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2015/01/27

じぶんのアトリエを持つ夢が叶ってひとり祝杯をあげたその頃、

その夢をかいまみせてくれたひとは、くも膜下出血でひとり部屋に倒れていた・・・

そんな、ストーリーを以前、書きました。
(こちらの記事です)

札幌でオートクチュールのアトリエを構え、

ステージ衣裳やホステスさんの衣裳を40年以上に渡って作り続けて来た叔母。

70歳になったいまも、現役としてずっと服を作り続けていましたが、

ある日突然倒れたのでした。

 

その後の叔母は、手術を重ね、生死の境を彷徨ったりもしましたが、

無事に意識をあるていど取り戻し、

正月に見舞いに行ったときには、私の顔を見るなりニッコリしてくれました。

 

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「わたしね、石垣島に香りのアトリエを持ったんだよ。

名前、PEPEにしようかとおもって。」

そういうと、しわくちゃな顔で喜んでくれました。

 

 

その後、叔母は甲状腺癌も患っていることが発覚。

そのせいで、喉に食べ物が通らないとのこと。

彼女の意思もあり、自宅に戻り、自然に往く選択肢を家族で選びました。

あと1ヶ月ほどの命です。

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彼女の貴重な財産である、高価な布たち。

私も部分的に受け継ぎます。

香りと服飾はまったく別の領域ですが、

叔母直伝の洋裁は、ずっと続けている趣味。

ちょうど生地もステージ用のものが多いので、

ぜひ仲間たちのステージ衣裳作りで

生かしていきたいですね。

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2014/07/31

私の母は、介護も終えた3年ほど前、62歳で保育士として「再就職」しました。40年のブランクがありましたので、そのときはアシスタント的な保育士でしたが、ここ3年ほどの間にみるみるキャリアアップし、今ではなんと、グアムのとある保育園の園長・・・!

そんな話があっていいのでしょうか。そう私も思うのですが、実際にあったお話ですので、みなさんにご紹介します。

私の母は、昭和の典型的な女性ともいえ、ずっと主婦として、サラリーマンの父を支えつつ3児を育てました。長女である私が生まれる前までは、幼稚園の先生をやっていたそうです。やはり教育関係が好きなのでしょうか、私が小学生の頃には、家計を支えるために、進研ゼミの「赤ペン先生」を内職的にやっていました。

私の祖父母の介護を終え、見送った3年前、「ゴルフ代を稼ぐため」と、新聞広告に載っていた保育士職に応募。40年のブランクがあったにも関わらず、その人柄が認められたのか、ある大学病院専属の保育園に務め始めることになりました。

通勤1時間。朝早く起きて頑張っていました。これまで家族のためにのみ生き、家族にのみ頼ってきた人が、社会で仕事する、その変化に慣れるのは大変なものだったと思います。

その保育園に勤務して1年半経った頃でしょうか、私がたまたま友達のフェースブックで、「新しく近所にオープンする保育園が、保育士を探している」との情報を発見。軽い気持ちで母に教えました。

長い通勤時間に疲れていた母は、徒歩5分は魅力的と思ったようで、「きっともう64の私は採用はされないだろうけど・・・」と言いながら、いちおう面接に行きました。その面接者の方が私の人脈上の人物だったということもあるかもしれませんが、母をとても気にいったため、なんと母は創設メンバーのひとりになってしまいました。

その保育園は、日本人向けインターナショナル保育園。日本人の富裕層や、国際カップルが顧客です。たまたま私の旦那さんがオランダ人だったことや、息子がハーフであることから、先方の目には母がそうとう外国慣れしている人物に映ったのでしょう。

しかし実のところ、母は、英語をあまりしゃべれるわけではありませんでした。けれども、学生時代は英文科を目指したほど英語が好きだったとか。かくして実家では朝も夜も、英会話のCDがBGMとして流れるようになりました。

近所の保育園に務めて半年経った頃でしょうか、こんどは「グアムに同じようなインターナショナル保育園を創設したいが、園長になってくれないか」と頼まれたのです。

これには母も迷いました。英語に自信がないのと、園長としての責任を果たせるかといった問題。しかも、外国です。海外での生活経験もあり、じぶんひとりで仕事もして文字通り「戦っている」私は、大反対しました。その大変さ、辛さを、身をもって知っているからです。

しかし母は悩んだ末、「娘があれだけ海外で活躍してるんだから、私にだってできるはず」と考え、受けることにしたのです・・・なんというずうずうしさ(笑)

園長として開園準備のためにグアムに出張するキャリア・ウーマンとしての母を見るのは、家族にもちょっとした驚きでした。たったの3年で、こんなに変わってしまうとは・・・。今年の2月から赴任し、めでたく開園までこぎつけ、5月にちょうど契約が切れたので、現在は日本の保育園で待機しています。

母は私と違って英語も達者というわけではないし、職務経験も数年ほど。パソコンさえできません。それでも、海外赴任、しかも園長の話が来るというのは、やはり母の人柄からでしょうか。

