普天間移転が勝連沖に来ると言う報道は、本土の新聞ではどれくらい報道されているのか分からないけど地元新聞ではもう何回も取り上げられています。
宮城島も少しは有名になるかも。
新聞紙上では基地移設は絶対反対、県民全てが県外に基地移転を望んでいる、となっているけど、地元は一概にそうは言えない。
名護市市長選でも、基地移設反対市長が勝ったと言ってもほんの少しの差である。
賛成、反対は、単純に利害関係で決まっている。おそらく辺野古住民のほとんどは基地移転賛成だと思う。
何しろ辺野古住民では1所帯1億円の補償金を要求したと言うのだから。
さすがに1億円は無茶な要求だが、それでもかなりの補償金が出るだろうと予想されるのできっと辺野古住民は期待する人が多いと思う。
それが急に移転先が変わろうとしているのだからきっと気が気じゃないと思う。
そしてそれは私たちの島しょ地域も同じ感じだ。
絶対反対という人は利害関係のない人たちで利害関係のある人たちは補償金次第で賛成にも反対にもなりそうである。
ある人が「絶対反対だ」と言っていたので「補償金が1000万円出ると言ってもどうですか?」と聞いたらそれなら賛成だと言っていた。
結構そういう島人が大半をしめていると思う。
絶対反対という島民は私たちのような島が好きだから引っ越してきたと言う人たちが多いのだが、そういう人たちも環境が変わったら島を出て行くという人もいる。
何しろ学校問題でも元気に動く人は島の外の人が多い。
1年延長になったから島の人は本来の仕事に戻る人が多いが島の外の人は暇だから今でも市議会を見に行くなどをしている。
島を捨てた人たちで引退した人たちはどういうわけか島に愛着を持っているようだ。
だから今回の普天間移転で島しょ地域に移転となると絶対反対を訴えそれがマスコミにも紹介される。
学校問題では絶対反対という声は島しょ地域でも上がったがこの基地移転では漁協組合と市議会以外では島の外の人たちの反対組織ができただけで、島しょ地域に住んでいる人たちからは全くそういう声が上がらない。
県外に住んでいる人にはそんな馬鹿なと思うかもしれないが、それだけ島しょ地域はエネルギーが無くこのままでは完全に過疎化されてしまうから何か大きなエネルギーを欲しがっているのだ。
石油基地が来るという数十年前はまだ島しょ地域にはエネルギーがあったからもの凄い反対運動が起こった。
その結果、平安座の隣を埋め立て平安座の山にも石油基地ができ、平安座はその補償金並びに貸地金が入ってくるのでとてもお金持ちの島となり、今となってはそれを他の地域はうらやましがっているのだ。
何しろ区長さんは他の島の区長の倍の給料を貰っているし、審議委員にもかなりのお金が支払われているのだから。
だから他の島では審議委員は区長がお願いしてなってもらうのに平安座島だけは選ばれてなるらしい。
今日の新聞では市議会で移転反対の決議を行われたと言うがそのとき3人の議員が退席したと言う。
退席した以外の議員は全員一致で移転反対の決議に成ったそうだが、その退席した3人の議員は実は津堅島の議員と平安座島の議員と宮城島の議員なのだ、3人とも学校問題で私も良く知っている市会議員である。
つまり島の議員が移転反対の決議に参加しなかったのである。
これが島の現状を良く現している状況だと思う。
つまり、島では移転賛成の島民が多いということなのだ。
追記
実は前からおかしいなと思う道路が与勝地域の海岸線からサンエーのスーパー方面にある。
片側2車線の立派な道路で何でこんなところにこんな立派な道路を造ろうとしたのか分からなかった。
そしてその道路はジャスコの方に向けて工事をしているし、その先では高速道路のほうに向けても工事をしている。
もしかしたらこの道路は埋め立てに使う土砂を運ぶトラックの為に造られた道路かもしれない。
勝連沖に普天間基地を移転すると言う話は今回急に出たわけではなく。昔も辺野古とニ分された案だったらしいのだ。
きっとそのときは辺野古より勝連沖のほうが有力だったかもしれなく、それで道路が造られたのかもしれない。
ただそのときは島にエネルギーがあったから反対の方が強かったのだと思う。
そして今は逆に移転を望んでいる島人が多いと思われるのでその表明として島の議員が退席したのだろう。
平野氏が地元が必ずも反対ではないと言う発言をしたのも裏で島の議員と意見交換をしたのかもしれない。
昨日は津波警報騒ぎで日本全国大変だったと思う。
私のところも運河沿いなので避難をどうするか考えた。
日本全国の避難警報は昨日だけだったが、桃原は一昨日に続いて2日連続の避難警報だった。
一昨日は99年ぶりの大地震、区の放送は2回高台に非難しろと放送した。
初めての経験なのでどうしようかと思案した。
私と妻だけならとりあえず2階に行けば良いかなと思ったが、足の不自由な父がいるため、2階といえど確実に危ないと感じなければ移動できない。
