか…

 

そう思ったので 調べてみることにしました

 

やはり 今の常識は 私の学生時代とはだいぶ変わっている様子です

 

 

 

昔は中国から伝わった

 

そういう安易な説明も減ってきたようですので

 

自分的には しっかり情報を更新して 書いていこうと思います

 

さてさて 刀剣の装飾 つば の工人の技術の伝わり方 人の移動の事を前回書きました

 

今回は 漆と螺鈿の事が気になるので

調べてみました

 

同時代の違う物の動きをみていくのは 他の切り口の発見ができるかもしれないという期待ですが

どちらかというと

刀と 漆や螺鈿について 男性的と女性的というふうに私は今まで勝手に分類していて

一緒の時代であるにもかかわらず ちっとも注目してこなかったのです

 

実際には 持つことで身分を高め 社会には身分の証として そういう装飾をほどこした刀剣は使われるのであって

決して 江戸後期の頃のような 装飾目的で刀を所持する文化と一緒の扱いではなかったのだと

不勉強を嘆くばかりですが

 

その刀の螺鈿技術 象嵌 伝来の話は 国宝の記録を公開している文化庁の国宝公開データページでも

変わっていないので安心しました

 

でも 始めに書いた 漆は どうやら 国内産で あるていど 漆の保存効果を使用していたのでは…と

 

福井県の古墳で発見された漆の木の出土品は

新事実を想起させる興味深いニュースです

 

さて 話を技術の事に絞ります

 

その伝来してきた技術が

自分たちの腕より凄かったら

やはり 習いたいと思いますよね

 

だから 国産であった技術と 輸入の技術を比べて取り入れていく

 

そういう日本の工人の工夫の歴史は

 

いまだに 続いていると言ってもいいでしょうね

 

ですので

独楽は伝来したのではなく 日本独自で発生していて

最先端として 鉄芯の曲独楽は大陸経由で伝来したのか…

その技術者を連れてきて 伝わったのか…

または 何かの工人か文人の趣味か郷土の遊びの形で伝来したのか…

 

そういう事が考えられます

 

正倉院の国宝の螺鈿紫檀五絃琵琶ですが

当初 完全に 装飾品として 国も取り扱っていたけれど

再調査で 楽器使用目的で制作されたようです

 

この時代は 奈良の大仏建立で 大規模な演奏や舞踊があり

たくさんの楽器が必要だったとか

 

楽器の作り自体はわかりませんが

装飾の技術は

高価な大陸輸入のものを使わなくても

最初は輸入の螺鈿技術で学習していた螺鈿工人が

やがて螺鈿の技術を習得し

国内 琉球や南の島にある貝素材で 作ることが可能になったということです

 

日本では 技術を発展させる得意技を 発揮してきた歴史は長いものなのですね~

2014.4初旬 愛媛県内テレビ出演します テレビ愛媛「い~よ!」

2014.4初旬 愛媛県内テレビ出演します テレビ愛媛「い~よ!」

2014/03/29
三増巳也曲独楽の木小鹿野で

三増巳也曲独楽の木小鹿野で

そういえば 小鹿野町で 苦労して持ち帰った木の写真を載せていなかったので 掲載します

実際には 前にも書きましたが 木がとても堅くて

刃物の減りを考えると この木を曲独楽には作れないという作者の先生の意見を尊重し

結局 曲独楽の材料にはならなかったわけですが

経験した事の 深さは 財産になっています

おかげで先日 山と木の素晴らしさを 息子たちに体験させてあげられたので満足です

さて 今回は 曲独楽の伝わり方について また少し面白いヒントをみつけました

巳也メモつば意匠短冊

巳也メモつば意匠短冊

物事の伝わり方は 人の移動に関係しますし

移動は時流 事件様々なきっかけがあることも いろいろなヒントを取り入れて 考えてきました

今回のヒントは古本からです

思わずキレイな物を見つけると スケッチしてしまうのですが

刀の話は あまりにも日本的な重厚さに食指が動かず 今まで調べる事を怠っておりました

でも古本で見た刀のつばの部分の意匠に感動してしまって

一気に調べ始めたのが その つばの歴史です

 

 

