2012/04/11

お彼岸も過ぎ桜も咲いて、春爛漫の風情となりましたが皆様お変わりなくお過ごしでしょうか?久し振りの雨休みで、漸くPCに向かっております。お百姓を志望しての田舎暮らしもいつの間にか5年目を迎えた、川口です。

第弐会、籾摺り完了時点で更新停止しておりました「秘伝の味噌作り」、漸く第参回、「糀を仕込む」編、その一です。
我が家の味噌の仕込みは幸い終了しておりますが、秘伝(笑)の開示が遅れておりまして申し訳ありません。まぁ、誰も真似しないだろうからいいか…?

さて、そもそも、「糀・麹(こうじ)」とは蒸した穀物原料(米、麦、豆など)にコウジカビ菌を繁殖させたもの」をいいます。東アジア一帯に拡がる伝統的な発酵食料加工法に用いられている、と謂われておりますが、日本でお米を原料としてこの「コウジカビ菌を繁殖させたもの」は特に糀(こうじ)と表記されます。

日本酒、米味噌などが、「糀」を利用した代表的な食品になりますね。初回にご紹介しました通り、わたくしが仕込んでいるのは、大豆にこの米糀を加えた米味噌です。

それでは早速、わたくしがその「糀」を仕込む過程をご紹介しましょう。

先ず、先回用意した籾摺りした玄米を浸水します。冬の寒い間でしたら一晩以上はじっくりと水に浸けてタップリと給水させます。

蒸し鍋を火に掛けて湯気が立ってきたら玄米をいれた蒸篭(せいろ)を載せて蒸します。お米がしっかり芯まで軟らかくなるまでじっくりと蒸しあげます。

この際に市販の玄米をそのまま使おうとしますとなかなか蒸し上がりませんが、我が家の玄米は前回ご紹介した通りに擂鉢で擦った際に傷が入って分搗きになっていますので、そのお蔭で比較的容易に軟らかく蒸し上がります。

この蒸し米がひと肌くらいに冷めるのを待って、種糀を混ぜ込みます。

現代の「麹作り」では、プロアマ問わず工業的に純粋培養されたコウジカビ菌の胞子を購入して降り掛ける作り方が一般的になっています。

しかし、貧乏なわたくしには、そのような胞子を購入する余裕もなく(笑)、自分で飼い育てている菌を使っています。

そもそも、コウジカビ菌は自然界のどこにでも存在している「常住菌」なので、そのような天然資源をお金で買う、という行為そのものが、「お百姓」を目指すわたくしにはそぐわなく感じられるのであります。

コウジカビ菌を飼う方法方は実は簡単で、折々に、蒸したお米を餌として与えて継続培養するのです。「友麹」と呼ばれる昔ながらのやりかたです。

ちなみに、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%B9
別途培養した麹菌胞子である種麹を蒸した原料に散布して製造する方法と、以前に製造した麹の中から良質なものを保存しておき、新たに麹を製造する際に蒸米に加えて用いる方法がある。後者の方法を「共麹」(「友麹」とも)と呼ぶ。現在の日本では、もっぱら前者の方法が採用されており、麹を製造する際には種麹を専門に製造する業者が供給する種麹を利用する場合が多い。野外のカビにはカビ毒を作るものがあるため、専門の業者が供給する種麹を利用することが望ましい。

という事ですから、「百姓」は目指さない良い子の皆さんは真似をしないように(笑)!!!

普段、掛け継いでいる種麹は折々に甘酒に加工して利用しています。甘酒についてはいずれ書かせて戴くこともあるでしょう。

種糀を混ぜ込んだ蒸米を容器に移し入れ、30℃程度に保温して麹菌の繁殖を促します。

プロの世界では、麹室(こうじむろ)といわれる(室温30℃湿度約90%)専用部屋を使います。

冬の家庭では炬燵やオーブンの保温機能などを使う事が一般的な様です。

さて、では、わたくしはどうしているのでしょうか???

と、唐突に質問を投げた所で今日はここまで。

雨が上がりましたので、ちょっと出掛けてまいります。お百姓は忙しいのです(笑)

それではまた!!!