潮の満潮時間を確かめ、地形をシュミレーションして、まず大丈夫だろうという結論を出した。
潮の関係から3メートルくらいの津波でも大丈夫だろうと思った。
昨日は10回以上避難警報が放送された。
ただ、ニュースを見ていると50年前のチリ地震に比べれば10分の1の規模だし、まず本州に津波が来るのでそれを確かめてからでも避難は遅くないと思った。
案の定、最大のところでも1メートル50、これなら沖縄は1メートルの津波も来ないだろう。
午後4時頃には運河沿いに島人たちが運河見物をしていた。
子供たちもいる。
私はちょうど仕事で2階に行ったのだが、2階から運河を見たら運河が渦を巻いていたから津波は到達していたのだろう。
かっちゃんに「避難し無ければ駄目だろう」と言うとかっちゃんは「コンクリート造りの3階に避難しなければいけないから屋上に行こう」と2階に上がってきて言う。
桃原に3階建ては無い。
10メートル近くの津波が来ない限り3階に避難することは無いと思う。
それに3メートルくらいの津波が来たとしても外に出ると危険なので、コンクリートの家の中にいる限りはそれくらいの津波なら命に関わることは無い。
又地形的にも桃原は一部を除いて津波の被害が出づらい。
津波は運河を走り抜けるだろうが家まで波が来るとしたらよほど大きな波で無い限り来ないだろう(おそらく5メートル以上)。
と言うことで避難はしなかったけど、避難場所は宮城中学校で、避難した人がいたとしたらその人は大変だったと思う。
市の教育委員会が2月10日に行われ、この統廃合を進めるのは拙速すぎると一部の教育委員が言ってくれたので他の教育委員もそれを認め1年延びることに決定した。学校の統廃合が1年延びた後に4島の決起集会が行われたが、1年伸びた後に決起集会をしても間の抜けた決起集会となってしまった。それゆえ集まりも悪かったし、途中で帰る人も大勢出た。
2月10日に教育委員会が素案を原案にする協議をすると言うのは分かっていたのに2月11日に決起集会を開くのは何でだろうと思っていたが、思ったとおり意味の無い決起集会になってしまった。
何しろ学校存続は1年延びたし、私は4島の協議会から外れたから学校問題より本来の島興しをしようと思ったが、学校問題から離れた途端風邪を引いてしまい最近になってやっと動けるようになった。
島興しで目指すのはペネットアイランドからモズクに切り替えた。
ペネットアイランドは時期早々だったようで、ペットの飼い主にはまだ理解されないようだ。
島興しが目的なのでペネットアイランドが足踏み状態なら別の島興しを考えようと今年に入ってからモズクの準備をし始めた。
今日80%は準備ができたので営業に向かったのだが、これが全くうまく行かなかった。
1月31日の平安座島の学校存続決起集会が行われ、やっと4島全ての決起集会が行われた。
この決起集会が終了してからちゃんとした4島の委員会を作ろうと私は奮闘していた。
そして31日の午後4時から4島の代表委員が集まるように手配をして何とか開催にまでこぎつけた。
ただ私一人でやったものだから誰も手伝ってくれる人もいなくて受付など全て私一人でやらなければならなかった。
議長を私がやるのは間違いだろうと考え、初めだけ私が挨拶をして比嘉の区長に議長を頼んだ。もちろん下工作はしてあるので比嘉の区長が議長をすんなりやることに決定。
これで私の役目は終わりと言うことなのだが、4島の委員会会長に私が一番なって欲しくない人がなってしまった。
その人は宮城島の教育を考える会の会長なのだが島の外(4島に住んでいない)の人である。
私は4島の委員会だから絶対会長は島の中の人でお願いしますと、みんなに頼み、みんなその通りだと言っていたのにふたを開けるとそのようになってしまった。
実はPTA会長を4島の会長にしようと私は動き、それでみんなOKとなっていたのだが、合同委員会が始まる寸前、PTAは話し合い、「会長は重すぎる」と言って降りることになっていたようなのだ。
何も知らない私はPTA会長を押したのだが、「重い」と言って降りてしまったので私はあせった。
それで伊計島の学校存続委員会の会長を急遽私は押したが、市会議員がみんな教育を考える会の会長を押したものだから議長もそれで決めてしまった。
前もって、議長には私が作った今回の総会のシュミュレーションを渡してあり、そこには意見が割れた場合は挙手によって決めると書いておいたのに挙手など行われず雰囲気で議長は決めてしまった。
私自身、もっと反対をすればよかったのだが、実は私はこの総会委員会のメンバーに選ばれていなかったので、本当は発言権が無かったのだ。
各自治会で3名委員を決めたのだが私の自治会から私は選ばれなかった。