母はとにかく周りを立てる人です。溌剌としていて、若く見えるのも手伝って、とにかく人に好かれます。健気なので、能力の足りない部分は努力して補おうとします。甘え方もずるいくらいカワイイです。そんな人には、いくらでもチャンスが向こうからやってくるんですね。信頼とチャンスを得るには、力ではないのです。人柄です。

しかしわたしたち家族から見た母は、また違う人間です。いつも、わけもなく八つ当たりされていたので、特に長女である私は母と戦いながら育ちました。外ではとても「いい人」を演じるあまり、そのひずみが家族に降り掛かってきます。理由はなんでもいいのです。イライラがバケツ一杯になったら、それが溢れ出し、父と私に流れ出すことの繰り返し・・・ ^^; 

この問題は成人しても変わりませんでした。オランダから帰国し、実家に身を寄せている間にも、なんどバトルがあったか・・・

しかし。それが最近、変わったのです。考えてみれば、ここずっと、実家が平和なのです。疲れからイライラすることはあっても、それを周囲に振りかざす率が減ったのです。母もじぶんのことに忙しくなり、じぶんに自信を持ち始めたからかもしれません。私もアパートを借りる時の保証人を母に頼むことになり、「こんな日が来るとは思わなかったね」、と母を讃えました。

そしてそんな母を私のできることで助けてあげると、とても喜びます。そもそもインターナショナル保育園の伝手も私の人脈なので、フェースブックもこまめにチェックしててほんとうに良かった〜と思いますね!(笑)

思うに、母は、自分のできないことを実現している娘に対してヤキモチを焼いていただけかもしれません。だから、母もそれができたときに、問題が無くなった。女性の人権など無いに等しい昭和に生きた人ですから、やり場のない気持ちがあったのかもしれません。

私は理不尽に個人的な感情をぶつけてくる人を、なるべく避けるタチです。なので、仕事上でも、極力理性的な人たちを選びますが、世の中そういう人たちばかりでもない。そういう相手と、どうつき合っていけばよいのか・・・

家族の関係性も、人の関係性も、変わる。必ず。そう信じたいですね。では、変わるには、何が必要か。どうしたらいいか。・・・それが私の次の課題です。

2014/03/18

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いま、石垣島にいます。

3年ほど前、たまたま喘息の療養目的で来た島、石垣島。そこになんと今、住んでいます。ほんとにたまたまですが。

読者の皆様はさぞ驚かれることでしょう。この前までオランダで、いまは石垣島?(笑)いったいどこまで自由なんだ・・・と。けれどもここジャンクステージの読者の方であれば、なるほど、とその流れを納得されるかもしれませんね。過去に石垣島について書いた記事、掘り起こすと3本もありました!(1) (2) (3)

ここ石垣島の、とくに島の裏側・米原エリアの神秘的な海と山に惹かれ、取り憑かれてしまった・・・としか言いようがない。いや、今はそうとしか言えません。

療養の時は1ヶ月滞在しました。屋久島から石垣島までの広いエリアで療養地を探していたのですが、たまたま梅雨明していたのが石垣島だったのです。

アレルギーと呼吸器疾患に悩むじぶんの健康にも理想的な土地です。ちょっと喘息気味でも、海で数日泳げば、治ってしまうのですから・・・。(ここはウェットスーツさえあれば、通年シュノーケリングができます。とはいっても、冬場に実際泳いでるのはじぶんひとりだけですが 笑)

そんなこんなでその後も何度か通ううちに、この石垣島のような、海の近くの自然豊かな土地に、アトリエを作る・・・という夢を持つようになりました。

なので、コツコツと貯金もしてきました。しかし、当時は石垣島、アクセスが非常に悪かったのです。フライト代も正規料金だと東京との往復で12万かかった。つまり東京と行ったり来たりする場所としては不適でした。

なので、沖縄本島を含む、他のさまざまな地方も視野に入れました。東京では実家のある千葉を拠点にしていたので、房総半島の古民家も幾つも見に行きました・・・。でも、いまいちご縁のある場所はなかった。

そんな中、ちょうど1年くらい前に石垣島の空港が新しくなり、格安航空会社が参入し、東京や大阪からのアクセスが抜群に良くなった。(正規料金で5万。)実家の両親も健全なので、いまは多少の冒険も可能。

そしてこの土地の方との様々なご縁ができた。

そこで、思いきって部屋を借りてしまいました。3年前、療養で来た時に滞在した部屋です。その時はたまたまここしか空いてなくて、仕方なく来たものでしたが、水が合ったのでしょう。人生何がどうなるかわからないものです。格安物件なので、非常に不便な田舎にあります。しかもヤシ林のジャングルの中にあるので、夜になると周りは真っ暗で、ちょっとコワい。しかし、目の前は蒼い海、後ろは野性味溢れる山。畑も借りられます。

1年中花が咲き乱れ、すべてが香り立つ島なのです。つまり、香りの素材もそこココにたくさん・・・。今週は試しに、畑に雑草として自生するヨモギを蒸留して精油を抽出してみようと思ってます。

