JunkStageをご覧の皆様、こんにちは。
いつもJunkStageをご訪問いただき、ありがとうございます。
研修医・塩浜真理の「熟女医学生の奔走」連載について、現在、こちらの連載を一時休載とさせていただいております。
連載再開は2010年4月の予定です。
御愛読くださっている皆様にはご不便をおかけいたしますが、復帰をお楽しみにお待ちくださいますよう、心よりお願い申しあげます。
(JunkStage編集部)
今の研修病院では月に2,3度ATT(advanced triage teamの略だそうだが、我が病院では文字どおりのtriage:振り分けというよりも、1,2次救急すなわち外来での救急を意味合いが大きい)当番がある。準夜勤とも呼ばれ、午後6時から11時半までの救急当番である
1,2次救急といっても、心筋梗塞や脳卒中のような3次救急(高度な専門医療を要する重症患者を対象とする救急)に近いものからインフルエンザが心配な感冒つまり風邪の患者さんまでさまざまである。たいていは後者、時には前者であるのだが、時々不思議な症状の方が来られることがある。
あるとき、
「会社を出てから、どこに行ったか分からなく迷子になったいたようでもあり、随分経ってから家にいて、またどこかへ出かけていたようだが、どこに行ったか分からない。」
という会社役員の方が奥さんに連れられてやってきた。
「いったい私はどこにいたのでしょう?」
と言う。
普通、研修医は問診をして、聴診などの身体診察をしてからそれを記録し、指導医に指示を仰ぐという手順を取るのだが、私はその話を聞いてそんな悠長な時間はないと感じたのだった。
というのは、医学生時代の家庭教師先のおばあさんが、同じように出かけたままどこに行ったか分からなくなったのだが、脳梗塞を発症していたという経験があるからだった。発見が遅れたため梗塞部位が広範囲に渡り、半身麻痺と言語障害が残ってしまったのだった。しかも脳梗塞は発症してから3時間以内であれば「血栓溶解療法」という画期的な治療があるので急ぐ必要があると判断したのだった。
私は問診表を持って行き、
「すぐにCTを撮りたいのですが・・・」
と上級医に言った。
「どうして?物忘れして迷子になるとみんなCTを撮るの?」
私はそのおばあさんの話をした。
「あっじゃあ、先生は1つの経験から診断するの?それは随分非科学的だねえ。たぶん一過性健忘だと思うよ。まあ、脳梗塞だったらおっしゃるとおり、急いだほうがいいから、CTを撮りたいならそうしなさいよ。」
ということで、CTを撮ったが異常がなかった。
その患者さんは他に麻痺や感覚障害などもなく、一過性健忘だということで、帰宅した。
一過性健忘:多くは24時間以内に回復するが、自分がどこにいるのかとか、今日は何曜日なのだろうというある部分の記憶がすぽっと抜けていて、発作がおさまってもその部分の記憶が抜けている。他に脳の障害がなく、麻痺や反射の異常などの神経学的な異常もないのが特徴だ。アルコール、薬物、精神的ショックなど誘引があるものもあるが、原因が分からないものも多く、側頭葉の一過性の血流不足が原因とも言われている。
次のATT当番の時、今度は記憶をなくしたという奥さんを連れた50代の男性が来院した。
「いつもは夕食の支度をして待っているはずの家内が私より遅く帰ってきて、どこにいたか覚えてないと言うのです。友達とダンスをやっていてその格好をしてたのですが、記憶がないと言うのです。」
奥さんは、
「義理の姉と会って食事をしたことまでは覚えているのですけど、そのあとの記憶がないのです。確かにダンスに行くときの格好をしているのですけど、私どうかしちゃったのでしょうか?」
と当惑している。私の方は、こんどは落ち着いて
「前の救急当番のときも、似たような患者さんが来ましたが、異常はありませんでしたよ。一過性健忘というものだそうです。念のために簡単にできる検査と心配ならばCTを撮りましょうか?」と言った。
簡単にできる検査とは、反射や感覚を調べるような高級な器具がなくてもできる検査で、その他に長谷川式認知症テストを行った。以下にそのテストが載っているURLを紹介しますので、ご参考に
http://www.u-raku.co.jp/03_u-raku/hasegawashiki/index.html
奥さんはそのテストのうち、お年はいくつですか?とか、ここはどこですか?のような簡単な質問や、100から7を引くような計算はできるが、今から三つの言葉を言いますので覚えてくださいという記憶を問うテストは、後は出来ても時間をおくとまったく忘れていたのだった。時計、ボールペン、お金など手持ちのものを5つ見せて、隠したあとで何があったか言うテストはお手上げだった。それどころか15分後にはテストをされたことすら忘れてしまっていた。
「私変?どうかしちゃったのかしらー?」
と言う。
さすがに心配になって上級医に相談に行った。
その日のATTにはちょうど神経内科の女医さんが来ていて
「一過性健忘だとは思うが心配なので、入院して検査しましょう。」
ということになった。
が、この患者さんも検査では異常がなく、翌日は記憶障害も治ってすぐに退院したそうである。けれども、その日の記憶は抜けたままだったそうであり、それもこの病気の特徴だ。
何でもなければ笑い話ですむ病気だが、どきっとさせられる病気ではある。3度目に一過性健忘の患者さんが来ても、やはり「もしかして脳梗塞?」と焦ってしまうかも知れない。
*注:本当に記憶をつかさどる部分の血管が詰まって発症する脳梗塞や癲癇の可能性もあるので、こういうことがあったら受診してくださいね。
再生医療という言葉を聞いたことがある人は多いでしょう。
トカゲのしっぽのように失われた手足や臓器が再生できればいいなあ、と思う人は多いでしょう。聞いたことがあってもまだ研究段階なのだろうと、自分には関係ないことと感じている人も多いとは思いますが、実はもう医療現場に入ってきているのです。
