2008.10.11

結婚に至るまでのこと

主人とは、大学生だった夏休みに、フランスで出会いました。私は第2外国語であったフランス語を学ぶ為に毎年フランスで夏休みをすごしていたのです。

当時アルバイトで貯めたお金しかない私は、滞在費を抑えるために寮に滞在していました。その寮は3人部屋で、私はオランダ人の双子の女の子と部屋をシェアしていた為、私たちの部屋はオランダ人と、ベルギー人のオランダ語圏の生徒の溜まり場になったのです。

その中に主人がいました。私の第一印象は背がとても高い人だということぐらいでした。ただ気づくといつも何故だか側にいたので、それがきっかけで沢山話すようになって、帰国後もお互い連絡をずっと取り続けるような関係になったのです。

世の中には、ものすごい決心をして結婚をする人は沢山いると思うし、今の日本には結婚も就職活動と同じようにするものだという意見すらあるようですが、その逆に私のように目に見えないような流れで結婚するという場合もあるのでしょう。また大恋愛の延長に結婚があるという場合も多いと思います。

どんな形でカップルになったにせよ、結婚ばかりは、いいか悪いかはしてみないと分からないというのが今の私の正直な感想です。

まだ若くて、大恋愛中の方がこれを読んだら、なんて冷めたつまらない表現をするのかと思われるかもしれませんが、私は逆に結婚はこうあるべきという答えがないからこそ、面白くて深い世界なのではないかと思っています。

よく年配の方が、「あの娘は嫁としての自覚がない」なんていうのを聞く度に、私はそんな自覚がなくても大丈夫と心の中で思っています。

なぜなら、夫婦の形はその時その時で変わるであろうし、自然と責任感も伴う日が時を経ることにやってくるからです。その逆にその関係が重すぎたり、共に歩く事が出来なくなる場合もあると思います。こればかりは、その夫婦2人以外には分からないことなのだと思います。

結婚式の日に誓う永遠の愛の言葉は美しいし、ましてや大恋愛中の結婚であればそこで誓う愛はいとも容易いことに思われるでしょう。愛さえあれば、他には何もいらない。この先永遠に一緒になれるという想いは、全世界中の幸せを手に入れたような気分かもしれません。

でもそこで誓う、何があっても相手を支えて生きていくというのは、2人で生活をして、本物の試練のようなものを乗り越えるまでは、なかなか心の底から理解できないもののような気もします。

傷つけあったり、許しあったりする中で、時間をかけて家族を築くことの素晴らしさに気付いたのは、本当に最近だったように思います。

私の主人は、かめばかむほど味のあるするめのような人だと近頃思います。ロマンチックではないし、超オランダ人気質の合理主義的な面も持ち合わせていますが、家庭を築くには素晴らしい人だと思います。

ちなみに、オランダでは必ずしも奥さんが家計を管理するとはかぎりません。我が家は、スーパーの底値も、貯金も何もかも主人の方が管理しています(笑)今では相当助かっていますが、こういう主人の気質が結婚前や新婚当初にラブラブ期間をもたらさなかった原因なのかもしれません。

ヨーロッパの人と結婚すれば、毎日愛してると言ってもらえるというのも??人によります。フランス人やイタリア人なら言ってくれるのでしょうか?

でも最初に使い切ってしまわなかった愛のエネルギーは、細々と家族愛という形に変えていけるのではないかと感じている今日この頃です。

2008.09.12

結婚とは

オランダ

しばらく体調を崩し、更新できず申し訳ございませんでした。

さて、久しぶりに書くテーマは、なんと結婚について。私は個人的に、恋人や夫婦間のできごとなど男女の間に生まれる関係というのは、それぞれが個人の心の中に埋めていくものであるような気がして、深く書くことは難しいのではないかと思っているところがあります。2人の間で完成されている世界は、言葉にできないこと、しない方がいいことが沢山あるように思えるのです。

