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2014/06/14

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昨晩の、ワールドカップ・オランダースペイン戦。偶然にも、オランダで観ることになりました。オランダにとってスペインは、4年前の決勝の対戦相手で、延長戦の末、PKで屈辱的な負け方をした記憶が蘇ります。

そんな運命の悪戯かのような初戦の組み合わせ。そのためか、ワールドカップが始まるもうだいぶ前から、オランダは盛り上がっていました。オランダは、スペインにさえ勝てば、あとは負けてもいいんではないかと思われるほど・・・。街の至るところにオレンジの旗が渡されており、街はオレンジ、オレンジ、オレンジ。

とくにサッカーに興味ない私でも、昨晩はさすがに、テレビ観戦しました。ポップコーン作って、ビール、ワイン、チーズをテーブルに盛って(笑)試合中、道を見てみると、誰ひとりとして歩いていません・・・。

日本のメディアではあまり取り上げられてないかも知れませんが、オランダがスペインに追いついた1点目がすごかった! しかも前半終了直前の44分。これで完全にオランダの流れになりました。
https://www.youtube.com/watch?v=EHpOEIBgS44
↑こんなこと、人間ができるってすごいと思いません??? あんなに長いパスをですよ。走って追いかけてジャンプして頭でポーンとゴールへ・・・なんて。

オランダはその後も華麗に次々と得点を挙げていきました。これでもか、これでもか、というくらい。「これが、恨みというものか・・・」と恐ろしくなりましたね。6点目をあげようとがんばるオランダ、スペインのゴールキーパーに容赦なく打ち込むので、思わず私は「もういいよ〜!!! この人かわいそう!」と悲鳴を上げてしまったほど。。。

やはり華麗なドリブルとシュートで2得点をあげた天才ロッベンは、前大会の決勝でチャンスをものにすることができなかった悔しさをこう述べています。

「あと5cmシュートが高かったら・・・でも、サッカーの尊さは、時間を巻き戻せないことだ。夜、目覚めて叫んだとしても、消えることではない。」

そして昨晩の試合終了後のインタビューでは嬉しそうにこう語ってました。

「勝因は、後半、我々は機敏で体力が残っていたことだ。単にそれだけのことだよ。」

つまり技量は互角だとしても、努力が違ったということ・・・それだけオランダ勢は悔しさをバネにしたということ・・・4年前に世界一になっていたら、ロッベンも引退していたらしい。

時間は、巻き戻せない。一瞬で判断し、反応しなければいけない。

そして、失敗の悔しさは、ものすごいパワーを生む。ポジティブなパワーに変換することができれば。

だから、4年前の恨みがあってこその、今回のファインプレー。

生きる事に共通する哲学。それをサッカーという形でわかりやすく見せてくれました。とても感動した。ありがとう。

2014/02/02


この前も友人に言われたのですが、わたしはわりと常に前向きでハッピーな人間です。不平不満言ったり、誰かを悪く言ったり責めたり、怒ったりすることもあまりなく、そういう意味で自己完結?・・・してるのかもしれませんね。

なんででしょう。そんなことに費やしている時間があるほど人生は長くはないと思っているからかも?

それに、たとえ多少の嫌なことがあったとしても、生命を脅かされることなくヌクヌクと生きていられる今この瞬間って素晴らしいと思うのです。それは、そのように生きたくても生きられない人をたくさん見てきたからかもしれません。

12月のクリスマス直前、オランダから日本に帰って来る機内で体験した、ちょっと泣けるようなお話をしましょう。

トルコ経由で帰国したのですが、アムステルダムからイスタンブールまでの機内で隣りに座ったお洒落な紳士が妙にウキウキとしていました。

「あなたはロシア語をしゃべるのかね?」

といきなり聞いて来るのです。なんだろうこの人、でも変な人ではなさそうだし、と思いながら、

「いえ。オランダ語ならできますが・・・」

「そうですか、旧ロシア圏の方かと思ったからね。」

私はよくハーフに間違われるほど国籍不明の顔立ちをしているから、不思議ではありません。

「ロシア出身なのですか?」

「いえ、旧ロシア圏ですよ。モルドバという国です。オランダに来て以来13年ぶりに、祖国に帰るのです。」

moldova

「そうなんですか! オランダ移民ですか? 13年ぶり・・・ということは、私と同じ年にオランダに来たのですね。」

「あなたもそうですか。でも私は祖国に帰るといっても、片道切符ですよ。昨日まで刑務所にいました。オランダ政府に追い出されたのです。ちょうどクリスマスだし、まあいい機会でしょう。ははは。」

この言葉ですぐに私は、いろいろなことを察しました。

この男性、実はただの移民ではなく、祖国が内戦状態に陥ったときに、命からがらオランダに逃げて来た、いわゆる政治難民であること。

そういう斡旋エージェントに多額のお金を払えるだけの富裕層の出身であること(紳士の話し方、そして身のこなし方からも自明)

政治難民は通常、祖国の状態が改善されたら、オランダ政府から容赦なく追い出される身であること。

それでもなんとか残り続けようと試みたのだろうが、何からの問題があって(本人の仕事や収入の問題、あるいは警察沙汰になったとか)ビザの延長ができなかったであろうこと。

そのため、ビザ無しの状態でオランダに残り続けたため、移民警察に捕まり、強制収容所に入れられたのであろうこと。

おそらく処置が決まる間、半年〜1年くらい刑務所生活を送り、強制送還が決定し、オランダ政府からテンポラリーのパスポートと片道切符が渡されたのであろうこと・・・。

私のようなヌクヌクした身には想像しえない、壁だらけで困難な人生を、この人は歩んで来たに違いません。彼のような政治難民にはオランダではよく出会います。その度に、日本国という平和で経済的に豊かな国に生まれ落ちたことをこれ以上ない幸運だと感じます。

「祖国ではどんな仕事をしていたのですか?」

「警察官です。」

職務上、命を狙われた、ということなのだろうか。

「オランダでの生活は、どうでしたか?」

「素晴らしかったですよ、こんな私でも妻になってくれた女性がいましたからね。」

「そうですか・・・ これから、どうするのですか?」

「ははは、わかりません。どうしましょうね・・・まずは、13年ぶりに友達と家族に会って、それからですね。」

人の恨みは簡単には消えない。いまだに少なからず命の危険はあるはず。そんなところに帰らなければいけないなんて。いくら友達と家族がいるとはいえ、国を捨てた身。いったいそんな人に、帰るところはあるのでしょうか。