例えば、角膜。角膜が使い物にならなくなったとき、多くは角膜移植を考慮しますが、ドナーの不足や拒絶反応の問題があります。ところが、健康な方の角膜の淵や口腔粘膜を使って角膜を人工的に作って薬剤等でにごってしまった角膜と取り替えるという技術がわが国で開発されました。
また、足の血管が詰まって強い痛みで歩行が困難になる病気として足の血管の動脈硬化症やバージャー病といった病気があります。こういう患者さんに対して血管になる幹細胞を注入します。1例を御紹介しますと、移植前は親指に潰瘍ができていましたが、移植12週後には、きれいに回復しました。これらはまだ研究段階ですが、そのうち主流の治療になるでしょう。
ところで、この再生医療には幹細胞といって、すべての組織のもとになる細胞がよく使われます。多くは、骨髄細胞、臍帯血、静脈血から採取することが多いのですが、なんと脂肪細胞に多く含まれているらしいのです。しかも、骨髄や臍帯血は多くは取れないので、培養する必要があるらしいのですが、脂肪細胞にある幹細胞は密度が高く、培養の必要がないらしいのです。培養という人為的操作が入らないため、事故や副作用の可能性が少なくなるわけです。
まずは、美容整形でやるように脂肪を吸引します。そして、脂肪細胞由来の幹細胞を分離します。それを組織や血管に注入するのですが、(場合によってはシートに植えます。)目的となる細胞が増えて、再生するというわけです。
例えば、乳がん手術後の乳房再建や乳癌の部分切除の跡を目立たなくするのに使われます。これは従来も自分の脂肪や筋肉で作っていたのですが、なかなか生着しにくいという欠点がありました。ところが、脂肪細胞由来幹細胞を使うと組織に血管新生があって、元来の乳房再建のように脂肪が吸収されず保ち続けるという利点があるのです。乳癌手術後ばかりでなく、豊胸手術にも使われているようで、なるほどシリコンよりよさそうですね。
そして心筋梗塞や狭心症。冠動脈という心臓を栄養する血管が詰まって起こる病気なのだけれど、冠動脈に注入すると、血管新生が起こるだけでなく、心筋細胞のダメージも最小で防げるらしいのです。
7歳の女の子で怪我のため、頭蓋骨が取れて脳が一部むき出しで、ヘルメットを使って保護しなければならなくなった子にフィブリンシートに脂肪細胞由来幹細胞を植えて、脳を覆うとなんと3ヵ月後には欠けた頭蓋骨が再生したそうです。
子宮ガンの放射線治療の副作用で仙骨がむき出しになった90歳のおばあさんでいままで様々な治療をやっても改善しなかったのに、この脂肪細胞由来幹細胞を移植すると、組織が盛り上がって状態が改善されたようでした。
その他に、尿失禁の治療や足壊疽の起こりかかりにも応用されています。
90歳のおばあさんにも効果があったこの療法だが、やはり若い人の方が幹細胞の増殖率が高いそうです。ということで、将来は脂肪細胞バンクを作って若い頃とっておいて、年をとって病気が出てきたときに利用しようという案も出ているのですね。商魂たくましいねえ。
脂肪だったらいっぱいあるさ、
と開き直った方もいらっしゃるでしょう。
ところが皮下脂肪由来のものは上記のとおり再生医療でご活躍中ですが、いわゆる「メタボ」の方に多い内臓脂肪だと利用できないそうです。皮下脂肪は役に立つが、内臓脂肪は百害あって一利なしでした。ダイエットに励みましょう。
* この記事は昨日の講演会の内容をまとめたものです。資料が配られなかったので、記憶とメモだけで書きました。不備があったらごめんなさいね。
小学校の時、学校から帰ると否や母親と祖母が待ち構えていて、
「今日学校であったことを言いなさい。」
言われ、元来おしゃべりな私は、なるべく祖母や母を楽しませるような話を工夫したものだった。
もちろん、こういう過干渉的な行動に対して心の中で辟易し、高校生にもなると早く大学に入って一人暮らしをし、自由を楽しみたいと思うようになっていた。
が、いざ「今日のご報告」を聞いてくれる人がいなくなると落ち着かない気分になり、大して親しくない人にも自分の話を延々として、うっとうしがられるようになってしまった。
習慣からなのか、あるいは自分自身の性質なのかはわからないが、私はどうも自己表現の欲求が強いらしい。話すだけではなくものを書くのも好きで、小学校のとき一番好きな授業は「作文のお時間」だった。普段から、ネタを意識していて、興味深いこと、感動することがあると、
「そうだ!今度はこれを書こう!」と思ったものである。
大人になって久しい今もその性質は保ち続けていると言える。
何か考えさせること、新しい発見があったとき、それを分け与える相手が欲しいと感ずる。
しかも、今医師として駆け出し。毎日、いろいろなことがあり、ネタはたくさんあるのだ。
が悲しいかな、同期の研修医と倍以上年が違う私は疎外まではされていないが、日常のいろいろなことを話し合う相手がいない。そういう中で、このようにJunkStageにて書く機会が与えられていることに感謝している。
会話や文の中で受けてを意識してoutputする作業は、下手に黙々勉強するより、よほど物事の理解や記憶に役立つ。
私は、中学から大学にいたるまで、いや卒業後もずっと英語を勉強してきたのにほとんど話すことができなかった。それが、今はつぶれてしまった「バイリンガル」という英会話学校へ1ヶ月通うことになって片言だが話せるようになったのだった。その英会話学校は、「中学英語で話せる」というキャッチフレーズをとっていて、中学英語文法が反射的に口から出るように徹底的に訓練するのだった。
例えば、三人称単数の時には動詞にSをつけることは誰でも知っていることだが、いざ会話をするとぱっと出てこないものである。そこで何度も、
I run. He runs. Takeshi runs. They run.
