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東京と地方の両方に拠点を持つ。3.11以降、そういうライフスタイルを求めて動き出した若者や子育て世代は多いと聞きます。実際にわたしの周りでもそんな人たちがたくさんいます。
中にはマレーシアに子連れ移住!なんていうツワモノもおります。彼女のこの記事を読んで、私も変化生活の良さをシェアしてみたいと思いました。
わたしは二年ほど前から、二拠点生活です。オランダと日本。地球のほぼ裏側同士です。
聞こえはカッコいいですが、そうしたいと思っていたわけではなく、最初は「仕方なく」でした。まず日本からオランダに移住したのは2000年あたりでしたが、ようやくオランダに根ざすことができたな〜と思ったときには、ひどい牧草花粉症でした。毎年ひどくなってたんですね。蓄膿症や喘息など次々と併発し、しまいには生きるエネルギーそのものが無くなってきて、普通に生活できない、ほぼ寝たきりな状態になっていたのが2010〜2011年あたり。
日本やアジア圏にはあまりない花粉ですが、ヨーロッパ大陸にはどこにでも(トルコにさえも)元気に生えている、雑草の花粉です。飛散期間は1年の半分。高タンパク質で、粒子も大きいので、スギやヒノキの比較にならないくらい作用も強いのだそうです。なんとオランダはこの牧草ビジネスの中心地! わざわざ種を撒いてるらしいので、たまったものではありません。逃げ場は日本にしかない。
そこで医者の勧めもあり、家族を置いて日本の実家に帰ってしまいました。しかし、その甲斐ありました。昨年末くらいに蓄膿も喘息も回復。完治はできない病ですが、ほぼコントロール下にあります。花粉にあたらない限りは・・・。
子どもと離れて暮らす「離散家族」な状況なのは残念ですが、仕方ない。仕事の周囲に恵まれているので、平均すると1年に3〜4回、日本とヨーロッパを往復し、旅をしながら仕事をしています。なので結果的に、子どもに会えない期間が2ヶ月を超えることはない。学校が休みのときには日本に来てもらうし。
今では、定住国を持たない、ほんとうのノマド生活。当初は、「大変そう〜」と思ってたけど、人間、慣れるものですね(笑) スーツケースと Mac Book Air と携帯電話に投資し、どこでも仕事ができるようにしました。仕事の内容や方法も変えました。私物をたくさん処分し、モノをあまり持たない・買わないようにしました。軽量化のためだったら、投資を惜しみません(笑)。書類はぜんぶデジタル化してます。最近の趣味も、移動中にできる編み物と、身ひとつでできるベリーダンスになりました。(ノマドなので、ジプシー・ダンスが身に合うようです)場所を選ばない呼吸法も実践するようになりました。
「時差ボケは?」とよく聞かれますが、それも慣れるみたい。旅の前後になるべく予定を入れないでゆっくり過ごしたり、到着後はサウナか温泉に行って、少食を心がけたり、荷物を軽くしたり・・・と、様々な方法を編み出すことで、時差ボケや旅の疲れはほとんど感じません。家が成田空港に近いのもあり、いまでは新幹線に乗るような感覚で国際線に乗っています。
友人関係もダイナミックになります。もともと群れるのは好まないし、オープン・マインドでいればどこでも交流関係も広がるので、過不足のないちょうどいい感じです。定住地を持たなくなると、物欲も無くなり、あらゆる「欲」が無くなり、すべてがちょうどいい「中庸」なんですね。
いいとこどりしてると感じています。「ああもう少しでオランダ出るんだな〜」と思ったら、旬のホワイトアスパラを芯から味わって食べたり。オランダの良いところにも日本の良いところにも気づくことができるので、不平・不満が少なくなる。「あ〜 これ、オランダっぽいな〜」とか、「やっぱりこれが日本だよね」と、笑って流してしまう。スタックすることが無くなる。周囲にも自然に感謝ができる。
何より、「変化」への適応力をトレーニングすることで、若返ると思います! 実際、「若いね〜」「若返ったね〜」とよくいわれるようになりました。
変化を起こすにはエネルギーが要るし、周りとの摩擦をたくさん生みます。変化というのは、多くの場合、望まれていないのです。でも、前向きの、力強い変化であれば、周囲の理解はあとからついてきます。何かを変えたいと思った全ての人に、力がみなぎりますように・・・
先々週末のイースターを、オランダで過ごしました。たまたまむかし農場だった家に住んでいる友人が、そのロケーションを生かして、イースター・パーティを主催してくれました。
↑イースター恒例の「卵探し」中・・・
オランダ人は殆ど外食をしません。倹約を尊ぶ気質なので、レストランに行って食事をするということ自体、贅沢なことのようです。昼食だって、みんな食パンにチーズを挟んだだけの質素なものを持参します。レストランに行くのは、何かのお祝い事があった特別な時のみ。
そのため、誰か友達と一緒に食事をするといった場合は、ほとんどが「おうちごはん」。自宅に招き、招かれるということがけっこうあたりまえの日常なのです。なので、オランダ人は「ホームパーティの達人」。その技をご紹介します。
■なにかにつけてホームパーティ
まず、ホームパーティといった場合、2つのケースがあります。1つめは5〜6人くらいまでの、招待制の小さな集い。「一緒にごはんを食べよう」というのが趣旨です。
2つめは、それ以上の人数を呼ぶ大パーティ。この前訪れたイースター・パーティもこの類い。バースデイ・パーティや、ハウス・ウォーミング・パーティ(引っ越しパーティ)などもこれにあたります。オランダでは、誕生日の本人が自分でパーティをオーガナイズする決まりなのです。私もそれほど広くない自宅で、20人規模をホストした経験があります!(オランダ在住邦人なら誰もが通る道です)
前者のパーティと後者のパーティで、違いはそれほどありませんが、前者を「おうちごはんパーティ」後者を「大パーティ」としておきましょう。
■「ワリカン」ではなく、「分担/シェア」の文化
招かれた側は、おうちごはんパーティの場合は必ずワインを持参します。バースデイ・パーティやハウス・ワーミングの場合は、ワインorプレゼントを持参します。このまえのイースター・パーティは逆で、ドリンクはホスト持ち、ゲストが「なにか一品、卵料理を持参」でした。私はアイスクリーム・メーカーを持ち込み、その場でアイスクリーム作り。
一般的には18:00から始まるのであれば、夕食つき。19:30以降からであれば、ドリンク+スナックのみ。いずれの場合も、日本のような材料費ワリカン制とか会費制はありません。すべてホスト側のもてなしの一部なんですね。そもそも材料費なんてじぶんで料理を作ればたいした額ではないので、そこをケチケチする文化ではないようです。
ここはオランダ人のカンチガイされやすいところ。英語で「Go Dutch(オランダ式にいこう)」というイディオムはなぜか、「ワリカンしよう」を意味してしまうのですが、実際オランダのカフェやバーではワリカンの場面に遭遇した事はほとんどありません・・・。どちらかというとそんな楽しい場で数字で割ったり、キャッシュをやりとりするのを嫌う文化なのです。むしろ進んで人に奢ります。「これはじぶんが払うよ」「じゃあ次のラウンドはボクが持つよ」。そんな「シェア」の文化。なのになぜ「Go Dutch」みたいなぬれぎぬ着せられてしまったのでしょう・・・。オランダ人がケチで有名だから?
