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2015/08/31

人生初のハワイに行くことになり、勇んで観光ビザとなるESTAを申請しようとしたら
2年間の有効期限内と分かり、つい1年前にNYへ行っていたことを思い出す。

去年は約3年ぶりぐらいのアメリカで、
コーヒーショップの出来事に久々のアメリカらしさを感じたけれど、
今回はどんなことがあるのだろう、と、半ばネタ探しの気分で空港に降り立つ。

さすがホノルル、ハワイ、いたる所に日本語と日本の旅行会社のサイン。
送迎バスに乗り込む皆を横目に、とりあえず街に出る公共手段がないかと探してみる。

うっかり空港シャトルバスの情報を調べ忘れ、
着けばどうにかなる、と思っていたら、一向にインフォメーションセンターがない。

しまったなぁ、と歩く先に「バス乗り場」と日本語で書かれたブースを発見。
明らかに旅行会社での申し込み専用と思えるけれど、ダメ元で日本語で聞いてみる。

「XXホテルに行きたいのですが?」

すると、明らかに日本の方ではない男性が、はてな?という表情で
後ろにいた日本人女性を呼んでくる。
日本語の看板の前にいるけれど、日本語は話さないらしい。

予約してない、と女性に伝えると、シャトルバスを教えてもらう。
そこからなんとかバス乗り場にたどり着き、行きたいホテルを伝えると
16ドルで行けると言う。

前回の残りのドルが手元にあって、換金したての100ドル札、なんて高額ではなく
20ドル札を用意していたので、幸い、と差し出す。

すると切符売りの女性が言い放つ。

Do you have smaller bills or the credit card?
小銭かクレジットカードはあるかしら?と。

なんと、20ドルでもお釣りがないらしい。
切符は16ドル、お釣りぐらい用意していそうなのに。
20ドルで大きい、と言われればしょうがない、クレジットカードで支払う。

つくづくアメリカはカード社会なのだなぁ、と感じる。

その後、ハタっ、と困ったのが降りる時のチップ。
実はNYの地下鉄の自動販売機で切符を買うと、お釣りが全部コインで出てくるので
多量に1ドルコインを持っていたけれど、1ドル紙幣が手元にない。

バスのチケットが20ドル札で買えていれば
1ドル紙幣がお釣りでやってくる、という予定でもあった。

まぁ、お金はお金、金色の1ドルコインと銀色の1ドルコインがあって、
銀色だとクォータ=25セントに間違えられ、ありがたみがなさそうなので
金色の方を握りしめる。

結果果たして、運転手のにいちゃんに渡してみたら、特に反応もなく
なんだか中途半端な感じでホテルにチェックインする。

それよりも私の前にいた二人連れと同じグループと間違えられたらしく
明らかになんでチップを2度くれるんだ?という表情をしていた。

皆より先に現地入りしてみたが、ハワイにひとり、というのは確かにあまり見ない。

話を戻すが、日本を出発する前に、
1ドルコインってあんまりアメリカ国内には出回ってないんじゃないか、
と思っていて、その後日本のコンビニのように至るところにあるABC Storeで使ったら
Let’s see… という具合にコインの表面の’1ドル’の文字をしげしげと確認された。

そう言えば昔、50セント玉、と1ドルコインより更に大きいコインもあったなぁ、と思い出す。
確かそれはサンフランシスコの地下鉄だか、
または丘を登り下りするトロリー売り場で出てきた気がする。

場所によって同じお金の単位なのに紙幣になったり、コインになったり。
日本円で考えれば500円札と500円玉が差し代わる時期に両方ある現象。

でもこの1ドル、別に差し代わるわけではなく、用途によって併用されている。
よく考えれば不思議だなぁ、と。

08:20 | things | No Comments
2015/07/30

この間アウトレットにショッピングに行った時に、
ふと、思い出した。

大学時代に住んでいたボストン、ショッピングのハシゴをする。
まず1軒目で買い物をすると、品物はショッピングバックに入れられ
レシートがホチキスでその袋にガチャンと付けられる。