3名は区長、PTA会長とあと一人と言うことになっていて、普通は審議委員長が選ばれるのだが、一生懸命やる人が優先と言うことになっていた。
私はこの一ヶ月おそらく4島で一番一生懸命になっていたのだが肝心の自分の自治会のメンバーにも選ばれなかったのである。
なぜ選ばれなかったのか不明だがそうなってしまったのは仕方が無いと思い、発言は控えていた。
それでも会長だけは私は島の中の人にして欲しいと頼んだが拒否されてしまった。
もし挙手で決めたらきっと私が選んだほうが勝ったと思うが、私の意見に従う人はおとなしい人が多いため負けてしまった。
そのほか委員会の名前も挙手で行われずそのときの雰囲気で決まってしまった。
議長が4島委員会の事務局長となったのだが、翌日私に事務局に入ってくれと頼んでくる。
もちろん断ったがどういうつもりなんだろうと思った。
「私は委員にも選ばれていないし、会長選任でただ一人決まった会長に反対したんですよ、事務局に入れる訳が無い」と説明した。
そしたらその事務局長、4島委員会で私がいないのにもかかわらず私の事務局入りをみんなの前で承認を取ってしまった。
この一ヶ月の私の働きはほとんどの人が知っていることだから私を中に入れておかないと駄目だと言う意見があちこちから出たらしい。
そこで「もし教育委員会と戦争をするのなら事務局に入ります」と答えておいた。
今の会長は教育委員会と戦争をするつもりは無いから一応私の出番は無いと思う。
私は結構論理を重要視する。もちろん物事は論理より感情で進むと言うことはよく理解しているが。それでも最低限の論理も通じなくなったらそこは駄目だろうと思ってしまう。
今回の肝心な論理は4島の委員会なのだから会長は島の中の人から選ぶべき、それができなかったら4島の委員会と外部から思われないだろう。
又各自治会から3人の委員を選んだのだからその委員で執行部を作るべき。
それゆえ選ばれなかった私は島の一員として動くと言うことになる。
これは凄く簡単な論理だと思うのだがなぜみんなそれが分からないのだろう?
それでも当初の目的、4島の合同協議会は作れたのだから、良しとすべきだろう。
ここのところ忙しく中々書く暇が無かったのだが、更新があまり空いてしまうと駄目なので一応かいて置きます。
ここのところ学校統廃合の事を書いてきましたが、本音を書いても読む人もいないだろうと安心していたのですが、検索すると出てしまうので書くのを躊躇っていました。
31日に一応この事務局を降りたのでこの問題も深く書くこともなくなってきたので本来の島興しのほうをこれから書くつもりです。
学校統廃合の問題で一ヶ月半夢中でやってきました。色々なものが見えたので面白かったです。
このことはいずれ機会があったらどこかで書いていくつもりです。
去年の4島学校統廃合反対委員会をどのように作って行ったかを載せていきましたが、今日の沖縄タイムスに論壇が載りましたのでここにそれを載せて置きます。
沖縄タイムスが今日の論壇に4島学校統廃合反対委員会の川上宏として↓の原稿を載せてくれました。
4島学校統廃合反対委員会という名前を新聞紙上で入れてくれたのでうるま市の教育委員会にも4島が連帯したとわかってもらえるでしょう。
うるま市の島しょ(平安座島、浜比嘉島、宮城島、伊計島)の小中学校が市の教育委員会に複式教室だからと言う理由で廃校にされようとしています。
本島の人からみれば「過疎に向かっている島で老人だらけの島なのだから統合もやむなしなのでは、通学が長くなるのは生徒にとってつらいだろうけどへき地で暮らすのはそう言うものだから」と考える人が多いと思います。
私は2年前に宮城島に引越しをして来たのですが当初私もそのように考えていました。
しかし、実態を調べてみると島しょの小中学校はとても素晴らしく、昨年、うるま市の中学校が荒れに荒れたニュースが世間を賑わし、うるま市の学校は危ないと世間が認識している中で唯一島しょの学校だけは理想的な教育をしていると言うのが確認できました。
複式学級のデメリットとされる9つの問題も島しょの学校では全くデメリットになっていません。
複式学級は学力が下がると言うデメリットに関しては逆に本島の学校から島しょの学校に転校して来た生徒達は学力が上がっています。
島しょの学校にはいじめや不登校の問題から逃れて来た生徒が沢山いるので学力が上がったと言う生徒は一人や2人ではありません。
100%に近い確率で上がっています。
複式学級ではスポーツがちゃんとできないと言うデメリットも島しょの学校のスポーツはその少ない人数でちゃんと実績を上げています。
宮城中学校では毎年のようにバトミントン部が県や中頭地区で優勝、準優勝をしています。
このように実績を残していると言うことはちゃんとしたスポーツが複式学級も行われている証拠だと思います。