という具合に間違えなくなるまで絵とテープを使って訓練するのである。動詞の活用から始まって、過去形、比較級、関係代名詞、仮定形など複雑なものまで20項目を段階ごとに集中的に訓練するのである。 こうした訓練の合間に、日常の出来事や思ったことを英語で雑談する。
元来おしゃべりな私は、今度はこのことを話そう、あのことを話そう、と思い、英文読解、英作文にも励みストックを増やしていった。
このことが副次的な効果を呼び、高校時代英語の成績がいまひとつで偏差値60に届かなかったのに、医学部受験に受けた模試では70近くまでいったのであった。
物事の上達の早道は、Outputを意識しながらInputをすることなのだろう。少なくても自分自身にとってはー。
ここまで表現好きな私なのに、実は9月に入って循環器に配属されるまでカンファレンスで症例報告をする機会が与えられなかったのである。
「たった一人の患者さん」 http://www.junkstage.com/mari/?p=45 で書いたように、5月から8月まで干されていて、カンファレンスで報告どころか、持ち患者さんすら一人か二人しか与えられていなかったのである。
こうなった経緯については、真っ只中の今は詳しいことは控えたいと思う。書く機会がそのときにも与えられていたら、一人前になって冷静に振り返ることができるようになったとき、改めて書くことにする。
教授回診のとき、ほかの研修医が教授に経過報告をする中、私はただもくもくとくっついていったのである。教師をしていた自分にとってこういう症例報告は元来もっとも得意な仕事のはずだった。得意なことすらやれてないー焦燥感があったが、なかなか「私にも症例報告をさせてください。」とは言えなかった。
が、期せずしてその機会が与えられた。研修担当の教授に呼び出されたのだが、
「君は、手技の面でも知識の面でも、ほかの研修医より大幅に遅れている、と心配している先生がいて、気になるから聞いてみた。」
ということだった。
「実は、何とかしたいと思いつつ、機会すら与えられていないのが実情なのです。『上の先生に見てもらって行ってください』と言うと、『それならもう自分でやる』と言う事になってしまってー。」
「それならば、今度はオーベンの人に『今回は○○ができるようになるのが目標です』と二つか三つ言って協力してもらいなさい。」
ということになったのである。
循環器のオーベンのうち、女医さんの宮沢先生(仮名)は私についての「申し送り」を聞いていたのでけわしい表情だったが、本質的に研修医に対する面倒見のいい方で、私が申し出た
「カンファレンスで発表する」ということと
「ルートキープ(点滴をするために点滴針をあらかじめ静脈に留置しておくこと)を一人でできるようにする。」ということに協力してくださった。
後者の方は、元の同級生が3回も腕を貸してくれた上、なんと循環器の教授まで私のために実験台になってくれて(神様みたいな教授である)、シュミレーションの方はやっと合格レベルになったのだが、まだ実践の機会がない。前者のほうは、怒られつつも、結局朝のカンファレンスの方は、研修医しかいないことも多く、結局のところだんだん慣れていったのである。
「患者さんの把握が足りない」と怒られることも多かったのだが、カンファレンスに出るようになってからは、あいまいなところを残さないように努めるようになったのである。
表題の「カンファレンス万歳!」というのは現在の医師としての訓練におけるカンファレンスのみを指したわけではない。いわゆる「お勉強」が得意だったのは、小学校時代の過保護とも思える祖母と母に対する「カンファレンス」のおかげで知識の整理ができ、好奇心や表現力も育てることができたおかげでもある。
人生において、あらゆることでカンファレンスは必要だと思う。聞く側は相手を理解する助けになるし、言う側は知識の整理や意欲の更新に役立つ。
私はカンファレンスをやらせてもらった人たちのおかげで成長することができた。
近い将来は、若い人たちにカンファレンスの訓練の機会を与えてあげたいと思う。
そして、研修医としてのカンファレンスに対しては反省点がある。
学生実習のとき先輩医師のカンファレンスを聞くと、ぼそぼそ声で教授にしか聞こえないように話し、しかも略語が多く何を言っているのかさっぱりわからなかったのであった。
「自分は大きな声で、学生にもわかるように話そう」とそのときは決意したのではあるが、いつのまにか無難に過ごすことだけに心がいってしまい、略語だらけで教授や先輩医師だけに伝わるような声で話していたのである。
はっと、実習に来ている学生に気づき反省した次第である。
人の話を聞く側は理解できないことや面白くないことはただの雑音である。
今度のカンファレンスこそは、学生たちにもわかるように発表するぞ!
この発言は女子ロッカールームで、コート、ブランドもののGジャン(ラフに着るためのGジャンにこういうものがあることを初めて知った)と立て続けに盗まれた時にクラスメートが放った。
詳しくは
「医学生がそんなことするわけないじゃん!!清掃のおばさんに決まっている!『これ娘にあげよう』なんて言って持っていったんだよ。」
と言ったのである。
彼女の名誉のために言っておくが、この発言をしたクラスメートは普段人を差別したり、お高くとまっているタイプの子ではない。年配の私にも愛想良く話しかけてくる子である。愛想良すぎて所謂ため口ではあるがー。
この女の子には留年したばかりの時、ベンチで考え事をしていたときに話しかけられた。理不尽ないじめを受けたあげく留年したので、大学をやめて予備校に行って国立大学を受け直すかどうか迷っていたのであった。ちょうど、前期の授業料支払い締め切り前日であった。思わず自分の悩みをぽろっと言うと
「将来医者やる人がいじめをするなんて信じられない!そんなくだらない人のために大学やめるのもったいないよ。続けなよ。今度のクラスはいい子が多そうだからそんなことないよ!」
と言ったのである。
その発言もあと押しの一つとなり、結局大学を続けたわけである。
結果として、ともかく無事卒業することができて、今こうして医師をしているわけである。
そういう彼女が差別的な発言をしたのを悲しく思った。
さらに言えば、同級生にあまり話してもらえなかった私は医学生より、清掃のおばさんとの方が仲が良かったのである。