じぶんの人生にとって、かなりリスクの大きい変化です。東京と石垣は言わば同じ日本国内、アメリカやヨーロッパに住んだことのある私にしてみれば、ほとんど差はないはずなのですが・・・。

決して楽ではないのです。石垣島は東京から飛行機で3時間半かかります。仕事上、またプライベート上、常に海外と往復せざるをえない私にとっては、体力的にきついものがあります。旅費もバカにならず、生活費を極力抑えて捻出するほどです。

それにここには刺激がありません! 千葉や東京は、さすが大都市だけあって、わたしの文化的欲求を満たす刺激に溢れていました。個性的な人たちとの出会いも多く、クラブで一晩中踊ったりもできるし、週末は飲み会やイベントなどで昼も夜も忙しかった。文化的刺激に満ちたヨーロッパ暮らしが長かった私でも満足できるものでした。しかしココには海と山しかない・・・。

もう、引きこもるしかない、といった場所です(笑)。常にじぶんひとり。じぶんと向き合わざるを得ない。千葉には地縁があったので、二十年ぶりに戻っても何となくじぶんの居場所があった。そんなふうにずっと都会に生き、人に囲まれてきた私にとっては、ちょっとした変化です。でもこの孤独な世界にも、少しずつ慣れてきましたよ。

何より、使命とか天命、運命のようなものに突き動かされている気がしてなりません。じぶんでは抗えない何らかの力が働いている。言葉で説明するのは難しいのですが、引き寄せられてしまった感じなのです。

 夢は、広がります。森の中のアトリエでじぶんの作品制作をしつつ、ちょっとしたギャラリースペースを持って、さらに嗅覚教育的なワークショップもやって・・・香る植物の観光農園みたいのもやりたい。わたしの授業やワークショップを受けたいという人は、世界中にたくさんいます。たまーにですが、インターンで働きたい、という人もちらほら。そんな要望に応える場所がずっと欲しかったのです。

人生久々の賭け事です。より楽しく充実した明日を夢見て・・・おやすみなさい。

2013/07/14

この夏は赤坂にて新作のインスタレーション(建築家さんとのコラボレーションで作る「パヴィリオン形式」)を発表します。

展示詳細は以下をご参照ください。
http://iwhite.nu

ほぼ初めての東京での展示となります。皆様お誘いあわせの上、お越し下さいませ。

上田麻希

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オカムラデザインスペースR
第11回企画展
タイトル: 「白い闇」

■企画主旨:
オカムラデザインスペース(ODS-R)は、毎年1回の企画展として「建築家と建築以外の領域の表現者との協働」を基本コンセプトに、一人の建築家を選び、「いま最も関心があって、挑戦してみたい空間・風景の創出」をお願いしてきました。但し目指すのは、建築家の個展ではなく、建築家ともう一人の表現者が協働することで初めて可能になる新しい空間・風景づくりです。
そのODS-Rも今年で11年目になり、建築家のヨコミゾマコト氏、そして協働者にMaki Ueda氏を迎えます。昨年の12月から毎月1回の打ち合わせを重ねて、タイトルは「白い闇」と決まりました。
通常、建築家の仕事は空間をつくることですが、それは同時に空間の境界をつくることでもあります。境界が存在することによって、その内側のモノや状況がある状態に保たれ、他と区別され、守られます。空間を扱う職業である建築家は日々、その境界のあり様を考え続けていると言えます。あるいはまた、境界ができれば、閉じられた有限な領域が発生しますから、建築家は、有限な領域をつくり続けているとも言えます。
ODS-Rで試みられるのは、建築家にとっても、おそらく一般の人々にとっても、このような日常とは真逆に位置する、「無限に広がる境界のない空間」の創出です。広大な宇宙のように無限に広がる空間をつくってみたい。たとえ、物理的には不可能であっても、人の感性と想像力によってそれを可能にしたい。この不可能を可能にするために、ヨコミゾ氏と、嗅覚のアーティストUeda氏が協働します。ヨコミゾ氏の説明によれば、「形によって空間と時間をデザインする建築家と、形がないもので空間と時間をデザインする嗅覚のアーティストとのコラボレーション」です。
白いだけのまったく何もない空間。静かで豊かな空間ですが、そこは、視覚によって意味を読み取れるものが何も存在せず、それがゆえに自ずと嗅覚と聴覚が研ぎ澄まされます。嗅覚がかすかに捉える何か。匂いは日常世界に溢れていますが、私たちは、「ああ、これは何々の匂いだ」と単純に理解して済ませる傾向があります。実は、未解明の部分が多い領域であって、嗅覚は視覚や聴覚に比べると原始的かつ直感的で、記憶に直結する感覚だとも言われています。その嗅覚に刺激を与えて、人のもつ無限の感性と想像力を活性化させることが、今回の企画展の狙いです。(企画実行委員長/川向正人)

■企画建築家:ヨコミゾマコト氏(建築家)

■協働者:MAKI UEDA氏(嗅覚のアーティスト)