島しょの学校は教師の負担が大きい言う問題も島しょの学校に転任したいと言う教師が沢山いて教師転任候補地ナンバーワンが島しょの学校だと言うことを見ても負担だが教師はその負担を楽しんでいると言うことが分かると思います。
本島の大学級の教師の負担はつらい負担なのでこちらの方が問題だと思います。
そして何より島しょの生徒はみんな兄弟のように仲良くしています。非行、いじめなどありません。
たまにあったとしても昔ながらのいじめであって直ぐにそのいじめも無くなり仲良く一緒に遊んでいます。
そして島しょの学校は地域と一体となっているのも他の地域とは違う点です。
それゆえ学校が島の中心でもあります。
その中心が無くなったら島は完全に老人の島となり過疎→廃島となってしまうでしょう。
桃原の公民館での説明会の翌日、何かをしようと思いとりあえず浜比嘉島の区長のところに行くことにした。
浜比嘉島は浜と言う区と比嘉と言う区が合わさって出来た島名だから浜比嘉島の区長と言う存在は無く、浜の区長と比嘉の区長とに別れている。
私が訪ねようとしていたのは比嘉の区長で、この区長は民宿もやっており昼食を外から来た人も食べられるようになっていた。その昼食を食べに来たことがあり、そのときに区長をやっていると聞いていたので、何かのときは訪ねようと思っていたのだがその何かのときだと思い訪ねようと思ったのだ。
区長の民宿に着くと区長は外出中だと言うことだったが代わりに区長の奥さんが今回の学校統廃合のことを話してくれ、学校統廃合は絶対反対だと力を込めて私に訴えた。
区長の話は聞けなかったが奥さんの話で浜比嘉島も今回の統廃合は絶対反対だと確かめられた。それならば他の島はどうなんだろう?同じように絶対反対なら宮城島だけで反対運動をするのではなく、平安座島、浜比嘉島、伊計島の3島も一緒に巻き込んで4島で反対運動をしたほうが絶対強い運動になるだろうと思った。
実に当たり前の「4島連合で反対運動をした方が効果がある」なのだが、今までは4島連合で反対運動は実現できなかった。そのわけは島によって事情が違うのだ。
平安座島は4島の中では一番人口が多く、他の3島をあわせた人口と同じくらいの人口なので3島の中では一番力が強い。その上石油基地に土地を貸しているのでその借地料が入ってくるので金持ちの島でもある。何しろ審議委員が32人もいて、審議委員にもそれなりの給金が出るらしい。それに比べ我が桃原区は、新議員は手弁当である。だから平安座島では統廃合の問題が起きても自分の島に統合されるだろうと考えていたのだ。その思惑は、小学校は当たっていたが中学校は外れた。半分は当たったのでこの平安座島がどう出るのか分からない。
浜比嘉島と宮城島は同じような立場だが、伊計島は校舎を新しく新築したので統合されるのなら伊計島に統合されるのではと目論んでいた。そのように各島で立場が違うので今までは4島合同で反対運動を展開しようという話は出てこなかったのだ。しかし今回の統廃合話は島の全ての学校を廃校にし、平安座島に新たな小学校を作りそこに小学校は統合し、中学校に関しては本島の与勝中学校に統合しようとするのだから4島全てこの統廃合案は反対であろうと推測できる。
私はこの統廃合案が出たのだから4島は共同で反対運動が出来るだろうと考え、伊計島、浜比嘉島の浜区、そして平安座島の話を早急に聞くべきだと思った。
思い立ったら直ぐ行動と教育を考える会の事務次長に電話した。事務次長は運転が出来ないと言うので事務次長の家に行き、事務次長を乗せ伊計島の区長のところに行くことにした。区長はいなかったが事務員の話を聞くと伊計島も今回の統廃合に関しては猛烈に反対だと分かった。
その後、浜の公民館に行き浜の区長と話し、後から来た比嘉の区長とも話し浜比嘉島、伊計島、宮城島は今回の統廃合には反対と言う確認が出来た。ただ、平安座の区長だけは反対だが4島で連帯するのに二の足を踏んでいた。
それでも3島は同じ気持ちなので私は4島の区長とPTA会長が集まり協議をして4島の反対委員会を設置しようと提案し、4島の区長とPTA会長が集まる日を強引に29日、午後3時と決めた。
事務次長は少し言葉を濁し29日に決定を納得はしていたが何かそれに対して熱を感じなかった。何かがるのだろうか?
翌日の25日、桃原の区長に28日のことを知らせるのは私の役目となり、公民館に行きそのことを知らせるといつものぶつぶつ声で、
「それは無くなったと言ってた」
「え、どういうことですか」
「今日の午前中、区長が集まる会があったのでそのことが話しに出て上原の区長がその日はいないから各島で動こうということになった」
いつものぶつぶつ声だから何を言っているのか良く分からないが、何しろ29日は開かないと勝手に区長どうし決めたのかもしれない。
上原と言えば教育を考える会のお膝元の区だ、そこの区長が4島を集める会を壊す?