我が病院は都内でも有数なきれいな病院ではあるが、それは建物がモダンだというハードの面だけではなく、清掃のおじさんおばさんが誇りを持って、仕事を丁寧にしてくださるからである。彼女たちの話題は、どこにどういうゴミがあるかとか、特殊な汚れの取り方といった仕事の話、読んだ本の感想(漫画ではなく時代小説やエッセーなど)や政治の話それもやみくもに批判するのではなく政治音痴の私が理解出来ないような複雑な話をしているのである。話題は変わった人のことを面白おかしく揶揄することが多く、読む本は週刊誌か漫画本という医学生もいる中、私は彼女たちの方がそういう学生よりよほど教養があると感じている。
この記事を読んで「医学生は他の人を見下しているのではないか」という非難がくることを怖れる。医学生に限ったことではない。人は何らかの価値観を持っていて、そのこと自体は素晴らしいことなのだが、悲しいかな、そうでないと思える人に対し見下しがちなのである。
私はクリスチャンであるが、聖書研究会で、
「ここの『互いに尊敬しなさい』と言うのは、クリスチャン同士のことだよね。クリスチャンでない人は尊敬できないものね。」
と発言した人がいたのにはびっくりした。もちろんのこと、クリスチャンでない人の中にも、それこそ「神のような人格者」がいる。
私は昔お茶、お花は花嫁修業と称する暇つぶしのお稽古事だと冷ややかな目で見ていたことがある。それを払拭したのは、三浦綾子の「千利休の妻たち」を読んでからである。茶室のにじり戸には己をむなしうして謙虚になって茶をたしなむ意味があるように、一つ一つに哲学があるのだと知って、お茶も奥が深いなあと感じたのである。
知らない世界で自分の価値観にないものを軽んじがちだという習性が人間にはある。
私の祖母の時代は、職業婦人は「いいところの奥さん」より、祖母の同級生のことばを借りれば、「2段も3段も低く見られた」という。祖母も医師を志しながら、親を始めとする周囲に負けて挫折している。私も祖母と同じ運命をたどるのではないかと危惧したが、とにもかくも医師としてスタートすることができ、トラウマから抜け出すことができた。
話がそれたが、先の「清掃のおばさんに決まっている!」と言い放った彼女は、後に私が親しくしている清掃のおばさんと仲良くなり、「あっちゃん」、「まなみちゃん」(仮名)とちゃん付けで呼び合っている。
偏見、それは多くは相手を知らないことによる、と私は思う。
見下している世界、心の奥で軽蔑している人の中に思い切って飛び込んだら、違う世界が開けるかも知れませんよ。
その心は、
いびきをかく→睡眠時無呼吸症候群の可能性がある→心筋梗塞になる確率が一般の人の1.2倍~6.9倍(国立循環器病センター調査)
という、「風が吹けば桶屋がもうかる」よりも関連がありそうなからくりである。
睡眠時無呼吸症候群(SUS Sleep Apnea Syndrome)は、JR山陽新幹線での運転士の居眠り運転問題で一躍有名になった病気だそうだ。
この事件は2003年2月26日に「ひかり126号」を運転中の33才の運転士が居眠り運転をし、岡山駅で新幹線が緊急停止した事件で、幸い緊急停止し、けが人はださずにすんだが、岡山駅に着くまでこの運転士は、なんと8分間も居眠りをし、列車が停まって車掌が駆けつけたときにも、まだ眠り続けていたそうだ。この新幹線は眠り続ける運転士を乗せ、最高時速約270kmで8分間、約26kmも走り続けていたらしい。体重100kgを超え高血圧気味の運転士は、検査の結果、重症のSASと診断されたという。
この病気の定義は、睡眠中に無呼吸(鼻や口の気流の停止が10秒以上あること)や低呼吸(10秒以上換気量が50%以上低下)が1時間あたり5回以上あり、その結果日中傾眠(意識が消失して睡眠と似た状態になること)などの症状を伴う病態である。要するに睡眠中の呼吸障害によって実質的な睡眠が充分とれておらず、日中にうとうとしがちになる病気だ。
今研修医として循環器を回っているが、ここに来てからこの病気がよく取り上げられるようになった。というのは表題の心筋梗塞だけではなく、色々な循環器疾患にこの睡眠時無呼吸症候群が合併しやすいという最近の研究があるからだ。
例えば、最近の勉強会の資料によれば、睡眠時無呼吸症候群の人は正常の人より以下のような病気にかかりやすいという。
高血圧症:1.42~2.89倍
狭心症、心筋梗塞:1.2~6.9倍
慢性心不全:患者の30~50%に睡眠時無呼吸症候群を合併
不整脈:1.74~4.02倍
脳卒中:約4倍
大動脈解離:患者の70%に睡眠時無呼吸症候群を合併
糖尿病:2.3倍
という具合だ。
私はこの発表を聞いた時、生意気にも
「なんだ、交絡因子ではないか!」と思った。
交絡因子とは、AとBとは本当は関係がないのだが、AにもBにも関係するCという因子によってあたかもAとBが関係あるように見えるとき、Cを交絡因子という。
例えば、大酒家は肺癌になりやすいという統計があったとしよう。本来は、お酒は肺癌の原因ではないが、お酒を飲みながら煙草を吸うことが多いわけで、大酒家は喫煙者が多い→喫煙は肺癌のリスクを高める という図式からこういう統計もなりたつわけで、この場合喫煙が交絡因子となる。
睡眠時無呼吸症候群は先の居眠り運転士もそうだったように、呼吸中枢に問題のあるケースを除いては、肥満の人がかかりやすい。そしてご存知のように肥満者は血中中性脂肪やコレステロールが高いケースが多く、当然心筋梗塞、糖尿病、大動脈解離にかかりやすいわけだ。つまり肥満が交絡因子になっているわけである。
ところがである。
私がわが意を得たりと質問しようと待ち構えていたのを見透かしたように、発表者は
「この統計ではBMIをそろえてあります」
という。BMIとは、Body Mass Indexの略で、肥満度の指標として用いられる。詳しくは「22年後に生きたダイエットダイアリー」 http://www.junkstage.com/mari/?p=48 参照のこと。
つまり、体型の影響がでないように考慮した統計ということで、交絡因子が入らないように配慮してあるのだった。
そうなると睡眠時無呼吸症候群と心血管障害は直接関係があるわけだが、医学的にも説明できるらしい。わかりやすい部分を拾うと、睡眠時の呼吸障害によって、低酸素血症、高炭酸血症、短期覚醒などが起きるわけで、そうすると交感神経が亢進したり、血管系に酸化ストレスがかかったりして、高血圧、不整脈、狭心症や心筋梗塞、脳血管障害に罹りやすくなるわけなのだ。
ふうん、肥満とは関係なしに睡眠時無呼吸症候群の人は循環器疾患に罹りやすいのか!
