2013/12/04

JunkStageをご覧の皆様、こんにちは。 いつもJunkStageをご訪問いただき、ありがとうございます。

病室の千羽鶴は飛ばない」のライター、医学生・朽木誠一郎さんですが、現在学業を優先されるため2014年3月末日までこちらの連載を休載とさせて頂いております。

ご愛読頂いております皆様には大変申し訳ございませんが、次回更新の際をお楽しみにお待ちくださいますよう、お願い申しあげます。

(JunkStage編集部)

2013/12/04 12:37 | 自分のこと | No Comments
2013/05/12

数日前から女性手帳という単語を目にする機会が多かったが、ちょっと調べてみたらたしかに香ばしい内容だった。

知らない人のために説明しておくと、内閣府の少子化危機突破タスクフォースが5月下旬にも政府へ導入を提案する“女性手帳”は、10代以降の女性を対象に、身体のメカニズムや将来設計について啓発するもの。
“30歳半ばまでの妊娠・出産を推奨し、結婚や出産を人生の中に組み込む重要性を啓発する”らしい。
少子化の要因の一つとされる晩婚・晩産化に歯止めをかける狙いがあるという。

少子化の原因は、妊娠・出産について女性が知識不足であるためと、他ならぬ政府が公言する日本は、すでにディストピアだ。

ディストピアはユートピア(理想郷)の対義語で、一見すると平等で秩序正しく、貧困や紛争も無い理想的な社会が、徹底的な管理・統制の敷かれた見せかけの自由、あるいは人としての尊厳や人間性がどこかで否定された状態で成立するさまを意味する。
典型的なパターンのひとつが、強制的に人口を調整ないし維持する必要があり、市民の家族計画、さらには恋愛・性行為や妊娠・出産など、人類の繁殖にまつわる部分までが管理される社会である。
これ以上の説明は必要ないだろう。

女性が妊娠・出産をしていない、あるいはしないのは、いったいどうしてだろう。

もちろん、一概には答えられない部分がある。
医学生兼ライターというふれこみでものをかく仕事をしていると、女性のからだの悩みについての記事作成依頼や取材はすごく多い。出版業界の主なターゲットは20〜30代の女性だから、これは当然といえば当然で、僕の存在価値はそのあたりにある。
記事の反響やインタビュアーのリアクションから思うに、知らない人はけっこう知らない。それは事実だ。

一方で、この手のライフイベントを保留している、あるいはそもそも選択しない女性には、プランとリスクを天秤にかけたうえで、主体的に人生を設計している場合も多いだろう。
そのような女性に対しては、知らないからそうしないんでしょ、みたいな横やりは余計なお世話だし、女性手帳に関する話題があちこちで炎上しているのも頷ける。

正しい知識を提供することそれ自体はなにも間違ったことではない。それが政府による啓発となるとうさんくささが漂うが、ゆるぎない首相の信念だというのならそれはそれでよい。
女性手帳のさきゆきがここまで不安視されているのは、発想の根本、つまり女性が妊娠・出産しないのは女性(だけ)に知識がないから、というスタートの気色悪さが理由ではないか。

内閣府が2011年にまとめた“少子化に関する国際意識調査報告書”から、若年層が出産を“個人の選択としてしたくない”というよりも、むしろ“外的要因から諦めている”傾向が明らかになったはずだ。
また、同調査においては、“結婚したら自分自身の子どもは必ずもつべき”と考える人の割合も比較的高かった。
政権が変わって、そんなことは、すっかり忘れ去られてしまったのだろうか。

ディストピア文学のはしりはH・G・ウェルズの『タイム・マシン』であるが、対となるユートピアの概念そのものも、現代の感覚に照らせば多分に全体主義的・管理主義的であるとする立場もある。
理想すらあやふやなままで、僕たちはどこに進んでいくのだろうか。

僕は医師が政治的活動をするべきではないと考えているが、少なくとも社会的役割を果たすべきであるとは思う。今回であれば、女性のみに手帳を配るのではなく、より広く一般的に、妊娠・出産についての知識を啓蒙できればいい。

医師兼ライターというありかたに、一定の意義を見いだしたニュースでもあった。

2013/05/12 04:30 | コラム | No Comments
2013/04/30

ワクチンと聞いて、みなさんは何を思い浮かべるだろう。

最近ではポリオワクチンが医療ニュースのトピックスのひとつだ。2012年9月より、ポリオには生ワクチンに代わり不活化ワクチンが導入されている。また、同年11月より、これまでのジフテリア・百日咳・破傷風に対する3種混合ワクチンに、新規にポリオが加わった、4種混合ワクチンの定期接種が開始された。不幸にも、その4種混合ワクチン接種者での国内初の死亡例が明らかにされたのが、2013年3月のことだ。