■開催期間: 2013年7月23日(火)~8月9日(金)10:00~18:00 (7月28日、8月3、4日は休館)

■会場: オカムラ ガーデンコートショールーム
〒102-0094東京都千代田区紀尾井町4-1
ニューオータニ・ガーデンコート3F   Tel : 03-5276-2001

■シンポジウム: 「知覚と空間」
2013年7月27日(土)15:30~17:30 (定員80名)
パネラー:ヨコミゾマコト + MAKI UEDA、 アンカーマン=川向正人

■ワークショップ: 「嗅覚と空間認識〜犬のように空間を探る〜」
2013年7月27日(土)13:00〜15:00(事前予約制:先着15名)

■ギャラリートーク:アーティスト達と匂いや建築、空間や知覚について語らう場。
2013年7月24日(水)、8月2日(金)、5日(月)、8日(木)19:00〜21:00

■参加申込・お問い合わせ先:
株式会社 岡村製作所 [お客様サービスセンター] フリーダイヤル0120-81-906

■入場料: 無料(展示、シンポジウム共)

■主催: 株式会社 岡村製作所

■後援: 日本建築家協会、日本建築美術工芸協会、東京インテリアプランナー協会/協力: 株式会社山本香料

■WEB: http://iwhite.nu(イベント等の最新情報や予約情報の配信を行う)

■twitter: @invisiblewhite 

■facebook: facebook.com/invisiblewhite

■企画建築家・協働者 プロフィール

□ヨコミゾ マコト(日本)
建築家

1962年  神奈川県生まれ
1984年  東京藝術大学美術学部建築科卒業
1986年  東京藝術大学美術学部建築科大学院修了
1988年  伊東豊雄建築設計事務所入所
2001年  一級建築士事務所
aat+ヨコミゾマコト建築設計事務所開設
2009年〜 東京藝術大学美術学部建築科准教授

受賞歴:
東京建築士会住宅建築賞金賞(2005年)
日本建築学会賞作品賞(2006年)
日本建築家協会賞(2006年)
International Architecture Award(2006年)
日本産業デザイン振興会グッドデザイン賞金賞(2007年)

代表作:富弘美術館、NYH、GSH、TEM、STYIM、MOH、新発田市庁舎(設計中)など。ウェブサイト: www.aatplus.com

□MAKI UEDA(日本/オランダ)
嗅覚のアーティスト

1974年 東京生まれ。アートと嗅覚の融合を試みる「嗅覚のアーティスト」。世界的に流行の兆しを見せている「嗅覚のアート」のリーディング・アーティストのひとり。2000年よりオランダに移住、現在は日本とオランダに拠点を置く。
視覚的な要素を排除した、匂いだけによる嗅覚体験を提供する作品を発表する。目には見えない匂いが、想像を膨らませたり、知覚の混乱を誘う役割を担う。こうして幼少の思い出の匂い、アイデンティティの匂い、感情の匂い、歴史の匂いなどを作り出し、インスタレーションやワークショップなどの形で作品を発表している。
食べ物や体臭など、ありのままの匂いを素材から抽出し、「香水化」する手法を独自に編み出すなど、素材レベルでの試行錯誤を得意としている。匂いを展示するためのインターフェースなども独自に制作する。特に嗅覚の知覚的な側面、錯覚や方向感覚に興味を持つ。
慶應義塾大学環境情報学部(学部1997卒、修士1999卒)にて、藤幡正樹氏に師事、メディア・アートを学ぶ。2000年文化庁派遣若手芸術家として、2007年ポーラ財団派遣若手芸術家として、オランダ&ベルギーに滞在。2009年、ワールド・テクノロジー・アワード(カテゴリー:アート)にノミネートされる。オランダ王立美術学校&音楽院の学部間学科Art Science や、ロッテルダム美大ウィレム・デ・コーニングアカデミーにて教鞭をとる。

代表作:OLFACTOSCAPE -シャネル5番の分解-(2012) オランダ・V2_にて展示。AROMASCAPE OF SINGAPORE (2011) シンガポール国立美術館にて展示。SMELL x ILLUSION -匂 x 幻 – (2010) オランダ・Urban Explorers Festivalなどがある。
ウェブサイト: www.ueda.nl

■OKAMURA Design Space R
それは、ニューオータニ・ガーデンコートのスペーシャスなオカムラ・ショールームの一画に、年に1度、全く斬新な企画で創出される展示とトークのための空間です。
毎回異なるジャンルの複数のアーティストが、アートの枠組みを超えサイエンスとインダストリーの新領域にまで踏み込む意欲的なコラボレーションを展開し、その知と美の新たな形式によって多領域に向けて確かなインパルスを発信します。

2012/08/30

夏休みも終わりに近いですね。

みなさん夏休みの宿題は終わりましたか〜?