2012/04/11 04:50 | 暮らし, 食べる | No Comments
2012/02/29

味噌(みそ)の仕込みを始めたので、お米の籾を摺り過ぎて肩が痛い、お百姓になりたい、川口です。

ということで、お約束の我が家の味噌作りの秘伝(??)公開、第一弾は、「籾摺り(もみすり)」です。

世の中には色々な方がいらっしゃいます。が、味噌(みそ)の仕込み方を紹介するに際して、お米の籾摺りから始める人はかなり珍しい、というか、皆無ではないしょうか?

しかし、我が家での味噌(みそ)仕込みにおいて、籾摺り(もみすり)は最初の大きな壁となる工程なのです。

何故ならば、田で収穫したお米、籾米(もみごめ)が沢山あったとしても、そのままでは蒸したり炊いたりといった調理ができる「お米」にはならないからです。蒸す「お米」が無ければ麴(こうじ)が立てられない。麴が無ければ味噌(みそ)は出来ない。であります故、味噌を仕込むにあたっては、まずは、籾摺りをしてお米を手にしなければならぬのです。

そもそも「籾摺り(もみすり)」とは如何なる営為か?と申しますと、お米の可食部分である糠に覆われた杯と胚芽を固く守っている防護服、すなわち、「籾殻(もみがら)」を脱がせて玄米(げんまい)にする作業です。お米を調理して人が食べられるようにする為に必要な作業の中でも古来最も手間が懸る部分の一つと申し上げてよいでしょう。

我が家では毎日この籾摺りをしては、それで得られる玄米を食い繋いで暮らしております。籾摺りせずば食うこと能わず、なのであります。我が家での籾摺り風景についてはすでに書いた通りですが、正直、日々の食い扶持を準備するだけでも大変な労力を要する作業です。ですから、それに数倍する量のお米を用意せねばならない味噌仕込みにおいて、如何にこの籾摺りが大きなハードルとなるかはご想像頂けることでしょう。

以上、普通に暮らしている方々には全く縁の無い背景説明でした。では、早速、この籾摺りの実態を初公開させていただきましょう。

まず、以下のようにすり鉢に籾米を入れ、擂粉木で摺りはじめます。

擂粉木は元々は機(はた)用に伐って来た樫の木を自分で削って作ったものです。大型なので籾摺りや豆腐作りに大いに活躍しています。

あまり力を入れ過ぎますとお米が割れてしまったりしますから、優しく丁寧に、とはいえ、きっちりその鎧(よろい)のような籾殻(もみがら)を脱いでもらえるよう、適度な力を加えつつ摺ってゆきます。よい加減で摺るとやがてこのように籾殻(もみがら)が剥がれて浮いてきます。

そうしましたらおもむろに、すり鉢を顔の前まで持ち上げまして、息を吹きかけて剥がした籾殻だけを吹き飛ばします。この工程はこの我が家における摺り鉢式籾摺り法(って程のものではありませが・笑)の核心部分となる作業ですが、映像でご覧にいれることは控えさせて頂きます。なぜならば、余りに間抜けな感じがする風情なので恥ずかしくて写真はお見せしたくないのであります。ぜひ、いつか現場をご確認しにお越しください。あしからず。

上手に籾殻を吹き飛ばしますと、ご覧の様に玄米が現れてきます。

 

色とりどりの玄米です。何故にこのようなミックスされたお米になっているのかと申しますと、ここで摺っているお米が2番籾(にばんもみ)を集めたものだからです。2番籾は、お米の収穫後の調整作業の際に、余り実が入っていない小さ目なお米の粒だけを唐箕を使って選り出しておいたものです。(これを行う作業が「唐箕掛け(とうみがけ)」です。)普段の食事で炊いているご飯では、みなさんと同様に種類別の粒の揃ったお米を炊いて頂いていますが、お味噌や甘酒、水飴に加工したり、お粥にして頂く場合にはこの2番籾を使うようにしているのです。自然のめぐみを余すところなく無駄なく頂くための工夫です。

何度か、この摺っては籾殻を吹き飛ばすという作業を繰り返してから、最後にざるで細かい糠(ぬか)を落とし、摺り残した籾や殻を丁寧に手で除けるとようやくこのように綺麗な玄米になります。

僅かこれだけの玄米を得る為の作業には、熟練しても10分程はかかるでしょうか?お味噌を仕込む為には少なくとも大豆と同量の麹を準備せねばなりませんので、まぁ、ざっとこの50倍位のお米は準備せねばなりません。まぁ、気が遠くなる作業です。

