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前々回、WWE殿堂に「レガシー部門」が設けられた意味について、「感慨深い」と書きました。
プロレスの成り立ちと、WWEのこれまでを考えると、非常に感慨深いのですよ。
今回は、その辺について掘り下げてみようと思います。
再三書いているように、プロレスの試合の目的は、対戦相手に勝つことではありません。その試合を通じて、観客を楽しませることです。
するとここに、いささか疑問が生じます。
だとしたら、演劇でもいいではありませんか。肉体的なパフォーマンスなら、シルク・ドゥ・ソレイユみたいなのでも十分に楽しいものです。
アクション映画だって、ストーリーも闘いも見ることができます。
“最初から”そういうものであったとしたら、何も表現としてのハードルが高いプロレスリングである必要はなかったはずです。
プロレスラーに要求されるスキルはたいへんなものです。
頑強な肉体、受け身の技術、レスリング・ムーブ、運動能力、カンペなしで15分以上しゃべれるトーク力、アドリブ能力……これらをすべて身につけて、初めて一流になれるのがプロレスラーです。
アスリート、俳優、司会者などに必要なスキルを、一通り持っていないといけないのです。
もうおわかりでしょうが、プロレスは最初から現在のようなエンターテインメントだったわけではありません。
競技から出発して、非常に特異な進化を遂げてきたため、今のユニークなエンターテインメントの形を作ることができたのではないかと思われます。
※以下、すっげえ大雑把にプロレスの成り立ちを語ります。マニアックな視点からは物足りない部分もありますが、本コラムの目的は歴史検証ではありませんので、ご了承ください。もっとマニアックに知りたい方には、もっと適したサイトや文献を末尾でご紹介いたします。
プロレスの起源については、ネット上では概ね2つの説を巡って論争があります。まあ、論争っつっても、ネットでよくある単なる主張のぶつけ合いですが。
ひとつは、アメリカやヨーロッパの各地で行われていたレスリングがプロ化したものという説。つまり、元々は競技だったものがエンターテインメント化していったという説です。
もうひとつは、“ATショー”と言われる、動物なしのサーカスみたいな旅芸人一座の出し物のひとつであるレスリングショーが進化したものという説です。レスリングのできる旅芸人が、楽しめる試合を見せるショーです。
昔は基本的に前者(競技派)のみが語られており、後者(ATショー派)は比較的近年に言われるようになった印象です。
恐らく、大仁田厚が「プロレスの起源はレスリングじゃなくてサーカスの芸人なんじゃあああ!」的な発言をしたことが、後者の意見が出るきっかけになったように思います。根拠は私の印象です。
ところで、この度レガシー部門受賞者の1人である“鉄人”ルー・テーズは、自伝「Hooker」で、あっけなく両方に起源があるような書き方をしています。
※日本でも「鉄人ルー・テーズ自伝」として流智美氏の訳による本が出ていますが、原著「Hooker」にふんだんに織り込まれた“本当のプロレス”に関する記述が丁寧に除去された、「プロのレスラーとして闘い続けた男の物語」になっており、あまりお勧めできません。テーズ本人の記述に触れたい方は、原著をお勧めします。
テーズの自伝には、プロレスの始まりは概ね「ヨーロッパからの移民を中心に、アメリカ中西部を中心に行われていたレスリング興行が、ATショーと合流したもの」というような感じで書かれています。
※ただし、テーズ自身は「ATショー」という言葉を使っていません。また、キッチリと定義をすると言うより、「こんな感じだったんだよ」と淡々と綴っています。
実際、これがほぼ正解なのではないかと思います。
後述しますが、客前でレスリングショーをやるわけですから、ATショーはレスリング技術の裏付けなしにできるはずがありません。
実際、プロ競技としてレスリングをやっていたレスラーが食うためにATショーの巡業に入ることもあれば、ATショーから競技レスリングに入っていった人もいます。
つまり、両者のプレイヤーは同じだったわけです。
もちろん、レスリング興行の方は、当初は競技として行われていました。
あまり知られていませんが、20世紀の初期までのアメリカでは、レスリングとボクシングは密接な関係にありました。両方を手がけるプロモーターも多く、公的な組織も元々同じ組織だったのです。
※日本でも知られているNWA(National Wrestling Alliance)の前に、もっと公的な別のNWA(National Wrestling Association)があったのですが、それはNBA(National Boxing Association。後のWBA)の一部門だったのです。
そして、両者とも八百長が横行し、マフィアが幅を利かせる世界でした。
ボクシングは安全対策やルールの整備によってスポーツへと向かい、レスリングは真逆に見せる要素を高度化してエンターテインメントに向かったのです。