でもジャンクステージ代表の須藤さんが、私のオランダ人の主人について興味があるということだったので、これから数回にわたって、私の結婚のことや、主人との生活のことを出来る範囲で書いてみようと思います。私のキャラクター上、あまりロマンチックなストーリーにはならないと思いますが、ご了承下さいませ。

結婚とは、人生最大のギャンブルだとどこかで読んだことがありますが、本当にその通りです。結婚する前には想像もできないようなことが沢山起こりえるのが結婚です。

主人とは、学生時代に知り合い、8年後に結婚しましたが、出会った当時、私は国際結婚にも、オランダという国にも全くアンテナははられていませんでした。

大恋愛の末の結婚だったかとうと、これもノーだと思います。これこそ言葉にできないけれど、私はオランダという国と主人の見えない力にぐいぐい引っ張られて、気づいたら結婚をしてここに住んでいました。それこそ「縁」だったのでしょう。

だから結婚した後に、オランダへ嫁いだことの重大さを知り、祖国から遠いことを思い知り、オランダ語のスランプに陥り、結構大変な思いをすることにもなりました。(笑)

当時航空会社で働いていたせいで、飛行機がバスのような感覚でした。だから日本とヨーロッパはたった半日で移動できるというような錯覚があったのも問題だったのだと思います。

オランダでもがいて、もがいて苦しくて、甘い新婚生活どころではなかったけれど、それはおそらく主人にとっても同じだったのだと思います。

大好きなお菓子と料理の世界に飛び込んだのも、結婚直後でししたが、この世界を持つことは、私にとっても主人にとっても意味のあることでした。どこに暮らしても自分の世界を持つ事が救いになると実感したのです。

国際結婚は大変かと今問われれば、別にそうでもないのではないかと思っています。なぜなら、結婚というものそのものが、日本人同士であろうと、外国人とであろうと、山あり谷ありだからです。

オランダに来た当初は、主人より私の方が母国に住めないという理由でずっと大変だと勘違いをしていましたが、毎日オランダに馴染めずに悲しんでいる姿を見なくてはいけない主人もそれはそれは大変だったのだと思います。

絶対、あの時主人は、大和撫子だと思って結婚したのに、こんなはずじゃなかったなんて思っていたはずです。でも女性は見かけと違って、国籍問わず怖いのだということもたっぷりと学べたことでしょう(笑)

途中、この結婚は辞めてしまおうかと密かに思った事があって、こっそりと「結婚とは」というテーマの本を読みあさったことがありました。

それこそ、古典的な文学作品に始まって、ありとあらゆる本を読む中で、おぼろげながらに結婚を続けることの意義を理解しました。結婚でいう愛とは、絶頂で終わらせる愛ではないから、幸せになることばかりが目的ではないということを、、、。

私は結婚生活の最初に色々もがいたり、その他自分の中で大きな葛藤や出来事があったから、逆に今やっと主人と本当の家族になれたような気がします。よく結婚は、その段階段階で見える景色が違うといいますが、きっとそういうものなのでしょう。そしてその段階どれもが意味のある結婚生活なのだと思います。

最後に、国際結婚において言葉は壁になるか?私たちに関してはなっていないと思います。お互いオランダ語と日本語を片言しか話しませんが、母国語でコミュニケーションをしても心が全く通じない人もいることを思えば、それは本当にささいなことで、他の人が思うほど大きな障害にはなっていないと思います。

2008.08.17

気になる背中のこと

焼き菓子

太ってきたなと気になりだす時というのがあります。しかし、最近もっと気になることと言えば、1度太ってしまうと、昔のように体重がすぐに元に戻らなくなったということです。

 つまり、年をとれば新陳代謝が悪くなって、やせにくくなるということを悲しいけれど実感しているわけであります。昔ある雑誌で中年以降になると、女性は背中に肉がついて来て、この肉はなかなか落ちないという記事を読んだことがあります。