私は意味が分からず事務次長に電話を掛けた。
何回かお互い確かめの電話をあちこちに掛け、上原の区長が29日にこれないというのは事実だったが会を流そうということは無かった。どこで話がおかしくなったのか全く分からない。
上原の区長も参加させた方が良いだろうということで急遽28日の2時に日程の変更をした。28日は父の前立腺の手術が行われる。そして教育を考える会も夜7時から会合を開く。忙しい日になりそうだ。
私は統廃合のことに巻き込まれと言うか自分が巻き起こしているので急に忙しくなったが父も入院しているから毎日病院に行かなくてはならないし、兄夫婦とその孫と妹の子供がお見舞いをかねて沖縄に今日の夜から来るので何がどうなっているか分からないほど忙しくなってしまった。
仕事で忙しいのならその忙しさに代価はあるがこれらの忙しさは、全く代価は無いので喜ぶべき忙しさでもない。肝心の島興しの仕事ははなこちゃんが島興し株式会社のアルバイトとしてペットの火葬場に回り、パンフレットを置いてくれているのだが、電話でパンフレットを送ってくれと言うのも毎日何件かあるのでそれのパンフレット詰めも毎日の日課となっていた。
「先だっての新聞紙上で四島の小中学校の統廃合決定のように出ていました。私の住んでいる桃原ではPTAがハーリーやお祭りの準備の主力として動いています。桃原小学校のPTAは桃原に小学校があるから引っ越してきた人がほとんどです。逆に言うと桃原小学校や中学校が無くなれば桃原から引っ越すことも考えるとほとんどのPTAが言っていました。つまり学校が無くなれば島から若い人が激減して老人の島になってしまうのです。今でさえ宮城島は65歳以上が70%だと言われています。学校が無くなれば5年後には70歳以上が80%以上を占めると考えられます。もう島の機能が完全に不能になる可能性がとても大きくなります。学校が無くなると島が過疎になり最後は廃島になってしまうのです。
本土から引越しをしてきて経った2年足らずの私が言うのはおかしなことなのですが、このパーティには宮城島の有識者が集まっていると言うので何とか皆様のお力で学校の存続を考えてもらえないでしょうか」
簡単に明瞭に話すつもりであったが途中つっかえたりしてうまく伝えたかどうか不安だったが話が終わったら拍手が大きく起こった。
話が終わり席に着くと隣の丸顔で頭の頂上が寂しいおじさんが話しかけてきた。
「私は教育を考える会の事務次長をしているんだが、こういう席で学校統廃合の話しては迷惑だろうと考え話せなかったのだが良く話してくれました」
教育を考える会は宮城島の四つの区が立ち上げた統廃合反対の組織である。
教育を考える会は今の島の学校のように全ての学校がそのまま存続できるとは考えていなくて島に最低一つの学校を残すように妥協点も考えていた。
宮城島で一つの学校を残すとなると当然宮城中学校と宮城小学校を統合して一つとして残すこととなる。そうなると桃原小学校は廃校となってしまう。だから桃原区では桃原小学校は最低でも宮城小学校の分校として残したいと大人たちは考えていた。
しかし、私は桃原住民として絶対桃原小学校は残したいと考えていた、桃原小学校が無くなれば桃原区は衰退して行くのは目に見えて分かるからだ。
しかし、教育を考える会は桃原以外の三つの区が中心となっているような形態になっていて桃原区の立場は無きに等しかったので、桃原の言い分が通りそうも無かった。
元々宮城島の四つの区は上原区と宮城区と池味区はつながっており三つの区だが一つの区のようになっていた。それに比べ桃原区はその三つの区からかなり離れた場所にあるので三区とは立場も違っていた。
教育を考える会の事務次長とは数十分話し合った。
翌日は桃原区で住民説明会がPTA主催で行われた。
桃原区は教育を考える会の指示が無いと動くことが出来ないからPTAが立ち上がったのだ。
そのPTA主催の4島の学校統廃合の説明会には教育を考える会の三役も参加した。
始まりは2時だったが私は30分前には会場の公民館に入った。
PTAが会場の準備をしていた。私はPTAでは無いので準備をしますからと言う誘いも無かったし準備を手伝ってとも言われなかった。
この説明会が行われるには私も関与したのだがPTAでないために何となく疎外感があり寂しい感じがした。
今までもPTAは何かにつけ集まるのだが私はそれに呼ばれることはほとんど無かった。
遠慮しているのか避けているのかは、判断はつかない。
何となく手持ち無沙汰で階段の踊り場で外を眺めていると顔なじみが次々入ってくる。
すると何となく見た顔の三人が入ってきて私に挨拶をして会場に入っていった。
あれ?あれは昨日の事務次長かな?カメラの再生を押して昨日撮った事務次長の顔を確かめるとやはりそうだった。本当に私は人の名前と顔を覚えるのが苦手だ。
生気の無い返事をしてしまったが気を悪くしただろうか。
実は生気の無い返事をしてしまったのはPTAから疎外感を受けたのもあったが体調が良くなかったというのもあった。
昨日のパーティから体調は悪く北海道できるようなダウンコートを今日も羽織っていた。
