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2015/01/24

こんにちは!

前回の記事で、取材を受けたという話を書きましたが、今回はその後の展開についてです。

マガジンハウス系のwebマガジン、コロカルさんが、こんな素敵な写真入りの記事にまとめてくださいました!
http://colocal.jp/topics/think-japan/local-action/20150114_41355.html

石垣島での最近について。

春にいくつかヨーロッパでの展示が予定されており、その準備をしています。

当面は、世界の嗅覚アーティストが一堂に呼ばれるヨーロッパの展覧会が目白押しなので、

その大舞台において、いい新作を展示することが現在の最優先事項。

嗅覚アート界で活躍するのは私以外ほぼ全員西洋人だし、

私も今となっては日本(しかも辺境)に住んでしまっているので、圧倒的に不利なのですが、

それでも地球の裏側まで呼んでくださるのはほんとうに幸せなことで、

その期待におもいっきり応えたいと思ってます。

石垣島でももっとやりたいことはいっぱいあるんですけどね〜

石垣島にみなさんが来島したときに、楽しめるパッケージや、

リトリートツアーなどを用意しておきたいのですが・・・

体はひとつ。

石垣島はなんといっても、私にとっては薬のようなもの。

寒いところに行くとすぐに呼吸器官系を患ってしまうのですが、

戻って来ると、すぐに治ります。

「嗅覚リトリート・アイランド石垣島」、その一番目のお客さんは

他ならぬ私なのであります・・・

2014/04/03

インドのニューデリーから電車で半日ほど行ったところに、カンナウジという村があります。インドの伝統的な香油づくりが行われているところです。

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そこに来週行って来ます。

昨年の11月でしたか、インドのある女性からメールが来ました。

「私の祖父は、カンナウジの香油工房のパフューマーでした。昨今の近代化により、インドの伝統である香油づくりが消えつつあります。ぜひ一緒にプロジェクトをできないでしょうか?」

こんなふうに突然メールが舞い込む。世界のどこの誰ともわからない人から。そこから始まるプロジェクトが私の場合は大半を占めます。

私は興味を持ち、助成金を探しました。まずは訪れて、その香油作りを学び、私なりにそれを引き継ぐ形でなにか貢献的なプロジェクトができるかどうかの判断をしたいと思いました。

ヨーロッパの助成金文化も衰退し、果たしてこんな調査目的のプロジェクトにお金を取れるかどうか、確信はまったくありませんでした。でも、いつもながら運の良い私です。タイミング良く目的に適した助成金が見つかり、12月にはGOサインをもらうことになりました。

そこから彼女と一緒に旅の計画をして、いよいよ来週となってきたわけです。夢のような話です。

ずいぶん昔になりますが、2008年でしたか、ポーラ美術振興財団からありがたく助成をいただき、南フランスの香水の街・グラースの調香師養成コースに通ったことがあります。

グラースといえば、香水づくりの世界的なメッカともいえます。中世に鞣し(なめし)革産業が発達した街ですが、革の臭みを消すために、身近に生えていたローズやジャスミンなどから香りを抽出したのがその始まり。

グラースに発達した香水産業は、近代化とともに、労働力の安いエジプトに輸出されてしまいました。しかしグラースは「香水の街」というイメージで売り出し、現在は観光産業で街が成り立っています。

グラースのもたらした「香水」は、近代香水でした。空港の免税店などで見られる香水がこの範疇です。いわゆるアルコール・ベースであり、天然香料と合成香料がバランス良く使われています。

しかし近代香水は、ファッション産業に取り込まれてしまいました。いわゆるシャネルやジヴァンシーなどのブランドがそのイメージ作りの一環として、調香師や香水産業を囲い込んだのです。これも一種のパトロネージと見る事もできますが、香りがファッション・アイコンに乗っ取られてしまった。つまり「俺はやっぱりジヴァンシーの香水だぜ」みたいな、香りから選ぶのではなく、ブランド・イメージから選ぶ、といった現象が起きてしまったのです。

日本で「香水」といえば、この「ファッション香水」ですよね。フランスにルーツを持つ、アルコール・ベースの香水です。

しかしですね。フランスに行ってわかったことなのですが、そもそもシャネルの香水などは、あちらのカラッとした気候と空気感に合わせて作られているのです。日本でつけてるのと、あちらでつけてるのとでは、香りの立ち方がまったく違います。

そもそも高温多湿な日本には、アルコール・ベースの香水は合いません。つけてもすぐに消えてしまうからです。インドでは、アッターという、オイル・ベースのものが愛用されています。いわゆる「香油」。オイルの蒸発速度はアルコールより遅いので、日本にもこの方が合ってると思うのですがいかがでしょうか。

視野を広く持つと、世界各地の香りの嗜み方があります。それらは近代香水に侵略されつつありますが、その伝統がまだかろうじて生き残っているところもあります。日本のお香文化のように。

調べると、インドでは「土」を蒸留して香水を作っているとか・・・今回は特にその技法を学びたいと思ってます。土は、その土地その土地で違う香りがします。土を原材料にしてその土地の香油を作ったら、おもしろいんじゃないかなあ・・・と。

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試しに先週、石垣島で土を蒸留してみました。まず、サザエみたいな潮の香り。そして黴臭い奥にはうま味というか、野菜の土臭さが見え隠れします。そう、ジャガイモみたいな香り! ちょっとクサすぎて、これのどこをどうしたら日常的に使える「香油」になるのでしょうか。そのマジックをインドから学んできます。

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そんな今日この頃です。帰って来たらまたご報告しますね。

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2014/03/18

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いま、石垣島にいます。

3年ほど前、たまたま喘息の療養目的で来た島、石垣島。そこになんと今、住んでいます。ほんとにたまたまですが。

読者の皆様はさぞ驚かれることでしょう。この前までオランダで、いまは石垣島?(笑)いったいどこまで自由なんだ・・・と。けれどもここジャンクステージの読者の方であれば、なるほど、とその流れを納得されるかもしれませんね。過去に石垣島について書いた記事、掘り起こすと3本もありました!(1) (2) (3)

