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2014/03/29

福井県の縄文時代の貝塚から見つかった漆の木が、これまでで最も古い1万2000年余り前のものだったことが分かり、海外でも有名な日本の漆文化の起源を考えるうえで貴重な発見として注目されています。

…こういうニュースが数年前にありました

 

 

仏教と一緒に大陸から渡ってきました

 

これは教科書で習った記述ですが

 

日本に古来から漆の木が 自生していたのでは…という出土品の話やら

 

もしかしたら 歴史的に自分が習ってきた教科書の話は どんどん書き換えられているんじゃないか…

 

そう思ったので 調べてみることにしました

 

やはり 今の常識は 私の学生時代とはだいぶ変わっている様子です

 

 

 

昔は中国から伝わった

 

そういう安易な説明も減ってきたようですので

 

自分的には しっかり情報を更新して 書いていこうと思います

 

さてさて 刀剣の装飾 つば の工人の技術の伝わり方 人の移動の事を前回書きました

 

今回は 漆と螺鈿の事が気になるので

調べてみました

 

同時代の違う物の動きをみていくのは 他の切り口の発見ができるかもしれないという期待ですが

どちらかというと

刀と 漆や螺鈿について 男性的と女性的というふうに私は今まで勝手に分類していて

一緒の時代であるにもかかわらず ちっとも注目してこなかったのです

 

実際には 持つことで身分を高め 社会には身分の証として そういう装飾をほどこした刀剣は使われるのであって

決して 江戸後期の頃のような 装飾目的で刀を所持する文化と一緒の扱いではなかったのだと

不勉強を嘆くばかりですが

 

その刀の螺鈿技術 象嵌 伝来の話は 国宝の記録を公開している文化庁の国宝公開データページでも

変わっていないので安心しました

 

でも 始めに書いた 漆は どうやら 国内産で あるていど 漆の保存効果を使用していたのでは…と

 

福井県の古墳で発見された漆の木の出土品は

新事実を想起させる興味深いニュースです

 

さて 話を技術の事に絞ります

 

その伝来してきた技術が

自分たちの腕より凄かったら

やはり 習いたいと思いますよね

 

だから 国産であった技術と 輸入の技術を比べて取り入れていく

 

そういう日本の工人の工夫の歴史は

 

いまだに 続いていると言ってもいいでしょうね

 

ですので

独楽は伝来したのではなく 日本独自で発生していて

最先端として 鉄芯の曲独楽は大陸経由で伝来したのか…

その技術者を連れてきて 伝わったのか…

または 何かの工人か文人の趣味か郷土の遊びの形で伝来したのか…

 

そういう事が考えられます

 

正倉院の国宝の螺鈿紫檀五絃琵琶ですが

当初 完全に 装飾品として 国も取り扱っていたけれど

再調査で 楽器使用目的で制作されたようです

 

この時代は 奈良の大仏建立で 大規模な演奏や舞踊があり

たくさんの楽器が必要だったとか

 

楽器の作り自体はわかりませんが

装飾の技術は

高価な大陸輸入のものを使わなくても

最初は輸入の螺鈿技術で学習していた螺鈿工人が

やがて螺鈿の技術を習得し

国内 琉球や南の島にある貝素材で 作ることが可能になったということです

 