まてよ、我輩も夜中に叫んだりするし、教授の口頭試問の最中に居眠りしてしまうほどに居眠り名人だしー
ひょっとしたら、睡眠時無呼吸症候群かもしれない(^^;)
ってことは、心筋梗塞、心不全の下地を作っているのかもしれない。
くわばら、くわばら。
幸いなことに、この病気は軽症の人なら減量だけで改善しうるし、重症の人にも持続陽圧呼吸法という治療がある。
いびきを指摘されているあなた、私と一緒に検査に行きましょうか。
過酷な労働条件のように思われている研修医ではあるが、それは病院にもより、実のところ我が大学病院はそれほど過酷ではない。
朝は7時から7時半から仕事を開始する。入院患者さんの採血と診察、カルテ書きが主な仕事である。そこまではばたばたするが、その後は自由である。夕方、検査データがあがる頃には、またそれをカルテに書き込む。当直や救急当番がなければそれで終わりである。科にもよるが、そんなに遅くはならず、早いときで6時前、遅くても8時には帰れる。
しかも私は6月、7月は「9時ー5時科」とも呼ばれる糖尿病内分泌にいた。比較的多いバセドウ氏病は外来で治療できるし、他の内分泌疾患はまれなので、ほとんどの入院患者さんは糖尿病、それも教育入院であった。めったに急変しないし、予定プログラムどおりに推移するので、時間的なゆとりがあるわけなのだ。しかも、「たった一人の持ち患者さん」http://www.junkstage.com/mari/?p=45
で書いたように、私は干されて患者さんを一人か二人しか与えられていなかったので、暇だった。最初はなんとかしようとしてあがいたが、もともとが怠け者の私。干されたことをこれ幸いとばかり、患者さんの診察とカルテ書きが終わると当直室に引きこもり昼寝をしたのだった。
が、内分泌が終わりかけた7月の終わりごろ
「先生、内分泌終わるまでにサマリー終えてくださいね。」
と言われてしまったのである。
サマリーとは「退院サマリー」の略であり、患者さんの背景や入院にいたるまでのこと、入院後のの経過、退院後の予定を簡単に書いたものであり、大体退院後2週間以内に書かなければならない。
自分は忙しいときには同時並行で色々なことをするが、暇になると徹底的に無為な時間を過ごす傾向にある。そのため、義務すら忘れていたのである。しかも、JunkStageに掲載するような文や小説や童話を書くことには寝食を忘れる自分だが、レポートを書くのは大嫌いである。
いまだに最初の大学、北大工学部時代の実験レポートの夢にうなされているほどである。それも、次の日までに提出しないと留年だと掲示が出た夢や、すでに留年が決定したと知らされた夢である。退院サマリーはレポートに順ずるものであり、干されて精神状態が悪かったこともあいまってためてしまっていたのである。
7月の最終時点で、内分泌でためたサマリーが5つ、その前のものが2つあった。土日つぶしてサマリーを書いたが、結局内分泌を終わった時点で内分泌の分を3つ仕上げただけだった。その3つをとりあえず提出し、残りの内分泌の2つのサマリーはせめて夏休み前までにあげることにし、病院の当直ルームに泊り込みで書いた。
ところで私の夏休みは8月10日から16日、ちょうどお盆の時期にとっていた。会社でもそういうところが増えていると思うが、お医者さんがいっせいに休みをとったら困るわけで、夏休みは交替でとることにしているのだった。そしてちょうど8月9日日曜日の夕方7時半、やっとサマリーを仕上げてさあ夏休みだというところだったが、夏休み第一日目の10日、評価表(一つの科の研修が終わったときに、自己評価や指導医が評価をするもの。例えば、「積極的に研修する」という項目があり、ABCの3段階で自分と指導医が別々に評価する。)を出す、車椅子の代金を払う、クリーニングに出した白衣を取りに行く、という雑用のため夏休み組んだり勤務先まで行ってしまい、結局サマリーを直すように指導医に言われ、その日も夜7時まで大学病院にいてしまったのである。しかも、14、15は一応都内のホテルに泊まったが、そのときも残したほかの科のサマリーを書いたのである。
結局、本当に夏休みらしく過ごしたのは、12日の日に江ノ島に行ったときだけだった。そのときすら泳いだ後で寄った水族館では、人ごみで魚や海の動物をじっくり観察できなく、すぐに帰ったのであった。来年の夏休みはお盆の時期をはずすつもりである。
ところで、他の研修医はこのようなしまらない夏休みを過ごしてはいない。研修医室のパソコンを開くと、「バリの5日間」など、ツアーの検索の跡がある。年齢差もあって、他の研修医とは深い話はしていないが、それでも何人かに「夏休みはどうするの」と聞くと海外か国内の旅行に行くと答える。
「一人で?それとも友達と?」
と聞くと
「まさかー」
と言う。
「もしかして彼氏と?」
というと悪びれずに
「うん」
と言う。
そう、私が知っている限り、研修医にはみんな彼氏彼女がいる。考えてみれば、医学部は6年ある上、入学するのに1、2浪は当たり前だから、25,6にはなっているんだよね。相手がいるほうが自然ってことだろうか。
何はともあれ、他の研修医は普段の日は仕事に集中し、夏休みはびっしり遊んだ模様である。
折りしも夏休み明け1週間後、私用で3日間の年次暇を取ったが、その間は仕事を一切持ち込まず、目の前のことに集中した。日ごろの重苦しさを忘れ、すっきりするものを感じた。
もう、仕事中だらだらしたり、逆に休暇中に仕事を持ち込むのは今回で最後にしたい。
他の研修医を見習ってON OFFのけじめをつけたいと思った次第である。
「おや、久しぶり」
と車椅子に乗った精悍な感じのおじさんに声をかけられた。
私も車椅子に乗っていたのだが、始めは誰だか分からなかった。
車椅子を押すご婦人を見て、
「あっ、富岡さん!(仮名)」
と声をかけた。
それもそのはず、私の知る富岡さんは全身真っ黄色。髪は伸び放題の不気味なおじさんだったのである。(失礼!)
が、目の前にいるおじさんは、顔立ちのはっきりした往年のダンディーを思わせる普通のおじさんなのである。
「見違えました。顔色よくなりましたね。」
「ええ、おかげさまで。今日で退院なんです。」
「それはおめでとうございます。私も今日で第3内科(今働いている病院での名称。消化器、糖尿病、内分泌、代謝を扱っている。)が終わるんです。お互いに区切りですね。」
「そうですかー。本当に偶然ですね。お世話になりました。」
よくぞ、ここまでー。と感慨だった。
本人も、家族も、そして担当医や医療スタッフの方々でさえ、
「もう、ダメなのではー」
と何度も思ったものである。
回診に来た教授も、
「お子さんに、『おとうさん、見納めかもしれないよ』と言いそうになったくらいだよ」
と富岡さんに言っておられたほどである。
富岡さんは、今年の3月31日、劇症肝炎で入院して来られた。
最初は軽い風邪だと思っていたのだが、吐いたり意識混濁があって、当院の救急にかけつけたのだった。