説明会が始まる前に事務次長と一緒に入ってきた貫禄のある人が私のほうに近づいてきた。
私はPTAでは無いので後ろの方でおとなしく拝聴してようと子供たちと一緒に座っていたのだ。
貫禄のある80歳前くらいの人は前方の偉い人が座る場所にいたのだが私のほうに歩いてきて、
「川上さん、本を読ませてもらいました。是非一番前に来てください」
と言ってきた。
私は目立つ席は嫌だったがそう言われ手断るわけにも行かず一番前に行き桃原の審議委員長の横に座った。PTAの人はそれに対して「どうぞどうぞ」とも言わずただ黙っていた。何となくきまづい。貫禄のある人も余計なことを言わなくていいのにと思った。
その貫禄のある人は教育を考える会の会長であった。
聴衆の前方には会議で使う長テーブルが二つ置かれ、右側にPTA会長と副会長二人が座り、左側は教育を考える会の三役が座った。
始めに教育を考える会の会長がこれまでの教育を考える会の活動を、順序を立て説明をした。ただ、話がゆっくりとして喋ったのでほとんどの人は5分後には退屈で早く話し終わらないかなと思っただろう。
貫禄はあり、話も重厚なのだが学者風、校長風でなおかつ年寄りだとどんなことを話しても聴衆は退屈になると思う。
その後に話した事務次長は、その会長が間延びさせた説明会を何とか挽回しようとして逆に空回りをしてしまった。あまりにも空回りしそうだったので隣のもう一人の三役が(おそらく副会長)が手で事務次長の横腹を軽く叩いて早く終わるようにと合図をした。
その後かつれんさんが話し質疑応答となり桃原の審議委員長が統廃合になった場合のスクールバスの運行をちゃんとしなくては駄目だよというようなことを言い、そこで質問者もいなくなった。
まだ桃原の住民がことの本質をよく理解していないように感じたので私は昨日のパーティで話したようなことを立ち上がり話した。ただちょっと変えたのは司会者のたかゆきさんのあの面白い踊りも学校が無くなったら見れなくなってしまうんだよと言うのを付け加えた。
たかゆきさんはPTAだから学校が無くなったら桃原から離れ引越しをしてしまうかもしれないのだ。桃原で唯一の芸達者のたかゆきさんがいなくなったらおばあが悲しむだろうと思い付け加えたのだ。
参加した住民は40人くらい、いつもイベントに参加する人ばかりだ。
桃原の住民は250人、60歳以上が170人、PTAの家族が32人と言う構成だ。
ほとんど老人の区だから参加者も少ないのは分かる。それにしても区民の関心は低いように感じる。しかし、関心が低いのではなくエネルギーが低いのだ。老人が多くなり過疎に向かっている地はエネルギーも極端に低くなっているのだ。
12月22日、父の入院、島興し株式会社のこと、ララの突然死、兄弟たちの見舞いなど1年でこれだけのことが起こることでもありすぎるのにここ1ヶ月で色々なことが起きた。
私は脳脊髄液減少症と言う病を持っているのであるサイクルで発作を起こす。その発作が昨日起こり体調は良くなかった。
「今日の夕方前から言っていた宮城の吉沢さんに呼ばれているからだんな様も行くでしょう」
確かにセヒからそのようなことを前に言われていた。
「体調がひどくなったら行きたくても行けないよ」
当たり前の答えを返した。発作には重いのから軽いものまであり、時間と共にそれも変化する。だから出かけるときの時間に自分の体調がどうなっているかは分からない。ただ、今の時点では出かけることは何とかできる。父の病院にもこれから出かけようと思っていたのだから。
病院に行って一通りことを済まして家に戻ったがまだ体調は何とかなりそうだった。それでも出かけるときに北海道できるようなダウンコートを羽織っている。沖縄はどんなに寒くても10度を切ることないし、15度以下になると真冬なのだ。そんな気温で厚ぼったいダウンコートを着る人間は私をおいていないだろう。もちろん普段はそんな厚着はしないが発作が起こったときは着ることが多い。
「そんな格好で行くの?」
普段着の私の服装にセヒが不満を言う。
「島の集まりだからおしゃれするのは逆によくないよ」
体調が悪いから少しぶっきらぼうに言ってしまった。
大体、体調が悪いのにセヒが、夜運転が出来ないだろうから付き合うだけなのに服装まで気にしていられない。そして何より吉沢さんと言う人を初めて紹介されたとき私のことなど眼中にないような態度を取られ無視されたことに私は吉沢さんによい印象を持っていなかった。
元々吉沢さんは隣のよしちゃんの娘の友人で、よしちゃんの娘にセヒが紹介され、セヒが「外人と結婚している人でとてもレベルが高そうだから宏さんとも話があうわ」
と興奮して言ったから私も吉沢さんには期待をしていたから裏切られた気持ちにもなっていた。
ちなみに隣のよしちゃんとは80歳のおばあちゃんである。当然娘さんもセヒと同じくらいの歳である。
私がおしゃれをしないので今度はセヒが切れて車に乗り込んできた。
話を聞くと集まりはパーティで、区長さんも参加するらしい。何で区長さんが参加?親戚なのかな?
