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2008/10/17

このブログで、いくつか記事を書いているうちに、私が気になる『字幕にない英語タチ』が
『主語』にまつわるモノが多く、更に人物を特定するモノが多いことに気がついた。

それもそのはずだ。
まず英語において決して主語が抜けることはない。
日本語で『そうしたらいい』と言った時
『You should do it.』と『We should do it.』で随分意味合いが変わる。
前者は『あなたがやれば!(私はやらないよ)』ともなるし
後者は『私たちでやるべきよ!(一緒にやろうよ)』という意味にもなり得る。

英語に限って言うならば、言葉を発する前にまず主語の選択がつきまとうから
必然的に相手に対しての自分の位置を『仮』にでも確定する必要がある。

更に、人物を特定する言葉タチ。
日本に帰りたての頃は、よく『彼が』『彼女が』『彼ら』『それら』とかを入れて会話してみては、
あまりにも響きがくどくて日本語的じゃないなと思った。
月日がたつと主語や人物を限定するような言葉をはしょるようになる。
そしてある日、自分の話の進め方がおかしいことに気がついた。

例えば友人と歩いていたら、嫌いな男性が女性と連れだって前方からやってきた。
友人に言う、『あの人さー、むかつくよね。』
友人が答える、『うん分かる。嫌なやつだよねー。彼氏はすごいいい人なのにね』
あれ?私が言ったの男性の方なのに、でも実際女性の方もちょっと嫌いだったりする。
ここで『違うよ、男の方だよ』と訂正して会話に波風立てるより、
『そうそう、あの女この間さ。。。。でさ、彼氏も実はやな感じなんだよね』
なんて会話で乗り切ってしまう。こればすごく極端な会話だけれど
これに似たような『ちょっとした勘違い』と『会話の修正』が日々行われている。

英語の会話になれば、最初に『I don’t like HIM at all.』と『HIM』に限定してしまうから
『むかつくやつ』は『男の方』となる。
そんな文化だからこそ、女性が2人を指して『I don’t like HER at all.』と言えば
相手は『Which one?(どっち?)』とまずは確認する。

日々の日本語の会話を主語のない会話で進行することには全く支障はなく、
いざと言う時にきちんと意見が言えれば、と思うけれど、
習慣というものは恐ろしいもので、ここぞと言う時でも
『ちょっとした勘違い』と『会話の修正』に慣れていると、
別にここで明確にしなくてもいいかな、と思ってしまうわけで。

そしてそんな積み重ねが時として『無責任』や『無気力』となるのだと、私はそう思う。

2008/10/17 01:35 | yes/no | No Comments

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