ちなみに、この吹き飛ばした籾殻には糠(ぬか)が混ざっていますので最後には細かい篩(ふるい)にかけてこお糠だけを取り出します。このようにして毎日摺っているお米から出る糠を加えた糠床でこんな風に美味しい糠漬けが出来るのです。

また、籾殻は細かいものは糠(ぬか)と共に畑に撒くととても良い補いになります。根菜類を保存する際にはこの籾殻を被せておきます。全く無駄になるものはありません。実にエコなのです(古い!)。

しかし、お蔭で久しぶりに肩が凝りました。あ、それは久しぶりにPCに向かってこの原稿を書いたからでしょうかねw?

それでは、次回、「麴たて」までしばらくのお別れです。

 

 

 

2012/02/29 09:53 | 暮らし, 食べる | No Comments
2012/02/29

旧正月を迎えて早々に、学生時代からの長きに渡って住み慣れた東京を引き払い、いよいよ本格的に田舎暮らしを始めようとしている、いつかは百姓になりたい、川口です。

暦の上では、もう「立春」も過ぎ、「雨水」となりました。厳しかったこの冬の寒さも峠を越え、時に温かい雨が降る季節です。先日は田で溝切りをしていると鶯の声が聴こえてきました。その夜には早くもアオバズクが、ホッホー、ホホッホホッホーと愉快そうに啼いておりました。すっかり陽が伸びて夕暮れも遅くなり、あぁ、春が来たのだなぁ…、と想うこのごろです。

さて、春を迎えて田畑山での仕事が忙しくなる前に終えておきたい大切な百姓仕事のひとつに味噌(みそ)の仕込みがあります。

お米などの穀類を主食として来た我々日本人にとって、豆から作る味噌は欠く事の出来ないタンパク源として無くてはならない食品だと言えるでしょう。私もここでの暮らしから自家製の生味噌(みそ)が無くなってしまうという事は考えるだに恐ろしいことです。四季を通じて御御御付け(おみそ汁)のみその香り程にあらゆる食事を豊かにしてくれるものはありませんからね。何しろ、このJunksgtageにも「味噌汁の香水」と題するコラムだってある程に味噌(みそ)は偉大なのです!

更に、「手前味噌」という言葉があります通り、自分で育てた原材料でゆっくりと時間をかけて仕込んだ自家製の「生」味噌(みそ)*の味を一度知ってしまいますと、もう市販の味噌は口にする気が起きなくなってしまうものです。

 

*) ちなみに通常販売されている味噌(みそ)はアルコールなどを添加して発酵を止められて(菌類を殺して)いる為、「生」の味噌の風味や味わいに欠けるのであります。

我が家で現在仕込んでいるお味噌(みそ)は、いわゆる「米味噌(みそ)」です。一口に「味噌(みそ)」と言いますが、地方によってその原料、製法共に実に多様なものです。とはいえ、日本各地で作られている代表的なお味噌を原材料で区別すると、
1) 米味噌
2) 麦味噌
3) 豆味噌
に分けられます。

「みそ」は、基本的にどれも大豆と塩を主原料として作られる保存食ですが(豆を使わずに麦だけで仕込むようなお味噌もありそれはそれでとても美味しいものですけどね…)、その大豆に加えて発酵・熟成させる「麹(こうじ)」の原材料に応じて上記の様に大別されます。

我が家ではお米が一番沢山採れますので、お米で麹をたててお味噌を仕込んでいます。将来的に麦が沢山収穫出来るようになったらぜひ麦みそも作ってみたいとは思っていますが、麦は先ずはお味噌(みそ)よりもお醤油(しょうゆ)やパン作りの方に廻さねばなりませんので中々、道は遠いかもしれません。

いずれにしましても、味噌(みそ)は、大豆のタンパク質、脂質などを、米、麦、豆などの炭水化物を麹(こうじ)カビ菌に食べさせて糖化させる過程で生産される様々な酵素と、自然の酵母菌、乳酸菌などの菌類の多様な働きとによって、多様な旨味アミノ酸に分解、熟成することで作られる日本における自然のめぐみの豊かさを体現している素晴らしい食べ物なのであります。

と、何だか味噌(みそ)とは?という話だけで長くなってしまいました。ご興味のある向きはぜひ味噌(みそ)の奥深い世界を覗いてみて下さい。

次回より、我が家の味噌作り、秘伝(??)を公開させて頂こうと想います。既に昨年に概要はお伝えした工程ですが、数回に分けてちょっと詳しくご覧にいれようとおもいます。

それでは、どうかお愉しみに!