始まりは4時と言う事だったが私たちは5時半ころに到着した。
吉沢さんの家は宮城島の池味と言う地区にあるのだが少し探して見つけた家は前から気になっていた家であった。
斜面の道沿いに建っている大きな家はきっと海の景色が綺麗なんだろうなあと思いながら眺めていたものだった。
ドアを開けると靴を脱がない完全にアメリカ仕様の家であった。
リビングは広くベランダから海が大きく望めるようになっている。
私は簡単な挨拶を済ませるとベランダに出た。区長さんが赤い顔をして席についているのが目に付いた。
リビングには20名弱の、歳を取った如何にもこの島で幅を利かせているような男性達が何をするとでもなくただ酒を呑んでいる。
リビング内には大きなテーブルがベランダのそばに置いてあり、そこに区長さんをはじめ5人ほど腰掛けていた。空き椅子はまだ6脚ほどはありそうなのでベランダで海を眺めた後はベランダ側の椅子に座ろうと目星を付けていた。
テーブルは端においてあり真ん中はソファーが置かれて奥にも形の違うソファーが置かれてあった。それらのソファーにも何人か座っていたが目に付いたのは若い欧米形の姿をした女性であった。沖縄にはアメリカの軍があるのでこんな辺鄙な島にもアメリカ人が住むのは珍しくないのでそんな関係なんだろうなあとあまり深くは考えなかった。
6時になり日も落ちて来たので銀髪を角刈りにしたようなちょっと強持ての男性がスピーチを始めた。アメリカのドラマのソプラノズと言うマフィアドラマに出てくるマフィアの若頭に良く似ている。
そのマフィアの若頭はこのパーティがフィンランドからこの宮城島に住み着いて恩納村で学術研究をしているフィンランド人の女性を励ますためのクリスマスパーティだと説明した。そしてこのパーティに出席しているのは宮城島の有識人だと誇らしげに説明した。私の区の区長は有識人では無いだろうが区長なので呼ばれたようだ。
私は宮城島の有識人では無いが妻がこのパーティを主催した吉沢さんと友人だったので呼ばれただけであった。だからこんな固そうなパーティは直ぐにおさらばしたかったのだが、今、宮城島は小中学校が統廃合されると新聞紙上で発表されたばかりだったので、宮城島の有力者が集まっているこのパーティで学校存続をみんなの手で守りましょうと訴えれば何かしらの効果があるのではないかと思案した。
マフィアの若頭はフィンランド人の女性の説明をした後、この家を貸してくれた吉沢さんにお礼を言い、新参者の私にも一言挨拶をと言って来た。
私はチャンスと思い、
「私は本土で出版社をしていました。そして沖縄離島情報と言う雑誌を30年近く出していましたので沖縄とは縁が深かったです。2年前に父が身体の健康のため、沖縄に引越しをしたいと言うので会社を辞め沖縄に引越しをしてきました。つい最近『沖縄・宮城島の12ヶ月』と言う本も出版したところです」
自分のことを大層に話すのは最近はしなかったのだが、有識人の集まりと言うからには話を聞かせるためにある程度大層に言うしかないと話す前から考えていた。
その大層はかなり効果があったらしくパーティの出席者は私の話を食い入るように聞いていた。
つかみはOKだったので、自分が脳脊髄液減少症のため羽毛コートを羽織っている説明をした後、本題の学校統廃合について喋った。
最後に1990年からの宮城中学校のスポーツの成果を記して置きます。桃原小学校を卒業した生徒が通う複式学級の宮城中学校が県の大会で数多くの優勝、準優勝をしています。
1990RBC杯争奪戦新人バレーボール大会男子準優勝OTV杯第7回沖縄中学校バレーボール選抜大会3位。九州大会派遣決定
1991中頭地区新人バレーボール大会男子準優勝
1992OTV杯第9回沖縄県バレーボール選抜大会男子準優勝第9回九州中学校バレーボール選抜大会に男子チーム派遣さわやか杯バレーボール男子準優勝県中体連バレーボール大会男子準優勝九州地区中体連バレーボール大会に派遣
1993第33回全沖縄中学校バレーボール選手権大会男子準優勝中頭中体連総体男子バレーボール準優勝県中体総体男子バレーボール準優勝さわやか杯県代表比嘉真一君,那覇千恵美本土派遣第15回九州中学校バレーボール競技大会に男子チーム派遣中頭地区意見大会で目取真貴道優秀賞
1997中頭地区新人バレーボール大会男子準優勝女子3位