上記の症例では、ロタ・Hibなど、他のワクチンも同時に接種しており、詳しい原因は調査中である。考えなければいけないのは、それがワクチンである以上、ある程度かそれ以上の副作用は避けられない、ということだ。ワクチンとは、毒性を弱めた病原体や、病原体の一部を体内に取り込むことで、からだの免疫反応を引き起こし、それをからだに記憶させ、以後の感染症にかかりにくくするものであるから。

からだには異物が入ってきたときに、それらと戦い、排除する能力と、一度戦った相手を覚える能力がある。戦闘能力を落とした捕虜を直接からだに教えこむのが生ワクチンで、敵の武器を奪ってバラバラにし、そのパーツだけをからだに覚えさせるのが不活化ワクチンだ。いずれにせよ、からだに自分でないなにかを放りこむことになり、そのことによるリスクはある程度覚悟しなければならない。

ではなぜ、ワクチンを打つのか、打たなければならないのかといえば、打つことによる利益のほうがはるかに大きいからだ。ポリオについて言えば、これは人から人へ感染する病気で、ポリオウイルスに感染すると、手や足に麻痺があらわれることがあり、その麻痺が一生残ってしまうこともある。麻痺の進行を止めたり、麻痺を回復させるための治療が試みられてきたが、現在、確実な治療法はない。
この30年間、新規患者が国内ではひとりも報告されていないのは、やはり、ワクチンの効果である。

副作用の可能性はあり、そのことには常に倫理的な問題がつきまとう。しかし、そもそもワクチンという治療法は、そのスタートの時点から、万人に祝福を受け開始されたものでは決してない。

ワクチンの発見者はイギリスの医学者であるエドワード・ジェンナーである。人類初のワクチンは、現在ではすでにWHOによる根絶宣言がなされた天然痘に対するものだった。ジェンナーによるワクチン発見のヒントとなったのは、“牛痘にかかると天然痘にかからない”という農民の言い伝えであったようだ。

牛痘は人間にとっては症状が軽く、しかし天然痘と近縁のウイルスが病原体であるため、牛痘にかかると人間は同時に天然痘に対しての免疫も獲得できる。そこでジェンナーは、牛痘を健康な人に接種することで、からだを(人為的に)牛痘にかかった状態にすれば、その人はもう天然痘にはかからないのではないかと考えた。

この場合では、牛痘の抽出物が天然痘のワクチンに相当するだろう。ワクチンという言葉は、故にラテン語の“Vacca(雌牛)”に由来している。ジェンナーは被験者にワクチンを接種した後、その効果を確かめるために、天然痘を同じ被験者に接種した。被験者は天然痘にはかからず、ワクチンの効果は実証された。ジェンナーは後に“近代免疫学の父”と呼ばれるようになる。

しかし当初、医学界はジェンナーの功績を認めなかった。現代の感覚と照らしても、当然といえば当然だろう。ジェンナーが牛痘を接種する被験者になったのは、ジェンナーの使用人の幼い子どもであり、その時点では健康な被験者に、致死率の非常に高い天然痘を接種する行為が人体実験とも考えられたからだ。
もしこの試みが失敗していたら、近代医学の父は功名心と知識欲に駆られたただの犯罪者であり、その後のワクチン発見はずいぶん遅れたのではないかと思う。

医療における結果オーライな部分というのは現代にもあって、急性前骨髄球性白血病の特効薬ATRAなんかもそれに当たるだろう。
医療とは決して完全なものではないが、その認識に齟齬があると、医療の受け手と担い手の間に不幸な事案が起きかねない。だからこそのインフォームドコンセントであるといえばそれはそうでそのとおりなのだけれど、ことワクチンという誰もが知る側面ひとつをとっても、医療の絶対安全神話は構造上(現時点では)成立し得ないことがおわかりいただけるかと思う。

もちろん、いのちを預かる以上、完全を目指さなければいけないとしても。

2013/04/30 11:30 | コラム | No Comments
2013/01/31

不敏にして栗城史多(くりきのぶかず)という登山家を存じ上げなかった。存じ上げなかった訳であるから、氏の来歴についてなにかしらの個人的見解を述べる権利は僕にない。
しかし、医療的側面から、彼について語ることが許されるなら、彼の指はもうもとには戻るまい。たとえiPS細胞がどれほどすばらしいものであっても、である。

2012年10月、単独無酸素でエベレスト登頂に挑んだ彼は、右手の親指を除く9本の手指に重度の凍傷を負った。栗城氏のtwitterには、第二関節からうえが黒色に壊死した痛ましい指の写真も掲載されている。
そして、氏はいまだ切断には踏み切らないという。諦めず、再生医療に取り組むと語る。