どうも 私が以前調べた 長州大工と呼ばれた 周防大島の移動とも 関係がある内容で

日本国内の 職人の移動について

代表的な 刀剣関連の技術者が どういう理由で 仕事の場所を変えていくのかを知ると

これに 付随的な 他の大衆文化も これとほとんど似ているんじゃないかと感じます

私の読んだ古本の中に 面白い書き方があって

刀のつばで 今も残っているのは

時代が古くて 装飾的なものが大半であること

そして その理由として 美しいことがあげられていました

これは 以前 陶磁器の骨董の話を 夫がしていて

キレイじゃないと 市場に出ない時代のものがある

というのと 同じでした

まあ この場合 どっかの本が情報源だからと思いますが

陶磁器と 刀剣の違いは

再利用する時の 姿の違いが考えられます

陶磁器は再利用する時 トルコの王朝に保存されているアジアのものと

自国で尊重される金製の素材を接着したようにして鑑賞対象とするか

あるいは 佐賀県など 陶磁器の産地で多い

陶片を活用した家屋の塀や 道の舗装に使うような 素材として利用する方法です

陶磁器の場合 形がいくばくか残るのが特徴です

でも 刀剣類の場合

多くは 金属ですから 溶かして完全に違うものに再生されるため

素朴な形の初期の刀剣や装飾の部類は 古墳近隣の生活者や 合戦での発掘品しか存在しない

ということです

ちょっとしたことなのですが

これは本当に 感心しました

完全に溶かされたら 確かに形は残りません

だから 技術の移動を知る場合

産地・所属が書類で記述されたり 銘を刻む事をはじめた人の仕事の場所がわかるものが大切だという事です

室町初期まで 刀の装飾品を制作していたのは 当初 専業ではなく

鎧兜を作るのと一緒に作ったり

刀鍛冶が作ったりしたという時代があり

それ以降は 刀の役割が 馬に乗れる身分の持ち物だけでなく

雑兵が持てるほどたくさんでき 戦い方も 歩いて山を越えて攻め入るため

より早く動くことが大事になり

重い太刀より 軽い刀が必要になったということで

身分の高い人の持ち物として 装飾を施して持つ必要もあったから

より精巧な飾りをする人が登場し それを元にした一門ができ

やがて専業化して 記名するほどの作家へと江戸時代は 変貌して行きます

だから 戦場がめまぐるしく変化していた戦国時代の刀作りなどの職人は

戦況が負けそうになると 勝ち組へと移動して行き

やがて時代が安定していくと 住む土地を決めて 所属の武家が決定して

そこで地名の流派や 作者の得意部門の流派として完成し

これは どこかで見たなと思ったのです

曲独楽がたどる人の動きと変わらないのですね…

この技術にしても 結局爆発的に変化したのが 南北朝や秀吉そして江戸後期明治ほぼ実用面は消滅となります

日本の人が生み出した 色の濃い物事…

今後はどうなっていくのでしょうかね…

2014/02/28

小鹿野で巳也曲独楽材料oganomiyakyokugoma

小鹿野で巳也曲独楽材料oganomiyakyokugoma

ディープな話題が 増えてきました…

私がこの写真の埼玉県の小鹿野町へ うかがったのは 2000年の5月の事です

曲独楽の原材料となる 木材の調達について もうプロ向けの曲独楽制作はムリだと

製作者の先生方に宣言されたのを受けての「調達旅」の何回目かでした

1985年頃 曲独楽の稽古に何とか 曲独楽を手にしなくてはと 探した頃を思い出しています

紋也師からも 女楽師からも そして私の父 源氏太郎を通じて 他の曲独楽の愛好家であったご近所のXおじさんも

みんな口をそろえて その苦労を語ってくれていたので 相当の覚悟が必要な事は

入門前の(曲独楽を意識し始めた) 高校生当時から知っていましたが その打開策については

江戸独楽の復興をされた 広井政昭先生に(今回からもう先生をつけさせて頂きます ご本人が嫌がるので今までして来られなかったけど)

