Home > アート=生き方

2015/02/19

このコラムに何度か書かせていただいた、わたしの叔母が、

先日札幌で亡くなりました。

最終的には彼女自ら「自然死」を選び、

最後の1週間ほどは断食・断水状態になり、

ロウソクの灯が消えるように、呼吸が少なくなり、それが止まった。


IMG_4467
彼女はそんな形で私にも見舞う時間を与えてくれ、最後の「ありがとう」を伝えることができたので、

残された者にとっての悲しみは、軽くなったと思います。

私もこんな死に方をしたいなあ・・・

と、死ぬ時まで私のお手本を見せ、影響を与えてくれた女性でした。

 

 

どれだけ私はこの人に導かれたことでしょう。

気づいたらじぶんもアーティストになってたのは、

まちがいなくファッション・デザイナーだった彼女の影響。

 

 

私が20歳くらいの頃、ヨガを始めたのも、

今でもヨガが人生の伴侶であるのも、

彼女のおかげ。

 

 

世間知らずの私に、

女性が男性をもてなす夜の世界を教えてくれたのも、彼女だった。

 

 

私が若い頃、結婚に迷っていた時も、

じぶんは一度も結婚した事がないくせに、

「まきちゃん。結婚と離婚は、何度まで っていう決まりは、ないんだよ」

と、とんでもないアドバイスをくれたおかげで、

結婚もして、子どもも授かった。

 

 

生涯独身として生きた、色女。

当時の女性としては異質な生き方をした彼女は、

姪っ子や甥っ子を実の子のように可愛がってくれた。

 

 

私自身、じぶんはあまり「天然」だとは思ってなかったのですが、

すっごく天然の子から「まきちゃんほど天然ではないから」と言われたりする最近(笑)

だとしたら、たぶん、もうこれは叔母のせいでしょう。

もっというと、そのお母さん、つまり私の祖母が超天然だったので、

ほんとうに血筋としか言いようがない。

 

 

私の中に遺された、目に見えない叔母の財産。

 

わたしもまた、次に渡していこう。

 
 

 

2015/01/27

じぶんのアトリエを持つ夢が叶ってひとり祝杯をあげたその頃、

その夢をかいまみせてくれたひとは、くも膜下出血でひとり部屋に倒れていた・・・

そんな、ストーリーを以前、書きました。
(こちらの記事です)

札幌でオートクチュールのアトリエを構え、

ステージ衣裳やホステスさんの衣裳を40年以上に渡って作り続けて来た叔母。

70歳になったいまも、現役としてずっと服を作り続けていましたが、

ある日突然倒れたのでした。

 

その後の叔母は、手術を重ね、生死の境を彷徨ったりもしましたが、

無事に意識をあるていど取り戻し、

正月に見舞いに行ったときには、私の顔を見るなりニッコリしてくれました。

 

IMG_3835

 

「わたしね、石垣島に香りのアトリエを持ったんだよ。

名前、PEPEにしようかとおもって。」

そういうと、しわくちゃな顔で喜んでくれました。

 

 

その後、叔母は甲状腺癌も患っていることが発覚。

そのせいで、喉に食べ物が通らないとのこと。

彼女の意思もあり、自宅に戻り、自然に往く選択肢を家族で選びました。

あと1ヶ月ほどの命です。

IMG_3963
彼女の貴重な財産である、高価な布たち。

私も部分的に受け継ぎます。

香りと服飾はまったく別の領域ですが、

叔母直伝の洋裁は、ずっと続けている趣味。

ちょうど生地もステージ用のものが多いので、

ぜひ仲間たちのステージ衣裳作りで

生かしていきたいですね。

IMG_3965
2014/10/10

呑みの席では、私がいるとよく「匂いカミングアウト」をしてくる方がいらっしゃいます。きっとみなさん、匂いや嗅覚体験について、お話ししたくてしょうがないのでしょうね! 現代社会のマナーでは、そういう話題はいちおうタブーですしね・・・。

私自身にされる質問も、ある一定の型があるのに気づきました。やはり個人的な嗅覚体験をみなさん聞きたがっているようです。よくされる質問をいくつかご紹介します。

■小さい頃から匂いに敏感なんですか?