2012/02/29 04:01 | 暮らし, 食べる | No Comments
2012/01/31

暦の大寒そのものの寒波襲来が続いていますね。
谷間程ではないとはいえ、十分に厳しい東京の寒さにふるえながら引越しの準備に追われている川口です。

先日、谷間の家で初めて仕込んだお醤油を絞りました。
一昨年の春に田で収穫した小麦と畦で育てた大豆を蒸して麹を立て、大豆と塩水に仕込んだのが昨年の5月始め。それ以来、仕込んで直ぐの頃には毎日、やがて、3日に一度、一週間に一度、そして、10日に一度程、かき混ぜては成熟を見守って(味見して)参りました。熟成期間も既に半年を越え、いよいよ美味しくなっておりましたし、丁度、お客様もあったので、布の袋にドロドロの原液を入れて重しをして絞りました。

これがまた、実に美味しいのです!!!

絞ったままの生醤油をお刺身に付けて戴いても香り、味共に素晴らしく、また、お芋やお豆を炊いて味付けに加えて火を通してもまた何とも言えない濃くのあるお味になります。更に、絞った残りの諸味も様々な料理の味付けに使えます。

自家製の無添加、天然醗酵の生のお醤油は、将に、「魔法の調味料」です。

乳酸菌に麹菌と酵母菌が、豆、小麦、塩と共に樽の中で時の経過と共に演じたコラボレーション、その結果がこれ程までの旨味を作り出すことに、本当に驚愕しました。

今年もご覧のように無事に沢山の畦豆が収穫できました。黒豆、緑大豆、緑豆、小豆、手前はお蕎麦にエゴマです。

今年収穫したお豆と雑穀(選)

今年は黒豆も加えて、更に美味しいお醤油を仕込みたいものです。

願わくは、、、もう少し大量に。

と申しますのも、今年は一番絞りの生醤油、一番絞りの残りの諸味を煮出した二番絞り共に僅か小瓶に一本程しか作れなかったからです。

何とか一年分のお醤油を仕込める程の小麦が実るように、田の排水を促す溝切りに寒の間に精を出さねばなりません。

それにしても、お醤油というのは誠に贅沢な調味料なのだなぁ…、と改めて痛感している私なのでした。

2012/01/31 08:06 | 食べる | No Comments
2012/01/23

再び旧正月を迎えました。

謹んで新春のお慶びを申し上げます。

このたび、東京の拠点を引き払い明るい谷間でのお百姓生活に一層集中することにした、お百姓になりたい、川口です。

東京と田舎での二重生活を始めて間もなく丸4年になります。将来の金銭的な生活設計については未だに目途すらもなく、従ってそのことを気にし始めると大いなる不安に満たされる私がいます。が、田舎での自然の力に生かされる日々の幸せと満足に溢れた時間は、今のわたしたちにとっては何ものにも換え難いものとなりました。

という訳で、稀な更新頻度で書かせて頂いて参りましたこの通信ではありますが、この新しい春からはもう少し頻繁に、皆様にわたくしたちの田舎暮らしのあれこれをお伝えして行きたい、とこころを新たにしておる次第です。

では、本年もどうかよろしくお願いいたします。

川口巽次郎 拝

2012/01/23 02:42 | 暮らし | No Comments
2011/12/29
年末年始は田畑を離れて温泉と山スキー三昧、百姓らしくもない、川口です。
今年も暮れようとしていますが、この一年の生活を振り返って想いますに、農作業というのは、単調な繰り返し作業が多いものです。稲刈り、

単調です。
あ、手刈りの話ですが…。 今では殆ど手で刈る人なんていないですよね。

田植、超、単調です。
あ、手植えの話ですね・・・。 今時、手で植えてる人って珍しいですよね。

草刈り・・・。 あ、手で鎌で刈る話です。
刈り払い機も単調だけど、鎌は更に徹底的に単調。

脱穀、唐箕掛け・・・。あ、普通はコンバインを使ってますね。
もう、本当に単調。
そんな作業ばかりで、大変じゃないの?飽きるでしょ?、というのがまわりの方々からよく戴くご質問です。しかし、本当にそうなんでしょうか???