彼はイスタンブールから Kiliya という黒海沿岸のウクライナの街に乗り継ぎ、そこから陸路でモルドバに入るとのことでした。

「これからマイナス20度の世界が待っているんですよ、ははは。」

と、シベリアの人がかぶる様なフサフサの帽子を見せてくれました。

そして、イスタンブール空港では成田行きの搭乗口近くまでエスコートしてくれました。昨日まで刑務所にいた身、誰かと話せるだけでウキウキするのでしょうね。終始素敵な笑顔でした。

すでに成田行きの飛行機が出そうだったので、別れ際はちょっと慌ただしく握手とハグ。

「いつもハッピーに生きるのですよ!」

その言葉こそ、私がかけてあげたいくらいなのに・・・でも喉がつまって、何も返せなかった。私は、泣きたい気持ちを抑えて笑顔を作るのに必死でした。

というのも、この人は、もう明日は生きていないかもしれないのです。戻った瞬間、殺されるかもしれない。そういう危うい場所に帰っていくわけで・・・。

成田までの空の旅では、やるせない気持ちが渦巻きました。先進国のパスポートもビザも持っていて、自由に日本とオランダを旅することのできる、恵まれた身である私。どちらに帰っても、追い出されることもないし、命を狙われることもない。むしろ私の身を守ってくれる家族や友人がいる。食べるものにも困らない。じぶんの悩みなんて、ちっぽけなものにも思えてきます。

オランダにいると、世界的な人種差別を身に感じます。出身国が日本というだけで、自然と優遇される。先進国だからです。どんな場面においても、貧しいアフリカやアジアの一国とは全然違う信頼とリスペクトを得ます。私の努力で勝ち取った属性ではないのに・・・。

モルドバのことを調べると、やはりいまだに内戦状態にある国でした。ある民族が独立しようと試みており、事実上の紛争状態にある、と。そしてそのため、モルドバはヨーロッパ圏でも最貧国であるそう。

クリスマスは、ワインを独りしんみりと飲みました。名も聞かず別れてしまった紳士のことを思いながら・・・今頃どうしてるだろう、家族に会えたのかしら? そして、心から祈りました。無事であれ、と。

2013/12/13


前回の話 オランダのオープンな風俗界あれこれ にひき続き、世界一オープンな国・オランダのおもしろいお話を提供したいと思います。

オランダ移住当時は、若かったこともあり、新しい体験に貪欲に飛び込んでいきました。しかし、新しい体験てのはたいてい、ちょっとした苦痛を伴うもの。体当たりで学んだことのひとつが、オランダのエロス文化でした。日本とは180度正反対といってもいい。このコラムを読んだあと、みなさんもそう思われるかも知れません。

ある夏の日、友達と、湖に行こうという話になりました。その後結婚することになった彼氏と、その女友達と一緒に。太陽のさんさんと降り注ぐ気持ちのいい日だったので、彼らはなんと「ヌーディスト・ビーチの方にしよう」というではないですか・・・

オランダの湖や海にはたいてい、茂みに隠れたヌーディスト・エリアがあるんです。

もしや彼が、その女友達のヌードを見たい下心からか?! あるいは、彼女が? など、わけのわからないさまざまな思いが頭をよぎりました。もちろんNOと言う事のできないウブな日本人女性だったので(昔はね)、うぅーっとモジモジしながら、さあ着きますよというときに「やっぱり・・・わたしダメっ」と切り出します。ふたりは「あ、それなら普通のビーチに行こう」とケロッとして方向を変えました。

つまり、彼らにとっては、友達同士の間で水着を着ていようと着ていなかろうと、たいして差はない、ということなんですよ! 「ヌード=ありのままの自然の人間の姿」と捉えているんです。なので、オランダには滅多にない開放的な天気の日には、その自然のままの姿で、自然の中で日光浴することは、ひじょうにヘルシーであり、いたってナチュラルな行為だというわけなんです。実際に日常生活をヌードで送っているヌーディスト族も、存在します。

私があまりに動揺していたのをふたりは面白いと思ったようで、女友達が「じゃあ、泳いでヌーディスト・エリアに行ってみようよ。遠くからチラ見できるよ」と誘ってくれました。その神秘の花園はですね、確かに美しい光景でした。中年カップルしかいませんでしたが、フルに恥部を丸出しのぽっちゃりしたおじさんの姿さえも、自然の中に溶け込んでいました。

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(近所の湖の写真。ここはバーベキュー・ゾーンですが、ヌーディスト・エリアはこの左の奥の奥の方にあります。)

ある朝、前述の彼と、友達の家に行きました。その男のところには彼女が遊びにきていたようで、ふたりでほとんど裸の状態でベッドから出て来て「おはよー」って言うんです。いちおう、下着はつけてましたが、目のやり場に困りました。。。

女の子は、胸がふくらむまでは水泳教室でも胸当てをしてなかったりします!(笑)当然小学校でも更衣室は男女一緒。大人になっても、下着をつけていれば(恥部を隠していれば)洋服を着ているのと同等と考えられているようです。

最悪な体験は、サウナに行った時でした。冬に風邪をひいてしまって、その時はバスタブのついていない家に住んでいたので、暖まりたい一心で電話帳でサウナを探してバスを乗り継いで辿りつきました。するとなんと!男女共用で、しかも水着不可ではないですか。

いちおうバスタオルは渡してくれましたが、シャワー浴びたり、スチームサウナに入ったり、プールで泳ぐときなどは、それで体を覆い隠すことはできません。最初にシャワー室で、隣りのフル○○のおじさんがさわやかな笑顔で「ハロー」と言ってくれたときのショック。今でも覚えています(笑)

しかし徐々に、その空間では、タオルで変に身を隠さず、堂々と歩いていた方がいやらしくない気がしてきました。最初の方はぜんぜん落ち着かず、リラックスどころではなかったのですが、最後の方にはすっかりスッポンポンになっていましたよ(笑)