NH4194(血中アンモニア普通は20~70)、AST5805(GOTともいう。正常値は13から33)、ALT11445(GPTともいう。正常値は、6から30)と肝酵素も異状に高くなり、劇症肝炎の診断となったのだった。劇症肝炎は型にもよるが、約半分の患者さんが亡くなる恐ろしい病気である。少し前、我が母校の研修医も針刺し(患者さんに使った点滴や採血針を自分の手に刺してしますこと。エイズやB、C肝炎など怖い病気が移る。)事故から、劇症肝炎になって亡くなったそうである。
劇症肝炎とは普通の肝炎が重症化したものであり、肝細胞の破壊が著しい。肝細胞が破壊されるのだから、肝細胞に含まれる酵素が上昇するのは当然なこととして、アンモニアが上昇するのはどうしてだろう。
肝臓は、いろいろな働きをしているのだが、タンパク質分解物のアミノ酸から生じた猛毒のアンモニアを安全な尿素に分解する働きがあるので、このようにアンモニアの値が上昇するのである。アンモニアは容易に脳に行くので、精神的におかしくなったり、意識混濁を起こしたり、もっと重症化すると昏睡状態になるのだ。これを肝性脳症という。(このように余分なタンパク質は分解されて一旦アンモニアになるので、タンパク質の取りすぎは健康な人にもよくないのである。栄養過剰の現代人の陥りやすい罠であろう。)
富岡さんも入院当初は会話が成り立たないほどに、意識混濁していた。が、血漿交換(肝臓ではタンパク質合成が行われているのだが、劇症肝炎では当然その働きが著しく減少するので、血漿中のタンパク質も不足する。よって血漿交換によって必要な血漿蛋白を補充することが出来る)、ステロイドパルス(肝炎はウィルス等に感染した細胞に対する免疫反応が原因で起こる。劇症化は免疫反応の過剰な応答によっておこるので、ステロイドによって免疫反応を抑え、肝細胞の破壊を抑制する)等の治療が効果的に働き、4月6日には普通の会話が出来るまでに回復した。
私がオリエンテーションを終え、消化器内科に移った4月13日の頃にもちろん会話がなりたつ状態ではあったが、顔色はまっ黄色で高熱を出していた。肝臓病の人はよく黄疸になって顔や目の白目がまっ黄色になるが、あれはビリルビンといって赤血球の残骸の色なのである。ビリルビンは普通は肝臓で処理されて胆汁内に排泄され、胆汁は腸内細菌によってウロビリノーゲンなどになり、うんこの中に排泄され、一部は再吸収されて尿の中に出て行くのだ。が肝臓が故障するとビリルビンがうまく排泄されず血液中に漂うのだ。汚い話だが、顔色がうんことおしっこの中間色になる。
富岡さんは、肝性脳症はよくなったものの、黄疸はなかなかとれず、治療のための管からも感染を起こし、しばしば出血したり、発熱したり、腎不全状態になったりと予断を許さない状態が続いた。一時は治っても永久透析が必要かも知れないと危ぶまれていたのだった。
富岡さんの容態が悪くなるたびに、奥さんとお姉さんが駆けつけ、時には泊り込みで付き添っていた。奥さんは看病がてら、愛おしそうに富岡さんの頭をなでていた。お姉さんは、肝臓病の薬の研究をなさっている方で、治療内容に口をはさむこともままあったが、病態が重いときには肝移植のドナーになることを申しでたのである。劇症肝炎になりたいとは決して思わないが、家族愛に恵まれている富岡さんをある意味うらやましく思ったものである。
そうこうしているうちに私の方はチームが変わり、富岡さんを直接診ることはなくなったが、個室に移ったというニュースを聞き、
「結局治らないのかなあ」と危ぶんでいた矢先だった。
このように、今にも死にそうな人が元気になって退院するケースもあるし、逆にすぐに退院しそうに見えていた人が集中治療室に行ったりするケースもある。また回復の見込みのない患者さんで、小康を保っていたところ急変して亡くなるケースもある。後者のケースについてはまた今度書くことにしよう。
そういう中にあって、富岡さんが致命率の高い病から生還できたのは好条件が重なったと言える。まずは我が大学病院の診断・治療レベルが高いこと。家族の献身的な支えがあったこと。そして富岡さん自身の生命力があったのだろう。
富岡さんが私の持ち患者さんだった頃は予断を許さない状態だったので、毎日のように採血のオーダーが出ていた。私が駆血帯(採血のときに使うゴムの管)を縛ると、「もっと強く、もっと強く」とおっしゃったものだった。何故なら縛りが甘いと血管が十分浮き出ないからであった。へたくそな採血の相手をしてくれてすみませんです。もっとも、重篤な病態の富岡さんをこれ以上苦しませたくない気持ちが強く働き、一回で決めることが多かった。
何はともあれ、富岡さん退院おめでとうございます。
そして3ヶ月あまりもの闘病生活お疲れ様でした。
若い頃、ダイエットの風潮に反発していた。
父親が太め好みであることに便乗して、
「女性は少しくらいぽっちゃりしていた方が魅力的なのよ」
と開き直っていた。
しかし、20代も後半になるとぽっちゃりを超え、29才時にはいつのまにか身長156cm、体重68kg、、BMI27.9の立派な肥満になっていた。
このBMIとは聞いたことがある人も多いと思うが、Body Mass Indexの略で、身長と体重から求める国際的な体格の判定方法(計算方法)なのである。
BMI=体重(kg)÷身長(m)の二乗、もっと簡単にBMI=体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)で求められる。
統計に寄れば、BMI22の人が一番死亡率が低いので理想体重と呼ばれ、25以上は肥満、18以下は痩せすぎとみなされる。
当時同棲していた現在の夫は、
「太りすぎると関節を痛めるよ、減量したらー」
と言ったが、聞き流していた。
ところが、実に数ヶ月後、夫の言う通りになっていたのである。
ある日急に左足股関節が痛くなった。感覚的には脱臼したような感じであり、駅からタクシー乗り場までですら歩けなくなったのである。
「もしかしたら○○のしすぎで(JunkStageの品位を落としてごめんなさい)、脱臼したのかもー」
とすら思った。
私は医者志望の癖に医者嫌いであったが、さすがに仕方なく整形外科に行った。
何人もの医者が集まり
「これは将来人工関節だねえ」
と冷たい口調で言った。
「どうすればいいのですか?」
と言うと、さも面倒そうに
「まずは減量、後は筋肉を付ける!」
「どのように?」
と言うと、再び面倒そうに、横転して足を太ももよりまっすぐ伸ばし、上げ下げする運動を紹介した。
「とりあえず、炎症止めを出しておくから、後は進行しているかどうか年に1、2度チェックね。」
とぶっきらぼうに言う。
模擬診療面接にて、最悪例に出されそうな物言いであった。
この件があって、ますます医者嫌いになったのは言うまでもなかった。
私は先天性股関節脱臼の影響で、股関節変症という関節が変形して軟骨がすり減る病気にかかっていたのだった。