思えば小学生の頃から、ポプリの調合を趣味としていました。それをずっと続けていたわけではないのですが、こういう仕事をするようになってから原宿の「生活の木」に通うようになり、思い出したのです。そういえば小学生のころも、通っていたなあ、と。

なので、ずっと匂いには敏感だったんでしょうね。きっと、生活のあらゆることを嗅覚で決めていたところがあるのではないでしょうか。大学生のころはとにかく旅好きで、バックパックひとつでアジアのいろんなところを回りましたが、泊まる部屋も決して予約せず、必ず見てから決めるようにしていました。

嗅覚がじぶんの生活をここまで決定づけているとは、最近まであまり意識していませんでした。きっと彼氏選びなどでも、嗅覚が大きな決定要因だったのではないかな(笑)。

特に人間関係において、なんとなく好きとか嫌いとか、そういう言葉で説明できない部分って、嗅覚が関係していると思うんです。それを「この人は将来性があるから」「優しい人だから」みたいに、後づけで納得させている、みたいな。

私の人間関係や、生活の細部まで、じつは行動を決定する要因は、嗅覚である— 最近はそう確信するようになりました。

多くの人にもそんな心当たりがあるのではないかと思います。実際、「鼻持ちならない」とか、「胡散臭い」「きな臭い」という言葉からうかがえるように、第六感的に何かを判断するときに、嗅覚が働いているような気がするのです。

■鼻が効き過ぎて、大変ではないですか?

それはありますね(笑)上記のように、じぶんがじぶんの嗅覚に振り回されている部分はあります。嗅覚に正直に行動すると、論理的に説明できないことが多い。だから自分でも「なんで?」って思うようなことをしてしまう。自分という人間がわからなくなってくる。

いまはただ、仏教の修行のように、それを静かに観察して、じぶんの今後の仕事に役立てたいと思っています。

そして、同じように嗅覚に振り回されてどうしょうもなく困っている人の助けになれればいいなと思います。たとえば家族の加齢臭に困っているとか。職場の異臭に困っているとか。挙げれば切りがないでしょう。わたし自身は嗅覚のアーティストですが、コンサルティング的なノウハウを持っていないわけではありません。簡単な方法で解決することも、じつは多いはず。

なので、いまはとにかく自分を観察してデータを蓄積しようと心に決め、日々24時間を過ごしています。

2014/09/30


DSC_1713

アトリエが始動して2週間ほど経った頃。ちょうど、「ロッテルダムの土の香水作り」という、ロッテルダム市から依頼を受けている作品制作に取り組んでいました。

その練習台として、石垣島の赤土を素材にして、蒸留していました。私のアトリエには、大家さんの孫2人が常に出入りしています ^^。ひとりは中学生、ひとりは小5。

中学生の方がオタフク風邪で学校を休んでいて、元気だけど暇だということなので、

「じゃあ、今日の蒸留はガスコンロではなく、薪でやってみようか!」

ということになりました。

石垣島の男の子達は、みんな焚き火が上手なのです。小学生でも普通にその辺の葉っぱやら薪やらを集めて来て、ライター1個で焚き火ができる。この子達を使わない手はない(笑)

じつは、火元がガスか薪かで、採れる香りが違うのです。インドでは今でも頑なに、牛の糞から作った燃料で蒸留している蒸留所が多い。オーナーは言っていました。「やはりガスとは違うよ」ほんとかどうか、比較は容易ではありません。しかし、料理の経験からいって、薪で焚いたご飯と電気ジャーで焚いたご飯に差があることは、誰もが舌で知っています。

私のところにはちょうど、プレゼントでもらった、空き缶で作られた手頃なストーブがありました。おそらくメイド・イン・インディアのフェアトレード商品。

中学生の彼は、目つきもカンもよく、あるていどの理科も理解できるので、蒸留の仕組みを説明しました。すると火加減の塩梅はてきとうにやってくれる。

「あ、火が弱い。じゃあ、太めの薪を入れましょうか。」
「うん、お願いね。」

そんな具合に、中1の彼と、1日中デートです!!!(笑) わたしの仕事って、シアワセそのものだなあ・・・。

小5の方はおっとりしていて、ただ可愛らしく、
「ねえねえ、ニオイのする花持って来たよ」
と、いろいろその辺から摘んできてくれました。
「わあ、これいい香りだね。明日、これで香水みたいなものを作ってみようか」
「うん!!!」
そし翌日は目を輝かせながら、
「こんにちはー!」
と急いで学校から帰って来ました。
可愛い。