その時、私はまだまだ若かったので、その恐怖というものを全く感じていませんでした。今まで私は、真剣にダイエットということをしたこともありませんでした。

お菓子を作るようになってから、少しずつ少しずつ体重が増えてしまい、実は今少しだけあせっています。特に背中、、、。1度ついてしまったらとることが出来ない肉がないか、チラチラとシャワーの後にチェックをしています。

不思議なことに、私がお菓子屋さんで修行をしていた時、太った職人さんというのは、あまりいませんでした。学校のシェフも、何故か料理人に比べてパティシエのシェフは痩せていました。

これは多分、お菓子はきちっと計量をして作るものであり、作りながら味を調整することが無い為、お店などで決まったレシピを作り続けていれば、味見をする必要があまりないからなのではないかと思っています。それに加えて、ものすごく肉体労働なので、あまり太らないのかもしれません。

私は、お菓子の食べ歩きと、試作で確実に太りました。食べなければ学べず、食べれば丸くなりという悪循環ですが、背中に肉のついた中年にならないということが、今の私のささやかな目標です。

やはり思い腰を上げてそろそろジムにでも通う必要があるのかもしれません。

2008.08.04

発覚した時はすでに遅し、、、

クロワッサン

お菓子屋さんの厨房で働いている時、サルも木から落ちるということわざが頭をよぎる瞬間が何回かありました。つまりプロのパティシエといえど、失敗することもあるのだということです。

 その中でも強烈な思い出は、パリのお菓子屋さんのクロワッサン事件です。

そのお店には、朝の10時に前日の売れ残りのブリオッシュやクロワッサンなどを皆で朝食として食べる習慣がありました。

ある朝、いつもどおりクロワッサンを手にして食べたところ、その塩辛さにびっくり!同時に他の人の顔をみたら皆も同じくびっくり!

つまりそのクロワッサンを計量した人が、砂糖と塩を間違えていて、おまけにそれに気づかず売ってしまったのです。責任者のシェフは相当ショックだったようでした。しかも売り子さん曰く結構売ってしまったとのことだったので、発覚したときはすでに遅しでした。クレームがこなかったのが不思議なぐらいです。

これはかなり大きなミスの例ですが、プロの職人さんや、シェフがたまにミスをするという場面にも結構遭遇したものです。

あるシェフが私に教えてくれたのですが、半人前とプロの最大の違いは、ミスをしても涼しい顔でカバーできること。そして言い訳が許されることだそうです。

確かにペーペーの頃は、失敗の度にこっぴどく叱られるし、失敗しても上手くカバーできずおろおろしてしまいがちですが、プロはいつも堂々としています。

そのことを教えてもらってから、私は上の人たちがたまに失敗する姿をもっと真剣に観察するようになりました。

失敗は成功の元だし、どんなに経験を重ねても完璧ということはないのだという教訓をそこから学ばせていただきました。

2008.07.08

旅に出ると必ず感じること

ロンドン

先日、ロンドンの旅から戻りました。今回も自分の知らなかった未知の世界に触れ、視野を広げることが出来ました。ロンドンののびのびとした雰囲気に浸り、元気になって戻ってくることができたことを嬉く思います。

学生時代から今まで数え切れぬほど旅をしました。そしてその経験は多くのことを私に教えてくれました。

旅に出る目的は、自分の知らない世界を見るためであったり、日常生活に行き詰ってしまった時の気分転換であったりします。でも新しいものを発見する旅の締めくくりに、いつも感じる想いがあります。

 それは帰る場所があることの幸せです。

日本に住んでいたとき、成田空港や羽田空港に到着しては、この上ない幸せを感じていました。例外的にどうしても帰りたくなくて毎回離れるたびに泣いていたパリのような場所もありましたが、それでも日本に着くと安堵感に包まれてほっとしました。

当たり前の景色、地元の駅のスーパー、おばあさんが作り続けている鯛焼きの香り、線路沿いを家に向かって帰るいつもの道。そういう普段は平凡に見えた景色が、旅から戻ると何倍も価値のあるものに見えました。