確かにケチです。質素倹約を尊びます。でもだからこそ、ホームパーティなのです。そうすれば、思う存分振る舞えるから。なので男も女もみな、料理の腕を上げる努力をします。「ボクはBBQ系のグリル料理が得意」とか、「私のピザは生地から作るから美味しいのよ」など、披露したい料理がひとつやふたつあるのが当たり前です。
バースデイ・パーティの場合、フードもドリンクもホスト持ち。つまり誕生日の本人が、みんなに振る舞うしきたりなので、そんな得意料理のひとつやふたつないと困るのが現状。こんな規模のパーティをもしレストランやバーでやっていたら、いくらあってもお金が足りないので、自ずと自宅パーティとなるわけです。フードを自分で作れば、ドリンク込みで20人2万円で収まります。大好きな人たちが自分のために集ってくれて、一緒に楽しい時間を過ごしてくれるのであれば、とても安い出費です。そしてホストは、パーティをオーガナイズするイニシアチブをとる時点で感謝され、社会的にもリスペクトを得ます。
そもそもホストは「自分のパーティでキャッシュを出させるなんて、粋ではない」と考えます。なのでホスト側は、会費が発生しないように、かつ自分に負担がかかりすぎないように、あらかじめ役割分担し、頼むものは頼み、バーであれば「21:00まではドリンクフリー」などの上限を明確に設定し、それをゲストとコミュニケーションするのです。あくまでワリカンではなく、「シェア」の文化です。
↑アイスクリーム制作中
■ホームパーティの延長戦で
私はこの大パーティの延長として、じぶんの結婚式もすべて自らオーガナイズしました。料理も自らしました。お好み焼きを約80人分、花嫁衣裳姿で焼いたのです(笑)! お好み焼きの材料費は安いもので、確かぜんぶで1万円くらいだったかな。結婚式の朝に、花嫁みずから自転車で市場にキャベツ10玉買いに行きましたよ。式が始まる2時間前には、花嫁はサラダのドレッシング作り、花婿はスープ作りに勤しんでいました(笑)70年代風ラウンジスタイルのクラブを貸り切って、会場・ドリンク・食器レンタルなども併せてぜんぶで20万円弱の格安パーティ。もちろん会費はとりませんよ!さきほど述べた通り、そういう文化ではないんです。
さすがに新郎新婦の手料理を振る舞うパーティは、オランダ広しといえどもあまり聞いた事がなく、みんなの記憶に残るウェディング・パーティだったようです。(笑)
お金に余裕があればケータリングが普通です。それか、料理上手な人をあらかじめ頼んでおくとか。そこで呼ばれるシェフはたいていセミプロで、パーティ料理の達人。私はこれまであらゆるパーティで、この類いの料理上手な人にレシピを聞きまくり、パーティ料理の腕を上げてきました。
■訪れる側のマナー
そこに集まる人たちに共通するのは、みんなホストと友達だということ。逆にいうと、そこにいるメンツでだいたいホストの人柄や興味、社交テイストがわかってしまいます。招待された側のマナーは、そこにいる誰もと交流する気持ちで訪れること。まず着いたら自ら、そこにいる全員と握手して軽く挨拶します。これがわからなかった移住当時、日本人的に恥ずかしがって誰かが話かけてくれるのをずっと待っていたなんてこともありましたっけ・・・(笑)新参者は、努力せねばならないのが世のきまり。
私のアーティストとしてのキャリアは全て、この類いのパーティで築いてきたと言っても過言ではありません。地縁が全くない私にとって、見知らぬ誰かにじぶんから話しかけることを地道に繰り返すしか、人脈を築くことができないわけで・・・つまりお酒好きなのが幸いしたわけですね。
■ホスト側の準備
じぶんでホストしながら料理したりサーブしたりする場合「決して慌てない」ことがコツのようです。「早く出さなきゃ」と慌てると、緊張感が走り、その緊張感を家人も察知してしまうので、雰囲気がギスギスしてしまいます。まずはお客さんに酒とつまみさえ出しておけば、だいじょうぶ。鼻歌うたいながらじぶんの世界に没頭する、くらいの余裕が大事だということですね。
オランダではベジタリアンが多いので、最大公約数的にベジタリアン食を作ることが多いです。材料も安上がり。つまみに肉や魚を入れれば十分ですしね。サラダ、スープは事前に用意しておいて、主食のパスタはその場で作り、デザートは人任せか、チーズを用意しておく、というのが私のいつものパターン。量は作りすぎないのも重要で、余ってしまうと見栄えがしないので、七掛けくらいの量がちょうどいいですね。
こういうパーティでは、男性がちょこちょこ動く方が映えます。奥さんはくつろいで呑んでばかり、というくらいでもいい。ダンナさんがホスト役を投げ出していいのは、シンデレラタイム以降(笑)。私は料理だけはしますが、他の部分、たとえば買い物、客の出迎え、選曲やBGM、見送り、片付けなどはぜーんぶ男性に丸投げで、呑みます!