わたしって男好きだなあ(笑)あ、いや、「男の子」か。

IMG_3040

2014/09/09

自分のアトリエを持つ夢が、ようやく叶いました。
でもそうしたら、その夢を持たせてくれた人が、病に倒れました。

今日は、そんなお話です。

DSC_1674

いろいろ紆余曲折がありつつも、借りることになりました。
以前ご紹介した、瓦屋根のアトリエです。
http://www.junkstage.com/maki/?p=831

荷物置き場も兼ねて、「とりあえず」の作業場所として、お借りしました。

image

トイレがないのが難点で、隣りの友人宅のトイレをお借りしています。

でも実は、なかなか気にいっており、シアワセにお仕事しています。

今日は、宮古島のシンガー・ソングライター、下地勇さんの音を聞きながら。

DSC_1676

ちょうど1週間前から入居し、
じぶんでコツコツと清掃して、荷物を自宅から運んで・・・。
電動ドライバー片手に作業してたら、大家さんが
「あんた女なのにそんなことするなんて。せつないなあ。」
と手伝ってくれたりしました。
私、べつに、そういう作業も好きでやってるんですけどね・・・
だから男にモテないのか〜(笑)

先週の金曜日午後。2014年9月5日。

準備ができたので、あるクライアントからの依頼で作る香水のための下作業を始めました。
アトリエの始動です。
ひと作業終えてから、夕方にひとりで乾杯。

DSC_1684

おもえば、じぶんのアトリエを持つ事は、ずっとずっと夢でした。
これまで持ったことがなかったので。
多くの方は驚かれます(笑)
いままで「その時」がくるのをじっと待っていました。

2年前にもこんな記事を書いていたことを発見(笑)

http://www.junkstage.com/maki/?p=317
夢 〜匂いと嗅覚の学校〜

最近の記事:
http://www.junkstage.com/maki/?p=777
「香りのアトリエ構想」

image-1

幼い頃は、札幌の叔母が持っていたオートクチュール・アトリエ「PEPE & 洋子」に遊びに行くのが楽しみで仕方なかった。
そこは、布の香りと、シャネルの香りに満ちていました。
ほんもののビロードや、シルクシフォンなどの高級布を、リカちゃん人形に巻いて遊んだり・・・。
わざわざシャネルの石鹸で手を洗うために、何回もトイレに行ったりして・・・。
その手触りと香りは、幼少の記憶、いわばわたしの原風景です。
「自分のルーツ」という記事を以前こちらにも書きました。
http://www.junkstage.com/maki/?p=61

このイメージがじぶんの中にあったからこそ、
「自分もアトリエを持ちたい」と思えたのだろうと思います。
叔母のことを思い出しながら、感謝しながら、
ビール片手にひとりで静かに、「40歳にしてようやくか」と祝いました。

 

その時間帯にちょうど彼女は、
くも膜下出血でひとり倒れていたそうです。

 

夜に発見され、4時間半に及ぶ手術の後、現在は集中治療室で昏睡状態だそうです。
70歳の彼女は、いまでも現役でクライアントの服を作っていました。
すすきのの歓楽街の女性たちが主なクライアントでしたので、
今ではその方達の引退もすすみ、
彼女もマイペースにオーダーをとりつつ、
洋裁教室を開いて、洋裁を教えていました。

彼女がふたたびアトリエに復帰できることを祈っています。
でも後遺症が残る可能性もある。

自分のアトリエを持つ夢が、ようやく叶いました。
そうしたら、彼女が倒れた。
何か意味があるのでしょうか・・・。

私は、彼女に感謝しつつ、
彼女の分もじぶんの仕事に励もうと思います。

DSC_1685
2014.09.09. オモト山の麓のアトリエにて
2014/08/18

石垣島に通うようになり、やがて住むようになり、アトリエ拠点を構えようとする段階になり・・・

私がここで展開していきたいことの敷石として、私が惹かれる石垣島の魅力をぞんぶんにお伝えすべく、ブログを始めました。

いくつかの記事をピックアップしましょう。

■島の薫り

サガリバナ
http://f-ishigaki.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html

