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2011/12/14

■一生、忘れ得ぬ日=
「民意は戦争回避にある」
地球中が戦争を始めたらどうなる~誰一人戦争は 望んでいない。
そうした空気は読めないのかクレハが炭素繊維を不正輸出したそうな
台湾を経由して中国軍関連企業へ
炭素繊維は兵器製造に転用可能なもの
日本人がこれでは困る

そんな折りの12月8日。

~臨時ニュウスを申し上げます。午前6時 大本営発表アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れリ~

長引くシナ事変で、特高の目が恐ろしく口にこそださねどソロソロ戦争はやめて欲しいと密かに願ったこの胸の衝撃!!
えっ 又!?、

あの日に生まれた赤ちゃんは今年 古希を迎える

戦争は遠くなりにけり~とは言え地球のあちこちで穏やかならぬ声がチラチラ聞こえてくる!!
もう辞めよう戦争は。
百害あって一利なし
私の夫も日本が敗れて白旗を振っているのに(在満将兵として)シベリヤに送られ10年間抑留を強いて奴隷同様あの凍土で強制労働をさせシベリヤ鉄道を人力で作らせられた。
その時の死者は何千万にも及ぶ
そのことを思うと悔しくて悲しくて今でも涙も止まらない
が、執念深く他人を恨んでも仕方ない
前向きに一生懸命生きていこう

2011/11/09

■夫の50回忌=

先日春秋苑で夫の50回忌をおこなった
とはいえ私はもう 89歳
歩行困難や痴呆にならぬだけが幸いで 息子と娘が全部取り仕切って25人に及ぶ参加者の宿泊から交通の手配までやって呉れた。
私は相談に応じるだけで 只 眺めているだけの人間だ。
娘や息子が此処までやれるほど成長した事を 夫は 地下でさぞ喜んでいる事だと思う。 

考えてみれば夫の人生は一体なんだったろうと思うほどの壮烈な一生ではある。
未だ学生の身でロシヤ語が出来たばかりに[赤紙の代わりに」特務機関に徴収され 有 無を言わさぬ 軍隊?生活
終戦後は25年の戦犯容疑
ソ連抑留10年、そして帰国
息子と娘の2人の親となって束の間 軽い交通事故が元で敢無くこの世を去った。
わが50年の祭忌を ドンナ思いであの世から眺めた事だろう。
自分の血肉を分けた子供が居ればこそ!!
盛大な50年の法要はつつがなく生田の春秋園で行なわれた
わが子孫は持つべき物であると喜んでくれた事と思う
■今年もこの時期=

全国で年賀状の売出しが始まった
I T で簡単な既製品を出す人も多いが1年に1度のこと。
せめて 頭から出した文言で年始めのご挨拶としたい
どんな賀詞にしようかと悩んでいる人も多く特に被災地の知人宛は難しい~
でも印刷でも良いから自らの言葉で近況と心境を丁寧に語り年頭の挨拶をしたい と思う

2011/10/05

今年の11月2日は夫の50回忌に当たる。

戦争中に「軍からの命令」で夫が結婚の為満州国国境にあるハイラルから帰ってきた。
日数に制限があるため夫の実家のほうでは相手をお膳立てして待ったらしい 

白羽の矢がたったのが幸か不幸か、そんな成り行きなど夢にも知らない私である
僅か10日間のあいだに見合い 結婚 親戚周りをかねた新婚旅行
直ぐ満州国へ男は皆兵役に狩り出され「トラック1杯の女に男1人の」難関を突破した私なり振りなど考えず親の勧めで今では考えられない見ず知らずのひと結婚した
それが幸か不幸なのか今の人生の自分である 

そして迎えた終戦。
長男を連れての引き上げ折角祖国の土を踏みながら子供は佐世保海軍病院で死亡
夫もソ連抑留10年後に舞鶴上陸したものの、過酷な労働に帰国後そのまま日赤に入院
子供2人をさづかったものの6年目に死亡した

一体何日夫婦として暮らしただろう。
法事は春秋苑の墓地のある目の前の本堂で執り行う予定だ
予約はちゃんとして有ったが、そのための下見に先日息子と娘と3人で又春秋苑に行った