そもそも、農作業でなくとも単調なことって沢山ありますよね。

自転車、

単調です。
特に長い峠の坂を延々と登り続けるのって、文字通り死にそうに単調。

登山、歩くスキー。

単調。

で、私はどれにも結構嵌ってまいりました。

やった事の無い人に信じられないであろう、はまる単調、筆頭は、恐らく、自転車での登坂。

普通、最悪だと思いますよね。自転車で坂登るって。

でもね、違うんです。

もし、今度機会があったら坂を登っているサイクリストを観察してみてください。
絶対、みんな、顔がなんだかヘンに笑っています。

ハイになっているんです。

ランニング・ハイと同じ。

とっても苦しいんだけど、一線を越えると、何故か、ニタニタしてしまうんです。

だから、自転車乗りのかなりの人が、実は、坂を登るのが好きなんですよ。

で、私、自転車での坂道でも結構ハイになりますが、最近は、農作業でもハイになっている自分をしばしば見出します。

ハイ。

かなり、幸せです。

般若心経や光明真言を何万回も唱えるようなものです。

世の中には、ジョギングやウォーキング、更には、ジムワークのような僕にとっては拷問にしか思えないような単調な作業でハイになる人もいるのにね。という事で、みなさん、来年は、田んぼで(じゃなくてもよいから・笑)ぜひ皆で一緒にハイになりましょう!!!

では、よいお年をお迎えください。
2011/12/29 05:24 | お米作り, 暮らし | No Comments
2011/12/29

漸くクリスマスイブになって今年の米の収穫後の調整作業(脱穀、唐箕による籾選別、袋詰めと貯蔵)を終え、ほっとしている百姓になりたい、川口です。

冬至、すなわち、陰が極まる頃となりましたが、今頃に頂く籾摺りしたての新玄米には、殊の外身体を芯から温めてくれて得も言われぬ美味しさがあります。毎日のご飯が文字通り幸せを噛み締めるようなときとなるのです。

今年もお米は「自然農」の田で見事な実りを結んでくれました。

自家採取の種籾を田の一角の苗代に降ろした5月以来、草刈り水管理稲刈りを経て、一ヶ月稲木で天日に干した米を脱穀、唐箕掛けして袋詰めするまで、長いようで短い半年と少しの間でした。

* 耕さず、
* 肥料を作って持ち込むことなく、
* 草、虫を敵とすることなく(農薬などを用いることなく)

そして、最小限の道具と身体を使うだけで、一銭のお金を費やすことも無くして、完全な生命を宿した健康なお米の実りを、今年も得ることができました。

この極めて単純な事実を我が身をもって知る事が出来たことは、僕のこれまでの暮らしの中でも最も驚嘆と歓びに値する経験で、三年目のお米作りをおえた今となっては、この仕事無しに暮らす事など考えられない、そんな風になりました。

4年前まで都市での暮らししか知らなかった私なのに、人間、まことに大いに変わるものであります。

年越しを迎えるにあたって、この田の豊かな実りに心から感謝するのです。

 

脱穀を終えた稲藁を戻して振り撒いた田は、まるで絨毯を敷き詰めたようです。一見すると、生命の姿の無い冬枯れの景色ですが、実は、この藁の下では既に小麦、大麦が芽を出して春を待っているのです。

彼らと共に、またこの田で新しい年を迎えたいと思っています。

2011/12/29 05:14 | お米作り | No Comments
2011/11/30

時の経つのは早いですね。もう12月になろうとしています。ようやく稲刈りを終えてほんの少しだけホッとしている百姓になりたい、川口です。

今年の冬は暖かい日が続き、例年ならば疾うに黄金色になっているはずの荒神様の銀杏の葉も11月の半ば過ぎまでまだ緑色、霜も遅れていました。
本来ならお米には数回霜に当ってもらってから刈りいれるのが理想です。寒気に触れた稲は、最後の力を振り絞るようにありったけの養分を実に送り込んで枯れてゆくからです。霜にあたったお米はそれだけ大きく甘味も増すことになる訳です。

刈り獲った稲は稲架にかけて天日干しします。天日干しも美味しいお米になってもらう為にはとても大切な作業です。刈り取られ干されている間にも、その稲の葉、茎からは最後まで子孫を残してくれるお米へと養分が送られ続けるからです。