1998県青少年科学作品展「学校奨励賞」受賞2000第14回全国都道府県対抗中学校バレーボール(県選抜)比嘉門樹出場
2001中頭地区新人ダブルスバトミントン大会男子優勝中部地区科学作品展金賞中部地区選抜バトミントン大会優勝中頭地区新人総合バトミントン大会男子団体優勝
2002第8回ベスト杯バトミントン選手権大会春季九州派遣沖縄選抜大会男子ベスト4地区中学校バトミントン大会男子団体優勝第4回ベスト電器ヨネックス杯バトミントン大会男子団体優勝地区中学校総体男子バトミントン大会団体優勝ダブルス準優勝県中学校総体男子バトミントン大会団体優勝九州地区中学校バトミントン大会団体3位(沖縄県勢30年ぶり快挙)県中学校新人バトミントン大会シングルス比嘉門翼優勝上門正也ベスト8JOC全日本小中高バトミントン大会大阪比嘉門翼出場地区中学校新人バトミントン大会男子団体優勝県中学校秋季選抜バトミントン大会S優勝比嘉門翼2位上門正也3位新屋竜太第11回地区中学校新人バトミントン大会団体優勝第3回全日本中学校バトミントン選考会ダブルス優勝
2003第5回ベスト電器ヨネックス杯バトミントン選手権大会男子団体優勝第16回沖縄県中学校新人バトミントン選手権大会団体優勝地区新人バトミントン大会男子団体優勝地区中学校総体バトミントン大会男子団体、ダブルス優勝県中学校総体男子バトミントン大会団体、ダブルス二連覇
2004地区中学校春季選抜バトミントン大会男子団体優勝第14回地区新人中学校バトミントンシングルス大会優勝第13回地区新人大会男子団体優勝、女子団体準優勝
2005第18回バトミントン沖縄県中学校新人団体選手権大会男子優勝第7回ヨネックス杯バトミントン大会男子団体優勝県中体連総合体育大会男子団体優勝九州派遣決定日本バトミントンジュニアグランプリ2005年県代表に奥本克真、首里良太選抜熊本派遣バトミントン大会男子シングルス優勝、ダブルス優勝
2006第14回中頭地区新人総合バトミントン大会団体男子優勝シングルス優勝ダブルス優勝、女子準優勝第8回ヨネックス杯バトミントン大会男子団体優勝第33回中体連総合体育大会バトミントン競技大会男子団体優勝県中体連総合体育大会男子団体優勝九州中体連総合体育大会男子団体3位第36回全国中学生バトミントン競技大会男子団体戦出場
2007第34回中頭地区総合体育大会バトミントン競技大会男子団体3位男子ダブルス準優勝(県大会出場)中頭地区新人シングルスバトミントン競技大会1年男子の部優勝、準優勝1年女子の部ベスト8中頭地区新人ダブルスバトミントン競技大会準優勝中頭地区バトミントン大会団体男子3位ダブルス優勝県新人団体バトミントン大会男子団体優勝熊本オープンバトミントン競技大会県代表
2008第12回中頭地区春季選抜バトミントン大会男子団体優勝男子ダブルス優勝第1回小中バトミントンダブルス大会優勝、準優勝第10回ヨネックス杯中学校バトミントン選手権大会男子団体3位中頭地区総合体育大会バトミントン競技大会男子団体準優勝男子ダブルス準優勝(県大会出場)中頭地区新人シングルスバトミントン大会優勝、準優勝、3位県新人シングルス大会準優勝第21回県新人団体バトミントン大会男子優勝中頭地区新人ダブルスバトミントン大会優勝県新人ダブルスバトミントン大会準優勝中頭地区新人総合バトミントン大会男子団体優勝男子ダブルス優勝男子シングルス3位、3位、女子個人シングルス3位
2009年第22回県新人団体バトミントン大会男子団体準優勝第13回中頭地区春季選抜バトミントン大会男子団体優勝男子個人ダブルス優勝男子個人シングルス3位、3位、ベスト8女子シングルスベスト8第11回ヨネックス杯中学校バトミントン選手権大会男子団体準優勝第17回中頭地区総合体育大会バトミントン競技大会男子団体優勝男子個人ダブルス準優勝男子個人シングルス3位ベスト8ベスト8女子シングルスベスト8第29回県中体連総合体育大会バトミントン競技大会男子団体準優勝(九州大会へ)男子個人ダブルス3位中頭地区新人シングルスバトミントン大会男子準優勝第33回県新人シングルス大会3位第17回中頭地区新人ダブルスバトミントン大会男子準優勝第32回県新人ダブルスバトミントン大会男子ベスト8第18回中頭地区新人総合バトミントン大会男子優勝男子個人シングルス優勝、3位