そんなのを重ねていくうちに、私もオランダ的な感覚に慣れていったんですね。ヨガ・スタジオで着替えるときなども、とうぜん更衣室は男女共用なわけで、男性が隣りにいても平気でブラジャーをつけ替えることができるようになりました。

日本に戻った今でも、ときどきその感覚が出て来る事があり(とくに自然いっぱいのキャンプ場などで)気をつけねばなりませぬ(笑)

で、お題の「オランダ的エロス」なのですが・・・、長年住んでも、結局よくわかりませんでした!(笑) 同じ下着姿でも、エロスのスイッチを本人が入れるかどうかで違うということ? みなさんはどう思いますか? 逆に私が聞きたいくらいです(笑)

2013/11/27

前回は欧米におけるゲイシャ文化への残念な理解度について訥々と述べてしまいましたが、今回はオランダのオープンな性風俗界あれこれをご紹介しましょう。

オランダといえば、レッド・ライト・ディストリクト、いわゆる「飾り窓」が有名ですね。麻薬も合法ですし、性に関してもやはりオープンなイメージがもたれているのではないでしょうか。

実際、アムステルダムの飾り窓は観光スポットとなっています。若くてセクシーなお姉さんからボリューミーなおばさままで、肌の色も白から黒まで様々な方達が、窓際でポーズをとって誘ってらっしゃいます。それぞれが個室で、カーテンが閉まっていれば、来客中。

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(アムステルダムの飾り窓、繁華街からちょっと外れた方)

 

このストリートはわざわざ行かずとも、突然出現するといっても過言ではないくらい、普通の繁華街にあります。観光で家族連れで歩いている人たちも昼間はたくさんいて、なかなかおもしろい画です。日本人にはちょっとダイレクトすぎて、ギョッとしてしまいますけどね。

オランダは公序良俗なプロテスタントの国ですので、社会的地位のある、パートナー持ちあるいは妻子持ちの男性は、こういった風俗にはほとんど行きません。バレたときに、品が疑われ、社会的地位もあやぶまれるのかも。なのでこの手の飾り窓のお客さんは観光客か、独身男性か、船乗りなどの低階層の労働者か・・・そんなところでしょう。

逆に、社会的地位の非常に高いお金持ちの男性であれば、出張などで高級エスコートサービスを頼むという文化があるようです。新聞のいわゆるテレビ欄にあたる部分に、デートクラブ、エスコートクラブ、コールガールなどの広告がぎっちりと並んでいます。普通の国民紙ですけどね。

いつだったか、アイルランドの高級ホテルで人と待ち合わせをしていたら、好奇心旺盛な目をした初老の紳士が近づいてきました。「きみはいくらだね?」と聞くではないですか・・・(笑)
 高級ホテルには、そんな密かなビジネスが展開されているんですね。まさにプリティ・ウーマンの世界です。

これはオランダではありえません。オランダでは売春は合法で、免許制だからです。エイズ対策や身障者対策などの講習をバッチリ受けた女性しかできません。「娼婦業」は女性にとってちゃんとした稼業なのです。保険や福利厚生もしっかりしています。

けれども、やはりドラッグと対になったダークな稼業ではあります。女性もキャリアアップできればいいのですが、落ちぶれるとハードドラッグにハマるのがオチだとか。近所に、政府が運営する娼婦更生施設があり、そういった女性たちをよく見かけるのですが、ジャンキーになった娼婦の姿はいたたまれないです。もうすべて吸い尽くされた感じ。

売春は合法なのだけど、売春宿が合法ではなかった時代があり、違法なビジネスが蔓延したため、あるときから売春宿も合法になりました。合法にするのは、免許制にして、政府がコントロールするためです。

同じように麻薬も、大麻などのソフトドラッグは合法にし、化学系ハードドラッグの取引を辿れるようになっています。(ハードもたいていソフトを隠れ蓑として取引されるので)

港町ロッテルダムには数年前まで、バスターミナルのような売春エリアがありました。車でそこに入るときに警察の検問があります。本物のバスターミナルのように、女性がズラッと立っています。好みの女性を見つけたら、隣りの洗車場みたいなところに車を泊めて、事に及ぶというシステム。

けれども、ここは閉鎖されてしまいました。ターミナル外で無免許の娼婦が安く身売りを始めたり、車内という私空間でドラッグが取引されたり、政府もコントロールしきれなくなったのでしょう。そこで、職にあふれた女性たちが、前述の更生施設にやってきたというわけです。

誰かの日本人観光客の遊行レポートに、こんなことが書いてありました。デートクラブに入ると、昼でも暗くてムードたっぷりのカウンターに女性がずらっと並んでいて、好みの容姿の女性を選んで、ホテルに行く。すると、部屋の灯りがパッとついて、その女性も暗がりのイメージとは違うことも判明。そんな晃晃と照らされた室内で、オープンな雰囲気で事を運ぶのは、落ち着かなくてしょうがなかった・・・といった笑い話。

日本とは真逆ですね。これでは確かに、陰影礼賛的な「ゲイシャ文化」も理解してもらえないわけですよね。

2013/10/20

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ちょうど笠原ちかさんのコラム「風嬢だって人である。」の記事「奥が深すぎる大人の世界」http://www.junkstage.com/chica/?p=320   を拝読しまして、ああ、嗅覚もそうだよね、うんうん、と大いにうなずいたのがきっかけで、このような題名のコラムとなってしまいました(笑)。爽やかな日曜朝の散文としてはふさわしくない内容ですが、よろしくおつきあい下さいませ。

アダルトビデオの世界観の広さに、人間というものの深淵さを見ることができる、とおっしゃる笠原さん。まさに、匂いの嗜好も然り。人って、こんな匂いを好きになれるのか・・・とその理不尽さには驚くばかりです。

しかし、匂いの嗜好性には無意識な行動と結びついているところも多く、その無意識の部分を明らかにしようとするのは簡単ではありません。まさに禅の修行。「じぶんはこんな匂いが好き」と意識できる匂いは、その氷山の一角でしかないのです。

性癖の方がよっぽど、自覚しやすいのかもしれません。性は、他人と関わる事で成り立つので、他人が鏡の役割をしてくれているのでしょう。それにアダルトビデオショップに行けば、ずらっとタイトルが並んでいるわけで、そこからなんとなくイメージで惹かれるものを選んでいるうちに段々わかってきますよね。