お店を出る時に、封がしてある袋と付いてるレシートを
出入り口にいるセキュリティスタッフに見せて出る。

2軒目のお店に行くと、入り口のセキュリティスタッフに
前のショッピングバックを預け、そこにある棚に置いて入店する。

大きなバックを持っている場合も預ける。

つまりはshoplift=万引き防止。

ニューヨークにはあまりなかった気がするが、
もしかしたらその時代のボストンでの原始的な方法で
今は防犯カメラとか、アラームで対応してるのかもしれない。

そんなことがあったなぁ、と、ふと思い出した。
日本にもそんな対応しているお店は、あったのかしら?

12:16 | things | No Comments
2015/05/31

最近1時間ぐらい電車に乗ると、ついうとうとしてしまい、
結局寝てしまう、という事がよくあって、
アメリカから帰りたての頃は、日本は大丈夫、と分かっていても
電車で居眠りできなかったな、という事を思い出す。

電車で居眠りしない、ということの他にも、気をつけていたコトがもうひとつ。
帰りの経路を変える、というコト。

大学3年生だったか4年生だったか、
ショッピングモールで待ち伏せされ、ひったくりに遭った事がある。

結果は何も取られず無事で済んだけれど、
どうやらモールにいた時から目をつけられていて、
ちょっと暗めの路地で待ち伏せされたよう。

犯罪に遭うのは偶然だったり、運が悪かった、と言うけれど
狙う方だって、やっぱりつけ狙い、隙をついていく方が確実。

そうなると、自分が気をつけていれば、という事だけでは避けられない。

一目見て外国人、しかもお金がありそうな日本人と分かる外見だから
後は狙われないよう気をつけるだけ、と。

そんなわけでNYで勤めていた頃は、
徒歩帰宅だったけれど、毎日別の経路で帰っていた。

今思えば過剰すぎ、とも思うけれど、結果何もなく無事だったワケで。

その意識は、電車で居眠りしない、と同じく、
まだ根強く習慣的に私の生活のサイクルの中に残っている。

11:57 | things | No Comments
2015/04/30

大学時代のルームメイトが、ラジオを目覚ましにしていて、
その習慣が今も私の生活の一部になって続いている。

毎朝聴くラジオで最近拾った曲、Against The CurrentのDreaming Alone。

日本語の字幕付きの公式PVがあって、
その曲の一節に不思議な言い回しを見つける。

The story starts where the story falls apart with you.
物語は始まったけど、あなたのところでワケが分からなくなる