マーニー
http://f-ishigaki.blogspot.jp/2014/08/arenga-engleri.html

島にんじん
http://f-ishigaki.blogspot.jp/2014/08/local-carrot.html

パパイヤの花
http://f-ishigaki.blogspot.jp/2014/08/blog-post_59.html

■おすすめの宿、カフェ

パワスポ的な宿
http://f-ishigaki.blogspot.jp/2014/08/power-spot-accomodation.html

Lauraさんの台所
http://f-ishigaki.blogspot.jp/2014/08/cafe-laura.html

できるかぎりお洒落に、詩的に! をモットーにしています ^^

近々、「香りのリトリート・ツアー」も、数名様限定で開催したいと思っております。お楽しみに。
IMG_2480

2014/07/31

私の母は、介護も終えた3年ほど前、62歳で保育士として「再就職」しました。40年のブランクがありましたので、そのときはアシスタント的な保育士でしたが、ここ3年ほどの間にみるみるキャリアアップし、今ではなんと、グアムのとある保育園の園長・・・!

そんな話があっていいのでしょうか。そう私も思うのですが、実際にあったお話ですので、みなさんにご紹介します。

私の母は、昭和の典型的な女性ともいえ、ずっと主婦として、サラリーマンの父を支えつつ3児を育てました。長女である私が生まれる前までは、幼稚園の先生をやっていたそうです。やはり教育関係が好きなのでしょうか、私が小学生の頃には、家計を支えるために、進研ゼミの「赤ペン先生」を内職的にやっていました。

私の祖父母の介護を終え、見送った3年前、「ゴルフ代を稼ぐため」と、新聞広告に載っていた保育士職に応募。40年のブランクがあったにも関わらず、その人柄が認められたのか、ある大学病院専属の保育園に務め始めることになりました。

通勤1時間。朝早く起きて頑張っていました。これまで家族のためにのみ生き、家族にのみ頼ってきた人が、社会で仕事する、その変化に慣れるのは大変なものだったと思います。

その保育園に勤務して1年半経った頃でしょうか、私がたまたま友達のフェースブックで、「新しく近所にオープンする保育園が、保育士を探している」との情報を発見。軽い気持ちで母に教えました。

長い通勤時間に疲れていた母は、徒歩5分は魅力的と思ったようで、「きっともう64の私は採用はされないだろうけど・・・」と言いながら、いちおう面接に行きました。その面接者の方が私の人脈上の人物だったということもあるかもしれませんが、母をとても気にいったため、なんと母は創設メンバーのひとりになってしまいました。

その保育園は、日本人向けインターナショナル保育園。日本人の富裕層や、国際カップルが顧客です。たまたま私の旦那さんがオランダ人だったことや、息子がハーフであることから、先方の目には母がそうとう外国慣れしている人物に映ったのでしょう。

しかし実のところ、母は、英語をあまりしゃべれるわけではありませんでした。けれども、学生時代は英文科を目指したほど英語が好きだったとか。かくして実家では朝も夜も、英会話のCDがBGMとして流れるようになりました。

近所の保育園に務めて半年経った頃でしょうか、こんどは「グアムに同じようなインターナショナル保育園を創設したいが、園長になってくれないか」と頼まれたのです。

これには母も迷いました。英語に自信がないのと、園長としての責任を果たせるかといった問題。しかも、外国です。海外での生活経験もあり、じぶんひとりで仕事もして文字通り「戦っている」私は、大反対しました。その大変さ、辛さを、身をもって知っているからです。

しかし母は悩んだ末、「娘があれだけ海外で活躍してるんだから、私にだってできるはず」と考え、受けることにしたのです・・・なんというずうずうしさ(笑)

園長として開園準備のためにグアムに出張するキャリア・ウーマンとしての母を見るのは、家族にもちょっとした驚きでした。たったの3年で、こんなに変わってしまうとは・・・。今年の2月から赴任し、めでたく開園までこぎつけ、5月にちょうど契約が切れたので、現在は日本の保育園で待機しています。