日本では 技術を発展させる得意技を 発揮してきた歴史は長いものなのですね~

2014.4初旬 愛媛県内テレビ出演します テレビ愛媛「い~よ!」

2014.4初旬 愛媛県内テレビ出演します テレビ愛媛「い~よ!」

2014/03/29
三増巳也曲独楽の木小鹿野で

三増巳也曲独楽の木小鹿野で

そういえば 小鹿野町で 苦労して持ち帰った木の写真を載せていなかったので 掲載します

実際には 前にも書きましたが 木がとても堅くて

刃物の減りを考えると この木を曲独楽には作れないという作者の先生の意見を尊重し

結局 曲独楽の材料にはならなかったわけですが

経験した事の 深さは 財産になっています

おかげで先日 山と木の素晴らしさを 息子たちに体験させてあげられたので満足です

さて 今回は 曲独楽の伝わり方について また少し面白いヒントをみつけました

巳也メモつば意匠短冊

巳也メモつば意匠短冊

物事の伝わり方は 人の移動に関係しますし

移動は時流 事件様々なきっかけがあることも いろいろなヒントを取り入れて 考えてきました

今回のヒントは古本からです

思わずキレイな物を見つけると スケッチしてしまうのですが

刀の話は あまりにも日本的な重厚さに食指が動かず 今まで調べる事を怠っておりました

でも古本で見た刀のつばの部分の意匠に感動してしまって

一気に調べ始めたのが その つばの歴史です

 

 

どうも 私が以前調べた 長州大工と呼ばれた 周防大島の移動とも 関係がある内容で

日本国内の 職人の移動について

代表的な 刀剣関連の技術者が どういう理由で 仕事の場所を変えていくのかを知ると

これに 付随的な 他の大衆文化も これとほとんど似ているんじゃないかと感じます

私の読んだ古本の中に 面白い書き方があって

刀のつばで 今も残っているのは

時代が古くて 装飾的なものが大半であること

そして その理由として 美しいことがあげられていました

これは 以前 陶磁器の骨董の話を 夫がしていて

キレイじゃないと 市場に出ない時代のものがある

というのと 同じでした

まあ この場合 どっかの本が情報源だからと思いますが

陶磁器と 刀剣の違いは

再利用する時の 姿の違いが考えられます

陶磁器は再利用する時 トルコの王朝に保存されているアジアのものと

自国で尊重される金製の素材を接着したようにして鑑賞対象とするか

あるいは 佐賀県など 陶磁器の産地で多い

陶片を活用した家屋の塀や 道の舗装に使うような 素材として利用する方法です

陶磁器の場合 形がいくばくか残るのが特徴です

でも 刀剣類の場合

多くは 金属ですから 溶かして完全に違うものに再生されるため

素朴な形の初期の刀剣や装飾の部類は 古墳近隣の生活者や 合戦での発掘品しか存在しない

ということです

ちょっとしたことなのですが

これは本当に 感心しました

完全に溶かされたら 確かに形は残りません

だから 技術の移動を知る場合

産地・所属が書類で記述されたり 銘を刻む事をはじめた人の仕事の場所がわかるものが大切だという事です

室町初期まで 刀の装飾品を制作していたのは 当初 専業ではなく

鎧兜を作るのと一緒に作ったり

刀鍛冶が作ったりしたという時代があり

それ以降は 刀の役割が 馬に乗れる身分の持ち物だけでなく

雑兵が持てるほどたくさんでき 戦い方も 歩いて山を越えて攻め入るため

より早く動くことが大事になり

重い太刀より 軽い刀が必要になったということで

身分の高い人の持ち物として 装飾を施して持つ必要もあったから

より精巧な飾りをする人が登場し それを元にした一門ができ

やがて専業化して 記名するほどの作家へと江戸時代は 変貌して行きます

だから 戦場がめまぐるしく変化していた戦国時代の刀作りなどの職人は

戦況が負けそうになると 勝ち組へと移動して行き

やがて時代が安定していくと 住む土地を決めて 所属の武家が決定して

そこで地名の流派や 作者の得意部門の流派として完成し

これは どこかで見たなと思ったのです

曲独楽がたどる人の動きと変わらないのですね…

この技術にしても 結局爆発的に変化したのが 南北朝や秀吉そして江戸後期明治ほぼ実用面は消滅となります

日本の人が生み出した 色の濃い物事…

今後はどうなっていくのでしょうかね…

2014/02/19

曲独楽三増巳也宜蘭衣紋流し

曲独楽三増巳也宜蘭衣紋流し

曲独楽を演じる時に気にするのは

どういう場所・会場でコマを扱うのか

ということです

大ざっぱに書いていけば ローマのコロッセオみたいな感じなのか

お祭りの仮設舞台か

はたまた(この言い方 広川太一郎さんの「ムーミン」スノーク風を希望)