そもそもオランダのパーティではビールをクレート単位で買うので、その時点でもはや女性の仕事ではない。人数が多いときは、ビールサーバーをレンタルしたりもしますが・・・。そのくらいオランダ人は、ビールを水のように飲むのです(笑)
■
最近、花粉症で体力が落ちてしまってからは、じぶんの5月の誕生日にパーティをやることができなくなってしまいました。そのかわり、息子がパーティの年頃になってきたので、毎年パーティをやってあげています。7、8歳のころからホスト役は息子に一任するようになりました。私はただのアシスタント。オランダの子達は、このようにパーティ・トレーニングされ、大きくなっていくのですね。
受験シーズンですね。この言葉を聞く毎に、体に微妙なテンションが走ります。
それだけ嫌いだったのでしょう。というより、「受験が楽しかった!」なんて人いるのでしょうか。いるとしたら、少数派ですよね。
じぶんが社会に出た頃も、「日本の受験システムは良い人材を生まない」的な議論があったので、そろそろ社会も変わるかと期待していたのですが、じぶんたちが親になった今でも結局、システムはあまり変わっていない。むしろ「お受験」に象徴されるように、子どもたちへのプレッシャーは少子化により昔より大きくなってしまった。
私自身も、「お受験」的なスパルタな母を持ち、たいへんなプレッシャーのもと育ってきました。そんな私が有名大学に進学するも、海外逃亡、国際結婚、しかもアーティストなんてアウトローな生き方になってしまった、その経緯をお話しましょう。
こんな私も、もともとは普通の子でした。まず小学校は、近所の公立に行きました。絵や習字、ピアノなどの「お稽古ごと」が大好きだったので、音楽や美術はもちろん得意。勉強も特に頑張らなくても”オールA”だったのですが、体育だけが苦手でした。
そんなのも小4まで。近所のスイミングの先生にスカウトされたのがきっかけで、競泳のチームに入りました。するとみるみる体力がつき、基礎体力テストで千葉市から表彰されるわ、学校代表で陸上大会や水泳大会に出るわ。小4から中2まではそんな感じで、日々5,000m〜10,000m泳ぐ、体育会系な毎日でした。
そんな中でも、中学受験をし、国立大の附属に合格しました。ここの受験は「抽選」が基本。抽選に通った後の試験では、学科だけでなく美術・音楽・体育・家庭科でも同等の点数を稼げたので、むしろそっちの方が得意な私には楽な試験。塾にも行かずに通りました。
しかし国立大附属というだけあって、実際は進学校。ほとんどの子が塾に通う中、私はその時間を水泳に割いていたので、自ずと「偏差値」はだんだん下がってくるわけです。
すると受験勉強が本格化する中2の秋、先生と親の両方から、「もういい加減にしろ」とのプレッシャー。オリンピックを目指せるような選手であったのならこっちにも説得力があったのですが・・・。悔しかったけど負けを認め、水泳を辞めました。そしてとうとう冬から塾に通い始めました。
当時千葉県でいちばん偏差値の高かった、「県立千葉」という高校が第1志望。母のプレッシャーは強大でした。あまりに強く、負けました! (^^;) 余裕の偏差値を持っていたくせに、試験当日に緊張してしまった。結果、第2希望で近所の「渋谷幕張」に進むことになりました。
この件で母にはずいぶん辛く当たられました。しかし今では「渋谷幕張」は「県立千葉」など足下にも及ばない、全国屈指の有名校になったと聞いてます。当時私が一身に受けた母の嘆きと怒りは、いったい何だったのでしょうね・・・「母さんは恥ずかしいよ」みたいなこと言ってたくせに、後になってから「うちの娘は渋谷幕張でねえ」と自慢気に話すので、勝手なものです (^^)。
当時の渋谷幕張は国際交流を売りにしていたので、一学年で20人くらい海外留学してました(今は進学優先で、留学生はいないそうです)。高校受験の失敗を日々責められ、辛く暗い毎日を送っていた当時の私。もともとあった興味も後押しし、留学は自然な流れでした。
奨学金を得て高2の夏から1年間アメリカに留学。日本に戻ってきた時、その分留年をしなくても良いように学校側が計らってくれたので、高3に編入しました。さあ大変! みんな受験勉強真っ最中。
しかも、留守にしていた1年分の内容は、自分で追いつかないといけない。なのに、アメリカナイズされた私は受験のための勉強なんてやる気がしない。赤点ばかりでした。髪はパーマかかってるし、茶パツだし(地毛だけど)、ピアスしてるし。まさに不良高校生・・・
アメリカに進学したい気持ちも無いではなかったので、TOEFL(英語)の勉強だけは本気でやりました。美大への推薦の話も来ていました。そんな中、留学担当の先生が、「こんなのあるよ」と話を持って来てくれたのが、慶応大学SFCの自己推薦制度、いわゆるアメリカ式の「AO入試」でした。
まず一次審査の「小論文・書類審査」が通れば、二次審査は「面接」。人物総合評価の試験です。将棋の名人だとか、花火職人だとか、一芸で受ける人が多い中、私にはそんな特技はなかった。けど、アメリカで絵を売って小遣い稼ぎをしていた話をマンガ風に描いたりして、「ありったけの自分」を表現しました。けっこうな倍率でしたが、その度胸を買ってもらい、合格。11月には入試が終わり、みんなが受験してるころにはせっせと教習所に通ってました (^^)
いちばんの報酬は、これで母を黙らせることができたこと。母の世間的な体裁はとりあえず繕ってあげたので(=自慢のネタを作ってあげたので)、あとの人生はすべて、自分の自由にできたのです。
そのため、今のような私ができあがってしまったというわけです・・・。おわかりですよね?
でも、就職活動もいちおうしたんですよ! 母がパートとして長年働いていた有名企業のキャリアとして内定をもらったんです。でも卒業間際に「やっぱりやーめた!大学院行く!」と、ここではなんと、母にしっぺ返してます・・・(^^;)。
このように、自分と戦うふりして、じつは「母のプレッシャー」という見えない敵を相手に戦っていたのだということに、今は気づく事ができます。しかし、若い頃は、視野が大きく持てません。「ここで失敗したら、人生すべて終わりだ」という強迫観念を母親から植えられると、それを信じてしまっていました。
アメリカに行ってようやく、「受験だけが人生ではない、人生はもっと楽しい」「受験はゲームのひとつに過ぎない」「受験は日本だけに存在するちっぽけな価値観で、世界には通用しない」という大きな視野を持つことができた。もし行く大学がなかったらアメリカに行けばいいとも思っていた。実際、慶応大学でさえ、オランダでは通用しない、世界的には二流三流の大学です。
しかし、この視野を持たずにやる受験は危険きわまりない。失敗したときに自分の人生を全否定してしまいがちなんですよね。もったいないです。
私の場合は水泳でしたが、習い事や部活、なにか好きなことを犠牲にしてしまいがちですが、それが子ども達の精神的な支えになってくれるはずなのです。どっちかひとつではなく、両立できるはずなのですが・・・。
子ども達にとって、この受験というシステムが最善なんだよ!と説得するだけの経験を私は持っていません。私にも子どもがいますが、日本の教育は受けさせたくない。自分が嫌だったことを押し付けたくないというエゴもありますが、世界に通用する人材に育って欲というのが本音。
受験生達には、ぜひこれもモノポリー的な人生ゲームの一場面に過ぎないということを知って欲しい。そして、そのようにナビゲートできるのは、他でもないご両親しかいません。
ちなみに、オランダの大学受験は、「本人の適性と動機のマッチング」が基本、その上で、志願者多数だった場合は、「抽選」です。ほんとに人生ゲームですね!