英語をそのまま直訳すると、
物語は、あなた絡みで物語が崩れていくところから始まるの

と。

英文の印象は、あなたが登場し、今までが崩れるところから物語が始まる。

日本文は文字通り、物語が始まっていて、あなたが登場し、そして崩れていく

どちらも響く。

始まるその瞬間を劇的に切り取る英語。
流れの中の変化をとらえる日本語。

あなたが始まりの源になる英語。
流れの中にあなたがいる日本語。

どちらも結局は、あなたのいない物語があって、あなたが登場し、
そしてあなたがいる別の物語が生まれる。

ワケが分からなくなって物語が始まったのか
物語が始まったらワケが分からなくなったのか

対照的で面白い。

2015/03/31

立て続けに悪夢を見た。

nightmare

nightは一目瞭然、夜のコト。mareは辞書を引くと雌馬が真っ先に上がる。

夜の馬、が何故悪夢になるのか。

掘り下げてみると、mareという、
同じ綴りで霊、悪魔的な意味を持つ全く別の単語があったらしい。

どう考えても後者、夜の霊、の方がしっくりくる。

覚えている夢は鮮明で、夢によっては現実と見分けがつかない。

起きてしばらくして、あぁ、あんなことがあったけど今普通で良かった、
と思い、あれっ、あれは現実ではないぞ、と気がつく。

先日、職場で罵倒される夢を見た、と友人に語ったら、
それだけ今、大変なんだねと言われ、ぽろっと答える。

悪夢を見る時は、だいたい気持ちが緩やかになった時だから、
いいコトなんだよ

と。

ハッとする。

実際に少し前まで大変だったけれど、確かに今は緩やかである。
もし渦中に悪夢を覚えていようものならば、心が折れること間違いなしである。

ヒトは上手に悪夢を見るもんだ、と感心する。

大概悪夢は続けさまに見ることが多いけれど、
今度からは“ココロに余裕ができたゾ”と思うことにする。

そう思えば、nightmareは夜にやって来る馬ぐらいでもいいんじゃない、などと
ノタマうことになる。

11:50 | things | No Comments
2015/01/31

実は車の免許を持っていない。

旅に出た時にその現地を車でまわれたら楽しいだろうな、と最近思い立ち
普通免許を取得しようと、教習場に通い始めた。

学科に約30時間、実技に約30時間、そしてその取得料金は数十万円、に、
とにかくびっくり。

以前アメリカの免許を持っていたことがあり、割と手軽に取った。

ずいぶん昔のことなので記憶が定かではないが、
筆記は自分で勉強し、本番試験はPCで、50問ぐらいの4択。

実技は友達とかに教えてもらって、いきなり試験を受ける、でも良かったけれど、
初めての運転だったのでとりあえず教習場に通う。
確か1ヶ月ほどの間に10〜20時間ほど練習をしただけだったと思う。
しかも料金は10万円以下。

日本に戻ってきた時に日本の免許に書き換えができたけれど
すぐに車が必要だったわけでもなく、実技試験もあり一度は落とされる、と聞いて
なんとなくおざなりにしていたら、アメリカの免許が失効していた。

そんな訳で約10年ぶりにハンドルを握る。

助手席に教官が乗り練習していると、アメリカの本番試験の事を思い出す。

実技試験は普通の路上で行われるので、
教習所の教官に車に乗せられ指定の場所に行く。

道で待つ試験官が見えた途端、教官がポロリと言った。
「彼は楽勝よ、大丈夫、あなた受かるわよ」と。

こちらは緊張しているから、何を根拠にそんなことを言っているのか分からないまま
車ごと試験官に受け渡され、試験が開始する。

「直進して」「左に曲がって」
左に曲がる、そして直進。T字路に突き当たる。

何も言わない試験官に、「どうしたらいいの」と聞くけれど、回答がない。

困惑していたら、一方通行のサインを発見。
なるほど、一通だからここは左ね、と曲がる。

そして直進。

試験官が車を左に寄せて、と言う。

いよいよ縦列駐車に、3ポイントターンか!と緊張する。

路肩に止めると、何やら手にしたバインダー上の紙に記入をする試験官。
そして、「合格です」と書類をわたされる。

それで終了。

えぇぇ、高速道路も練習し、縦列駐車だってあんなに練習したのに、
ちょうど冬だったので、雪の中の運転だって苦労して走ったのに。

喜ぶよりも、なんだか損した気分の憤り。

まぁ、そんな感じで免許を取得した。

日本でも一発で試験を受け、取得することはできると聞いていたけれど
アメリカでもほぼペーパードライバーだったので、
これを機会にちゃんと勉強した方が安全、と思いせっせと教習所に通っている。

さて、日本の本番試験はどんなことになるのか、
アメリカの試験が楽々だっただけに、かなり心配。

10:21 | things | No Comments
2014/11/27

先日数年ぶりにアメリカに行った時のこと。

NYからボストンへの国内移動の為に、空港の搭乗口前の座席で待っていると、
スパニッシュ風の女性が声をかけてきた。

ヨーロッパのスペイン人、ではなく、南米系のスペイン語圏の女性風。
スペイン語は分からないから、もしかしたらポルトガル語圏だったかもしれない。

たどたどしい英語に、別の言語が混じりつつ
公衆電話でここに電話がかけられるか、と聞かれる。

番号を見ると、クォター【Quarter】2枚、25セント2個でかけられるエリア。
私もついさっき、友人に電話したばかり。

自信を持って頷く。

彼女はありがとう、と言って、
ソファーの目の前にあったPayphone、公衆電話に向かう。

読みかけの本に戻った私の耳に、がちゃりがちゃりとコインが落ちる音がする。
よくあることだけれど、コインの問題で公衆電話が受け付けず
そのままお金が受け口に戻ってきてしまう。

日本でも自動販売機でよくある風景。そんな時には別のコインを入れればいい。
ところが、他にコインがなかったのか、しばらくすると音が止む。どうやら諦めたよう。

自分の財布を見るとクォーターが2つ。
彼女に声をかけ、これで試してみたらいい、と差し出す。

Try again with these.