昨日は私も、宿題追い込みの小1の姪をあずかり、いちにち監督をしました。妹はフルタイムで働きに出ているため、宿題がなかなか終わらなくて困ってるとかで。

午前中はドリルの時間。わたしも片手間で仕事をしながら、パン焼き器に材料を仕込み、スイッチオン。お昼ご飯はサンドウィッチにしようと思って。

お昼近くになると、パンの焼けるいい匂いがしてきます。いわゆる「シアワセ臭」ってカテゴリーがあるとしたら、こんな匂いなんだろうな〜・・・なんて考えながら、お腹を空かせつつ、仕事に励む。

お昼ご飯は焼きたてのパンでタマゴサンド。待った分だけのシアワセがあるということ、姪の顔から見て取れます。

午後は、お習字の宿題をやりました。たぶん、お習字というものは30年ぶりくらい・・・懐かしかったです。でも最近の墨汁ってあまり匂いがきつくないんですね〜。

夕方、宿題を終えて知恵熱が出た姪は、オバアチャンと遊び、その間に私はささっとカレーを作ります。カレーの匂いって、なんでこんなに食欲を誘うのかしら・・・と思いながら。

ふと、愕然とする事実を発見してしまった。姪っ子の面倒を見ながら、パンを焼いて、カレーを作るなんて、まるで私の叔母とやることが同じではないか・・・

 

幼少の頃よりオートクチュール・デザイナーの叔母から影響を受け、今でも共鳴することが多いという話は、こちらの記事に書きました。斬新な服を一から作りあげる叔母の仕事を側で見ていなければ、おそらくアーティストとしての上田麻希は存在しなかったと思います。

私が札幌に遊びにいくといつもパンを焼いてくれ、得意のカレーを作ってくれました。今でもそうです。カレーは南インドでのヨガ修行で習ったとかでかなり本格的。みずからスパイスをホール状から煎って調合したカレー粉を使うので、とっても香り高いのです。わたしもそのスタイルを踏襲しています。

パンの匂い。カレーの匂い。部屋に染み付いた、インセンスの香り。叔母と私の共通項のようです。しかも最近はベリーダンスを始めたせいか、かける音楽もインド音楽っぽくなってしまった。そういえば叔母もいつもインド音楽をかけている・・・。

ここまで行動が似ると、いったい何のせいなのだろうと思ってしまいます。

「わたしたちは、視覚や聴覚重視の生活をしていると思いがちだけど、じつは感情に結びついた嗅覚にコントロールされているのだ」と述べているのは、イェール大学の GORDON M. SHEPHERD。嗅覚は、科学の世界では最も低い位置づけなのですが、じつは嗅覚こそが人間の生活のドライブになってるのでは・・・という考えのもと、「NEURO GASTRONOMY」という本を書いています。まだ読みかけのこの本にも、答えがありそうです。

 

さて。私の姪も、じぶんの姪が遊びに来たら、パンを焼き、カレーを作り、インセンスを焚き、インド音楽を流すのでしょうか。それは未来のお楽しみ。

 

 

 

 

2012/08/18

 

今日は新月ですね。新しいことを始めるのにはとても良い日・・・こうして月の満ち欠けを感じながら日々を過ごすと、たしかに新月のあたりは静かに研ぎすまされ、あまりハシャいだり騒いだりアクティブになったりするのに向いていないな〜、と感じます。じぶんの静謐な内面と向き合い、語り合う時なのかな、と。

最近、とある方とのチャットで、「いつかどこかで、匂いや嗅覚の学校をやってみたい」と書いていたじぶんがいました。それがきっかけで、じぶんの未来の夢をあらためて意識するようになりました。

  • 世界中から誰もが、いつでも来る事ができて
  • 簡素な宿泊施設があって、安く滞在できて
  • 匂いや香りの基礎について学べて
  • 香りを素材から抽出するテクニックを一から学べて
  • 調香の方法も学べて
  • アーティストであれば、ひとつ作品を仕上げるところまでできて
  • ときにフレーバリストなどの専門家を招いて、講習会を開いたり
  • 花の香りに囲まれたガーデンがあって
  • ガーデンから摘んだハーブのハーブティーを一飲みながら
  • 参加者と一日中、匂いや香りの話をしたり(「ワインを飲みながら」、でも可)
  • 「食べれる香水」なんかを作りながら調理することも実習の一環で
  • リトリートとしてただ訪れてもいいくらいの魅力的な自然環境(海とか山)がそこにあって
  • ときに企業などから、研究依頼や企画依頼なども受ける研究所が併設されていて
  • その傍ら私もきちんと作品制作を続ける

この全ての要素を、個人的には小さな規模で、アトリエMAKI UEDA としてこれまでもやってきてはいるのですが、なにしろ自宅の片隅で、ひっそりした形で展開していました。これを誰もが気兼することのない、きちんと万人にオープンな形で運営したいのです。

学校といった大げさなものじゃなくても、ワークスペースとか、ちょっとおおきめのアトリエとか、自宅の延長でもいいと思っているんです。

山とか海の自然な豊かなところがいいですね。沖縄とか、できれば石垣島とか・・・?! うーん、考えただけでもワクワクしますね〜 (^^) 沖縄方面は熱帯だからか、自然環境に存在する匂いがとっても豊かなので、理想的です。