受験ってどちらかというと、親の方に課せられた精神修養ゲームなのかもしれませんね。
明日はいよいよJunkstageの6周年記念パーティですね! 読者の皆さま、そしてライターの皆様にお会いできること、心より楽しみにしています。確か私、記念冊子にも寄稿していたかと。パーティ詳細はこちらです:http://www.junkstage.com/fromstaff/?p=524
さて。今日のテーマは「じぶんらしく生きること」。必ずしもそれがよいというわけではない、というお話です。
よく巷の書店では「じぶんらしく生きる」的なセラピー本を見かけます。わたしもセラピー本は好きなので、幅広く目を通すのです。しかし私には、あまり役に立たないんですよね。というのもたぶん、私は根っから「じぶんに素直に」「じぶんらしく」生きているからではないでしょうか。そして、そんな生き方をしていることに気づかされるのは、特に日本に帰国したときです。周囲から明らかに浮いているように感じるときがそれです。
アーティストという人種は、私の定義をここに述べるとすれば、じぶんの自由な発想や思想をいろんな手段で表現する人です。つきつめれば、「生きるとは何か」ということに対して、オリジナルな美的価値観を持って表現する人です。オリジナリティ高ければ高いほどよく、つまり他人がやってることを真似しないことが最低条件ですね。表現手段はなんでもよく、極端にいえば起業することであったり、店を持つ事であってもいいのでしょうけど、五感的なメタファーを伴う方がダイレクトに伝わりやすいので、美術とか音楽とか舞踊とかの形式が存在しているのだと思います。
アーティストがそうあるように、ほんとうにじぶんに素直に生きたら、苦しいですよ。辛いですよ。他人と違うことをやる人への風当たりは、激しいからです。その負の部分を、セラピー本系は完全に端折っているように思えます。むしろ、アーティストになりたくてそうなったアーティストって、少数派ではないでしょうか。みんな、正直に、素直に生きて来た結果、それしかできなかったのです。
私もそんなひとりです。いろんな目的意識のアーティストがいると思いますが、私はひじょうにピュアでストイック。作品制作においてもなかなか頑固で、展示の機会があってもなかなかyesとは言わず、まず条件交渉をします。そこにはフィーなどの金銭的な交渉も含まれますが、まずはコンテキスト。私の意図やコンセプトを相手が理解してくれ、作品へのよいバイブレーションを生めそうな空間や展示であると判断したときにしかyesを出しません。コンテキストが合えば、その規模が大きくたって小さくたって、ノー・フィーでyesを出すことさえあります。逆にコンテキストが合わなければ、いくら札束を積まれてもyesを出しません。(実際に積まれたことはありませんが・・・笑)
そのため、あまりグループ展などに出しません。ロッテルダムのアートシーンでも若い頃は、「あいつは頑だ」と思われた節もあるかもしれません・・・。最近はわりと、経験と実績が伴ってきたことで、上手にじぶんを通せるようになりましたが。コミュニケーションのスキルも上がったのでしょうね。
仕事においてもこうであるから、プライベートでもなかなか頑固ですよ〜。じぶんはただ「じぶんに素直に」「じぶんらしく」生きているだけなのですけどね。
たとえば、長年患っている土地性のアレルギーのため1年半前、オランダに子どもを置いて日本に帰って来てしまった件。一般的にいえばほんとうに「ひどいお母さん」で、風当たりも強く、長年助け合う関係にあった人たちさえ離れていきました。
じぶんに素直に動くと、こうして敵も作ります。周囲に亀裂を生むからです。辛かったり苦しかったりですが、そこは強くあらねばなりません。しかしそれを辛抱すれば、じぶんを認めてくれる新しい人間関係にも恵まれます。違う見方をすれば、ある種の「人間関係のデトックス」なのかな・・・?
オランダを離れた当時は、風邪引き始めのようなダルい状態が年の半分を占め、鼻炎が原因で嗅覚障害が発生し、仕事にも支障をきたしていました。ときに判断力が鈍ったりもしましたが、「こんなふうに日々鬱々と暮らしているのは、私らしくない!」というじぶんの根源的な部分からのメッセージにより、決意し、実行したのでした。
あのままオランダに残り続けていたら、嗅覚を失っていたと思います。今もまだ鼻炎は残っていますが仕事に支障はなく、喘息もかなり良くなりました。気持ち的な回復には時間がかかりましたが、じぶんに素直に動いてよかったと思っています。結果もついてきたし。
「じぶんらしく」「素直に」「正直に」生きるのに、向いている人と向いていない人がいると思います。そもそも、そんな人ばかりの社会だったら、収集がつかなくなると思いませんか? 「じぶんらしく生きていない」と思う人の人生だって、かけがえのないものだ・・・と思う今日この頃です。
(写真は、先日東京でおこなわれた味覚と嗅覚のワークショップ。スープを蒸留し、「スープの香水」を作りました。詳細はこんど私のブログ「魔女の実験室」に書きますね〜)
15:00。なにげなくラジオを聞いていたらいきなり、ハスキーな女性の声が聞こえてきました。格調高いオランダ語に混ざって、セクシーに甘えるような喋りです。
アナウンサー(以下 ア)「こちらは娼婦のAさんです。こんにちは」
娼婦(以下 娼)「こんにちは」
ア「ところでAさん、いまおいつくつですか?」
娼「70よ。まだ私現役なの。ヴァギナは、まだまだ成長するばかりよ♡」
ア「そ、そうですか・・・」
・・・で、折しもアメリカの大統領選が熱い時期ですので、話題はそちらに。
ア「ところでAさん、アメリカの大統領選挙をどう見ますか?」
娼「まず、あのふたりは、わたしに言わせれば、ただのオスの猿ね。」
ア「はあ・・・」
娼「オバマは単におっぱいでヌクヌクしたくて、ロムニーはヴァギナが欲しいだけなのよ。アメリカではとくに、政治はセックス・パワーの見せ合いなのよね。・・・」
■
娼婦さんがこのように、大統領選をケチョンケチョンに批判した後。
オランダの某人気番組(パウル&ウィッターマン)の男性評論家が登場。もうひとりの女性評論家と、議論を交わしました。
議題は、「オランダにはなぜ女性評論家が少ないのか」。女性の社会進出が進んだオランダでも、言論メディアに影響力のあるのは男性ばかり。男女不公平ではないか、と。
男「女性は教育や仕事の機会も平等に与えられてるじゃないですか」
女「男性は既存権益にしがみついてばかり。男ばっかりでつるんでるし。これじゃなにもかわらないわ」
男「まあまあまあ・・・。きょうは天気のいい金曜午後なんだから、もうちょっとソフトにいこうじゃないか・・・」
男女の関係や問題って、ところ文化かわっても、大なり小なり似たようなものなんだな、と思いました。
■
そうそう、前出の娼婦は単に、アミューズ(遊び)の演出だったわけです。「女性(娼婦)が政治評論ってのも、珍しくていいんじゃない?!」というであり、暗のステートメント。
女性のメタファーとして娼婦っていうのもどうかと思いますが、真っ昼間からこんな奇抜な演出をするオランダのテイスト、ちょっとおもしろいですよね。きっと番組編集者が粋な女性だったのでしょう。
■
前回の「女性はどのように生きたらよいのでしょう?」コラム、多くの方から反響がありました。特に男性から多かったのが興味深いところ。
女性は女性でそれなりに自由を謳歌して楽しんでいるのは大いによろしいですが、男性はちょっとしたアイデンティティ・クライシスを感じる時代なのかも。
今回は男性バージョンとして、「オランダの男性は、強いオランダ女性を前に、どうやって生きているのか」をご紹介しましょう。
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まずオランダの男性は、家事育児なんでもこなす人が多いです。その点、「世界でもっとも理想的なパートナー」とイギリス人女性も賞賛しておりました。オランダ男子はこの点がクリアーできないと、結婚は難しいのではないでしょうか。
べつに上手にできなくてもいいんです。「シェアする気持ち」が望まれます。
べつに50%50%でなくてもいいんです。共働き家庭がほとんどですから、「火曜日と土曜日はボクの担当」あるいは、「料理はあなた、掃除洗濯は私」みたいなざっくりした決め方です。
子どもが生まれると、女性は3ヶ月ほどで職場復帰します。そして、フルタイムで働いていた男性は週5から週4か3へ、女性は週3か2へシフトすることが多いようです。これがオランダ・モデルとして有名な「ワークシェアリング」です。