ここ石垣島の、とくに島の裏側・米原エリアの神秘的な海と山に惹かれ、取り憑かれてしまった・・・としか言いようがない。いや、今はそうとしか言えません。

療養の時は1ヶ月滞在しました。屋久島から石垣島までの広いエリアで療養地を探していたのですが、たまたま梅雨明していたのが石垣島だったのです。

アレルギーと呼吸器疾患に悩むじぶんの健康にも理想的な土地です。ちょっと喘息気味でも、海で数日泳げば、治ってしまうのですから・・・。(ここはウェットスーツさえあれば、通年シュノーケリングができます。とはいっても、冬場に実際泳いでるのはじぶんひとりだけですが 笑)

そんなこんなでその後も何度か通ううちに、この石垣島のような、海の近くの自然豊かな土地に、アトリエを作る・・・という夢を持つようになりました。

なので、コツコツと貯金もしてきました。しかし、当時は石垣島、アクセスが非常に悪かったのです。フライト代も正規料金だと東京との往復で12万かかった。つまり東京と行ったり来たりする場所としては不適でした。

なので、沖縄本島を含む、他のさまざまな地方も視野に入れました。東京では実家のある千葉を拠点にしていたので、房総半島の古民家も幾つも見に行きました・・・。でも、いまいちご縁のある場所はなかった。

そんな中、ちょうど1年くらい前に石垣島の空港が新しくなり、格安航空会社が参入し、東京や大阪からのアクセスが抜群に良くなった。(正規料金で5万。)実家の両親も健全なので、いまは多少の冒険も可能。

そしてこの土地の方との様々なご縁ができた。

そこで、思いきって部屋を借りてしまいました。3年前、療養で来た時に滞在した部屋です。その時はたまたまここしか空いてなくて、仕方なく来たものでしたが、水が合ったのでしょう。人生何がどうなるかわからないものです。格安物件なので、非常に不便な田舎にあります。しかもヤシ林のジャングルの中にあるので、夜になると周りは真っ暗で、ちょっとコワい。しかし、目の前は蒼い海、後ろは野性味溢れる山。畑も借りられます。

1年中花が咲き乱れ、すべてが香り立つ島なのです。つまり、香りの素材もそこココにたくさん・・・。今週は試しに、畑に雑草として自生するヨモギを蒸留して精油を抽出してみようと思ってます。

じぶんの人生にとって、かなりリスクの大きい変化です。東京と石垣は言わば同じ日本国内、アメリカやヨーロッパに住んだことのある私にしてみれば、ほとんど差はないはずなのですが・・・。

決して楽ではないのです。石垣島は東京から飛行機で3時間半かかります。仕事上、またプライベート上、常に海外と往復せざるをえない私にとっては、体力的にきついものがあります。旅費もバカにならず、生活費を極力抑えて捻出するほどです。

それにここには刺激がありません! 千葉や東京は、さすが大都市だけあって、わたしの文化的欲求を満たす刺激に溢れていました。個性的な人たちとの出会いも多く、クラブで一晩中踊ったりもできるし、週末は飲み会やイベントなどで昼も夜も忙しかった。文化的刺激に満ちたヨーロッパ暮らしが長かった私でも満足できるものでした。しかしココには海と山しかない・・・。

もう、引きこもるしかない、といった場所です(笑)。常にじぶんひとり。じぶんと向き合わざるを得ない。千葉には地縁があったので、二十年ぶりに戻っても何となくじぶんの居場所があった。そんなふうにずっと都会に生き、人に囲まれてきた私にとっては、ちょっとした変化です。でもこの孤独な世界にも、少しずつ慣れてきましたよ。

何より、使命とか天命、運命のようなものに突き動かされている気がしてなりません。じぶんでは抗えない何らかの力が働いている。言葉で説明するのは難しいのですが、引き寄せられてしまった感じなのです。

 夢は、広がります。森の中のアトリエでじぶんの作品制作をしつつ、ちょっとしたギャラリースペースを持って、さらに嗅覚教育的なワークショップもやって・・・香る植物の観光農園みたいのもやりたい。わたしの授業やワークショップを受けたいという人は、世界中にたくさんいます。たまーにですが、インターンで働きたい、という人もちらほら。そんな要望に応える場所がずっと欲しかったのです。

人生久々の賭け事です。より楽しく充実した明日を夢見て・・・おやすみなさい。

2014/02/02


この前も友人に言われたのですが、わたしはわりと常に前向きでハッピーな人間です。不平不満言ったり、誰かを悪く言ったり責めたり、怒ったりすることもあまりなく、そういう意味で自己完結?・・・してるのかもしれませんね。

なんででしょう。そんなことに費やしている時間があるほど人生は長くはないと思っているからかも?

それに、たとえ多少の嫌なことがあったとしても、生命を脅かされることなくヌクヌクと生きていられる今この瞬間って素晴らしいと思うのです。それは、そのように生きたくても生きられない人をたくさん見てきたからかもしれません。

12月のクリスマス直前、オランダから日本に帰って来る機内で体験した、ちょっと泣けるようなお話をしましょう。

トルコ経由で帰国したのですが、アムステルダムからイスタンブールまでの機内で隣りに座ったお洒落な紳士が妙にウキウキとしていました。

「あなたはロシア語をしゃべるのかね?」

といきなり聞いて来るのです。なんだろうこの人、でも変な人ではなさそうだし、と思いながら、

「いえ。オランダ語ならできますが・・・」

「そうですか、旧ロシア圏の方かと思ったからね。」

私はよくハーフに間違われるほど国籍不明の顔立ちをしているから、不思議ではありません。

「ロシア出身なのですか?」

「いえ、旧ロシア圏ですよ。モルドバという国です。オランダに来て以来13年ぶりに、祖国に帰るのです。」

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「そうなんですか! オランダ移民ですか? 13年ぶり・・・ということは、私と同じ年にオランダに来たのですね。」