母は私と違って英語も達者というわけではないし、職務経験も数年ほど。パソコンさえできません。それでも、海外赴任、しかも園長の話が来るというのは、やはり母の人柄からでしょうか。

母はとにかく周りを立てる人です。溌剌としていて、若く見えるのも手伝って、とにかく人に好かれます。健気なので、能力の足りない部分は努力して補おうとします。甘え方もずるいくらいカワイイです。そんな人には、いくらでもチャンスが向こうからやってくるんですね。信頼とチャンスを得るには、力ではないのです。人柄です。

しかしわたしたち家族から見た母は、また違う人間です。いつも、わけもなく八つ当たりされていたので、特に長女である私は母と戦いながら育ちました。外ではとても「いい人」を演じるあまり、そのひずみが家族に降り掛かってきます。理由はなんでもいいのです。イライラがバケツ一杯になったら、それが溢れ出し、父と私に流れ出すことの繰り返し・・・ ^^; 

この問題は成人しても変わりませんでした。オランダから帰国し、実家に身を寄せている間にも、なんどバトルがあったか・・・

しかし。それが最近、変わったのです。考えてみれば、ここずっと、実家が平和なのです。疲れからイライラすることはあっても、それを周囲に振りかざす率が減ったのです。母もじぶんのことに忙しくなり、じぶんに自信を持ち始めたからかもしれません。私もアパートを借りる時の保証人を母に頼むことになり、「こんな日が来るとは思わなかったね」、と母を讃えました。

そしてそんな母を私のできることで助けてあげると、とても喜びます。そもそもインターナショナル保育園の伝手も私の人脈なので、フェースブックもこまめにチェックしててほんとうに良かった〜と思いますね!(笑)

思うに、母は、自分のできないことを実現している娘に対してヤキモチを焼いていただけかもしれません。だから、母もそれができたときに、問題が無くなった。女性の人権など無いに等しい昭和に生きた人ですから、やり場のない気持ちがあったのかもしれません。

私は理不尽に個人的な感情をぶつけてくる人を、なるべく避けるタチです。なので、仕事上でも、極力理性的な人たちを選びますが、世の中そういう人たちばかりでもない。そういう相手と、どうつき合っていけばよいのか・・・

家族の関係性も、人の関係性も、変わる。必ず。そう信じたいですね。では、変わるには、何が必要か。どうしたらいいか。・・・それが私の次の課題です。

2014/07/21

夏休みに入りましたね。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

今日はみなさんに嬉しいご報告があります。

ずっとアトリエ物件を探していたのですが、ご縁がありまして、ある伝統的な瓦屋根の家を、とりあえず、お借りすることになりました。

現状は、とても人が入居できるような状態ではないのですが、掃除すれば、アトリエの荷物を置いたり広げたりスペースにはなるかしら・・・、と。5月末にオランダから届いて以来、自宅が荷物でごったがえしていたので。

使えるようになるまで手を入れるのはか〜な〜り〜大変! でも、コツコツと、お金をかけずに、じぶんで手を入れていくのも、またそれはそれで楽しみ。

そして、ここなら、お金はないけど、私から何か学びたいという志を持った人たちを泊めてあげることができるかもしれない。(興味ある方はご連絡ください ^^!)

そういうインターンの当てが今あるわけではないのですが、これまで世界中から問い合わせがあったのに、断らざるを得なかった悔しさ・・・それが原動力となっています。

とにかくそんな自分に忠実に生き、使命を全うしたい。

ここを、世界中から香りや匂い好きの人たちが集まる「場」にしたいですね! 香りのリトリート、そして嗅覚についての学びの場を作りたい。ゆくゆくは石垣島の「香りの島」としての魅力を引き出し、産業を作り、雇用を生み、この島の役に立てたらいいな、と。

そういう初心を、日常のコトに追われて忘れかけていたのですが、今回とりあえずのアトリエを借りたことで、よいリセットになりました。

じつは4月に、「あなたに投資してもいいわ」というシンガポールの投資家が現れたのですが、夢のような話であるため、期待はほどほどにしていました。穏やかにコンタクトを保ちつつ。