頼る以外に無かったのが 現実でした

特に曲独楽の製作者の 手間と労力そして技術の高さによる精度の良さの評価というのは

曲独楽の演技の内容と 曲独楽師側の必要性との関係が 曲独楽の価格へも影響してしまうので

曲独楽を制作している側の 大きな問題点となったまま昭和の時代の曲独楽の置かれた状況は終わってしまいました

専門的過ぎて お客様に通じにくい話が続きますが ご勘弁ください

私たち曲独楽師を最も愛してくださる「寄席」で 舞踊的な演技を最小にした事もその理由のひとつかもしれません

それを避けてきたのが 三増流の 日舞の要素を取り込んだ美しさを表現する曲独楽ということなのですが

段々 それ自体 “短時間での派手な演出”を 要求される場所が増えるにしたがって 「時間がある時の余芸」風な演出効果になってきて

本来どこに流派の違いがあるのか わかりにくくなっているのが 現在ではないかと思うのです

私は入門してすぐ その違いを叩き込もうと異流派の先生方と お話できる所に行く事にしました

太神楽曲芸協会へ 女楽師が会長の頃(平成10年頃ですね) お願いして加入させて頂き 本当に勉強になりました

太神楽と曲独楽を同時に演じられる先生 柳家小志ん師ととし松師の演じ方と

三増流の違いを納得する事ができたのは 本当に有難かったです

ところで

川崎大師で毎年5月21日に 太神楽曲芸協会の「まり塚まつり」の奉納演芸がありますので 機会があったら皆さんぜひ 行かれてください

曲芸が見られてご利益が頂ける貴重な一日です…

こちらから ご覧ください 

これは 普段 稽古や寄席などで使う 芸の道具を供養する石碑を建立し 芸道の精進を願って川崎大師で行う曲芸師のおまつりです

私の名前も彫っていただいてるので まり塚で探してみてくださいね

さて
その材料の調達の面で 国産の木材の確保が 年々難しくなっていった事は

曲独楽の製作者のストレスになってしまっていて “曲独楽は飾り用と素人さん向けなら作るけどプロへは作らない”

こう宣言されてしまった時期がありました

外国産の安価な木材が当たり前に流通する一方 国産の「用途が少ない建材以外の雑木」は 流通経路から外れて

一切市場に出なくなりました

困ったのは 私たち 曲独楽師です

何とか 使える木材を探して 乾燥 試作 試験 実用 という流れに乗せていかなくては 曲独楽の木材からの完成までの期間は

その木材の置かれた環境と 木材の水分や 密度との均衡により また 木取り(削りだせる面積)の大きさも違うので

完成する曲独楽の大きさや 使える機能からどの演目用なのか選定する期間も 考慮したうえでの 早い調達が必要だったのです

すぐに どこか 木材を選んで 手に出来る場所が無いか 探しました

縁があって 山に入る事を快諾していただいたのが

埼玉県の小鹿野町でした

… 次回へ続きます 

2014/02/19

曲独楽三増巳也宜蘭衣紋流し

曲独楽三増巳也宜蘭衣紋流し

曲独楽を演じる時に気にするのは

どういう場所・会場でコマを扱うのか

ということです

大ざっぱに書いていけば ローマのコロッセオみたいな感じなのか

お祭りの仮設舞台か

はたまた(この言い方 広川太一郎さんの「ムーミン」スノーク風を希望)