この夢は今になって突然ポンと湧いてきたわけではありません。世界的にも稀な「匂いのアーティスト」としてのキャリアの中で、徐々に周囲から期待されるようになったのです。

今までにも何度も、それこそアメリカとかブラジルとか世界中から、私のテクニックを学びたいとか、作品作りを手伝いたいといったメールをいただいたのですが、そのたびに「今は、受け入れるキャパがありません。ごめんなさい。」とやむなくお答えするしかありませんでした。そして、こんなのがあったらみんなの期待に応えれるのにな、と思ったことを描いているうちに、膨らんでいったんです。

日本からも何人もオランダに見学にいらっしゃいました。私が大きなスタジオかスクールを構えていて、常にワークショップが回っているかのような、みなさんそんなイメージを抱いてオランダにいらっしゃいます。(もちろん、私だけが旅行の目的ではないにせよ、大きな動機になっていたりして。)その度に、「ごめんなさい・・・じつは自宅のキッチンでひとりで制作してるだけなんですよ。よろしければ、うちに遊びにいらっしゃいますか? (^^;)」といった展開になっていたんです。

そんな中、オランダでは様々な美大で授業やワークショップを受け持つことができ、体系的に教えるということも経験しました。その経験はきっとこの「匂いと嗅覚の学校」に大いに役立つと思います。

今日からでもできることがあるはず。そう気持ちを前向きに、今日はとりあえず一歩前進するとしましょう。まずは夢をここに公言するところから始まります。言うとやらなきゃいけない気がしてくるので、プレッシャーです(^^;)

「うちの空家、使っていいよ」「わたし、スポンサーになってもいいわ」などの情報、大・大歓迎です  (^^)

2011/06/01

アートの世界では、作家の息子が作家で・・・といった世襲は珍しくなく、

そんなサラブレッドを羨ましいと思うもの。

でも気づいてみるとじぶんにも、「血」とまではいかずとも、そういった環境的要因はあったようです。

今回はそんなじぶんのアーティストとしてのルーツを、ご紹介します。

 

ところで、いま東京にてこの記事を書いています。

オランダより5月中旬に帰国しています。

今年の花粉症のシーズンが始まってしまったため、

「まずは被曝を避けないと・・・」と慌ててオランダを出てきました。

(ホソムギという、日本にはあまり生えていない牧草へのアレルギーです。)

「放射能だらけの日本に避難?!」

と周りからは驚かれましたけどね。

長期炎症による合併症(蓄膿・喘息)が悪化してしまったので、

いろんなことを休憩して、じっくり療養をしたいと思っています。

 

ちょうど帰国日程を祖母の納骨に合わせることができたので、

北海道に行って来ました。

北海道は、両親の故郷です。

親戚はほとんど北海道におり、幼い頃よりよく遊びに行っていました。

私自身は首都圏で生まれ育っていますが、そんなわけで北海道は第2の故郷。

いまでも家の中では北海道弁、外では東京弁です。

 

 

父方の叔母は、オートクチュールのファッション・デザイナーです。

 

67歳の今でも、札幌の自宅にアトリエを構え、そこにはお弟子さんが集まってきます。

叔母は(まだ)結婚していないため、子どももおらず、昔からずっと娘のように可愛がってもらいました。

叔母のアトリエに行っては、輸入ものの高価な生地の切れ端をもらい、

よくオモチャ代わりにして、リカちゃん人形に羽織ったりして遊んだものです。

(いまも素材には頑固にこだわるところがありますが、そんな他愛無い幼児体験から来てるのでしょうか。。。)

 

アトリエは、パリとかミラノとかのヨーロッパの気高い香りに満ちあふれています。

叔母が昔よくつけていたのは、シャネルNo.5。石鹸もシャネル。

その石鹸の匂いに惹かれ、わざわざ必要も無いのに手を洗ってたりもしていました。

私の成長期において最も影響を受けた人なのかもしれません。

大学生になってじぶんのお金で初めて買った香水も、シャネルNo.5でした。

 

ここでJunkstage読者のみなさまへ、PRです。

 

札幌近辺の方であれば、お気軽に「じぶんだけの服」のオーダーメードを相談してみてください。

ここだけの話ですが、そのへんのブランドもの既製服よりもずっとお得だと思います。設定のお値段が30年くらい変わってないらしいので・・・

(噂によると、飛行機代を払っても東京より安いとかで、東京からもお客さんがいらっしゃいます。)

洋裁教室、そして「内面からキレイになるための」ヨガ教室もやっています。

 

アトリエ PEPE & 洋子

札幌市西区西野1-1-7-5

011-661-6754

 

話を戻しますと、この叔母のお兄さん(私の父方の叔父)もちょっと変わった方です。札幌の高校の音楽の先生であり、作曲家でもあります。

先生という堅い仕事の傍ら、残りの時間とお金は全て趣味にかける人で、

じぶんでバスを買っては改造し、移動型サウンド・スタジオにしてしまうのです。

いまのバスは3代目か4代目。

 

