« | Home | »

2013/04/30

ワクチンと聞いて、みなさんは何を思い浮かべるだろう。

最近ではポリオワクチンが医療ニュースのトピックスのひとつだ。2012年9月より、ポリオには生ワクチンに代わり不活化ワクチンが導入されている。また、同年11月より、これまでのジフテリア・百日咳・破傷風に対する3種混合ワクチンに、新規にポリオが加わった、4種混合ワクチンの定期接種が開始された。不幸にも、その4種混合ワクチン接種者での国内初の死亡例が明らかにされたのが、2013年3月のことだ。

上記の症例では、ロタ・Hibなど、他のワクチンも同時に接種しており、詳しい原因は調査中である。考えなければいけないのは、それがワクチンである以上、ある程度かそれ以上の副作用は避けられない、ということだ。ワクチンとは、毒性を弱めた病原体や、病原体の一部を体内に取り込むことで、からだの免疫反応を引き起こし、それをからだに記憶させ、以後の感染症にかかりにくくするものであるから。

からだには異物が入ってきたときに、それらと戦い、排除する能力と、一度戦った相手を覚える能力がある。戦闘能力を落とした捕虜を直接からだに教えこむのが生ワクチンで、敵の武器を奪ってバラバラにし、そのパーツだけをからだに覚えさせるのが不活化ワクチンだ。いずれにせよ、からだに自分でないなにかを放りこむことになり、そのことによるリスクはある程度覚悟しなければならない。

ではなぜ、ワクチンを打つのか、打たなければならないのかといえば、打つことによる利益のほうがはるかに大きいからだ。ポリオについて言えば、これは人から人へ感染する病気で、ポリオウイルスに感染すると、手や足に麻痺があらわれることがあり、その麻痺が一生残ってしまうこともある。麻痺の進行を止めたり、麻痺を回復させるための治療が試みられてきたが、現在、確実な治療法はない。
この30年間、新規患者が国内ではひとりも報告されていないのは、やはり、ワクチンの効果である。

副作用の可能性はあり、そのことには常に倫理的な問題がつきまとう。しかし、そもそもワクチンという治療法は、そのスタートの時点から、万人に祝福を受け開始されたものでは決してない。

ワクチンの発見者はイギリスの医学者であるエドワード・ジェンナーである。人類初のワクチンは、現在ではすでにWHOによる根絶宣言がなされた天然痘に対するものだった。ジェンナーによるワクチン発見のヒントとなったのは、“牛痘にかかると天然痘にかからない”という農民の言い伝えであったようだ。

牛痘は人間にとっては症状が軽く、しかし天然痘と近縁のウイルスが病原体であるため、牛痘にかかると人間は同時に天然痘に対しての免疫も獲得できる。そこでジェンナーは、牛痘を健康な人に接種することで、からだを(人為的に)牛痘にかかった状態にすれば、その人はもう天然痘にはかからないのではないかと考えた。

この場合では、牛痘の抽出物が天然痘のワクチンに相当するだろう。ワクチンという言葉は、故にラテン語の“Vacca(雌牛)”に由来している。ジェンナーは被験者にワクチンを接種した後、その効果を確かめるために、天然痘を同じ被験者に接種した。被験者は天然痘にはかからず、ワクチンの効果は実証された。ジェンナーは後に“近代免疫学の父”と呼ばれるようになる。

しかし当初、医学界はジェンナーの功績を認めなかった。現代の感覚と照らしても、当然といえば当然だろう。ジェンナーが牛痘を接種する被験者になったのは、ジェンナーの使用人の幼い子どもであり、その時点では健康な被験者に、致死率の非常に高い天然痘を接種する行為が人体実験とも考えられたからだ。
もしこの試みが失敗していたら、近代医学の父は功名心と知識欲に駆られたただの犯罪者であり、その後のワクチン発見はずいぶん遅れたのではないかと思う。

医療における結果オーライな部分というのは現代にもあって、急性前骨髄球性白血病の特効薬ATRAなんかもそれに当たるだろう。
医療とは決して完全なものではないが、その認識に齟齬があると、医療の受け手と担い手の間に不幸な事案が起きかねない。だからこそのインフォームドコンセントであるといえばそれはそうでそのとおりなのだけれど、ことワクチンという誰もが知る側面ひとつをとっても、医療の絶対安全神話は構造上(現時点では)成立し得ないことがおわかりいただけるかと思う。

もちろん、いのちを預かる以上、完全を目指さなければいけないとしても。

2013/04/30 11:30 | コラム | No Comments

Trackback URL
Comment & Trackback
Comments are closed.
No comments.