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2016/02/13

2016年2月9日(現地時間8日)、衝撃的な知らせを目にしました。

元WWE世界ヘビー級チャンピオン、ダニエル・ブライアン引退の知らせです。

以前から、負傷からの回復が遅く、復帰は無理なのではないかという噂はありました。それが現実になってしまったのです。もう、残念なんてもんじゃありません。

いつか当コラムでも取り上げるつもりだったレスラーですが、帰ってくると信じていたので、扱うのはけっこう後かな……などと思っていたのに……
残念ながら、こんなことになってしまったので、今回はブライアンについて書こうと思います。
例によって、正確な細かいところよりも、ダニエル・ブライアンという男がいかに凄いか、という話になります。

Bryan_Ryogoku
※2012年の来日公演で

来歴についてはWikipediaの記事でわかりますし、自伝「Yes!: My Improbable Journey to the Main Event of WrestleMania [Kindle版]」もあります。
自伝は、もちろんストーリー上のキャラクターとしてではなく、生身の人間としての自伝なので、かなり胸に迫る大著で、かつマニア的な視点でも楽しめます。
当然オール英語ですが、Kindle付属の辞書を駆使しながらであれば、(プロレス業界用語さえ気をつければ)英語が苦手でも完読できます。ソースは英語力2歳児相当の俺。

ブライアンは弱冠18歳でプロレスラーとなり、ROHをはじめ熱心なファンに支えられた小さな団体を中心に活躍してきました。WWE入りの前は、マスクマンのアメリカン・ドラゴン、本名のブライアン・ダニエルソンとして、FMW、新日本プロレス、プロレスリング・ノアに何度も来日しています。
独立系団体のシーンでは、若くして評判をしっかり確立していた人物なのです。

しかしブライアンが入った当時、WWEは基本的に他団体をこの世に存在しないかのように扱っていました。従って、これまでのキャリアがいかに凄くても、それはなかったも同然の扱いだったのです。

ブライアンのWWEデビューは、番組「NXT」(今のNXTとは異なり、番組名に過ぎませんでした)で、プロレスのキャリアが自分より短いザ・ミズが“プロ”として付けられた“ルーキー”としてでした。

今では、独立系団体で活躍していたレスラーが、最初から大物扱いでWWEデビューできるようになりましたが、そうなったのは、ブライアンやCMパンクらの活躍が大きかったのではないかと思っています。

 

ファンの支持が最大の武器に

率直に言って、プロレスに興味のない人には、何でこの人がそんなに凄いのか、わからないのではないでしょうか?
何だか髪の毛はボサボサ、顔の半分が山羊ヒゲ、イケメンでもなく、背も高くなく、身体がゴツいわけでもありません。まあ、普通に考えて、人気の出る要素は皆無ですよね?

しかし、彼には“人を惹きつける力”があるんです。何というか、無条件に応援したくなるような。
人相なのか、やられっぷりの良さなのか、我が身を顧みない果敢さなのか、はたまたそのすべてなのか……

これは、引退に際してまとめられた、ブライアンのキャリアを振り返る映像です。WWEデビューから、レッスルマニア30でのトリプルHとの対決を勝ち取るまでがまとめられています。

最後の方に、ブライアンの「YES」Tシャツを着たファン(大半が、仕込みではない本当のファンだそうです)がリングを占拠し、トリプルHに直接対決を、そして勝者がレッスルマニア30のメインイベントに参戦することを要求するシーンがあります。4分20秒くらいですかね。

このシーンこそ、ブライアンのキャリアを象徴しているシーンだと思います。
本当の支持がないと、こんな演出自体が成立しません。支持が弱いレスラーの場合、こんなことをしたらブーイングが起きるでしょう。まさにブライアンでしかできない演出なのです。

通常、WWEに限らず、プロレス団体はスターになると期待されるレスラーを売り出します。そこで期待に応えられるレスラーはごく一部です。そして、本当にスターになれるのは、そのうちの更に一握りなのです。最初から脇役扱いされるのも、珍しいことではありません。

率直に言って、ブライアンは脇役に毛が生えた程度の売り出し方でした。ゴールがインターコンチネンタル王座くらいの扱いかなという印象でしたね。

しかし、彼は小さなチャンスを活かし、観客の支持を集め、会社側の想定をはるかに超えるレスラーになったのです。
真の意味で「みんなのチャンピオン」と言えるのは、ダニエル・ブライアンだけなのではないかと思うのです。

前出の映像の後、レッスルマニア30当日、トリプルHとの直接対決を制して、王者ランディ・オートン、第1挑戦者バティスタの試合に食い込み、トリプル・スレット・マッチに出場する権利を得ます。

そして、メインイベントでついに王座を獲得!