きちんと座って見られる屋内会場の大きな公会堂クラスなのか

それとも 寄席のような客席のお互いの居心地相乗効果バツグンの300名様会場なのか…

あるいは アットホームな個人経営店かお宅のリビングでのパーティーだろうか

それを気にするわけであります

とある「芸に理解の非常に深いお方」と 

曲独楽の普及のことについて ご意見を聞くことができました

マジックの海外と日本の歴史について くわしい方なのです

一時期 曲独楽はマジック ← ← ← 日本で言うと 手妻(てづま)です

との合同公演を 今で言う シルクド○レイユの元祖みたいな方式で公演していた時代があります

私もたびたび こちらJunkStageさんの「言わずば回れ」コラム 曲独楽江戸時代カテゴリで

少し書いてきましたが

この方の調べたデータを元にした記事もあるのです

さて

そういうことで現在のショーも 様々な公演をご覧の方ですから

滅多にないこの機会に

曲独楽の海外を視野に入れた 普及のご意見を聞かせていただくことができました 

今まで私も すごく迷っていたのですけれども

私的に 結論が 出たので ここで申し上げておきます

曲独楽は 日本人が 手放すべき文化伝達方式ではない

そういうことです

閉鎖的になるなということで お叱りを受けることもあるでしょうが

ここは 私が 石頭に ガッチリ固めた持論を展開させていただきます

曲独楽が 過去 海外との交流の歴史の中で

なぜ 洋式の娯楽の浸透や 戦争や地震などの文化的危機を乗り越えて残っているか

日本の国土の大半を占める 山林・木材の利用と共生の歴史と文化が

それを支えているのだということです

そして それを充分に理解して 育っている私たち表現する側が

物事と 表現する人との美しい均衡を芸として

舞台上でご覧頂き

色々な思いを感じてくださる観客の皆さんと

表現する側も 共感と発見と出会いを得られる 

至上の至福の場所に立っているのだということです

シルクド○レイユという公演の事を ちょっと書かせていただきましたけど

死亡事故が起きるということは そういう内容なのですね(怖)

かなり はっきり申し上げると

命の危険を要求される公演内容ということは

果たして 演じる側は 何の特があるのでしょうかね

欲求のみに こたえると こういう結果が待っています

かつて ロシアで 日露戦争直前からその最中に

日本の曲独楽と手妻の芸人が一族で公演していた時代に

地元ロシアでの芸人とトラブルになり

演じる時に使う命綱に切り込みを入れられた話や

現地での仕事を得るため 日本の芸人が命をかけた演技をして

勝ち残り獲得したサーカスの話が伝わっています

その当時と まるで事情が変わっていませんね

TVのバラエティーでの危険演出もこういう話と関係があります

そのようなことをOKする人が出る悲惨な状態を

私たちの先輩芸人が嘆いて その結果として良くする為の活動をしています

そのために 日本の芸能家団体をたちあげて 協力しています

私も協会員です

海外の劣悪な演出優先の傾向には 危機感が大アリです!!!!!!!!!!!!

おかしな傾向だと思いますが

日本の宣伝が大々的だと なお更 気がつく人は 少ないでしょうね

芸術的なことって

そういうことでしょうか?

抑圧された人の感情の昇華された表現として 芸術はあるはずだと思いたいです

曲独楽は 手放さない

2013/11/28
曲独楽三増巳也コマ

曲独楽三増巳也コマ

まず 2014年のJunkStageさん・山田雅幸さんの写真年賀状…とてもきれいです!