きちんと座って見られる屋内会場の大きな公会堂クラスなのか

それとも 寄席のような客席のお互いの居心地相乗効果バツグンの300名様会場なのか…

あるいは アットホームな個人経営店かお宅のリビングでのパーティーだろうか

それを気にするわけであります

とある「芸に理解の非常に深いお方」と 

曲独楽の普及のことについて ご意見を聞くことができました

マジックの海外と日本の歴史について くわしい方なのです

一時期 曲独楽はマジック ← ← ← 日本で言うと 手妻(てづま)です

との合同公演を 今で言う シルクド○レイユの元祖みたいな方式で公演していた時代があります

私もたびたび こちらJunkStageさんの「言わずば回れ」コラム 曲独楽江戸時代カテゴリで

少し書いてきましたが

この方の調べたデータを元にした記事もあるのです

さて

そういうことで現在のショーも 様々な公演をご覧の方ですから

滅多にないこの機会に

曲独楽の海外を視野に入れた 普及のご意見を聞かせていただくことができました 

今まで私も すごく迷っていたのですけれども

私的に 結論が 出たので ここで申し上げておきます

曲独楽は 日本人が 手放すべき文化伝達方式ではない

そういうことです

閉鎖的になるなということで お叱りを受けることもあるでしょうが

ここは 私が 石頭に ガッチリ固めた持論を展開させていただきます

曲独楽が 過去 海外との交流の歴史の中で

なぜ 洋式の娯楽の浸透や 戦争や地震などの文化的危機を乗り越えて残っているか

日本の国土の大半を占める 山林・木材の利用と共生の歴史と文化が

それを支えているのだということです

そして それを充分に理解して 育っている私たち表現する側が

物事と 表現する人との美しい均衡を芸として

舞台上でご覧頂き

色々な思いを感じてくださる観客の皆さんと

表現する側も 共感と発見と出会いを得られる 

至上の至福の場所に立っているのだということです

シルクド○レイユという公演の事を ちょっと書かせていただきましたけど

死亡事故が起きるということは そういう内容なのですね(怖)

かなり はっきり申し上げると

命の危険を要求される公演内容ということは

果たして 演じる側は 何の特があるのでしょうかね

欲求のみに こたえると こういう結果が待っています

かつて ロシアで 日露戦争直前からその最中に

日本の曲独楽と手妻の芸人が一族で公演していた時代に

地元ロシアでの芸人とトラブルになり

演じる時に使う命綱に切り込みを入れられた話や

現地での仕事を得るため 日本の芸人が命をかけた演技をして

勝ち残り獲得したサーカスの話が伝わっています

その当時と まるで事情が変わっていませんね

TVのバラエティーでの危険演出もこういう話と関係があります

そのようなことをOKする人が出る悲惨な状態を

私たちの先輩芸人が嘆いて その結果として良くする為の活動をしています

そのために 日本の芸能家団体をたちあげて 協力しています

私も協会員です

海外の劣悪な演出優先の傾向には 危機感が大アリです!!!!!!!!!!!!

おかしな傾向だと思いますが

日本の宣伝が大々的だと なお更 気がつく人は 少ないでしょうね

芸術的なことって

そういうことでしょうか?

抑圧された人の感情の昇華された表現として 芸術はあるはずだと思いたいです

曲独楽は 手放さない

2014/01/30

ついこのあいだJunkStageさんの「ライターへの手紙」を読ませていただいて

自分のいっちょ前になったという感じは

「果たしていつだろうか」と考えるようになったら

本当に気になってしまって

結局自分の成人感覚は 何なのかしらんということになって

そしたら次は どうしてそう感じたのか

今回は思い出してみることになった

私の社会人への入り口としては 

自分でお金をつかみとりたいという 猛烈な欲があるわけで

独立して芸のほうへいけるのかどうか

とりあえず 一般的に社会人参加は 銀行員からという形になったから

履歴書的には 社会へ出ると 社会人なので こういうことを思い出すのね

商業高校卒業後 就職した北海道拓殖銀行の

東京日本橋にある 大きな建物で入社式をした

高卒と短大 大卒が入り混じった活気があふれる会場をおぼえている

ドラマ「半沢直樹」で 同期の行員がたくさんいたけれど

「拓銀」行員は あの10分の1くらいだったか…

さて 大人というのを実感したのは どの時期だったか考えてみた

就職した時?

いや …私を雇うなんて 余裕のある会社があるんだなあ

最初の給料をもらった時?

もう給料袋はなかったので

小さいヘラヘラする 数字の書いた紙を受け取ったし

あいにくその時のプリンターには たっぷりインクがついていなかったので

ずいぶん うすい金額だったから なお更

なんだか 見ていて寒かった …違う…

両親に給料からお金をあげた時?

泣かれて面倒だったので 「これからは黙って銀行口座にいれよう」

…これは むしろS度が上がって自意識過剰気味の大人子ども…

そう 私が一人前を実感できたのは これから遅れること8年…

その間の状況変化には この3つの説明が必要だけども

1 銀行を「一身上の都合により退職」

2 数年の芸界見習いを経て 曲独楽師 三代目 三増紋也師に入門

3 それから一人で舞台をこなせるようになり 三増巳也襲名…

そして その瞬間は突然やってきた

まず読者の方には

面倒くさいでしょうが

イメージしていただくことを お願いしたいのです

さて もったいぶって 始めましょう

東京の真ん中には何があるだろう?

