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この発言は女子ロッカールームで、コート、ブランドもののGジャン(ラフに着るためのGジャンにこういうものがあることを初めて知った)と立て続けに盗まれた時にクラスメートが放った。
詳しくは
「医学生がそんなことするわけないじゃん!!清掃のおばさんに決まっている!『これ娘にあげよう』なんて言って持っていったんだよ。」
と言ったのである。
彼女の名誉のために言っておくが、この発言をしたクラスメートは普段人を差別したり、お高くとまっているタイプの子ではない。年配の私にも愛想良く話しかけてくる子である。愛想良すぎて所謂ため口ではあるがー。
この女の子には留年したばかりの時、ベンチで考え事をしていたときに話しかけられた。理不尽ないじめを受けたあげく留年したので、大学をやめて予備校に行って国立大学を受け直すかどうか迷っていたのであった。ちょうど、前期の授業料支払い締め切り前日であった。思わず自分の悩みをぽろっと言うと
「将来医者やる人がいじめをするなんて信じられない!そんなくだらない人のために大学やめるのもったいないよ。続けなよ。今度のクラスはいい子が多そうだからそんなことないよ!」
と言ったのである。
その発言もあと押しの一つとなり、結局大学を続けたわけである。
結果として、ともかく無事卒業することができて、今こうして医師をしているわけである。
そういう彼女が差別的な発言をしたのを悲しく思った。
さらに言えば、同級生にあまり話してもらえなかった私は医学生より、清掃のおばさんとの方が仲が良かったのである。
我が病院は都内でも有数なきれいな病院ではあるが、それは建物がモダンだというハードの面だけではなく、清掃のおじさんおばさんが誇りを持って、仕事を丁寧にしてくださるからである。彼女たちの話題は、どこにどういうゴミがあるかとか、特殊な汚れの取り方といった仕事の話、読んだ本の感想(漫画ではなく時代小説やエッセーなど)や政治の話それもやみくもに批判するのではなく政治音痴の私が理解出来ないような複雑な話をしているのである。話題は変わった人のことを面白おかしく揶揄することが多く、読む本は週刊誌か漫画本という医学生もいる中、私は彼女たちの方がそういう学生よりよほど教養があると感じている。
この記事を読んで「医学生は他の人を見下しているのではないか」という非難がくることを怖れる。医学生に限ったことではない。人は何らかの価値観を持っていて、そのこと自体は素晴らしいことなのだが、悲しいかな、そうでないと思える人に対し見下しがちなのである。
私はクリスチャンであるが、聖書研究会で、
「ここの『互いに尊敬しなさい』と言うのは、クリスチャン同士のことだよね。クリスチャンでない人は尊敬できないものね。」
と発言した人がいたのにはびっくりした。もちろんのこと、クリスチャンでない人の中にも、それこそ「神のような人格者」がいる。
私は昔お茶、お花は花嫁修業と称する暇つぶしのお稽古事だと冷ややかな目で見ていたことがある。それを払拭したのは、三浦綾子の「千利休の妻たち」を読んでからである。茶室のにじり戸には己をむなしうして謙虚になって茶をたしなむ意味があるように、一つ一つに哲学があるのだと知って、お茶も奥が深いなあと感じたのである。
知らない世界で自分の価値観にないものを軽んじがちだという習性が人間にはある。
私の祖母の時代は、職業婦人は「いいところの奥さん」より、祖母の同級生のことばを借りれば、「2段も3段も低く見られた」という。祖母も医師を志しながら、親を始めとする周囲に負けて挫折している。私も祖母と同じ運命をたどるのではないかと危惧したが、とにもかくも医師としてスタートすることができ、トラウマから抜け出すことができた。
話がそれたが、先の「清掃のおばさんに決まっている!」と言い放った彼女は、後に私が親しくしている清掃のおばさんと仲良くなり、「あっちゃん」、「まなみちゃん」(仮名)とちゃん付けで呼び合っている。
偏見、それは多くは相手を知らないことによる、と私は思う。
見下している世界、心の奥で軽蔑している人の中に思い切って飛び込んだら、違う世界が開けるかも知れませんよ。