意味がわからない、と困惑げの彼女。
それでも同じ言葉を繰り返し、コインを差し出すと、彼女は受け取り、
このアジア人の女性は何を伝えたいのか、という雰囲気満々で、公衆電話に向かう。

チャリンチャリンとおさまるコインの音。
それからどこかの外国語で会話をはじめる彼女。

電話が終わると、やってきて

Thank you!

とすごくすごく嬉しそうに笑い、お礼を言われた。

You are very welcome!

笑い返す私、そしてまたそれぞれのソファーに座り、飛行機を待つ。

きっとコインが悪かった、なんて思いもつかなかったのだろう。
言葉でコミュニケーションができなかった分、
訝しげな表情と、お礼を言われた笑顔の差に、言葉以上に気持ちが伝わってくる。

そんなことを最近ふと思いだし、
結果日本円にして50円をあげたことになるんだなー、と気がつく。

すごく小さなことで、自分でも何気なくしたことだったけれど
迷惑じゃないか、出過ぎじゃないかとほんの一瞬も躊躇することもなく、
自然に出る親切な心、ってああいうことか、と思う。

お互いが外国人、そしてしがらみのない旅先、故の素直さだったのか
自国日本でも、素直に行動できているのかしら、と思う

01:53 | things | No Comments
2014/09/30

邦画も邦楽も見るし聴くけれど、英語が理解できる、ということもあってか、
圧倒的に、洋画や洋楽に接する割合が多く、
“映像付きの英語”に接することが、今や生活のサイクルの一部となっている。

最初は忘れないようにと気をつけて英語のモノを選んでいた。

それに加え、読み書きレベルのみで会話はほとんどないけれど、
仕事で英語を使うようになってからのこの2、3年は
ぐっとヒアリング能力が上がった気がする。

そう気がついたのは、先日数年ぶりかのアメリカ旅行に行った時。
『上がった』というより、英語力ピークだった帰国時から一旦落ちた英語力が
復活した、に近い。なので世の中的には普通レベルと思う。

やけにすらすらと頭に会話が入り、
私も躊躇なく返答できるもんだな、という具合。

それから少しした最近、やけに英語の歌の歌詞が耳に飛び込んでくるな、と思い始める。
前回コラムの“The Monster”もそのひとつ。

もちろん完璧に聞き取れることはそうそうないけれど、
断片的に聞こえ、感覚的にこんなこと言っている、
というのを、調べて確認する。

そうしているうちに耳が慣れ、他の歌詞がまた耳に飛び込んで来る。

映画やドラマに比べ、英語の歌詞を理解するのはとても難しく、
そんな時はミュージックビデオを見る。

映画館で好きな曲に出会うこともある。
映像と一緒に出会う音楽は、印象が強い。

結局は映像と英語の組み合わせにたどり着く。

趣味から世界が広がる、と言うが、正にそれ、と思う。
映画から英語へ、英語から音楽へ。

映画はもともと好きだったけれど、英語を知り、折角だから原語で、
と思わなければ、ここまでたくさん映画を見ることにはならなかったと思う。

さて、映画が趣味なのか、言語=英語が趣味なのか、
そこは断言に迷うところですが、
その内、何か楽器を演奏することになって、
英語の歌を歌うようになったりして、とか思うと、楽しげである。

08:25 | things | No Comments
2014/09/15

少し緩やかになった仕事にも繁忙期というものがある。
穏やかだったまわりが殺気立ってくる。

そんな最近、EminemとRihannaの“The Monster”が聴きたくなり
気がつくと口ずさんでいる。

I’m friends with the monster that’s under my bed
Get along with the voices inside of my head
You’re trying to save me, stop holding your breath
And you think I’m crazy, yeah, you think I’m crazy