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以下はオランダ白人家庭に非常によくある、一般的な例です。
月:子ども達は保育園へ。お父さん、お母さんは職場へ
火:お母さんは休み。家事育児係。
水:お父さんは休み。家事育児係。
木:子ども達は保育園へ。お父さん、お母さんは職場へ
金:お母さんは休み。家事育児係。
つまりお父さんは週4日働き、お母さんは週3。子ども達は週2で保育園に行く。
お母さんが週4働く場合、週1はどちらかの実家にヘルプに入ってもらうようです。レギュラーの場合は、親族といえどペイが行われているのが通常。
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女性には教育や仕事の権利(プラス、家事育児をシェアする権利)が平等に与えられるようになった昨今。だからといって「主夫」が出現するかというと、そうでもないようです。
「主婦」はたまにいます。子どもの数が多くなればなるほど負担が大きくなるので、一時的にお母さんが仕事をやめて、「お母さんは育児家事、お父さんは仕事」と分担する日本モデルのような家庭は、あるにはあります。都市部より田舎の方が多いようですが。
やはり男は働かなければならないのですね。かつ、家事も育児も分担し、夜は奥様をもちあげ賞賛しなければならない(笑)。たいていが厳格なプロテスタント的育ちをしている男性ですから、あらゆる悪の誘惑にも勝たねばなりません。(カソリックの場合は懺悔が救いになったりしている。)オランダの男性は大変ですね。
金銭的には、夫婦共同の「家族アカウント」というのを銀行で作り、そこに毎月定額振り込んだりします。ふたりとも同額というわけではなく、収入に見合った額です。
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オランダは一見、非常にフラットな男女平等社会に見えますが、社会的ステータスだけは別もののよう。会社の重役、大学教授・講師、評論家、政治家などなど、社会的なリスペクトを得られる(あるいはそれを必要とする)職業は、男性ばかりです。(しかも白人系)
私もじつは、オランダ王立アート・アカデミーなど様々な大学で非常勤講師を務めたことがありました。そのときに学生にいわれました。「女性に教わるのは、そういえば初めて。」
しかも、アジアからの移民の女性ですよ。社会的にはエギゾチックではあるが、ひじょうに弱い存在。(日本でいえばフィリピン女性の社会的地位がこれにあたるかもしれませんね。)オランダではそんなヒトが大学で教壇に立つなんて、じつは異例中の異例。教える側も教わる側も、やりにくい。教えるたびに私は、肝っ玉が強くなりました。
私がアカデミーに採用されたのも、ちょうど学校側の良識ある人たちが「アカデミックな世界も女性や移民を積極的に受け入れるべきだ」という反省を見せ始めた時期でした。彼らは私の友人達でもあるのですが、とてもオトナな態度です。
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そんな流れがいま、オランダ社会全体にあります。冒頭に紹介した娼婦のトークもその象徴。男性って、社会的なステータスがあるていど必要な生き物で、そこは女性のネイチャーではありません。しかし、男性からのオトナな反省、手放す勇気、そして寛容な受容あってこそ、女性も社会進出できるというもの。器のように受け入れるそんな優しさだって、男性のネイチャーです。
このように、オランダにおける女性の社会進出は、まだまだ試行錯誤中、現在進行形です。難なくスムーズに進行したと思っていたらおおまちがい。読者の方は意外に思われたかもしれませんね。いろいろなクライシスがありますよ。
日本の方が柔軟だなあと思う部分もあります。ヨーロッパには伝統と歴史の重みがありすぎるのです。靴の修理屋さんひとつとっても、ギルド時代から続く職人気質とプライドが厳然と存在しているので、どんな女性でも簡単に入り込めるわけではありません。職人的なシェフの世界や、調香の世界だって、いまだに男性ばかりです。
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けれども、日本と決定的に違うのは、仕事をやめて出産した女性には当然のように社会復帰が期待されている点。「結婚を機に女性が仕事をやめ、家計一切を仕切り、旦那さんは奥さんからお小遣いをもらう・・・」といった日本の既存のフレームを説明すると「それでは奥さんは、年金生活に入ったようなものじゃないか」とビックリされます。
確かに、女性の選択肢や生き甲斐が変化した現代においては、出産した女性に「社会から引退してしまった感」を持たせないようにすることが、思いのほか大事なことなのではないでしょうか。それができる器を持っているのは、ほかでもない、男性/お父さんです。
それは女性にとってもプレッシャーですが、「現役」であることの歓びは、女性をいちだんと生き生きとさせます。そして何より、子ども世代にとって、それは希望ともなります。
オランダにはいわゆる「お局様」はいません。お母さんとなった女性は、外見が武器の若い女性と違い、熟成した内面と安定性、そして母性が評価され、一定のリスペクトを得ています。お母さんになると、それまで24時間まるごとじぶんだけの時間だったのが、ほとんどゼロになります。そのため、手際が良くなり、仕事の効率が上がり、計画性もつくのです。
オランダのお母さん達の働く目的は、どちらかというとお金ではなく、生き甲斐です。女性が家計を半分負担するとなると、こんどは家庭が殺伐としがち。子どもが病気になったときにどっちが休むかで、喧嘩が始まりましょう。なので、あくまで稼ぐのはお父さん、というフレームを崩している家庭は少ないようです。
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男女の関係において、このような激変の時代に身を置いている私達。このテーマにかんたんな解があるわけがありません。男も女も、心と体を柔軟に鍛えておくことが、ひとつ支えとなるでしょう。
日本では、ヨガをやっているのは、ほとんどが女性ですよね。オランダでも、女性が多いのは確かですが、男性率もかなり高いです。ある晩ヨガスタジオに行くと、私以外はみんな男性だったなんてこともありました。日本の男性も、オランダの男性のように、ヨガでココロもカラダも柔軟に保ち、アイデンティティ・クライシスに備えておきましょうね♪
(冒頭写真は、このテーマとはまったく関係ありませんが、オランダのチーズ売り場です〜)
飛行機を降り立つと、美人の金髪女性パイロットが次の乗務のためにゲートでスタンバイしていました。キャップはしっかりかぶりつつ、下はスカートという姿。この組み合わせは見慣れないけど、とても決まっててカッコいい。
スーツケース受け取りの前に空港のトイレに寄ると、女性用トイレに男性が駆け込んで来てビックリ。一瞬私が間違ったのかと思ったら・・・「まいったよ、あっち掃除中だってさ〜」と平気な顔をして言う。ああそうだ、ここはオランダだった。
そして入国審査へ進むと、銃を腰に睨みをきかせているのはニキータ風のスラリとした女性。長い黒髪を三つ編みにして、ちょっとパンクな感じで、カッコいい。
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半年ぶりにオランダに戻っています。これらのエピソードはオランダ女性の社会でのあり方を端的に示すエピソードのほんの一端です。
日本でも女性のあり方は急激な変化を遂げていると思います。かつてないほどに自由を与えられているのです。教育の機会は平等だし、労働環境もいちおう平等。それでいて、結婚して家庭に入るか、キャリア・ウーマンとして上を目指すか、あるいはその中間に留めて共働き夫婦をやるか、選ぶことも可能です。
しかし子どもを産むのはどうやったって女性、しかも45歳以下の間にしかできない。そういう現実と、人類の未来を考えると、女性へのプレッシャーはいつの時代もとても大きい。だって、女性が子どもを産まなくなったら、人間がいなくなってしまうんですからね・・・
女性の自立が可能になってしまうと、そもそも日本の男性は子どもっぽいので、そんな男性を必要とは思わないという女性も多いかもしれません。これではますます日本からヒトが減っていく。
そんないまの時代、女はどう生きたらいいんでしょう?