匂いは、イメージでは伝わりません。物質なのです。分子なのです。物理的に匂いを嗅がないと、それが好きか嫌いかわかりません。なので、経験こそが鍵となります。

その経験が、次の行動(嗜好性)への土台となるわけですが、人間はよくわからない行動でも理屈でじぶんを納得させたがる動物です。匂いが支配している無意識な行動にも、ああだこうだと屁理屈をつけ、匂いのせいではないことにしています。そのじぶんの屁理屈を見抜き、解き明かし、なるべく少なくして生きられたら、楽なんですけどね。これも禅の修行。

香りの世界で仕事する人たちは(私も含め)、ある意味「匂いフェチ」だとは思いますが、特定の匂いに執着するフェチとは違います。匂いなら、じつはなんでもいいのです!(生理的なレベルの反応は別として。)「禅の修行」の対象だから。もしかしたら、われらの性癖もそんな感じかもしれませんね・・・アダルトビデオならどれでもいい、とか。(←少なくとも私はそうですね。笑)まあ、性癖と匂いの嗜好性の根が同じだとしたら、の話ですが・・・。

ちょうど先日、オランダ王立美大で受け持っていた3週間の授業が終わりました。嗅覚アートの基礎を教えた上で、「嗅覚のゲームを作る」という課題を与え、作品を作ってもらいました。最終プレゼンのビデオをこちらにまとめました。

http://youtu.be/QCrTyQy-y8g

生徒ひとりひとりが輝いているでしょう? これには学部の先生たちも「普段の彼らと、違う」と驚きました。学生の中には、レズとかゲイとか少なからずいたのですが(ここはオランダですし)、彼らが特に力を発揮していたのが興味深いです。もしかしたらこの3週間のあいだに、匂いの深淵な世界に触れたことによって、抑圧されていた部分が解き放たれた結果なのかな・・・?

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(写真は、学生達が抽出した香りたち。ひとつはパッションフラワー。もうひとつは、猫の糞。笑)

2013/10/06

外国生活で、言葉が通じない事のフラストレーションが、嗅覚アートを始めるきっかけとなった・・・そのことを前回書きました。

あいかわらず、言葉が不自由な状況が多いためか、言葉について考えちゃうことは多いです。今日はその、とりとめのない雑文です。考えがまとまらずにてきとうに書いてる日曜日です。どうぞてきとうに読んでください。

とにかく、言葉でじぶんの感情や気持ちを説明するのが苦手な私。それは日本語であっても苦手なので、語学力の問題ではないんですが・・・

みなさんも言葉によって傷つくことって日常で多々あると思いますが、いったいなんのために言葉があるんでしょうね。

人と人との距離を近くするため? それとも、遠ざけるため?

前者の場合、セールストークだったり、同情だったり、甘いささやきだったり、愛情表現だったり。でもどれもこれも、言葉を介するとけっこう、嘘くさくて陳腐に見えてしまうことも多かったりして。笑顔とか、ハグとかの方が、よっぽどダイレクトに伝わる。

後者の場合、たとえば交渉ごとで相手と自分との距離を取るために使ったり、誰かの訪問を断ったり。一歩使い方を間違えると、凶器にもなるし、それだけで絶縁をも招く。思った以上に凶暴で、とても力強く作用してしまう。

日本と欧米でも、違いがある気がしてます。

日本は「和」を尊ぶ文化で、主語を使わないため、包括的。あたかも既に “I” と “I” が繋がっていて、”We”が初期状態であるかのような。茶室に花が活けてあって、「きれいだね」「いい香りだね」と同調することが前提の文化。一体感がそこにある。

欧米だと、そこがない。関係性はまずはゼロから、あるいはマイナスから始まる。”I”と”I”の繰り返される会話。少しでも相手と近づこうとする力と同時に、相手との距離をとどめておこうとする力の拮抗がそこにある。茶室の花を見たら、「私はあそこの花がとてもきれいだと思うわ。あなたはどう思う?」「僕はこっちの花の方が好きだよ。」といった感じにになるだろう。(誇張も入ってるけど)

欧米言語はビジネス的だと思う。ビジネスの世界でも、見知らぬ相手との利害を “I” と “I” をぶつけあうことで計るわけで。だから、欧米のカップルの会話を聞いてると、日本人的には、ふたりで永遠に商談しているかのようにも聞こえたりする (笑)

会話の主語が”I”ではなく”We”になったとしても、主語を使わない文は成り立たない。日本的な「一体感」というよりは、「連帯感」的な感覚がある。たとえば外に敵があるときに、”we” を使うことで内部の連帯・結束を強める。

「一体感」は、個と個が重なる感じ。「連帯感」は、個と個が並んでる感じ。

なので欧米言語の語学力がいくら上達したとしても、いくらコミュニケーションを取ったとしても、「一体感」が感じられない事に、日本人的には絶望したり傷ついたりしてしまう。もっと鈍感になれれば別なのだけど。

言語とは、千年、万年単位の人類の歴史の表れなのだから、個人の努力ではどうにもならないことなのに。

そういえば長いオランダ生活でも「心の友」と呼べる友達は、不思議とアジアの血が入った人ばかりだった。それは、彼らが「シンパシー」つまり、相手と同調するということが自然とできる人たちだったからかもしれない。純血オランダ人には、これがなかなか難しい。そうしているように表面的には見えても、体の反応としてやっているわけではないのだ。

やはりネイティブである日本語は、私にとっても便利なツールなのだけど、だからこそ、その落とし穴も見える。

スムーズにコミュニケーションが取れるあまり、気を許したとき、不注意な言葉遣いをしてしまいがち。不意をついてつい本音が出てしまったらさあ大変。

それはときに、「一体感」を乱す。それが破局や、破綻に発展することもあると思う。親しい間柄にも礼儀有り、というのはこのことかもしれない。相手を言葉で傷つけるよりは、無言の「間」を保つ方がよっぽど気遣いがある行為かもしれない。

そう、「間」に意味がある。欧米では「間」はどちらかというとタブー。常に主張が求められる。日本語はほんとうに繊細で、微細な言語だと感じる。

・・・など日常的に感じている「言葉でのコミュニケーションの東西」について、とりとめもない散文でした。長文失礼!