「あなたもそうですか。でも私は祖国に帰るといっても、片道切符ですよ。昨日まで刑務所にいました。オランダ政府に追い出されたのです。ちょうどクリスマスだし、まあいい機会でしょう。ははは。」

この言葉ですぐに私は、いろいろなことを察しました。

この男性、実はただの移民ではなく、祖国が内戦状態に陥ったときに、命からがらオランダに逃げて来た、いわゆる政治難民であること。

そういう斡旋エージェントに多額のお金を払えるだけの富裕層の出身であること(紳士の話し方、そして身のこなし方からも自明)

政治難民は通常、祖国の状態が改善されたら、オランダ政府から容赦なく追い出される身であること。

それでもなんとか残り続けようと試みたのだろうが、何からの問題があって(本人の仕事や収入の問題、あるいは警察沙汰になったとか)ビザの延長ができなかったであろうこと。

そのため、ビザ無しの状態でオランダに残り続けたため、移民警察に捕まり、強制収容所に入れられたのであろうこと。

おそらく処置が決まる間、半年〜1年くらい刑務所生活を送り、強制送還が決定し、オランダ政府からテンポラリーのパスポートと片道切符が渡されたのであろうこと・・・。

私のようなヌクヌクした身には想像しえない、壁だらけで困難な人生を、この人は歩んで来たに違いません。彼のような政治難民にはオランダではよく出会います。その度に、日本国という平和で経済的に豊かな国に生まれ落ちたことをこれ以上ない幸運だと感じます。

「祖国ではどんな仕事をしていたのですか?」

「警察官です。」

職務上、命を狙われた、ということなのだろうか。

「オランダでの生活は、どうでしたか?」

「素晴らしかったですよ、こんな私でも妻になってくれた女性がいましたからね。」

「そうですか・・・ これから、どうするのですか?」

「ははは、わかりません。どうしましょうね・・・まずは、13年ぶりに友達と家族に会って、それからですね。」

人の恨みは簡単には消えない。いまだに少なからず命の危険はあるはず。そんなところに帰らなければいけないなんて。いくら友達と家族がいるとはいえ、国を捨てた身。いったいそんな人に、帰るところはあるのでしょうか。

彼はイスタンブールから Kiliya という黒海沿岸のウクライナの街に乗り継ぎ、そこから陸路でモルドバに入るとのことでした。

「これからマイナス20度の世界が待っているんですよ、ははは。」

と、シベリアの人がかぶる様なフサフサの帽子を見せてくれました。

そして、イスタンブール空港では成田行きの搭乗口近くまでエスコートしてくれました。昨日まで刑務所にいた身、誰かと話せるだけでウキウキするのでしょうね。終始素敵な笑顔でした。

すでに成田行きの飛行機が出そうだったので、別れ際はちょっと慌ただしく握手とハグ。

「いつもハッピーに生きるのですよ!」

その言葉こそ、私がかけてあげたいくらいなのに・・・でも喉がつまって、何も返せなかった。私は、泣きたい気持ちを抑えて笑顔を作るのに必死でした。

というのも、この人は、もう明日は生きていないかもしれないのです。戻った瞬間、殺されるかもしれない。そういう危うい場所に帰っていくわけで・・・。

成田までの空の旅では、やるせない気持ちが渦巻きました。先進国のパスポートもビザも持っていて、自由に日本とオランダを旅することのできる、恵まれた身である私。どちらに帰っても、追い出されることもないし、命を狙われることもない。むしろ私の身を守ってくれる家族や友人がいる。食べるものにも困らない。じぶんの悩みなんて、ちっぽけなものにも思えてきます。

オランダにいると、世界的な人種差別を身に感じます。出身国が日本というだけで、自然と優遇される。先進国だからです。どんな場面においても、貧しいアフリカやアジアの一国とは全然違う信頼とリスペクトを得ます。私の努力で勝ち取った属性ではないのに・・・。

モルドバのことを調べると、やはりいまだに内戦状態にある国でした。ある民族が独立しようと試みており、事実上の紛争状態にある、と。そしてそのため、モルドバはヨーロッパ圏でも最貧国であるそう。

クリスマスは、ワインを独りしんみりと飲みました。名も聞かず別れてしまった紳士のことを思いながら・・・今頃どうしてるだろう、家族に会えたのかしら? そして、心から祈りました。無事であれ、と。

2013/08/25

今年も石垣島の米原というところで約10日間のキャンプをしてきました。

もともとは都会で育つ息子のために始めたキャンプ。彼が5歳くらいの頃、家の中を歩く小さいアリを遠くに見つけては「きゃあっ! ママ、ママ!」と騒いでいるのを見て、毎夏のキャンプを始める決心をしたのでした (笑) 。

石垣島の米原は今年で3年目。毎年そこの自然に漬かり、まったく別な感覚を開花させ、別人になって帰ってきます。

まず、生きる力がつきます。キャンプすると、太陽や雨や風から身を守らねばなりません。どれが正しいという方法は実はなくて、その場その場での観察力と判断力が求められるんです。

食べることも、そこでは一苦労。いちばん近いスーパーは車で30分なので、その場にあるものでやりくりする工夫が必要です。できる人は、海で魚や貝を採ってきます。その辺から実や葉っぱも採ります。調理も、火種となる木の葉や薪を集めてくるところから始めます。冷蔵庫もないので、保存食の技術が磨かれます。そして、食べれるものはたいてい、そこにいる人たちみんなでシェアします。

これらぜんぶのことにおいて、子どもと一緒に方法を探る体験ができるのが、キャンプ生活の良いところ。そこのキャンプの達人たちと一緒に問題解決するにあたって、子どもが望めば仲間のひとりとしても扱ってもらえる。

そして、センスが磨かれます。センス= sense、つまり気づいたり認識したりする能力のことです。よく「あの人はセンスあるね」と言ったりしますが、それはおそらく、環境を知覚し、じぶんと環境との間にある部分を埋める断続的な努力のことを指します。