この結論の出ない命題に関して今日は、オランダで生きてきた私の経験をいくつかあげながら、考えてみましょう。女性の社会進出がもっとも進んでいると考えられている北欧圏です。男性の方々、スミマセン。今回は女性目線ということでやや辛口ですが、ご容赦ください。
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先に述べておくと、北欧的なフェミニズムが理想かというと、わたしはどうも素直にうなずけません。確かにこの社会では共働きがあたりまえで、女性の地位も高いのですが・・・。なんというか、女性が必要以上に強がっている気がするのです。
まず、女性らしさとかセクシュアリティとか、あるいは恥じらいといったものが、日本とは常識が違うのかもしれません。このまえもヨガのクラスに行ったのですが、更衣室は男女わかれていなかったりします。この文化ではパンツとかブラジャーなら「下着」とは見なされず、「服の一部」。ちなみにこの、男性の前でもつい着替えてしまいそうになるクセは、日本にいってもしばらく抜けませんでした(笑)。
サウナとかスパに行っても、男女とも素っ裸で一緒に入るので、日本的な感覚で行くと落ち着かないです。10分くらい経てば、次第に慣れるのですけどね。
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このように、公衆の面前では男も女も同じ人間として扱い、性的な対象としてみなすべからず・・・みたいな約束ごとがあるような気がします。プロテスタント的な、禁欲的な発想ですね。もちろん、バーとかクラブとかはプロトコルが別ですが。日本でよくある「電車の中での痴漢」なんて、ここではありえません。AVビデオとかピンク系のお店などもあるにはあるのですが、そういう良識ある層にとってはタブー的な感じさえします。
なので、お洒落してスカート短めに会社に出勤・・・みたいな行為も女性はあえてとりません。化粧も洋服も、あくまでも身だしなみを整えるという程度におさえ、「カワイイ」より「カッコいい」を好みます。殆どの女性はズボン。スカートはあまり見かけません。
とくに私が身を置くアート・シーンまわりは、化粧をしたらかえって浮いてしまうほどです。みんなナチュラル。「女」を全面に出して仕事するのは、かえって不利になったりもします。なのでおのずと私も化粧をしなくなってしまいました。普段は化粧水と乳液のみ、夜のお出かけのときにはアイラインとリップを追加して・・・といったていどです。日本的に見れば女を捨てた感じですが、ありのままでいれるという良い点もある。
息子のお母さん達をみてもそんな感じです。ばっちりメークしてお洒落しているのは、70’sのヴィンテージ系をじぶんのファッション・スタイルとしている方たちくらいかな? それはそれはCute & Cool ですが、オランダではちょっと浮いてる感があるのも事実。
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このようにオランダで仕事をする女性はみな、じぶんの女性的な部分を覆った「パブリックな顔」を持っています。そうじゃないとやっていけない。そこは強さでもあり、弱さでもあります。というのも、誰でもそのような顔をいつも持てるわけではないからです。カスタマーサポートなどで、相手を男のように思ってやりあって一線を越えたりすると、いきなりヒステリーで返されたりする(笑)。
オランダの女性はみな、ピシッと背伸びして立っているように見えますが、その足下はメタリックなヒールの靴ではなく、もろいガラスの靴のように思えたりもするのです。けれども彼女達はプロテスタント的な環境の中で、そんなガラスの靴でも胸を張り、器用に歩けと育てられたのだろうと思います。
わたしはそんな環境下で育ったわけではありませんが、子ども時代よりじぶんが女であることを顧みず、男性と同等に・・・と肩を張って歩いていたような気がします。ずっと共学でしたしね。日本ではそれはそれは強い女でしたが、日本育ちの私がオランダで同じように演じてもしょせん、ガラスの靴で器用に歩けません。なので、さっさと見切りをつけ、20代のうちに結婚して出産してしまいました(笑)。
でもその後はふしぎと肩の力が抜け、じぶんなりの歩き方を見つけることができました。社会的に弱い「東洋の女」ではありましたが、そんな私にしかできない仕事を、私のやり方で、しなやかにやればいいのだ、と思ったのです。こうして、誰も踏み込んでいない「匂いのアートの世界」の扉を開けたのでした。
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いつか、コラボレーションしていたスウェーデン女性に言われました。「あなたは、白人ではない女性というだけで、そのままでエギゾチックなのよ。何をやっても、だれも文句いわない。だからそれを利用して、エキセントリックなことを思う存分やるといいわ。羨ましい。」
そんなことを言われ、とてもビックリしました。流暢な英語を駆使したコミュニケーションで、社会的にも立派なオトナな立ち回りができつつ、逞しくシングルマザーもやっている彼女こそ、私にとって叶わない、羨ましい存在だったからです。
じつは「ガラスの靴」の存在に気づき始めたのはこのことがきっかけ。やはり彼女もガラスの靴を履きながら、弱音ひとつもらさずに必死に歩いているんだ・・・と、ハッとしました。
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最近になってこそ「女らしい」といわれ、若い女性からも「ステキ」ともてはやされ上機嫌な私(笑)ではありますが、それはほんとうに最近のこと。中学時代まで競泳をやっていたのもあってまるで(ガタイも含め)男みたいだったし、その後も突っ張ってて、可愛げが無く、意地っ張りで。常にジーパンで、豪奢な飾りやフリルのついた女性的なカワイイものは毛嫌いしていたし、女らしく振る舞うべき状況では根っからの反骨精神が顔を出し、全身で拒否していました。
ところが、もしかしたら嗅覚の仕事が「女らしい世界」への扉を開けてくれたのかな、とも思います。最近はベリーダンスを始めたのもあって、キラキラしたジュエリーとか、女子会独特の「女性万歳!」的なノリとか、カワイイ女の子とか、セクシーな踊りとか(笑)、大好きになってしまったわたし。
変われば変わるものです。「女性はやっぱり、じぶんの美しい姿を鏡で愛でてなんぼのもん。腰のラインを綺麗にポーズとって、うっとりしましょう」とわたしのベリーダンスのティーチャーは言い切りました(笑)が、ほんとうにそうだなあと最近感じています。花の良い香りを嗅ぎ、心地いい音楽を聞いて、美しく踊って、優雅で柔軟な物腰で生活して仕事して・・・女って、もともとそのように作られた生き物なのではないでしょうか。
「愛されたい」「モテたい」が故にいろいろ頑張ってしまうのもわかります。しかし女は、自分で自分を愛でていれば、おのずと愛される・・・そうではないですか?
