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2014/07/31

私の母は、介護も終えた3年ほど前、62歳で保育士として「再就職」しました。40年のブランクがありましたので、そのときはアシスタント的な保育士でしたが、ここ3年ほどの間にみるみるキャリアアップし、今ではなんと、グアムのとある保育園の園長・・・!

そんな話があっていいのでしょうか。そう私も思うのですが、実際にあったお話ですので、みなさんにご紹介します。

私の母は、昭和の典型的な女性ともいえ、ずっと主婦として、サラリーマンの父を支えつつ3児を育てました。長女である私が生まれる前までは、幼稚園の先生をやっていたそうです。やはり教育関係が好きなのでしょうか、私が小学生の頃には、家計を支えるために、進研ゼミの「赤ペン先生」を内職的にやっていました。

私の祖父母の介護を終え、見送った3年前、「ゴルフ代を稼ぐため」と、新聞広告に載っていた保育士職に応募。40年のブランクがあったにも関わらず、その人柄が認められたのか、ある大学病院専属の保育園に務め始めることになりました。

通勤1時間。朝早く起きて頑張っていました。これまで家族のためにのみ生き、家族にのみ頼ってきた人が、社会で仕事する、その変化に慣れるのは大変なものだったと思います。

その保育園に勤務して1年半経った頃でしょうか、私がたまたま友達のフェースブックで、「新しく近所にオープンする保育園が、保育士を探している」との情報を発見。軽い気持ちで母に教えました。

長い通勤時間に疲れていた母は、徒歩5分は魅力的と思ったようで、「きっともう64の私は採用はされないだろうけど・・・」と言いながら、いちおう面接に行きました。その面接者の方が私の人脈上の人物だったということもあるかもしれませんが、母をとても気にいったため、なんと母は創設メンバーのひとりになってしまいました。

その保育園は、日本人向けインターナショナル保育園。日本人の富裕層や、国際カップルが顧客です。たまたま私の旦那さんがオランダ人だったことや、息子がハーフであることから、先方の目には母がそうとう外国慣れしている人物に映ったのでしょう。

しかし実のところ、母は、英語をあまりしゃべれるわけではありませんでした。けれども、学生時代は英文科を目指したほど英語が好きだったとか。かくして実家では朝も夜も、英会話のCDがBGMとして流れるようになりました。

近所の保育園に務めて半年経った頃でしょうか、こんどは「グアムに同じようなインターナショナル保育園を創設したいが、園長になってくれないか」と頼まれたのです。

これには母も迷いました。英語に自信がないのと、園長としての責任を果たせるかといった問題。しかも、外国です。海外での生活経験もあり、じぶんひとりで仕事もして文字通り「戦っている」私は、大反対しました。その大変さ、辛さを、身をもって知っているからです。

しかし母は悩んだ末、「娘があれだけ海外で活躍してるんだから、私にだってできるはず」と考え、受けることにしたのです・・・なんというずうずうしさ(笑)

園長として開園準備のためにグアムに出張するキャリア・ウーマンとしての母を見るのは、家族にもちょっとした驚きでした。たったの3年で、こんなに変わってしまうとは・・・。今年の2月から赴任し、めでたく開園までこぎつけ、5月にちょうど契約が切れたので、現在は日本の保育園で待機しています。

母は私と違って英語も達者というわけではないし、職務経験も数年ほど。パソコンさえできません。それでも、海外赴任、しかも園長の話が来るというのは、やはり母の人柄からでしょうか。

母はとにかく周りを立てる人です。溌剌としていて、若く見えるのも手伝って、とにかく人に好かれます。健気なので、能力の足りない部分は努力して補おうとします。甘え方もずるいくらいカワイイです。そんな人には、いくらでもチャンスが向こうからやってくるんですね。信頼とチャンスを得るには、力ではないのです。人柄です。

しかしわたしたち家族から見た母は、また違う人間です。いつも、わけもなく八つ当たりされていたので、特に長女である私は母と戦いながら育ちました。外ではとても「いい人」を演じるあまり、そのひずみが家族に降り掛かってきます。理由はなんでもいいのです。イライラがバケツ一杯になったら、それが溢れ出し、父と私に流れ出すことの繰り返し・・・ ^^; 

この問題は成人しても変わりませんでした。オランダから帰国し、実家に身を寄せている間にも、なんどバトルがあったか・・・

しかし。それが最近、変わったのです。考えてみれば、ここずっと、実家が平和なのです。疲れからイライラすることはあっても、それを周囲に振りかざす率が減ったのです。母もじぶんのことに忙しくなり、じぶんに自信を持ち始めたからかもしれません。私もアパートを借りる時の保証人を母に頼むことになり、「こんな日が来るとは思わなかったね」、と母を讃えました。

そしてそんな母を私のできることで助けてあげると、とても喜びます。そもそもインターナショナル保育園の伝手も私の人脈なので、フェースブックもこまめにチェックしててほんとうに良かった〜と思いますね!(笑)

思うに、母は、自分のできないことを実現している娘に対してヤキモチを焼いていただけかもしれません。だから、母もそれができたときに、問題が無くなった。女性の人権など無いに等しい昭和に生きた人ですから、やり場のない気持ちがあったのかもしれません。

私は理不尽に個人的な感情をぶつけてくる人を、なるべく避けるタチです。なので、仕事上でも、極力理性的な人たちを選びますが、世の中そういう人たちばかりでもない。そういう相手と、どうつき合っていけばよいのか・・・

家族の関係性も、人の関係性も、変わる。必ず。そう信じたいですね。では、変わるには、何が必要か。どうしたらいいか。・・・それが私の次の課題です。


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