競技の性質上しかたないことですが、レスリングはコンスタントにおもしろい試合ができません。
今のアマチュアレスリングを見ていても、おもしろい試合なんて滅多にありませんよね? あれでも、試合が膠着しないように、常にルールを改正してるんですが、それでもまあ、あんなもんです。
ましてや、膠着を防ぐルールのなかった時代のレスリングで、実力が近い者どうしの試合は、どうしても動きの少ないものになります。
たとえば、エド・“ストラングラー”・ルイス×ジョー・ステッカー(両者ともレガシー部門で殿堂入りしました)の試合は3回の真剣勝負があったそうですが、何とその3試合の合計は11時間にも及ぶとのことで、しかもその大半は“睨み合い”や“組んでからのチャンス伺い”に費やされたそうです。
最後の試合なんか、5時間もかかった挙げ句、引き分けになっちゃったそうで。いくら何でも、これでおもしろいわけがありません。
そこで、だいたいの試合時間と結果をあらかじめ決めて、できるだけおもしろい試合をするようにした、ということなのです。
昔は、非公開で試合をして勝った方が客前でも勝つ、というようなこともあったそうです。競技としての建前がありますから、強い方が勝つ、という原則を保っていたんでしょうね。
テーズはその“工夫”を、野球でフェンスを低くして打者有利にしたり、アメフトで投げやすいボールに改良したりするのと同じで、“スポーツを面白くするための工夫”と考えていました。
その結果、プロレスは大衆の鑑賞にも耐えられるようになり、だんだんと人気を回復していきます。
試合を面白く見せるためのノウハウには、ATショーの貢献が無視できません。
現在のアメリカのプロレス界での隠語(レスラーはboys、試合中の合図がcall、見せ場がspot、負け役をまっとうすることをjob、試合地は大都市も田舎も関係なくtown、本当に攻撃することをshootなど)の多くは、ATショーの隠語から来ています。
外部に聞かれたくないことを示す「kayfabe」(ケーフェイ)も同様です。観客を楽しませるノウハウが、ATショーからもたらされたことの証左ですね。
元々エンターテインメントであるATショーですが、レスラーどうしのエキシビジョンもやりつつ、観客から挑戦者を募っていました。
しかも、単に「俺に勝てば賞金やるよ」ではなく、「15分間フォールされなかった奴に賞金を払う」というようなやつです。
ほとんどは素人なので、手もなくひねられておしまいだったのですが、テーズの自伝にもあるように移民を中心にレスリング興行は盛んに行われていましたから、時々腕に覚えのある人も挑戦してきます。
そんな時、プロレスラーが使ったのが“hook”という、関節を極めたり首を締めたりするテクニックでした。hookを駆使して腕自慢を片付け、賞金を払うのを免れていたわけです。
実は、そのhookの技術の源流は、日本の柔術らしいのです。この頃すでに日本から柔道家や力士が腕だめしにアメリカに渡っていましたので、彼らからもたらされた技術なのではないかと言われています。
そして、そのhookの技術が受け継がれていたために、後々の歴史に複雑な陰が落ちるのですが、それはまた別の機会に。
人の交流、技術の交流を経て、レスリング興行とATショーは融合していったと考えられます。
そして完全に今のようなプロレスの形ができあがったのか、というと、コトはそんなに単純ではありません。極端な言い方をすれば、プロレスが完全に“スポーツの呪縛”から逃れたのは、1990年代になってからなのです。日本の場合、未だに逃れ切れていないと考えています。
100年くらい前までは、(言葉は悪いですが)“八百長まじりのレスリング”だったプロレスが、現在のような完成されたユニークなエンターテインメントになるまでには、長い年月がかかったのです。
テーズによれば、史上初の“レスラーではない純粋なパフォーマー”が世界王座に就いたのは、第10代王者ウェイン・マンとのことです。1925年のことでした。
あくまで“世界王座についた”のが初めてということですから、その頃にはすでにレスリングができないパフォーマーがリングに上がるようにはなっていたわけです。
しかし、本当に強い王者であるエド・ルイスが(もちろんわざと)パフォーマーに王座を譲ったのは、重い決断があったはずです。競技としての正統性より、業界が食べていけることの方が優先である、と決断したわけです。
これ以降、世界王座はレスラーとパフォーマーの間を行ったり来たりするようになります。
こうなると、純粋なレスリングには戻ることはありません。
当然、レスラーの主な努力はレスリング技術よりもパフォーマンスに注がれていきます。が、エンターテインメントと決めたなら、全部パフォーマーでいいや、とならなかったのが、プロレスのおもしろいところです。
その背景には、プロモーターどうしの争いがあります。その争いは、もちろんガチ、“shoot”です。人はお金が絡むと争うもんですからね。