女を武器にしなくてもいい。でも、肩を張らなくてもいい。そんなポジションにリラックスして立つには長い道のりがあり、若い女性にはなかなか難しいかもしれません。そんな女性たちのエンパワーメント、お手伝いできればいいなあと、いつも思っています。
でも女性がそれで満ち足りてくると、ますます日本の男性を必要としなくなるのでは・・・という危惧もあり・・・悩ましい問題ですね(笑)。
(オランダ発・オルタナティブな日本映画・文化祭 カメラジャパン・フェスティバルにて。コスプレ好きの可愛い女の子たち。私も左上の彼女と一緒に、ひとつイベントを披露しました。詳しくは私のブログへ。)
オランダにはあって、日本にはないもの・・・
そんなもののひとつに、
「ケチであること」があげられます。
「ケチ」というと、とってもネガティブに聞こえますよね。
オランダのみなさん、すみません。
でも事実ですから。
きっと他のヨーロッパ諸国の方々も、
「うん、オランダ人はケチだ」とうなずくでしょう。
いちおう名誉挽回させていただくと、
正確にいうとすれば、
「値段交渉好きである」「値踏みが好きである」
「投資価値の吟味が好きである」。
そんな表現になるかな。
オランダでは「ケチ」はひとつの文化であり、美徳であるともいえます。
数字の交渉をすることを、みなさん楽しんでいるかのようでもあります。
金額の交渉。条件の交渉。
交渉にありとあらゆる議論を持ち出し、
自分の「見方」を相手に伝えようとする努力。
それは、お互いのコミットメントを明確にするためのコミュニケーションであると、オランダ人は考えてます。
さすが、自由貿易への熱意によりできあがった国。
交渉を有利に持っていくために、
「ウチにはお金がない」的に見られるための演出をすることだってあります。
オランダでのビジネスでは特に、質素に見られる方が得な場合があります。
そのためか、オランダ人は概ね、見栄とかファッションとか、あまり気にしません。
取引先とのコミュニケーションを図るための会食だとか、ゴルフだとか、
そんなものも皆無です。
平日18時以降と休日はファミリーのための時間なので、
そんな時間帯に仕事をするなんてまっぴらだし、
交渉はもっとストレートで現実に即すべきだ、というのが大方の意見。
以前、「女王様の日の国中フリーマーケット」について書きましたが、
オランダの子ども達は1年に1回、じぶんでビジネスを作る機会が与えられます。
要らなくなったオモチャをレジャーシートに広げて売ったり、
「金魚釣り1回1ユーロ」的なゲームを考えたり、
楽器を演奏したり、ジャグリングを披露したり。
おそらくオランダのほとんどの子どもがこの日、自分なりの「ビジネス」を試みた事があるはず。
大人は「そんなことしてもたいした額にはならない」と考えたとしても、
子どもにとって、1ユーロでも2ユーロでも、じぶんの力で稼げるチャンスというのは
とてつもない魅力なのです。
(高校時代のアルバイトを思い出してみましょう。)
想像力豊かな子ども時代にそういったチャンスに恵まれる。
これは想像以上にこの国のルーツとなっていると私は思います。
私はフリーランスのアーティストですので、交渉ごとはもう日常茶飯事です。
フィーの交渉と、展示期間や空間、PRなどの条件の交渉は、まるごとセット。
「こんなに大きな空間を埋める作品を展示するんだから、もっとフィーをくれ!」という私の主張も、
「今回は申請した助成の70%しか取れてないから、もっと安くしてくれ!」という依頼人の主張も、
双方が遠慮なく出し合うことのできる文化です。
そこに求められるコードは、敢えていえば、「クールであること」と「ユーモア」でしょうか。
深刻にならず、熱くなりすぎず。軽く、冷静に、ときに笑いを交えて。
大阪で仕事をしたときにも似たような値段交渉の文化を感じ、快く思いました。
大阪では、デパートでも値段交渉するんですってね!