映像から、ものっすごい盛り上がりが伝わってくるかと思います。
この日、アンダーテイカーの連勝記録がストップし、なんとなく会場のムードは悲しげだったのですが、完全に吹き飛ばすような盛り上がりです。

ファンの支持を背景に、業界最大の舞台で、頂点に上り詰める。
ダニエル・ブライアンは、そんなことを実現した、数少ないプロレスラーの1人なのです。

 

ヒール時代に訪れた転機

さかのぼって2011年、Smackdown版マネー・イン・ザ・バンク契約書(いつでも世界ヘビー級王座に挑戦できる権利)を保持していたブライアンは、試合後の乱闘で失神していた王者ビッグ・ショーに対して権利を行使、乗っかるだけで王座を奪取します。

▼その時の模様です。

それまでのストーリーで、ビッグ・ショーは「伸び悩むブライアンを励まし、助ける先輩」的な役割だったので、言わば恩人を裏切る形での戴冠です。この王座奪取は、そのままヒール転向を意味しました。

そして、上に紹介した映像にも出て来た、両手を何度も天に突き上げながら「YES!」と叫ぶ“YESチャント”は、世界王座に就いたのを観客に自慢するためのギミックとして始まったのです。

世界ヘビー級王者として、2012年最大の舞台、レッスルマニア28を迎えます。
見に行ったんですよ、これ。ハイ、自慢です。でへへへ。

Bryan_WM28

で、この試合は第1試合でした。大事なオープニングの試合で、王者として入場するブライアン。
やはりYESチャントをしながらの入場です。
……が、ゴングが鳴っても、当時の彼女役のAJリーにチューとかしてたら、挑戦者シェイマスにブローグキックで蹴っ飛ばされ、わずか18秒で敗れて王座を転落します。

現場では「えええええ!?」的な受け止められ方をしつつ、意外にも「いくらヒールとはいえ、あんな扱いはひどいんじゃないか」的な雰囲気がありました。小さい身体でがんばっているブライアンに対して、この扱いはないだろ!的な。
これが、その後のブライアン人気爆発の火種になったのです。

 

YESムーブメント、はじまる

レッスルマニアに限らず、ペイ・パー・ビューは米国時間の日曜夜に行われます。
そして、月曜夜には毎週「RAW」の生放送があるのですが、世界中からレッスルマニアを見に来た濃い〜ファン連中が、せっかくなので月曜まで滞在して、会場で見ていくわけです。
私も当然、見にいきました。

Bryan_RAW_Arena

開場前だというのに、既にたくさん集まった濃い〜連中が、もうYESチャントを散発的にやっていました。その瞬間を撮っていなかったのが残念ですが……

そんな状態なので、「RAW」が始まってからは、ずーーーーっとYESチャントです。
観客がYESと言わないのは、ヒールが攻撃した時に「No!」と言う時だけでした。

そして、生中継が終わった後、たいてい“ダークマッチ”と呼ばれる、テレビに映らない試合があるのですが、その日のダークマッチにブライアンが出ちゃったのです。

Bryan_RAW

この写真、とてもヒールの入場シーンには見えませんよね? もう、会場内はブライアンしか応援できない雰囲気だったんです。
ブライアンの攻撃に「Yes!」、相手の攻撃に「No!」。6人タッグマッチだったのですが、ブライアンが控えに回ると、「We want Bryan!」チャントが発生する始末です。

悪いことに、結末がブライアンが押さえ込まれての負けだったので、観客は収まりません。

結局、アドリブでブライアンが一席ぶって、何とか興行は締まったのですが……

観客はこの調子。こんなのが町に繰り出したので、会場周辺はYESチャントだらけでした。
横スキップ&YESチャントで道を渡っている馬鹿も、そこらじゅうにいましたよ。

 

その後、YESチャントは思わぬ展開を見せ、

野球にも、

アメフトにも、

アイスホッケーにも波及していきます。
そして、いつしか“YESムーブメント”と言われるようになっていったのです。

率直に言って、このYESムーブメントがウケて、ブライアンの人気が上がったという側面もあるとは思います。が、このムーブメント自体、ブライアン以外に起こすことができたとは思われません。

思えば、YESムーブメントはマイアミのアメリカン・エアライン・アリーナで始まったわけですね。
私は、そこにいた1人になれたことは、いささか誇らしさを感じます。

その後、YESムーブメントを逆用し、ヒール時代にはYESチャントに苛ついてひとり「No!」チャントをやるギミックで会場を盛り上げ、ケインとのWWEタッグ王座獲得などを通じ、常にストーリーを盛り上げつつ、ファンの支持の高さから、なし崩し的にベビーフェイス(善玉)再転向

強豪を次々と倒しながらも、トリプルHはじめ首脳の陰謀で王座への道が徹底的に阻まれるストーリーの末、レッスルマニア30で大団円を迎えるわけです。

翌年にはインターコンチネンタル王座も獲得し、WWEが管理するすべての王座に就く“グランドスラム”を達成しました。

しかし、決して大きくない身体で常に全力で試合をしていた代償は大きく、たびたび怪我に悩まされていました。
近年では脳震盪の脳にもたらす障害が重大であることがわかってきており、ブライアンにもドクターストップがかかってしまいました。これ以上の頭部への衝撃は危険だと判断されたのです。

2016年2月8日の生番組「RAW」で、ブライアンは引退を宣言しました。
ファンの後押しで前進していたことが、本人の口から語られています。

リングサイドの手の届く範囲の観客全員に挨拶し、ステージの仲間に見送られ、リングを去りました。

ありがとう、みんなのチャンピオン、ダニエル・ブライアン。
あなたのキャリアを思うと、このくだらない世の中をもうちょっとがんばって生きていこうと思えます。

 

※WWEネットワークの「Daniel Bryan’s Greatest Moments」で、ブライアンのWWE入団テストマッチから引退まで、キャリアの要所要所の試合が見られます。初月度無料です(自主的ステマ。お金はもらってません)

2016/02/13 07:57 | 群雄名鑑 | No Comments

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