2013/05/25

東京と地方の両方に拠点を持つ。3.11以降、そういうライフスタイルを求めて動き出した若者や子育て世代は多いと聞きます。実際にわたしの周りでもそんな人たちがたくさんいます。

中にはマレーシアに子連れ移住!なんていうツワモノもおります。彼女のこの記事を読んで、私も変化生活の良さをシェアしてみたいと思いました。

わたしは二年ほど前から、二拠点生活です。オランダと日本。地球のほぼ裏側同士です。

聞こえはカッコいいですが、そうしたいと思っていたわけではなく、最初は「仕方なく」でした。まず日本からオランダに移住したのは2000年あたりでしたが、ようやくオランダに根ざすことができたな〜と思ったときには、ひどい牧草花粉症でした。毎年ひどくなってたんですね。蓄膿症や喘息など次々と併発し、しまいには生きるエネルギーそのものが無くなってきて、普通に生活できない、ほぼ寝たきりな状態になっていたのが2010〜2011年あたり。

日本やアジア圏にはあまりない花粉ですが、ヨーロッパ大陸にはどこにでも(トルコにさえも)元気に生えている、雑草の花粉です。飛散期間は1年の半分。高タンパク質で、粒子も大きいので、スギやヒノキの比較にならないくらい作用も強いのだそうです。なんとオランダはこの牧草ビジネスの中心地! わざわざ種を撒いてるらしいので、たまったものではありません。逃げ場は日本にしかない。

そこで医者の勧めもあり、家族を置いて日本の実家に帰ってしまいました。しかし、その甲斐ありました。昨年末くらいに蓄膿も喘息も回復。完治はできない病ですが、ほぼコントロール下にあります。花粉にあたらない限りは・・・。

子どもと離れて暮らす「離散家族」な状況なのは残念ですが、仕方ない。仕事の周囲に恵まれているので、平均すると1年に3〜4回、日本とヨーロッパを往復し、旅をしながら仕事をしています。なので結果的に、子どもに会えない期間が2ヶ月を超えることはない。学校が休みのときには日本に来てもらうし。

今では、定住国を持たない、ほんとうのノマド生活。当初は、「大変そう〜」と思ってたけど、人間、慣れるものですね(笑) スーツケースと Mac Book Air と携帯電話に投資し、どこでも仕事ができるようにしました。仕事の内容や方法も変えました。私物をたくさん処分し、モノをあまり持たない・買わないようにしました。軽量化のためだったら、投資を惜しみません(笑)。書類はぜんぶデジタル化してます。最近の趣味も、移動中にできる編み物と、身ひとつでできるベリーダンスになりました。(ノマドなので、ジプシー・ダンスが身に合うようです)場所を選ばない呼吸法も実践するようになりました。

「時差ボケは?」とよく聞かれますが、それも慣れるみたい。旅の前後になるべく予定を入れないでゆっくり過ごしたり、到着後はサウナか温泉に行って、少食を心がけたり、荷物を軽くしたり・・・と、様々な方法を編み出すことで、時差ボケや旅の疲れはほとんど感じません。家が成田空港に近いのもあり、いまでは新幹線に乗るような感覚で国際線に乗っています。

友人関係もダイナミックになります。もともと群れるのは好まないし、オープン・マインドでいればどこでも交流関係も広がるので、過不足のないちょうどいい感じです。定住地を持たなくなると、物欲も無くなり、あらゆる「欲」が無くなり、すべてがちょうどいい「中庸」なんですね。

いいとこどりしてると感じています。「ああもう少しでオランダ出るんだな〜」と思ったら、旬のホワイトアスパラを芯から味わって食べたり。オランダの良いところにも日本の良いところにも気づくことができるので、不平・不満が少なくなる。「あ〜 これ、オランダっぽいな〜」とか、「やっぱりこれが日本だよね」と、笑って流してしまう。スタックすることが無くなる。周囲にも自然に感謝ができる。

何より、「変化」への適応力をトレーニングすることで、若返ると思います! 実際、「若いね〜」「若返ったね〜」とよくいわれるようになりました。

変化を起こすにはエネルギーが要るし、周りとの摩擦をたくさん生みます。変化というのは、多くの場合、望まれていないのです。でも、前向きの、力強い変化であれば、周囲の理解はあとからついてきます。何かを変えたいと思った全ての人に、力がみなぎりますように・・・

2013/04/08


先々週末のイースターを、オランダで過ごしました。たまたまむかし農場だった家に住んでいる友人が、そのロケーションを生かして、イースター・パーティを主催してくれました。

↑イースター恒例の「卵探し」中・・・

オランダ人は殆ど外食をしません。倹約を尊ぶ気質なので、レストランに行って食事をするということ自体、贅沢なことのようです。昼食だって、みんな食パンにチーズを挟んだだけの質素なものを持参します。レストランに行くのは、何かのお祝い事があった特別な時のみ。

そのため、誰か友達と一緒に食事をするといった場合は、ほとんどが「おうちごはん」。自宅に招き、招かれるということがけっこうあたりまえの日常なのです。なので、オランダ人は「ホームパーティの達人」。その技をご紹介します。

■なにかにつけてホームパーティ

まず、ホームパーティといった場合、2つのケースがあります。1つめは5〜6人くらいまでの、招待制の小さな集い。「一緒にごはんを食べよう」というのが趣旨です。

2つめは、それ以上の人数を呼ぶ大パーティ。この前訪れたイースター・パーティもこの類い。バースデイ・パーティや、ハウス・ウォーミング・パーティ(引っ越しパーティ)などもこれにあたります。オランダでは、誕生日の本人が自分でパーティをオーガナイズする決まりなのです。私もそれほど広くない自宅で、20人規模をホストした経験があります!(オランダ在住邦人なら誰もが通る道です)

前者のパーティと後者のパーティで、違いはそれほどありませんが、前者を「おうちごはんパーティ」後者を「大パーティ」としておきましょう。

■「ワリカン」ではなく、「分担/シェア」の文化

招かれた側は、おうちごはんパーティの場合は必ずワインを持参します。バースデイ・パーティやハウス・ワーミングの場合は、ワインorプレゼントを持参します。このまえのイースター・パーティは逆で、ドリンクはホスト持ち、ゲストが「なにか一品、卵料理を持参」でした。私はアイスクリーム・メーカーを持ち込み、その場でアイスクリーム作り。