センスって、その能力を生まれながらにして持っているラッキーな人はいると思いますが、もしそうでない場合、自然の中にいれば自然と磨かれるものだと思うのです。実際、そんな環境で育った人は、よく聞いてよく見て、周囲で起こっている事象を微細に観察してます。友達との会話中でも、目の前のことに没頭しきらず、いつも感覚をアラートにしている感じ。まあ、その辺にふつうにハブとかがいるので、必然として身についた技なのかもしれませんが・・・。

大学時代、アートを始めたときに、師匠はこう言っていました。「センスを持ってることが大前提です。センスは教えることができないから。それさえあえば他は教えられます。」

そのときはピンときませんでしたが、師匠はこう言いたかったのでしょう。表現に必要なのは、センスと表現技術。表現技術はいくらでも後づけで教えられるけど、センスは教えられない。むしろ、自分で磨いて育てるべきもの。今この時点でセンスが育ってないのだったら、アーティストになるのはあきらめろ、と。

センスはまた、断続的に磨かないと、歳とともに衰える気がします。自然の中でのキャンプは、子どもにとってだけでなく私にとっても、感性を目覚めさせてくれる大切な体験です。ふつうにホテルに宿泊するリゾート・バケーションに比べたらほんとうにハードだし大変なのですが、ついついキャンプになってしまうんですよね。


2013/05/25

東京と地方の両方に拠点を持つ。3.11以降、そういうライフスタイルを求めて動き出した若者や子育て世代は多いと聞きます。実際にわたしの周りでもそんな人たちがたくさんいます。

中にはマレーシアに子連れ移住!なんていうツワモノもおります。彼女のこの記事を読んで、私も変化生活の良さをシェアしてみたいと思いました。

わたしは二年ほど前から、二拠点生活です。オランダと日本。地球のほぼ裏側同士です。

聞こえはカッコいいですが、そうしたいと思っていたわけではなく、最初は「仕方なく」でした。まず日本からオランダに移住したのは2000年あたりでしたが、ようやくオランダに根ざすことができたな〜と思ったときには、ひどい牧草花粉症でした。毎年ひどくなってたんですね。蓄膿症や喘息など次々と併発し、しまいには生きるエネルギーそのものが無くなってきて、普通に生活できない、ほぼ寝たきりな状態になっていたのが2010〜2011年あたり。

日本やアジア圏にはあまりない花粉ですが、ヨーロッパ大陸にはどこにでも(トルコにさえも)元気に生えている、雑草の花粉です。飛散期間は1年の半分。高タンパク質で、粒子も大きいので、スギやヒノキの比較にならないくらい作用も強いのだそうです。なんとオランダはこの牧草ビジネスの中心地! わざわざ種を撒いてるらしいので、たまったものではありません。逃げ場は日本にしかない。

そこで医者の勧めもあり、家族を置いて日本の実家に帰ってしまいました。しかし、その甲斐ありました。昨年末くらいに蓄膿も喘息も回復。完治はできない病ですが、ほぼコントロール下にあります。花粉にあたらない限りは・・・。

子どもと離れて暮らす「離散家族」な状況なのは残念ですが、仕方ない。仕事の周囲に恵まれているので、平均すると1年に3〜4回、日本とヨーロッパを往復し、旅をしながら仕事をしています。なので結果的に、子どもに会えない期間が2ヶ月を超えることはない。学校が休みのときには日本に来てもらうし。

今では、定住国を持たない、ほんとうのノマド生活。当初は、「大変そう〜」と思ってたけど、人間、慣れるものですね(笑) スーツケースと Mac Book Air と携帯電話に投資し、どこでも仕事ができるようにしました。仕事の内容や方法も変えました。私物をたくさん処分し、モノをあまり持たない・買わないようにしました。軽量化のためだったら、投資を惜しみません(笑)。書類はぜんぶデジタル化してます。最近の趣味も、移動中にできる編み物と、身ひとつでできるベリーダンスになりました。(ノマドなので、ジプシー・ダンスが身に合うようです)場所を選ばない呼吸法も実践するようになりました。

「時差ボケは?」とよく聞かれますが、それも慣れるみたい。旅の前後になるべく予定を入れないでゆっくり過ごしたり、到着後はサウナか温泉に行って、少食を心がけたり、荷物を軽くしたり・・・と、様々な方法を編み出すことで、時差ボケや旅の疲れはほとんど感じません。家が成田空港に近いのもあり、いまでは新幹線に乗るような感覚で国際線に乗っています。

友人関係もダイナミックになります。もともと群れるのは好まないし、オープン・マインドでいればどこでも交流関係も広がるので、過不足のないちょうどいい感じです。定住地を持たなくなると、物欲も無くなり、あらゆる「欲」が無くなり、すべてがちょうどいい「中庸」なんですね。

いいとこどりしてると感じています。「ああもう少しでオランダ出るんだな〜」と思ったら、旬のホワイトアスパラを芯から味わって食べたり。オランダの良いところにも日本の良いところにも気づくことができるので、不平・不満が少なくなる。「あ〜 これ、オランダっぽいな〜」とか、「やっぱりこれが日本だよね」と、笑って流してしまう。スタックすることが無くなる。周囲にも自然に感謝ができる。

何より、「変化」への適応力をトレーニングすることで、若返ると思います! 実際、「若いね〜」「若返ったね〜」とよくいわれるようになりました。

変化を起こすにはエネルギーが要るし、周りとの摩擦をたくさん生みます。変化というのは、多くの場合、望まれていないのです。でも、前向きの、力強い変化であれば、周囲の理解はあとからついてきます。何かを変えたいと思った全ての人に、力がみなぎりますように・・・

2013/05/09

ゴールデンウィーク、皆様はどのように過ごされましたでしょうか。

私はトルコで過ごしました。東京で習っているベリーダンスの師匠がトルコの国際フェスに招聘されたので、そのツアーに参加したのです。

ベリーダンスとひとことでいってもたくさんのスタイルがあります。私がやっているのは、どこのルーツと問われる以前に女性が自然に踊っていたダンス。女性の神秘を讃え、大地豊穣・子宝繁盛を祈り、神様に捧げるための奉納舞です。いわゆるテンプル・ダンス。それは、世界至る所に違う形で存在したはずですが、意図は同じ。