いったん腹をくくってみると、良い運というか、ツキは向こうからやってくるもので・・・いよいよ、8月に来島するとのこと。本格的に、土地探しの始まりです。

では「とりあえず」の瓦屋根の家をご案内しましょう。

IMG_2318

入って左手には、いまとっても甘い香りを漂わせる白い木が生えており、右手には石垣島の香り高い香辛料、ピパーチが自生しています。まるで香りのアトリエのために前の人が植えていてくれたかのよう・・・

IMG_2305

ここに昨年秋まで入っていた入居者は偶然にも、仲の良い友人です。

土間があります。冬なら囲炉裏として使えるらしいです。

IMG_2317

IMG_2314
裏の納屋には釜がありました。あれー、もしかしたら、これで、薪で蒸留とかできちゃうよね??? ガスでやる蒸留より、薪とか炭の方がずっと香りがいいのよね・・・。ひょっとして、私のために作ってくれていたとか・・・? 笑

IMG_2382
贅沢はいいません。屋根はあるし、床はある。(畳とか入れないといけないけどね。)これ以上何を望む? コツコツと手を入れつつ、ゆっくり焦らず、素敵な場を作りましょう。一見大変そうに見えますが、だいじなのは、夢を持って、夢に向かって進んでいくこと・・・この物件はかなり不完全ですが、最初からパーフェクトが良いかというと、そうでもない。足りないからこそ、やりがいがある。一時的に借りている物件ではありますが、だいじにこの夢を育てていきたいと思ってます。
2014/06/30

去る6月8日、東京でステージの仕事をしました。私が所属するベリーダンス・スタジオ Ruhani Bellydance Arts のイベントでした。香りとベリーダンスという、もう想像しただけでムンムンな組み合わせ(笑)。でも、それをアートとして昇華させる試みに、スタジオリーダーのノーラさんと挑戦したのでした。

補足をすると、こういうふうに香りの視点から作り込んでいったシアターやダンスのステージって、世界的に見てもほとんど無いんです。できる人がいないから。それだけ香りをコントロールするのは難しいので、リスクが高い。なので、今回は私にとっても実は大きな挑戦でした。

ベリーダンスは、私にとっては趣味であり生き甲斐であり。嗅覚のアートは仕事。仕事が趣味に生かされるなんて、なんてラッキーなのでしょうか。

結果からいって、大成功でした。東京青山にある会場は、開場時から列ができるほどで、満席! そして、みなさん笑顔で大満足で帰っていかれました。

すべてが上手くいった。できる限りの事をし、最高の効果があった・・・最近はそういう風に思える仕事ができるようになってきました。トラブルも不確定要素も、逆にそれを利用してしまう姿勢が確立したのか、それとも諦めが良くなったのか(笑)はたまた経験値や判断力がついてきたのか。

でもこれだけのステージを作る道のりはもちろん単純ではありません。

まずダンスと香りの接点を考え、それをインスピレーションとしてダンス作品に仕上げていったわけですが、制作時間は実質2ヶ月。ダンサーの練習時間や衣裳制作までを考えると、これは非常にタイトなスケジュールでした。

でも時間をかけたからいいものができるとは限らないのです。私が東京から遠い石垣に住んでいるのもひとつのネガティブ・ポイントでしたが、だからこそフェースブックなどでダンサーと綿密に連絡を取り合う努力も怠りませんでした。そして、あとはノーラさんのセンスとリーダーシップを信頼しきりました。

石垣は仕入れに東京の数倍の時間がかかるので、それも頭が痛い問題でしたが、すぐ近くの自然にもたくさんの香る素材があるのだから、それを積極的に利用して準備をしました。つまり、時間と距離の制約は、ほとんど無視 して突っ切った(笑)

今回の会場での薫香は、リハの時間が実質30分! ほとんど全てがぶっつけ本番。なのでまず事前に、空調の位置の確認と、通風口の位置、スモークの流れの目視から空間特性を把握しました。お客さんがフルに入った状態で、奥の方や上まで香りが届くだろうか・・・といった懸念はありましたので、サーキュレーターの強度は「最強」の設定にしました。