一般的には18:00から始まるのであれば、夕食つき。19:30以降からであれば、ドリンク+スナックのみ。いずれの場合も、日本のような材料費ワリカン制とか会費制はありません。すべてホスト側のもてなしの一部なんですね。そもそも材料費なんてじぶんで料理を作ればたいした額ではないので、そこをケチケチする文化ではないようです。

ここはオランダ人のカンチガイされやすいところ。英語で「Go Dutch(オランダ式にいこう)」というイディオムはなぜか、「ワリカンしよう」を意味してしまうのですが、実際オランダのカフェやバーではワリカンの場面に遭遇した事はほとんどありません・・・。どちらかというとそんな楽しい場で数字で割ったり、キャッシュをやりとりするのを嫌う文化なのです。むしろ進んで人に奢ります。「これはじぶんが払うよ」「じゃあ次のラウンドはボクが持つよ」。そんな「シェア」の文化。なのになぜ「Go Dutch」みたいなぬれぎぬ着せられてしまったのでしょう・・・。オランダ人がケチで有名だから?

確かにケチです。質素倹約を尊びます。でもだからこそ、ホームパーティなのです。そうすれば、思う存分振る舞えるから。なので男も女もみな、料理の腕を上げる努力をします。「ボクはBBQ系のグリル料理が得意」とか、「私のピザは生地から作るから美味しいのよ」など、披露したい料理がひとつやふたつあるのが当たり前です。

バースデイ・パーティの場合、フードもドリンクもホスト持ち。つまり誕生日の本人が、みんなに振る舞うしきたりなので、そんな得意料理のひとつやふたつないと困るのが現状。こんな規模のパーティをもしレストランやバーでやっていたら、いくらあってもお金が足りないので、自ずと自宅パーティとなるわけです。フードを自分で作れば、ドリンク込みで20人2万円で収まります。大好きな人たちが自分のために集ってくれて、一緒に楽しい時間を過ごしてくれるのであれば、とても安い出費です。そしてホストは、パーティをオーガナイズするイニシアチブをとる時点で感謝され、社会的にもリスペクトを得ます。

そもそもホストは「自分のパーティでキャッシュを出させるなんて、粋ではない」と考えます。なのでホスト側は、会費が発生しないように、かつ自分に負担がかかりすぎないように、あらかじめ役割分担し、頼むものは頼み、バーであれば「21:00まではドリンクフリー」などの上限を明確に設定し、それをゲストとコミュニケーションするのです。あくまでワリカンではなく、「シェア」の文化です。

↑アイスクリーム制作中

■ホームパーティの延長戦で

私はこの大パーティの延長として、じぶんの結婚式もすべて自らオーガナイズしました。料理も自らしました。お好み焼きを約80人分、花嫁衣裳姿で焼いたのです(笑)! お好み焼きの材料費は安いもので、確かぜんぶで1万円くらいだったかな。結婚式の朝に、花嫁みずから自転車で市場にキャベツ10玉買いに行きましたよ。式が始まる2時間前には、花嫁はサラダのドレッシング作り、花婿はスープ作りに勤しんでいました(笑)70年代風ラウンジスタイルのクラブを貸り切って、会場・ドリンク・食器レンタルなども併せてぜんぶで20万円弱の格安パーティ。もちろん会費はとりませんよ!さきほど述べた通り、そういう文化ではないんです。

さすがに新郎新婦の手料理を振る舞うパーティは、オランダ広しといえどもあまり聞いた事がなく、みんなの記憶に残るウェディング・パーティだったようです。(笑)

お金に余裕があればケータリングが普通です。それか、料理上手な人をあらかじめ頼んでおくとか。そこで呼ばれるシェフはたいていセミプロで、パーティ料理の達人。私はこれまであらゆるパーティで、この類いの料理上手な人にレシピを聞きまくり、パーティ料理の腕を上げてきました。

■訪れる側のマナー

そこに集まる人たちに共通するのは、みんなホストと友達だということ。逆にいうと、そこにいるメンツでだいたいホストの人柄や興味、社交テイストがわかってしまいます。招待された側のマナーは、そこにいる誰もと交流する気持ちで訪れること。まず着いたら自ら、そこにいる全員と握手して軽く挨拶します。これがわからなかった移住当時、日本人的に恥ずかしがって誰かが話かけてくれるのをずっと待っていたなんてこともありましたっけ・・・(笑)新参者は、努力せねばならないのが世のきまり。

私のアーティストとしてのキャリアは全て、この類いのパーティで築いてきたと言っても過言ではありません。地縁が全くない私にとって、見知らぬ誰かにじぶんから話しかけることを地道に繰り返すしか、人脈を築くことができないわけで・・・つまりお酒好きなのが幸いしたわけですね。

■ホスト側の準備

じぶんでホストしながら料理したりサーブしたりする場合「決して慌てない」ことがコツのようです。「早く出さなきゃ」と慌てると、緊張感が走り、その緊張感を家人も察知してしまうので、雰囲気がギスギスしてしまいます。まずはお客さんに酒とつまみさえ出しておけば、だいじょうぶ。鼻歌うたいながらじぶんの世界に没頭する、くらいの余裕が大事だということですね。

オランダではベジタリアンが多いので、最大公約数的にベジタリアン食を作ることが多いです。材料も安上がり。つまみに肉や魚を入れれば十分ですしね。サラダ、スープは事前に用意しておいて、主食のパスタはその場で作り、デザートは人任せか、チーズを用意しておく、というのが私のいつものパターン。量は作りすぎないのも重要で、余ってしまうと見栄えがしないので、七掛けくらいの量がちょうどいいですね。

こういうパーティでは、男性がちょこちょこ動く方が映えます。奥さんはくつろいで呑んでばかり、というくらいでもいい。ダンナさんがホスト役を投げ出していいのは、シンデレラタイム以降(笑)。私は料理だけはしますが、他の部分、たとえば買い物、客の出迎え、選曲やBGM、見送り、片付けなどはぜーんぶ男性に丸投げで、呑みます!