さすが商人の街。
大阪のこのカルチャーは、大いに国際的に通用すると思います。
橋下さん率いる大阪が、ひょっとしたら今後の日本のkeyになるのかもしれませんね。
先日、作家活動のベースとしているロッテルダムにて、ある「嗅覚のアート」に関するイベントにて、プレゼンテーションをしてきました。
展示したのは、OLFACTOSCAPE という2010年の作品。布で作られた直径3mの空間で、「空間における匂いのコンポジション」をテーマにしています。タイトルの” OLFACTOSCAPE” は、OLFACTO = 嗅覚、SCAPE = あるシーン、この2つの単語で作った造語です。
今回は、サブテーマとして、 deconstructing Chanel No. 5 を掲げました。直訳すると「シャネル5番の分解」。
その詳しい内容は、すみませんが私の作家活動ブログの方をご覧ください。
http://witch-lab.blogspot.jp/2012/03/olfactoscape-deconstructing-chanel-no-5.html
どこの世界でもそうですが、この世界にも競争があります。西洋人はエゴ丸出しになり、いかに多くマイクを握って発言するか、・・・みたいな競争も始まります。発言しないと、存在しないことになってしまう文化ですから。遠慮とか謙虚とかいう言葉は、彼らの辞書には存在しません (笑)
しかし私は長年のヨーロッパ生活から学んだことですが、それは日本人のネイチャーとして、不可能とはいわないけど、かなり無理があると最初から諦めています。特にヨーロピアンがマジョリティなこういうイベントでは・・・。言葉の問題もありますが、根本的なアティテュードの問題です。
でも、それが悪いわけではありません。いかに中身で勝負できるか、いかに言葉で説明せずに理解してもらうことができるか、いかに作品自体に語らせることができるか、そういう方向にベクトルを向ければいいのです。結果、ストイックになり、作品にも強い芯が通ります。
今回のプレゼンテーションは、明らかにそのベクトルが産み出した結晶といえます。
イベントでは明らかに、私の作品が人気でした。体験するための長い列ができたほどです。あとから友人から聞いたところによると、プレゼンしている私の姿もチャーミングだったとか(笑)。そうでした・・・日本人女性はなぜかありがたいことに、どんなことをしようと、チャーミングに見えるんです。西洋人との比較の問題ですが・・・。だから、カッコ良く見せたり、賢こぶったり、雄弁になったりするのは、得ではありません。変に「私が、私が、」としゃしゃり出るより、沈黙を選んだ方が、みんな勝手に「なんかエキセントリックでチャーミング(魅力的)かも」と解釈してくれる(笑)。それに前に出て行こうとするとなにしろ疲れます。そんなに若くもないし、体力もついてきません。これを学ぶのに10年かかりました。
イベントに先立ってオーガナイザーがインタビューをビデオにまとめてくれたのですが、「これほどシンプルに意図を説明してくれたアーティストはあまりいないよ」と評価されました。みんな、言葉で説明しようと必死になるため、いろいろな訂正が入って、編集が大変なのだとか。(笑)
そもそも、アートって、言葉にならない部分を表現して、直感的に感じてもらうもの。それなのに言葉を使って説明しないといけないないなんて、おかしいなあ・・・ と、オランダに移住して間もない頃は思っていました。だって、英語やオランダ語で説明を求められるのは、苦痛でしたから。「んもう、わかってよ!」とどれだけ思ったか。(そんなことが重なり、結果的に「もっとも直感的で本能的な感覚」である嗅覚への表現にいってしまったのかしら・・・。)
今回は作品が雄弁に語ってくれました。評判が評判を呼び、オランダの全国紙に掲載されるわ、リトアニアの雑誌に掲載されるわで、大満足です。
そういえば、「日本での展示はないのですか」とよく聞かれるのですが、日本はリスクの高い実験的なアートはあまり好まないお国柄ですので、嗅覚のアートなんて認められるのは、5年とか10年とか先、ヨーロッパやアメリカでもう使い古された頃の話かもしれませんね。残念ながら。(笑)
日本で誕生日というと、人にお祝いしてもらうものですが、
オランダでは、
自分でイニシアチブをとり、周囲を盛り上げます。
どちらかというと、「自分から周囲にお祝いする」といった感じです。
日本では、
「今日、誕生日なんだ!」っていうと、
「だからお祝いしてよ!」と押し付けがましく聞こえてしまうケースもありますよね。
もちろん、ケース・バイ・ケースですけど、
周りの人がその人の誕生日であることを思い出してあげることができなかったら、
ちょっと気遣いの足りない人だと思われたり。
わたしも悪気はないのだけど、
人の誕生日を覚える方ではないので、
日本ではなんとも不便です。
そんなあなた!
オランダは楽ですよ。
誕生日の人が、「今日、誕生日でっす!」と周りに宣言するのが一般的なので。
もし日本人的に、控え目に、いちにちを過ごしたとして、
なにかの瞬間に
「じつは、昨日誕生日だったんだよね・・・」
なんてことを口走ってしまった日には、さあたいへん!
「なんで、言ってくれなかったんだ!」
と怒る人さえ出て来るかもしれません(^^)
だって、すっごーく失礼なことなのですから。
じぶんから言わなかった→周りに祝って欲しくない→拒否されている
みたいにとられてもおかしくはないのです。
日本人の奥ゆかしさは、
ここオランダでは裏目に出てしまうことが多々ありますが、
これはそのひとつの例。
私も、経験しながら学びました。
さて。では、オランダ人のみなさんはどうやって「じぶんでお祝い」しているのでしょうか。
いちばん良いのは、バースデーバーティを主催する事です。
自宅でやるのも良し。外でやるのも良し。
2週間くらい前にインビテーションを送ります。
18:00に招いた場合はディナーから、20:00以降であればドリンク&スナックのみ、
そんな暗黙の了解があります。
もちろん主宰者(誕生日の本人)が、食べ物やドリンクを用意します。
外でやる場合は、バーが多いです。
全額負担する場合もありますし、2ドリンクのみ負担するやり方もあります。
招かれた側は、ワインなりプレゼントなりを持参します。
プレゼントも20ユーロ(2000円)ていどに収め、豪華にはしません。
ここでポイントは、「自分が主宰者」であるということ。
他の人が主宰者の場合は、たいてい「サプライズ・パーティ」です。
昼間、会社でもじぶんで率先して「お祝い」をします。
そのツールとして、アップルパイを焼いて持って行く・・・という習慣があります。
そのためか、ここではゴツい男性も女性も、見かけによらず、
多くの人がアップルパイを焼けます。
円形のケーキをみんなで分けて食べる、という行為に意味があるのだとか。
でもクラスメートが多い学校でそれをやると大変なので、
日本のバレンタインデーの義理チョコみたいに、
マフィンや小さいオモチャなどを小分けして持って行き、みんなに配ります。
(よく私は、息子のクラスメート全員に、折紙で何か作ります。)
15分ほどのお祝いの時間が設けられ、
みんなでバースデイ・ソングを歌ってお祝いします。
主役は先生から「あなたはx年前、どこで生まれたの?」とインタビューを受ける事も・・・。
子どもが幼稚園生のうちは、親も出席してお祝いします。
私がとくに感動したのは、子ども達みんなが順番に私のところにも来て、
「あなたの息子さんの誕生日、おめでとう」と祝ってくれることです。
誕生日である本人のみならず、
家族全員にとってもめでたい日。
それは、とても自然な考え方に思えました。
息子の学校では、誕生日の人は王冠の飾りを頭にかぶり、胸にバッヂをつけ、
色紙一枚を持って学校中のクラスを廻り、
全員の先生にお祝いの言葉を書いてもらう、という習慣があります。
これはオランダでもユニークな習慣のようです。

下級生にとっては、上級生のクラスに足を運び、
担任の先生とクラス全員に顔を覚えてもらう良い機会。
上級生にとっては、下級生を上から目線で眺める良い機会かと(^^)。
今年は息子も「パジャマ・パーティ」を催し、
5人の男の子が泊まりに来ました。
我が家は、まるで、動物園のように賑やか。
私はといえば、毎年恒例のケーキを2台焼き、
クラスメートと先生に配るクッキーを50枚焼き・・・
ことしもその嵐が去り、ホッとしてます。
・・・さて。オランダ式のバースデイ、いかがでしたか?
日本でもオランダ式に、誕生日パーティをじぶんで主催してはいかがでしょう。
私も数年前に、東京の青山のカフェでやったことがあります。
「来たいときに来て、飲み食いしたいものを注文して、その分のお金を置いて行ってね!そのかわりプレゼント不要!」式で。
自分を介して、知らない人同士が友達になったりして・・・
「気兼ねせず、いいね」と、けっこう喜ばれましたよ!





