使わせていただけるとは 嬉しいことですね…

 

さて今回は

曲独楽の事を話すのが とても好きです…が

 

あまりに熱が入ってしまうので

 

人前でお話しするよりも

 

皆さん お読みいただく方の ご都合のつく

 

JunkStage コラムで お目に留まるほうが 読者の方のストレスになりにくいから…

 

今回は この話題で 久しぶりの 思い切り決め付けて進める曲独楽論です…

 

以前から こういう大衆的に支持をしていただいて 長持ちしてきた日本の芸のことを

 

話題にしてきて

 

こと 曲独楽になると その曲独楽自体の 「作られ方」が 私にとっては特別気になることが多く

 

文章でわかりにくいから今回は 「WindowsXP」卒業「Windows7」での“ペンタブレットお絵かきペン筆おろし”兼ねまして

曲独楽 説明図1

曲独楽説明図1

 

 

 

こんなふうに まず 考えていこうと思います

 

この3つの丸は お互いに関係がありますよね

 

どんなものにも 当てはまりますしね…

 

 

 

 

 

 

しかし 曲独楽という芸の 「今の芸能と似た 芸を楽しみとして見る」 という 同じ心理で 「観客」が存在した記録が

 

(毎回取り上げますけど) 京都 四条河原での 見世物

博多から来た 少年の コマの芸 「曲独楽」 初太郎とも市太郎とも 言われていますが この芸人の登場で

私の仕事の 「曲独楽」 の 形が 初めて文字の記録として出てきます

 

おすすめ曲独楽資料三増巳也1

おすすめ曲独楽資料三増巳也1

 

たいして社会的 政治力などと関係がない出来事ですから

本当に 世の中が 地震 飢饉 大火災 一揆など 無い時期

限られた「物好き」の 筆によって この記録は 今日まで残ってきました

 

曲独楽の 歴史の記録ですが 研究者の皆さんのご努力の結果

 

近年 わかりやすい ムック本に近い小説とかも 登場しています

 

もう 数十年前などは 田村正和さんが曲独楽師の役で時代劇を

作ってテレビシリーズがあったりしたから

 

ごく 一部の方には 記憶していただいている芸の種類なのですけども

 

最近 わかりやすい GoogleのBook閲覧でも 「興津要さん」が書かれている本が 閲覧可能です

この本は 江戸の町の描写が 見やすいので 良かったらご参照あれ

以下 出版社のPHP研究所の紹介リンク

http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-57026-6

大江戸商売ばなし | 興津  要 著 | 書籍 | PHP研究所.

山の生活と 町でのにぎわいを どのようにして考えるか

それは 今の時代でも 同じなので

私にはものすごく 興味がある話題です

 

期せずして 曲独楽の歴史を調べていたら

渡来文物の伝わり方とか 子どもの遊び文化 それから 部落差別と放浪芸の関連など

本当に 広範囲のかかわりが 見逃せない物語を次々私の頭の中で作ってしまっているので困っちゃうのです

 

トボトボと (田中コミマサさんなら ポロポロと言う感じです)

コラムに書いているから ますます 蓄積してしまうので

責任あるなあと思ったりしていますが

 

しかし 私が この今生活圏である愛媛の山の中で実感している 山の生活は

その昔なら きっと「こうじゃないか」という 大きく外れない程度で 予測ができているような 自己満足ができます

 

それは 普段 木を切って 運び出して 木の皮をむいたり ツルをよじ登って取って 容器を編んで作ったりしているからだと思います

 

薪ストーブの木を 人から人へ 運ぶ時に いかに 重心を低く 自分たちの息を合わせて体のリズムで木材を手渡しして作業するのか

 

それが 手順よく また 数量多く 豊かに暮らす肝の部分です

 

だからこそ 日本の里山には 相撲や 石を持ち上げることが 神事で伝わっているのだと納得します

 

これが たくさんの燃料を調達し より良い生活を確保するための 地域の強力な経済力でもあったからです

 

実感こそ 大事だなと 思います…

ああ そろそろ 山を降りて 息子を学校から迎えに行かなくては…

今日はこれから 地域の たった5軒になってしまったけど 土地神さまの 収穫感謝の「おこもり」がありますので

この辺で…

 

 

 

2013/10/31

たびたび 曲独楽の 歴史について 調べたことや 知りたいことなどを 書いてきましたけども

ここ数年 薪ストーブ用に 自宅敷地の木を切って 皮をむき 干して 薪割りして…という工程を 日々の暮らしとして 私なりに何とか サポートくらいは

できるようになりましたから

 