読めなかったのは換気のパワーです。足りなかったら、香りの微細な変化を描くことができません。そのため、上演直前の決断でしたが、ステージ上のエアコンもONのままにすることにし(それまではOFFにしてくれと頼んでたのです)、ライティングとスモークの組み合わせで生じる「質量のある空気に包まれている感」といった視覚的効果を利用するためにスモークもたいてもらうことにし(それまでは、スモークは香りを邪魔するから焚かないでくれと頼んでいたのです)、そのかわり香料もマックスに投入して焚くことにしました。

この最後の決断が功を奏しました。

会場側もヒヤヒヤするほどの、予想以上の客の入り。2階の後ろの方はおそらく、ほとんどステージが見えなかったかと思うのですが、それでも「香りは届いた」という声を聞きました。作家仲間からも、「香りの切り替えがハッキリとわかった。混ざってしまうかと思っていたら・・・」とのコメント。

「香りがあると、その世界に入って行きやすい」「異次元にトリップした」そんな声もたくさん聞きました。

薫香は私ふくめスタッフ3人でやりました。タイミングを合わせる事が重要なので、綿密な打ち合わせをした上で。彼女たち無しには成功しなかったこと。

ダンサー達も、リハの時よりずっとずっとスゴかった! ダンサー達には、事前に香りをしたためた「小道具」を渡してあり、それをどう使うかはダンサー任せでした。「香りをむさぼるように楽しんでくれるお客さんを見て、ノリノリにテンション上がった」とも聞きました(笑)

ふと客席を見渡すと、明るかったんです。光量の問題ではなくね。みんな、優しい顔をしていて、優しい光に包まれていたんです。会場側も「通常なら閉塞感や不快感が生まれるはずの人数が入ってたのに、それが全くなく、むしろ心地よかったのは、香りのおかげでしょう。」とおっしゃってくださった。

香りは、みんなを元気にするんです。やわらかい光で包むんです。幸せにするんです。私自身も、始まる前は疲労感で手足も冷たかったのに、ステージが終わるころにはポカポカ。元気をもらい、浄化されました。まあ、高価な香料を大量に焚いたので、ほんとに贅沢な空間だったんですよね。

常に火加減に集中しなければいけなかったので、ほとんど踊りを楽しむ間は無かったのですが、あっという間に7つのステージが終わってしまいました。最後のシーンになったとき、「あれ?! これが、もう最後???」みたいな感じで・・・

そんな中、香りつきの紙吹雪を撒いた瞬間に、会場の感動がクライマックスに達したのを感じました。みんな、泣いていた。私は火加減に集中していたのできわめて冷静でしたが、会場からその感動を受け取って、涙がツツーと流れてくる、そんな不思議な状態でした。

ダンスを見て涙するなんて、あまりないことです。やはりそれも、香りの悪戯でしょうか?

IMG_1890

 

スタンディング・オベーション。

IMG_1891

ステージ開始前の挨拶。

詳細は、私のブログを参照して下さい。
http://witch-lab.blogspot.jp/search/label/%5BPerfumum%3A%20捧げる踊りと香り%5D

2014/03/26

前回のコラムにて、石垣島にアトリエを作りたいということを書いたら、かつてない数の「いいね!」をいただいて、興奮してるmakiです! (笑)

調子に乗っちゃいましょう〜。ここ石垣島で実現したいこと、イメージしてることをとりあえずざっくり、みなさんにもシェアします。もちろんまだ実現してませんし、現実的ではないところもあり、夢を語るのは恥ずかしいという感じもないではないです。でも夢って、いくら妄想しても、語ってもタダですしね(笑)

その名も「香りのアトリエ」構想です。

1: まず、作品制作のためのアトリエを作る。オランダから日本に戻って来て以来約3年、その間は自分の制作場所を持たず、できることをやってきました。ですが、そろそろ限界・・・! じぶんのアトリエを持ちたい!

2: そこには嗅覚アートを本格的に学びたいという(国内外からの)美大学生やインターンが気軽にやってきます。そんな要望は以前から世界各地から来ており、いままで応えられないのを残念に思ってました。インターンの子達が、私の作品制作やワークショップなんかを手伝いつつ、育ってくれたら嬉しいな!