あたしはモンスターとお友達、そいつはベッドの下にいる
頭の中に入り込んでくるそいつの言葉に、もう慣れた
あんたは私を救おうとしてるけど、無理に平静を装わないで
あたしのことをクレイジーと思ってるでしょ、ええ思っているよね

忙しいと、イライラが高まり、どこからともなく“ヤツアタリ”が繰り広げられる。
ソレは強い立場のモノから弱き立場のモノへと順番に降りてくる。

受け取る時は、理不尽で意味のない、ただ感情的な当たり散らしと思うのに
モヤモヤだけが残り、たまたま通りかかった次の獲物に、つい同じようにあたり散らす。

結果がでない、とか、思うように進まないとか、
最初の人には、そのイライラに理不尽ながらも理由はあるけれど、
その連鎖が続く先には、ただ無意味に怒る人だけが残る。

私だって例外じゃない

ただ歳を重ねたせいか、ヤツアタリされたその後に
『そのまま他のやつに当たればいいじゃん、。スッキリするよ』という声が聞こえ、
『同じことをすれば、当たってきた人と同じだ、飲み込める』という声もする。

そこで葛藤する。
頭の中でRihannaが歌う。

I’m friends with the monster that’s under my bed

そして、ぐっとこらえると、ビールが飲みたくなる。

またRihannaが歌う。

And you think I’m crazy, yeah, you think I’m crazy

Well thats nothing.
まぁ、たいしたことじゃない。

だいぶ勝手な解釈だけれど、結局全てのヒトは頭の中にモンスターがいて
ソレは誰もが持つ自己のダークサイドで、ソレを排除することは決してできず、
ソレとは長く、丁寧に対峙してくしかないもので、
他人から見ればどんなにクレージーなコトだとしても、その葛藤は意味あるもの、と。

連鎖するストレスを止めるのって大事だけれど、とても力がいるわ、と
当たり前のコトにため息をつき、
こんな歌詞を書くEminemってすごいわ、とThe Monsterを口ずさみ
Rihannaが歌うと、まぁ、そんなもんだよね、と思えてしまうから
Well thats nothing、、と気力を持ち直す。

01:37 | songs, things | 1 Comment
2014/08/29

電車の座席で、ふと横を見ると黒人の女性が座っている。

明らかに、外国人。
都内だからなのか、それとも、本当に日本に外国人が増えたのか。

10人にひとり、いや、20人にひとりぐらいはもう外国人なのかな、
いやいやそんな多くないよね、と思ってまわりに目を移すと
アジア系の女性がすぐそこに立っている。
私の周り10人以内にふたりも。

でももしかしたらふたりとも日本生まれで、
話しかけたら驚くような流暢な日本語で返答されるかもしれない。

もう一度隣の女性に目を移す。
よく見れば若い。

こんな歳に一人ぼっちで外国に、と勝手に想像し、
渡米した頃の自分の学生時代を思い出す。

果たしてあの時、ひとりぼっちで寂しく、悲しかったっけ?

いや、新しいことに喜怒哀楽もとめどもなくあったけど、
今振り返れば、良い思い出。
あの時を懸命に、そしてオモムクままに暮らしていた。

その楽しみはアメリカだったから得られたのか、と言えば、きっとそうではなく
他の皆もそれぞれの形で通る、学生から社会人になる時代。

横を見ると、高校生か大学生か、男の子ふたりが手話で楽しそうに話しをしている。
コミュニケーション言語が違うという意味ではきっと彼らも外国人。

自分が変わったのか、世の中が変わったのか
前より日本と外国の境、異国という境が細くなったように思う。

境を英語で言うとborder。
シマシマ柄のボーダー、と同じ。

モノクロの縞模様がカラフルなドット模様にと、
日常が印象派の絵画のようなdotでできた一枚の絵になってきた、と思うと楽しげだ。

09:34 | things | No Comments

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