人には、羽を休ませる場所、根を張る場所が必要なのだなと旅をするたびに思いました。

外国へ嫁いだ私は、今戻る場所がなんとも中途半端になってしまいました。そしてこの先確実に引越しをするから、今住む場所が永久の住みかではないけれど、早く新たな定住地を見つけたいと思います。

ジプシーのように、色々なところに行けるという生活は刺激的ですが、変わることなく自分を包んでくれる場所を持つということは、それ以上に幸せなことなのではないかと最近感じています。

2008.06.02

思わぬ評価に救われたこと

私は大学4年生の時、卒業を前に途方にくれるような思いで就職活動をしていました。

当時フランスへ留学を決意していた為、就職はその資金を貯めるためめと決めていた私は、縁故などは一切使わず自分の力でとりあえず就職をしようと思ったのです。

景気が悪い中、特別な技術も持たない私の就職活動はそれは悲惨なものでした。夏休み前になると友人達もだんだん内定をもらいだして、秋になると卒論や卒業旅行の話でもちきりになりました。

一方、私は秋になってもリクルートスーツを脱ぐことが出来ず、ため息ばかりついていたように思います。秋も深まった頃、たまたま大学で見つけたレストランひらまつに面接へいくことにしました。

フランスレストランで働けば、フランス語が活かせるかもしれないと思ったのです。

不採用に慣れていた私は、平松シェフにかなり飾りなく本音をお話しました。

大学卒業を目前にして、自分がこれほどに社会にとって不必要な存在なのだと感じていること。沢山の不採用通知をうけたこと。フランスへ行きたいと思っていること。フランス語を活かした仕事がしたいこと。

シェフの答えは「好きだな君みたいにどんくさい子」「うちの社員になればいい」

シェフはその場で内定を下さったのです。

その後私は大学の卒業式の日に記念に受けた航空会社になんと4月1日、ひらまつの入社式の日に内定をもらったのです。さんざん悩み、1ヶ月ちょっと研修が終わった頃、社長室のドアを叩きました。

「君に残りなさいと言えば、君はせっかく受かった航空会社にいけず悔やむだろう。君に辞めてもいいよとあっさり言えば、そんなに自分は不必要な人間だったのだと感じて傷つくだろう。でもね、君の人生は君にしか決められないよ。自分で選びなさい。」

私は結局航空会社に行くことにしました。自分の目で若いうちに世界を見てみたいと思ったからです。でも絶望的な状況から立ち直らせ、チャンスを与え、社会で生きていくことの第一歩を私に教えてくださったのは、ひらまつシェフでした。

日本のフランス料理界の頂点に立ち、日本やフランスのテレビでシェフが活躍する場を目にするたびに、厳しくて、優しくて、温かい平松シェフにいただいた目には見えない大きな力を思い出します。

あまりに偉大で遠い存在の平松シェフですが、料理だけではなくて、かっこいい大人としての生き方も見せていただきました。厳しかったけれど、私のような無力な学生に大しても決して上から物を言うようなことがなかったこと。どんな時も真剣に耳を傾けてくださったこと。社会に出てみて、それがどんなに特別で、偉大であるかということを知ったし、それだからこそ、いつまでもいつまでも私の心の中にはシェフへの感謝の気持ちが一杯広がっています。

2008.05.14

旅の中心になること

ディジョンのマスタード

先週、1週間お菓子の研修を受ける為、フランスへいきました。今回この機会を利用して、ナンシー、リヨン、ディジョンもついでに旅してきました。今回もフランスの地方料理やお菓子を楽しむ旅行になりました。

20代の頃は、航空会社に勤めていたので、仕事でもプライベートでも本当によく旅をしました。そして、いつも私の関心はその土地の人が食べているもの、食生活のあり方でした。