トルコには古代ローマ時代の遺跡が散在しています。美の女神・アフロディーテ神殿やアルテミス神殿などで奉納舞もしてきました。みんなで「女神コスプレ」してね(笑)。10日間ほど、このように美を研鑽する女性達と過ごすと、だんだんと美への感覚が研ぎすまされていきます。

最後の方になると、女性達の輝きというか、オーラというか、後光というか、そんなものが見えるような気がする・・・のです。そして、それを表現しようとするときに自然に湧いてくるのが不思議と「かぐわしい」とか、「かほる」とか、「にほふ」とかいった匂いにまつわる単語。

「にほふ」という単語については、以前作品制作をしたときに調べたことがあります。古代の日本では、文字通り「香りが漂っている」を意味すると同時に、色を表わす言葉でもあったのです。たとえばお花見などで、桜の花の色の反射で頬がピンクっぽく輝いている様を表すときに、「にほふ」という表現が使われたのです。

(このテーマで過去に作った作品「_チルダ」についてはこちらのページをご覧下さい。触覚的、嗅覚的に感覚を研ぎ澄ますための基礎化粧品です。)

古代の人々には、嗅覚と視覚との明確な区切りがありませんでした。現代ではそれを、共感覚と呼んでいます。かたちは違いますが、ヨーロッパの中世ヴェニタス画にもそのようなものを見ることができます。画の中に味や匂いを表すモチーフが描かれており、それがコードとして鑑賞者の中の味覚や嗅覚を呼び起こすといった仕組みです。

Gooの辞書 http://www.goo.ne.jp によると・・・

にお・う〔にほふ〕【匂う】
[動ワ五(ハ四)]《「丹(に)秀(ほ)」を活用した語で、赤色が際立つ意》
1 よいにおいを鼻に感じる。かおりがただよう。「百合の花が―・う」「石鹸がほのかに―・う」→臭う1
2 鮮やかに色づく。特に、赤く色づく。また、色が美しく輝く。照り映える。「紅に―・う梅の花」「朝日に―・う山桜」
3 内面の美しさなどがあふれ出て、生き生きと輝く。
「純な、朗らかな、恵みに―・うた相が」〈倉田・愛と認識との出発〉
4 おかげをこうむって、栄える。引き立てられる。
「思ひかしづかれ給へる御宿世をぞ、わが家までは―・ひ来ねど」〈源・少女〉
5 染め色または襲(かさね)の色目などで、濃い色合いからしだいに薄くぼかしてある。
「五節の折着たりし黄なるより紅まで―・ひたりし紅葉どもに」〈讚岐典侍日記・下〉
[動ハ下二]美しく色を染める。
「住吉(すみのえ)の岸野の榛(はり)に―・ふれどにほはぬ我やにほひて居らむ」〈万・三八〇一〉

他にも、いろいろ調べてみました。

かお・る〔かをる〕【香る/薫る/×馨る】
[動ラ五(四)]
1 よいにおいがする。芳香を放つ。「梅が―・る」
2 煙・霧・霞(かすみ)などが、ほのかに立つ。立ちこめる。
「塩気のみ―・れる国に」〈万・一六二〉
3 顔などが華やかに美しく見える。つややかな美しさが漂う。
「いみじくふくらかに愛敬づき、あてに―・り」〈栄花・音楽〉

 

か‐ぐわし・い〔‐ぐはしい〕【▽芳しい/▽香しい/×馨しい】
[形][文]かぐは・し[シク]《「香(か)細(くは)し」の意》
1 よいにおいがする。香りがよい。かんばしい。こうばしい。「―・い梅の香り」
2 心が引かれる。好ましい。すばらしい。
「あなたとの最初の邂逅が、こんなにも、海を、月を、夜を、―・くさせたとしか思われません」〈田中英光・オリンポスの果実〉
「見まく欲(ほ)り思ひしなへに縵(かづら)かげ―・し君を相見つるかも」〈万・四一二〇〉
[派生]かぐわしげ[形動]かぐわしさ[名]

 

かんばし・い【芳しい/×馨しい/▽香しい】
[形][文]かんば・し[シク]《「かぐわしい」の音変化》
1 においがよい。こうばしい。「―・い花の香り」「栴檀(せんだん)は双葉より―・し」
2 (多く打消しの語を伴って用いる)好ましいもの、りっぱなものと認められるさま。「成績が―・くない」
[派生]かんばしげ[形動]かんばしさ[名]

 

こうばし・い〔かうばしい〕【香ばしい/▽芳ばしい】

[形][文]かうば・し[シク]《「かぐわしい」の音変化》

1 よい香りがする。多く、食物を煎(い)ったり焼いたりしたときの、好ましい香りにいう。「―・いほうじ茶の香り」
2 見た目や印象などがすばらしい。りっぱである。
「薄色の衣のいみじう―・しきをとらせたりければ」〈宇治拾遺・一二〉
3 望ましく思う。心が引かれる。
「姿、みめありさま、―・しくなつかしきこと限りなし」〈宇治拾遺・六〉
[派生]こうばしさ[名]

 

匂いや香りにまつわる言葉はことごとく、「ついつい惹かれてしまう魅力」を表しているんですね。

みなさんにもそんな体験ありませんか? その人の外見ではなく、その人のオーラというか、神々しさを見るとき。思わず、そのかぐわしさのおこぼれをもらいたいと思うようなとき。

精進している(菜食主義の)お坊さんの姿はとても澄んでて綺麗だなと思います。私にとっては、遠い距離から見てもなんとなく「かぐわしい」と感じられるのです。近づいてクンクンしたら、いい香りがしそうな感じ。実際にはオジサンの匂いとかするのかもしれませんが・・・・(笑)

余談ですが、お坊さんや修行者に限らず、菜食主義の人は全体的にそのような光を纏っているような気がします。目も澄んでいて綺麗。私も鉄分不足でない時は菜食していますが、実際に体に流れる気が変わります。