50年なんて2度と出会う事も無いのだからと派手な50年祭を予約したらしいが万事遺漏の無いように確認にまた行ったのだ
地方からまで大勢の人を呼んで[仕舞った]と言う事が有ってはもう 取り返しがつかない

行って見てよかった 料理のこともお返しの茶の子のことも3人で取り決め昼食もすませて先ほど、帰った

2011/07/13

■願望=

中高年に広がるピンピン生きたい,その願望こそ惜命である
そして子供や家族に迷惑かけたくない~
これこそ「命を惜しむ」事への息遣いである。

「恋愛成就」「立身出世」「商売繁盛」
その他 どんな願い事も命あっての願望である。

@酸素をしっかりとり
@1日1万歩を目指して歩く
@自分で出来る事は自分でする
@くよくよしないで前向きに生きる
@社会との接点を持ち常に交流を図る

この5か条をしっかり心に留めて常に「惜命」でありたい

戦争中は「命を惜しむ」なんて「トンでもない非国民」であり「卑怯者」とされた。
そんなことは無い
「命を惜しんでこそ 生きたい願望があればこそ」家族の絆も生まれ 国の繁栄もある
■心の風景(1)=
終戦の時、日本へ進駐してきた米軍の文明に憧れた時代があった
哀れな敗戦国民の「心の風景」である。

昭和20年5月29日、横浜大空襲で町は焦土と化した。
わずかに大きな建物やハイカラな「西洋館風」建物は攻撃を免れた。
米軍が日本に進駐してきた折に必要であろう建物は計画的に攻撃を避けたのだ。

米国から見れば日本なんか「赤ん坊の手を捻るより楽に」どんな計画でもたてられるほどの「文明の違い」が有ったのだ。
日本軍は国民に知られては困る事には全部 蓋をして「東洋一の日本」であると国民を納得させていた

敗戦後 大きな建物は接収され進駐軍の官舎となり米兵は颯爽とし堂々としてスマートであった。
ヨレヨレ日本兵など足元にもよれない

@映画でしか見た事も無い電気冷蔵庫のある暮らし
@洗濯板を使わないで電気で出来る洗濯。
何から何まで「進駐軍の生活から透けて見えるアメリカの文明。

~皆憧れた!!
ダンスパーテイにロカビリーブーム。
戦争で抑圧されていた青春が爆発する様に若者が新しい文化を生み出していった。
  
そのうち朝鮮で南北戦争を始め、偶然にも日本は軍需景気に沸きこんにちがあり、社会全体がビビットに輝いた。

2010/10/12

■息子の納骨=
先日のコラムに書いた息子の話である。

若山イク男 1歳6ヶ月。
昨日、広島の菩提寺【法正寺】から息子が持ち帰ってくれた、父親のお墓に一緒に入れる為である。

私たち親子は太平洋戦争に翻弄された一家だ。

父親である夫は終戦後ソ連に抑留され強制労働の末、10年後の昭和30年12月末、舞鶴に上陸。
私と子供は満州国チチハルから徒歩で大陸を歩きハルピンにくだり半年後に帰国。 
子供は連絡船上でジフテリアに係り佐世保に着き海軍病院で血清をしたがその夜死亡した。
佐世保の山の上の火葬場で遺骨にしてもらい、故郷広島の菩提寺に納骨して貰った

今回、65年の歳月を経て今回父親のお墓に一緒に葬りたいと持ち帰った

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広島の菩提寺から東京春秋苑まで運び1歳6ヶ月・恵真童子を父と同じ墓に納骨した。

2010/10/06

■納骨の日のこと=

わたしたち夫婦の長男のこと。

就戦の翌年、満州国チチハルから長男を背中におんぶして日本に引き揚げて帰った。
輸送船コウアン丸の船中でジフテリアにかかり佐世保に就いて直ぐ海軍病院に移動し血清も打って貰い、万全の手当てを国家にして貰ったが、わづか1歳半、その夜、死亡した。