 国によってはお買い物が楽しい場所などもありましたが、どんな国でも必ずしたことは、その土地の旬のものを食べるということでした。市場も大好きで、東南アジアの臭い暗い市場でも食中毒に注意しながら、色々なものを食べました。

旅の思い出といえば食べ物ばかりが中心になっています。蟹が旬の時に上海へ、うにが美味しいときに北海道へ、イタリアのボローニャに手打ちパスタを習いに、インドネシアのビーチで海を見ながらお魚のサテを。ベトナムのバゲットはフランスに負けないくらい美味しかったし、台湾で口をやけどしそうにしながら食べた小篭包も最高でした。韓国の寒い寒い夜、屋台で食べたチゲや、福岡で1人ですすった屋台ラーメンの味も忘れられません。

言葉が分からなくても、美味しいという思いはどこでも簡単に伝えられて、そこから思いがけないほど楽しい思い出が生まれました。

私はすごいグルメではないと思っています。三ツ星レストランなんて、なかなか行けないしそういう世界に詳しいわけでもありません。

ただ単純に食べるということが大好きで、食べ物からその国の文化を感じる瞬間が幸せです。それぞれの国で普通に食べられているようなそんな食事に興味があります。

食べるということが大好きだから、世界で一番好きな国フランスの料理学校に留学をしました。フランスは本当に地方色が豊かで訪れても訪れても美味しいものが満ち溢れている国です。

ディジョンで沢山沢山マスタードを買ってきました。こうやって、香辛料や食材を沢山買ってきて、旅の余韻を感じながら、毎日のご飯を作るのも楽しい時間です。

2008.04.21

私にとって大切なもの

思い出

今あなたが持っているもので1番大切なものはなんですかと聞かれたら、やはり自分自身ですと答えるのが1番正直な気がします。

家族や親友や、やりがいのある仕事や、そういう全てのものは大切に決まっていて、そこに1番や2番という順番をつけることはできないように思います。

また大切なものが何か物質的なものでないことも確かです。物というのは、時や状況と共に必要性や重要性が変わるもので、子供の頃に宝物であったぬいぐるみが今の宝物ではないし、今やっとの思いで手に入れた高価な衣料品さえ、年齢と共に似合わなくなるということも分かっています。

何が大切かといえば、こんな世の中を何とか生き延びている自分を愛すること。過去を振り返れば、そこには楽しい思い出だけではなく、苦い思いでも沢山詰まっているけれど、そのありのままを受け入れて生きていくこと。このように思える強くて健康な心が1番大切なものだと思います。

でもそう思っていても、私の心はいつもそんなに丈夫ではなくて、先に進むことすら難しく思えることが度々あります。そんな時、手を差し伸べてくれた人々のぬくもりが、思い出となって私の心にぎっしりと詰まっています。

生きるということは、真剣になればなるほどにしんどくて、疲れると感じることも多いけれど、それは何も自分だけではなくて、万人にとってそうなのだと理解する為には、自分自身とまず向かいあうことなのだと思っています。

どんな時も自分の命は宝物で、二度と戻ることのない今がたとえとてつもなく平凡なものであったとしても、それはその時を生きたのだというかけがえのない思い出になるのだということを、心に刻んでおきたいと思います。

自分が愛する人を本気で守りたければ、自分のことを心から大切にするということ、そうすることで初めて人にも手を差し伸べることが出来るのだということを今までの経験を通して感じています。

2008.04.08

その国で磨かれる食感や甘さの加減のこと

ショートケーキ

オランダやフランスでは全く定番ではないショートケーキは、日本人が作り出した洋菓子だといいます。ショートケーキの歴史には色々な説があるそうですが、アメリカのビスケットとパンの中間のようなものにクリームとイチゴを挟んだお菓子が日本風にアレンジされたのだという話を聞いたことがあります。