曲独楽を 作る手順において

木を扱うことは間違いなく

そして 山の中の木をどうやって切って 運ぶ時にどうやるのかとか

山の中の住人が どのように 暮らしを作ってきたのかなど

そういう人の生き方と 無関係ではないであろうという 私なりの 確かな確信が そういう時間の積み重ねから 出来上がってきました

 

私が興味を持って いつでも曲独楽の事を考える理由は

芸自体の楽しさや お客様との素敵な関係だけではありません

もちろん 曲独楽の美的センスが 世界においても 自慢できる鑑賞物だとも思いますが

作ってきた腕のいい製作者の思いの蓄積も そこには強い「芯」として 通っているように思えてなりません

 

つきとめてきた曲独楽の歴史の事実と 記録してあった江戸時代の芸の描写を見てもまた

おそらく ほとんどの日本の歴史と同じように 曲独楽も 海外との貿易や人同士の交流の結晶に思えてきました

 

山の木を運んで 仲間に割った木材を投げ渡す方法から連想したのは

いかに 体力の消耗を少なく 疲労を残さない しかも 安全な運搬・投げ方は どんな方法か

実際に日常の風景の中に組み込んだ私の体験から この動きや考え方は発生したのであり

「型」を美しく表現する素晴らしい場としての 「寄席」で 手馴れた風に 曲独楽を演じる私の日常からは たぶん行き当たらなかった

 

 

そのきっかけとして 台湾の宜蘭に訪れた時の 山間部の日本家屋の印象が 忘れられなかったこと

 

そして 仕事で訪れる史跡を見ても あまりに今の暮らしと かけ離れていて

そこから何を受け継ぐのかさっぱりわからない自分の寄席芸の曲独楽が

「美しければいいのか」「納得しないまま歴史を語るのか」という でっかい壁になっていたこと

実際に 山の木を相手に日常を暮らさなかったら

本当にたどりつけないところだった

 

木を 仲間に渡す時

声を掛けて

体のバネを使ったリズムで 投げて渡すほうが 楽なので

そこには 昔の作業の民謡や 太神楽曲芸の投げバチの芸の基礎が 実にピッタリはまるのであり

洋式ジャグリングと 圧倒的に違う点は その 山の暮らしと 関係があるか ないか その差だということが

本当に身をもって今回良く分かった

 

高低差がある日本国土では 山の暮らしを工夫して生活に利用できないと

国土の大半が 動物天国となり(それも いいと思うけど 大量の食料生産をこれから考える種類の人間には不都合)

山のツル草や竹をとって ザルやカゴ 靴の類までつくってきた知恵が あればいいけれど

それを作る人間が どれくらい残れるのか疑問

 

たくさん自分を表現するための 趣味や場として 手芸や「何とか勉強会」をやっても

それが欠かせない物でない場合の空しさを考えると 恐ろしくなるのは 私の心配性であったけど

愛媛に引っ越して その心配が一切吹っ飛んだ

 

必要だから やるのであって

やれば手馴れていくのである

 

さて 曲独楽は もしかしたら私にとっての

「ニュートリノ的役割」があるのではないかということで…

東大宇宙線研究所のニュートリノ紹介が と~ってもわかりやすいので 貼っときます

http://www.icrr.u-tokyo.ac.jp/about/neutrino.html

2013/08/26

今年は朝顔を 大量に咲かせて遊んでいます

内子町 大瀬地区 朝顔

内子町 大瀬地区 朝顔

重たい歴史の暗部に ぶち当たりましたので 今回は 書き留めようと思います

曲独楽の歴史を調べていて いつも わからなくなる点があります

 

書面で 記録に残すということが 曲独楽の芸の場合

政治・経済・歴史に影響が少ないから 江戸時代の話は まず わかりません

 

一番古い記録は 江戸時代の曲独楽師として

お客さんを集めたことで話題に残っている

博多の曲独楽名人の京都四条河原での公演のことですが…

 