近代機械農業のコンバインによる刈入れでは、刈入れと同時に実を稲わらと分離(脱穀)させてしまいます。ですからこの最後の親から子への栄養伝達、熟成過程が行われません。更に、脱穀したそのお米はすぐに乾燥機に入れられて、高温の熱風で乾燥されます。高温にあたって酵素が変質した籾米はもう芽を出すことが出来ない、謂わば、「死んだ」お米になってしまいます。そして、早ければ翌日にはもう籾殻も外され(籾摺りされて)、玄米として出荷、貯蔵されます。玄米になったお米は急速に酸化、劣化して往きますから、品質を保つ為に冷温貯蔵庫で保管されます。それでも、ゆっくり天日乾燥させた籾米をそのまま貯蔵したお米に比べるとどうしても劣化せざるを得ません。

収穫後の作業がこのように自動化され、作業時間が短縮されるようになったことは、農家の方々にとっての作業負担の多寡だけに着目するなら大いに素晴らしいことになりますが、殊、「美味しいお米を手にする」ことを第一義とする上では、このような方法は決して最良ではありません。

更に、コンバインや乾燥機、大型の籾摺り機などの大型農業機械の製作、維持、そしてそれを使った収穫作業や冷温貯蔵に投入され費やされる資源、エネルギーは膨大なものとなっているのです。

わたくしが実践している自然農の収穫作業に使う道具は鋸鎌(のこぎりがま)一本だけ。後はすべて身体だけを使った手作業ですから、時間はかかりますが投入されるエネルギーは極僅か。お腹を減らした私が食べるご飯があればよい。天日乾燥もお日様と風が頼り、稲架(はざ)も山から伐った木や竹などのやがては自然に還る素材だけで足りるのです。

そして何よりも、それが最高に美味しいお米を手にする為の「最善の手段」なのです。

やはり、お米はゆっくり天日でじっくり低温乾燥、熟成させ、籾を付けたままの状態、即ち、種を播けば再び立派な稲に生長する力を内包したままの状態で保存、そして、食べる直前に籾摺り、精米をする、それ以上の方法はありません。

もちろん、とっても、とっても、時間と手間はかかるのですけれども。

という訳で、ようやく稲刈りを終えたものの、これから始まる脱穀、唐箕掛けの再び気が遠くなるような作業を想うと、ちょっぴり、怖気づいている私なのです。

2011/11/30 11:59 | お米作り | No Comments
2011/10/31

この秋、谷間では霜がやや遅れているお蔭で、最後のトマト、茄子、胡瓜、ズッキーニなどの名残の味をまだ愉しませて頂いています。百姓になりたい、川口です。

昨日、谷間は雨の日曜日でした。将に、「霜降」の次候、「霎時施」(小雨時々降る)らしい一日。

田畑山には行けませんので、思い立って久しぶりに石臼を廻してみました。

昨春に収穫して保存してある粒小麦を、石臼の上の穴から少しづつ落とし入れては臼を廻します。

低い「ごろごろ、ごうごう」と音が響き粒が擂られてゆっくりと粉になって行きます。なんともいえぬ、のんびりとした趣ある響きです。

石臼はかなり重く、廻すには中々力が要ります。
僅か2合程の小麦粒を挽くにも慣れないと30分程も懸ってしまうでしょうか?
粉を食べて得られるエネルギーと、臼を廻すことで消費するエネルギー、収支が赤字になってしまうのではなかろうか?などとあらぬ心配までしたくなります。

それでも、急がず慌てず根気よく、只ひたすらに、粒小麦を少しづつ加えては石臼を廻しておりますと、やがて臼の周りに細かく挽かれた粉が落ちては積もって参ります。

その粉を集めて篩いにかけ、肌理の細かい白っぽく胚乳と胚芽が多い全粒粉と、やや粗目の衾(小麦の皮の部分)が多く茶色っぽい粗挽き全粒粉とに篩い分けました。

粗目の全粒粉には塩とオリーブオイル少々と水を加えて捏ねて玉にし、しばらく寝かせてから丸く伸ばして鉄板で焼きました。
所謂、「チャパティ」(発酵させない平らなパン)です。焼き立ての熱々にバターやオリーブオイルを塗って、お好みのジャムなどを載せて戴きます。簡単ですがそれは美味しいものです。