そもそも、壊死した指はなぜ切断しなければならないのか。

たとえば、てのひらにプリンをのせたままで幾日も生活する必要があるとしよう。そう遠くない未来に、プリンの甘い香りは異臭に変わり、腐る。腐ったプリンは食べることができない、あたりまえだ。
ひとのからだはプリンよりもたくさんの有機物で構成されている。それが腐らないのはどうしてかと言えば、そのパーツが生きているからだ。生きていれば細胞は血流により栄養され、免疫細胞により保護される。死んだらそれがない。腐ったプリンは、死んでいる部分の血管から体内に戻り、腐ったプリンによってからだがパニックを起こす。これが敗血症だ。ひどいときは、からだ全体が死ぬこともある。

血流改善をして再生医療に取り組む、氏の主張は一見心得ているようで、そのじつなにも受け入れていない。
まず、血流とは生きている部位の話で、彼が再生したい指にはもう、血管そのものがないのだ。血流改善による効果が得られるのは生きている部位の末端であり、炭化した第一関節ではない。むしろ、患部で産生された壊死物質を、いたずらに体内循環に戻してしまうとも考えられる。

いちど死んだものは生きかえらない。
だから再生医療、という思考はあまりに短絡的で、悲哀すら漂う。

山中教授によるiPS細胞は確かに、数年後、あるいは数十年後、医療に画期的な革命をもたらすかもしれない。
でもそれは、おそらく性質を同じくした単一の細胞、あるいは限られた種類の細胞から成立する組織についてであるということは、容易に想像される。乱暴な言いかたをしてしまえば、皮膚は作れても指は作れないのだ。
再生とは聞こえのいい言葉だが、たとえば指にはどんな細胞、組織があるだろうか。皮膚・筋肉・骨、爪・血管・腱、もっと厳密にすればそれらはさらに無数の細胞によってかたちづくられているのだ。
それをらをすべて、いちから作り出す。まるで魔法のような話だ。

そんなことができるのなら、怪我や病気で死ぬひとなんかいなくなる。そうなればいい。しかしまだ、無理なのだ。

栗城氏のtwitterにはたくさんのリプライが寄せられ、彼が確かにひとびとを動かす魅力ある人物であることが伺える。だからこそ、彼に安易に再生医療と口にしてほしくはないと僕は思う。
再生医療への期待が高まる昨今、一部には再生医療が万病に効くとPRする民間クリニックが問題となっている。安全性や高額の治療費など、かぎりなく黒いグレーな代替医療に、国内でも関係学会が注意を呼びかけるほどだ。これでは、再生医療そのものへの信頼性が揺らぎかねない。

諦めないと口にするのは自由だ。その結果、健康を害するとしても、それは個人の問題であって、他を害することもない。
しかし、登山の中継や講演活動など、パフォーマンスに熱心な栗城氏であれば、その言説には重い責任が伴う。炭酸水や薬草、アメリカの名医、そして氏に次々とリプライされる眉唾ものの代替医療の情報を、安易に社会に拡散するべきではない。

希望にすがりたい気持ちを否定するつもりはない。でも、それに善意の人たちが巻きこまれ、健康を害するようなことがあってはならない。
栗城氏を下山家と揶揄する向きもあるが、下山とは自分にできることできないことを落ちついて考えるための手段ではないのか。闇雲にエベレストのような希望を語るのではなく、まずは地に足をつけ健康になってもらいたいと心から思うのである。

2013/01/31 06:00 | コラム | No Comments
2012/12/11

King of Popと称された、マイケル・ジャクソン(以下MJ)が亡くなったのはもう3年前の2009年6月25日。
当時の日本はといえば、まだ東日本大震災も発生していない。すなわち放射性物質を大量に含む雨が降ることもなければ、脱原発なんて言葉を唱える人とは距離を置いて然るべき関係だったはず。
あまつさえ、ここ数年、すばらしいエンターテイナーたちがお茶の間を楽しませてくれた民主党政権でさえ、当時はまだ発足していなかったのだ。
麻生太郎元首相により衆議院が解散されたのは、2009年7月21日のことだった。