人工関節も嫌だったが、まず歩けないにのは困った。
それ以前に夫が私にダイエットを勧めて、女子栄養大学出版のカロリー表を買ってあったのだった。
せっぱ詰まった私は、マイクロダイエットやリンゴダイエットのような安易な方法に頼らずに、地道にカロリー計算して痩せることにした。
が、いちいち計量してカロリー計算するのは不精者の私には向かない。
夫が買ってきたカロリーブックは、日常の食品材料や、できあがり品の写真が載っていて、カロリーと共に、80Kcal(約卵1個分)を一点とした点数も乗っていた。軽労働で男性25点内、女性20点以内に抑えるダイエットを推奨していて、女性で言えば、第一群(乳製品・卵)3点、第2群肉・魚製品3点、第3群野菜・芋・果物3点、第4群穀物を11点取ることを推奨していた。
詳しくは下記URLを参照のこと。
http://www.n-dricom.co.jp/dnk/04_zadan/zadan19/04_12_zadan.html
私は、そこまできちんとは献立を考えたわけではないが、適度なバランスを考えた上で、目分量で点数計算をし、1日20点以内(1600Kcal以内)に抑えることにした。
ときどきは、餃子3人前とか、チョコレートを何粒も食べたりしたが、ほとんどの日で20点以内に抑えていた。カロリーブックを見ることによって、意外なものが高カロリーだと知った。
例えばカレールー、ほんのひとかけらで一点なのである。(よって、材料を炒めず、野菜だけのカレーにしてさえ、相当のカロリーになる。ましてや普通の作り方をしたカレーはダイエット中は禁忌である。)せんべいも高カロリー、ちょっと2,3枚ぱくぱく食べたら朝食1食分になってしまう。
そういう高カロリー食をできるだけ避け、自炊を続けることによって面白いように体重が落ち、何と3ヶ月で、68kg→58Kg、何と10kgも減量できたのである。
減量の甲斐あって、15分くらいの連続歩行が可能になった。体が軽くなったなあ、というのが実感で、それまで履いていたジーンズがぶかぶかになり、買い直さなければならなっかった。
ところで、私は6月の第2週から今日まで糖尿病・内分泌・代謝内科で研修医生活をしていた。糖尿病は、インスリンという血糖を細胞に取り込むために必要なホルモンが働きにくくなって、血糖が高くなる病気だ。このインスリン、膵臓のβ細胞から分泌されるのだが、抗体などによってインスリン分泌そのものが少なくなる1型糖尿病とインスリンは分泌されるのだが、インスリンが働きにくくなって血糖が高くなる2型糖尿病がある。
2型糖尿病の原因の多くは過食による肥満であり、それに体質的要素が加わって(だから1型糖尿病ではなく、2型糖尿病の方に遺伝性が強い)発症する。贅沢病とも言われ、いわば自業自得の病気でもある。
ところが、この2型糖尿病の方は、危機に至っても(糖尿病は進行すると腎障害や網膜症、足の壊疽など恐ろしい合併症を起こす)、自分の生活習慣を改めようとせず過食を続けたり、キャベツダイエット、バナナダイエットなど短絡的なダイエットに走りがちな人が多い。(だから病気になったとも言える)
私の持ち患者さんの一人は、ついに
「先生、脂肪吸引術を受けるのはどうかしら」
と言い出した。
「えっ、そんなー。脂肪塞栓(脂肪が血管に入り、血管が詰まる病気)になって亡くなった方もいるのですよ。それに、うまくいっても皮下脂肪は減るかもしれないけれど、脂肪肝は改善されないので(脂肪肝がインスリンが効きにくくなる原因の一つになる。)、糖尿病はよくなりませんよ。やはり、こつこつバランスのよい食事で減量するのが一番の近道ですよ。」
と説明した。
私は、股関節変形症のために減量した記録を日記に書いていたことを思い出した。
そしてこの患者さんのために、その部分をコピーしたのであった。その日記には、食べたものと点数、そして換算カロリーを簡単に書いていたのだった。自分一人では続かないので、夫に見てもらい、印鑑を押してもらったのだった。
ところで、その日記にはダイエット記録だけではなく、もちろん普通の日記分も書いてあったので、その部分は切り取って渡したのだが、1987.1.8の日記を見てはっとした。
日記の一部をここに写す。
「僕とずっといてくれますか」
「うん」
何か気持ちがすっとするものを感じた。
こんな日があったのだ。
引き締まる思いだった。
オリエンテーション会場を見渡す。
リクルートスーツがまぶしい若者たちでいっぱいだった。
が、佐藤正子さん(仮名)の姿は見あたらなかった。
「そうかあ、今年もだめだったのかー。」
私はため息をついた。
佐藤正子さんとは、母校の老人会(仮称)で知り合った。老人会とは嫌な名だが、年齢的には現役入学組より3つ以上年上の医学生に入会資格があった。多浪生もいたが、多くは一度大学に入学し、卒業あるいは中退してから医学部に入学したいわゆる再受験生と呼ばれる人たちがほとんどだった。
正子さんは私と同い年で、薬剤師職として公務員を16年務めてから編入で医学部に入学してきたのだった。編入は医学部の教養課程の単位を満たした上に、正規合格していないと認められない。入学者のほとんどが補欠合格であるという実態からすると(正規合格者は、国立大学や私大でも偏差値の高い大学に流れてしまうのだった)、正子さんは優秀だったといえる。が、その後は、3年生時に留年になり、卒業試験でも再試になり、やっと卒業したのであった。正子さんが本質的に怠け者だったり、低学力であったというよりも、他の人とほとんど話をしていないことから情報不足になっての結果であるように思えた。正子さんはその年の国家試験にも落ちた。正子さんと同い年の私としては、次の年には合格して欲しいと思ったが、だめだった。そのうち個人情報保護の点から、合格者の公表がされなくなったが、彼女が合格したという話は聞かなかった。
「もう医者になるのを諦めたのだろうかー」
とも思ったが、去年の母校の研修医採用試験の会場で彼女の姿を見かけたのであった。
彼女は私より2年先に卒業した。私も国試浪人したので、彼女は4浪目であった。
寡黙で消極的な彼女が母校以外の病院に就職活動するとは考えられなかった。
「もしかしたら正子さんと一緒に研修医になるかもしれない」
研修先が母校の大学病院に決まったときに、そうつぶやいた。
それは予測というより願いだった。
同い年といえ、控えめすぎるといわれていた正子さんと、何にでも首を突っ込む私とは正反対の性格で、同期になってもあまり仲良くなれるとは思えなかったが、これ以上正子さんに浪人して欲しくなかった気持ちがあったのだった。
再受験生といっても、大学を卒業してから3,4年内に入学したヤング・アダルトの層(大学院を出たり、2,3年勤めてから医学部に入学したり、卒業後ストレートで受験勉強を経て入学したりしていた)には問題がなかった。彼らは、ちょっとお兄さんお姉さんといった感じで、若さが十分残っていたし、その上に人生経験がプラスされていて、まさに油が乗り切っていた。彼らの多くは成績もよく、クラスで中心的な存在になっていた。