3: そしてそこにはガーデンがあります。素材レベルで匂い香りについて興味を持ってもらえるように、香る植物がたくさんあります。ちょっとした観光農園みたいな感じかな? ミント、ヨモギなどから、ジャスミン、ゲットウまで。石垣島にはそれこそ香る植物がたくさんその辺に自生してますしね。

DSC_0785

DSC_0598

4: そしてアトリエでは、ときどきワークショップが開催されます。畑から実際にミントを摘んで、蒸留して、精油を抽出することができます。アロマテラピーによく使われる精油が、いったいどういうふうにしてできるのか、その過程を体験することができるのです。

DSC_0755

5: そして、やることのない雨の日などには(石垣島の問題)、手軽に香水作り体験などができます。本格的なオー・デ・コロンから、石垣島系のフレグランスまで。そんなことを通して香りや嗅覚の再発見ができます。

6: そして、そこにはミニ・ギャラリーがあって、「石垣島の香り」シリーズなど、様々な香りが嗅げます。もちろんこれは私の手で素材から抽出したもの。ゲットウ、さんぴん(ジャスミン)、ユリ、サガリバナなどの植物の香りから、スーパーのとうふの香りなど、生活に根ざした匂いまで。雨の日でも楽しめる場所です。

DSC_0615

7: ティータイムには畑のハーブで作ったハーブティーがいただけて、ランチでは畑の野菜と、香り豊かなパスタがいただけて・・・。暇な時間には「香りのマップ」を手に近所を散歩できて・・・。そんなふうに1日ゆっくりできる「香りのリトリート」。単なる癒しではなく、発見と学びによる歓びをともなう癒しです。

IMG_0960

IMG_0939

8: アトリエのオリジナルなコスメティックスやフレグランス・シリーズも作りたいです。ロクシタンの石垣バージョンです。観光客の人たちが、それを買って帰って、香りを嗅ぐ度にいつでも石垣島を思い出せるような・・・。

 

このように、夢は「アーティストのアトリエ」の範疇を超えています。まさに街全体が香りのテーマパークである、南フランスの香水の街・グラースを縮小したようなものが、イメージにあります。嗅覚教育と癒しを提供する、香りのテーマパークであり、博物館であり。

自分だけのアトリエを持つのであれば、小さなスペースがあればよい話ですし、極端にいえば実家のある千葉でもよかったんです。でも、こんな構想(いや、妄想)をしているうちに、石垣島以外にポテンシャルのある場所はない・・・という考えに行き着きました。

もしかしたらきちんとしたビジネス構想を描いて融資を集めることも必要かもしれませんが、僅かな自前資金でも実現可能なものはあります。実際、断片断片が実現しています。私の大家さんが、畑を自由に使っていいよと言ってくださいました。

DSC_0766

運良く、畑の上手な友人がきちんと耕してくれ、愛情こめて作物を育ててくれています。(私はほとんど何もやってません。。。笑)またおもしろいことに、ちょうどタイミング良く、テレビの取材が私のマンションに来て、この畑が全国放映されたんです(笑)こんなふうに展開していくひとつひとつがおもしろいですね。

(番組はこちら「幸せ!ボンビーガール」。私も幸せなボンビーガールですよ 笑)

DSC_0560

この畑には、にんじん・大根などの野菜の他、香る植物もたくさんあります。ハーブからトマト、セロリまで。ヨモギやニラは雑草として自生しており、取っても取っても出て来ます(笑)この前、山に登ったときにはジャスミン(さんぴん)を見つけたので、挿木中です。

そしてまた運の良いことに、大家さんがアトリエの土地を提供しようかと言ってくれています。マンションの裏の森の中です。ヤシが野性的に生えている場所。土地を切り開き、プレハブを建てて・・・と、ちょっと大変ではありますが、ゆっくりゆっくり目標に向かって進んでいる、そのことがとても楽しいです。

DSC_0783

いわゆる島の外からきた移住者(ないちゃー)は、島の住人(うちなー)に受け容れてもらうには時間がかかるとよく聞きます。私はその点、人に恵まれました。周りの人にはほんとうに感謝の気持ちでいっぱいです。

Next »