私が興味があったのは

 

どういう経緯で博多の曲独楽が

今に近い形を 大陸・朝鮮・じゃがたらルートから伝わったであろう コマの動きから導いたのか

 

そういう事だったんですけど

 

愛媛県の内子町に住んでみて

少しわかってきたのが

 

歴史を本当にちゃんと 見ていかないと 想像力が 働かないということです

 

このあたりには 以前ちょっととりあげましたが

山口県・周防大島からの大工技術の流入で 山のはるか上に 立派な寺社の建築が可能になり

あちこちに残っているという 「長州大工」の話が 伝わっていました

それこそ 生活している日々で 通勤通学の日常の途中にそういう史跡が あります

調べ始めたのは ほんのちょっとのきっかけでした

知人の書いた本が たまたまその関連の本だったからです

(かわせみ に置いてあった小さな古い像が その長州大工が作ったものに酷似していて驚きました)

 

私の 歴史調べにとって 一番の問題点は

東京・豊島区の実家近くにも 史跡はあるけど 見つめる機会を作ってこなかった…

(そういう自分の情けなさも ありましたが)

人の移動の歴史が 理解できていないと 一緒に動く文化が見えてこないということ

そういうことです

 

 

めげずに ちょっとずつ 調べていくと

やはり登場するのは 寺・僧・神社・儀式ということとの 関連なのでした

どうして いつも 寺社の儀式や 僧が関係していたのか その理由をしっかり確認する意味で

 

暮らしぶりについて 知っていかないと

つきとめるヒントも 想像できないという事になり

 

今まで見てこなかった 飢饉・地震・戦乱・貧困のことも しっかり 関連があると

イヤでも 見なくちゃいけないんだなと

思ったのです

 

最近の話ですが

知人が管理している歴史史跡が火事になり

世界的にも貴重な文化財が灰になったという事がありました

 

そこには 困窮した人の心の救済をするため 各国を布教した歴史の名僧の木像があったのですが

今はもう ありません

 

残念なことです

 

調べている最中に そういう事が発生すると また一層

歴史を知らなければ

私たちは

 

もしかして

日常の情報の 量と 速さに

人として 学ぶべき大切なことを

 

失って

 

人として何もかも

打ち負かされてしまうのではないでしょうか

 

ともかく

頑張らなくちゃ いけないようです

 

「日本の人は 武器を得るために海外に売られていった」

そういう歴史に 突き当たったので

 

ともかく びっくりして 今回は ここまでとします

 

内子町 大瀬地区 朝顔2

内子町 大瀬地区 朝顔2

2013/03/31

私は
コマの曲芸を仕事にしておりますから

江戸時代から続く
「曲独楽」〜コマの曲芸〜の話を

浮世絵(錦絵)を元に
見直してみるということを
ずっとしております…
息子にせがまれて
曲独楽を教えたり

仕込んだ新しい小道具を試運転する日々…

そんな中で
錦絵に描かれている曲独楽師を見ると

人が生きていく上で
何を自分の支えとして
一生の時間を作っているんだろうと

しばしば考える機会があります。

江戸も末期になる頃は
芸人も
技術的に高い人と
さほどでもない者の差が

「武士の日記」や、「奉行所の記録」「寺社開帳記録」として残っていることがあるため

今時のタレント業と同じように

「話題になるならない」

有事には

これが命をつなぐ糸になる事もあるんだ、と
思い知りました!

情報を把握する力があるか無いかも
一個人が世の中を切り抜ける時の貴重なワザなのだと

先人の生きざまに
学ぶところが大きかったです。

芸人の生き方として考えると

経済的に守られ過ぎても×

世の中と関わらない程に専業化するのもマイナスです!

だから
私はきっと
演芸好きなお客様の来る東京の寄席を離れて

愛媛県の内子町に来たんだな、と思います。

私は生き生きしております!