スポーツの体裁があり、プロモーターとは別の組織が王者を認定している、という構造の中で、自分の子飼いのレスラーがチャンピオンである、ということは、利益の源泉になるわけです。
そうすると、
- チャンピオンに子飼いのレスラーをぶつけ、真剣勝負で王座を強奪する
- 子飼いの無名だけど強いレスラー(隠語でポリスマンと呼ばれています)からの制裁を背景に言うことを聞かせる
- ポリスマンを競合にスパイとして送り込み、スパーリングでチャンピオンを負傷させる
なんてことが行われたのです。
前述のエド・ルイスは、ある日の試合で負けることを承知してリングに上がったにも関わらず、リング上で相手を脅し、勝ってしまったことがあります。
それでもスポーツの体裁がある以上、プロモーターも対戦相手も、契約不履行で訴えるわけにもいきません。泣き寝入りするか、対抗手段に出るかしかないわけです。
その後、公的組織のNWA(Associationの方)とは別に、プロモーターの互助会である新NWAが結成され、王座の取扱にルールを決めたり、チャンピオンに保証金を課したりすることで、一応はそうした暗闘は収まりました。
NWAに逆らうと事実上の失業が待っていますので、そりゃ当然です。
しかし、大きな組織になると派閥争いが起きるのは必然ですから、やがて組織は分裂します。独禁法違反やらもあり、NWAの独占は破れ、全米のテリトリーは大きくは3〜5つに分割されました。
すると、トップどころのレスラーの意見は通りやすくなります。「俺、あんな奴に負けるの嫌だ。じゃあ俺、ここ辞めて○○に移籍するわ」と言えるわけですから。
スポーツの体裁が生きているので、勝ち負けの意味合いが今より重かったんですね。
実際の力のあるレスラーだと、承知した振りをしてリングに上がり、勝っちゃってから他団体に逃げるという手も使えます。
だからなのかはわかりませんが、AWAなんかでは、どんなに人気があっても弱いレスラーはチャンピオンにはなれなかったそうです。
その一方で、まだ互助会形式で維持されていたNWAでは、移籍云々の心配が薄いからか、プロモーター5人の多数決で決まっていたとか。リック・フレアーが、自身のDVDの中で「俺が王者になった時の投票は3対2だった」と証言しています。
ロード・ウォリアーズのDVDを見ていて驚いたのですが、アニマルが「ファビュラス・ワンズに負けろと言われたが断った。結論の出ないままリングに上がり、奴らに“負けるつもりはない”と告げた」と語っていたのです。
もし、ここでファビュラス・ワンズが譲らなかったら、公衆の面前でシュート・マッチになっていたかもしれません。
そんなことが80年代になっても起こっていたんです。
ウォリアーズのケースは、試合結果が決まらないまま本番を迎えてしまったので、ダブルクロス(プロレス界では、裏切りを意味する言葉のうち、これを使うのが一般的です)とまでは言えませんが、エド・ルイスのようなやり方でリングに上がってから結果を覆すのは、まま行われていたようです。
1990年代には、WWEとWCWの2大団体時代になったわけですが、その頃にはプロレスがエンターテインメントであることはかなり認知され、試合上でのダブルクロスはあまり意味がなくなっていました。
とはいえ、競合団体はあるわけなので、モントリオール事件のような事件の要因は常にあったのだと思います。
そしてWWEが自らエンターテインメント宣言を行うことで、プロレスの勝敗は“勝ち負け”ではなく“エンディング”であることが明確にされました。
勝ち負けがレスラーの実績に関係ないことが公になれば、1試合1試合の結果にはこだわる必要がありません。
事実の公表を受け、プロレスはついにエンターテインメントとして完成した。私はそう思っています。
一方で、プロレスはその起源の特異さから90年代までエンターテインメントとしての構造の歪みを抱えて来ました。その未完成さ加減も、プロレスの魅力の一部ではありました。
この時書いたように、WWEは「レスリング」「レスラー」という言葉を葬り去ろうとしました。
その理由は定かではありませんが、プロレスの特異な歴史から離れ、完全に独自なエンターテインメント産業として歩んで行こうとしていたのではないかと私は思っています。
しかし今回、WWE Hall Of Fame 2016での“レガシー部門”で、多くの“レスラー”たちを称えました。
これは、“レスリングだった時代”を自らの起源として認め、プロレスの奇妙な歴史を受け入れたことだと解釈しています。
長年のファンとしては、これがWWEの長期的な展望にどう影響するか、注視していきたいと思います。
※参考資料
Hooker Lou Thesz, Kit Bauman 著、J Michael Kenyon, Scott Teal 編
リングサイド プロレスから見えるアメリカ文化の真実 スコット・M・ビークマン 著 鳥見真生 訳 早川書房
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