そのほかにも、日本語には嗅覚にまつわる面白い表現がたくさんあります。「うさん臭い」とか、「きな臭い」とか、「面倒くさい」とか。日本語に限らず、オランダ語にもそういう「第六感」的な表現に嗅覚が使われたりします。おもしろいですね。

マリリン・モンローが「ベッドで纏っているのは、シャネル5番だけよ」と表現したのは有名な話。私は、香水をつけてなくても、香りを纏うように輝いていたい。そんな女性になるべく、今後も日々研鑽しようと思います。(^^)

 

追記: 日本の古代の匂いと色彩の共感覚については、こちらの記事が興味深いです。

http://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/higuti7.html

2013/01/27

シンガポールからの帰りの飛行機の中でこれを書いています。

今回の旅は、シンガポール、マレーシア(日帰り)、インドネシア(バリ島で休日)と3カ国周りました。

じつはこれらの国すべて、私にはとても縁があるのです。というのも昔、この国々で喋られている言葉(マレー・インドネシア語)を大学の「第一外国語」として勉強していたのです。

履修の際、選択肢が6つありました。

  • 英語
  • ドイツ語
  • フランス語
  • 中国語
  • 韓国語
  • マレー・インドネシア語

上位3つのヨーロッパ系の語学はいわずとも人気があるし、当時(1994〜5年)はビジネス的に中国熱や韓国熱が高まっていた時代。

マレー・インドネシア語のクラスには、変わった人か、ヒッピーみたいな学生しかいませんでした。私も当然その「変人」の仲間ですけどね(^^) 履修人口は1000人中なんと30人!

今だったら状況は違うでしょう。むしろビジネスセンスのある学生こそ積極的にマレー・インドネシア語を履修するのではないかしら? それにマレーシアは、日本人の富裕層や年金生活者に人気の海外移住先とか。

まず当時の日本の常識としては、「マレーシアってどこだっけ?」 みたいな時代でした。バリ島でさえ、観光地としてもまだ知られていない時代でしたしね。

なぜそのような言語を選択したかというと・・・当時私はアメリカ留学から帰ってきて1年も経ってなかったので、白人系の言語や文化はうんざりしていたんです。そんな中、マレー・インドネシア語のPR週間に、先輩達が手作りのマレー菓子を配っていました。そのココナッツの味の美味しかったこと・・・。初めて食べた味で、感激しました。(とにかくナッツ好きな私。)

つまり胃袋で惚れ込んじゃったわけですね〜 (^^;)

そして、先輩達によるマレー舞踊のパフォーマンスにも心が動きました。ガムランの心地良い音の効果もあり、そのエキゾチズムにハマってしまったんです。

うちの学部は外国語学部でもないのに、1年半の間、毎朝3時間、語学の授業でした。しかも必修。それだけ外国語を重視している学部だったのであります。楽ではありませんでした。(今ではさすがにこの制度は見直され、廃止されているとのこと)

フランス語などであればお洒落なイメージで、なんとかモチベーションをキープできるかもしれませんし、中国語であればビジネス的に価値があるから投資と思って我慢できる。しかし何しろ、あまり馴染みのない国ですし、当然行った事もないし、将来役に立つとも思えない言語。そのため脱落者も多くいました(^^;)

でもチャーミングで熱心な先生(マレー人)と、アットホームなクラスメートのおかげで、なんとか1年半がんばれました。おかげで当時はけっこうしゃべれるようになったんです。新聞も読めたし。

で、1995年、がんばったじぶんへのご褒美にと、先生の村(カンポン)にホームステイ(短期留学)しました。そのときに初めて、シンガポール経由でマレーシアに入ったのです。そういえば親にも「マレーシアってどこの国?」と聞かれましたっけ・・・。

アメリカ以外の外国は初めてでした。しかも初めてのアジア、発展途上国、第三世界、熱帯の国。30人ほどのクラスメートと一緒にシンガポールからバスで、暗いハイウェイを移動した光景、ぬめっと肌にまつわる空気は、いまでも強烈に覚えています。

深夜着だったので、最初の宿は先生がアレンジしたどこかの学生寮。カンティン(食堂)で出されたメニューも超エギゾチックで、強烈に覚えています。塩漬け卵とか、めちゃめちゃ辛いカレーとか、腐ったようなニオイのする豆腐とか、カンクンとか。全てが初めてのフレーバー。

翌朝、バトゥ・パハットの郊外の村に着きました。先生の出身の村です。一家庭に1人〜2人、ホームステイしました。この村での原体験はあまりに長くなるので、割愛。

それ以来もシンガポールには縁があるのです。マレーシアでダイビングを始めたのもあり、大学が休みに入るたびにこのエリアの海を求めて旅しました。もちろん、シンガポール経由で。

その後2001年、山口市の文化振興課の研究職についたとき、このエリアのアート・シーンのリサーチに出かけたことがあります。そのときにはもうシンガポールのタクシー・システムやメトロ・システムなどを見ると、その計画的なデザイン性に「日本より先を行っている感」がありました。

その後はヨーロッパ在住の身となり、節約のためにいわゆる「南回り」という修行のような空路を取り、シンガポール経由で日本に帰国したりして、あいかわらずシンガポールに寄っています。

そして2002〜2004年にはインドネシアのバンドゥンで大掛かりな作品を作っていたので、何度も現地に足を運び、それもシンガポール経由でした。

2010年にはシンガポール美術館での展示に呼ばれ、仕事でまた呼ばれるように来始めたのはこの頃から。

そんなこんなで、シンガポールには20回近く来ているのではないでしょうか。(そのわりには観光をしたことがないので、あいかわらず土地勘がない。)

さて、あの頃はマレー・インドネシア語が喋れて得することは決してないだろうと思いながら必死に勉強していましたが・・・。実際のところ、どうでしょう。

この地域の人々も英語を学んでしまい、どうしても必要とされる場面が減って来てしまったので、やっぱりいまだに役に立つ訳ではありません。

それでもクリーニングのおばちゃんや住み込みのお手伝いさんにマレー語で話しかけると、太陽のような笑顔がこぼれます。「あらー! あなたマレー語しゃべれるのー?!」と。