2013/03/21
曲独楽三増巳也21
曲独楽三増巳也ステージ風景1

江戸時代 … 昔から 新春(正月)

そして 春にかけて
各地で寺社の開帳などが
ありましたが
 
今年は私が住んでいる愛媛県でも松山にある 通称 「椿神社」が鎮座2300年祭とのことで3月17日に

記念祭が行われていました

(…愛媛の名前の由来になった四つの神様を祀っているという話ですが)

(興味がある方 詳しくは以下 観光用のURLを…)

 
 
加えて 今年は割りと 節目に当る大きな祭が続く年だそうです
 
伊勢神宮
20年ごとの 式年遷宮 第62回目の年
 
熱田神宮
創祀1900年大祭
 
結構すごいですね
 
それで 数百年近く前の事ですが
 
開帳や 行事に必ず 見世物のたぐいが演じられていた記録があるので
 
どんな様子だったかを 今でも知る事が出来るわけです
 
 
こういう資料というのは 寺社務所が保存したり 奉賛会や檀家の方
 
そして大規模な神宮クラスのところでは 早くから
 
行政の担当部署が保管に関わっているので
 
しっかり管理がされています
 
だから 私が個人的に調べていた20数年前から比べても
 
今では ネット上で 公開資料として 閲覧可能になるのが すごくスムーズです
 
 
本当に 私たちのような大衆向き文化面で 非常にありがたいのは
個人の愛好家さんの存在です
 
芸能を愛してくれているおかげで
調査が細やかです…
 
また 経済面で お仕事でも立場的に
外交関係の方が

個人的に調査されていたから 余裕があり
 
再調査し 修正するような 継続性も
 
情報の正確性を高めています
 
(この皆さん方の知識は私の たからものです…)
 
 
海外での情報も もうじきほとんど全体像として 曲独楽師の活動と
 
マジシャン それから 曲技の演者の流れ的なものも
 
年表ができる事も近いと思います
 
 
さて 曲独楽師が 曲独楽の歴史について 無頓着であってはならないと
 
三増巳也が 1990年から追いかけてきた 海外と江戸時代の曲独楽師の活動ですが
 
SNSの発達のお陰で
 
さほど 私も経済的にストレスを感じなくて済む形で 情報収集が可能になり
 
ようやく 自分の仕事として まとめる作業が出来る事になりました
 
 
ふーっと息ついて
 
 
花粉のマスクが苦しいけど
 
この辺で 今回は曲独楽の稽古に戻りたいと思います
 
愛媛県の内子町では しだれ桜が今日満開です
 
ソメイヨシノは 週末の24日ですね
 
我が家の山桜は8部咲き
 
八重はまだ固いつぼみ…
 
 
またね
 
2013/02/19

今まで 曲独楽のいろいろを 書いておりますが

今回も 江戸時代の 曲独楽の話です

 

「曲独楽」興行は

いつも書いておりますが 足芸 バランス芸 力自慢 和妻(マジック) 作り物などが

一同に集まった 興行の形式です

 

人気絵師であった 歌川国芳などが多く 浮世絵(錦絵) を 宣伝用に書いていて

その演目は 多少オーバーに描写されていても

今見れば 本当に面白いものです

 

人気というか 幕府の庇護にあずかっていた 曲独楽師といえば

松井源水という人です

 

三増巳也は 父 源氏太郎が 富山県井波の出身ですから

その松井源水の 先祖がいたという 砺波のご近所である事も

こういう遠い時間が流れて この記事を書いていても他人の気がしないわけで…

 

ええと その 源水の 先祖である 売薬を生業としていた代の松井さんは

この コトバンクに 記述が詳しいです…

http://kotobank.jp/

 

この反魂丹を 販売していたということで…

初代が 玄長さん 二代目が道三さん

どうやら 武田信玄から お墨付きをもらったという記述がありました

 

でもって 当時の 歯の病気ということと

曲独楽師が 一時期 何で 虫歯を抜いたり

松井源水さんの最後の十八代目の方が 東京歯科大学の 名誉教授だ

ようやく 点と点を結ぶ形で 納得ができるまとめが出来た…

 

歯科の先生の研究では この松井源水の曲独楽と歯の治療

 