北海道をバスでぶらっと旅しながら、オホーツクのサウンド・スケープを録音し、シンセサイザーで作曲するのです。

私が結婚したのが、似たような領域のオランダ人作曲家だったというオチも、

そんな人を身近に育ったせいなのか、なんなのか。

 

この叔父の奥様もまた、北海道でも著名な画家の娘であり、ピアノの先生(現役)です。

お父上から受け継いだ彼女の豊かな感性は、歳をとっても色褪せることが無く、

また彼女の兄弟にも音楽家が多く、

とにかくこの家の話を聞くたびにいつも「素敵だなあ」と思いながら育った記憶があります。

バスの写真は、数年前の祖父の7回忌のときのもの。法事の後みんなで、余市の海にバスで出かけました。帰って来たらBBQパーティーが続きます。

 

まだまだいます。アートなファミリー。

直接影響を受けたわけではありませんが、

母のイトコ達が現役ミュージシャンで、

ザ・キッパーズというバンドを兄弟でやっていて、札幌で活動し始めてからもうすぐ50年!

http://ja.wikipedia.org/wiki/ザ・キッパーズ

この前はじめて、ライブに行ってきました。

さすが、昔は渡辺プロにも属していたというだけのことはあります。

しかも、日曜以外の毎晩ライブを、約50年も続けているんです!

「俺っていったいいつ定年退職するんだろう」

なんてゲラゲラ笑う67歳です。

 

北海道へお越しの際は、ぜひ THE KIPPERS のバーへ。

めちゃめちゃかっこいいオジサン達のライブにより、元気が出ます。

THE KIPPERS
札幌市中央区南5条西3丁目 ニューススキノビル2F
011-512-7887
ライブは毎晩、20:30, 21:30, 22:30, 23:30 の4回
日曜休

 

補足しますと、父と母はアートからは縁遠い、いたって普通の人です。

私のこういう「イバラの道」的な生き方を、内心ハラハラ思っているかもしれません。

けれどもけっきょく黙認してくれているのは、

北海道の懐深い大自然と、

そこにルーツを持つ父母の人間的な感覚と感性と、

素敵なファミリーのおかげなのかもしれませんね。

 


最近は小さなファミリーも増え、BBQなんかやったりすると簡単に20人を超えてしまい、賑やかです。

2011/04/25

 

こんにちは。上田麻希です。

さっそくですが、

そもそもなぜ「アーティストという生き方」なんて、大それたタイトルのブログにしてしまったのかを、今日はお話ししましょう。

「アーティスト」というと、なんとなく胡散臭くて怪しい、そしてロックで特別な人種といったイメージを持たれる方は多いかと思います。・・・たぶん、そのイメージは現実からはそうかけ離れていないかと。(^^)

もちろんアートの聖地であるここヨーロッパでは、そのイメージは日本よりは多少マシですが、基本のラインはそう変わりません。子どもの学校などで、「あなたの職業は」と聞かれて、「芸術家です」と答えると、「あら、まあ! そう。へー。」と目を丸くされます。

みなさんの周りに、いますか? 職業「アーティスト」なんていう人。そうそういないでしょう。

けど、だからこそ、「アーティスト」という響きが「カッコいい」とイメージする方がいらっしゃるのも事実です。特に若い方。実際、アーティストという職種は、名が出るまでの生活に苦労しますから、そのリスクを負ってでも自分の表現を追う生き方には、潔いものを感じますよね。

では、どうやったら「アーティスト」になれるのでしょうか。

カンタンです。「あなたは何をやってる人?」と聞かれて、堂々と「アーティストです」と答えられれば、あなたは立派なアーティストなのです。

もしAさんが、日々絵を描いて暮らしているけど、それで生計は立てられないから、実は昼間は会社勤めしているとしましょう。それでも、「あなたのご職業は?」と聞かれ、「アーティストです」と言えるのであれば、Aさんは立派なアーティストです。社会の中で自分を「アーティスト」と位置づけるのは、それだけ勇気が要る事なのです。Aさんには、「会社員です」という社会的に安全な選択肢だってあるのですから。

(余談ですが、「会社員」というのは、国際的には職業とは見られません。英語に訳すのに困る言葉のひとつです。日本にオリジナルな職業カテゴリです。)

ではなぜ、自分がアーティストであると答えるのに、勇気が要るのでしょう。前述した「あまり良くない社会的なイメージ」の他にも、要因があるのです。

「アーティスト? でも、あなた、会社勤めしているでしょ」
「はい、それはまあ、絵描きではなかなか生計たてられないから・・・」
「じゃ、アートは趣味?(= 売れない、つまり、才能が無いのね。)」

そう見られるのがオチです。それを覚悟で、「自分はアーティストです」と言えるかどうか。カッコ悪い自分も含め、アーティストである自分を認める覚悟があるかどうか。そこが分かれ目なのです。