マレーシアとインドネシアの人たちはとにかく人なつこい。みんなナチュラルな笑顔。たとえば東京とか、オランダでは決して見られないような。こんな笑顔が見れるんだったら、やっぱりこの言語を学んで「良かった」と思いますね。それに、そういう労働階級の人たちを通さないと見えない文化もあるんです。

ちなみに、英語が通じない田舎などに行くと言葉はサバイバルには便利です。バリ島での値引き交渉にもちょっと便利かな? この前もマレーシアのジョホールバルに日帰りで行った時、あまりに全てが20年前から変わってしまっていたので(あたりまえか)まったく見知らぬバスターミナルに着いてしまった時。しかも現金を持っていない。

なんとかマレー語を駆使していろいろ聞いて回り、ATMを見つけ、ローカルバスも見つけ、目的のバスターミナルまで行けたではないですか! しかもバスの運転手さんが「おまえ運賃払ってないだろう!」と文句いってきても、「ちゃんと払ったよ!」と言い返す。(←たかが20円くらいの運賃なのだ)

昔、かなりサバイバルなバックパッカー旅行をしていたときの体力、肝力、語学力がまだ私にもあったらしい・・・(^^)。

私がいま使えるのは、日本語、英語、オランダ語、そしてマレー・インドネシア語。最後のはもう怪しいとしても、普通の日本人にしては多い方です。

「才能があるんだね」と言われますが、いえ違います! 苦労しないで習得できたのは、日本語だけです。他は、完全に、「地道な努力」です。

なぜでしょうね。きっと、まったく文化も背景も言葉も考え方も違う人への興味なのだと思います。そういう人たちに触れる事によって、自分の考え方を見つめ直す機会を得て、結果として人としての器が大きくなる。それが楽しいのだと思います。

次はどの言葉にしようかな?

*写真は全て、ジョホール・バル(マレーシア)で撮ったものです。
2013/01/19

10日間ほど、シンガポール/マレーシアに来ております。

目的はまあ、出張のようなものなのですが、私の場合仕事とプライベートの区別があまりないので、”have fun”のために来ているということにしておきましょう。

昨日、あるレストラン・バーのシェフやバーテンダー達5人にsoxhletという蒸留法を伝授するワークショップをやりました。

バー部門は、世界のベスト10に入ると評価されています。

とにかく「クール」でカッコいい! のです。

Tippling Club
www.tipplingclub.com/

トップ・シェフのライアンは、友達の友達。前回シンガポールに来たとき、2011年秋に初めてお会いしました。少し言葉を交わしただけですが、すぐにインスピレーションを感じ、「何か一緒にやろう」という話に。

まずは私の持っていた経験と技術が役に立つということがわかったので、1年半くらいかけてコツコツと道具や器材を準備してあげました。それをスーツケースに詰めて、シンガポールに飛んできたというわけです。

 

「これで何が抽出できると思う?」
「フレッシュミントは?」
「いや、乾燥したものの方が向いていよ」
「じゃあ・・・まずこの専用の乾燥機で乾燥させるのはどう?」
「何それ?」
「普通乾燥させるとき、水分とともに精油分が揮発してしまうけど、この機械だと精油分を残しておけるんだ」
「へえ! それならだいじょうぶかもよ。試してみてよ。」
「kombuとかkatsuoとか、どうだい?」
「いいんじゃない? shiitake なんか最高だね」
「ショウガの花は? これだけど」
「うーん・・・このシトラスっぽい香りは熱に弱いからなあ。冷たいアルコールと一緒にすり鉢で擦るしかないんじゃない?」

そんなオタクな会話が飛び交いました。

2011年秋にはじめて食事したときにもらった感動やインスピレーション分は、お返しできたかな! 

それだけすごい体験だったのです。「やり返してやろう!」と思うほど。詳しくはこちらに書いていますので、どうぞ。

http://makiueda.blogspot.sg/2011/12/blog-post.html

 

シェフ達はひとりひとりが得意技を持つ職人。料理に情熱を注ぐ、目が真っ直ぐな方達です。

このレストラン Tippling Club の調理場はまさに化学実験室。そう、化学的な調理法である「モレキュラー・ガストロノミー」の有名レストランなのです。この言葉は少しずつ日本でも認知されてきつつありますが、レストラントなると殆ど存在しないのが現状です。

シンガポールは先進国の先を行くといっても過言ではない国です。実際、日本に帰ってくると「ああ、、、なんか後進国に帰ってきたなあ」と感じるほど。

過去の伝統と文化を切り捨て、前に前に進んできた国です。なんでも新しい事には貪欲。だからこそ、私のような者が必要とされているのかも。

今晩は、また別のモレキュラー・ガストロノミーの有名店(デザート専門)でのアポです。月曜日は、Tippling Club にて、レストラン関係者達と会食。

シンガポール・グルメを楽しみつつ、その「未来系」を作るお手伝いができるなんて、ほんとうに光栄です。

2012/09/27

台風の前はいつもカラッとしてて気持ちがよいものですね。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

先日、アメリカからの来客がありました。ちょっと前に私がfacebookにアップした秋刀魚の七輪炭火焼の写真を見て、わざわざアメリカ西海岸から遊びにきてくれたのです。

・・・というのは冗談ですが、半分ホント。アメリカからマレーシアに帰省する途中下車をわざわざ計画してくれたのです。七輪炭火の秋刀魚のために・・・。あきれるくらい食いしん坊な人たちです・・・。

彼ら、ビリー&ビビアンとは、エジプトのダハブを旅行中に知り合い、いっしょにスノーケリングをしました。彼らはイタリアのオーガニック農家に修行に来ているとかで、美味しいもの好きな私と意気投合。アメリカ系マレー人とのことで、私がホームステイしていたマレーシアの田舎の話をしたり、オーガニック食の話をしたり・・・短かったけど楽しい時間を共に過ごしました。それももう5年くらい前の話。ずっと連絡もとりあっていなかったのに、こんな形で再会できたのも、すべては秋刀魚が引き寄せてくれた縁です。