資料が 公開されていることも 大発見です

 

おかげで

 

ナゾだと 私が思っていた 松井源水と 富山の薬売りの関係が しっかり確認できました

 

今回は 嬉しかったので その資料との出会いの感想となりました…

2013/01/31

 

kyokugomamiya1
kyokugomamiya1

毎回 曲独楽のことについて 色々気が付く事を 書かせていただいているけれど。

ここJunkStageさんのコラムに

機会をいただいている事に

本当に 感謝したいと思う。

 

…最近こんなことがあった。

先日 某テレビ局の企画担当の方から 電話があった。

 

「江戸時代の曲独楽について」詳しい話と資料を取材したい…

企画が通った暁には

遠方でも構わないので

ぜひとも東京の収録先まで来て番組の企画に参加してほしい…

このような内容だった。

こちらで このような コラムを担当させていただく私としては 本当にこういう機会は嬉しい

 

しかしながらこの話は すぐさま 予算の関係などなどで

翌月の「見世物」という企画に組み込まれる事となり

その旨 ご担当の方のていねいなメールを頂戴した。

壮大な企画につき物の事なので、予測はしていたけども、

心配だった事がある…

 

収録する主題が、他の見世物小屋の演目と一緒に取り上げられる中、

「見世物での曲独楽」ということになると

番組で紹介する曲独楽は

「現在の寄席で発展してきた曲独楽」とは異なり

私が以前から書いているように

「和妻(日本のマジックのこと)」「足芸」「水芸」「バランス芸」などが含まれる、

十数人のグループで演技する「曲独楽」ということになってしまう。

 

本当に、曲独楽の歴史の事を「実際のテレビ収録で実現する」となると、

それ相応の準備期間が必要なはず…。

 

どうなるのかな~………?

 

心配していたのだけれども、

 

数日前に後輩が曲独楽を披露して収録を終えたことが判明。

 

きちんと、ホールでの収録だったそうだ。

 

よかった。

 

これは、これからの曲独楽にたずさわる人たちにも関係があるから、

書いておこうと思う。

曲独楽は、江戸期の総合的な興行形式を表すための当時の表現としての「曲独楽」と、

現代の寄席形式の「日本の近代大衆芸能の洗練された形の曲独楽」と、

ふたつの大きな形があるという事。

 

そして、議論の的になりそうだけれど、

江戸期の曲独楽は、興行する上で、幕府の管理下に置かれている為、

その「お墨付き」を貰った「松井源水」や、観客を魅了した「筑紫・博多」からの

曲独楽のゆかりの者であるという、それを宣伝のための強力なキャッチコピーとし

て使っていたから、何でも「曲独楽」を付けて興行すると、観客に支持された…。

こういうふうに、私は思っている。

とりあえず、今までのまとめ方だと、私はこんなふうに感じる。

 

これから、曲独楽のことについて、きっと資料が集約されていくと思う。

何でかというと、遺跡や骨董品と同じような事ですが、

何かを壊して発見されたり、誰かが亡くなって見つかるものなので、

たぶんもう、錦絵でしか判定できない曲独楽の内容は、

その絵を「曲独楽の資料」であると、認識できる歴史家の先生方のお力添えと、

実際に曲独楽の特徴を知る我々、曲独楽師の「先輩からの知識」と、

あと数人となった曲独楽製作者の先生方の協力で、確認するしか無い。

 

取材される方たちにお願いしたい事。

 

本当に記録を収録する事にお付き合いしてくださる皆さんを、求めています。

 

その時々の曲独楽師を取材しても、実はいまだに

「曲独楽」の内容については、わかっていないんです。

 

情報の集約のこと、これも大問題です。

曲独楽の資料は、果たしてどこで一同に見られますか…?

 

永田町の国会図書館、国立劇場演芸資料館、千葉の歴史民俗博物館、

早稲田大学の演劇博物館、両国の江戸東京博物館、まだまだまだまだ…

 

本当に、どうしたらいいんでしょうね…!

困った困った!

 

 

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