アーティストか、そうでないか。そこを分けるのは結局、そういった生き方なり生き様なりを受け入れられるかどうか、という一点に尽きるのだと思います。才能があるかとか、絵の上手いかとか、絵を売って生計が立てられているか(その世界に認められているかどうか)などは、別な問題なのです。

・・・とエラそうなことを言っている私自身も、この考えに至ったのはほんの最近のことなんです。試行錯誤の人生の中で、見つけた考え方です。

私の経験を、夢見る若い方達に少しでも生かしてもらえるのであればと、ブログコラムの執筆をお引き受けし、このタイトルを与えました。次回も、この命題に対して考えてみる予定です。乞うご期待〜。

2011/04/10

はじめまして。「匂いのアーティスト」上田麻希です。現在、オランダを拠点にしています。

匂いのアート? そんなものあったの? とみなさん思われるでしょうね。確かに新しい領域で、日本ではあまりまだ認識されていませんが、ここヨーロッパではそろそろ流行が始まりそうな勢いなんです。

アートといえばふつうは目で見て、耳で聴いて楽しむものですが、私の作るものは鼻(嗅覚)で楽しむものです。匂いを素材として扱い、「嗅覚のためのアート作品」を作っています。

匂いはふつう、香水やフレーバー、アロマテラピーなど、いろいろな形で身の回りに存在しますよね。わたしが探っているのは、こういった実用の範疇を超えたところに、どんな可能性があるのかという点です。

たとえば匂いにより引き起こされるイマジネーションや感情。そして嗅覚が新たに切り開く知覚体験。アートの可能性として、まだまだ未知の世界が、そこに眠っているのではないかと思うのです。

ちょうど美術館に絵を展示するかのように、匂いを作品として展示しています。まさにひとつひとつの展示が実験そのものです。インスタレーションやライブ・パフォーマンスという形をとることもありますが、ワークショップという形で体験を共有する方法をとることもあります。こうして嗅覚に真っ正面から取り組む作家は、世界にも僅かしかいないのではないかと思われます。

匂いのアートを始めたきっかけをお話しましょう。長いですよ。

実は小学校に入ったあたりから趣味でポプリの調合をやっていたほどなので、嗅覚は敏感な方でした。

高校時代のアメリカ留学先では、言葉の通じないフラストレーションから本格的に絵を描き始め、はじめてアートへの魅力を認識しました。

かといってすんなり美大に進んだわけでもなく、大学では五感や知覚、情報学などに関する総合的な勉強をする傍ら、メディア・アーティストとして世界的に活躍されていた藤幡正樹先生のお側でアートを学ばせていただきました。

卒業後はメディア・アーティストとしてオランダで活動を始めました。というか、2002年あたりに、気づいたら、オランダに流れ着いていたんです。ヨーロッパの中でもわりとオープンで、肩肘張らなくてもいいオランダのアート・シーンが、無名駆け出しの頃の私にとって魅力的な土壌に見えたのかもしれません。

その後オランダで結婚・出産し、ふつうのお母さん並みに家事・育児に追われ、それまでのように仕事もできなくなり、焦りました。そこで思いました。今は休業して、この状況を逆手に取り、家でしかできない小さな実験的なことを始めよう、と。

嗅覚への重要性を妊娠・出産を経て再認識したこと、匂いをメディウム(媒体)としたアートはまだ未開の領域であること、身近に蒸留技術の手ほどきをしてくれる友人がいたこと、手近なアトリエとしてそこに自宅のキッチンがあったことなど、いろんな条件が重なって生まれたのが、私の今の仕事です。

プロフィール

上田麻希 (JP/NL)
www.ueda.nl

1974, 東京生まれ。

アートと嗅覚の融合を試みる、「匂いのアーティスト」。匂いは今や、新しいメディアでもある。「視覚的要素を排除すればするほど、嗅覚体験が強くなる」という独自の信念に基づいた制作姿勢から生まれるものは、視覚的な要素が殆ど意味を持たない、新種の作品である。匂いはこの場合、想像を膨らませるか、知覚の混乱を誘う役割を担っている。

食べ物、香辛料、そして体臭など、ありのままの匂いを素材から抽出し、「香水化」している。それは調理法や化学的手法から編み出した独自の方法である。幼少の思い出の匂い、アイデンティティの匂い、感情の匂い、歴史の匂いなどをもとに、インスタレーションやワークショップなどの形をとって作品を発表している。

慶応大学環境情報学部(学部1997卒&修士1999卒)にて、藤幡正樹氏に師事し、メディア・アートを学ぶ。2000年文化庁派遣若手芸術家として、2007年ポーラ財団派遣若手芸術家として、オランダ&ベルギーに滞在。2002年よりオランダに移住。2009年、ワールド・テクノロジー・アワード(アート・カテゴリー)にノミネートされる。世界的な「嗅覚のアート」のリーディング・アーティストとして、オランダ王立美術学校&音楽院の学部間学科Art Science や、ロッテルダム美大ウィレム・デ・コーニングアカデミーにて教鞭をとり、「匂いのアート」を教えている。