最寄り駅で待ち合わせしたのですが、3歳児の載ったベビーカーとバックパックという出で立ち。長期海外旅行をしているとは思えない身軽さです。コインロッカーに荷物を預けたら?とか、タクシーで行こうか?とか、いろいろ気を使ってみたのですが、「べつに、歩けるよ」。そのままの姿で10分歩いて我が家へ到着。すごい体力です。ビリーは52歳、ビビアンは47歳。とてもそんな歳に見えません。どこからこんなパワーが出て来るのでしょうか・・・。

自宅のテラスの七輪で、いろいろな野菜と秋刀魚を焼きます。七輪を囲みながら、その暖かい火を見つめながら、静かな時間が流れました。この5年を埋める話です。

彼らは私が出会った当時、WWOOFというボランティア・プログラムで、イタリアのオーガニック農家に滞在中でした。WWOOF(Worldwide Opportunities on Organic Farms)というのは、オーガニック・ファームで住み込み労働する代わりに、知識やノウハウを提供してもらうグローバルな仕組みです。日本にもあるようですね。http://www.wwoofjapan.com/main/

アメリカ西海岸で一生懸命働き、一財を成した後でしたから、その後の人生は故郷のマレーシアでオーガニック・ファームをやろうと考えていたのだそうです。ところが息子が生まれ、その子がひどいアレルギーで、とりあえず住み慣れた西海岸に戻って来たのだとか。

そして居を構えたのはカリフォルニア州のナパ。ナパといえば、ワインで有名なところ。気候が穏やかで、太陽がさんさんと降り注ぎ、食べ物がおいしいところなのだそうです。息子のアレルギーを治すため、そして育児を楽しむため、自分たちで畑をやり、農作物を作り、ほどほどに働き、のんびり生活をしたい・・・そんな希望を叶えるため、ナパという地を選んだのだとか。

ちなみに彼らは、様々なワイン農家で働いた結果、ワインを飲まなくなってしまったそうです(笑)。たとえオーガニックと謳っていても、あれやこれやと様々なものを人工的に入れる現場を経験し、結果的にじぶんでワインを作って友人に振る舞うことはあっても、じぶんで飲むのは「味見程度」になってしまったとか。なので、この晩はお酒は入らなかったのですが、ふしぎともの足りない感じはしません。

荷物の中からごそごそと取り出し、自家製のドライ・トマト、ドライ・アップルとミントティーを「今日の御礼に」とプレゼントしてくれました。ナパの太陽をいっぱいに浴び、エネルギーに満ちたものばかりです。

そして息子エリオのアレルギーは、ほとんど治ったようです。3歳の彼は、目に力があり、生き生きとしている。

こんどは私の話が始まります。オランダでの土地性アレルギーで体を壊し、家族を放ったらかしにして、生まれ育った地に帰ってきてしまった・・・という話を、まったくとがめることなく「当然」と受け止めてくれるのは、やはり同じようにアレルギーに苦しんだ経験からでしょうか。

そして話は美味しいものの話に戻り、秋刀魚はオメガ3の宝庫だから健康にすごくいいとか、冷蔵庫や冷凍庫の発明が食事を不味くしてしまったとか。オーガニックでなくとも旬のものがいちばんヘルシーであるとか、七輪炭火はもっとも理想的な調理法だとか。

英語で”Japanese Oven” とよばれる七輪は、マレーシアのお母さんがよく料理に使っているのだそうです。兵隊さんが戦時中に持ち込んだのでしょうか。

「アメリカ式にバーベキューやると、コンロの保温性が悪いから、箱一杯の炭を使っちゃうけど、七輪だとほんのわずかで長持ちするんだよね。世界で最もエコロジカルで、美味しい調理法だよ。」と、七輪の素晴らしさを既に知っていらっしゃる彼ら。

そうなんですよね。熱よりも遠赤外線で火を通すから、肉も魚も野菜も「半生」くらいでちょうどいい。七輪じたいの保温性が高いので、「赤々と燃える炎」ではなく、「仄かに暖かい遠赤外線」でじっくり時間をかけて調理することができる。つまり割と低い温度で食材に火を通すことができるんです。香りの視点から解説すると、熱に弱いフレーバー(芳香成分)を大量に失うことなく、火を通す事ができる。

ガスコンロ。電気オーブン。電子レンジ。IHヒーター。現代には、いろんな熱伝導の方法が存在します。それぞれが、違う科学の原理を応用していますので、同じものを調理してもできあがりの味が違ってきます。鍋の材質も、銅、アルミ、鉄、ステンレスなどから選べる時代です。組み合わせとしては無限大。便利な世の中になりました。しかし、それによって、美味しさが向上しているのかというと、疑問です。

小学校時代の飯ごうすいさんやキャンプを経験している方はどなたも、「炭火で炊いた白米ほど美味しいものはない・・・」ということをご存知のはず。よく考えてみると、おそらく戦前あたりまでは、それが当たり前の時代でした。そっちの方が贅沢のように、私には思えます。

ビリー達のマレーシアの実家では、お母さんが七輪を普段遣いしているようです。ふつうに台所に置いてあり、コンロとして常用してるんですね。素晴らしいです。私もそうしようかしら(笑)・・・。

とにかく、七輪炭火礼賛! 秋刀魚万歳! そんな晩になりました。地球を股にかける私達、またいつどこで会えるかはわかりませんが、きっとどこかで会える気がしています。この友情や絆を、なんと表現したらよいのか迷います。言葉も国も違っても、美味しいものを、美味しく料理して、その一瞬の時を共有する。ありがたいことに、わたしにはそういう気持ちのよい友人が、世界中にたくさんいるように思います。

彼らが去ったあともしばらく、彼らがナパから運んで来てくれたいい気が部屋を巡っていました。私も近い将来、彼らのような生活をしたいな! どこがいいかしら・・・

 





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