昨日の挽き立て粉で作ったチャパティは、実になんとも言えない良い香りと風味が満ちてサクサクで、いつにも増して実に実に美味しいものでした。

白っぽい粉の方は、我が家で普段からかけ継いでいる天然酵母を加えて捏ね、今日までゆっくり発酵させてからパンに焼きました。
我が家では2~3日おきにこの天然酵母パンを焼いていますが、やはり挽き立ての粉だからか、いつに無い香ばしいパンが焼けました。

こんなに美味しいと、そろそろ種蒔き時を迎えた今年の小麦栽培に向けて気合が入ってしまうというものです。

とはいえ、日々食べているパンやパスタを、自分で石臼で挽いた粉で作ろう、と決心するに至るにはまだしばらく躊躇しそうです。
お米の籾も摺らなくちゃいけないし、棉を繰って糸を紡いで布を織ったりも…。竈を作ったら薪集めや薪割りも…。
願わくは粉挽きには水車の力を借りたくもなるのであります。まぁ、水車が出来れば籾摺りや精米だって、更には糸紡ぎだって出来ちゃうようになりますけどね…。

でも、そんな暮らしが出来たらささやかながら大きな喜びになるだろうな、とも思う私です。

2011/10/31 08:28 | 暮らし, 食べる | No Comments
2011/10/29

新暦の10月に入る頃は、旧暦の七十四候の第48候、「水始涸」(田畑の水を干し始める)にあたります。(*)
それからほぼ一か月、いよいよ稲刈りの頃が近づいて来ました。

朝に夕に、日毎色を深めて金色に輝く稲穂の海を眺めつつ百姓としての幸せを噛みしめる、川口です。

今日の日暮れ時には、松明を掲げた一団の人々が太鼓を打ちながら田の中の道を行進して荒神様へと歩いてゆきました。やがて荒神様の境内で大きな焚火が燃え上がり、深くなりゆく闇へと煙と共に静かに紛れて消えて行きました。今年も再び荒神様が再生したのです。

こちらが今の我が田の稲たちです。

こうして色付きゆく稲穂の姿は誠に何物にも換え難く美しく、何とも言えない豊かな歓びに満たしてくれる光景ではあります。
が、それは同時に稲たちの枯れ衰え滅びゆく姿です。

4月に苗代に降ろされた一粒の籾から生まれでた幼い命が、やがて立派に生長を遂げ、花を咲かせ数千の新たな命を宿し育む。そしてたわわに穂を実らせました。

しかし、この営みを全うして数千の命を残すと同時に、それらの稲たち自らは滅んでゆきます。ちょうど荒神様が生まれ変わるように。その間およそ6か月。

数千年、或いは数万年前に人類が栽培を始めて以来、停まること無く続けられて来たこの稲の生命の巡り、親から子への生命の移り替りの姿は、美しいと同時に、実に峻厳な有り様でもあります。

しかし、稲以外の草ぐさたちの命から眺めるならば、一粒の稲の種籾がこうして立派な株に育つことが出来たのは、私が稲に手を貸してそれら他の草ぐさが生きる場を奪い、稲の育つ場を確保したからこそ。今、こうして立派に子孫を残して死んでゆく稲の姿のあるのは、実はその稲に命の場を譲り(わたくしに命を奪われて)子孫を残すこともなく滅んで行った数えきれない程の命の死があったからこそでもあります。

そうした数えきれない命の死があってこそ稲は無事育つことが出来る。そして、私は、そうして育った稲の子供たちの命を頂くことで命を繋いでゆく。

おのずから生まれ育ち、おのずから子孫を残し、おのずから死んでゆく…。そんな命の営みの定めに沿って稲は命を実らせ、私はその実った命を食べて自らの生命を養う。

不思議というには余りにも不思議な、絶えることの無い生命の繋がりに驚かされるばかり、秋はそんな季節です。

*) 今のお米農家は重い農業機械を使って稲を刈る為刈り入れ前までにしっかり田を乾かしておかねばならず、その為に8月の終わり頃からはもう田に水を入れないようになったのですが、昔ながらに手刈りするわたしの場合はこれから干せば充分ですし、稲の生育の為には実は10月頃までは田に水をいれておくのが良いようです。

2011/10/29 12:02 | お米作り | No Comments

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