そもそもオランダのパーティではビールをクレート単位で買うので、その時点でもはや女性の仕事ではない。人数が多いときは、ビールサーバーをレンタルしたりもしますが・・・。そのくらいオランダ人は、ビールを水のように飲むのです(笑)

最近、花粉症で体力が落ちてしまってからは、じぶんの5月の誕生日にパーティをやることができなくなってしまいました。そのかわり、息子がパーティの年頃になってきたので、毎年パーティをやってあげています。7、8歳のころからホスト役は息子に一任するようになりました。私はただのアシスタント。オランダの子達は、このようにパーティ・トレーニングされ、大きくなっていくのですね。

2013/02/15

受験シーズンですね。この言葉を聞く毎に、体に微妙なテンションが走ります。

それだけ嫌いだったのでしょう。というより、「受験が楽しかった!」なんて人いるのでしょうか。いるとしたら、少数派ですよね。

じぶんが社会に出た頃も、「日本の受験システムは良い人材を生まない」的な議論があったので、そろそろ社会も変わるかと期待していたのですが、じぶんたちが親になった今でも結局、システムはあまり変わっていない。むしろ「お受験」に象徴されるように、子どもたちへのプレッシャーは少子化により昔より大きくなってしまった。

私自身も、「お受験」的なスパルタな母を持ち、たいへんなプレッシャーのもと育ってきました。そんな私が有名大学に進学するも、海外逃亡、国際結婚、しかもアーティストなんてアウトローな生き方になってしまった、その経緯をお話しましょう。

こんな私も、もともとは普通の子でした。まず小学校は、近所の公立に行きました。絵や習字、ピアノなどの「お稽古ごと」が大好きだったので、音楽や美術はもちろん得意。勉強も特に頑張らなくても”オールA”だったのですが、体育だけが苦手でした。

そんなのも小4まで。近所のスイミングの先生にスカウトされたのがきっかけで、競泳のチームに入りました。するとみるみる体力がつき、基礎体力テストで千葉市から表彰されるわ、学校代表で陸上大会や水泳大会に出るわ。小4から中2まではそんな感じで、日々5,000m〜10,000m泳ぐ、体育会系な毎日でした。

そんな中でも、中学受験をし、国立大の附属に合格しました。ここの受験は「抽選」が基本。抽選に通った後の試験では、学科だけでなく美術・音楽・体育・家庭科でも同等の点数を稼げたので、むしろそっちの方が得意な私には楽な試験。塾にも行かずに通りました。

しかし国立大附属というだけあって、実際は進学校。ほとんどの子が塾に通う中、私はその時間を水泳に割いていたので、自ずと「偏差値」はだんだん下がってくるわけです。

すると受験勉強が本格化する中2の秋、先生と親の両方から、「もういい加減にしろ」とのプレッシャー。オリンピックを目指せるような選手であったのならこっちにも説得力があったのですが・・・。悔しかったけど負けを認め、水泳を辞めました。そしてとうとう冬から塾に通い始めました。

当時千葉県でいちばん偏差値の高かった、「県立千葉」という高校が第1志望。母のプレッシャーは強大でした。あまりに強く、負けました! (^^;) 余裕の偏差値を持っていたくせに、試験当日に緊張してしまった。結果、第2希望で近所の「渋谷幕張」に進むことになりました。

この件で母にはずいぶん辛く当たられました。しかし今では「渋谷幕張」は「県立千葉」など足下にも及ばない、全国屈指の有名校になったと聞いてます。当時私が一身に受けた母の嘆きと怒りは、いったい何だったのでしょうね・・・「母さんは恥ずかしいよ」みたいなこと言ってたくせに、後になってから「うちの娘は渋谷幕張でねえ」と自慢気に話すので、勝手なものです (^^)。

当時の渋谷幕張は国際交流を売りにしていたので、一学年で20人くらい海外留学してました(今は進学優先で、留学生はいないそうです)。高校受験の失敗を日々責められ、辛く暗い毎日を送っていた当時の私。もともとあった興味も後押しし、留学は自然な流れでした。

奨学金を得て高2の夏から1年間アメリカに留学。日本に戻ってきた時、その分留年をしなくても良いように学校側が計らってくれたので、高3に編入しました。さあ大変! みんな受験勉強真っ最中。

しかも、留守にしていた1年分の内容は、自分で追いつかないといけない。なのに、アメリカナイズされた私は受験のための勉強なんてやる気がしない。赤点ばかりでした。髪はパーマかかってるし、茶パツだし(地毛だけど)、ピアスしてるし。まさに不良高校生・・・

アメリカに進学したい気持ちも無いではなかったので、TOEFL(英語)の勉強だけは本気でやりました。美大への推薦の話も来ていました。そんな中、留学担当の先生が、「こんなのあるよ」と話を持って来てくれたのが、慶応大学SFCの自己推薦制度、いわゆるアメリカ式の「AO入試」でした。

まず一次審査の「小論文・書類審査」が通れば、二次審査は「面接」。人物総合評価の試験です。将棋の名人だとか、花火職人だとか、一芸で受ける人が多い中、私にはそんな特技はなかった。けど、アメリカで絵を売って小遣い稼ぎをしていた話をマンガ風に描いたりして、「ありったけの自分」を表現しました。けっこうな倍率でしたが、その度胸を買ってもらい、合格。11月には入試が終わり、みんなが受験してるころにはせっせと教習所に通ってました (^^)

いちばんの報酬は、これで母を黙らせることができたこと。母の世間的な体裁はとりあえず繕ってあげたので(=自慢のネタを作ってあげたので)、あとの人生はすべて、自分の自由にできたのです。

そのため、今のような私ができあがってしまったというわけです・・・。おわかりですよね?