あんまり話されないけれど

ほぼ中心の緑豊かな場所は 元 江戸城…

つまり 今の 皇居ですね

そこは
地名で言うと

東京都千代田区隼町

その正面(わたしたち芸人には正面です)

そこにあるのは 歌舞伎を国の芸能であると認めた「国立劇場」

そして 国の芸であると認めたから 「国立演芸場」がありますのよ

その国立演芸場という 寄席の舞台が

私のこの感覚の肝で

その芯にあたる経験は

あるおばあちゃんのひとこと

ある日

私がいつもどおり 寄席の舞台で コマの曲芸を演じていて

そのときの演目は 細い3メートルほどの糸に コマを渡していく芸 「糸渡り…あるいは綱渡り」

お客様の席の近くまで寄って コマをお見せするのが 私の楽しみなのですが

演じ終わった時 ひときわ大きな拍手をしてくださる方がいて

それが そのおばあちゃんだった

そのおばあちゃんは 「私いつも あなたが出るのを調べて来てるのよ」

頭をガンと殴られたような

芸人生活初の おっかけファンの登場だった

ほんとうにほんとうに

どなたがどこで みてくださっているのか わからないもんで

そのときこそ 私が感動したことはなかったのです
一人前になった~と

そういう瞬間でした

さて 驚きはまた 続きました

それからしばらくして 今度は 忘れもしない 上野鈴本演芸場での夜席でのこと

その方は

私が投げコマを済ませたのを見計らったように走り寄っていらしたから

ああ 酔ってらっしゃるな

そう思ったのですが

違いました

「コマの芸というものを見て こんなに興奮したことはありません 握手してください 
私は秋田県から来ています」

いろんなことがあるもので

こういうふうに お客様が 芸人を作ってくださっているのです

どうか ひとりひとり 表現するものを もっと 楽しんでいただきたいですね

2014/01/27

ちょうど時間巳也

曲独楽巳也

今日あわてて子どもの学芸会の仕度を済ませて、普段絶対に行きたがらない夫を学校へ送り出して、メンテナンス中のWindows7機でメールチェック…

大変だ!JunkStageでいつも気になる記事「ライターへの手紙」が
三増 巳也になってるじゃないかあああああああああ

なんてことだ 

自分の誕生日もいっさい考えずにパソコンを早くするための

涙ぐましい「つまんない努力」を経て

ものすごく

ビックリしました

おお

なんてことだ

こんなに綺麗に要約していただいて

相変わらず素晴らしい…

…私の舞台の運びと

コラムの様子と

…ほとんど 変わりません

トッ散らかった中に

どういうわけか

偉い先生方も「あらら」と言う物事があるらしい私ですので

自分では わかろうとしていませんから (ええ それでいいのよ…)

このまま まいりますよ~!

今回の お題 「時間の感覚の違い」です

時間は 自分の体感・感情・記憶などなど 様々な事に及びますが

ここは 私の感じた事に ちょいと絞ってみますみや…

(閑話休題…先日寒い日に司会の方が みやすみや と何回もカムので気の毒だった… 思わず自己PR…「こま の みいちゃん」で ヨロシク!)
其の一 困った事実

あわてていると 

用件が片付く前に 

次のきびしい現実があらわれる

其の二 恐ろしいこと

すごく嬉しくて

このままでずっといたいときに限って

一番苦手な 前置きの話の長い知人が尋ねてくる

其の三 背筋が凍る時

お洒落なお店のイケメンスタッフに

「このカードは取り扱っていません」と言われる初デート風景

其の四 誰か助けて~

夜中にパソコントラブル 

手作業バックアップ

終わらず数日の予定がまるつぶれ…(なあに ほんの5日さ)

どうでしょう

各場面ごとに 時間のスピード感が 違うのじゃないかと思います

先日

時間の感じ方について ちょっとした実験をしてみました

料理のしたごしらえ時間が どのくらい自分の記憶と違うか

携帯のストップウォッチ機能で計測したら

ぜんぜん わかっていなかった…

カレーライスの仕度で測りましたが

ジャガイモむきが 嫌だった私を

おかげで克服する事ができましたよ!