翌日、佐世保の山の上の火葬場で私自身が薪の上に乗せ灰にした。
お骨はちゃんと箱に入れ白布で包んで渡してもらった。

65年前の話である。

故郷広島の菩提寺に納骨した。
今回父親の50回忌法要を機に、同じ墓に入れてあげいと、息子が広島の菩提寺に取りに行ってくれた 

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行年1歳6ヶ月。
若山イクオ、戒名 恵真童子。
    
一旦、春秋苑の父親の墓に納骨。
来年11月の父親の50回忌に、遅ればせながら合わせて法要の予定

2010/09/01

■シベリア抑留=

戦後65年も経ってるのにシベリア抑留の実情は未だ公開されていない。
生存者の数は次第に減り事実は判らないままで、このまま、幕引きにして良いのだろうか
        
今朝の読売俳壇で吉森美信氏の俳句を見た
@夏草に、銃置き我らシベリヤへ
    
突如侵入したソ連軍により武装解除され、捕虜としてシベリヤへ抑留された過酷な過去を歌った短歌。
以来10年の歳月を酷寒の地で捕虜として強制労働で過した無念さは何故か未だ公にされていない

何故シベリヤ抑留に限り霧に包まれて調査も何もないのだろう?

そしてその後の舞鶴上陸。
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昭和30年12月末。
やっと開放されて、舞鶴に上陸した将兵の写真。
ラジオ放送で帰国者の名前を聴き、舞鶴埠頭まで駆け出迎えた親族たち。
中央2人が私と夫だ

10年もの長い歳月。
酷寒の地で囚われの身の強制労働。
無念の気持ちは未だ公開されない。
何があってソ連に限り強制労働が許されたのか、ひどい!

2009/08/12

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■8月6日、広島原爆忌=

私たちの年齢は生まれてすぐ「非常時」に始まり平和というものは殆ど知らなかった。まだ小学生の頃から「日支事変」が始まり出征兵士を見送り、日の丸の旗を振った
これは聖戦である。
正義の戦いである。
国民皆兵、二十歳の男であれば皆、兵隊検査を受けなければ為らない
天皇は神様である。
学校の校門の横に天皇の写真を飾る建物があり、それに向かって帽子を取り深々と一礼しないと中には入れ無かった。
神様の写真や絵を粗末にしたら目が潰れろ。
私たちはそう言われ本気でそう信じ、天皇でも物を食べオシッコも、ウンチもするという事はかなり大人になって知った
教育とは恐ろしい。
1億の民が一人の指揮者に自由に操られる

敵の弾にあたって死ぬ時は【天皇陛下万歳】と叫んで死ね
間違っても【お母さん】など言うのは非国民だ

ああしても駄目こうしても「国賊」。
意味も道義も無い
「聖戦」の一言に踊らされ何十万の人が死んでいった
     
鬼畜米英と言う文字はまだ小学校の漢字が読めない頃から教わった。
高等女学校に進学し、1年生の時ローマ字だけは学んたが、2年からは「英語は敵対語だ」と教育まで差し止めを食らった。
野球はさすがに「敵性ゲーム」とはいわなかったが呼び名は変な日本語が使われた
「セーフ」は「すべりこみ」などヒットもストップも変な日本語。。

終戦までそれは続き、基礎を学ばない我々は未だに英語は話せない。
愚かな事。
返す返すも無念である

貧乏人は麦を食え
贅沢は敵だ
食料も衣料品も切符制。
庶民は自由を持たず、物資は与えられず、ひたすら天皇の為に戦って死ね。
その上子供だけは数多く産んで育て、この生涯戦争に勝たねばならぬ。

若い男性は戦場に狩り出され男不足で結婚可能の男性。
一人に女はトラック一杯。
種が無ければ子は出来ぬ。それでも「産めよ増やせよ。地に満てよ」食べ物さへ無い時に子供が生めるか。

それが至上命令である下士官以上の軍人、文官は希望があれば旅費支給。
戦地から結婚に走ってこい。
今の若者にこの事態が想像出来るだろうか。
馬鹿馬鹿しい。
これが文明国家のすることか

が。かく云う私たちは、まさにそのたぐい。関東軍露語通訳官をしていたわが夫も満州国ハイラルから駆けつけた。
結婚とは一体なんだろう。  
昔と今は教育が違う!?
親がお膳立てした話しと上官の許可を、えて唯唯諾諾と。。
ああー、ああー
結婚休暇10日。
見合いをし結婚をし、新婚旅行までして

そのとき夫23歳、妻ハタチ
結婚とは人生の墓場か!!