でも、就職活動もいちおうしたんですよ! 母がパートとして長年働いていた有名企業のキャリアとして内定をもらったんです。でも卒業間際に「やっぱりやーめた!大学院行く!」と、ここではなんと、母にしっぺ返してます・・・(^^;)。

このように、自分と戦うふりして、じつは「母のプレッシャー」という見えない敵を相手に戦っていたのだということに、今は気づく事ができます。しかし、若い頃は、視野が大きく持てません。「ここで失敗したら、人生すべて終わりだ」という強迫観念を母親から植えられると、それを信じてしまっていました。

アメリカに行ってようやく、「受験だけが人生ではない、人生はもっと楽しい」「受験はゲームのひとつに過ぎない」「受験は日本だけに存在するちっぽけな価値観で、世界には通用しない」という大きな視野を持つことができた。もし行く大学がなかったらアメリカに行けばいいとも思っていた。実際、慶応大学でさえ、オランダでは通用しない、世界的には二流三流の大学です。

しかし、この視野を持たずにやる受験は危険きわまりない。失敗したときに自分の人生を全否定してしまいがちなんですよね。もったいないです。

私の場合は水泳でしたが、習い事や部活、なにか好きなことを犠牲にしてしまいがちですが、それが子ども達の精神的な支えになってくれるはずなのです。どっちかひとつではなく、両立できるはずなのですが・・・。

子ども達にとって、この受験というシステムが最善なんだよ!と説得するだけの経験を私は持っていません。私にも子どもがいますが、日本の教育は受けさせたくない。自分が嫌だったことを押し付けたくないというエゴもありますが、世界に通用する人材に育って欲というのが本音。

受験生達には、ぜひこれもモノポリー的な人生ゲームの一場面に過ぎないということを知って欲しい。そして、そのようにナビゲートできるのは、他でもないご両親しかいません。

ちなみに、オランダの大学受験は、「本人の適性と動機のマッチング」が基本、その上で、志願者多数だった場合は、「抽選」です。ほんとに人生ゲームですね!

受験ってどちらかというと、親の方に課せられた精神修養ゲームなのかもしれませんね。

写真は全て、このまえたまたま訪れたオランダ・ライデン旧市街地にて撮ったものです。
2012/11/30

明日はいよいよJunkstageの6周年記念パーティですね! 読者の皆さま、そしてライターの皆様にお会いできること、心より楽しみにしています。確か私、記念冊子にも寄稿していたかと。パーティ詳細はこちらです:http://www.junkstage.com/fromstaff/?p=524

さて。今日のテーマは「じぶんらしく生きること」。必ずしもそれがよいというわけではない、というお話です。

よく巷の書店では「じぶんらしく生きる」的なセラピー本を見かけます。わたしもセラピー本は好きなので、幅広く目を通すのです。しかし私には、あまり役に立たないんですよね。というのもたぶん、私は根っから「じぶんに素直に」「じぶんらしく」生きているからではないでしょうか。そして、そんな生き方をしていることに気づかされるのは、特に日本に帰国したときです。周囲から明らかに浮いているように感じるときがそれです。

アーティストという人種は、私の定義をここに述べるとすれば、じぶんの自由な発想や思想をいろんな手段で表現する人です。つきつめれば、「生きるとは何か」ということに対して、オリジナルな美的価値観を持って表現する人です。オリジナリティ高ければ高いほどよく、つまり他人がやってることを真似しないことが最低条件ですね。表現手段はなんでもよく、極端にいえば起業することであったり、店を持つ事であってもいいのでしょうけど、五感的なメタファーを伴う方がダイレクトに伝わりやすいので、美術とか音楽とか舞踊とかの形式が存在しているのだと思います。

アーティストがそうあるように、ほんとうにじぶんに素直に生きたら、苦しいですよ。辛いですよ。他人と違うことをやる人への風当たりは、激しいからです。その負の部分を、セラピー本系は完全に端折っているように思えます。むしろ、アーティストになりたくてそうなったアーティストって、少数派ではないでしょうか。みんな、正直に、素直に生きて来た結果、それしかできなかったのです。

私もそんなひとりです。いろんな目的意識のアーティストがいると思いますが、私はひじょうにピュアでストイック。作品制作においてもなかなか頑固で、展示の機会があってもなかなかyesとは言わず、まず条件交渉をします。そこにはフィーなどの金銭的な交渉も含まれますが、まずはコンテキスト。私の意図やコンセプトを相手が理解してくれ、作品へのよいバイブレーションを生めそうな空間や展示であると判断したときにしかyesを出しません。コンテキストが合えば、その規模が大きくたって小さくたって、ノー・フィーでyesを出すことさえあります。逆にコンテキストが合わなければ、いくら札束を積まれてもyesを出しません。(実際に積まれたことはありませんが・・・笑)

そのため、あまりグループ展などに出しません。ロッテルダムのアートシーンでも若い頃は、「あいつは頑だ」と思われた節もあるかもしれません・・・。最近はわりと、経験と実績が伴ってきたことで、上手にじぶんを通せるようになりましたが。コミュニケーションのスキルも上がったのでしょうね。

仕事においてもこうであるから、プライベートでもなかなか頑固ですよ〜。じぶんはただ「じぶんに素直に」「じぶんらしく」生きているだけなのですけどね。

たとえば、長年患っている土地性のアレルギーのため1年半前、オランダに子どもを置いて日本に帰って来てしまった件。一般的にいえばほんとうに「ひどいお母さん」で、風当たりも強く、長年助け合う関係にあった人たちさえ離れていきました。

じぶんに素直に動くと、こうして敵も作ります。周囲に亀裂を生むからです。辛かったり苦しかったりですが、そこは強くあらねばなりません。しかしそれを辛抱すれば、じぶんを認めてくれる新しい人間関係にも恵まれます。違う見方をすれば、ある種の「人間関係のデトックス」なのかな・・・?

オランダを離れた当時は、風邪引き始めのようなダルい状態が年の半分を占め、鼻炎が原因で嗅覚障害が発生し、仕事にも支障をきたしていました。ときに判断力が鈍ったりもしましたが、「こんなふうに日々鬱々と暮らしているのは、私らしくない!」というじぶんの根源的な部分からのメッセージにより、決意し、実行したのでした。

あのままオランダに残り続けていたら、嗅覚を失っていたと思います。今もまだ鼻炎は残っていますが仕事に支障はなく、喘息もかなり良くなりました。気持ち的な回復には時間がかかりましたが、じぶんに素直に動いてよかったと思っています。結果もついてきたし。

「じぶんらしく」「素直に」「正直に」生きるのに、向いている人と向いていない人がいると思います。そもそも、そんな人ばかりの社会だったら、収集がつかなくなると思いませんか? 「じぶんらしく生きていない」と思う人の人生だって、かけがえのないものだ・・・と思う今日この頃です。

(写真は、先日東京でおこなわれた味覚と嗅覚のワークショップ。スープを蒸留し、「スープの香水」を作りました。詳細はこんど私のブログ「魔女の実験室」に書きますね〜)

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