…どういうことが 起こったかというと…ですね…

毎回料理する時に考えていた 

ジャガイモ洗って皮むくのが

「時間がかかるから やだ」

という感覚を 
実際に計測して「現実感のある数字」を

脳みそに染み込ませて戦わせてやりました

すると

「思ったよりも時間なんか かかって無いじゃん…」

と 納得するんですよ!

…私の脳が!

…この脳が!(読んでる方 ご自分の頭軽く叩いてもらっていいです)

えらく名のあるどなたかが ラジオでおっしゃっていたのですが

「心理学 脳科学 これで こういうことの効果が 実際に出るので

ぜひお聞きの皆さんは 実践されてみてください」…てなことでしたので

今回 「実践されてみた」のです

脳トレ生活開始の狼煙(のろし)です

高校生の頃

どうやったら理想の大人になれるか

自分の社会人としての姿を図示して

就職した時にはその手は使わずにいましたが

「曲独楽師」になってから ある時思い出して

また 理想像を描いた紙をちいさく畳んで 財布にしまっておきました

何か越えられない物事が発生した時に見てきた紙は

数年してボロボロになり

気がつかないうちに 買い換えた財布と一緒に捨てました

その理想の形に 今 限りなく近いから

この夢は現実となったといえます

さて 若かりし頃の夢の時間は これからの逆算方式の円熟期とは

まったく違うものですので

今後 あと残り時間どれくらいを 用意して

また そういう脳計画を立てるのかは…

いつか どこかで お会いした時にでも お話しましょう!

2014/01/13
内子座三増巳也曲独楽1

内子座三増巳也曲独楽1

これから たぶん 恒例になると思いますけれど…

 

愛媛県 内子町にある 古い芝居小屋 内子座の

楽屋横のスペースに

出演者だけがメッセージを書ける場所があります

 

まだ 出来たばかりなので 空白が多かったですが

今後恒例になるから きっとやがては少なくなるでしょう…

 

そこに先日 2014.1.5 公演致しましたので

左の 三増 巳也 定番サインをしてまいりました

 

「桂小春團治 新春独演会」ということで 大阪のアランドロン(わかる人だけでいいけど)

桂小春團治師の会に 出演させていただきました

 

 

当日は もうそれは たくさんのお客様で 内子座の舞台から お客様のお顔を拝見し

本当に 新年が幸せに明けて 大 大 大 感動の 公演となりました

 

今年は ずいぶん 雪の天気が多く あちこちで 電車や飛行機が 止まったりして

 

ハラハラしておりましたが 当日は 真っ青に晴れた空が広がって

 

内子座前の 小春團治師の のぼりも 気持ちよさそうでした

 

公演中 何が楽しいかというと 私は楽屋の何でもない 無駄話が面白くて いろいろやらかします

 

今回は 私が住んでいるあたりの 最近の魚や動物の 「国際化」で 盛り上がりました(私だけか…)

 

 

楽屋が 面白いなあというときの公演は 必ずといっていいほど お客様 舞台 一体となっていい雰囲気になることがわかっています

 

内子でお客様を 集めて頂いた皆さんの腕には まったく頭が下がります

たったの1ヶ月で 今回はキャンペーンしてくださったそうで

(出演する私には サイトでご報告するくらいしか お礼のしようも無い申し訳なさですけど)

 

地方に数多くある 小屋が 今 存続の危機 そして 取り壊しになった施設もあり

この内子座が 地域と 支える側 利用する人の魅力など バランス良く これからを また積み上げていくことが

とても大切だと 思いました

 

寄席と違って 芝居を演じる舞台の内子座は広く 大きな演目が楽しめると思いますから

次回もし 曲独楽の公演が 可能なら

江戸期の曲独楽で使っていた 独楽の 吊り行灯を 使えればいいな

 

曲独楽三増巳也内子座2

曲独楽三増巳也内子座2

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