 つまり日本人は、原型のアメリカのショートケーキよりもふわふわした柔らかい食感に変えたのです。また現在のカステラも、ポルトガル人が伝えたものよりも、水あめをくわえたりして、しっとりと柔らかな日本人好みの味へと変えられたものなのだそうです。

 日本人の好きなお菓子は、ふわふわで、甘さの控えめなものが多いように思います。「甘すぎなくて美味しい」というお菓子のコメントは、最近フランス人や、オランダ人からも聞くようになりましたが、日本人の比ではありません。日本人は優しい食感、味のお菓子を好むのでしょう。

 そしてヨーロッパでお菓子を勉強したにも関わらず、私は相変わらずこのふわふわした食感が大好きです。ただ日本を離れて確実に変わったことがあるとすれば、しっかり焼いた香ばしいお菓子が以前より断然好きになったことです。

この前日本に帰ってお菓子を食べて思ったのは、日本のお菓子のレベルはとても高いし、相当美味しいけれど、焼き色の薄いお菓子も多いということでした。またやはり日本の風土にあった洋菓子が作られているのだとも思いました。

以前オーストリアのデーメルのザッハトルテや、パリのラデュレのマカロンを日本にもって行って食べたことがありました。その時、現地で食べるよりも相当甘く感じたのを覚えています。

それはヨーロッパの風土と日本の風土が違うからなのか、はっきりした理由はわかりません。ただ何らかの関係があるのだとうと感じた瞬間でもありました。

私が今作りたいのは、純日本風でもなければ、純ヨーロッパ風でもない食感のお菓子です。甘すぎるのは苦手だけれど、しっかりと焼き色をつけたヨーロッパのお菓子の持つ力強さも取り入れたようなもの。

私のお菓子にも、私がここに住んで色々なことを吸収していることを反映させながら、好きな味を確立していきたいと思います。

2008.03.29

仕事選びのこと

お菓子屋さんにて

私がお菓子を仕事にしようと決意するまでには、少し時間がかかりました。小さな頃から食べることが大好きだったということが単純にこの仕事へ足を踏み入れるきっかけだったと思います。

 ただ大人になった今、子供の頃を振り返るとやはりここへたどり着く為のきっかけが沢山生活の中にちりばめられていたように思うのです。

 そしてそれらのきっかけの多くをくれたのは4人の祖父母の存在でした。

一緒に暮らしていた文化人類学者だった父方の祖父は、頻繁に世界を旅しては研究をしていました。そして色々な民族の生活習慣の話を幼い頃から聞かされて育ったのです。中国の茶器なども家に沢山ありました。

父方の祖母は芸術家だったため、部屋中に様々な画材道具がありました。あまり普通の子供用のクレヨンなどにはない色も沢山沢山ありました。私には才能が受け継がれなかったけれど、子供の頃1番すきな科目は図工や美術だったし、なにより物を作るという世界への憧れがあったと思います。

母方の祖父母はとてもとても穏やかで、なにより祖母は私にとって世界一好きな人でした。お料理が上手で、お菓子を焼く姿を今でも思い出すことが出来ます。

祖母のマドレーヌの味。祖母の作ってくれたしょうが焼きの味。その横で「美味しい」「上等だ」という簡単なコメントしかしない淡々とした祖父。ほのぼのとした家庭の素晴らしさを見せてくれた祖父母でした。

私は小さい頃からお嫁さんになりたかったことは1度もなくて、何かを作れる人になりたいと強く望んでいました。それは私の祖父母4人ともが何かを作る姿というのを幼い頃から自然に見せてくれたということも大きく影響していると思います。

もう4人ともこの世にはいません。でも確実に何かが私の中で生きている気がしています。はっきりとした形ではないけれど、私にとって好きな世界へと導いてくれた祖父母に感謝しています。

私はわくわくしたように自分の仕事を語ってくれる人が大好きです。人は食べていく為に働かなくてはいけないけれど、私も祖父母のように自分のしているささやかな世界を大切に掘り下げて身近な人に伝えられる人になりたいと思います。

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