問題は、外見的にも年上であることがはっきりわかるようなおじさん、おばさん医学部生である。お兄さん、お姉さん医学生とおじさん、おばさん医学生の境界ははっきりつけることはできないが、大体40歳前後であろうか。外見的に若い学生と違って見えることは、若い学生に違和感を感じさせ交友関係に支障になる上、大学を出てから年月が経っているので学力的なアドバンテージが効きにくいのだ。(それでも自分の場合、統計学、物理学、英語ではアドバンテージを感じた。)
母校は入試の点数のみで入学を許可され、年齢・性別で差別しないこともあって、おじさん・おばさん医学生が何人か存在する。そのうち校内で同時期を過ごした人を数えてみたら10人だった。(低学年のうちに、40代に突入した人を数えた)
10人中、学年1位の成績をとり続けて若い人との人間関係もよかった人が二人。
そのうちの一人平田さん(仮名)はお子さんが統合失調症で苦労したが、お子さんを含め同じ病を持つ人を救いたい一心で一流商社を早期退職して50歳を過ぎてから入学した。その学年に年齢・性別にこだわらないで付き合う雰囲気があったこと、平田さんが優秀だったこともあって、若い学生に囲まれながら勉強している姿をよくお見かけした。よい成績をとりながらも、きばったところがなく、少林寺拳法部に入部したり、アルバイトをしたりと若い人と同様の学生生活を送っていた。今年6年生、おそらく国家試験は余裕で合格するであろう。
もう一人の人川口さんは残念ながら動機を聞けるほど親しくなかったのだが、理系を卒業後商社勤務、タクシードライバーを経て入学した変り種である。インドネシア人の奥さんがいらして、お子さんが二人いらして、ときどき大学に連れてきていた。英語が得意でESSにて活動していた。今年私と同じく研修医一年目である。
人間関係あるいは勉強面で苦労しつつもストレートで卒業し、国家試験にも一度で通った人が4人。
アメリカの大学を卒業後、ドイツのハイデルベルグ大学の大学院で言語学を専攻し、ご自分で翻訳会社を経営した後入学してきたスーパーウーマンの北川さん(仮名)。若い学生が講義中私語をするとどやしつけるほどのスーパーウーマンだったが、若い学生との人間関係い疲れ抗鬱剤を飲みながらの学生生活だったという。そういう状況にあっても孤軍奮闘し、なんと50歳近くなのに救急医療を選択し、アメリカにも1年留学したそうである。今某大学病院で活躍中である。
55歳で編入学してきた田口さん(仮名)。女子学生が少なかった当時に東大の薬学部を卒業した才媛である。卒業後23歳で結婚し、ずっと主婦をやっていたが、下のお子さんが大学生になったのを機に入学した。彼女は成績のほうは問題なかったのだが、若い人の受け入れ態勢が悪く、実習の時に入れてもらえず、話しかけてもけんか腰の応対をされたりしたようである。(彼女の名誉のために言っておくが、田口さんは、話してみると上品な人であり、性格的に偏った人ではない)
「おばさんが前の席に座って姿をさらすものではない」という失礼なことも言われたそうである。そんな中でストレートで卒業し、国試にも一回で通ったのはさすがだったが、研修医時代も一人ぼっちで疲れた表情をしていたのが哀れに感じた。しかも、今大腿骨頚部骨折(自然治癒が難しく、多くは人工関節にせざるをえない)で休職中だとか。あまりにもかわいそうである。
奥さんの両親の介護の経験から老人医療をやりたいとの意気込みをもって商社を退職して50歳で入学してきた山村さん(仮名)。根性、がんばるが口癖でへきへきする面もあったが、奥さんの両親の介護をしたことでもわかるように根は優しい。2年生と4年生のとき、再試科目が4科目になったが、それこそ根性でクリアーし(普通は再試疲れで留年になるケースが多い)、ストレートで国家試験も合格した。めったに愚痴を言わない人だったが、研修医時代、阻害され続けた学生時代のことを時々こぼしていた。それでも現在リハビリを専攻し、夢を着々と実現している。
カウンセラーをしてたという福本さん。成績のほうは今一つだったが、こつこつ努力し、仲間にも恵まれ、ストレートで卒業し、国家試験もストレート合格することができた。前職の影響もあってか、精神科希望であり、今某大学病院の研修医2年目である。
そして、私や先の正子さんのように留年や国試浪人をしてしまった人が計4人。私と正子さんのほかは二人もいるのだ。
一人は高柳さん(仮名)。某一流大学の法学部を卒業し、一流銀行で部長職までしたエリートだったが、入学後は勉学の方で苦労していた。が、前職で営業に近い仕事をしていたためか、若い人との人間関係は良好だった。苦労しているのを見かねて何人もの人が徹夜で試験勉強や実験レポートにつきあってあげていた。教えることはあっても、教えてもらうことが極端に少ない自分はある意味うらやましく感じたものだった。3回留年し、今国試浪人中である。自分も人のことは言えないが、成績の方は落ちた科目以外まずまずだったので、高柳さんのことを「どうしてできないの?」と失礼なことを思ったものだが、文型出身の上、入学したのが53歳だったので医学部の勉強がやはりきつかったのであろう。
それでも高柳さん、正子さんのほうは卒業できたので、医師になる見込みがあるわけだが、もう一人渡辺さんは5年生で2回落第し、放校になってしまった。彼は国立大学の工学部出身である。
彼はいい年して女子学生を追いかける等(奥さんもお子さんもいらっしゃった)、問題行動もあったのだが、何とかついて行こうと必死だったことを思うとかわいそうにも思う。私は何度か彼と勉強をしたことがあったのだが、すみずみまでつぶしていたので雑になりがちな私にとって参考になったが、こういう結果になってしまったのは結果を気にしすぎてのびのびと本質を見通すことに欠いていた印象を受けている。
以上、おじさん、おばさん医学生の入学後の経緯を書いてみたが、優等生の二人を除いて苦労しているといえるだろう。ある若い学生がこう言った。
「おじさん、おばさんが医学部でやっていくには2倍の知力、10倍のタフさが必要だ」
実際にそう思う。私自身、大学時代の知識はやはり残っているし、教師をやっていたアドバンテージがあり、しかも20個も病院見学をするタフさがあって、やっと医師免許にたどりついたわけである。
さらに上記の発言に付け加えるならば、若い人に好かれようと一生懸命になりすぎても、引きこもりすぎてもNG、淡々としている人のほうがうまくいきやすいといえるだろう。また理系出身が有利、親族に医師がいる人は有利(平田さん、田口さんはお子さんが医師、山村さんはお姉さん、お兄さんが医師である)であるような印象を受けている。
何はともあれ、おじさん・おばさん医学生、自分も含め本当にご苦労さま。
そして正子さん、来年こそは医師免許を手にしてくださいね。