そして、MJである。
MJ死亡の経緯について、詳しいことを知っている訳ではない僕も、プロポフォールが医師の常時監視下で用いられる麻酔薬であるということは知っている。
プロポフォール(化学名:2,6-ジイソプロピルフェノール)には中枢神経抑制作用があり、医療現場では全身麻酔の導入、維持に用いられる。
ポップ・ロック・ソウルの王者を永遠の眠りに誘ったこの麻酔薬は、ではどれほど危険な薬品であるかといえば、本来はそうでもないのだ。
現実問題、全身麻酔の手術の際にメインで用いられるのはどの医療機関であれたいていはプロポフォールだ。
手術室に入れば、静脈にルートを取って注入されるプロポフォールを幾度となく目にする。
水に溶けないこの薬品は、脂肪製剤により乳化された状態で製品化されており、白くややとろみのあるその外見は何かに似ている。
そう、牛乳。
MJ本人も、プロポフォールのことを“ミルク”と呼び、かのマーレー医師に僕たちの常識とは異なる“ミルク”を処方させていたらしい。
寝る前にはホットミルクを飲むと寝付きがいいと言われているし、カルシウムやトリプトファンの入眠効果を報告する論文は数多かれど、
なにもこっちのミルクに頼らなくたってよかったんじゃないか、とは思うのである。
もちろん、放っておけば呼吸が止まるプロポフォールを投与しておいて、2分間もの間トイレに立った医師がいるのなら、医学生程度の視点からしても、
それは医師失格だ。

世界中で深刻な不眠に悩む患者を一堂に会したら、ネバーランドだって溢れかえってしまうだろう。
それらすべての患者にプロポフォールを投与するべきか。答えは否である。あれはそういうたぐいの薬品ではない。
睡眠中、常時医師を傍らに置いてまで、死に至る危険を孕んだ麻酔薬を毎晩投与される人生は幸福ではないと僕は思う。
ではなぜ、MJはプロポフォールにこだわったのか。一説には、前年に専属の看護師にまでプロポフォールの処方を依頼していたと聞く。
理由はプロポフォールに特有のある効果によるのだろう。
プロポフォールによる麻酔状態から覚醒すると、患者はこれまで体験したことのないような爽快な目覚めを経験するらしい。
あれをもう一度使ってくれないか、と、術後の患者から頼まれたことがあるほどだと、僕の実習の指導医は話していた。
MJがいったいどのタイミングではじめてプロポフォールを投与されたのかはわからない(たしかに手術の回数は多そうだ)。
深刻な不眠に悩んでいたという彼は、あまりに快適なその目覚めに、依存してしまったのだろうか。
王者であるということは、かくも困難なことであったようだ。

僕は商業ライターをして学費の足しにしているわけだけれど、少し前に“快適に目覚める香り”について調べる機会があった。
結局、匂いについての研究はさほど進んではおらず、医学的に確からしいことはそう多くはない。
経験的に信じられている効用はすごく多いのだけれど、だからこそアロマセラピーなるものが一定の支持を得ているのだろう。
そこで個人的に印象に残ったのは、ベルガモットの作用だった。
ベルガモットはミカン科の柑橘類で、主産地はイタリアなど地中海の沿岸部である。しかし、強い苦みから果実は生食や飲用には向かず、もっぱら精油を採取し香料として利用されてきた。
その効用は鎮静と興奮の相反するもので、すなわち神経が高揚しているときはそれをクールダウンさせ、逆に抑うつ傾向にあれば陽気な気分になるという。
なんともイタリア人らしい調子のいい心理効果であるが、これが“経験的に信じられている”というのだから仕方がない。
ちなみにこのベルガモット、紅茶のアールグレイの着香に利用されている。
あの独特の香りは、じつはベルガモットによるものなのだ。すなわち、アールグレイを飲んでも効能は同じであるはずである。
心理的な作用が健康に与える効果は看過できない。プラセボ(偽薬)的なものはじつは臨床の現場で多々処方されている。
アロマセラピーの心理的効果について、医学生の僕は、報告があるとかそういう曖昧な表現をとることしかできないけれど、
少なくとも、その心理的効果を疑ってかかるよりは、そう信じてみることのほうが、結果的に利益は多そうではあると思う。

だから僕は、起床後に、アールグレイの紅茶を飲むようになった。
マイケル・ジャクソンがミルクではなく、アールグレイの紅茶を飲んでいたら、ポップの歴史はもう少し変わっていたのかもしれない、と思いながら。

2012/12/11 06:00 | コラム | No Comments
2012/09/17

はじめまして。朽木誠一郎です。

子どもの頃の夢は「お医者さん」か「小説家」でした。
いまは、医療の現場で医学の勉強をしつつ、いくつかのメディアで記事をかかせていただいています。

僕はライターです。そして、医学生として、毎日外来や病棟でたくさんのことを見聞きします。

そこにいろいろな配慮を加えたら、医療の実際や、命というものについて、みなさんと一緒に考えることができるのではないか、と思うようになりました。

どうぞ、よろしくお願いします。

朽木誠一郎

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※個人情報への配慮について
このコラムは基本的にノンフィクションです。でも、特定の患者さんを話題にするものではありません。
場所も、時間も、患者さんの病名も、病歴も、すべて僕が経験したことを、
ゆるやかに織り交ぜ、一部に変更を加えています。ご了承ください。

2012/09/17 10:50 | 自分のこと | No Comments