日本軍の作ったたった1本の鉄道。
満鉄が唯一の移動機関
ハイラルに着くまで実に3日かかった。

この街はソ満国境、人口の半分は白系ロシア人異国情緒たっぷりの街、1っ軒の官舎に案内され新居が始まった
私たちは中国人とは隔離された、別世界。
僅かの白系の家庭と付き合った
余りに平和な1年足らずの生活。

しかし3ヶ月でチチハルに移動となリ終戦は此処で迎えた
もと居たハイラルは大変だった、終戦になった途端、ソ連はこの国境地帯に雪崩込んだ
戦車と火炎放射器を使い逃げ惑う人々を焼き殺し戦車で蹂躙した。
興安嶺の山中に逃げ込み僅かに生き延びた人を除くとこのソ満国境の凍土に眠る人24万人

戦争とは一体なんだろう。 
正義の戦い、聖戦といわれ目隠しされて育った20年の才月。。。
そして、私の生家は広島。
当時の軍隊の言う「鬼畜米英」の1っ発弾で全滅した。。
恨みを超えてただむなしい
戦争はするなという声も空ゾラしい

広島の焼け野原に立って息を飲み、声も無く泣いたあの日
終生忘れれえぬ声なき声は地球中にきっと響く事だろう
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2009/05/25

■“日本最高齢ブロガーと行く!平和祈念展示資料館ツアー”を終えて

終戦の頃の話。
70年も年代の違う若者が私の話を聞きに来てくれた。
着席のままで60数年の思い出を語る

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▲講話中の様子

老婆のヨタヨタ話を熱心に聴いてくれる
席を替えて質疑応答。

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▲記念に花束を頂いての1枚。

またお逢い出来る日を!

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*本日、2009年5月24日にJunkStage月例イベント「日本最高齢ブロガーと行く!平和祈念展示資料館ツアー」を実施いたしました。
終始和やかなムードで行われた当イベントでは14名の方にご来場頂くことができ、また会場となった平和祈念展示資料館さまを学芸員の方の解説付きで見学することで「戦争に関する学び」をより具体的にお伝えすることができました。
ご協力頂いた独立行政法人 平和祈念事業特別基金さま、ならびに会場をご提供くださいました平和祈念展示資料館さまに深くお礼申し上げます。(JunkStageスタッフ)

2009/04/10

「石の上にも10年」コラムをいつもご愛読いただき、ありがとうございます。JunkStage広報担当の桃生です。
このたび、JunkStageでは月例イベントの一環としまして、「キョンばあと行く!平和祈念展示資料館ツアー」を企画いたしました。
読者の皆様とキョンばあが直接対面し、会話ができるこのイベント。
ぜひ奮ってのご参加をお願いいたします!

<<JunkStageイベント>>
「キョンばあと行く!平和祈念展示資料館ツアー」

■日  時:2009年5月24日(日) 10時~13時
■会  場:平和祈念展示資料館(新宿住友ビル内)
      http://www.heiwa.go.jp/tenji/index.html
      各線新宿駅より徒歩10分
■集合場所:平和祈念展示資料館 入口前受付
■会  費:1500円(税込/昼食費込)
■申込窓口:info@junkstage.com(担当:桃生・鈴木)

なお、当日のプログラムは下記を予定しております。
・平和祈念展示資料館の見学、展示解説
・キョンばあによる講話
・昼食懇親会

また、キョンばあから読者の皆様へのメッセージをお預かりしています。

***

以前ブログで書いた事がありましたが、私にとってあの時代は『石の上に3年どころか、10年~20年の歳月だったように』思われます。今やっと人生の終末期を迎え、あの頃の「矢折れ刀尽きた」時代のことを、思い返してみたいと思います。
原稿を持たない即席の話で重複もあるかもしれませんが、私自信の事や夫の抑留10年のソビエト生活の話など語ってみたく存じます。
どうぞご参集ください。

***

自らの言葉で戦争体験を今なお語り継いでいる日本最高齢ブロガー・キョンばあと、直接会話ができるチャンスです。
質疑応答の時間もございますので、ぜひご質問をご用意の上奮ってご参加ください!

(JunkStage 桃生)

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